近藤悠三の情報(こんどうゆうぞう) 陶芸家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
近藤 悠三さんについて調べます
■名前・氏名 |
近藤悠三と関係のある人
近藤正臣: 父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 - 1985年)、曾祖父に幕末の尊王攘夷運動家の近藤正慎がいる。 |
近藤悠三の情報まとめ
近藤 悠三(こんどう ゆうぞう)さんの誕生日は1902年2月8日です。京都出身の陶芸家のようです。
卒業、結婚に関する情報もありますね。1985年に亡くなられているようです。
近藤悠三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)近藤 悠三(こんどう ゆうぞう、1902年2月8日 - 1985年2月25日)は、日本の陶芸家。1977年に人間国宝に認定。本名は近藤雄三。染付の悠三で知られる。 陶芸家・近藤豊(1932年 - 1983年)は長男、陶芸家・近藤濶(ひろし)は次男、陶芸家・美術家の近藤高弘は孫にあたる。俳優の近藤正臣は親戚。幕末の尊攘運動家の近藤正慎は祖父。 京都市清水寺下出身。父・正平、母・千鶴の三男として生まれる。祖父である正慎は清水寺の寺侍であった。 1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。1917年に卒業後、同試験場で助手として勤務する。当時、河井寛次郎と濱田庄司が東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、悠三は濱田から窯業科学などを学んだ。 1921年に陶磁器試験場を辞め、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事。素地や釉薬などの技法だけでなく、制作に対する心構えについても指導を受けている。 1924年京都に戻った後、関西美術院洋画研究所でデッサンや洋画の研究をする傍ら、清水新道石段下に窯を構え制作を始める。この頃は染付の他に、釉裏紅や象嵌等の技法も用いた作品を発表していた。 1926年、24歳で中島光子と結婚。 1928年の第9回帝展で初入選を果たし、以後13回連続で入選する。他、文展などで多くの作品を発表。1950年には第6回日展で審査員を務めた。1955年に日本工芸会に所属。1956年、「山水染付壺」が第3回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。 1956年には岐阜県多治見市にて志野焼の研究をしている。以降は染付の制作に専念した。つけたてとぼかしを基調とした筆遣いによって濃淡を表し、ザクロや梅などをモチーフとして絵画的な表現をなした。さらに1960年以降、呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり、さらに独特の作風を確立した。 日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任。1953年、京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)陶磁器科助教授、1956年、同大学教授。1965年10月には学長に就任した。 1970年に紫綬褒章、1973年には勲三等瑞宝章受章、京都市文化功労者表彰。1974年京都府美術工芸功労者表彰。1977年4月25日、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定された。1980年、紺綬褒章受章。1982年、京都市名誉市民。 1985年2月25日逝去。「自分は、し残したことがあるので、生まれ変わっても陶芸家として生まれてくる」と生前に語っていた。叙従四位。 ^ “京都市名誉市民 近藤雄三(こんどう ゆうぞう)氏[近藤悠三]氏”. 京都市. 2022年9月7日閲覧。 表 話 編 歴 代理/学長 長崎太郎 1950/1950-1956 代理 須田国太郎 1956-1957 川村多実二 1957-1963 富本憲吉 1963 中田勇次郎 1963-1965 近藤雄三 1965-1969 近藤雄三 1969-1971 佐和隆研 1971-1974 代理 吉池浩 1974 梅原猛 1974-1980 佐藤雅彦 1980-1983 梅原猛 1983-1986 職務代行者 藤平伸 1974 職務代行者 浅井憲 1974 河野健二 1986-1992 上山春平 1992-1998 西島安則 1998-2004 中西進 2004-2007 潮江宏三 2007-2010 西島安則 2010 職務代行者 渡邊眞 2010-2011 建畠晢 2011-2015 鷲田清一 2015-2019 赤松玉女 2019- 事務取扱 大野盛郁 1909-1910 松本亦太郎 1910-1915 事務取扱 大森吉五郎 1915-1916 藤代禎輔 1916-1924 事務取扱 多久安信 1924-1925 心得/校長 辻宇之助 1925-1926/1926-1931 事務取扱/校長 菊池完爾 1931-1932/1932-1933 西山卯三郎 1933-1936 事務取扱 石川芳太郎 1936 事務取扱/校長 川村万蔵 1936/1936-1942 事務取扱 大石右一 1942 中井宗太郎 1942-1945 中井宗太郎 1945-1949 事務取扱 佐川一雄 1949 長崎太郎 1949-1952 代理 吉原好人 1952 堀場信吉 1952-1965 吉原好人 1965-1969 代理 吉池浩 1969-1970 代理 安部幸明 1970-1971 カテゴリ メディア 京都市立芸術大学 京都市立芸術大学 人物 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 日本の陶芸家 人間国宝 紫綬褒章受章者 紺綬褒章受章者 勲三等瑞宝章受章者 従四位受位者 京都市立芸術大学の教員 日本の大学学長 京都市出身の人物 1902年生 1985年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/17 10:11更新
|
kondou yuuzou
近藤悠三と同じ誕生日2月8日生まれ、同じ京都出身の人
TOPニュース
近藤悠三と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「近藤悠三」を素材として二次利用しています。