秋山幸二の情報(あきやまこうじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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秋山幸二と関係のある人
落合信子: 他球団の選手とも交流があり、現役時代の博満と本塁打王争いをしていた秋山幸二に「いつまでも主人のいいライバルでいて下さいね」と声を掛けたことがある。 和田博実: 広岡達朗監督時代からはアメリカのマイナーリーグ「サンノゼ・ビーズ」などへの若手選手の野球留学を引率し、秋山幸二、工藤公康、大久保博元、田辺徳雄、鈴木健などの選手を育て上げた。 ブライアン=トラックスラー: 前半戦は、よく似た体型ながら1993年にフィラデルフィア・フィリーズをワールドシリーズへ導く働きを見せた一塁手のジョン・クラックを髣髴とさせるパワーと巧打ぶりを発揮し、クラック同様に主砲・秋山幸二の前を打つ3番打者としてなかなかの働きを見せた。 浦田直治: スカウト専任に戻った後は秋山幸二・伊東勤・工藤公康といった金の卵を獲得し、発足間もない弱小球団を「3年、5年先を考えた」ドラフト戦略で常勝軍団に育てていった。 内川聖一: キャプテン制を敷くのは2012年シーズンの小久保裕紀以来で、球団の福岡移転後では、秋山幸二(1999年~2002年)、小久保裕紀(2009年~2012年)に次いで歴代3人目となる。 郭泰源: 本拠地・西武ライオンズ球場での最終戦となる10月5日の対ダイエー戦の先発が引退登板となり、長年チームメイトでもあった秋山幸二がダイエーの1番打者として出場し、全て直球を投げ、中飛に打ち取った。 吉村裕基: 秋山幸二の大ファンであり、横浜在籍中の2007年、大矢監督の意向でシーズンは一塁手となっていたが秋山への憧れから再び外野挑戦を表明した。 武田一浩: ダイエー時代の後輩である城島健司からは、工藤公康と並んで師として慕われている ほか、武田自身も工藤や、秋山幸二を師と仰いでいる。 松中信彦: 一軍監督・秋山幸二による起用法への不満によるものとされたため、球団では翌14日に松中の登録を再び抹消した。 タイラー=バークレオ: 3番・秋山幸二、4番・清原和博の後を打ち、3人はAKB砲といわれた。 秋山真凜: 父は元野球選手・監督の秋山幸二(元西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス) 杉下茂: 杉下は、当時の西武に清原和博・秋山幸二、投手も工藤公康などが揃った黄金時代だったことから「寝ていても勝てるような布陣」と述べている。 広岡達朗: 福岡ソフトバンクホークスの監督として日本一に輝いた秋山幸二は、アメリカの教育リーグと広岡野球を心酔して招聘された長池徳士によって育てられた。 柴原洋: 2004年、秋山幸二(2002年に引退)の背番号を1を受け継ぐ。 オレステス=デストラーデ: ライオンズも、中心には秋山幸二、清原和博、そして私の『AKD砲』がいましたが、森監督というジャクソンのような指揮官がいて、ブルズよりも優秀なサポート役の選手たちがいました」と述べている。 渡辺智男: オフに佐々木誠、村田勝喜、橋本武広3選手との大型交換トレードで秋山幸二、内山智之両選手とともにダイエーに移籍した。 大隣憲司: 10月30日はベンチ裏の選手サロンで日本一決定の瞬間を迎えたが、秋山幸二監督、松田選手会長に続き胴上げされ5度宙に舞った。 久保田和靖: カセットテープを食べ~る~、食べ~る~♪(西武ライオンズ時代の秋山幸二の応援歌の替え歌) 飯田優也: 6月22日、7勝でチーム勝ち頭の中田賢一が前回登板で右膝に打球を受け出場選手登録を抹消されたため、未勝利ながら監督の秋山幸二により、セ・パ交流戦の優勝がかかった対読売ジャイアンツ戦の先発に抜擢された。 福田秀平: 2010年オフに秋山幸二監督の助言により左打ちに専念し、左腕対策としては川﨑宗則のアドバイスにより、ベースラインぎりぎりに立っていた打席を、ベースから少し離れて外角には思い切り踏み込むようになった。 門田博光: 1988年の球宴では指名打者部門が設置されておらず、秋山幸二・平野謙と共にパ・リーグ外野手部門でファン投票選出され、ナゴヤ球場での第2戦に3番・右翼手で先発出場。 清水雅治: 同日、相手チームの福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)で引退を表明していた、かつて西武の人気選手だった秋山幸二の引退セレモニーも行われ、対戦チーム同士で引退選手を送り出すという粋な演出であった。 中田昌宏: 1961年に記録したシーズン121三振は、1984年に西武ライオンズの秋山幸二に抜かれるまで、日本人の最多三振記録だった。 広岡達朗: 特に西武時代の教え子からは、田淵幸一・東尾修・石毛宏典・伊東勤・渡辺久信・秋山幸二・工藤公康・大久保博元・田辺徳雄・辻発彦の10人の一軍監督を輩出、うち6人が優勝監督となっている。 江川智晃: 2005年、当初編成は中堅手に転向させるつもりで獲得したが、当時二軍監督だった秋山幸二の方針により、将来の主軸候補として1年目から二軍の4番・遊撃手として英才教育を受けた。 和田毅: 入団の理由に、秋山幸二の引退試合での、福岡のファンの温かさへの感動を挙げている。 高塚猛: しかし、その一方で、球団代表時代の1999年に日本シリーズMVPを獲得するなど、キャプテンとして日本一に貢献した秋山幸二を減俸し、工藤公康との交渉の際に「家族サービスも考慮に入れた、君の登板である火曜日には観客の入りが悪い」と言い放ち、これに工藤が不信感を持ち「出ていくしかないのかな?」と発言。 広橋公寿: 同期のドラフト外入団に秋山幸二がいる。 衣笠祥雄: 6月14日に野村克也の抜き通算三振記録が1位となる、2000年6月1日に秋山幸二が更新。 内山智之: 1993年のシーズン終了後に、佐々木誠・村田勝喜・橋本武広との交換トレードで秋山幸二・渡辺智男両選手と共に福岡ダイエーホークスに移籍。 |
秋山幸二の情報まとめ
秋山 幸二(あきやま こうじ)さんの誕生日は1962年4月6日です。熊本出身の野球選手のようです。
結婚、現在、引退、再婚、テレビ、離婚、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。秋山幸二の現在の年齢は62歳のようです。
秋山幸二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者、野球評論家。 現役時代は西武ライオンズと福岡ダイエーホークスに所属。2005年には福岡ソフトバンクホークス二軍監督に就任。2007年は一軍総合コーチ、2008年は一軍チーフコーチを歴任し、2009年シーズンから2014年シーズンまで一軍監督を務めた。 2012年には、東日本大震災復興支援ベースボールマッチで日本代表監督を務めた。 小学3年生時に少年野球チームに入団した。父はハイジャンプ、母は砲丸投げの元選手。 熊本県立八代高等学校に進学し、野球部に入部。監督の「お前は背が高いからピッチャーだ」の一言で投手になり、3年生時の1980年春の九州大会で準優勝。最後の夏の甲子園熊本県予選では、決勝で大津一洋と伊東勤がバッテリーを務めていた熊本工高に4-6で敗れた。 当初から12球団のスカウトに注目されていたものの、大学への進学意思が強く、ドラフトでは指名されなかった。しかし、ドラフト終了後にプロ入りを表明し、読売ジャイアンツ、阪急ブレーブス、広島東洋カープとの争奪戦の上、西武の熱心な説得と「君を打者として育てたい」という言葉が決め手になり、1981年1月にドラフト外で西武に入団した。