谷村有美の情報(たにむらゆみ) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png?)
谷村 有美さんについて調べます
■名前・氏名 |
谷村有美と関係のある人
小森田実: 谷村有美 そうる透: 谷村有美(アルバム『愛は元気です。 有賀啓雄: 谷村有美(作曲・編曲) 斉藤英夫: 谷村有美 柴矢俊彦: 谷村有美「21世紀の恋人」 谷村まりか: ペンネームの由来は谷村まりか自身がファンであるシンガーソングライターの谷村有美と本名を合体させたものとのこと。 たいせー: 谷村有美 福田裕彦: マイ・プレジャー〜With my pleasure〜(谷村有美)作曲・編曲 2001年 崎谷健次郎: 6月に発表された谷村有美のシングル「ときめきをBelieve」をプロデュースし、作曲・編曲・コーラスで参加。 遠藤響子: 谷村有美 伊藤真視: 1985年、大沢誉志幸のサポートバンドに参加後、尾崎豊、岡村靖幸、谷村有美、渡辺美里など多くのアーティストのサポートやスタジオワークに参加。 落合徹也: 2001年、谷村有美のライブツアー「LOVE LIVE LIFE」に参加。 青柳誠: THE YELLOW MONKEY、谷村新司、谷村有美、平松愛理、南佳孝、吉田拓郎、LUNA SEA、ディック・リーなどとの共演の他、テレビ番組でのアレンジなども担っている。 原田泳幸: 2021年2月6日、妻谷村有美の足や腕などをゴルフ器具で殴った暴行容疑で警視庁に逮捕された。 まさごろ: 谷村有美「予感-I'm Ready to love-」(1987年) 作詞 コモリタミノル: 谷村有美 原田泳幸: 2002年にシンガーソングライターの谷村有美と結婚。 小林信吾: 谷村有美 まさごろ: 谷村有美「Bye Bye Black Jack」(1987年) 作詞 本田雅人: シャープス&フラッツのソリストを務める傍ら角松敏生、渡辺美里、谷村有美、安全地帯など、サポートミュージシャンとしての活動を行う。 福田裕彦: 以降は主に作曲・編曲家として活動し、宍戸留美、中江有里、NoB、MASAKI、おおたか静流、鈴木結女、宇都宮隆、谷村有美、木村由姫、玉木宏他、数多くの作曲・編曲を手がける一方で、スーパーボンバーマンシリーズ、『ジェリーボーイ』、『天外魔境II 卍MARU』、『エメラルドドラゴン』などのゲーム音楽、『11人いる!』『ビースト三獣士』『ヘリタコぷーちゃん』などのアニメ音楽も制作している。 清水信之: 谷村有美 伊秩弘将: その後も、久宝留理子・谷村有美などのガールポップ歌手を中心に、楽曲を提供する活動を続ける。 山木秀夫: 谷村有美 大東めぐみ: 子供の頃からアイドルを夢見て育ち、谷村有美が優勝した『ティーンズ・ポップコンテスト』でボーカル賞を受賞し、レコード会社にスカウトされ、高校1年のときに上京。 崎谷健次郎: 音楽家として評価する歌手・奏者・作家も少なくなく、山下達郎、松任谷由実、槇原敬之、亀田誠治(東京事変)大江千里、朝妻一郎、武部聡志、米良美一、安部恭弘、KATSUMI、斉藤由貴、谷村有美、種ともこ、かとうれいこ、松田悟志、渡辺格 などが敬意を示している。 |
谷村有美の情報まとめ
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
谷村 有美(たにむら ゆみ)さんの誕生日は1965年10月17日です。鹿児島出身のシンガー ソングライターのようです。
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
ラジオ番組での支持、曲に関する逸話などについてまとめました。結婚、現在、テレビ、趣味、家族、姉妹、卒業に関する情報もありますね。谷村有美の現在の年齢は58歳のようです。
谷村有美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)谷村 有美(たにむら ゆみ、1965年10月17日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。 2002年結婚。配偶者は株式会社ゴンチャジャパン前CEOで、株式会社原田泳幸事務所代表取締役原田泳幸。 所属事務所は「ハートランド」を経て、「アップフロントエージェンシーグループ」。現在はソニーミュージックレーベル。 レコード会社は1987年〜1998年までCBS・ソニー→Sony Records所属後、2000年にアップフロントワークスの「zetima」に移籍。