西銘順治の情報(にしめじゅんじ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西銘 順治さんについて調べます
■名前・氏名 |
西銘順治と関係のある人
西銘恒三郎: 父は沖縄県知事、衆議院議員、那覇市長を務めた西銘順治。 西銘順志郎: 元衆議院議員で沖縄県知事も務めた西銘順治の長男。 稲村利幸: 同期当選だった小坂徳三郎が結成した派閥横断の政策集団「新風政治研究会」に綿貫民輔・中山利生・西銘順治らとともに参加。 屋良朝苗: 沖縄戦後、沖縄群島政府文教部長、沖縄教職員会長などを歴任の後、1968年の行政主席選挙では革新共同候補として立候補し、保守系の西銘順治との選挙になったが、本土への早期復帰を訴えた屋良が当選し第5代行政主席に就任する。 志喜屋孝信: 西銘順治 西銘恒三郎: その後、父・西銘順治の秘書を経て、沖縄県議会議員を4期務めた。 森山欽司: その後、同空港よりYS-11に乗り、西銘順治沖縄県知事とともに、尖閣諸島周域の視察を行った。 嶺井政治: 1979年沖縄県総務部長、1981年企業局長、1983年出納長、1984年10月から1987年6月まで沖縄県知事西銘順治の下で副知事に就いた。 大田昌秀: 1990年、革新統一候補として県知事選に立候補し、現職の西銘順治を破り、知事となった。 小坂徳三郎: 主なメンバーには野中英二、森美秀、有馬元治、西銘順治、中山利生、国場幸昌、中村弘海、綿貫民輔、稲村利幸などがいた。 |
西銘順治の情報まとめ
西銘 順治(にしめ じゅんじ)さんの誕生日は1921年11月5日です。沖縄出身の政治家のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2001年に亡くなられているようです。
西銘順治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。 政界へ 1950年、沖縄社会大衆党の結党に参加し、1954年には同党公認で立法院議員選挙に出馬して当選する。その後、琉球政府行政主席の比嘉秀平に従って社大党を離党し、琉球政府経済局長(1958年)や計画局長(1961年)を歴任した。 那覇市長 1962年、沖縄自由民主党の支援を受けて那覇市長選挙に出馬し、当選。1968年まで2期6年務める。那覇市長就任後、キャラウェイ旋風をめぐって沖縄自由民主党を離党したが、その後復党し、1968年には党総裁に就任。同年に行われた行政主席選挙に早期の本土復帰には慎重な立場で立候補したが、日本国への早期復帰を公約した沖縄革新系が支援する屋良朝苗に敗れた。なおこの選挙においては、保守系の西銘の当選のため、日米両政府が水面下で働きかけを行っており、この事実は2010年に公開された外交文書により判明した。 衆議院議員 1970年、国政参加選挙に沖縄自由民主党公認で出馬し、衆議院議員に当選した。1973年、第2次田中角栄第1次改造内閣で沖縄開発政務次官に、1976年、三木改造内閣で経済企画政務次官に任命される。 沖縄県知事 3期目途中の1978年、自由民主党・民社党推薦で沖縄県知事選挙に出馬し、西銘の選対事務総長となった呉屋秀信が沖縄県内経済団体を束ね、10年ぶりに県政を革新・左派から奪還成功に導いた。革新陣営が擁立した知花英夫を破って当選した西銘は、戦後初の保守系沖縄知事であった。以後、知事を3期12年務める。在任中は(それまでの革新県政下で行われなかった)自衛隊の募集を県庁で始め、公共事業を積極的に導入。「一にも二にも人づくり」を掲げ、沖縄県立芸術大学や沖縄県国際交流財団の設立や「世界のウチナーンチュ大会」の開催を推進した。また復帰後の知事として初めてアメリカ合衆国を訪れ、在日米軍基地の縮小などを国防総省に要請した他、「五・一五メモ」の公開を日本政府に求めたり、「三者連絡協議会」の設立を促すなど、基地負担軽減にも取り組んだ。 知事選落選から衆議院議員へ 1990年の沖縄県知事選挙に4選を目指して自民・民社両党の推薦で出馬したが、日本社会党・日本共産党・沖縄社会大衆党が推薦し、公明党が支持する琉球大学名誉教授の大田昌秀に3万票差で敗れ、落選した。