秋山は熊本工業の大津一洋、柳川の中島輝士、都城の井上祐二と共に九州四天王と呼ばれていたが、自分の実力がプロで通用するとは思わなかったという。 秋山は西武の担当スカウトだった浦田直治から「君には4年後西武ライオンズのサードを守り、そしてクリーンナップを打ってもらいたい」と言われ、入団当時の監督である根本陸夫は、「野球をやっていなかったら、オリンピックの十種競技の選手になれた」と惚れ込んでいる。当時西武のコーチだった伊原春樹も著書に「運動神経が抜群で、脚力50メートル5秒台、遠投120メートル。鉄棒やマット運動をやらせても、体操選手だったのかと思うほど、簡単にこなします。ご存知のように、バック宙もお手のもの。あの体の大きさで、これだけの身体能力を持った選手は、後にも先にも見たことありません」と記している。 西武入団当時の背番号は71で、入団と同時に三塁手に転向。1年目の1981年は消化試合で初の一軍昇格を果たし、初ヒットを放っている。2年目の1982年は背番号を24に変更し、一軍出場はなかったが、イースタン・リーグでは.300、13本塁打で当時のリーグ記録を打ち立てて本塁打王を獲得している。 1982年から3度、野球留学でアメリカ合衆国に渡り、マイナー1A級・カリフォルニアリーグのサンノゼ・ビーズ(1983年5月28日 - 8月28日)と、アリゾナ教育リーグのヒューストン・アストロズ傘下球団・アリゾナ・アストロズでプレーし、高く評価された。 1984年、春季キャンプから一軍入りし、7番・三塁手として開幕戦に先発出場し、4月14日にプロ初本塁打。しかし怪我をしたこともあり、54試合出場にとどまる。二軍では、21試合で.354、11本塁打、26打点を記録している。 1985年、主に6番打者として三塁のレギュラーに定着。王貞治と並ぶ史上最年少(23歳)での本塁打40本を記録。この年から2002年まで18年連続でオールスターゲームに出場している。 1986年、監督が広岡達朗から森祇晶に交代し、開幕を5番で迎えるが、新外国人のジョージ・ブコビッチの不振により4番を任され、41本塁打、115打点(打点王の落合博満に1点差)を記録。この年は外野手としての公式戦出場は32試合だけだったが、初のベストナインに外野手として選出された。同年の日本シリーズでは史上唯一の第8戦で、「バック宙ホームイン」を披露した。シーズン終盤、ルーキーの清原和博と4番を交替し3番に座ったことが好結果を生み、以降は3番・秋山、4番・清原が定着したことから、AK砲が誕生した。オフに背番号を1に変更した。この年のオフに最初の結婚をしている。 「バック宙ホームイン」は、秋山の地味なイメージを払拭するために「何か派手なパフォーマンスを」と考え出されたもので、文化放送ライオンズナイターのベンチリポーターだったプロ野球コメンテーター・中川充四郎のアイデアであり、中川が番組内で秋山に約束させた(元々は「サヨナラホームランを打ったらバック宙をする」という約束だった)。初披露は1986年の日本シリーズ第8戦(広島市民球場)6回の同点本塁打ホームイン時で、三塁ベースコーチの近藤昭仁一軍守備走塁コーチに「やっていいですか?」と許可を得てから行った。またこのバック宙の際、最後の両足の着地と同時にその足がホームベースを踏んでいるというつもりであったが、少し手前で着地してしまったため、後ずさりするような形でホームを踏んだ。日本シリーズでは1990年の巨人戦、1991年の広島戦でも披露。最後となった広島戦では、着地後尻もちをつき、以後封印することとなった。1991年のシリーズで披露したホームインはアメリカのスポーツ専門ケーブル局であるESPNのスポーツセンターでプレイ・オブ・ザ・デーで紹介されたこともある。公式戦では1987年6月28日の日本ハム戦、1991年5月2日のロッテ戦で、いずれもサヨナラ本塁打を打った時に披露しているが、1987年の時は着地点がホームベースを通り越していたため、前かがみで右手でホームにタッチしている。 1987年、俊足と強肩を生かすため、本格的に外野手に転向。同時に遊撃手だった石毛宏典が秋山の守っていた三塁手にコンバートされた。秋山は3番・中堅に固定され、西武打撃陣が軒並み打撃成績を落とす中、秋山一人が成績を維持し、5月21日に日本人最速で通算100本塁打を達成し、最終的に43本塁打で3年連続40本塁打をクリアした。前年オフに本塁打王の常連であった落合がセ・リーグの中日に移籍したこともあり、初の本塁打王のタイトルを獲得した。史上初の40本塁打・40盗塁も期待されたが、38盗塁で達成はならなかった。 1988年、自己最多の151安打を放つ。中日との日本シリーズ第4戦では、杉本正から本塁打を放ち、リーグ4連覇、3年連続日本一に貢献した。 1989年は、シーズン途中にオレステス・デストラーデが加入し、ハイペースで本塁打を量産した。この3番秋山、4番清原、5番デストラーデと続くクリーンナップは、「AK砲」に続く「AKD砲」と呼ばれた。秋山は初の打率3割を記録し、打率.301、31本塁打、31盗塁で、日本プロ野球史上5人目のトリプルスリーを達成した。 1990年には盗塁王を獲得。35本塁打、51盗塁を記録し、プロ野球史上初の30本塁打・50盗塁を達成し、史上初の本塁打王受賞経験者による盗塁王となった。また、2年連続300刺殺(フライアウト)を達成し、外野手としての評価も確立する。秋山の推定年俸は8,400万円で、このオフの契約更改で1億円プレーヤーになるかと期待されたが、清原を名実ともにチームの顔にしたいと考える球団の意向により、秋山は推定9,800万円の掲示を受ける。秋山はこれを不服として保留したが、最終的に同額で更改した。契約更改において一発でサインしなかったのはこの年だけである。球団から「1億円プレーヤーとなるには君には華が足りない」と言われたことが、翌年のモチベーションアップに繋がったと本人は話している。 1991年は、2度のサヨナラ本塁打を含む、3度のサヨナラ打を放ち、チームを引っ張った。オールスターゲーム第2戦での12回表、右目に自打球を当て負傷退場し、右目の視力は0.7から0.2にまで低下したものの、日本シリーズでは4本塁打を放ち、MVPを受賞している。これらの活躍が評価され、正力松太郎賞を初受賞し、推定年俸は1億4,000万円と大幅アップした。 1992年、前年に引き続き安定した成績を挙げ、チームも3年連続パ・リーグ優勝を達成。日本シリーズでは2度の決勝打を放つなど3年連続となる日本一に貢献し、優秀選手賞を受賞した。 1993年は、8月21日・8月22日の日本ハム戦で、1957年に坂本文次郎(大映ユニオンズ)が達成して以来日本プロ野球史上36シーズンぶり3人目、パ・リーグ史上2人目となる2試合連続の満塁本塁打を放つなど、30本塁打を記録した(9年連続30本塁打以上は現在もパ・リーグ記録)。しかし、打率は.247と低調で、日本シリーズでは3本の本塁打以外のヒットはなく、6戦目以降はクリーンナップを外れて6番に回った。 同年シーズンオフ渡辺智男、内山智之と共に、ダイエーの佐々木誠、村田勝喜、橋本武広との3対3の大型トレードが発表されダイエーに移籍した。 常勝球団の西武からBクラス常連のダイエーに移籍した秋山は、ダイエー選手たちの「勝ちたい」という意識が薄いことに愕然としたという。控え室で遊んでいる選手もいる始末で、常勝西武の控え室を知っている秋山にとって、彼らの態度は信じ難いものであったという。同じく翌年、西武からダイエーにFA移籍した工藤公康も自著において、森が監督だった時代の西武の控室は、他の選手に近寄り難い緊張感があったと綴っている。