谷川昇の情報(たにかわのぼる) 内務官僚、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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谷川昇の情報まとめ
谷川 昇(たにかわ のぼる)さんの誕生日は1896年5月27日です。広島出身の内務官僚、政治家のようです。
父親、卒業、現在、解散、ドラマに関する情報もありますね。1955年に亡くなられているようです。
谷川昇のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)谷川 昇(たにかわ のぼる、1896年5月27日 - 1955年2月28日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員。広島カープの「カープ」名付け親。正五位勲四等受章。 広島県賀茂郡西志和村(現・東広島市志和町)出身。県立広島中学(現広島県立国泰寺高校)で鈴木剛や田部武雄の兄・謙二と同学で親友であった。野津謙は年は違うが同期で、谷川は蹴球部(サッカー部)だったという。両親は早くに移民としてアメリカに渡り、カリフォルニア州・サクラメントで百貨店を経営。この頃のカリフォルニアは、まだ暑くて荒涼した住みにくい土地であったが、父親は荒地開拓の日本人リーダーとして信望を集めていた。昇も中学卒業後、父に従ってアメリカに渡りイリノイ大学政治経済学科に入学。卒業後、ハーバード大学大学院自治行政(都市行政)学専攻を修了した。 関東大震災復興のため、永田秀次郎東京市長が招いたハーバード大学の師匠・ジェームズ・ビヤード博士と共に帰国。1924年内務省に入省し、東京市役所に入る。主事、都市計画課長、市民局長、戦時生活局長、東京防衛局長などを歴任。終戦後の1945年10月、山梨県知事に就任。翌1946年には、幣原喜重郎内閣の内務省警保局のトップ・警保局長に就任。警保局長は現在の警察庁長官に相当する要職で、高文出身でない人物がこの地位に就いたのは異例であった。 1947年に退官し、同年4月の第23回衆議院議員総選挙に広島2区から立候補しトップ当選。日本自由党幹事長に内定していた。しかし、僅か二ヶ月で戦時中の大政翼賛会奉職のため公職追放となる。追放中の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。追放解除後の1952年再び第25回衆議院議員総選挙に広島2区から出馬し当選、自由党政調副会長に就任。しかし、またも半年でバカヤロー解散に遭い、次の第26回衆議院議員総選挙では、池田勇人や中川俊思(中川秀直の岳父)らに敗れ次点となり落選。1955年第27回衆議院議員総選挙では、池田や中川、松本俊一らに次いで当選を果たすが、当選確実の報を聞いたその日に脳出血のため急逝、58歳だった。政治家としては度重なる不遇のため、悲劇の政治家ともいわれた。 三木派・河本派・高村派の重鎮だった谷川和穂は長男。
谷川の訃報に悲嘆にくれ、提灯を燃やす支援者
谷川の死により当選人となった社会党右派の前田栄之助。「政界の粛正 政治の明朗化などは全く同感であって 氏の遺志も体して二人前の意気で働く」と語った。
谷川の葬儀
広島東洋カープの創設に深く関わった一人でもある。1949年、日本プロ野球の二リーグ分裂で関心を持っていた企業からの加盟申請が殺到。広島出身の元金鯱軍代表・山口勲も赤嶺昌志から勧められ広島への球団創設を発起。「郷土に球団創設の機運をつくってほしい」と谷川に協力を要請した。谷川は一旦固辞したが郷土の復興に関心を寄せていた事もあり受諾。代表として県や各市を回って球団創設の趣旨を熱心に説いた。谷川の名前・信用は大きく県知事を始め政財界の有力者がこぞって設立に賛同した。またニックネームを、太田川が鯉の名産地、広島城が鯉城と呼ばれていること、鯉は出世魚であるし広島県のチームなら「カープ」をおいて他になし、と「広島カープ」と名付けた。石本秀一の監督就任報道などもあって熱狂的に市民・県民に迎えられ、話もトントン拍子に進みセントラル・リーグ加盟が認められた。しかし山口が喧嘩っ早いとリーグ関係者に忌避されており、正式発足となる株式会社の登記完了時に山口は身を引き、この事情を知った谷川も身を引いた。