芳沢謙吉の情報(よしざわけんきち) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
芳沢 謙吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
芳沢謙吉と関係のある人
愛新覚羅溥儀: 1923年9月1日に日本で起きた関東大震災においては、ジョンストンから震災の発生を伝えられると、即座に日本に対する義捐金を送ることを表明し、併せて紫禁城内にある膨大な宝石などを送り、大日本帝国側で換金し義捐金とするよう芳沢謙吉公使に伝えた。 中江利忠: しかし日本のビッグ・リンカーといわれる元国際文化会館理事長・同盟通信社常務理事松本重治の又従兄弟に当たることから元首相松方正義公爵一族に連なり(一族に元共同通信社専務理事松方三郎がいる)、朝日新聞社の上野社主家とも親戚で、元首相吉田茂の側近で終戦連絡中央事務局次長、東北電力会長などを歴任した白洲次郎や白洲の岳父樺山愛輔伯爵(元国際通信社社長)、元同盟通信社社長岩永裕吉(息子の岩永信吉は元共同通信社常務理事)、元東京帝国大学総長長與又郎男爵(息子の長與道夫は元共同通信社常務理事)、元首相犬養毅(孫の犬養康彦は元共同通信社社長)、元外相芳沢謙吉、元朝日新聞社副社長(第4次・第5次吉田内閣副総理・自由党総裁・自由民主党総裁代行委員)緒方竹虎らとも遠縁に当たる「華麗なる一族」ぶりなどから、本社採用同様の扱いを受け、「朝日のプリンス」として早くから社長候補に擬せられた。 鈴木喜三郎: また長野県軽井沢町では、鈴木総裁を中心として、離山麓三万三千坪を貿易商野沢源次郎から買収し、主に政友会メンバーの松野鶴平、砂田重政、前田米蔵、内田信也、山岡万之助、芳沢謙吉、伍堂卓雄、宮田光雄、箸本太吉、島田俊雄、肥田琢司らと別荘三〇余戸を建てた。 |
芳沢謙吉の情報まとめ
芳沢 謙吉(よしざわ けんきち)さんの誕生日は1874年1月24日です。新潟出身の外交官のようです。
現在、卒業、解散に関する情報もありますね。1965年に亡くなられているようです。
芳沢謙吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)芳澤 謙吉(よしざわ けんきち、1874年〈明治7年〉1月24日 - 1965年〈昭和40年〉1月5日)は、日本の外交官、政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 新潟県中頸城郡高田(現・上越市)出身。犬養毅の娘婿。 大日本帝国きっての亜細亜通の外交官として知られ、日ソ基本条約締結による日ソ国交回復等に関わる。義父は犬養毅であり、犬養内閣においては外務大臣を務めた。第二次世界大戦終結後に公職追放を受けるが、解除後は1952年から3年間駐中華民国大使を務め、辞任後も自由アジア擁護連盟代表、自由アジア協会長として台湾擁護に奔走した。 1874年1月24日 - 新潟県中頸城郡諏訪村(上越市大字諏訪)に生まれる。 旧制新潟県立高田中学校(現在の新潟県立高田高等学校)、成立学舎、東京英語学校、旧制第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科卒業。 1899年 - 外務省に入省。 1906年 - 政務局第一課長。 1920年 - 亜細亜局長、後に欧米局長を務める。 1923年 - 駐中華民国特命全権公使に任命。 1925年1月20日 - ロシア代表カラハンとの間に日ソ基本条約を締結、日ソ間の国交を樹立する(芳沢‐カラハン会議)。 1929年 - 中華民国公使免官。 1930年 - 駐仏国特命全権大使に任命。 1932年
7月1日 - 貴族院勅選議員に勅任。立憲政友会に入党。 1939年 - 政友会分裂に伴い、久原房之助、三土忠造らとともに政友会正統派の総裁代行委員に就任。 1940年11月26日 - 蘭印経済交渉特命全権に任命。 1941年9月10日 - 駐仏印、初代特命全権大使に任命。 1945年8月7日 - 枢密顧問官に任命。8月19日、貴族院議員辞任。 1946年1月4日 - 公職追放に該当、枢密顧問官を免官。 1951年8月 - 公職追放解除。 1952年8月25日 - 駐中華民国特命全権大使に任命。 1956年12月 - 退官。 1965年1月5日 - 死去(満90歳)。墓所は青山霊園(1イ21,22-乙1-4)。 