監督の王貞治は、西武から移籍の工藤、日本ハムから移籍の武田一浩と共に、甘えの体質を変えてくれたと述べている。著書の中でも当時のダイエーについて「ロッカーでも野球と全く関係のない話を平気でしていたし、言葉で言い表すのは難しいが、何かがバラバラでなぁなぁだった。みんな好き勝手プレーしているように見えた」と記している。 秋山の背中を見て小久保裕紀が育ち、さらに後を追うように松中信彦、城島健司、井口資仁、川﨑宗則など秋山の薫陶を受けた選手達が強豪ホークスを支える選手として育ち、現在の若手選手は彼らを手本として練習に励む(NHKプロ野球70周年の特番で水島新司が秋山本人の前で証言)。小久保は王と秋山について「尊敬する野球人」と述べ、秋山に対する印象を質問されて「常にプロ意識を持っていた。『できないのは選手が悪い、プロならできて当たり前』という考え方。決して『人間ならそのくらいのミスはあるさ』といった姿勢がみられない。言い訳をしない。その姿勢と意識の高さを学んできた。」、松中も「秋山さんはプレーで示してくださる方でした。秋山さんのプレーからは、チームを引っ張るには、ああいうプレーが必要なんだと、感じるものがありました」と語っている。川崎は「何も語らない人だった。その代わりに、いつも球場にいた。何歳になっても誰よりも長くグラウンドにいるのが秋山先輩だった。最初に打って、若い選手と一緒に最後までいる、その姿に教えられることは多かった」と著書に記している。 1994年9月17日のロッテ戦から10月7日の西武戦まで11試合連続で長打を放ち、プロ野球史上最長記録となった。かつて落合博満が現役時代で唯一の「アーチスト」と認めた打撃は、広い福岡ドームにより9年連続で続いていた30本塁打を割り、また長打を狙うことにより腰痛を悪化させたが、以降はマイナーチェンジを図り、自ら率先してチームに勝つためのイロハを示した。同年、FA権を取得した。以後、秋山は獲得したFA権を行使せずに引退した。秋山がダイエーに残留した後に聞いた話によると非公式で巨人、古巣の西武、サンフランシスコ・ジャイアンツがオファーを検討していたという。特に西武では、堤義明オーナーの厳命で、退団しメジャーに復帰していたデストラーデを呼び戻して、秋山と清原で再びクリーンナップを組ませる構想があったとされ、西武のフロントにも「お前さえその気だったら間違いなく手を挙げていた」と言われたという。この年のオフに再婚している。 1999年からは、ダイエーの初代主将に就任した。シーズン終盤からは不振の柴原洋に代わって1番・右翼手で出場し、チームを牽引した。西武との優勝争いの最中であった9月8日の西武戦で、松坂大輔から顔面に死球を受け、頬骨を骨折するが、次の試合ですぐにベンチに復帰し、フェイスガード付きの特製ヘルメットを作ってスタメン復帰し、9月25日の日本ハムとの優勝決定試合では、先制点となる先頭打者本塁打を放つなど、ダイエー初の優勝に大きく貢献した。中日との日本シリーズでは、第1戦で野口茂樹から先制本塁打、第2戦で川上憲伸から先頭打者本塁打、第3戦では守備でナゴヤドームの高い右翼フェンスを駆け上がり飛球をキャッチし、その後一塁走者も補殺するというファインプレーを披露するなどの活躍を見せ、日本シリーズMVPを獲得した。プロ野球史上最年長(2011年に小久保裕紀が40歳で記録更新)、及び史上初の2球団での日本シリーズMVP受賞となった。このシーズンで300盗塁を決めたが後に糸井嘉男に更新されるまでは300盗塁を決めた最年長記録でもあった。 2000年、開幕戦では1番に起用され、先頭打者本塁打を放つ。8月18日のロッテ戦(北九州市民球場)で黒木知宏から、出場2,000試合目で2,000安打を達成した。史上28人目、ドラフト制度確立後のドラフト外入団選手では史上初となった。6月1日の日本ハム戦で生駒雅紀から通算1,588三振を記録し、衣笠祥雄を抜き歴代1位となった(2004年4月4日に清原和博が記録更新)。 2001年は、キャンプ中に右肩を痛め、二軍で開幕を迎えた。2年ぶりの2桁本塁打を記録するも、82試合の出場に終わった。 2002年、「優勝が現実的に遠のき、気持ち的にもやっていくことがなくなった」と語り、8月26日に現役引退を表明した。引退試合は10月5日の西武ドーム、10月6日の福岡ドーム双方で行われ、西武ドームでは秋山が打席に入ると、ダイエーの応援団からはダイエーの応援歌が、西武の応援団からは西武時代の応援歌がそれぞれ交互に演奏された。西武ドームでの試合後には西武の選手たちから、福岡ドームでの引退試合ではダイエーの選手たちから胴上げされた。現役最終打席はライトライナーであった。背番号1は、柴原洋が1番の継承を希望し、秋山も了承したため永久欠番とはならなかった。 2003年から2004年までRKB毎日放送・TBSテレビ・TBSラジオ野球解説者、西日本スポーツ野球評論家として活動した。文化放送ライオンズナイターにゲスト出演することもあった。 2005年、ダイエーの後身である福岡ソフトバンクホークスの二軍監督に就任し、松田宣浩や本多雄一を育てた。2007年・2008年は一軍総合コーチ、一軍チーフコーチを歴任し、体調不良で出場辞退した王に代わり、コーチとして初めてオールスターゲームへ出場した。 2008年9月23日、シーズン終了を以って退任を表明した王の後任として、10月2日に3年契約での監督就任を発表した。 就任2年目の2010年9月26日、チームを7年ぶりのリーグ優勝へと導いた。しかし、クライマックスシリーズではロッテに敗れ、日本シリーズ出場はならなかった。 2011年10月1日、プロ野球史上初の全球団勝ち越し・2位以下に17.5ゲーム差という圧倒的な強さでチームを2年連続リーグ優勝に導く。11月5日のクライマックスシリーズファイナルステージでは西武に3連勝し、8年ぶり14度目(南海時代含む)の日本シリーズ出場を決めた。日本シリーズでは、クライマックスシリーズ・セの覇者となった中日を4勝3敗で破り、福岡ソフトバンクホークスとして初、そして監督就任後初の日本一を達成した。 2014年1月17日、野球殿堂博物館より佐々木主浩、野茂英雄の元メジャーリーガー2人と共に、競技者表彰による野球殿堂入りしたことが発表された。チームはシーズン最終戦にリーグ優勝を決めたが、進出を決めていたクライマックスシリーズファイナルステージ直前の10月14日に同年限りでの監督退任が発表された。CSでは日本ハムに4勝3敗で勝利し、日本シリーズに進出。阪神との日本シリーズでは、4勝1敗で3年ぶりの日本一となった。「日本一監督」の退任は史上2人目のことだった。監督時代は長谷川勇也・明石健志・柳田悠岐・中村晃・今宮健太らを育てた。退任理由は脳腫瘍を患っている妻の介護であり、退任直後の12月9日に、妻と死別している。 2015年より、再びRKB毎日放送解説者、西日本スポーツの評論家を務めている。 西武時代は走攻守の三拍子揃った選手として黄金時代を支えていた。打撃では三振が多く、変化球で崩されることも多かったが、かなりの角度で円を描く本塁打から長嶋茂雄は秋山を「本当のホームランバッター」と評している。落合博満にも「本当のホームランバッターは田淵幸一さんと秋山だけ」と言わしめた。 若手時代に野球留学したアメリカのマイナーリーグで評価されたことや、西武のレギュラーとなった後に日米野球で対戦したメジャーリーガー・関係者に高く評価されたことから、後に「メジャーに一番近い男」と呼ばれた。