井上祐二の情報(いのうえゆうじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
井上 祐二さんについて調べます
■名前・氏名 |
井上祐二と関係のある人
渡辺伸治: 初安打・初打点:1989年4月18日、対福岡ダイエーホークス戦(平和台球場)、10回弓岡敬二郎の代打で出場、井上祐二から左前適時打 秋山幸二: 秋山は熊本工業の大津一洋、柳川の中島輝士、都城の井上祐二と共に九州四天王と呼ばれていたが、自分の実力がプロで通用するとは思わなかったという。 杉浦忠: 終盤には井上祐二を抑えで起用し、定着させている。 川端一彰: 初本塁打:1996年6月2日、対広島東洋カープ11回戦(横浜スタジアム)、9回裏に井上祐二から左越3ラン ラルフ=ブライアント: しかし、7月1日の対福岡ダイエーホークス戦で、8回裏に井上祐二から14試合58打席ぶりとなる逆転2ラン本塁打をバックスクリーンに放ちチームの連敗を6で止めると、7月は月間本塁打11本と復調。 河村英文: 南海コーチ時代には選手にレポートを提出させることで知られ、加藤伸一・藤本修二・井上祐二を一人前に育てた。 萩原誠: 初本塁打:1995年7月13日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、7回表に井上祐二から2ラン 川口憲史: 初打点:1997年7月1日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(大阪ドーム)、9回裏に井上祐二から 島田茂: 初打点:1989年10月6日、対福岡ダイエーホークス24回戦(川崎球場)、9回裏に森田芳彦の代打として出場、井上祐二から適時二塁打 近藤芳久: 1997年、無償トレードで井上祐二と共に千葉ロッテマリーンズに移籍。 フェリックス=ペルドモ: 初出場:1996年6月30日、対読売ジャイアンツ15回戦(広島市民球場)、7回裏に井上祐二の代打で出場 川名慎一: 初盗塁:1990年9月30日、対福岡ダイエーホークス23回戦(東京ドーム)、6回裏に二盗(投手:井上祐二、捕手:大塚義樹) 藤田浩雅: 9月10日の広島戦(東京D)では大量ビハインドで守備で途中出場し、8回裏には井上祐二からソロ本塁打を打った。 林博康: 初打席・初安打・初本塁打・初打点:1990年6月29日、対福岡ダイエーホークス10回戦(平和台球場)、6回表に福澤洋一の代打として出場、井上祐二からソロ ※史上27人目の初打席初本塁打 大津一洋: 中島輝士、井上祐二、秋山幸二と共に九州四天王と呼ばれていた。 |
井上祐二の情報まとめ
井上 祐二(いのうえ ゆうじ)さんの誕生日は1963年3月2日です。宮崎出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。井上祐二の現在の年齢は61歳のようです。
井上祐二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 井上 祐二(いのうえ ゆうじ、1963年3月2日 - )は、宮崎県日南市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 都城高校では1979年、2年生の時にエースとして、1年上の与那城隆(のち巨人)とバッテリーを組み、第61回全国選手権大会に出場。2回戦(初戦)で足利学園から完投勝利を収めるが、3回戦では高知高の中平克弘(のち大倉工業)に抑えられ、敗退。翌1980年夏は、宮崎大会準々決勝で日向学院に延長16回の接戦の末に敗退、甲子園には届かなかった。 1980年のドラフト会議で南海ホークスから武藤一邦の外れ2位指名を受け、入団。 1981年10月2日の西武ライオンズ戦では、ドラフト制導入後の高卒ルーキーでは4人目となる初登板・初先発での勝利を挙げるなど、入団当初は先発で活躍した。 1982年には8月6日の阪急ブレーブス戦で警告が出た後の3回裏にボビー・マルカーノの頭部に死球を与え、同年パ・リーグに導入された危険球制度の適用による退場の第1号となっている。 1983年には6勝を挙げ、初めて規定投球回(18位、防御率5.21)に達する。 1984年に開幕してすぐに腎臓病が発症し、3ヶ月半入院した。翌85年まで体調が戻らなかった。 1986年途中からチーム事情により救援投手に回り、昭和60年代から平成初期によるホークスを支えた。 1989年にはリーグ最多登板を記録し、21セーブを挙げ、最優秀救援投手を受賞。年俸も1500万円増の4600万円(推定)とチームの投手で最高金額になっている。 1994年6月27日に金銭トレードで、広島東洋カープへ移籍した。広島では中継ぎとして復活を遂げる。 1996年10月に近藤芳久と共に無償トレードで、千葉ロッテマリーンズへ移籍した。 1997年シーズンをもって現役を引退した。 