磯野恭子アナウンサーの情報(いそのやすこ) アナウンサー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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磯野恭子の情報まとめ

磯野 恭子(いその やすこ)さんの誕生日は1934年1月6日です。

テレビ、卒業、事件に関する情報もありますね。2017年に亡くなられているようです。
磯野恭子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)磯野 恭子(いその やすこ、1934年1月6日 - 2017年8月2日)は、山口放送に在籍していたアナウンサー、テレビディレクター。同局の取締役や岩国市の教育長も歴任した。 広島県江田島市出身。広島県立広島皆実高等学校を卒業後、1955年に広島大学へ進学。 1959年に山口放送にアナウンサーとして入社。1962年に制作部に異動してラジオ番組を制作し、その後テレビ番組のディレクターに転じ、第二次世界大戦をテーマとする数多くのドキュメンタリー番組を制作した。その中には、文化庁芸術祭やギャラクシー賞などで受賞した作品も多い。制作した番組の多くは、横浜市にある放送ライブラリーで視聴できる。また、山口放送に在職中の1994年には、NHKで『テレビドキュメンタリー 磯野恭子の世界』と題する磯野を特集する番組が5回に渡って放送された。 テレビ制作部長を経て、1988年に同局の取締役テレビ制作局長に就任し、民放初の女性役員となった。常務取締役を務めた後、2001年に山口放送を退職。2004年から6年間、岩国市の教育長を務めた。 個人としては、1980年には放送ウーマン賞1979を、1982年には国際ソロプチミスト婦人援助賞を受賞した。また、2000年には紫綬褒章を受章した。 2017年8月2日、心筋梗塞のため岩国市内の自宅で死去。83歳没。 『ある執念 ~開くか再審の道~』 (1976年、民放連賞優秀賞) 『聞こえるよ母さんの声が・・・ ~原爆の子・百合子~』(1979年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部大賞)、ベルリン未来賞受賞) 『山口のヒロシマ』(1980年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部優秀賞) 『限りある命のために ~カネミ油症患者の16年~』(1984年、「地方の時代」映像祭特別賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞本賞) 『死者たちの遺言 ~回天に散った学徒兵の軌跡』(1984年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部優秀賞) 『戦後40年シリーズ ドキュメンタリー 写真の中の日本人』(1985年、民放連賞優秀賞) 『チチの国ハハの国 ~ある韓国人女性の帰国~』(1986年、民放連賞最優秀賞) 『きりぎりすの山登り 童謡詩人・金子みすゞ』(1986年) 『生きて生きて19年 ~カネミ油症事件~』(1987年、「地方の時代」映像祭特別賞) 『祖国へのはるかな旅 ~ある中国残留婦人の帰国~』(1987年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部作品賞) 『いま松花江に生きる ~中国残留婦人~』(1987年、民放連賞優秀賞) 『海鳴りのうた ~朝鮮半島から来た炭鉱夫たち~』(1991年、民放連賞優秀賞) 『大地は知っている ~中国へ残された婦人たち~』(1992年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部作品賞) 『モモイロペリカン・カッタ君の春 幼稚園児との6年の記録』(1994年) 『帰らなかった日本兵 インドネシア残留兵はいま』(1996年) 『海峡の町のミュージカル』(1996年) 『NNNドキュメント'96 原爆の子 百合子50歳』(1996年) 『永住帰国 中国残留婦人の半世紀』(1997年) 『NNNドキュメント'00 私をみつめて ~介助犬ブラッドと生きる~』(2000年) 『私の故郷 山口県三隅町 ~若者たちが描く 画家香月泰男の地球~』(2001年) ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.51 ^ “磯野恭子さん死去 83歳 山口放送で反戦番組”. 