共にクリーンアップを担っていたチームメイトの清原和博は「自分は日本専門の選手だけど、秋山さんならメジャーでも通用する」と語り、オレステス・デストラーデも「秋山ならすべてのメジャー球団で主力選手として活躍できる」と語っている(他方で、精神的な準備面から「実際にメジャーリーグに行っていたら、成功するのは難しかったと思う」とも述べている)。 ラルフ・ブライアントも「日本で一番すごいと思った打者は秋山」だと語っている。また、メジャーリーグで10年プレーした後に読売ジャイアンツへ在籍したウォーレン・クロマティは、秋山を「ミート、パワー、スピード、ディフェンス、バッティング、スローイング、全てを兼ね備えている5ツールプレイヤーであり、メジャーでもすごいスターになれただろう」と評している。マット・ウインタースは「米国でプレーしてもオールスターになれたと思う」と述べている。 選手時代は5月に好調となることが多く「ミスターメイ」と呼ばれていた。秋山は月間MVPを3回獲得しているが、うち2度は5月である。5月に活躍できた理由としては、開幕直後は花粉症の症状に悩まされ、花粉症の治まる頃から野球に専念できたからとのこと。 大久保博元は「現役時代に見た中で一番練習量が多かった人」「やらされている練習をやりたい練習に変える人」と自身の公式YouTubeチャンネルの動画で評している。1987年のある時、一軍の試合中にも室内練習場で長池徳士の指導を受けながら打撃練習をしていたことがあり、その日は午後8時から始まった打撃練習が休憩なしで午後11時まで続いていた。 現役時代にテレビ番組『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に出演し、THE GALLON THROWでは当時のスポーツマン記録である5m70cmを大きく上回る6m20cmを記録。秋山は「超人」と評されている。同大会で行われた50メートル走では6秒53を記録している。 ソフトバンク監督時代(当時47 - 52歳)においても、選手の打撃練習に加わって柵越えの打球を放つ、ブルペンで100球以上投げ込み球速は130キロ以上を記録するなど高い身体能力を維持しており、その信憑性からエイプリルフールのネタとして秋山の現役復帰が発表されたこともあった。2023年にも投球を披露したが、このときにも評価が高く、ファンを感嘆させていた。2024年の西部OB戦の際も61歳にして好打・好守にロンダートを決め、『(パーソル パ・リーグTV公式)PacificLeagueTV』の動画でもピックアップされた。 愛称は「アキ」。 1994年に再婚した夫人との間に一男一女が生まれたが、2001年に誕生した長男は生後間もなく亡くなっている。夫人は2014年の日本シリーズ終了後に亡くなった。一人娘として育った長女は元アマチュアゴルフ選手で、2019年にタレントに転向した秋山真凜。離婚した前夫人との間には二男がいる。 フリーアナウンサーの片平夏貴(東国原英夫の元妻)は義妹(夫人の実妹)にあたる。作家の豊福きこうとは八代高校時代の同級生である。 2003年11月21日に行われた福岡県築上郡築上町の椎田中学校体育館落成式では、数学者の秋山仁を招待し記念講演を行う予定で依頼を出し、準備を進めていたが、プロモーターの手違いで、秋山仁では無く同姓の秋山幸二に講演のオファーが出ており、当日秋山仁による講演会の準備が完了していた時点で、秋山幸二が会場に現れるという珍事が起きた。校長や町長らが秋山に対し謝罪した上で改めて「是非講演をお願いしたい」とお願いし、秋山は講演を引き受けた。この珍事から12年越しの2015年4月5日に、同町の文化会館コマーレにて講演会が開催され、自ら当時の講演までの成り行きやエピソードを語った。同じく秋山仁の講演会が同年9月27日に同じ文化会館コマーレにて開催され、秋山仁は12年前の出来事から「今度こそ、本物の秋山仁です」と語って会場内から拍手喝采を浴びた。 各年度の太字はリーグ最高 通算成績には2008年8月14日の監督代行1試合(敗戦)を含む 太字は日本一 勝敗の太字は勝利したシリーズ 本塁打王:1回 (1987年) 盗塁王:1回 (1990年) 最多勝利打点:2回 (1985年、1987年) ベストナイン:8回(外野手部門:1986年 - 1993年) ※外野手部門を8年連続は福本豊に次ぐ歴代2位タイ(他に山本浩二、松井秀喜) ゴールデングラブ賞:11回(外野手部門:1987年 - 1996年、1999年) ※福本豊の12回に次ぐ、歴代2位タイ・外野手部門歴代2位。10年連続も福本に次ぐ歴代2位タイ(他に山本浩二、菊池涼介)。
野球殿堂競技者表彰(2014年) 正力松太郎賞:3回(1991年、2011年、2014年) ※1991年は選手として表彰、選手と監督の両方での受賞は王貞治以来2人目。 月間MVP:3回(1985年5月 野手部門:1990年9月、1991年5月) 日本シリーズMVP:2回(1991年、1999年) ※2球団でのシリーズMVP獲得は史上唯一、8年のブランク受賞は同賞史上最長。 日本シリーズ優秀選手賞:2回(1987年、1992年) オールスターゲームMVP:1回(1994年 第1戦) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:2回(1991年、1992年) パ・リーグ最優秀監督賞:3回 (2010年、2011年、2014年) 報知プロスポーツ大賞:1回(1991年) 福岡市スポーツ栄誉賞:1回(2002年) 氷川町町民栄誉賞(2009年) 熊本県県民栄誉賞(2014年) 初出場・初先発出場:1981年9月29日、対近鉄バファローズ後期13回戦(日生球場)、7番・三塁手で先発出場、3打数1安打 初安打:同上、4回表に谷崎浩二から左中間三塁打 初盗塁:1984年4月2日、対南海ホークス3回戦(西武ライオンズ球場)、2回裏に二盗(投手:藤田学、捕手:香川伸行) 初打点:1984年4月4日、対ロッテオリオンズ2回戦(西武ライオンズ球場)、2回裏に深沢恵雄から押し出し四球 初本塁打:1984年4月14日、対阪急ブレーブス2回戦(西武ライオンズ球場)、2回裏に森浩二から左越ソロ 100本塁打:1987年5月26日、対日本ハムファイターズ7回戦(西武ライオンズ球場)、6回裏に佐藤誠一から中越ソロ ※史上149人目、351試合目での達成は山川穂高に次ぐ日本選手2番目の速さ 150本塁打:1988年7月31日、対阪急ブレーブス19回戦(阪急西宮球場)、9回表に佐藤義則から左中間へソロ ※史上87人目、528試合目での達成は山川穂高に次ぐ日本選手2番目の速さ 200本塁打:1990年4月19日、対ロッテオリオンズ1回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に小宮山悟から左越2ラン ※史上59人目、714試合目での達成は田淵幸一に並ぶ日本選手最速 250本塁打:1991年6月26日、対日本ハムファイターズ12回戦(西武ライオンズ球場)、1回裏に酒井光次郎から左越ソロ ※史上31人目 1000安打:1992年5月14日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(西武ライオンズ球場)、5回裏に小宮山悟から ※史上165人目 1000試合出場:1992年6月10日、対オリックス・ブルーウェーブ9回戦(グリーンスタジアム神戸)、4番・中堅手で先発出場 ※史上301人目 300本塁打:1993年4月11日、対福岡ダイエーホークス2回戦(西武ライオンズ球場)、1回裏に若田部健一から左越先制2ラン ※史上22人目 1000三振:1993年8月24日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回表に星野伸之から ※史上17人目 350本塁打:1994年10月1日、対日本ハムファイターズ27回戦(福岡ドーム)、8回裏にキップ・グロスから右中間へ決勝2ラン ※史上16人目 1000打点:1996年4月7日、対西武ライオンズ2回戦(福岡ドーム)、3回裏に西口文也から左犠飛 ※史上23人目 1500安打:1996年5月3日、対オリックス・ブルーウェーブ6回戦(福岡ドーム)、6回裏に鈴木平から一塁内野安打 ※史上70人目 1500試合出場:1996年5月22日、対西武ライオンズ9回戦(西武ライオンズ球場)、3番・中堅手で先発出場 ※史上115人目 3000塁打:1996年7月3日、対西武ライオンズ15回戦(西武ライオンズ球場)、1回表に潮崎哲也から右越先制決勝ソロ ※史上33人目 1000得点:1996年8月15日、対日本ハムファイターズ21回戦(東京ドーム)、4回表に吉永幸一郎の内野ゴロで生還 ※史上28人目 300二塁打:1998年5月27日、対オリックス・ブルーウェーブ9回戦(福岡ドーム)、9回裏にマーク・ミムズから中越適時二塁打 ※史上34人目 400本塁打:1998年6月16日、対オリックス・ブルーウェーブ11回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回表に木田優夫から左越決勝2ラン ※史上12人目 1500三振:1999年5月5日、対オリックス・ブルーウェーブ5回戦(福岡ドーム)、1回裏に金田政彦から ※史上3人目 1521三振:1999年6月13日、対オリックス・ブルーウェーブ14回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回表に小倉恒から ※パ・リーグ新記録 3500塁打:1999年6月24日、対日本ハムファイターズ15回戦(東京ドーム)、2回表に沼田浩から左越2ラン ※史上19人目 300盗塁:1999年7月22日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に二盗(投手:小倉恒、捕手:日高剛) ※史上23人目。同時に史上2人目の300本塁打300盗塁達成 1588三振:2000年6月1日、対日本ハムファイターズ12回戦(東京ドーム)、7回表に生駒雅紀から ※当時新記録(後に清原和博が更新) 350二塁打:2000年7月28日、対オリックス・ブルーウェーブ14回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回表に戎信行から中越二塁打 ※史上21人目 2000試合出場:2000年8月18日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(北九州市民球場)、5番・右翼手で先発出場 ※史上32人目 2000安打:同上、5回裏に黒木知宏から左前安打 ※史上28人目 トリプルスリー:1回 (1989年) 30本塁打30盗塁:3回 (1987年、1989年、1990年)※1987年・1990年は35本塁打35盗塁、これはNPB史上で他に中西太のみ サイクルヒット:1989年7月13日、対近鉄バファローズ13回戦(藤井寺球場) ※史上40人目 9年連続シーズン30本塁打以上(1985年 - 1993年) ※王貞治の19年連続に次いで歴代2位。 5試合連続本塁打(1985年5月19日 - 5月26日、1991年5月4日 - 5月9日) 9試合連続打点(1985年5月17日 - 5月30日) 5試合連続勝利打点(1987年5月16日 - 5月22日) ※日本プロ野球記録 2試合連続満塁本塁打(1993年8月21日 - 8月22日) ※史上3人目 11試合連続長打(1994年9月17日 - 10月7日) ※日本プロ野球記録 シーズン30本塁打以上・50盗塁以上(1990年) ※25本塁打以上、もしくは45盗塁以上でもNPB史上唯一 通算400本塁打・300盗塁達成(1999年) ※史上2人目(過去の達成者は張本勲) 外野手レンジファクター(RF/G)1位:7回 (1987年、1988年、1992年 - 1996年) 通算833試合連続出場(1985年4月6日~1991年6月16日) ※歴代12位 オールスターゲーム出場:18回 (1985年 - 2002年) ※18年連続出場は史上最長であり、すべてファン投票選出。 71(1981年、2006年) 24(1982年 - 1986年) 1(1987年 - 2002年) 79(2005年) 80(2007年 - 2008年) 81(2009年 - 2014年)
『卒業』(2003/7 西日本新聞社 ISBN 4-8167-0576-7) 国民年金基金 サンコー SAMURAI BASEBALL RKBエキサイトホークス(RKBラジオ) TBSラジオ エキサイトベースボール - RKBからのネット受けが中心だが、2003・2004年はTBSの自社制作分にも出演 文化放送ライオンズナイター(文化放送) - 2003・2004年はゲスト解説で、2018年はRKBからのネット受けで出演 第42回NHK紅白歌合戦(1991年12月31日、NHK総合・ラジオ第1) - 審査員 サンデーウォッチ(RKBテレビ) ^ 2015年に山田哲人(ヤクルト)が本塁打王・盗塁王の同時獲得をしている。 ^ 西武球団で1億円プレーヤーとなれば、この時点では東尾修、石毛宏典に続き3人目だった。 ^ 2022年に村上宗隆(ヤクルト)が達成した時点で同記録は9人が達成しているが、2日間共チームが敗北したのは、この時の秋山が唯一である。 ^ 1人目は、1954年に中日ドラゴンズで日本一となった天知俊一。 ^ 秋山幸二著、卒業、西日本新聞社、2003年、P50 ^ 秋山前監督エピソード 若手時代、重い背番号で発奮「絶対、若い番号を」Sponichi Annex 2018年2月19日閲覧。 ^ “プロフィール”. 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吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 表 話 編 歴 60 ヴィクトル・スタルヒン 62 池田豊 63 中島治康 64 若林忠志 65 川上哲治、鶴岡一人 69 苅田久徳 70 天知俊一、二出川延明 72 石本秀一 74 藤本定義、藤村富美男 76 中上英雄 77 水原茂、西沢道夫 78 松木謙治郎、浜崎真二 79 別所毅彦 80 大下弘、小鶴誠 81 飯田徳治、岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳 88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一 89 島秀之助、野村克也、野口二郎 90 真田重蔵、張本勲 91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎 92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男 93 稲尾和久、村山実 94 王貞治、与那嶺要 95 杉浦忠、石井藤吉郎 96 藤田元司、衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫、小山正明 02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎 03 