2007年以降、ソニー・ミュージックダイレクトよりCBS・ソニー→Sony Records時代の楽曲によるベスト・アルバムを発表、最近の新曲はベスト・アルバムへ収録される形でリリース。過去に発売のライブ・ビデオも同社からDVDにてリリースされている。 自ら作詞・作曲も手がけるシンガーソングライター。2歳からクラシック音楽教育を受け、アマチュア時代はフュージョン系バンドのキーボードを担当し、ステージでピアノやキーボードの速弾きを披露することもある。 音楽活動以外では、レコードデビュー前から朝の情報番組キャスターやテレビ番組の司会も担当。特にラジオDJでの飾らないしゃべりが特徴。人気パーソナリティで5年連続首位にランクインし、殿堂入りを果たす。雑誌にエッセイを連載したり、エッセイ本を出版するなど多方面での活動を行ってきた。また、陶芸や絵画、書道(師範レベル)にも才能を発揮している。 鹿児島県生まれ(出生のみ)、東京都育ち。 2歳でピアノに触れ、音楽教育を受け始め、3歳からはクラシックバレエを習った。作曲・即興演奏を得意としていた。 小学校4年のときにビートルズのコピーバンドに参加。13歳で単身渡米、カルチャーショックを受ける。学生時代にはロックやフュージョン系のバンドにキーボード奏者として参加。 慶應義塾大学在学中の1986年、CBS・ソニー主催オーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で優勝。 1987年(昭和62年)11月21日、シングル「Not For Sale」アルバム『Believe In』同日リリースデビュー。 1998年(平成10年)末から約2年間歌手活動を休業。理由は、デビューしてから十数年、走り続けて疲れがたまっていた影響で曲が書けなくなったため。具体的に1997年2月の武道館コンサートの後から「それまではどんなに忙しくても疲れるってことなかったのに、芯になるものがなくなったというか…音楽を楽しめなくなってしまって」「食欲もなくなって体重も減って…体調を崩してしまった」「これ以上自分にウソつきながら音楽を作っていくことはできないと思って、休業宣言したんです」と、活動再開後に本人が雑誌のインタビューにて当時の心境を明かしている。 休養期間の2年間は単身渡米し、ボイストレーニングに励む。プライベートでは、運転免許取得のため石垣島に合宿教習に赴き、数多く海外旅行に行ったり、かなり活発に動き回っていた。そのため休養期間中に過労で2回倒れた。ちなみにその合宿教習中の空き時間に、当初「30分だけの暇つぶし」のつもりで入ったカラオケボックスで結局一人で4時間半歌い続けてしまったことで、自らにとっての歌の存在価値を再確認し、歌手活動を再開するきっかけとなったと後に語る。これらを経て「生活すべてから歌が生まれ、音楽が自然に生活の中にある」という本来の姿に戻り、活動再開を決め、現在も楽しみながら音楽に取り組んでいると語る。 なお休業中も、臍帯血バンク支援のチャリティーとして1999年・2000年に「Pacific Heaven Club Band」(KAN・スターダストレビュー・森高千里など、アップフロントグループ所属のアーティストが参加)のアリーナ・ツアーに出演。1999年には阪神・淡路大震災で倒壊した神戸国際会館の復興を祝しジョー・サンプルと共演するなど、一部の活動については継続していた。震災直後の大阪公演で手作りの募金箱で募金を呼びかけ以後も番組を通じ支援を続けた。 2000年(平成12年)10月に活動を再開。 2002年(平成14年)4月に当時アップルコンピュータ社長だった原田泳幸と結婚。原田の述べるところによると、結婚後、谷村は自らの申し出で、日本マクドナルドの経営者である原田のため、原田が描くスケッチをもとにグラフや表、図形が入ったすべて英語の約30枚からなるPowerPointの資料を徹夜で作成したことがあり、その資料は(2004年時点での)日本マクドナルドの戦略のおおもとになっている。2021年2月6日、夫の原田が大暴れし、原田が逮捕拘留された。 趣味は陶芸、アロマテラピー、フラワーエッセンス(花の持つエネルギーを水に転写したもの)。モータースポーツの競技者ライセンスの国内B級ライセンスの資格(国際レース以外の国内全てのJAF公認ラリー競技会およびスピード行事に出場することができる資格)を持つ。 毎年12月にクリスマスコンサートを開催。2004年からは芝居とライブを融合した『シアトリカルコンサート』という独自の公演を開始。2007年より弾き語りメインの『おでかけツアー』開始。 コンサートの最後はマイクを通さずに生の声で聴衆に挨拶するのが恒例。 難病と闘う子どもたちとその家族を支援する「ドナルドハウスチャリティーズ財団」の支援活動や、動物との触れ合いで人間本来の治癒力を高めるヒューマンアニマルボンド、および前述の臍帯血バンク支援、ヒト免疫不全ウイルス (HIV) の啓蒙と撲滅を掲げるアクト・アゲインスト・エイズ (AAA) などの社会貢献にも務めている。 2011年(平成23年)東日本大震災を受け「がんばろうニッポン 愛は勝つシンガーズ」に参加。 1986年