中国新聞社 (2017年8月3日). 2022年10月1日閲覧。 ^ “<6> 放送界へ 個性生かす場 TV志望”. 中国新聞社 (2010年11月30日). 2022年10月1日閲覧。 ^ “<1> 平和を追う 戦争の悲惨さ伝え続け”. 中国新聞社 (2010年11月30日). 2022年10月1日閲覧。 ^ 水島宏明 (2014年1月4日). “制作者研究〈テレビの“青春時代”を駆け抜ける〉【第3回】磯野恭子(山口放送)~人々の“痛み”と“尊厳”を記録する~”. NHK放送文化研究所. 2022年10月1日閲覧。 ^ “2017年9月の注目番組”. 放送ライブラリー. 2022年10月2日閲覧。 ^ “NHKクロニクル 検索結果”. NHKクロニクル. 2022年10月2日閲覧。 ^ “『生きて』 ドキュメンタリー作家 磯野恭子さん <14> 教育長”. 中国新聞社 (2013年4月2日). 2022年10月1日閲覧。 ^ “昭和51年度(第31回)~昭和60年度(第40回)”. 文化庁. 2022年10月1日閲覧。 ^ “第22回(1984年度)”. NPO放送批評懇談会. 2022年10月1日閲覧。 ^ “昭和61年度(第41回)~平成7年度(第50回)”. 文化庁. 2022年10月1日閲覧。 ISNI VIAF アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 表 話 編 歴 1973 藤本裕子・(特別賞)渡辺典子 1975 常田久仁子・ 平野愛子 1976 井村千鶴子・ 吉村陽子 1977 橋田壽賀子 ・井口保子 1978 黒柳徹子・上貞良江 1979 兼高かおる・磯野恭子 1980 せんぼんよしこ・坂本登志子・(特別賞)江上フジ 1981 石井ふく子・笹谷清子 1982 加藤道子・五井千鶴子 1983 大野靖子・市岡康子 1984 澤地久枝・高橋幸子 1985 アグネス・チャン・うないフェスティバル'85 1986 樹木希林・湯川れい子 1987 和田アキ子・額田やえ子 1988 落合恵子・福田雅子 1989 樋口恵子・松永英美・(日本女性放送者懇談会20周年特別賞)久米宏 1990 内館牧子・小池ユリ子 1991 米原万里・山田邦子 1992 宮嶋泰子・NHK『はんさむウーマン』スタッフ 1993 櫻井よし子・岩井まつよ 1994 東海林のり子・橋本佳子・(日本女性放送者懇談会25周年特別賞)秋山ちえ子 1995 小山内美江子・合津直枝 1996 斎明寺以玖子・城菊子 1997 国谷裕子・星田良子 1998 五十嵐久美子・伊井純子 1999 田丸美寿々 ・宮田輝美・(日本女性放送者懇談会30周年特別賞)大島渚 2000 増田明美・鹿児島テレビ『ナマ・イキVOICE〜100%女性倶楽部〜』スタッフ 2001 竹葉晶子・佐藤園子・(放送ウーマン賞2001特別賞)平良とみ 2002 浅野加寿子・土江真樹子 2003 東ちづる・野澤喜代 2004 大山のぶ代・大脇三千代・(日本女性放送者懇談会35周年特別賞) FMながおか・ FMゆきぐに 2005 磯山晶・大原れいこ 2006 岡江久美子・糸林薫 2007 中園ミホ・金本麻理子 2008 宮本理江子・水野晶子 2009 右田千代・(日本女性放送者懇談会40周年特別賞) 黒柳徹子・宇田川清江 2010 大石静・三上智恵 2011 堀川惠子・白石草 2012 岩谷可奈子・内山聖子 2013 薬師丸ひろ子・日本テレビ『キユーピー3分クッキング』制作チーム 2014 喜多あおい・深谷茂美・(日本女性放送者懇談会45周年特別賞)加藤みどり 2015 小柳ちひろ・山口千波 2016 大橋グレース愛喜恵・松本彩夏 2017 岡野真紀子・柿澤真理子 2018 斉加尚代・長嶋愛 2019 平良いずみ・松原文枝 山口放送の人物 山口放送のアナウンサー 日本の放送関係者 20世紀日本の実業家 日本のテレビディレクター 日本の教育委員 紫綬褒章受章者 広島大学出身の人物 広島県出身の人物 心筋梗塞で亡くなった人物 1934年生 2017年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2025/03/15 03:52更新
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isono yasuko
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