近藤芳久の情報(こんどうよしひさ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
近藤 芳久さんについて調べます
■名前・氏名 |
近藤芳久と関係のある人
広永益隆: 1998年7月7日のロッテ戦(GS神戸)で延長12回裏に、五十嵐章人の代打として登場した藤本博史の代打(代打の代打)に起用されると、近藤芳久からサヨナラ満塁本塁打を放った。 谷佳知: 初盗塁:同上、3回表に本盗(投手:近藤芳久、捕手:清水将海) 斉藤満: 金足農業高では3年夏に準決勝で能代商の近藤芳久に投げ勝ったが決勝で敗れた。 テリー=ブロス: 初本塁打:1996年4月29日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、近藤芳久からソロ 近藤昭仁: 16連敗中に迎えた7月7日のオリックス戦では先発したエース・黒木知宏が力投し、連敗ストップまであと一死まで迫ったところで同点本塁打を被弾し、3番手投手・近藤芳久がサヨナラ満塁本塁打を被弾したため、NPB新記録となる17連敗を記録した(「七夕の悲劇」)。 滝田一希: 担当スカウトは近藤芳久。 黒木知宏: 試合は延長で近藤芳久が広永益隆からサヨナラ満塁ホームランを打たれ、ロッテは日本プロ野球ワースト記録の17連敗となった。 井上祐二: 1996年10月に近藤芳久と共に無償トレードで、千葉ロッテマリーンズへ移籍した。 松井隆昌: 初本塁打・初打点:1991年8月30日、対中日ドラゴンズ15回戦(広島市民球場)、8回裏に近藤芳久の代打で出場、山本昌から左越ソロ 広永益隆: 代打サヨナラ満塁本塁打:1998年7月7日、千葉ロッテマリーンズ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、11回裏に藤本博史の代打で出場、近藤芳久から右越サヨナラ満塁本塁打 ※史上11人目(敗れたロッテの連敗日本記録が樹立) |
近藤芳久の情報まとめ
近藤 芳久(こんどう よしひさ)さんの誕生日は1965年9月7日です。秋田出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。近藤芳久の現在の年齢は59歳のようです。
近藤芳久のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 近藤 芳久(こんどう よしひさ、1965年9月7日 - )は、秋田県山本郡三種町出身の元プロ野球選手(投手)。 能代市立商業高では、2年夏県大会で6回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。1983年夏の甲子園秋田県予選準決勝に進出するが、金足農業高にコールド負けを喫する。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に進み、菊池総、三原昇らの先発陣をリリーフとして支える。1987年には全日本メンバーに選ばれた。1988年の日本選手権では、2回戦の日本たばことの対戦で勝利投手となり、チームの初優勝に貢献。他のチームメートに南渕時高、丹波健二らがいた。 1988年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名を受け入団。 1989年より一軍登板を果たす。 1991年になると一軍に定着し中継ぎとして起用される。 1993年にはリーグ最多の60試合に登板した。 1994年には先発も兼ね巨人戦4勝を含む11勝を記録。同年以降は、先発と中継ぎの併用で起用される。 1997年、無償トレードで井上祐二と共に千葉ロッテマリーンズに移籍。ロッテ時代は貴重な中継ぎとして活躍した。 1999年限りで現役を引退。 現役引退後は、スカウトとして広島に戻った。北海道・東北地区を担当し、石原慶幸、中村恭平、伊東昂大、大道温貴らの獲得に関わった。 『近ちゃんボール(速めの縦カーブ。達川光男が命名)』と呼ばれた変化球を持っていた。他にはスライダー、フォークも武器とした。 ロッテ移籍後、1998年7月7日にグリーンスタジアム神戸で行われた対オリックス戦で、ロッテが日本プロ野球ワースト新記録となる17連敗目を喫した際、延長12回裏にオリックスの広永益隆にサヨナラ満塁本塁打を打たれたのが近藤であった(なお、敗戦投手は藤田宗一)。 投球後にズボンのベルトが切れて交換したが、次の1球を投げるとまた切れてしまい、1イニングに2度交換したことがある。これは後にバラエティ番組で紹介され、そのとき同僚の黒木知宏は「甘いものばかり食べているから…」と語っている。 盗塁を阻止しようとしたキャッチャー・吉鶴憲治の二塁への送球が低めに外れ、マウンドにいた近藤の尻を直撃したことがある。さらに直後交代した河本育之がダイエーの吉永幸一郎にサヨナラホームランを打たれ敗戦投手となった。これも後にバラエティ番組で紹介され、「ついてないで賞」を受賞した。 地元秋田で勝利を飾りヒーローインタビューを受けた時、観客から「秋田弁でしゃべれー」と言われ苦笑いをしていた。 各年度の太字はリーグ最高 初登板:1989年5月18日、対阪神タイガース戦(広島市民球場)、3回表から救援登板、3回無失点 初勝利:1991年5月23日、対中日ドラゴンズ戦(岐阜)、7回2死から救援登板、2回1/3を1失点 初セーブ:1991年5月26日、対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)、7回裏から救援登板、3回無失点・完了 初完投:1994年6月25日、対ヤクルトスワローズ戦(札幌円山球場)、被安打5 奪三振2 四死球5 初完封:1994年7月8日、対読売ジャイアンツ戦(広島市民球場)、被安打7 奪三振4 四死球1 29(1989年 - 1999年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、234ページ ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P20 ^ “12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月24日). 2021年8月11日閲覧。 秋田県出身の人物一覧 広島東洋カープの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 個人年度別成績 近藤芳久 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1位:野村謙二郎 2位:佐藤裕幸 3位:畝龍実 4位:近藤芳久 5位:江藤智 6位:千代丸亮彦 日本の野球選手 東芝野球部の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 秋田県出身のスポーツ選手 1965年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2011年7月-12月 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/20 10:21更新
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kondou yoshihisa
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