西谷祥子の情報(にしたによしこ) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西谷 祥子さんについて調べます
■名前・氏名 |
西谷祥子と関係のある人
神奈幸子: 中学時代より石ノ森章太郎の『龍神沼』に心酔し、本格的に漫画家への夢を持つようになって、高校時代には『墨汁二滴』という、デビュー前の西谷祥子がリーダーの肉筆同人誌に参加する機会に恵まれる。 名香智子: 漫画に興味を持ったのは中学生の頃からで、西谷祥子や水野英子らに憧れたそうで、その頃からペンを持って描き始めている。 竹宮惠子: 看板漫画家として、講談社には里中満智子、集英社には西谷祥子がいたため、新興の小学館であればどうにかなるだろうと考え小学館を選んだ。 竹宮惠子: こうした活動が漫画出版関係者にも伝わり、竹宮によれば漫画家の西谷祥子から直筆の手紙で集英社新人漫画賞への応募を勧められたという。 吉田まゆみ: 水野英子や西谷祥子に憧れて小学生の頃から漫画を描き始め、高校入学後『週刊マーガレット』や『りぼん』に作品を投稿するようになり、賞金で小遣いを稼ぐようになった。 岡田史子: 「COM」に連載していた頃、出版社から掲載誌が送られてきても、手塚治虫や矢代まさこなど気に入っていた他作家の作品を読むだけだったという(生前のインタビューでは気に入っている漫画家として他に水野英子、西谷祥子、大島弓子らを挙げている)。 岡田史子: 永島慎二、西谷祥子の元で一時アシスタントをした後、 1967年に手塚治虫主宰の月刊漫画雑誌「COM」2月号で「太陽と骸骨のような少年」を発表し、商業誌デビュー。 もりたじゅん: 以後、水野英子、西谷祥子、あすなひろしなどの作品を愛読する。 |
西谷祥子の情報まとめ
西谷 祥子(にしたに よしこ)さんの誕生日は1943年10月2日です。高知出身の漫画家のようです。
卒業、趣味、家族、母親、結婚、姉妹に関する情報もありますね。去年の情報もありました。西谷祥子の現在の年齢は81歳のようです。
西谷祥子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本名:山田 祥子)は、日本の漫画家。高知県高知市生まれ。高卒後、長期の漫画家の後で中央大学法学部法律学科卒業。 代表作に『マリイ・ルウ』『レモンとサクランボ』『ジェシカの世界』『花びら日記』など。 昭和40年代前半、少女漫画が週刊誌時代を迎える中で、青春ラブコメ、学園もの、等身大の少女を描き出し、ジャンルを広げるエポックメーキングな作品を多数発表した。 世代的には、水野英子などのトキワ荘世代・女流草分け世代の後、昭和40年代少女雑誌のマンガスクール世代の前にはさまる。 学園漫画の開拓者と見られ、また自認もしている。恋愛要素の強い学園ものの始まりともいわれるが、学園を場とする同世代群像、また世界を意識的に考える少女の姿、を持ち込んだことも大きな特徴である。一方で、少女漫画が週刊誌化によって1960年代後半に急発展した時期、その初期の集英社少女漫画雑誌を人気の点で支えた代表作家の一人であり、作品の連載を2週刊誌で最もほぼ絶え間なく長く続けた人物でもある。 他にも作風は広く、少女趣味的ファンタジーから男性作家の書くかのような大河ロマン、SFから深い心理の問題作までを高いレベルで発表している。とくに月刊・季刊誌の読み切り作品は当時としては文学的とも言えるほど対象年齢が高く、当時としては野心的なテーマも多く、彼女の代表作にむしろ短編を上げる人もいるが、単行本未収録のものが多い。この実質青年女性漫画というべき短編代表作の時期は青年漫画誌の創刊期でもある。 彼女の一部の作品と作風が少女漫画の最先端の一つであった時期は、1960年代後半から1970年代の始まり頃である。 高知県高知市生まれ。父、母、兄2人の5人家族で、末っ子の女の子として可愛がられて育つ。父と長兄は絵が上手であったことと、手塚治虫や山川惣治、小松崎茂などが寄稿していた当時の少年雑誌が家にあったことにより、様々な影響を受けながら子供時代を送った。