上田利治、関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治、森祇晶 06 門田博光、高木守道、山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二、堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学、津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹、工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜、金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾、山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信、黒田博樹 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一、平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿 60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登、宮武三郎、景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三 69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧 70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚 71 小西得郎、水野利八 72 中野武二、太田茂 73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄、西村幸生 78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎 79 平沼亮三、谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫、小川正太郎 82 鈴木龍二、外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄、山内以九士 86 中河美芳、松方正雄 87 藤田信男、山下実 88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一 89 池田恒雄、伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征、村上實 96 牧野直隆、保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志、井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟、長谷川良平 02 中澤不二雄、生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守、豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規、君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎、大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男、村山龍平 16 松本瀧藏、山中正竹 17 郷司裕、鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉、石井連藏 21 川島勝司、佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 02 フランク・オドール、正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1977 王貞治 1978 広岡達朗 1979 西本幸雄 1980 古葉竹識 1981 藤田元司 1982 広岡達朗 1983 田淵幸一 1984 衣笠祥雄 1985 吉田義男 1986 森祇晶 1987 工藤公康 1988 門田博光 1989 藤田元司 1990 森祇晶 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 野村克也 1994 長嶋茂雄, イチロー 1995 イチロー 1996 仰木彬 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 王貞治 2000 松井秀喜 2001 若松勉 2002 原辰徳 2003 王貞治, 星野仙一 2004 伊東勤 2005 ボビー・バレンタイン 2006 王貞治 2007 落合博満 2008 渡辺久信 2009 原辰徳 2010 西村徳文 2011 秋山幸二 2012 原辰徳, 阿部慎之助 2013 星野仙一 2014 秋山幸二 2015 工藤公康 2016 栗山英樹 2017 デニス・サファテ 2018 工藤公康 2019 工藤公康 2020 工藤公康 2021 高津臣吾 2022 中嶋聡 2023 岡田彰布 2024 三浦大輔 2004 イチロー 2013 田中将大 2021 稲葉篤紀, 大谷翔平 2022 村上宗隆 2023 栗山英樹, 大谷翔平 2024 大谷翔平 表 話 編 歴 1950 湯浅禎夫 1951 山本一人 1952 山本一人 1953 山本一人 1954 三原脩 1955 山本一人 1956 三原脩 1957 三原脩 1958 三原脩 1959 鶴岡一人 1960 西本幸雄 1961 鶴岡一人 1962 水原茂 1963 中西太 1964 鶴岡一人 1965 鶴岡一人 1966 鶴岡一人 1967 西本幸雄 1968 西本幸雄 1969 西本幸雄 1970 濃人渉 1971 西本幸雄 1972 西本幸雄 1973 野村克也 1974 金田正一 1975 上田利治 1976 上田利治 1977 上田利治 1978 上田利治 1979 西本幸雄 1980 西本幸雄 1981 大沢啓二 1982 広岡達朗 1983 広岡達朗 1984 上田利治 1985 広岡達朗 1986 森祇晶 1987 森祇晶 1988 森祇晶 1989 仰木彬 1990 森祇晶 1991 森祇晶 1992 森祇晶 1993 森祇晶 1994 森祇晶 1995 仰木彬 1996 仰木彬 1997 東尾修 1998 東尾修 1999 王貞治 2000 王貞治 2001 梨田昌孝 2002 伊原春樹 2003 王貞治 2004 伊東勤 2005 ボビー・バレンタイン 2006 トレイ・ヒルマン 2007 トレイ・ヒルマン 2008 渡辺久信 2009 梨田昌孝 2010 秋山幸二 2011 秋山幸二 2012 栗山英樹 2013 星野仙一 2014 秋山幸二 2015 工藤公康 2016 栗山英樹 2017 工藤公康 2018 辻発彦 2019 辻発彦 2020 工藤公康 2021 中嶋聡 2022 中嶋聡 2023 中嶋聡 2024 小久保裕紀 表 話 編 歴 1950 湯浅禎夫 1951 水原茂 1952 水原茂 1953 水原茂 1954 天知俊一 1955 水原円裕 1956 三原脩 1957 三原脩 1958 三原脩 1959 鶴岡一人 1960 三原脩 1961 川上哲治 1962 水原茂 1963 川上哲治 1964 鶴岡一人 1965 