1899年(明治32年)12月21日 - 従七位 1904年(明治37年)2月29日 - 正七位 1907年(明治40年)3月20日 - 従六位 1909年(明治42年)7月10日 - 正六位 1912年(明治45年)5月10日 - 従五位 1916年(大正5年)10月10日 - 正五位 1920年(大正9年)12月20日 - 従四位 1925年(大正14年)12月28日 - 正四位 1929年(昭和4年)8月1日 - 従三位 1932年(昭和7年)1月15日 - 正三位 1965年(昭和40年)1月5日 - 従二位 1902年(明治35年)12月28日 - 勲六等単光旭日章 1904年(明治37年)5月20日 - 勲五等瑞宝章 1906年(明治39年)4月1日 - 双光旭日章・明治三十七八年従軍記章 1907年(明治40年)9月14日 - 勲四等瑞宝章 1911年(明治44年)8月24日 - 旭日小綬章 1915年(大正4年)
11月10日 - 大礼記念章(大正) 1916年(大正5年)1月19日 - 旭日中綬章 1918年(大正7年)9月29日 - 勲二等瑞宝章 1920年(大正9年)9月7日 - 旭日重光章・大正三年乃至九年戦役従軍記章 1924年(大正13年)5月31日 - 勲一等瑞宝章 1926年(大正15年)2月10日 - 旭日大綬章 1928年(昭和3年)11月10日 - 大礼記念章(昭和) 1934年(昭和9年)4月29日 - 金杯一組 1965年(昭和40年)1月5日 - 旭日桐花大綬章 1907年(明治40年)10月23日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシエ 1908年(明治41年)4月29日 - ロシア帝国:神聖アンナ第二等勲章 1910年(明治43年)2月14日 - 大韓帝国:勲三等太極章 1911年(明治44年)10月5日 - イギリス帝国:皇帝皇后陛下戴冠記念章 1912年(大正元年)10月9日 - イギリス帝国:ヴィクトリア勲章コマンダー 1918年(大正7年)4月16日 - 支那共和国:二等大綬嘉禾章 1921年(大正10年)2月5日 - ルーマニア王国:王冠第二等勲章 1927年(昭和2年)5月27日 - ドイツ国:赤十字第一等名誉章 1932年(昭和7年)1月17日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章グランクロワ 1934年(昭和9年)
5月9日 - 満州帝国:勲一位景雲章 1925年1月20日の北京での日ソ基本条約締結時、その5日前にスケートで腰の骨を折った為、ベッドの上で調印した。 父は新潟県諏訪村初代村長の芳澤襄良。妻の操は内閣総理大臣等を務めた犬養毅の長女であり、犬養内閣では外務大臣に起用された。外務事務次官や駐アメリカ合衆国特命全権大使を務めた井口貞夫は娘婿。 孫に国際協力機構理事長や国際連合難民高等弁務官事務所弁務官等を歴任した国際政治学者の緒方貞子、国際法学者で元ニュージーランド大使の井口武夫、元外務省事務次官や侍従長を務めた川島裕、慶応義塾大学教授で日本の女性国連職員の草分けである佐々波楊子(旧姓川島)、数学者の芳沢光雄等がいる。 『外交六十年』(自由アジア社、1958年/中公文庫、1990年)、ISBN 412201767X 『芳沢謙吉自伝』(中野敬止編、時事通信社、1964年)
^ 生誕の地は、芳澤記念公園・記念館として整備されている。 ^ その後久原が総裁に就任 ^ “芳沢 謙吉とは”. コトバンク. 2021年5月29日閲覧。 ^ “芳澤記念公園、芳澤記念館”. www.city.joetsu.niigata.jp. 上越市. 2021年5月29日閲覧。 ^ “おわりに”. くびき野諏訪 諏訪の里づくり協議会 (2014年11月17日). 2021年5月29日閲覧。 ^ “外交官としての生涯”. くびき野諏訪. 諏訪の里づくり協議会 (2014年11月12日). 2021年5月29日閲覧。 ^ “おわりに”. くびき野諏訪. 諏訪の里づくり協議会 (2014年11月17日). 2021年5月29日閲覧。 ^ “芳沢‐カラハン会議とは”. コトバンク. 2021年5月29日閲覧。 ^ 『官報』第1651号、昭和7年7月2日。 ^ 仏印に特派大使派遣、初代は芳澤謙吉『朝日新聞』(昭和16年9月10日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p564 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年 ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、53頁。 ^ 「芳澤謙吉」 アジア歴史資料センター Ref.A06051182700 ^ 『官報』第4045号「叙任及辞令」1926年2月20日。 ^ 『官報』第1518号「叙任及辞令」1932年1月25日。 ^ 『官報』第6265号「叙任及辞令」1904年5月21日。 ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。 ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。 ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。 ^ 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。 ^ 『官報』第4038号「叙任及辞令」1926年2月12日。 ^ 『官報』第7992号「叙任及辞令」1910年2月16日。 ^ 麻田雅文『シベリア出兵―近代日本の忘れ去られた七年戦争』中央公論新社〈中公新書〉、232頁。 樋口正士『日本の命運を担って活躍した外交官 芳澤謙吉 波乱の生涯』(グッドタイム出版、2013年) 新潟県出身の人物一覧 『芳澤謙吉』 - コトバンク 表 話 編 歴 小笠原長行 山口直毅 仁和寺宮嘉彰親王 山階宮晃親王 三条実美 伊達宗城 東久世通禧 澤宣嘉 山階宮晃親王 伊達宗城 澤宣嘉 澤宣嘉 岩倉具視 副島種臣 (副島種臣(外務事務総裁)) 寺島宗則 井上馨 井上馨 伊藤博文 大隈重信 青木周藏 榎本武揚 陸奥宗光 西園寺公望 大隈重信 西徳二郎 大隈重信 青木周蔵 加藤高明 曾禰荒助 小村壽太郎 林董 寺内正毅 小村壽太郎 内田康哉 桂太郎 牧野伸顯 石井菊次郎 本野一郎 後藤新平 山本權兵衞 伊集院彦吉 松井慶四郎 幣原喜重郎 田中義一 幣原喜重郎 犬養毅 芳澤謙吉 齋藤實 廣田弘毅 有田八郎 林銑十郎 佐藤尚武 宇垣一成 近衛文麿 有田八郎 阿部信行 野村吉三郎 松岡洋右 豊田貞次郎 東郷茂徳 東條英機 谷正之 重光葵 鈴木貫太郎 吉田茂 芦田均 岡崎勝男 岸信介 藤山愛一郎 小坂善太郎 大平正芳 椎名悦三郎 三木武夫 愛知揆一 福田赳夫 木村俊夫 宮澤喜一 鳩山威一郎 園田直 大来佐武郎 伊東正義 櫻内義雄 安倍晋太郎 倉成正 宇野宗佑 三塚博 中山太郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 羽田孜 柿澤弘治 河野洋平 池田行彦 小渕恵三 高村正彦 田中眞紀子 小泉純一郎 川口順子 町村信孝 麻生太郎 高村正彦 中曽根弘文 岡田克也 前原誠司 松本剛明 玄葉光一郎 岸田文雄 河野太郎 茂木敏充 林芳正 上川陽子 岩屋毅 表 話 編 歴 山田顕義1873-1874未赴任 柳原前光1874代理公使1874-1875 森有礼1875-1878 宍戸璣1879-1882 榎本武揚1882-1885 塩田三郎1885-1889 大鳥圭介1889-1894 林董1895-1897 矢野文雄1897-1899 西徳二郎1899-1901 小村壽太郎1900-1901 内田康哉1901-1906 林権助1906-1908 伊集院彦吉1908-1913 山座円次郎1913-1914 日置益1914-1916 林権助1916-1918 小幡酉吉1918-1923 芳澤謙吉1923-1929 佐分利貞男1929 重光葵1931-1932 有吉明1932-1935 大使館昇格1935 有吉明1935 有田八郎1936 川越茂1936-1938 阿部信行1940 本多熊太郎1940年-1941年 重光葵1942 谷正之1943-1945 南京政府解散 芳澤謙吉1952-1955 堀内謙介1955-1959 井口貞夫1959-1963 木村四郎七1963-1966 島津久大1966-1969 板垣修1969-1972 宇山厚1972 中華民国と断交、中華人民共和国と国交樹立 小川平四郎1973-1977 佐藤正二1977-1979 吉田健三1979-1981 鹿取泰衛1981-1984 中江要介1984-1987 中島敏次郎1987-1989 橋本恕1989-1992 國廣道彦1992-1995 佐藤嘉恭1995-1998 谷野作太郎1998-2001 阿南惟茂2001-2006 