小学校高学年の時に『赤毛のアン』に出会い、主人公アンの自力で夢の達成を目指す勇気に感銘を受け、この経験がなければ、後の作品制作において少年文化志向の感覚を持ったまま中性的な少女を描いていたかも知れないと語っている。また、そんな頃に貸本屋でトキワ荘の面々による漫画にも出会い、とりわけ石ノ森章太郎と水野英子の作品を好んだ。 中学3年生の時に手塚治虫に4コマ漫画を送り、作品を見てあげるとの返事を得る。そしてその頃トキワ荘のメンバーによる短篇貸本誌『えくぼ』の内容に抗議の手紙を送ったことから、石ノ森章太郎が中心となって活動している「東日本漫画研究会」の女子部に誘われ、初代リーダーとして肉筆回覧誌『墨汁二滴』の編集や会員との連絡などを取り仕切った。そして、『墨汁二滴』を見た『少女クラブ』より原稿の依頼を受けることとなる。 高校在学中の1961年、『墨汁二滴』に掲載していた『ふたごの天使』が講談社の『少女クラブ』夏の増刊号に掲載されデビューし、そのまま連載となる。高校卒業後、漫画で生計を立てられない場合を考えて1年間かけて母親の店で美容師の免許を取得してから上京。 1965年に活動の場を講談社から集英社の『週刊マーガレット』に移し、水野英子の『白いトロイカ』のアシスタントをしながら『リンゴの並木道』を執筆し、好評を博する。水野の作品に登場する青年男女の世界に新鮮さを感じていたが、『リンゴの並木道』の読者の若さを考え、主人公の年齢を下げて『マリイ・ルウ』を執筆。再び好評を得たことを受け、自身の学園生活や知人友人をモデルとした『レモンとサクランボ』を発表、大ヒットとなる。 以後最盛期を迎え、週刊誌で2本の作品を連載してそれをヒットさせ、月刊誌で自分の好きな作品を描くという状態が続いた。月300枚以上の執筆をこなし、多忙を極めると1か月は風呂にも入れなかった。1980年代初めまでの長期間にわたって同誌のレギュラー作家として活動。他に『週刊セブンティーン』『ぶ〜け』(以上集英社)、『花とゆめ』『LaLa』(以上白泉社)などでも執筆を行った。 その後、大学を卒業し結婚して専業主婦となる。1988年の時点で、漫画の執筆活動を行っていない理由は、世の中が求めているものがわからないためであるとしていた。2001年時点では、インターネット上にホームページを作成して作品発表の場とする計画があったが何度か頓挫していた。 2000年12月に三鷹市美術ギャラリーで山田祥子展「このごろの私の絵」を開催。 2018年には京都国際マンガミュージアムにて、竹宮恵子監修による「幻想と日常の間~西谷祥子・おおやちき・波津彬子」展が開催された。 萩尾望都は、自分のデビュー(1969年)前の時期に少女誌で自己表現を行っていたのは彼女ぐらいと語っている。作風は一般に青春群像的な傾向が強く(とくに前期長編作品)、作者は登場人物達は自分の分身であるといい、主人公は狂言回しであるともいう。またセリフその他に文学趣味を感じる読者も多く、とくに繊細で重い代表的な読み切りにその傾向がある。多様な形式をまとまりよく描き分けている。 作者の人気作家時代の回想として、週刊誌で人気を取って読み切りで好きなものを描いた、という。また初期の彼女は、「石森章太郎(石ノ森章太郎)と水野英子の間にかってに生まれた私製児(≠私生児)」と自分を位置付けていたという。 当時を知る人の細かい感想として、たとえばデビュー当時(1965年の白鳥の歌)、マンガ家になる前のみなもと太郎が見て、その色気を含む描線が新鮮だったという。また瞳の中に窓の反射のような縦横線のある光を入れる描き方を他の漫画家達(上原きみ子など)が利用していたという。 竹宮惠子が漫画家になるための後押しをした人物でもある。『墨汁二滴』の活動を通して西谷を知っていたデビュー前の竹宮惠子に、西谷は漫画賞に応募することを手紙で促し、竹宮は投稿しデビューすることとなった。 アシスタントの中には、西谷のファンであったデビュー前の岡田史子がいた。 最も多忙な頃は税金に対する知識がなかったため、ある日訪れた税務署の職員に500万円の追徴金を納めるよう告げられ、大変慌てる事態となった。当時の物価にして家が一軒買える金額であったという。 集英社から刊行されている単行本レーベル「マーガレットコミックス」の最初のタイトルのひとつは、西谷の作品『マリイ・ルウ』(MC 1)であった(1968年1月5日初版発行、発売は1967年12月)。 かっこ内の単行本レーベルは最初に刊行されたものを記している。後に別のレーベルから刊行された作品もある。掲載号は表題作についてのみ明記。 マリイ・ルウ(集英社〈マーガレットコミックス〉、1968年、全1巻)