引退後もロッテに残り、1998年に二軍投手コーチ補佐、1999年と2000年は一軍投手コーチ、2001年は二軍投手コーチ、2002年から2009年までは再び一軍投手コーチ、2010年から2012年までは同ブルペンコーチを務めている。 2012年10月15日、球団からコーチ契約の更新をしない旨を通知された。 2015年より、社会人野球のJR東日本東北でコーチを務める。 2018年からはJFE東日本でコーチを務め、2022年限りでJFE東日本を退団した。 2023年は、社会人野球クラブチームのジェイファムでGM兼投手コーチを務めた。 各年度の太字はリーグ最高 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更 最優秀救援投手:1回(1989年) ファイアマン賞:1回(1989年) 初登板・初先発・初勝利:1981年10月2日、対西武ライオンズ後期13回戦(西武ライオンズ球場)、6回1失点 初奪三振:同上、1回裏に岡村隆則から 初完投:1982年5月13日、対阪急ブレーブス前期7回戦(大阪スタヂアム)、9回6失点で敗戦投手 初完投勝利・初完封勝利:1982年6月9日、対阪急ブレーブス前期9回戦(西京極野球場) 初セーブ:1983年7月18日、対近鉄バファローズ18回戦(大分球場)、8回裏1死に4番手として救援登板・完了、1回2/3無失点 1000投球回:1993年5月29日、対オリックス・ブルーウェーブ8回戦(福岡ドーム)、3回表2死目に飯塚富司を右飛で達成 ※史上249人目 52(1981年 - 1982年) 12(1983年 - 1994年途中、1997年) 27(1994年途中 - 1996年) 79(1998年 - 2012年) ^ 第61回全国高校野球選手権大会 都城 対 足利学園 - ウェイバックマシン(2009年8月2日アーカイブ分) ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ 読売新聞、1994年5月12日付夕刊、P.3 ^ 読売新聞、1989年12月15日付朝刊、P.19 ^ コーチ契約に関するお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月15日 ^ メンバー紹介 | ジェイファム(JFAM)ベースボールクラブ at the Wayback Machine (archived 2023年4月30日) 宮崎県出身の人物一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 広島東洋カープの選手一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 個人年度別成績 井上祐二 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1974 佐藤道郎 1975 村田兆治 1976 佐藤道郎 1977 江夏豊 1978 山口高志 1979 金城基泰 1980 金城基泰 1981 江夏豊 1982 江夏豊 1983 森繁和 1984 山沖之彦 1985 石本貴昭 1986 石本貴昭 1987 牛島和彦 1988 吉井理人 1989 井上祐二 1990 鹿取義隆 1991 武田一浩 1992 赤堀元之 1993 赤堀元之 1994 赤堀元之 1995 平井正史 1996 赤堀元之, 成本年秀 1997 赤堀元之 1998 大塚晶文 1999 B.ウォーレン 2000 R.ペドラザ 2001 R.ペドラザ 2002 豊田清 2003 豊田清 2004 三瀬幸司, 横山道哉 2005 小林雅英 2006 MICHEAL 2007 馬原孝浩 2008 加藤大輔 2009 武田久 2010 B.シコースキー 2011 武田久 2012 武田久 2013 益田直也 2014 平野佳寿 2015 D.サファテ 2016 D.サファテ 2017 D.サファテ 2018 森唯斗 2019 松井裕樹 2020 増田達至 2021 益田直也 2022 松井裕樹 2023 松井裕樹 2024 則本昂大 表 話 編 歴 1位:山内和宏 2位:井上祐二 3位:刀根剛 4位:山田勉 日本の野球選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 最多セーブ投手及び最優秀救援投手 (NPB) 日本の野球指導者 社会人野球指導者 東日本旅客鉄道のスポーツ関係者 JFEグループのスポーツ関係者 都城高等学校出身の野球選手 宮崎県出身のスポーツ選手 1963年生 存命人物 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/24 04:42更新
|
inoue yuuji
井上祐二と同じ誕生日3月2日生まれ、同じ宮崎出身の人
TOPニュース
井上祐二と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「井上祐二」を素材として二次利用しています。