川上哲治 1966 川上哲治 1967 川上哲治 1968 川上哲治 1969 川上哲治 1970 川上哲治 1971 川上哲治 1972 川上哲治 1973 川上哲治 1974 金田正一 1975 上田利治 1976 上田利治 1977 上田利治 1978 広岡達朗 1979 古葉竹識 1980 古葉竹識 1981 藤田元司 1982 広岡達朗 1983 広岡達朗 1984 古葉竹識 1985 吉田義男 1986 森祇晶 1987 森祇晶 1988 森祇晶 1989 藤田元司 1990 森祇晶 1991 森祇晶 1992 森祇晶 1993 野村克也 1994 長嶋茂雄 1995 野村克也 1996 仰木彬 1997 野村克也 1998 権藤博 1999 王貞治 2000 長嶋茂雄 2001 若松勉 2002 原辰徳 2003 王貞治 2004 伊東勤 2005 ボビー・バレンタイン 2006 トレイ・ヒルマン 2007 落合博満 2008 渡辺久信 2009 原辰徳 2010 西村徳文 2011 秋山幸二 2012 原辰徳 2013 星野仙一 2014 秋山幸二 2015 工藤公康 2016 栗山英樹 2017 工藤公康 2018 工藤公康 2019 工藤公康 2020 工藤公康 2021 高津臣吾 2022 中嶋聡 2023 岡田彰布 2024 三浦大輔 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 南村不可止 1952 別所毅彦 1953 川上哲治 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 豊田泰光 1957 大下弘 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 近藤昭仁 1961 宮本敏雄 1962 土橋正幸, 種茂雅之 1963 長嶋茂雄 1964 J.スタンカ 1965 長嶋茂雄 1966 柴田勲 1967 森昌彦 1968 高田繁 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 末次民夫 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 弘田澄男 1975 山口高志 1976 福本豊 1977 山田久志 1978 大杉勝男 1979 高橋慶彦 1980 J.ライトル 1981 西本聖 1982 東尾修 1983 大田卓司 1984 長嶋清幸 1985 R.バース 1986 工藤公康 1987 工藤公康 1988 石毛宏典 1989 駒田徳広 1990 O.デストラーデ 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 川崎憲次郎 1994 槙原寛己 1995 T.オマリー 1996 T.ニール 1997 古田敦也 1998 鈴木尚典 1999 秋山幸二 2000 松井秀喜 2001 古田敦也 2002 二岡智宏 2003 杉内俊哉 2004 石井貴 2005 今江敏晃 2006 稲葉篤紀 2007 中村紀洋 2008 岸孝之 2009 阿部慎之助 2010 今江敏晃 2011 小久保裕紀 2012 内海哲也 2013 美馬学 2014 内川聖一 2015 李大浩 2016 B.レアード 2017 D.サファテ 2018 甲斐拓也 2019 Y.グラシアル 2020 栗原陵矢 2021 中村悠平 2022 杉本裕太郎 2023 近本光司 2024 桑原将志 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 大下弘 1952 深見安博 1953 中西太 1954 中西太 1955 中西太 1956 中西太 1957 野村克也 1958 中西太 1959 山内和弘 1960 山内和弘 1961 野村克也, 中田昌宏 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 野村克也 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 長池徳二 1973 長池徳二 1974 C.ジョーンズ 1975 土井正博 1976 C.ジョーンズ 1977 L.リー 1978 B.ミッチェル 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ, 門田博光 1982 落合博満 1983 門田博光 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 秋山幸二 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 小久保裕紀 1996 T.ニール 1997 N.ウィルソン 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 T.ローズ 2004 松中信彦, F.セギノール 2005 松中信彦 2006 小笠原道大 2007 山﨑武司 2008 中村剛也 2009 中村剛也 2010 T-岡田 2011 中村剛也 2012 中村剛也 2013 M.アブレイユ 2014 E.メヒア, 中村剛也 2015 中村剛也 2016 B.レアード 2017 A.デスパイネ 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 浅村栄斗 2021 杉本裕太郎 2022 山川穂高 2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1950 木塚忠助 1951 木塚忠助 1952 木塚忠助 1953 L.レインズ 1954 鈴木武 1955 森下正夫 1956 河野旭輝 1957 河野旭輝 1958 R.バルボン 1959 R.バルボン 1960 R.バルボン 1961 広瀬叔功 1962 広瀬叔功 1963 広瀬叔功 1964 広瀬叔功 1965 広瀬叔功 1966 山本公士 1967 西田孝之 1968 安井智規 1969 阪本敏三 1970 福本豊 1971 福本豊 1972 福本豊 1973 福本豊 1974 福本豊 1975 福本豊 1976 福本豊 1977 福本豊 1978 福本豊 1979 福本豊 1980 福本豊 1981 福本豊 1982 福本豊 1983 大石大二郎 1984 大石大二郎 1985 松永浩美 1986 西村徳文 1987 西村徳文, 大石第二朗 1988 西村徳文 1989 西村徳文 1990 秋山幸二 1991 大野久 1992 佐々木誠 1993 大石大二郎 1994 佐々木誠 1995 イチロー 1996 村松有人 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央, 小坂誠 1999 松井稼頭央 2000 小坂誠 2001 井口資仁 2002 谷佳知 2003 井口資仁 2004 川﨑宗則 2005 西岡剛 2006 西岡剛 2007 片岡易之 2008 片岡易之 2009 片岡易之 2010 本多雄一, 片岡易之 2011 本多雄一 2012 聖澤諒 2013 陽岱鋼 2014 西川遥輝 2015 中島卓也 2016 金子侑司, 糸井嘉男 2017 西川遥輝 2018 西川遥輝 2019 金子侑司 2020 周東佑京 2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝 2022 髙部瑛斗 2023 周東佑京, 小深田大翔 2024 周東佑京 表 話 編 歴 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 ブーマー 1985 秋山幸二, 落合博満, R.