レモンとサクランボ(マーガレットコミックス、1968年、全1巻)
ジェシカの世界(朝日ソノラマ〈サン・コミックス〉、1974年、全1巻)
ギャングとお嬢さん (マーガレットコミックス、1971年、全1巻)
学生たちの道(サン・コミックス、1973年、全2巻)
花びら日記(集英社〈セブンティーン・コミックス〉、1972年、全3巻)
奈々子の青春(セブンティーン・コミックス、1972年、全2巻)
週刊セブンティーン1969年9号 - 30号掲載。 こんにちはスザンヌ(マーガレットコミックス、1972年、全3巻)
麦笛の聞こえる町(スタジオシップ〈ポケットコミックス〉、全3巻)
すみれ咲け咲け(ポケットコミックス、全4巻)
とうきび畑で(花とゆめコミックス、白泉社、全1巻)
気がちがい荘の住人達(花とゆめコミックス、全1巻)
幸福ゆきかしら?(マーガレットコミックス、全3巻)
手紙をください!(マーガレットコミックス、全6巻)
愛がありますか?(マーガレットコミックス、全4巻)
高円寺あたり(集英社漫画文庫、全2巻)
日の輪 月の輪(マーガレットコミックス、全1巻)
HEY☆坊や(マーガレットコミックス、全3巻)
飛んでいく雲
わが魂の清ければ
『マリイ・ルウ』集英社〈マーガレットコミックス〉、1968年 『レモンとサクランボ』マーガレットコミックス、1968年 『ジルとMr.ライオン』マーガレットコミックス、1968年 『われら劣等生』マーガレットコミックス、1969年 『ギャングとお嬢さん』マーガレットコミックス、1971年 『花びら日記』全3巻、集英社〈セブンティーン・コミックス〉、1972年 『あわ雪さん』全2巻、マーガレットコミックス、1972年 『ジュンの結婚』全1巻、マーガレットコミックス、1972年 『白ばら物語』マーガレットコミックス、1972年 『奈々子の青春』全2巻、セブンティーン・コミックス、1972年 『こんにちはスザンヌ』全3巻、マーガレットコミックス、1972年 『麦笛の聞こえる町』全3巻、スタジオシップ〈ポケットコミックス〉 『不良先生』全2巻、セブンティーン・コミックス、1973年 『飛んでゆく雲』セブンティーン・コミックス、1973年 『学生たちの道』全2巻、サン・コミックス、1973年 『少女の恋』マーガレットコミックス、1974年 『ジェシカの世界』朝日ソノラマ〈サン・コミックス〉、1974年 『銀色の少女たち』サン・コミックス、1974年 『放課後あつまれ!』サン・コミックス、1974年 『まじめに愛して』サン・コミックス、1974年 『水の子』全2巻、サン・コミックス、1975年 『お~い海!』全2巻、サン・コミックス、1975年 『四人姉妹』1-2巻、サン・コミックス、1976年 『オリンポスは笑う』創美社〈マーガレットレインボーコミック〉、1976年 『今日子の恋歌』1-2巻、マーガレットレインボーコミック、1977年 『隼別王子の叛乱』田辺聖子原作、集英社漫画文庫、1979年 『サラダっ娘』1-4巻、セブンティーン・コミックス、1979年- 『すみれ咲け咲け』1-4巻、ポケットコミックス 『とうきび畑で』白泉社〈花とゆめコミックス〉 『気がちがい荘の住人達』花とゆめコミックス 『幸福ゆきかしら?』全3巻、マーガレットコミックス 『手紙をください!』全6巻、マーガレットコミックス、1979-年 『わたしの時』集英社漫画文庫、1980年 『日の輪 月の輪』マーガレットコミックス、1981年 『愛がありますか?』