1987年
11月7日 - TBSラジオ『寝そびれナイト 谷村有美のキャッチ・ミー』パーソナリティとして放送開始。 11月21日 - シングル「Not For Sale」アルバム『Believe In』を同日リリースでデビュー。『Believe In』では松田聖子楽曲の大半の編曲を手がけた大村雅朗が全曲編曲、自作曲の他、小森田実や井上ヨシマサらが曲提供。 1988年
10月7日 - 新宿日清パワーステーションで初ライヴを行う。 10月8日 - TBSラジオ『森川美穂と谷村有美のはじけるナイトボーン』パーソナリティとして放送開始。 10月25日 - NHK教育テレビ『ベストサウンド』レギュラー司会として放送開始。 12月9日 - 横浜LIVE SQUARE VIVREにてライヴを行う。 12月21日 - 大阪バナナホールにてライヴを行う。 12月26日 - TBSホールにて『ドーナツ6 クリスマス・ライヴ』開催。本年よりクリスマス・コンサートが毎年恒例となる。 1989年
3月26日 - 名古屋ハートランドにてライヴを行う。 3月27日 - 大阪MIDシアターにてライヴを行う。 4月5日 - FM北海道『FM Rock Kids』のパーソナリティとして放送開始。 4月8日・9日 - 日清パワーステーションにて2DAYSライヴを行う。初日は、自称「晴れ女」にもかかわらず、豪雨となる。TBSラジオ「ポップンルージュ」4月13日放送にて、バンドメンバーに1人「雨男」がいる、と発言。 4月13日 - TBSラジオ『ポップンルージュ』のパーソナリティとして放送開始。 4月14日 - FM横浜『ヨコハマ ラジオ ナイト 気ままにFeel Mie』のパーソナリティとして放送開始。 5月31日 - FM802『FUNKY STUDIO MUSIC GUMBO』のパーソナリティとして放送開始。 6月18日 - 7月18日 - 『Hear Tour』全国7か所のツアーを行う。 11月3日 - テレビ朝日系列の深夜音楽番組『VIDEO JAM』のレギュラー司会として放送開始。 11月3日 - 25日 - 『学園祭Tour』 11月13日 - 週刊FMで連載コラム『谷村有美のなんでもかんでも』を始める。 12月9日 - 札幌アスティ45にてクリスマスコンサート『X'mas LIVE もういくつねるとX'mas』を行う。 12月13日 - 東京ベイNKホールにてクリスマスコンサート『X'mas LIVE いまだかつてないX'mas』を行う。 1990年
3月10日・11日 - 大阪バナナホールにて2DAYSライヴを行う。 5月19日 - 6月19日 - 『PRISM Tour』全国8か所のツアーを行う。 10月10日 - TBSラジオ『パジャマ気分で』のパーソナリティとして放送開始。 10月15日 - 「4ウェイ ミュージック ストリート」のパーソナリティとして放送開始(全国6局ネット〜FM仙台・FMぐんま・FM静岡・広島FM・FM愛媛・FM長崎〜FM局名は一部除き当時のもの)。 10月20日 - 11月28日 - 『学園祭Tour』 12月21日 - 日本武道館にてクリスマスコンサート『X'mas Parade 1990』(自身初の武道館ライヴ)を行う。 12月25日 - 30日 - NHK衛星スペシャル『われらが青春の輝き 加山雄三帰ってきた若大将』にアシスタント出演。 1991年
4月13日 - NHK-FM『リクエストアワー』のパーソナリティとして放送開始。 4月30日 - 文化放送『コークSunday Morning 全国高校野球・谷村有美 私の甲子園』パーソナリティとして放送開始。 5月11日 - 6月9日 - 『愛は元気です。Tour』全国6か所のツアーを行う。 9月21日 - 初の単行本『愛は元気です。』(ソニー・マガジンズ編集)発売。 10月22日 - 週刊プレイボーイでコラム『しあわせの泣きぼくろ』の連載を始める。 10月27日 - 12月3日 - 『学園祭Tour』 11月26日 - 12月2日 - 『With Tour』大宮ソニックシティ、愛知県勤労会館、大阪厚生年金会館3か所、4公演ツアー。 12月17日 - 日本武道館にてクリスマスコンサート『X'mas Parade 1991 With Special』を行う。 1992年