デービス, 古屋英夫 1986 P.パットナム 1987 秋山幸二 1988 清原和博 表 話 編 歴 投 渡辺久信 捕 伊東勤 一 ブーマー.W 二 辻発彦 三 落合博満 遊 石毛宏典 外 横田真之 / 秋山幸二 / 新井宏昌 指 石嶺和彦 表 話 編 歴 投 工藤公康 捕 伊東勤 一 ブーマー.W 二 白井一幸 三 石毛宏典 遊 水上善雄 外 秋山幸二 / 新井宏昌 / T.ブリューワ 指 石嶺和彦 表 話 編 歴 投 西崎幸広 捕 伊東勤 一 清原和博 二 福良淳一 三 松永浩美 遊 田中幸雄 外 秋山幸二 / 平野謙 / 高沢秀昭 指 門田博光 表 話 編 歴 投 阿波野秀幸 捕 山下和彦 一 ブーマー.W 二 辻発彦 三 松永浩美 遊 田辺徳雄 外 秋山幸二 / 藤井康雄 / R.ブライアント 指 門田博光 表 話 編 歴 投 野茂英雄 捕 伊東勤 一 清原和博 二 大石第二朗 三 松永浩美 遊 田中幸雄 外 秋山幸二 / 石嶺和彦 / 西村徳文 指 O.デストラーデ 表 話 編 歴 投 郭泰源 捕 伊東勤 一 J.トレーバー 二 辻発彦 三 松永浩美 遊 小川博文 外 秋山幸二 / 佐々木誠 / 平井光親 指 O.デストラーデ 表 話 編 歴 投 石井丈裕 捕 伊東勤 一 清原和博 二 辻発彦 三 石毛宏典 遊 田辺徳雄 外 秋山幸二 / 佐々木誠 / 高橋智 指 O.デストラーデ 表 話 編 歴 投 工藤公康 捕 田村藤夫 一 石井浩郎 二 辻発彦 三 石毛宏典 遊 広瀬哲朗 外 秋山幸二 / 佐々木誠 / 藤井康雄 指 R.ブライアント 表 話 編 歴 1972 池辺巌, 広瀬叔功, 福本豊 1973 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1974 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1975 島野育夫, 弘田澄男, 福本豊 1976 B.ウイリアムス, 弘田澄男, 福本豊 1977 大熊忠義, 弘田澄男, 福本豊 1978 B.ウイリアムス, 福本豊, 簑田浩二 1979 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1980 平野光泰, 福本豊, 簑田浩二 1981 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1982 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1983 島田誠, 福本豊, 簑田浩二 1984 島田誠, 高沢秀昭, 簑田浩二 1985 金森永時, 島田誠, 簑田浩二 1986 西岡良洋, 山本和範, 山森雅文 1987 秋山幸二, 新井宏昌, 島田誠, 高沢秀昭 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 平野謙, 本西厚博 1990 秋山幸二, 西村徳文, 平野謙 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 平野謙 1994 秋山幸二, イチロー, 佐々木誠 1995 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1996 秋山幸二, イチロー, 田口壮 1997 イチロー, 井出竜也, 田口壮 1998 イチロー, 大友進, 大村直之 1999 秋山幸二, イチロー, 大友進 2000 イチロー, 柴原洋, 田口壮 2001 柴原洋, 田口壮, 谷佳知 2002 井出竜也, 小関竜也, 谷佳知 2003 大村直之, 柴原洋, 谷佳知, 村松有人 2004 谷佳知, 村松有人, SHINJO 2005 大村直之, サブロー, SHINJO 2006 稲葉篤紀, 森本稀哲, SHINJO 2007 稲葉篤紀, サブロー, 森本稀哲 2008 稲葉篤紀, 坂口智隆, 森本稀哲 2009 糸井嘉男, 稲葉篤紀, 坂口智隆 2010 糸井嘉男, 坂口智隆, 栗山巧 2011 岡田幸文, 糸井嘉男, 坂口智隆 2012 陽岱鋼, 糸井嘉男, 岡田幸文 2013 陽岱鋼, 糸井嘉男, 秋山翔吾 2014 陽岱鋼, 糸井嘉男, 柳田悠岐 2015 柳田悠岐, 秋山翔吾, 清田育宏 2016 秋山翔吾, 陽岱鋼, 糸井嘉男 2017 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2018 秋山翔吾, 柳田悠岐, 西川遥輝 2019 秋山翔吾, 荻野貴司, 西川遥輝 2020 柳田悠岐, 大田泰示, 西川遥輝 2021 荻野貴司, 辰己涼介, 柳田悠岐 2022 髙部瑛斗, 辰己涼介, 福田周平 2023 辰己涼介, 万波中正, 近藤健介 2024 辰己涼介, 周東佑京, 万波中正 表 話 編 歴 1950 岩本義行, 別当薫 1953 中西太 1983 簑田浩二 1989 秋山幸二 1995 野村謙二郎 2000 金本知憲 2002 松井稼頭央 2015 山田哲人, 柳田悠岐 2016 山田哲人 2018 山田哲人 表 話 編 歴 76 山田久志 77 山田久志 78 鈴木啓示 79 C.マニエル 80 木田勇 81 江夏豊 82 落合博満 83 東尾修 84 ブーマー 85 落合博満 86 落合博満 87 工藤公康 88 門田博光 89 阿波野秀幸 90 野茂英雄 91 秋山幸二 92 石井丈裕 93 辻発彦 94 イチロー 95 イチロー 96 イチロー 97 松井稼頭央 98 イチロー 99 松坂大輔 00 中村紀洋 01 T.ローズ 02 松井稼頭央 03 城島健司 04 松中信彦 05 渡辺俊介 06 ダルビッシュ有 07 山﨑武司 08 岩隈久志 09 鉄平 10 T-岡田 11 内川聖一 12 吉川光夫 13 田中将大 14 大谷翔平 15 柳田悠岐 16 大谷翔平 17 D.サファテ 18 山川穂高 19 森友哉 20-21 中止 VIAF 日本 秋山幸二 日本の野球選手 熊本県立八代高等学校出身の人物 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 本塁打王 (NPB) 盗塁王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 日本の野球監督 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の監督 野球解説者 名球会 NHK紅白歌合戦審査員 日本の野球殿堂表彰者 熊本県出身のスポーツ選手 1962年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 無効な出典が含まれている記事/2021年 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 11:52更新
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akiyama kouji
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