石黒昇の情報(いしぐろのぼる) アニメ演出家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
石黒 昇さんについて調べます
■名前・氏名 |
石黒昇と関係のある人
本多敏行: なお、演出は石黒昇・着ぐるみ制作は造形作家の品田冬樹。 飯島真理: 度胸試しのつもりで翌日オーディションを受け、自作曲を弾き語りしたところ、石黒昇チーフプロデューサーの「歌手の役だから歌える人がいい」という一言でミンメイ役に抜擢された。 吉田喜昭: 第37話『月夜になる鐘』 : 監督石黒昇、1972年9月17日放映 河森正治: 1984年(昭和59年) アニメ映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』で監督デビュー(石黒昇と共同)。 知吹愛弓: 小学生の頃からアニメや漫画が好きだったことから、高校卒業後は東京デザイナー学院に入学するがすぐに行かなくなり、その後遊んでいるうちにコミック・アニメ・SFものの専門販売店『CASF』に入り浸るようになってそこで何人かの友人が出来、その中のアニメ業界に詳しい友人に石黒昇を勧められ、アートランドに入ってアニメ界入り。 美樹本晴彦: ぬえの紹介でアートランドに入社し、代表石黒昇が監督を務める『鉄腕アトム』(第2作)で動画・原画、『科学救助隊テクノボイジャー』でゲストキャラクターのデザインを担当する。 平野俊貴: その後湖川友謙率いるビーボォー、自ら率いるスタジオイオ、石黒昇率いるアートランド、三浦亨率いるAICなどを経て、現在は有限会社平野俊貴事務所の代表を務めている。 河森正治: 1984年の劇場作『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では石黒昇との共同監督に抜擢される(石黒はおもにスタッフワークなどを担当)。 吉田喜昭: 第17回『感激!涙の演奏会』 : 監督石黒昇、1977年2月8日放映 |
石黒昇の情報まとめ
石黒 昇(いしぐろ のぼる)さんの誕生日は1938年8月24日です。東京出身のアニメ演出家のようです。
映画、卒業、テレビ、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2012年に亡くなられているようです。
石黒昇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)石黒 昇(いしぐろ のぼる、1938年8月24日 - 2012年3月20日)は、東京都出身の日本のアニメ監督、演出家、アニメーター。アニメ制作会社アートランドの創業者であり、死去時には会社分割によって新設されたアニメーションスタジオ・アートランドの取締役会長であった。また、代々木アニメーション学院の講師も務めていた。 小学生時代、手塚治虫の『新宝島』に魅了されて漫画を描き始め、高校3年生の頃(1956年)に『宇宙の放浪児』(石黒昇流名義、新生漫画社刊)で貸本漫画家としてデビュー。若木書房の短編誌『迷路』などに「ダイヤモンド小僧の冒険」シリーズやSF作品を発表していた。その一方で、中学3年生の頃に見たミュージカル映画『錨を上げて』で映画の面白さに目覚め、高校時代は映画漬けの日々を送る。 1957年に日本大学芸術学部映画学科に入学。当時、遠藤政治、つげ義春、永島慎二らと親交を持ちながら漫画家として活動を続けていたが、その頃に起こった劇画ブームによって貸本漫画が衰退し始めたことや自身のスランプにより、漫画家への道を断念。漫画家生活に見切りをつけると、今度は仲間たちとハワイアンバンドを結成し、キャバレー回りを始めた。一方、アニメーターの上梨壱也(現・上梨一也)と知り合ったことで刺激を受け、大学では仲間たちと8mmフィルムで切り抜きアニメを自主制作する。また憧れの人物だった手塚治虫の虫プロダクションが大学近くにあり、出入りするようになった。結局、日本大学には7年間在籍し、1964年に卒業するとアニメーターへの道を進んだ。 フジテレビの子会社のアニメ制作会社テレビ動画(現・フジテレビ・エンタプライズ)に入社。