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河東碧梧桐の情報 (かわひがしへきごとう)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

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河東 碧梧桐さんについて調べます

■名前・氏名
河東 碧梧桐
(読み:かわひがし へきごとう)
■職業
俳人(俳句)
■河東碧梧桐の誕生日・生年月日
1873年2月26日 (年齢1937年没)
酉年(とり年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
愛媛出身

河東碧梧桐と同じ1873年生まれの有名人・芸能人

河東碧梧桐と同じ2月26日生まれの有名人・芸能人

河東碧梧桐と同じ出身地愛媛県生まれの有名人・芸能人


河東碧梧桐と関係のある人

中村不折: 47歳の時、河東碧梧桐らと『龍眠会』を結成。


飯田蛇笏: 1908年(明治41年)8月には大学の夏季休暇を使い、虚子が河東碧梧桐らの「俳三昧」に対抗して結成した俳句鍛錬会「俳諧散心」に最年少で参加した。


荻原井泉水: 河東碧梧桐もこれに加わる。


中村不折:


荻原井泉水: 河東碧梧桐の新傾向運動に親しみ、機関誌「層雲」を発刊、季題無用論を説き、自由律を主張した。


正津勉: 『忘れられた俳人 河東碧梧桐』平凡社新書、2012 


兼崎地橙孫: 豊浦中学校(現:山口県立豊浦高等学校)時代に俳句を始め、河東碧梧桐が撰者をしていた新聞『日本』へ投句。


平井呈一: 河東碧梧桐に師事して俳句に親しむ。


島﨑信長: 文豪とアルケミスト(河東碧梧桐


永見徳太郎: 大正六年ごろには同郷の写真史家である梅本貞雄やその従兄で同じく写真史家として活動した松尾弔春子らと、河東碧梧桐の影響のもとに俳諧同人誌「覇」を結成した。「覇」誌の題字は河東碧梧桐の揮毫による。


高浜虚子: なかでも娘義太夫に入れあげ、そのなかの小土佐に「恋した」(河東碧梧桐『寓居日記』)。


島崎信長: 文豪とアルケミスト(河東碧梧桐


中村不折: 高浜虚子、河東碧梧桐、夏目漱石と表した『不折俳畫』内の挿絵


細木原青起: 俳句は「海紅」主宰の河東碧梧桐に師事、その関係で俳句誌「海紅」の挿絵も数多く担当し、碧梧桐や中塚一碧楼などの俳人たちを描いている。


高浜虚子: 1歳上の河東碧梧桐と同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わる。


中村草田男: 「海紅」を去った河東碧梧桐や風間直得が提唱したルビ俳句運動に対しても「日本語そのものの破壊のわざ」と痛烈に批判した。


大須賀乙字: 『海紅』の河東碧梧桐に師事、同じ旧制二高出身(ただし碧梧桐は中退)で才能も評価された乙字に対し碧梧桐の期待は高かったが、海紅堂事件に端を発する海紅同人同士の内部対立により1915年5月に離脱。


本因坊秀哉: 主催の読売新聞は各地で大盤を用いて速報し、観戦記に菊池寛、河東碧梧桐など有名文士を配して宣伝に努め、部数を一挙に3倍に伸ばしたといわれる。


飯田蛇笏: 1900年(明治30年)には東京において正岡子規が『ホトトギス』紙上で俳句革新を開始すると、山梨県でも河東碧梧桐に師事した堀内柳南や神奈桃村ら新興俳人が出現した。


西興一朗: 初めての女(小平哲兵監督、2024年公開予定) - 河東碧梧桐


河東碧梧桐の情報まとめ

もしもしロボ

河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)さんの誕生日は1873年2月26日です。愛媛出身の俳人(俳句)のようです。

もしもしロボ

趣味、現在、結婚、引退に関する情報もありますね。1937年に亡くなられているようです。

河東碧梧桐のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年(明治6年)2月26日 - 1937年(昭和12年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。

正岡子規の高弟として高浜虚子と並び称され、俳句革新運動の代表的人物として知られる。

愛媛県松山市に松山藩士の五男として生まれる。父は正岡子規の漢学の師。高浜虚子とは中学時に同級であり、後に子規の門下生となるまで、行動をともにした仲の良い友人であった。

子規没後、虚子は「ホトトギス」の経営を、碧梧桐は新聞「日本」の俳句欄を担当。やがて新傾向運動を展開し、季題趣味と定型を打ち破った自由なリズムによる俳句を推進した。1906年から3年間の全国行脚で多くの賛同者を得たが、大正期に至って、虚子が俳壇に復帰し、守旧派の立場から激しい攻撃を浴びせた。新傾向の俳句はしだいに衰微していった。

愛媛県温泉郡千船町(現・松山市千舟町)にて松山藩士で藩校・明教館の教授であった河東坤(号・静渓)の五男として生まれる。少年の頃は正岡子規の友人で後に海軍中将となる秋山淳五郎(真之)を「淳さん」と敬愛していた。

1888年(明治21年)、伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学。1889年(明治22年)、帰郷した子規に野球を教わったことがきっかけで、同級生の高濱清(後の高浜虚子)を誘い子規より俳句を学ぶ。

