荻原井泉水の情報(おぎわらせいせんすい) 俳人(俳句) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
荻原 井泉水さんについて調べます
■名前・氏名 |
荻原井泉水と関係のある人
種田山頭火: 1913年(大正2年、31歳) 荻原井泉水が主宰する『層雲』3月号にて、初めて投稿句が掲載される(『層雲』にて自由律が始まるのは翌年の大正3年4月からとされる)。 尾崎放哉: 7月、常高寺を去り京都の荻原井泉水の仮寓に身を寄せる。8月、荻原井泉水の紹介で、小豆島霊場第五十八番札所、西光寺(香川県小豆郡)奥の院の南郷庵に入庵。 尾崎放哉: 活動の場を荻原井泉水の主宰する「層雲」に求め、僧形に身をやつして、貧窮のうちに病没した点でも共通している。 村野四郎: 中学卒業の年に「中央文学」俳句欄で荻原井泉水に激賞されたことを機に「層雲」に入会し、自由律俳句の俳人として文筆活動をスタートした。 種田山頭火: 自由律俳句の代表として、同じ『層雲』の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。 河東碧梧桐: 新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。 尾崎放哉: 『層雲』の荻原井泉水に師事。 種田山頭火: 『層雲』の荻原井泉水門下。 河東碧梧桐: 荻原井泉水 兼崎地橙孫: 第五高等学校(現:熊本大学)へ進学する頃には荻原井泉水の『層雲』に投句を始め、若き新傾向俳人として注目される。 尾崎放哉: 唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春秋社、1926年6月)が刊行された。 飯田蛇笏: 山梨県の俳壇では1911年(明治44年)に荻原井泉水が『層雲』を創刊し、碧梧桐の影響で新傾向俳句へ転向した秋山秋紅蓼らを迎合した。 尾崎放哉: 1903年 - 一高俳句会に参加し荻原井泉水を知る。 中勘助: 翌1904年(明治37年)には留年した岩波茂雄、荻原井泉水らが同級となる。 |
荻原井泉水の情報まとめ
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)さんの誕生日は1884年6月16日です。東京出身の俳人(俳句)のようです。
卒業、結婚、再婚、趣味に関する情報もありますね。1976年に亡くなられているようです。
荻原井泉水のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。位階は従四位。 「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。日本芸術院会員。 東大言語学科卒。河東碧梧桐の新傾向運動に親しみ、機関誌「層雲」を発刊、季題無用論を説き、自由律を主張した。また俳句は宗教的芸術であるとして「道」の句を説いた。句集に『原泉』(1960年)、作家研究に『芭蕉と一茶』(1925年)など。 東京市芝区神明町(現:東京都港区浜松町)で雑貨商・「新田屋」の次男として生まれる。荻原家は越後国高田(現:新潟県上越市)出身で祖父・藤吉が家庭の事情で若いとき家を出奔して江戸に出てきたという。 長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけられる。荻原家は家督を継ぐものは代々「藤吉」を名乗ることとなっており井泉水もこれを継いだが、幾太郎の名を好んだようである。 麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則中学、第一高等学校(一高)を経て、1908年(明治41年)東京帝国大学文科大学言語学科卒業。1911年(明治44年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、谷桂子と結婚。1914年(大正3年)自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。