自主制作アニメの経験のおかげもあってすぐに原画を任されるようになり、『がんばれ!マリンキッド』で初めて絵コンテを担当した。テレビ動画から大西プロへ移ると、スタジオがグロス請けした虫プロの『鉄腕アトム』の原画を担当する。その後、大西プロを離れ、仲間たちと1966年に動画技術研究所を、1969年にJAB(ジャパン・アート・ビューロー)を結成したが、どちらも解散。以後はフリーの演出家・絵コンテマンとして『ど根性ガエル』など多数の作品に関わる。 1974年から放送が開始されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でアニメーションディレクターを担当。アニメの実制作の経験がないまま監督になった漫画家の松本零士を補佐し、全話の演出を担当した。作品は映画化もされて大ヒットを記録し、SFアニメと日本アニメ史においてエポックメーキングな作品となった。 1978年9月、有限会社アートランドを設立。『ヤマト』の時に多忙で自宅に帰る時間がない時のため、アニメーター仲間とともに宿泊用のマンションを借りたのがきっかけだった。 1982年、テレビシリーズ『超時空要塞マクロス』のチーフディレクターを務める。『ヤマト』に続いて作品はアニメ史に残るヒットを記録した。本作ではスタジオぬえから石黒の元に話が持ち込まれて企画段階から参加し、アートランドを率いて若い才能の舵取り役を務めた。 1985年、『マクロス』の中心メンバーを主力に『メガゾーン23』を制作。OVAとしてはかなりのヒットを記録した。『マクロス』では作品は高い人気と評価を得たものの、版権を持たないアートランドはロイヤルティーによる収益については蚊帳の外であった。そこで、石黒自らがオリジナル企画として立ち上げたのがこの作品だった。石黒が原作・監督および小説版の執筆を担当し、アートランドが元請制作したため、かなりの収益が得られるはずだった。しかし、会社間の収益配分に問題があり、アートランドにはほとんど収入が入らなかった。2作続けてヒット作をつくりながら金銭的には苦境に立たされ、自社制作に失望を感じる。続編では制作の主体はAICに移り、アートランドはメカニック班を母体として設立された第2スタジオのメンバーの参加にとどまった。石黒はこの危機をきっかけに、経営に集中する必要性を感じた。まず50名を超えるまでに膨らんでいた人員の分離・独立を図った。板野一郎ら吉祥寺の第2スタジオのメンバーがD.A.S.Tとして、高田馬場の背景部がアトリエブーカとして独立することになった。 1988年、身軽になったアートランドにOVAシリーズ『銀河英雄伝説』の仕事が回ってきた。石黒はこの作品でシリーズ監督を務めた。作品はスペースオペラの定番的作品として大いに人気を博した。本伝全110話、外伝全52話、長篇3作、展開期間は12年にも及び、テレビシリーズではないOVAとしては破格の長期シリーズになった。またテレビアニメに比べて制作期間に余裕があるため、石黒がアニメ制作と経営とを両立することが可能になった上に、コンスタントに安定した仕事があることでアートランドの経営状況も改善していった。その間、それ以外のアニメの制作協力もしばしば行っていたが、アニメ業界がどんどんキャラクター重視の方向へと進むのが嫌になり、自らが監督をするケースは少なくなっていった。 この頃、アートランドは武蔵境に4階建てのビルを借りて大久保から移転したが、2000年2月に隣の新聞販売店からの貰い火で2階部分が全焼する被害に見舞われている。 2005年、テレビアニメ『蟲師』の制作をアートランドが請け負う。かなりの期間アニメに関心を持てなかった石黒にとって久々に情熱を掻き立てられた作品で、自身も絵コンテを1本描かせてもらう予定だったが、手違いでその話は流れてしまった。 2006年4月にアートランドはマーベラスエンターテインメントの子会社となり、7月からは株式会社に変更となった。石黒は社長のままだが、スタジオの運営を任せることで金銭面での心理的負担が減ったという。秋期にはTVシリーズ3本を同時に元請で制作するという設立以来のピークを迎えた。またマーベラス本社の意向で、10月から全従業員に社会保険を適用した。 2012年3月20日、神奈川県川崎市の病院で死去。