3月29日 - 5月15日 - 『"笑顔"が街にやってくる。〜Smile is coming to town〜Tour』全国9か所のツアーを行う。 8月2日 - コニファーフォレストにてライヴ『笑顔がリュックしょってやってくる』(自身初の野外ライヴ)を行う。 9月29日 - 11月26日 - 『秋の味覚Tour1992』全国19か所のツアーを行う。 10月17日 - 11月23日 - 『学園祭Tour1992』 11月5日 - 単行本『しあわせの泣きぼくろ』(集英社編集)発売。 12月15日・16日 - 日本武道館にて『X'mas Parade'92秋の味覚Tour Special』2DAYSライヴを行う。 1993年
4月6日 - NHK-FM『ミュージック・スクエア』のパーソナリティとして放送開始。 7月12日 - 文庫本『愛は元気です。』(ソニー・マガジンズ編集)発売。 7月17日 - 8月22日 - 『日頃のご愛顧にお応えして'93夏の「御中元」Tour』日比谷野外音楽堂4DAYS、大阪城野外音楽堂2DAYSのライヴを行う。 9月19日 - 12月17日 - 『愛する人へTour』全国26か所のツアーを行う。 12月1日 - 毎年国際エイズデーに行われるエイズ啓発のためのコンサート『Act Against AIDS』(大阪城ホール)に出演。佐藤竹善とのデュエットで「The Greatest Love of All」を、ソロで「Not For Sale」を歌う。なおこの日の担当ラジオ番組『FUNKY STUDIO 802 MUSIC GUMBO』によせられたHIV感染者からの手紙をもとに「恋に落ちた」を作った。1年後の同コンサートにおいて披露された。 12月20日・21日 - 日本武道館にてクリスマスコンサート『X'mas Parade'93愛する人へFINAL』2DAYSを行う。 1994年
9月18日 - 1995年1月23日 - 『With II Tour '94~'95』全国31か所のツアーを行う。 11月3日 - 13日 - 『学園祭Tour』 12月20日・21日 - 日本武道館にてクリスマスコンサート『CHRISTMAS PARADE'94WithII』2DAYSを行う。 ソニーVIDEO CD demonstration disc 『Yumi Tanimura on VIDEO CD』(非売品)配布 1995年
1月23日 - 大阪厚生年金会館にて『With II Tour '94~'95 追加公演FINAL』ライヴを行う。 7月15日 - 文庫本『愛は元気です。II』(ソニー・マガジンズ編集)発売。 10月13日 - 1996年1月21日 - 『圧倒的に片想いTour'95〜'96』全国28か所のツアーを行う。 11月15日 - 初の写真集『Obrigada(オブリガーダ)』(アップフロントブックス発行)発売。 12月1日-大阪城ホールでの『Act Against AIDS』に出演。原由子と共演。 1996年
2月2日・3日 - 日本武道館にて『圧倒的に片想いFINAL』2DAYSライヴを行う。 2月9日 - 大阪城ホールにて『圧倒的に片想いFINAL』ライヴを行う。 10月21日 - 1997年1月26日 - 『LIVE LIVE LIVE~しあわせのかたち~'96~'97』全国28か所のツアーを行う。 12月25日 - 横浜アリーナにてクリスマスコンサート『The X'mas Show』を行う。 1997年
2月22日 - 大阪城ホールにて『LIVE LIVE LIVE〜しあわせのかたち〜FINAL』ライヴを行う。 10月16日 - 1998年1月24日 『CONCERT TOUR 1997~1998 "daybreak"』全国23か所のツアーを行う。 12月22日 - 23日 東京の赤坂BLITZでクリスマスコンサート『The X'mas Show Vol.2』を行う。 1998年
2月15日 - 大阪フェスティバルホールにてライヴ『CONCERT TOUR 1997~1998 "daybreak"』を行う。 9月30日 - FM802『FUNKY STUDIO MUSIC GUMBO』最終日。 12月12日 - 3枚目のベストアルバム『with III』リリース後、活動休止。 1999年
7月 - 大阪城ホール・横浜アリーナ・名古屋レインボーホールで行われた臍帯血バンク支援チャリティー「Pacific Heaven Club Band 『Pacific Heaven 1999』」に参加。スターダスト・レビュー、KAN、Something ELse、相田翔子、森高千里らと共演。 2000年