このため登記完了時の代表(会長)は永野重雄であった。また郷土・広島のために、の一心で奔走したこれらの活動が、選挙への下準備が目的であると疑われ、当時の法務庁特別審査局が内偵をすすめていたともいわれる。谷川がカープに関わったのはここまでで、その後のチーム編成、球団運営には非常に多くの苦難を伴ったことで有名だが、やはり「谷川がいなければ、カープは出来ていなかったろう」といわれる。この史実を元に製作されたNHK広島放送局製作のドキュメンタリードラマ『シリーズ被爆70年 ヒロシマ 復興を支えた市民たち 第1回「鯉昇れ、焦土の空へ」』(2015年2月7日放送)では、大和田伸也が谷川の役を演じている。 日本共産党の徳田球一(書記長)が1950年、GHQの指令で追放され地下に潜行、その後中国に脱出した事実がのち明らかとなったが、当時公職追放中だった谷川が「死なせたくない」と指名手配中の徳田に潜伏場所を提供、同年2月から8月まで逗子市の台湾系中国人邸にかくまい、その後神戸港から北京への密入国にも協力した秘話は政界を驚かせた。 ^ 野津の中学入学は1911年。 ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』 「広島サッカー85年史編纂委員会」 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、23頁 ^ 東京都公文書館だより-Tokyo Metropolitan Archives News 第12号(2008.3) ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第20号 昭和23年5月7日 ^ スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球【1月15日】1950年(昭25) ^ プロジェクトX 挑戦者たち 熱き心、炎のごとく 史上最大の集金作戦 広島カープ ^ ヒロシマ 復興を支えた市民たち|NHK広島放送局 - NHKオンライン(キャスト) 『歴代国会議員経歴要覧』(政府広報センター、1990年) 『広島東洋カープ球団史』(中国新聞社、1976年) 河口豪著『栄光の広島カープ風雪25年』(恒文社、1975年) 『カープ50年夢を追って』(中国新聞社、1999年) 金枡晴海著『広島スポーツ100年』(中国新聞社、1979年) 『広島県大百科事典』(1982年 中国新聞社) 大和球士著『真説日本野球史6』(ベースボール・マガジン社、1980年) 『私の履歴書21』(日本経済新聞社、1986年) カープ年表(中国新聞 - ウェイバックマシン(1999年11月28日アーカイブ分)より) われらカープ人(中国新聞 - ウェイバックマシン(1999年11月28日アーカイブ分)より) 表 話 編 歴 谷川昇 前田栄之助 武田キヨ 大原博夫 池田勇人 宮原幸三郎 中川俊思 前田栄之助 池田勇人 永野護 前田栄之助 谷川昇 池田勇人 中川俊思 宮原幸三郎 前田栄之助 池田勇人 中川俊思 松本俊一 前田栄之助 池田勇人 松本俊一 谷川和穂 中川俊思 池田勇人 中川俊思 松本俊一 前田栄之助 池田勇人 谷川和穂 前田栄之助 中川俊思 増岡博之 浜田光人 谷川和穂 中川俊思 谷川和穂 加藤陽三 増岡博之 中川俊思 増岡博之 森井忠良 加藤陽三 谷川和穂 中川秀直 池田行彦 森井忠良 増岡博之 谷川和穂 増岡博之 森井忠良 池田行彦 中川秀直 池田行彦 谷川和穂 森井忠良 増岡博之 森井忠良 池田行彦 中川秀直 谷川和穂 増岡博之 中川秀直 池田行彦 森井忠良 谷川和穂 増岡博之 池田行彦 中川秀直 森井忠良 池田行彦 谷川和穂 表 話 編 歴 村田氏寿 1876-1877 川路利良 1877-1879 警視局大警視 西村捨三 1881 田辺良顕 1881-1883 勝間田稔 1883-1884 清浦奎吾 1884-1891 小松原英太郎 1891-1892 大森鍾一 1892 高崎親章 1892-1893 小野田元熈 1893-1896 寺原長輝 1896-1898 牧朴真 1898 小倉久 1898-1899 