藪下泰司の情報(やぶしたたいじ) アニメ演出家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
藪下 泰司さんについて調べます
■名前・氏名 |
藪下泰司と関係のある人
森康二: この他同社には、藪下泰司、熊川正雄らが在籍していた。 今田智憲: 1955年、日本動画の藪下泰司と山本善次郎から今田は日本動画の買収を持ちかけられ、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し東映は日動の買収を決めた。 中島源太郎: 日本動画は同作の後、『白蛇伝』で知られる藪下泰司を監督に迎えて、『日本漫画映画発達史 漫画誕生』(1971)、『日本漫画映画発達史 アニメ新画帖』(1973)の二部作を製作し、わずか数年で解散した。 石上三登志: 大学を卒業するにあたって、石上が漫画や映画に詳しいことから親に紹介された遠い親戚である東映動画の製作部長だった藪下泰司に就職の相談をし、東映動画への就職は断られが、藪下の昔の仲間がやっていたテレビCMプロダクション京映へアルバイトを経て1961年に入社。 大塚康生: 日動映画で出会ったアニメーターの森康二と大工原章、日動社長の山本善次郎、演出担当の藪下泰司はその後、東映動画の礎を築くことになった。 高橋玄: 祖父は日本アニメーション界のパイオニアで戦後初の日本長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』の脚本・監督を手がけた藪下泰司。 |
藪下泰司の情報まとめ
藪下 泰司(やぶした たいじ)さんの誕生日は1903年2月1日です。大阪出身のアニメ演出家のようです。
映画、卒業に関する情報もありますね。1986年に亡くなられているようです。
藪下泰司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)藪下 泰司(やぶした たいじ、男性、1903年2月1日 - 1986年7月15日)は、記録映画の撮影、日本のアニメーション映画監督・演出・企画、アニメーション制作の教育者。大阪府北河内郡四条村(現 大東市)生まれ。東京美術学校写真科卒業。略字の薮下、本名の藪下 泰次と表記することも多い。代表作に『白蛇伝』等がある。映画監督の高橋玄は孫。 東京美術学校写真科卒業後、1925年松竹株式会社撮影所現像部を経て、1927年文部省社会教育局で映画製作設備を創設。そこでツェッペリン号飛来時の無声記録短編映画等を代表とする、文化・記録映画製作を約40本ほど担当し、記録映画畑を歩む。 戦時体制が解けた後の1947年、山本善次郎が設立する日本動画株式会社(1948年1月創立)で、初めてアニメーション作品の制作に参加。撮影、演出、脚本等を手がける。 所属していた日本動画は、1952年に日動映画株式会社と商号を代え、1956年東映株式会社に買収されて東映動画株式会社(現・東映アニメーション)となるが、そこでも引き続き演出を担当。短編アニメ映画『こねこのらくがき』(1957年東映教育映画部)等を手がける。続いて、それまで長篇アニメーション制作ノウハウが日本に無かった時代に、東映動画が取り組んだ日本初の長編総天然色漫画映画(長篇カラーアニメーション)『白蛇伝』(1958年)の演出を務め、興行的にも成功。以後の東映動画黎明期のアニメーション長篇作品の演出を連続して担う。 『ひょっこりひょうたん島』(1967年)の興行的不振を受け、東映動画の演出部門から退くが、後に『日本漫画映画発達史漫画誕生』、『日本漫画映画発達史アニメ新画帖』を制作。同作品では、政岡憲三、大藤信郎、久里洋二、山本早苗、岡本忠成、川本喜八郎ら、日本のアニメーションの創成期、戦前・戦後のアニメーションの重要作品とその歴史を紹介。特に晩年は、日動映画時代から親交のあった森康二とともに、アニメーション制作者の育成・教育にあたり、アニメーションについての、現場の実状に即した体系的な文献等を複数著し、後進の育成に尽力した。 1903年 大阪府北河内郡四条村(現大東市)生まれ。 1925年 東京美術学校写真科卒業。松竹株式会社撮影所現像部へ。 1927年 文部省社会教育局庶務課映画制作部で映画製作設備を創設。 1947年 日本動画株式会社に参加。 1956年 東映動画株式会社の創立に参加。 1969年 日本動画株式会社で2本映画を制作。 1970年 東京デザイナー学院、東京写真専門学校講師を担当。 1986年 死去。享年83。 1929『世界一周飛行 ツエッペリン伯号』(無声・白黒) 文部省(撮影) 1931『隅田川』(無声・白黒) 文部省(撮影) 1938『國民皆泳』(白黒) 東宝映画(撮影) 他 1948『トラちゃんと花嫁』 日本動画(撮影) 1948『ポッポやさん のんき駅長の巻』 日本動画映画(撮影) 1949『ポッポやさん のんき機関士』 日本動画映画 (制作・撮影) 1949『動物大野球戦』 日本動画(演出) 1950『トラちゃんのカンカン虫』 日本動画(撮影) 1952『お天気学校』 東宝教育映画部=日本動画社(脚本) 1952『兎と亀の決勝戦』 日動映画(演出・作画) 1954『子うさぎものがたり』 日動映画(脚本) 1954『かっぱ川太郎』 三井芸術(作画演出) 1955『うかれバイオリン』 日動映画 (演出・脚本) 1956『一寸法師』 日動映画(演出・脚本) 1956『黒いきこりと白いきこり』 日動映画(演出) 1957『こねこのらくがき』 東映教育映画部(演出) 1957『ハヌマンの新しい冒険』 東映(演出) 1958『白蛇伝』 東映動画(監督・演出・脚本) 1959『少年猿飛佐助』 東映動画(演出) 1960『西遊記』 東映動画(演出) 1961『安寿と厨子王丸』 東映動画(演出) 1962『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』 東映動画(演出) 1963『わんわん忠臣蔵』 東映動画(監修) 1965『ガリバーの宇宙旅行』 東映動画(監修) 1965『宇宙パトロールホッパ(宇宙ッ子ジュン)』 東映動画部(演出) 1967『少年ジャックと魔法使い』 東映動画(演出) 1967『ひょっこりひょうたん島』 東映動画(演出) 1968『人のくらしの百万年 マニ・マニ・マーチ』 東映商事(演出) 1968『サイボーグ009』 東映(演出) 1971『日本漫画映画発達史(戦前篇)漫画誕生』 日本動画 (企画・演出) 1973『日本漫画映画発達史(戦後篇)アニメ新画帖』 日本動画(企画・演出) 映画論講座第3巻 映画の創造(共著、合同出版、「10.アニメーションの基礎」を収録) アニメーション原論(東京デザイナー学院出版局/東京写真専門学校出版局) アニメーションの本 動く絵を描く基礎知識と作画の実際(共著、アニメ6人の会編著、合同出版、ISBN 9784772600798) ^ “パトロールホッパ宇宙っ子ジュン”. 東映アニメーション. 2016年6月11日閲覧。 ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data アメリカ IdRef 日本のアニメーション監督 日本の映画監督 日本の脚本家 東映アニメーションの人物 大阪府出身の人物 1903年生 1986年没 2024/11/22 07:03更新
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yabushita taiji
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