73歳没。 1970年代よりテレビアニメの演出に携わったアニメ監督。主な作品に『宇宙戦艦ヤマト』、『超時空要塞マクロス』、『メガゾーン23』、『銀河英雄伝説』、『みかん絵日記』などがある。 監督・演出家としては自らのスタイルを前面に出さず、才能と意欲のある人材にはキャリアに関係なく重要なポジションを任せた。 アニメ演出家であると同時にアニメスタジオの経営者としての顔も持ち、アートランドでは代表取締役として、アニメ制作会社の経営、そして若手の才能育成にも大きな役割を果たした。 『超時空要塞マクロス』『メガゾーン23』で、美樹本晴彦、板野一郎、平野俊弘(現:平野俊貴)らを抜擢。すでにアニメーターとして実績のあった板野を除き、ほとんどがほぼアマチュアというメンバーを制作の中核に据えて若い感覚の作品を創り上げた。アートランドには結城信輝、垣野内成美、和田高明、今泉賢一、島田ひろかず、鈴木輪流郎なども所属した。またアルバイトとして、スタジオぬえの紹介で大阪芸術大学に在籍中だった山賀博之と庵野秀明も大学の休みを利用して参加した。彼らがアートランドに集結していた期間は3年ほどだったが、『マクロス』をきっかけにブレイクし、その多くが後にアニメ界を代表する存在になっていった。 石黒がアニメーションをやりたいと思ったのは、ディズニーの長編アニメ『眠れる森の美女』を見たのがきっかけだった。アニメーターとしてはエフェクトアニメーションを得意とし、日本のアニメ界にその技術を広く知らしめた。ディズニーには伝統的に「エフェクトアニメーション」というクレジットがあり、キャラクター以外の波、炎、煙、雷鳴などの自然現象の専門部署が作画している。実写作品の特撮やデジタル映像時代以降のVFX(視覚効果)と同じ位置づけにある役割で、丁寧に描けば作品の華ともなるものでもある。アルバイトで参加した『0戦はやと』の現場で政岡憲三から彼が戦前に作ったアニメーター教習用のテキストを借りた際、そこに書かれたエフェクトの解説を見てエフェクトアニメに強い興味を持ち、自身も手掛けるようになった。『宇宙戦艦ヤマト』では数々のエフェクトシーンを担当し、それが作品を特別なものにする一つの要因となった。無重力の宇宙空間の戦闘シーンで爆煙が四方に広がる通称「ヒトデ爆発」やワープシーンのフィルター合成を考案し、SF知識の少ない制作スタッフには作画例をコピーしてイメージを伝えた。そしてエフェクトアニメーターの系譜はその後、板野一郎や庵野秀明へと引き継がれていった。『マクロス』でアニメーターデビューした庵野秀明は自身を『石黒や板野一郎のリアリズム系エフェクトの流れをくむ「三代目」』と語っている。そしてその3人に金田伊功を加えたアニメーターが核となり、日本アニメにおけるエフェクトアニメーターを実写の特技監督や特撮監督のようなポジションに位置付けてアニメ業界を引っ張っていった。 音楽(特にクラシック音楽)に強く、アニメ業界では数少ない譜面の読める演出家だった。虫プロ制作のテレビアニメ『ワンサくん』で譜面に合わせて絵コンテを描いたミュージカルシーンが音楽経験を持つプロデューサーの西崎義展に気に入られ、ミュージカルシーン専属の演出になった。そして、同作のスタッフとともに西崎のプロデュースする『宇宙戦艦ヤマト』に参加することになった。『銀河英雄伝説』でも、同じく音楽に強いプロデューサーの田原正聖(現・正利)や音響監督の明田川進とともに宇宙戦艦の艦隊戦シーンのBGMにクラシック音楽を使用する演出を行った。 無類のSF好きだった。『宇宙戦艦ヤマト』には様々なSF関係者が多数参加しているが、最終的な画作りやビジュアル面における石黒のSF的発想力の影響力は特に大きかった。 鉄人28号 (テレビアニメ第1作)(動画) 0戦はやと(動画) 怪盗プライド(動画、原画) 鉄腕アトム (アニメ第1作)(原画) がんばれ!