宮本雄二2006-2010 丹羽宇一郎2010-2012 西宮伸一2012未赴任 木寺昌人2012-2016年 横井裕2016-2020 垂秀夫2020-2023 金杉憲治2023- 表 話 編 歴 向山黄村1866-1868 鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875 /1878-1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1882-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1901 本野一郎1901-1906 大使館昇格 栗野慎一郎1906-1912 石井菊次郎1912-1915 松井慶四郎1915-1920 石井菊次郎1920-1927 安達峰一郎1927-1929 芳澤謙吉1930-1932 長岡春一1932-1933 佐藤尚武1933-1935 杉村陽太郎1937-1938 沢田廉三1939-1940 加藤外松1941-1942 三谷隆信1942-1946 大使交換中断1946 萩原徹1950-1952 萩原徹1952臨時代理大使 西村熊雄1952-1956 古垣鉄郎1957-1961 萩原徹1961-1967 松井明1967-1970 中山賀博1970-1975 北原秀雄1975-1979 井川克一1979-1982 内田宏1982-1984 本野盛幸1984-1989 木内昭胤1989-1992 矢田部厚彦1992-1994 松浦晃一郎1994-1999 小倉和夫1999-2002 平林博2002-2006 飯村豊2006-2009 齋藤泰雄2009-2011 小松一郎2011-2013 鈴木庸一2013-2016 木寺昌人2016-2019 伊原純一2019-2022 下川眞樹太2022- 表 話 編 歴 松宮順1940-1941 芳澤謙吉1941-1944 松本俊一1944-1945 塚本毅1945-1946 小長谷綽1955-1957 久保田貫一郎1958-1961 高野藤吉1961-1963 高橋覚1963-1966 中山賀博1966-1967 青木盛夫1967-1968 北原秀雄1968-1970 東郷文彦1970-1972 奈良靖彦1972-1975 人見宏1975 長谷川孝昭1976-1979 野田英二郎1979-1981 矢田部厚彦1981-1984 堤功一1984-1986 股野景親1986-1988 阿曾村邦昭1988-1991 湯下博之1991-1994 小倉和夫1994-1995 鈴木勝也1995-1999 中村武1999-2001 山崎隆一郎2001-2002 服部則夫2002-2008 坂場三男2008-2010 谷崎泰明2010-2013 深田博史2013-2016 梅田邦夫2016-2020 山田滝雄2020-2024 伊藤直樹2024- FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 ドイッチェ・ビオグラフィー SNAC 昭和時代戦前の閣僚 日本の外務大臣 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 日本の枢密顧問官 在中華民国日本公使 戦前日本の大使 在中華民国日本大使 在フランス日本大使 犬養毅 犬養家 従二位受位者 勲一等旭日桐花大綬章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 勲二等旭日重光章受章者 勲二等瑞宝章受章者 勲三等旭日中綬章受章者 勲三等瑞宝章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 勲四等瑞宝章受章者 勲五等双光旭日章受章者 勲五等瑞宝章受章者 勲六等単光旭日章受章者 レジオンドヌール勲章オフィシエ受章者 レジオンドヌール勲章グランクロワ受章者 聖アンナ勲章受章者 太極章受章者 ロイヤル・ヴィクトリア勲章 公職追放者 私の履歴書の登場人物 東京大学出身の人物 旧制第二高等学校出身の人物 新潟県立高田高等学校出身の人物 新潟県出身の人物 1874年生 1965年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/18 20:22更新
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