1915年(大正4年)季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が層雲を去り「海紅」を主宰、袂を別つ。この頃、一高時代の同窓であり1歳年下の尾崎放哉と句会を通じて交際が始まる。種田山頭火が層雲に加わる。しかし彼らが一同に面会したことはなかった。 1923年(大正12年)妻・桂子死去。翌年、母も死去し、一時仏道を志して京都の禅宗寺院東福寺の塔頭に寄寓、以降各地への遍歴の旅が多くなる。その心境の変化は句集の題名にも反映されてくる。1929年(昭和4年)芹沢寿子と再婚を機に鎌倉に転居。翌1930年(昭和5年)、長男海一誕生。昭和に入るとプロレタリア俳句運動が起こり、層雲からも栗林一石路や橋本夢道、横山林二らを輩出したが、後に彼らは井泉水と袂を分かっている。 1940年(昭和15年)、大政翼賛会の発足とともに日本俳句作家協会が設立され、井泉水は理事に就任する。また自由律という名が左傾主義的であるとして内在律と呼ばれ、井泉水もこれに呼応した。 しかし後の日本文学報国会俳句部会には参加せず、理事を辞任している。 戦後も層雲の主宰として自由律俳壇を牽引し、1965年(昭和40年)、自由律の俳人としては唯一となる日本芸術院会員に選ばれる。また昭和女子大学の教授も務めた。1976年(昭和51年)5月20日、脳血栓のため鎌倉の自宅で死去。享年92(満91歳)と、門弟の放哉や山頭火と違い、延命地蔵のお告げ通り天寿を全うした。戒名は天寿妙法釈随翁居士。 なお、俳号は当初、荻原幾太郎のイニシャルから愛桜(あいおう)としていたが、生年の納音(なっちん)から井泉水と改めた。ちなみに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは本人の生まれ年からでなく単に音の響きが良いので決めたようである。 カナモジカイ評議員を長く務めるなど、国字改良論に賛同した。 自然の扉 層雲第一句集 東雲堂書店、1914 日像 編 現代通報社、1916 明珠 草上句集第二 井泉句抄第二 編 現代通報社、1918 生命の木 層雲社、1918 『湧出るもの』(井泉句集第一巻)(1920年) 風景心経 層雲第四句集 層雲社、1922 野に出でて 詩集 層雲社、1923 『流転しつつ』(井泉句集第二巻)聚英閣(1924年) 泉を掘る 層雲第五句集 層雲社 1925 井泉水句集 金星堂 1925 劫火の後 層雲第六句集 層雲社、1927 『皆懺悔』(井泉句集第三巻)春秋社(1928年) しひのは集 俳句習作廿一篇 層雲社 1929 短律時代 層雲第七句集 層雲社 1929 昭和の曲 層雲句集 第8 層雲社、1931 『梵行品』(井泉句集第四巻)改造社(1932年) ゆけむり集 俳句習作二八篇 層雲社 1932 井泉句集 第4 層雲社 1932 一人一境 層雲句集 第9 層雲社 1933 井泉水俳句集 荻原星文館 1934 第十の牛 層雲句集. 第10 層雲社 1935 『無所在』(井泉句集第五巻)三笠書房(1935年) 外遊句稿 大泉園 1938.12 『海潮音』一条書房 1943 『一不二』桜井書店(1943年) 『千里行 自選句集 光文社 1946 『金砂子』目黒書店(1946年) 『原泉 井泉水句集 層雲社(大正元年から昭和20年までの選句集)(1960年) 『長流 長流 井泉水句抄 井泉水先生米寿祝賀会(昭和21年から35年までの選句集)(1964年) 大江 井泉水句集 弥生書房 1971 荻原井泉水 藤本一幸編著 蝸牛社 1992.6 (蝸牛俳句文庫) 『層雲第一・第二句集 自然の扉・生命の木』青穂社 2016.11 俳句提唱 層雲社、1917 句作問答 現代通報社、1918 俳句階梯 現代通報社、1918 俳句小史 現代通報社、1919 句作捷径 現代通報社、1920 俳句選評 現代通報社、1920 新しき俳句を見よ 層雲社、1920 光明三昧 層雲社、1920 新しき俳句の作り方 日本評論社出版部、1921 新に俳句を作る人に 日本評論社出版部、1921 俳壇十年 小西書店、1922 新俳句評釈 小西書店、1922 新俳句提唱 天佑社、1922 旅人芭蕉 春秋社、1923 緑蔭に語る 俳句新話 