マリンキッド(原画、演出) 黄金バット(演出) 巨人の星(原画) 怪物くん(第1作)(演出) 佐武と市捕物控(演出) そばかすプッチー(脚本) ウメ星デンカ(演出) どろろ(演出) ピンチとパンチ(脚本) ムーミン(演出) いたずら天使チッポちゃん(脚本) あしたのジョー(演出、絵コンテ) アンデルセン物語(演出) 天才バカボン(絵コンテ) 国松さまのお通りだい(演出) 新ムーミン(演出) 赤胴鈴之助(絵コンテ) ど根性ガエル(絵コンテ) ジャングル黒べえ(絵コンテ) ドラえもん(日本テレビ版)(絵コンテ) ワンサくん(演出、絵コンテ) 荒野の少年イサム(絵コンテ) ゼロテスター地球を守れ!!(絵コンテ) 空手バカ一代(絵コンテ) エースをねらえ!(絵コンテ) 侍ジャイアンツ(絵コンテ) 小さなバイキングビッケ(演出) 星の子チョビン(全話絵コンテ) たまげ太くん(演出、作画監督) 宇宙戦艦ヤマト パイロット版(絵コンテ) 宇宙戦艦ヤマト(アニメーションディレクター、全話演出、絵コンテ) まんが日本昔ばなし(演出) アラビアンナイト シンドバットの冒険(絵コンテ) UFOロボ グレンダイザー(絵コンテ) わんぱく大昔クムクム(絵コンテ) 超電磁ロボ コン・バトラーV(絵コンテ) リトル・ルルとちっちゃい仲間(絵コンテ) ドカベン(絵コンテ) まんが世界昔ばなし(演出) ろぼっ子ビートン(演出、絵コンテ) ヤッターマン(演出) ジェッターマルス(演出) 氷河戦士ガイスラッガー(チーフディレクター、演出) 風船少女テンプルちゃん(演出) ルパン三世 (TV第2シリーズ)(演出、絵コンテ) まんが日本絵巻(総監督) 未来少年コナン(絵コンテ) 宇宙戦艦ヤマト2(アニメーションディレクター、絵コンテ、全話演出) 銀河鉄道999(OP原画) キャプテン・フューチャー(絵コンテ) ザ☆ウルトラマン(絵コンテ) 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち(テクニカルディレクター) がんばれゴンベ(絵コンテ) 鉄腕アトム (アニメ第2作)(監督、脚本、絵コンテ) 忍者ハットリくん(脚本、絵コンテ) 科学救助隊テクノボイジャー(監修、脚本) 超時空要塞マクロス(チーフディレクター、脚本、演出、絵コンテ、声優) ときめきトゥナイト(絵コンテ) 超時空世紀オーガス(チーフディレクター、演出、絵コンテ) タイムスリップ10000年 プライム・ローズ(絵コンテ) ふしぎなコアラブリンキー(演出、絵コンテ) 忍者戦士飛影(演出、絵コンテ) 青春アニメ全集(演出、絵コンテ) トッポ・ジージョ(監督、脚本、絵コンテ) 夢見るトッポ・ジージョ(監督、絵コンテ) トトイ(監修) みかん絵日記(監督、絵コンテ) バケツでごはん(絵コンテ) 蟲師 (第1期)(制作管理) 僕等がいた(制作管理) 家庭教師ヒットマンREBORN!(監修) TYTANIA -タイタニア-(監督、絵コンテ) 蟲師 特別篇 日蝕む翳(監修) 蟲師 続章(監修) 宇宙戦艦ヤマト 劇場版 (アニメーションディレクター) さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(テクニカルディレクター) 火の鳥2772 愛のコスモゾーン(アニメーションディレクター) 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(監督) 八岐之大蛇の逆襲(機材協力) 銀河英雄伝説 わが征くは星の大海(監督) ヘヴィ(監督、絵コンテ) 第2回欽ちゃんのシネマジャック「邦ちゃんの一家ランラン」(監督) パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜(監督、絵コンテ) 蟲師 -特別篇- 鈴の雫(監修) メガゾーン23(原作、監督、メカニックデザイン) メガゾーン23 PARTII 秘密く・だ・さ・い(原作、総監修) 銀河英雄伝説 (第1期)(総監督、演出、絵コンテ) 爆走サーキット・ロマン TWIN(総監督、絵コンテ) 星猫フルハウス(原作、監督、脚本、OP・EDテーマ曲作詞) 青春夫婦物語 恋子の毎日(監督、絵コンテ) MEGAZONE23 III イヴの目覚め(原案 ) MEGAZONE23 III 解放の日(原案 ) 超人ロック ロードレオン(監督) 青き炎(監督、絵コンテ) 少年アシベ(監督) 銀河英雄伝説 (第2期)(総監督、絵コンテ) BUBBLEGUM CRASH!