全4巻、マーガレットコミックス 『HEY☆坊や』全3巻、マーガレットコミックス、1982年 『高円寺あたり』全2巻、集英社漫画文庫、1982年 『ミルクandオレンジ』集英社漫画文庫、1982年 『エンジェル・ロック』集英社漫画文庫、1983年 『おみなえし』サンコミックス・ストロベリーシリーズ、1985年 『花びし草』サンコミックス・ストロベリーシリーズ、1985年 『書かれなかった手紙』講談社コミックスミミ、1985年 ^ 『墨汁二滴』は、石ノ森章太郎が立ち上げた東日本漫画研究会の肉筆回覧同人誌『墨汁一滴』に由来する。 ^ 登場人物=主人公の声が吹きだしの外にあることで、主人公の視点と読者や作者の視点とが足場を共にしている。一方、絵物語の文は、作者から読者に与えるもので、足場が異なる。 ^ 「西谷祥子」『講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」』。https://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E7%A5%A5%E5%AD%90。コトバンクより2021年9月8日閲覧。 ^ “西谷祥子”. 横山隆一記念まんが館. 2023年6月16日閲覧。 ^ 「西谷祥子 目覚めの感覚 - 少女はときめき、つぶやき、主張する」『少女マンガの世界II』30頁 ^ 戦後少女マンガ史 2007, pp. 164–166. ^ 西谷祥子「時代の中央線を歩け」『少女マンガの世界II』32-33頁 ^ 少女マンガ大全集 1988, p. 754. ^ 西谷祥子傑作選3『レモンとサクランボ』(白泉社文庫)288頁 イラスト付きコラム「コーヒー・タイム2」参考。 ^ かおるさんのSF大会レポート (010819) 西谷祥子先生に聞く ^ 不定期日記(過去ログ)2000年12月. 二階堂黎人. 2021年9月8日閲覧 ^ “幻想と日常の間~西谷祥子・おおやちき・波津彬子”. 京都国際マンガミュージアム. 2021年9月8日閲覧。 ^ 雑誌COM '71年少女マンガ特集号 ^ 「お楽しみはこれもなのじゃ」(著者 みなもと太郎) ^ 石ノ森章太郎萬画大全集 動画インタビュー 竹宮惠子 ^ 「永島先生と西谷先生のところで、おもしろ半分、あそび半分でベタぬりをさせてもらったことがあります。」『少女マンガ家になれる本』207頁(二見書房刊 1980年) ^ 「少女マンガの表現機構」(岩下朋世)P200。2008年の博士学位論文の加筆、出版書籍 ^ コトバンク おかめはちもく [1] ^ すがやみつるの日記、1999年11月中旬 ^ すがやみつるblog 2010年02月18日 文藝春秋 編『少女マンガ大全集 - 短編にみる魅惑のミクロコスモス』文藝春秋〈文春文庫ビジュアル版〉、1988年9月10日。ISBN 978-4168110085。 別冊太陽『子どもの昭和史 少女マンガの世界II 昭和三十八年―六十四年』平凡社刊 1991年 ISBN 9784582942408 米沢嘉博『戦後少女マンガ史』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2007年8月10日。ISBN 978-4480423580。 ISNI VIAF 日本 日本の漫画家 1943年生 存命人物 高知県出身の人物 中央大学出身の人物 無効な出典が含まれている記事/2019年 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年6月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年9月 2024/11/18 23:46更新
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nishitani yoshiko
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