1993年、第40回衆議院議員総選挙に自民党公認で沖縄県全県区(定数5)から出馬。新党ブームが席捲する中、新生党の仲村正治や日本社会党の上原康助らを上回る得票数でトップ当選した(1990年に西銘の長男・順志郎が同じ選挙区から出馬したが、次点で落選)。同年より衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長。 政界引退 1995年3月、脳梗塞を患い、翌年の第41回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。 2001年11月10日、急性心筋梗塞のため那覇市内の病院で死去した。享年80。 妻・西銘節子 長男・西銘順志郎(参議院議員) 三男・西銘恒三郎(衆議院議員) 四男・西銘啓史郎(沖縄県議会議員) ^ “誕生”. ニシメ啓史郎HP. 2024年6月17日閲覧。 ^ “西銘 順治とは”. コトバンク. 2021年5月12日閲覧。 ^ “翁長雄志知事を名誉市民に 那覇市、9月議会提案へ”. ryukyushimpo.jp. 琉球新報 (2018年8月28日). 2021年5月12日閲覧。 ^ “西銘順治氏が死去/知事3期代議士4期、経済振興に尽力”. 琉球新報. (2001年11月11日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-110410-storytopic-86.html 2015年9月9日閲覧。 ^ “日米、琉球主席公選で裏工作 沖縄返還前の68年”. 琉球新報. (2010年12月22日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171474-storytopic-3.html 2015年9月9日閲覧。 ^ “琉球主席公選で裏工作 日米、自前候補の当選狙う”. 沖縄タイムス. (2010年12月22日). http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-22_13072/ 2015年9月9日閲覧。 ^ “「尖閣」表記で日米折衝 沖縄返還交渉の文書公開”. 日本経済新聞. (2010年12月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2201S_S0A221C1NN8000/ ^ “社説[呉屋秀信さん死去]経済の重鎮 各面に足跡 | 社説”. 沖縄タイムス+プラス. 2021年10月2日閲覧。 ^ “評伝・西銘順治氏/豪腕と人情併せ持つ”. 琉球新報. (2001年11月12日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-110485-storytopic-86.html 2015年9月9日閲覧。 ^ 吉次公介 (2018). 日米安保体制史. 岩波. pp. 128~131. ISBN 9784004317418 立法院 (琉球) 琉球政府 第1回行政主席通常選挙 呉屋秀信 戦後沖縄の政党一覧 『西銘順治』 - コトバンク 表 話 編 歴 床次徳二 中村寅太 池田清志 床次徳二 正示啓次郎 浅井美幸 小浜新次 松本忠助 稲富稜人 竹本孫一 和田耕作 河村勝 小沢貞孝 吉田之久 宮田早苗 渡辺朗 大内啓伍 青山丘 加藤万吉 稲葉誠一 高沢寅男 沢田広 上田哲 渡部行雄 中西績介 井上一成 上田卓三 西銘順治 鈴木宗男 宮里松正 仲村正治 笹山登生 前田武志 五島正規 佐々木秀典 北村直人 大木浩 萩野浩基 仲村正治 平林鴻三 金田誠一 荒井聰 川内博史 安住淳 藤村修 前原誠司 山本公一 北村誠吾 福井照 小野寺五典 荒井聰 安住淳 松原仁 古川元久 渡辺周 鈴木克昌 横光克彦 末松義規 菊田真紀子 西村智奈美 奥野総一郎 阿部知子 松木謙公 佐藤公治 表 話 編 歴 鍋島直彬 上杉茂憲 岩村通俊 西村捨三 大迫貞清 大迫貞清 福原実 丸岡莞爾 奈良原繁 日比重明 高橋琢也 大味久五郎 小田切磐太郎未赴任 鈴木邦義 川越壮介 和田潤 岩元禧 亀井光政 今宿次雄 飯尾藤次郎 細川長平 守屋磨瑳夫 井野次郎 蔵重久 淵上房太郎 早川元 泉守紀 島田叡 志喜屋孝信 志喜屋孝信 平良辰雄 比嘉秀平 比嘉秀平 当間重剛 大田政作 松岡政保 屋良朝苗 屋良朝苗 平良幸市 西銘順治 大田昌秀 稲嶺惠一 仲井眞弘多 翁長雄志 玉城康裕(玉城デニー) 本テンプレートにおいては、米軍統治下における諸職についても表記する。 