(監修) 迷走王ボーダー 社会復帰編(監督、絵コンテ) ハード&ルーズ 〜私立探偵・土岐正造トラブル・ノート〜(監督、脚本、絵コンテ) 銀河英雄伝説 (第3期)(総監督、絵コンテ) 銀河英雄伝説 (第4期)(総監督、絵コンテ) 銀河英雄伝説外伝 (第1期)(総監督、演出、絵コンテ) 銀河英雄伝説外伝 (第2期)(総監督、絵コンテ) 倒凶十将伝 封魔五行伝承(監督、演出、絵コンテ) 石黒昇、小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史』大和書房、1980年。 インターネットラジオ『ハラショー』 - 「談話室オヤカタ アーカイブ」第180回・第181回(2008年) ^ 貸本漫画家時代のペンネーム。 ^ 脚本家の松崎健一とプロデューサーの富田弘との共同ペンネーム。『超時空要塞マクロス』のテーマ曲やリン・ミンメイの歌唱曲を作詞した際に使用した。 ^ 仲間とその腕前はプロにならないかと誘われるほどだったという。 ^ 『鉄腕アトム』のテレビ放送で気になった点を演出家に質問したりしていた。 ^ 卒業論文は「日本におけるテレビアニメーションの動向」。 ^ 虫プロから卒業後に入社しないかと誘われていたものの、人員が増えて大所帯になってしまった旧虫プロは性に合わず、少人数のテレビ動画を選んだ。のちに手塚アニメの制作に参加したり、手塚治虫自身のオファーにより『鉄腕アトム』のチーフディレクターを務めたりしている。 ^ 当時は3日に1本のペースで絵コンテを切っていたという。 ^ それ以前に設立に参加したスタジオが2度も潰れているため、当初は会社を作るつもりはなかった。 ^ 幸いすでに制作がデジタル化されていたためにある程度データの復旧が可能だったので、致命的な損害から逃れられた。 ^ 日本のアニメ界では異例のこと。アニメーターの多くは作品ごとの契約制や出来高制であり、社会保険完備のスタジオは、スタジオジブリのような大手を除けばほとんど存在しない。 ^ キャラクターデザインの美樹本はまだ大学在学中だった。すでに『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』で現場経験があった板野はスタジオぬえの河森正治に誘われて参加した。そして平野は板野に声をかけられて参加した。 ^ 水道の蛇口から水が流れ出す瞬間や、旗が風になびく様子などの作画技法が丁寧に説明されていた。 ^ 3人ともエフェクトアニメーターに始まり、監督になって制作スタジオを興したというプロフィールが共通している。 ^ ベートーヴェンの『運命』をBGMにするシーンで絵コンテの脇に楽譜を書いた。 ^ アルバイトとして参加。 ^ プロとしてのデビュー作。 ^ 岡迫亘弘と共同。 ^ 第21話「ミクロ・コスモス」の劇中劇である映画『小白竜(シャオ・パイ・ロン)』の監督「ショウ・ブラクストーン」役でカメオ出演。企画アルバム『超時空要塞マクロスIII MISS D.J』にも同じ役柄で出演している。 ^ 三家本泰美と共同。 ^ 腰繁男と共同。 ^ 中村和子と共同。 ^ 河森正治と共同。 ^ 板野一郎、平野俊弘、梅津泰臣と共同。 ^ 鈴木敏充と共同。 ^ 荒牧伸志と共同。 ^ 会社情報 アニメーションスタジオ・アートランド 2012年3月23日閲覧 ^ インタビュー 伝説のアニメ職人たち 2018, p. 86. ^ インタビュー 伝説のアニメ職人たち 2018, p. 93. ^ インタビュー 伝説のアニメ職人たち 2018, p. 89. ^ 私説・アニメ17年史 1980, p. 49. ^ 図説テレビアニメ全書 1999, p. 355. ^ 図説テレビアニメ全書 1999, p. 360. ^ “Interview 第3回 石黒 昇 (総監督)”. 銀河英雄伝説 ON THE WEB (2012年3月28日). 2024年5月10日閲覧。 ^ “Noboru Ishiguro's Yamato 2 Memories” (英語). THE OFFICIAL WEBSITE OF THE BLAZERS ANIMATED SERIES. 