日本評論社出版部, 1923 チックタック日記 涼味俳味 日本書院,1923 我が小き泉より 交蘭社 1924 芭蕉の自然観 春秋社 1924 のち文庫 昇る日を待つ間 聚英閣 1924 古人を説く 聚英閣 1924 大地に嘆く 随筆俳句集 新作社 1924 淋しき儘に 聚英閣 1925 旅人芭蕉 続 春秋社 1925 芭蕉と一茶 春秋社 1925 のち文庫、現代教養文庫 井泉俳話 全4巻 層雲社・春秋社 1921-29 旅の印象 涼味俳味 日本書院 1926 新俳句研究 春秋社 1926 俳句の作り方と味ひ方 実業之日本社 1927 京洛小品 創元社 1929 観音巡礼 春陽堂 1929 旅のまた旅 春陽堂 1929 俳句趣味論 春秋文庫 1929 山川行住 創元社 1930 旅の茶話 創元社 1930 ひぐらし集 層雲社 1930 奥の細道を尋ねて 春陽堂 1930 俳壇傾向論 春秋文庫 1930 芭蕉風景 春秋社 1930 新俳句座談 春秋社 1931 第一の扉 層雲社 1931 芭蕉入門 春陽堂 1931 俳句の道 立命館出版部 1932 現代教養文庫 1953 或日の微笑 四条書房 1933 旅の話句の話 四条書房 1933 第二の扉 層雲社 1933 芭蕉さま 実業之日本社 1933 人間道と句作道 層雲社 1933 (新俳句入門パンフレツト) 「奥の細道」通説 春秋文庫 1933 一茶雑記 大畑書店 1934 春秋草紙 岩波書店 1934 青天の書 文体社 1934 芭蕉・蕪村・子規 千倉書房 1934 放送芭蕉を語る 実業之日本社 1934 芭蕉を尋ねて 創元社 1934 遍路と巡礼 創元社 1934 雲の如く行く 清水書店 1935 花鳥小品 三笠書房 1935 火中の書 岡倉書房 1935 俳談 千倉書房 1935 山ぎり集 層雲社 1935 俳句評釈選集 第6巻 自由律俳句評釈 非凡閣 1935 俳句に入る道 新潮文庫 1936 新俳句鑑賞 春秋社 1936 身辺の書 文体社 1936 俳句教程 千倉書房 1936 白馬に乗る 人文書院 1936 自由律俳句入門 大東出版社 1937 手解きから奥の手まで俳句の手 実業之日本社 1937 遊歩道 随筆集 むらさき出版部 1937 (むらさき学芸叢書) 旅窓読本 学芸社 1937 アメリカ通信 河出書房 1938 一茶を尋ねて 育英書院 1938 一茶春秋 育英書院 1938 一茶研究 新潮文庫 1938 知命の書 砂子屋書房 1938 芭蕉読本 日本評論社 1938 奥の細道の心 放送講話 新潮社 1938 自像素描 自句自解 河出書房 1939 荻原井泉水ブックレット 第1-6篇 大泉園 1937-39 新俳句入門 実業之日本社 1940 一茶読本 日本評論社 1940 俳句する心 子文書房 1941 芭蕉の心 目黒書店 1941 遍路日記 婦女界社 1941 私の首 高山書院 1941 (高山叢書) 一茶物語 童話春秋社 1942 春夏秋冬 桑名文星堂 1942 東西南北 桜井書店 1942 随処の書 天佑書房 1942 あしたに夕へに 芭蕉随想 偕成社 1943 井泉水随談 実業之日本社 1943 死面の蘇生 随筆集 一灯書房 1946 向井去来 生活社 1946 (日本叢書) 青葉若葉 世界社 1946 京洛春秋 臼井書房 1946 春蘇る さくら書房 1946 (季刊「大泉」の1) アメリカ紀行 寺本書房 1947 一茶 随想 卍書林 1947 秋晴 富国出版社 1947 ごまみそばなし 層雲社 1948 春は曙 芭蕉随筆 臼井書房 1948 柿と桃 随筆集 矢代書店 1948 鮎 目黒書店 1949 芭蕉名句鑑賞 目黒書店 1949 正岡子規 民衆芸術の父 偕成社 1953 (偉人物語文庫) 俳句案内 元々社 1954 (民族教養新書) 日日好日 日本出版協同 1954 のっぺい汁 池田書店 1955 流水の書 随筆集 池田書店 1955 奥の細道ノート 新潮社 1955 (一時間文庫) 、新潮文庫 1956 のち改版 随筆芭蕉 全8巻 春秋社 1955-56 けんちん汁 井泉水随筆 新世書房 1956 随筆一茶 全6巻 春秋社 