表 話 編 歴 西銘順治 瀬長亀次郎 上原康助 國場幸昌 安里積千代 西銘順治 上原康助 國場幸昌 瀬長亀次郎 安里積千代 瀬長亀次郎 玉城栄一 上原康助 西銘順治 國場幸昌 上原康助 瀬長亀次郎 國場幸昌 大城眞順 玉城栄一 上原康助 玉城栄一 小渡三郎 國場幸昌 瀬長亀次郎 瀬長亀次郎 國場幸昌 上原康助 仲村正治 玉城栄一 小渡三郎 上原康助 宮里松正 玉城栄一 瀬長亀次郎 古堅実吉 仲村正治 宮里松正 上原康助 玉城栄一 西銘順治 仲村正治 上原康助 古堅実吉 宮里松正 表 話 編 歴 高嶺朝教1921.9.13-1925.9.12 仲吉朝助1925.9.21-1926.9.3 久高友輔1926.9.26-1929.6.15 太田朝敷1929.6.18-1934.3 高安玉兎1934.3-1938.3 伊豆見元永1938.3.21-1942 仲吉良光1942-1945 仲吉良光1946.1.23-1946.4 小湾喜長1946.5.1-1948 兼島由明1948.3.1-1954.8.31 宮里栄輝1953.10.1-1954.9.21 翁長助静1954.9.25-1957.12.16 太田祥介1896.4-1898 齋藤用之助1898-1908.3.31 喜入休1908.5.15-1911.7.29 当間重慎1911.9.16-1919.11.1 山城正馴1919.11.9-1921.5.19 山城正馴市長代理1921.5-1921.9 当間重慎1921.9-1923.9 麓純義1923.12-1925.7 岸本賀昌1925.10-1928.2 小嶺幸慶1928.3-1931.7 照屋宏1931.8-1935.8 金城紀光1935.8-1939.8 当間重剛1939.9-1941.12 崎山嗣朝1941.12-1942.7 富山徳潤1942.7- 兼島景義臨時市長1945.4-1945.7 当間重剛1946.4-1946.6 東恩納寛仁1946.7-1948.2 仲本為美1948.3-1949.11 賀数世隆市長代理1949.11-1949.12 当間重民1949.12-1952.2 又吉康和1952.3-1953.9 当間重剛1953.11-1956.11 瀬長亀次郎1957.1-1957.11 東江誠忠臨時市長1957.11-1958.1 兼次佐一1958.1-1962.1 西銘順治1962.1-1968.10 平良良松1968.12-1972.11 平良良松1972.12-1984.11 親泊康晴1984.12-2000.11.30 翁長雄志2000.12.1-2014.10.3 城間幹子2014.11.16-2022.11.15 知念覚2022.11.16- FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 琉球政府立法院議員 沖縄県選出の衆議院議員 自由民主党の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 沖縄社会大衆党 沖縄県知事 那覇市長 日本の新聞編集者 大日本帝国海軍中尉 東京大学出身の人物 旧制水戸高等学校出身の人物 沖縄県出身の人物 西銘家 1921年生 2001年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/01 12:08更新
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nishime junji
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