2012年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月12日閲覧。 ^ “科学救助隊テクノボイジャー:伝説のSFアニメ"復活"”. まんたんウェブ. MANTAN (2022年1月19日). 2024年5月10日閲覧。 ^ “演出家・石黒昇さん逝去 ヤマト、マクロス、銀河英雄伝説で活躍”. アニメ!アニメ!. イード (2012年3月21日). 2024年5月10日閲覧。 ^ アニメージュ 5月号 1983, p. 148. ^ “プロダクション探訪 第2回 アートランド (後編)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2007年1月10日). 2024年5月10日閲覧。 ^ “新アニメシリーズに実写映画化も決定! アニメ史に輝く一大叙事詩「銀河英雄伝説」をひも解く!”. Movie Walker. 株式会社ムービーウォーカー (2018年4月18日). 2024年5月10日閲覧。 ^ “石黒昇氏死去…「宇宙戦艦ヤマト」を演出”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2012年3月21日). 2024年5月10日閲覧。 ^ 図説テレビアニメ全書 1999, p. 370. ^ “氷川竜介のチャンネル探訪 第48回 『超時空要塞マクロス』の石黒昇監督、ご逝去を悼む”. バンダイチャンネル. バンダイナムコフィルムワークス (2012年3月28日). 2024年5月10日閲覧。 ^ 私説・アニメ17年史 1980, pp. 89–90. ^ 図説テレビアニメ全書 1999, p. 366. ^ “庵野秀明が自身のキャリアを振り返る! アニメーター編】師匠でもある天才・宮崎駿の仕事を大いに語る! Part2”. Movie Walker. 株式会社ムービーウォーカー (2014年10月30日). 2024年5月10日閲覧。 ^ “【明田川進の「音物語」】第6回 OVA「銀河英雄伝説」のBGMにクラシック音楽を使った意外なきっかけ”. アニメハック. エイガ・ドット・コム (2018年6月13日). 2024年5月10日閲覧。 ^ 私説・アニメ17年史 1980, p. 173. ^ “アラビアンナイト シンドバットの冒険”. 日本アニメーション. 2016年6月3日閲覧。 ^ “タイムスリップ10000年 プライム・ローズ”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月21日閲覧。 ^ “火の鳥2772 愛のコスモゾーン”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月19日閲覧。 ^ “銀河英雄伝説 わが征くは星の大海”. マッドハウス. 2016年5月22日閲覧。 ^ “超人ロック ロードレオン”. 日本アニメーション. 2016年6月29日閲覧。 星まこと 編『アニメーション・インタビュー 伝説のアニメ職人(クリエーター)たち』まんだらけ出版部、2018年5月1日。ISBN 978-4860721428。 テレビアニメ全書1999">御園まこと 編『図説テレビアニメ全書』原書房、1999年6月1日。ISBN 978-4562032174。 『アニメージュ 1983年5月号』、徳間書店。 「アニメ人間インタビュー 石黒昇」『ジ・アニメ 1981年6月号』、近代映画社。 表 話 編 歴 氷河戦士ガイスラッガー(1977年) まんが日本絵巻(1977年 - 1978年) 鉄腕アトム(第2作)(1980年 - 1981年) 超時空要塞マクロス(1982年 - 1983年) 超時空世紀オーガス(1983年 - 1984年) トッポ・ジージョシリーズ(1988年) みかん絵日記(1992年 - 1993年) TYTANIA -タイタニア-(2008年 - 2009年) 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984年) 銀河英雄伝説 わが征くは星の大海(1988年) 