米沢富美子の情報(よねざわふみこ) 物理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


米沢 富美子さんについて調べます
■名前・氏名 |
米沢富美子と関係のある人
スチュアート=カウフマン: 「自己組織化と進化の論理 : 宇宙を貫く複雑系の法則」スチュアート・カウフマン著;米沢富美子監訳、日本経済新聞社、1999年 ISBN 4532147697 ピエール=キュリー: 米沢富美子「第11章原子核物理学を築いた女性たち」『人物で語る物理入門(下)』岩波書店、2006年、95-132頁。 アレクセイ=アブリコソフ: 統計物理学における場の量子論の方法,アブリコソフ (著), ジャロシンスキー (著), ゴリコフ (著), 松原武生 (翻訳), 米沢富美子 (翻訳), 佐々木健 (翻訳),東京図書(1987) |
米沢富美子の情報まとめ

米沢 富美子(よねざわ ふみこ)さんの誕生日は1938年10月19日です。大阪出身の物理学者のようです。

父親、母親、卒業、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2019年に亡くなられているようです。
米沢富美子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日 - 2019年1月17日)は、日本の物理学者(理論物理学)。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。学位は、理学博士(京都大学・1966年)。慶應義塾大学名誉教授。日本物理学会会長(女性として初)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。 1938年、大阪府吹田市に生まれる。5歳の時、元証券マンの父親がニューギニアで戦死したため、証券会社で働く母と祖母と妹とで暮らす。母の影響で、数学に目覚める。母親は高等女学校時代から数学が得意で、5歳の富美子に「三角形の内角の和は2直角」と口ずさみながら証明法を図解するような女性だった。1948年、小学校5年生のとき、知能テストでIQ175と判明。1950年、成績優秀につき、小学校卒業に際して大阪府知事賞を受ける。中学1年から2年にかけて、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)の「豆記者ホール」の記者として、花柳有洸などの著名人のインタビューを行う。中学時代は数学部に所属し、高校課程の数学の多くを修得した。1957年、大阪府立茨木高等学校卒業。高校時代は文芸部に所属し、詩や小説を執筆していた。 1961年、京都大学理学部物理学科卒業。同年12月、京都大学大学院理学研究科物理学専攻に進学し、松原武生の指導を受ける。同大学院修士課程1年のときに結婚。夫の米沢允晴は大学のサークル「エスペラント部」の部長で2年先輩であり、京都大学経済学部卒業後、山一證券に勤務していた。1963年6月、夫がロンドン単身赴任、それを追いかけて9月に渡英し、京都大学博士課程1年在学のまま、キール大学大学院に留学。ロイ・マクウィーニ(Roy McWeeny)に師事。1964年、1年間の英国留学を終えて日本に帰国し、博士課程2年に復学。 1966年、京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。夫の東京赴任に伴い、自身も東京に移り、東京教育大学物理学科に所属し、朝永振一郎と会う。同年8月、京都大学基礎物理学研究所助手に採用され、京都へ赴任。同年、コヒーレントポテンシャル近似(CPA)に関する理論を発表する。東京工業大学理学部助手に採用される。 1972年、夫のニューヨーク転勤に伴って渡米。イェシヴァ大学客員研究員となり、ジョー・レボヴィッツ(Joel Lebowitz)の研究室で2年間を過ごす。1974年、ニューヨーク市立大学大学院センター客員研究員。1975年、日本に帰国。1976年、京都大学基礎物理学研究所助教授、1981年、新設された慶應義塾大学理工学部に助教授として招聘され、1983年、慶應義塾大学理工学部教授。1984年、乳癌の宣告を受ける。1996年、夫が病死。2004年、慶應義塾大学を定年退職、名誉教授。 2018年4月脳梗塞で倒れ、一時は回復するも、2019年1月17日、東京都内の自宅で心不全のため死去。80歳没。死後、日本物理学会米沢富美子記念賞が設立された。。 1996年-1997年、日本物理学会会長(女性として初)。 2000年-2003年、日本学術会議第18期会員 1998年-2000年、大佛次郎賞選考委員 2008年- 2012年、朝日賞選考委員 - 2018年、科学技術ジャーナリスト賞選考委員 - 2018年、大阪府吹田市子供科学賞選考委員 1950年 大阪府知事賞 1976年 手島工学研究賞 1984年 第4回猿橋賞 1989年 科学技術庁長官賞 1996年 エイボン女性大賞 2001年 日本女性科学者の会・功労賞 2002年 福澤賞 2005年 ロレアル-ユネスコ女性科学賞。内閣総理大臣賞。大阪府知事賞。吹田市長賞。 アモルファス物質、アモルファス半導体、 - コヒーレントポテンシャル近似など。 