1956-57 一茶名作物語 同和春秋社 1957 (日本名作物語) 芭蕉名句 社会思想研究会出版部 1957 (現代教養文庫) 新説言志録 春秋社 1958 一茶名句 社会思想研究会出版部 1959 (現代教養文庫) 日本歳時紀行 修道社 1960 創作・おらが春 新潮社 1960 人生は長し 実業之日本社 1961 奥の細道風景 社会思想研究会出版部 1961 (現代教養文庫) 人生読本 実業之日本社 1962 人生は楽し 実業之日本社 1962 小説芭蕉日記 朝日新聞社 1964 画幅芭蕉春秋 豊書房 1970 奥の細道二十四景 豊書房 1971 詩と人生 潮文社 1972 旅人芭蕉抄 豊書房 1972 自然自己自由 勁草書房 1972 草画集 日貿出版社 1973 益軒養生訓新説 大法輪閣 1975 井泉水短冊集 五月書房 1975 四海 文化評論出版 1976 畸人常人 大法輪閣 1976 人間好時節 遺稿 古川書房 1977.12 此の道六十年 春陽堂書店 1978.5 随翁の随想 古川書房 1981.8 井泉水の言葉 層雲社 1990.1 (層雲叢書・小玉石水編) 放哉という男 大法輪閣 1991.4 一茶随想 講談社文芸文庫 2000.3 『井泉水日記 青春篇』(上下)筑摩書房 2003 街並木 画集 層雲社、1919 芭蕉文庫 校訂標註 第2-8篇 春陽堂、1922-24 芭蕉俳句全録 聚英閣、1922 おらが春・我春集 / 一茶 岩波文庫 1927 俳人読本(編)春秋社 1931-32 父の終焉日記 一茶遺稿/ 小林一茶 岩波文庫 1934 新編一茶俳句集 岩波文庫 1935 自由律俳句集 1940(改造社)※中塚一碧楼との共選 水郷・房総(編)宝文館 1959 (日本の風土記) 山頭火を語る ほろほろ酔うて、伊藤完吾 共編 潮文社 1972 短詩入門 橋本健三共著 潮文社 1973 ゲーテ言行録 政教社 1910 北海道岩内町立岩内西小学校校歌(1951年)團伊玖磨 東京都新島村立新島小学校校歌(1951年)團伊玖磨 富山県富山市立五福小学校校歌(1955年)團伊玖磨 富山県滑川市立北加積小学校校歌 團伊玖磨 愛知県名古屋市熱田高等学校校歌(1955年)團伊玖磨 愛知県名古屋市立豊正中学校 團伊玖磨 静岡県伊豆市立土肥中学校校歌 『私の履歴書 第四集』日本経済新聞社 1957年 97-124頁 ^ 『私の履歴書 第四集』61頁 ^ 『大空』尾崎放哉俳句集 春秋社 1926年 ^ 日野百草「戦前の自由律における社会性俳句」『橋本夢道の獄中句・戦中日記』289-291頁。 ^ 田島和生『新興俳人の群像「京大俳句」の光と影』210頁。 ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)58頁 私の履歴書 俳人の一覧 善正寺に句碑がある。 荻原井泉水の俳句 - ウェイバックマシン(2013年5月10日アーカイブ分) 一茶・井泉水記念俳句資料館 湯薫亭 - ウェイバックマシン(2013年5月12日アーカイブ分) 荻原井泉水著『層雲第一・第二句集 自然の扉・生命の木』(井泉水門下による無料公開作品) 佐久市 文学碑一覧表 - 鼻顔稲荷神社(岩村田)の句碑について FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 自由律の俳人 20世紀日本の俳人 日本藝術院会員 昭和女子大学の教員 私の履歴書の登場人物 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 麻布中学校・高等学校出身の人物 正則高等学校出身の人物 東京都出身の人物 1884年生 1976年没 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2024/11/20 17:08更新
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ogiwara seisensui
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