若狭得治の情報(わかさとくじ) 運輸官僚、経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
若狭 得治さんについて調べます
■名前・氏名 |
若狭得治と関係のある人
佐藤孝行: 加藤六月、三塚博らと並んで、「航空族」議員としても知られていたが、運輸政務次官在職中の1972年に、全日空の若狭得治会長から、佐藤が作成中の大型旅客機国内線導入の運輸大臣通達案で全日空に有利な内容を盛り込むよう請託を受け、その謝礼として現金200万円を受領したとして、1976年8月に東京地検によって受託収賄罪で逮捕される。 広瀬真一: 1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。 小佐野賢治: 1976年(昭和51年)2月16日、ロッキード事件に絡み、衆議院予算委員会に第1回証人として全日空の若狭得治社長、渡辺尚次副社長とともに出頭し証人喚問を受ける。 大橋洋治: 全日空の中興の祖とされる若狭得治が保釈された時、大橋は、東京拘置所まで駆けつけて、「絶対にやめないでください!」と若狭に直訴した一人である。 川島正次郎: 長引く富里での反対運動を受けて、政府と千葉県の間で水面下での調整が進められたが、富里内定直後に千葉県副知事であった川上紀一によれば、若狭得治運輸事務次官ら運輸官僚らが富里案をあくまで推していたのに対し、川島が自民党県連を通じて「これは富里はもう無理だから三里塚などはどうか」という案を出してきたという。 森山欽司: 3月26日、笹川良一日本船舶振興会長への勇退を勧告、全日空の若狭得治会長へ辞任要求を行った。 橋本登美三郎: 1976年8月21日に、ロッキード事件の全日空ルートで、運輸大臣在任中に全日空に有利な政策を導入するなど便宜を図った謝礼として、元運輸官僚で天下り社長となった若狭得治率いる全日空幹部から500万円を受け取った容疑で、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕された。 普勝清治: 1997年(平成9年)6月に若狭得治名誉会長らとの対立により全日本空輸の社長を辞任した後、相談役と最高顧問を務めた。 杉浦喬也: 1990年6月、当時の林淳司運輸事務次官の紹介により全日本空輸の常勤顧問に就任し、1991年に若狭得治のあとを受けて会長となる。 住田正二: 1981年(昭和56年)、次期社長含みで常勤顧問として全日本空輸に招聘されたが、ロッキード事件の証言を変更するよう要請してきた会長の若狭得治と対立して1982年に退社。 川島正次郎: 友納によれば、宮内庁から下総御料牧場を提供してもらえないかという議論が出てきたことから、川島が瓜生順良宮内庁次長を呼び出して尋ねたところ「皇室は空港問題に介入したくないが、三里塚の御料牧場は不便な点も多いので、よい代替地さえあれば移転したいと思っている」と答えたため、三里塚での空港建設計画が若狭得治運輸事務次官を通じて友納のもとに持ち込まれたのだという。 |
若狭得治の情報まとめ
若狭 得治(わかさ とくじ)さんの誕生日は1914年11月19日です。富山出身の運輸官僚、経営者のようです。
卒業、事件に関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。
若狭得治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)若狭 得治(わかさ とくじ、1914年(大正3年)11月19日- 2005年(平成17年)12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。全日本空輸社長、会長、名誉会長を歴任した。親族に若狭和朋(甥)がいる。 富山県出身。砺波中学、旧制富山高校を経て東京帝国大学に入学。 1937年(昭和12年)9月、東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科に3500人中の32番目で合格。官庁訪問に際し、若狭は同郷で内務省地方局に所属していた片岡清一に尋ねていた。片岡は若狭に対し、「内務省は、警保局(警察行政全般を指揮していた警察庁の前身)の連中が日ごとに軍人気取りで威張り出してきた。なんだか内務省全体が、統制派と自由派に割れているような気がする。とにかく省内が暗い」「そう、大蔵も悪くない。しかし、俺が穴場として面白いと思うのは逓信省だね。管船(海運、船舶、船員を掌理)、電気、郵便などの仕事もやりがいあったんじゃないかなといま後悔しているんだ」「所詮はカネ勘定をするにすぎない大蔵省よりも、むしろ活躍の場が広いんじゃないかな。俺だったら逓信省を狙う」と助言した。若狭は徐々に気持ちが逓信省へと傾いていき、最終的に逓信省を選択した。 1938年(昭和13年)東京帝大法学部政治学科を卒業後、逓信省に入省。淀橋郵便局に配属された。 1940年(昭和15年)国家主導で外国船を一括用船(チャーター)する帝国船舶株式会社の発足にかかわる。その後、逓信省外局海務院運行部補佐官、企画院出向、軍需省航空兵器総局補佐官を経て、1945年(昭和20年)3月、運輸通信省へ呼び戻され、満州国からの海流を使ったドラム缶による物資輸送ルートを検討する。同年6月、新潟市に設置された運輸省海運総局日本海事務局の輸送課長となり、終戦を迎える。 1946年(昭和21年)8月、戦後復興の物資の生産・配給を行う船舶公団の設立に関わり、計画造船を実施する。 1948年(昭和23年)2月、悪化した結核性肋膜炎の療養のため東海海運局伏木支局へ転勤。