1893年(明治26年)、京都の第三高等学校入学。第二高等学校(現在の東北大学)に編入の後、中退。1900年(明治33年)、青木月斗の妹、茂枝と結婚

1902年(明治35年)に子規が没すると、新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継ぐ。1905年(明治38年)頃より従来の五七五調の形にとらわれない新傾向俳句に走り始め、1906年(明治39年)より1911年(明治44年)にかけて新傾向俳句の宣伝のため二度の全国俳句行脚を行う。また、新傾向からさらに発展してきた新しい俳句という概念を踏まえ、1929年(昭和4年)には、すでに新興俳句という言葉を使った『新興俳句への道』(春秋社)という著書を出版している。同書の小序によれば、碧梧桐が当初考えた「短詩」という言葉でなく「新興俳句」になったのは、出版社側の発案らしい。なお、碧梧桐に私淑した金児杜鵑花は、1931年(昭和6年)に水原秋桜子が「馬酔木」に「自然の真と文芸上の真」を発表して始まった新俳句運動に対して、「新興俳句」運動と名付けている。

1933年(昭和8年)3月25日、還暦祝賀会の席上で俳壇からの引退を表明した。1937年(昭和12年)1月、腸チフスを患い豊多摩病院に入院、更に敗血症を併発。1月31日には症状が悪化し細谷雄太や文壇で対立していた高浜虚子も見舞いに駆け付けた。2月1日には郷里の松山市から姉が駆け付け、最後の対面をすると間もなく死去。戒名は正岡子規の例にならって碧梧桐居士とされた。墓所は父母が眠る松山市の宝塔寺及び東京都台東区の梅林寺に分骨されている。

新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。しかし、1915年(大正4年)には井泉水と意見を異にし、層雲を去っている。碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰。更にこれも中塚一碧楼に譲る。昭和初期に風間直得が漢語にフリガナ(ルビ)を振るルビ俳句を試作、これに賛同した碧梧桐もこれを作るようになるが、これは支持を得られなかった。

引退については「俳句創作への情熱の衰え」と「虚子への抗議」の意味が込められていた。

子規は、碧梧桐と虚子について「碧梧桐は冷やかなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐の人間を見るは猶無心の草木を見るが如く、虚子の草木を見るは猶有上の人間を見るが如し。」と評していた。

寺野守水楼 1836

菅原師竹 1863

筏井竹の門 1871

森田雷死久 1872

牛島藤六 1872

戸沢百花羞 1873

大谷句仏 1875

川西和露 1875

塩谷鵜平 1877

喜谷六花 1877

広江八重桜 1878

戸沢撲天鵬 1879

小沢碧童 1881

大須賀乙字 1881

細谷不句 1882

岩谷山梔子 1883

松宮寒骨 1883

荻原井泉水 1884

安斎桜磈子 1886

宮林菫哉 1887

江口渙 1887

中塚一碧楼 1887

中塚響也 1888

兼崎地橙孫 1890

久米正雄 1891

和田久太郎 1893

滝井孝作 1894

黒田忠次郎 1893

平沢英一郎 1889

風間直得 1897

数字は生年

蕎麦白き道すがらなり観音寺

赤い椿白い椿と落ちにけり

相撲乗せし便船のなど時化(しけ)となり

雪チラチラ岩手颪(おろし)にならで止む

ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く

曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ

俳諧漫話 新声社 1903.11

俳句評釈 人文社 1903.11

其角俳句評釈 大学館 1904.3 (俳句入門叢書)

蚊帳釣草 俳書堂 1906.8

新俳句研究談 東京大学館 1907.10

三千里 金尾文淵堂 1910.12、春陽堂文庫 全2巻 1937

続三千里 金尾文淵堂 1914/講談社学術文庫 上下 1989

新傾向句集 日月社 1915

碧梧桐句集 大須賀乙字編 俳書堂 1916

碧梧桐は斯う云ふ 大鐙閣 1917

支那に遊びて 大阪屋号書店 1919/復刻・ゆまに書房 1999

八年間 碧梧桐句集 玄同社 1923

二重生活 改造社 1924 (改造社随筆叢書)

子規乃第一歩 俳画堂 1925

画人蕪村 中央美術社 1926

碧梧桐青鸞俳画集 黒住常二郎 大日本美術社 1926

新興俳句への道 春秋社 1929

山を水を人を 日本公論社 1933

子規を語る 汎文社 1934/岩波文庫 2002

煮くたれて 双雅房 1935

山水随想 日本公論社 1937

子規の回想 昭南書房 1944/復刊・沖積舎 1992、1998

碧梧桐句集 喜谷六花・瀧井孝作共編 角川文庫 1954

碧梧桐全句集 栗田靖編 蝸牛社 1992.4

なつかしき人々 碧梧桐随筆集 瀧井孝作編 桜楓社 1992.9

河東碧梧桐 蝸牛社 1996 (蝸牛俳句文庫)

河東碧梧桐全集 全18巻 短詩人連盟 2001-2009

碧梧桐俳句集 栗田靖編 岩波文庫 2011

碧梧桐句集 中塚唯人・日野百草 共編 海紅社 2015

^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)110頁

^ 新傾向俳句の先駆者、死去『中外商業新聞』(昭和12年2月2日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

栗田靖/著 『河東碧梧桐』 蝸牛社 1996年

『新版俳句歳時記』(雄山閣)近現代俳人系統図

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2024/11/21 19:08更新

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