辰巳四郎の情報(たつみしろう) イラストレーター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
辰巳 四郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
辰巳四郎と関係のある人
辰巳四郎の情報まとめ
辰巳 四郎(たつみ しろう)さんの誕生日は1938年3月24日です。東京出身のイラストレーターのようです。
来歴、受賞歴などについてまとめました。卒業、退社に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
辰巳四郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)辰巳 四郎(たつみ しろう、1938年3月24日 - 2003年11月5日)は、日本のイラストレーター、装幀家。イラスト、ポスター、ブックデザイン、舞台美術など幅広く活動。娘はイラストレーターの辰巳(藤森)玲子、姪はシンガーソングライターの椎名林檎。 早稲田大学法学部卒業後、武蔵野美術大学に学んだ。ペン・鉛筆・筆・エアーブラシ等を使い、ヒヤリとした雰囲気の中に見る者を引きつける抽象画、緻密でありながら大胆なリアルイラストレーション、装幀では多重露光を用い、写真とイラストをフィルム上で合成するなど、常に新しい表現に挑戦しながら多種多様な作品を発表した。 電通に勤務していた頃から優れたブックデザイナーとして知られ、独立後はフリーのイラストレーターとして広告・エディトリアルなどを手掛け、晩年はデザイナーとして小説のブックカバーや装幀・装画の分野でも第一人者となった。特に講談社ノベルスをはじめとするミステリー小説の興隆を後押しした陰の立役者として、綾辻行人の『十角館の殺人』から始まった新本格ミステリ小説や京極夏彦・森博嗣らメフィスト賞受賞者の作品の装幀を一手に引き受け、90年代のミステリー小説ブームは辰巳のデザイン抜きでは語れないと言われるほどであった。 来歴1938年 - 東京都目黒区下目黒で出生。 1946年 - 父方の故郷・滋賀県愛知川に疎開。 1947年 - 父病死、東京へ戻る。 1950年 - 中野区立第五中学校入学。 1953年 - 都立石神井高校入学。 1957年 - 早稲田大学第一法学部入学。美術研究会に入部。 1959年 – 早稲田祭のパンフレットの表紙コンテストで金賞を受賞。審査員の亀倉雄策に出会い、デザイナーという職業を知る。 1961年 - 早稲田大学卒業。同時に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)本科デザイン科(商業デザイン専攻)に入学。 1962年 - 日本宣伝美術会展(日宣美)初入選。1965年まで3年連続で入選。 1965年 - 武蔵野美術大学卒業。電通入社。 1966年 - 「カフカ全集・審判」が日宣美特選に選ばれる。当時は、朝日広告賞、毎日広告賞などさまざまなコンペで賞金稼ぎに専念していた。 1967年 - 「ボードレール」「吠える」「法王庁の抜け穴」「ある微笑」の4点が日宣美特選、他2点が入選。 1968年 - 電通退社。フリーデザイナーになる。 1972年 - 「派兵」イラストでADC賞銀賞受賞。 2003年 - 11月5日、心不全により新宿三丁目のアトリエで死去。享年65。 受賞歴日本宣伝美術会展
入選(1963年) 入選(1964年) 特選(1966年) - 「カフカ全集・審判」 特選(1967年) - 「ボードレール」「吠える」「法王庁の抜け穴」「ある微笑」の4点 入選(1967年) - 2点 ADC賞
2024/06/11 05:06更新
|
tatsumi shirou
辰巳四郎と同じ誕生日3月24日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
辰巳四郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「辰巳四郎」を素材として二次利用しています。