第2回欽ちゃんのシネマジャック「邦ちゃんの一家ランラン」(1993年) パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜(2008年) メガゾーン23シリーズ(1985年 - 1986年) 爆走サーキット・ロマン TWIN(1989年) 星猫フルハウス(1989年) 超人ロック ロードレオン(1989年) 青春夫婦物語 恋子の毎日(1989年 - 1990年) 少年アシベ(1990年) 迷走王ボーダー 社会復帰編(1991年) ハード&ルーズ 〜私立探偵・土岐正造トラブル・ノート〜(1992年) 倒凶十将伝 封魔五行伝承(2001年 - 2002年) 表 話 編 歴 宇宙戦艦ヤマト 宇宙戦艦ヤマト2 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 宇宙戦艦ヤマトIII 宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち ヤマトよ永遠に 宇宙戦艦ヤマト 完結編 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 宇宙戦艦ヤマト2199 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち ヤマトよ永遠に REBEL3199 宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海 宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択 YAMATO2520 SPACE BATTLESHIP ヤマト 一覧 宇宙戦艦ヤマト2199 緋眼のエース 宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 PlayStation版宇宙戦艦ヤマトシリーズ ボードゲーム コンピュータゲーム パチスロ・パチンコ 西崎義展 宮川泰 羽田健太郎 宮川彬良 宇宙戦艦ヤマト 真赤なスカーフ ヤマトより愛をこめて 愛よその日まで 銀河伝説/愛の生命 ラブ・シュープリーム 〜至上の愛〜 明日の君を守りたい 〜YAMATO2520〜 この愛を捧げて 愛詞 Fight For Liberty 愛の星 BLUE 交響組曲 宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 音楽集 ヤマトよ永遠に 音楽集 不滅の宇宙戦艦ヤマト ニュー・ディスコ・アレンジ YAMATO SOUND ALMANAC 沖田十三 古代進 森雪 デスラー スターシャ 地球防衛軍 イスカンダル ガミラス帝国 白色彗星帝国 暗黒星団帝国 ガルマン・ガミラス帝国 ボラー連邦 バース星 シャルバート ディンギル帝国 宇宙戦艦ヤマトシリーズの地球の戦闘艦 ガミラス帝国の戦闘艦 白色彗星帝国の戦闘艦 暗黒星団帝国の戦闘艦 ガルマン・ガミラス帝国の戦闘艦 ボラー連邦の戦闘艦 ディンギル帝国の戦闘艦 ヤマト ゆきかぜ アンドロメダ 主力戦艦 デスラー艦 駆逐型デストロイヤー艦 三段空母 戦闘空母 潜宙艦 デスラー戦闘空母 二連三段空母 コスモゼロ ブラックタイガー コスモタイガーII 探索艇 救命艇 次元潜航艇 反射衛星砲 空間騎兵隊 自動惑星ゴルバ 波動エンジン 波動砲 波動カートリッジ弾 ショックカノン 空間磁力メッキ 煙突ミサイル ロケットアンカー 遊星爆弾 デスラー砲 デスラー機雷 火炎直撃砲 重核子爆弾 惑星破壊プロトンミサイル ブラックホール砲 ハイドロコスモジェン砲 ハイパー放射ミサイル 松本零士 スタジオぬえ
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2024/11/18 07:18更新
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ishiguro noboru
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