安楽兼道 1899-1900 田中貴道 1900-1901 鈴木定直 1901-1902 安立綱之 1902-1903 有松英義 1903-1904 仲小路廉 1904-1906 久保田政周 1906 古賀廉造 1906-1908 有松英義 1908-1911 古賀廉造 1911-1912 太田政弘 1912-1913 岡喜七郎 1913-1914 安河内麻吉 1914-1915 湯浅倉平 1915-1916 永田秀次郎 1916-1918 川村竹治 1918-1921 湯地幸平 1921-1922 後藤文夫 1922-1923 岡田忠彦 1923-1924 藤沼庄平 1924 川崎卓吉 1924-1925 松村義一 1925-1927 山岡萬之助 1927-1928 横山助成 1928-1929 大塚惟精 1929-1931 次田大三郎 1931 岡正雄 1931 森岡二朗 1931-1932 松本学 1932-1934 唐沢俊樹 1934-1936 萱場軍蔵 1936-1937 大村清一 1937 安倍源基 1937 富田健治 1937-1938 本間精 1938-1939 安藤狂四郎 1939 本間精 1939-1940 山崎巌 1940 藤原孝夫 1940 橋本清吉 1940-1941 今松治郎 1941-1942 三好重夫 1942-1943 町村金五 1943-1944 古井喜実 1944-1945 水池亮 1945 橋本政実 1945 小泉梧郎 1945-1946 谷川昇 1946-1947 田中楢一 1947 久山秀雄 1947 内務省廃止 久山秀雄 1948 国家地方警察本部設置 斎藤昇 1948-1954 警察庁設置 斎藤昇 1954-1955 石井榮三 1955-1958 柏村信雄 1958-1963 江口俊男 1963-1965 新井裕 1965-1969 後藤田正晴 1969-1972 高橋幹夫 1972-1974 浅沼清太郎 1974-1978 山本鎮彦 1978-1981 三井脩 1981-1984 鈴木貞敏 1984-1985 山田英雄 1985-1988 金澤昭雄 1988-1990 鈴木良一 1990-1992 城内康光 1992-1994 國松孝次 1994-1997 関口祐弘 1997-2000 田中節夫 2000-2002 佐藤英彦 2002-2004 漆間巌 2004-2007 吉村博人 2007-2009 安藤隆春 2009-2011 片桐裕 2011-2013 米田壮 2013-2015 金髙雅仁 2015-2016 坂口正芳 2016-2018 栗生俊一 2018-2020 松本光弘 2020-2021 中村格 2021-2022 露木康浩 2022- 表 話 編 歴 海江田武次 柳原前光 滋野井公壽 滋野井公壽 土肥実匡 土肥実匡 藤村紫朗 権令→県令 藤村紫朗 山崎直胤 前田正名 中島錫胤 田沼健 桜井勉 清棲家教 小野田元熈 加藤平四郎 石原健三 大山綱昌 武田千代三郎 熊谷喜一郎 若林賚蔵 添田敬一郎 阪本三郎 山脇春樹 長野幹 大海原重義 梅谷光貞 本間利雄 黒瀬弘志 三邊長治 鈴木信太郎 平田紀一 福田虎亀 芝辻一郎 関屋延之助 土屋正三 藤原孝夫 土居章平 安岡正光 高野源進 多湖實夫 中島賢蔵 谷川昇 齋藤昇 吉江勝保 豊原道也 吉江勝保 天野久 田辺国男 望月幸明 天野建 山本栄彦 横内正明 後藤斎 長崎幸太郎 広島県選出の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 自由党(日本 1950-1955)の衆議院議員 山梨県知事 日本の内務官僚 日本の警察官僚 内務省警保局長 公職追放者 証人喚問された人物 広島東洋カープ関連人物 イリノイ大学出身の人物 ハーバード大学出身の人物 広島県立広島国泰寺高等学校出身の人物 広島県出身の人物 正五位受位者 1896年生 1955年没
2024/11/21 22:51更新
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tanikawa noboru
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