計算物理 液体金属、液晶 『ブラウン運動』共立出版 物理学one point 1986 『アモルファスな話』岩波書店 1988 『ランダムな構造に秩序をみる』三田出版会 ステアリングシリーズ 科学技術を先導する30人 1990 『人生は夢へのチャレンジ 女性科学者として』新日本出版社 1991 『複雑さを科学する』岩波科学ライブラリー 1995 『科学する楽しさ 21世紀へのチャレンジ』新日本出版社 1996 『科学の世界にあそぶ』オーム社 テクノライフ選書 1996 『心が空を駆ける』新日本出版社 2000 『真理への旅人たち 物理学の20世紀』日本放送出版協会 NHK人間講座 2003 『人物で語る物理入門(上、下)』岩波新書 2005-06 『〈あいまいさ〉を科学する』岩波書店 双書時代のカルテ 2007 『猿橋勝子という生き方』岩波科学ライブラリー 2009 『まず歩きだそう 女性物理学者として生きる』岩波ジュニア新書 2009 『朗朗介護』朝日新聞出版 2011 『金属-非金属転移の物理』朝倉書店 2012 『人生は、楽しんだ者が勝ちだ』(私の履歴書)日本経済新聞出版社 2014 『不規則系の物理 コヒーレント・ポテンシャル近似とその周辺』岩波書店 2015 『ランダムな世界を究める 物質と生命をつなぐ新物理学』立花隆共著 三田出版会 ソフトテクノロジーシリーズ 1991 のち平凡社ライブラリー 『こころを学ぶ ダライ・ラマ法王仏教者と科学者の対話』村上和雄,志村史夫,佐治晴夫,横山順一,柳沢正史,矢作直樹,河合徳枝共著 講談社 2013 『人物でよむ物理法則の事典』総編集 辻和彦編集幹事 朝倉書店 2015 サウレス『多体系の量子力学』松原武生共訳 吉岡書店 物理学叢書 1965 ア・アブリコソフ, エリ・ゴリコフ(en),イ・ジャロシンスキー(en)『場の量子論の方法 統計物理学における』松原武生, 佐々木健共訳 東京図書 1970 ザイマン『乱れの物理学』渡部三雄共訳 丸善 1982 スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』監訳 森弘之, 五味壮平, 藤原進訳 日本経済新聞社 1999 のちちくま学芸文庫 ^ “米沢富美子氏死去=慶応大名誉教授・理論物理学”. 時事通信社. (2019年1月21日). https://web.archive.org/web/20190121232902/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012101206&g=soc 2019年1月22日閲覧。 ^ “米沢富美子さん死去 日本女性科学者の草分け的存在”. 朝日新聞デジタル. (2019年1月21日). https://www.asahi.com/articles/ASM1P6F02M1PULBJ011.html 2019年1月22日閲覧。 ^ NHK. “米沢富美子|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2021年8月30日閲覧。 ^ “日経スペシャル 私の履歴書|BSテレ東”. www.bs-tvtokyo.co.jp. 2021年8月30日閲覧。 ^ NHKラジオアーカイブス 声でつづる昭和人物史 米沢富美子1 2023年5月15日 ^ 米沢富美子(3) 内角の和 5歳で幾何の証明理解 母子とも雷に打たれた衝撃日本経済新聞「私の履歴書」、2012年6月3日 ^ その後、高校1年までに数回の知能テストを受けて常に170台をキープしていたが、「170台という数字は自分では不満で、実際には200以上でもとれたはずだと考えていた」「知能テストの問題は、どんなものかという大体の様子を一度知ってしまえば、出題者の意図が透けて見えるようになる。そういう場合には、出題者のIQまで推定できたりする」「問題作成時点で、170台以上のIQは想定されていなかったのだろう。問題数がもっとあれば、IQ200でも優に出せたのに、とずっと考えていた」と述べている(『まず歩きだそう』p.38-39)。 ^ 米沢富美子(6) 中学時代 数学部顧問と真剣勝負 男優先に閉塞感、豆記者に日本経済新聞「私の履歴書」、2012年6月6日 ^ 米沢富美子(7) 「裏表のない顔」カナヅチから500メートル完泳 男子校から数学の挑戦、撃退日本経済新聞「私の履歴書」、2012年6月7日 ^ 米沢富美子(14) 長女出産 座る暇なく育児、研究 通勤2時間、職場で仮眠日本経済新聞「私の履歴書」、2012年6月15日 ^ 辻和彦『米沢富美子先生を偲んで』一般社団法人 日本物理学会、2019年6月5日。doi:10.11316/butsuri.74.6_396。https://doi.org/10.11316/butsuri.74.6_396。2021年8月30日閲覧。 ^ 日本物理学会, 一般社団法人. “米沢富美子記念賞”. 一般社団法人 日本物理学会. 2024年2月5日閲覧。 ^ 米沢富美子第52期会長(1997年)去る1月17日逝去日本物理学会、2019年1月23日 米沢富美子 - NHK人物録 ISNI VIAF WorldCat ノルウェー フランス BnF data イスラエル アメリカ 日本 韓国 IdRef 日本学術会議会員 理学博士取得者 京都大学の教員 慶應義塾大学の教員 ロレアル-ユネスコ女性科学賞受賞者 私の履歴書の登場人物 京都大学出身の人物 大阪府立春日丘高等学校出身の人物 大阪府出身の人物 1938年生 2019年没 2025/04/05 07:43更新
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yonezawa fumiko
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