10月12日 - アップフロントワークスのプロダクション主体レーベルのzetimaに移籍し、復帰第1弾シングル「A・RA・WA」をリリース(作詞・作曲はシャ乱Qのまこと&たいせい、編曲は加藤道明)。 2001年
4月10日 - キーボード・マガジン 2001年05月号でコラム連載『谷村有美の「ちょっとマニアック」』開始。(2002年06月号まで掲載) 6月20日 - 復帰後、最初のアルバム『マイ・プレジャー』をリリース。 7月14日・21日 - ライブツアー『LOVE LIVE LIFE〜OVER THE RAINBOW 虹のかなたへ〜』を行う。 10月20日 - 日比谷野外音楽堂でのチャリティーイベント『Stand up! 2001』に出演。 12月1日 - 日本武道館での『Act Against AIDS』に出演。「恋に落ちた」を歌う。 12月16日 - 24日 - クリスマスコンサート『Love Live! Life? Chr 2002年
2004年
12月18日 - 20日 - 東京・渋谷のBunkamura内シアターコクーンでシアトリカル・コンサート『六月の雨』を公演。今までの持ち歌から舞台のストーリーに合った曲を歌う。劇団「双数姉妹」を主宰する小池竹見が構成・演出。 2005年
6月 - 第1子(男子)を出産。 10月 - ラジオ番組再開。12月、恒例のクリスマスコンサートを開催。 11月9日 - お台場・Zepp東京において『世界こどもの日スペシャル 笑顔になろう。笑顔にしよう。チャリティーライブ』に出演。出産後初のライブとなる。 2006年
12月18日 - 東京の「かつしかシンフォニーヒルズ」のモーツァルトホールにて『谷村有美と過ごすハートフルなクリスマスVol.4』と題する恒例のクリスマスコンサートを行う。 2007年
9月7日 - 11月17日 デビュー20周年記念企画として、弾き語りツアー『おでかけツアー2007 笑顔~もっとお側に~』を行う(6年ぶりの全国コンサートツアー)。 12月8日・9日 - 東京・めぐろパーシモンホールにて、デビュー20周年スペシャル企画第3弾『谷村有美と過ごすハートフルなクリスマスVol.5』と題する恒例のクリスマスコンサートを行う。 2008年
12月21日 - 東京・大田区民ホール・アプリコ大ホールにて、『谷村有美と過ごすハートフルなクリスマスVol.6』と題する恒例のクリスマスコンサートを行う。 その後も毎年コンスタントに弾語りをメインに「おでかけツアー」そして、クリスマス時期には「谷村有美と過ごすハートフルなクリスマス」と銘打つクリスマスコンサートは恒例となっている。 2011年には東京・丸の内コットンクラブでの単独ライブ2日間4公演を満員御礼のうちに成功させている。 2012年には、横浜・埼玉2公演、初日の次が千秋楽という過密スケジュールの中、お出かけツアーを成し遂げた。 ラジオ番組での支持ラジオDJ人気投票で5年連続第1位。歴代第1位は中島みゆき、渡辺美里等。5年連続首位は稀有。 FM802の人気FM番組、『FUNKY STUDIO 802 MUSIC GUMBO』のDJを開局時から9年8か月の長期間担当。根強い支持を受け続けた。この番組の最終回にて休養を初めて発表するなど、本人の思い入れの強い番組であった。 2004年からミュージックバード『それなりに月曜日』(産休による放送一時休止後『谷村有美のそれなりに+』に変更)にパーソナリティーとして出演。サイマルラジオでも配信された。2019年8月26日、番組内にて9月を以て卒業することを発表。約15年間の長期間担当した。 2019年9月に、会員制ファンコミュニティアプリ「fanicon」にて「谷村有美のおしゃべりカフェ」を開設し、有料配信を行っている。 曲に関する逸話1994年発売『恋に落ちた』 1996年発売シングル『FACE UP』 2001年発売シングル『エントランス』カップリング曲『名前のないうた』 1989年発売シングル『がんばれブロークンハート』 2024/06/16 23:36更新
|
tanimura yumi
谷村有美と同じ誕生日10月17日生まれ、同じ鹿児島出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
谷村有美と近い名前の人
話題のアホネイター
![谷村有美](https://if2.info/geinou/logo/谷村有美.gif)
最近追加された芸能人・有名人
りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「谷村有美」を素材として二次利用しています。