同年7月より新設された伏木海上保安所長を兼務。 1950年(昭和25年)2月に喀血し結核が悪化し療養生活を送るが回復し、1953年(昭和28年)10月、計画造船制度の運用を監査する大臣官房考査室長に着任し現場復帰を果たす(海運局海運監査官を兼務)。 その後、大臣官房企画課長、神戸海運局長、灯台部長を経て、1959年(昭和34年)5月に海運局次長に就任(局長は後の日航社長の朝田静夫)。次いで1961年(昭和36年)7月、海運局長に就任。海運局長時代には、海運会社を6社に統合し海運業界の体質強化を図った。 1965年(昭和40年)6月、運輸事務次官となる。鉄道局長の堀武夫とともに、国鉄料金の値上げ問題を処理。次いで戦後最大の船員ストの調停、日米航空協定の改定、日ソ航空協定の締結、新東京国際空港(現・成田国際空港)候補地の選定(→成田空港問題)、新東京国際空港公団の設立などの功績を残し、1967年(昭和42年)3月14日退任した。 1969年(昭和44年)に全日空に顧問として招聘され、副社長を経て大庭哲夫の後任として1970年(昭和45年)に社長に就任する。社長としては全日空の国際チャーター便進出を実現させ、また関連企業としてホテル事業などを展開するなど経営の多角化を図り、「全日空中興の祖」と呼ばれた。その後、1976年(昭和51年)に会長となり、1991年(平成3年)に名誉会長、1997年(平成9年)に相談役、1998年(平成10年)から常勤顧問を勤めた。 全日空社長時代の1976年(昭和51年)に次期大型機トライスターの選定をめぐるロッキード事件が発覚し、橋本登美三郎らへの全日空ルートでの贈賄は時効のため起訴されなかったが、外国為替管理法違反、議院証言法違反の罪に問われ、1992年(平成4年)最高裁判所で懲役3年執行猶予5年の刑が確定した。なお、有罪確定後も全日空の役職に留まった。 1968年(昭和43年)4月、港湾近代化促進協議会会長。 1968年(昭和43年)12月、日本海事財団会長。 1996年(平成8年)、日本航空協会会長。 2005年(平成17年)12月に肺炎のため東京都内の病院で死去。 ^ “若狭得治”. コトバンク. 2018年3月23日閲覧。 ^ 本所次郎『高級官僚 ー影の権力者の昭和史 1巻』だいわ文庫、2007年7月発行、22・23頁 ^ 本所次郎『高級官僚 ー影の権力者の昭和史 1巻』だいわ文庫、2007年7月発行、43・44頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 168頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 195頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 235-238頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 302頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 359-360頁 ^ “若狭得治”. コトバンク. 2011年8月28日閲覧。 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 372頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 387-388頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 398頁 ^ “若狭得治氏死去 全日空常勤顧問”. 共同通信 (2005年12月27日). 2011年8月28日閲覧。 ^ 『腐った翼 JAL消滅への60年』 森功 71頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 下』 本所次郎 380頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 下』 本所次郎 401頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 下』 本所次郎 409頁 ^ 最判平成4年9月18日 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 上』 本所次郎 444頁 ^ 『騏驎おおとりと遊ぶ 下』 本所次郎 391頁 本所次郎『騏驎おおとりと遊ぶ 上-若狭得治の軌跡 運輸省編』徳間書店、2002年。ISBN 4198614644。 本所次郎『騏驎おおとりと遊ぶ 下-若狭得治の軌跡 全日空編』徳間書店、2002年。ISBN 4198614652。 杉浦喬也 - 全日空名誉会長時代の全日空会長。 若狭和朋 - 歴史研究家、発言集団シューレ代表。前九州大学大学院客員教授・教育学博士(Ph.d.)・元岐阜県教師。 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 運輸事務次官 日本の逓信官僚 日本の航空実業家 ロッキード事件の人物 証人喚問された人物 全日本空輸の人物 富山県出身の人物 成田空港問題に関連する人物 東京大学出身の人物 1914年生 2005年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/20 09:18更新
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