内川聖一の情報(うちかわせいいち) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
内川 聖一さんについて調べます
■名前・氏名 |
内川聖一と関係のある人
アンドーひであき: 内川聖一 三家和真: オフに内川聖一、鈴木誠也、上林誠知から打撃指導を受け、翌シーズンの打撃向上に繋がった。 森笠繁: 7月20日の対読売ジャイアンツ戦では、欠場した内川聖一に代わって3番・左翼手でスタメン出場し、2安打3打点の活躍でチームの勝利に貢献、移籍後初のお立ち台に上がる。 松中信彦: 2011年は故障の影響、内川聖一とアレックス・カブレラの加入による競争の激化もあり、出場は88試合にとどまる。 長野翼: 夫は、プロ野球選手の内川聖一(現・九州アジアリーグ・大分B-リングス所属)。 江川智晃: 主力の内川聖一、松田宣浩の負傷離脱によりチャンスを得たが、吉村裕基との競争に敗れたため、7月27日に二軍降格となった。 長谷川勇也: 第1戦、8回一死二・三塁のピンチで東出輝裕の外野フライの際、三塁走者の内川聖一を本塁で補殺するプレーを見せた。 辻発彦: 2002年からは横浜ベイスターズの一軍守備・走塁コーチを2年間務め、二塁手の種田仁や遊撃手の石井琢朗の控えだった内川聖一の守備などを鍛えた。 赤星憲広: 9月12日、甲子園球場で行われた対横浜ベイスターズ戦で内川聖一が打った右中間への飛球にダイビングキャッチを試み、頸椎椎間板ヘルニアが悪化すると同時に中心性脊髄損傷を負った。 長野翼: 2010年12月11日、夫が大分市内で第1回「内川聖一杯 大分市学童軟式野球チャンピオン大会」を開催。 高木豊: 1993年の1年のみ使用された個人応援歌は、後に一部の歌詞を変えて内川聖一に流用されている。 川﨑宗則: 2011年レギュラーシーズンにおいてソフトバンクは3番内川聖一が先制打を放った試合は14勝3敗2分け、勝率.824と圧倒的な有利さを示しており、これは内川の勝負強さもさることながら、1番川﨑が出塁して2番本多が確実に犠牲バントで送る、あるいは2番本多が出塁して2盗するといった形で、内川の前にランナーとして2塁まで進んでいたことがいかに多かったかも示す。 鬼頭数雄: プロ野球ではほかには1944年の岡村俊昭(近畿日本)、2008年の内川聖一(横浜)しかいない珍しい記録であるが、鬼頭と岡村は1941年の1シーズンだけチームメイトでもあった。 高井雄平: 一軍公式戦でシーズン唯一の先発登板になった10月12日の対横浜ベイスターズ戦(明治神宮野球場)では、1回表に先頭打者・石井琢朗を四球で出塁させ、3番打者・内川聖一に対しては3つの暴投を記録。 城所龍磨: 同年は主に内川聖一の代走・守備固めでセンターに入り、先発出場していた長谷川勇也がレフトに入るというパターンが多く見られ、センターでの守備固め起用が95試合と増加した。 増田珠: 内川聖一や松田宣浩の姿を見て学んで、ファンにも愛される選手になってほしい」と評される性格。 岡村俊昭: このとき、岡村の打率.369に対して所属する近畿日本の勝率は.324で、試合数が少なかったという事情はあるものの、それ以前には鬼頭数雄(1940年)しかいない「所属チームの勝率より打率の高い首位打者」になっており、2008年に横浜ベイスターズ・内川聖一が64年ぶりに記録するまでは登場することのなかった珍記録であった。 稲葉篤紀: 同大会の決勝戦の10回表には、先頭の内川聖一が安打で出塁した後、自身3年ぶりとなる犠牲バントを決めた。 西岡清吉: スカウトした選手には、原辰徳と「西の杉村、東の原」と並び称され青木宣親、内川聖一、山田哲人の指導で知られる、同郷のスワローズ打撃コーチ杉村繁がいる。 クレイグ=ブラゼル: 走塁では前述の高校時代のアメリカンフットボールの事故により、左膝に古傷を抱えていたこともあって一塁到達は5秒台中盤と足が遅く、チームがリードしている時には代走を送られることが多かったが、2012年3月6日のソフトバンク(福岡Yahoo! JAPANドーム)とのオープン戦では中堅手の内川聖一が打球処理を誤ってボールを蹴り飛ばしたため、ランニングホームランを記録した。 土谷鉄平: 同賞を贈られるのは同学年の内川聖一に次いで2人目。 帆足和幸: CSファイナルステージは11月3日の第1戦に先発し、3回に内川聖一の三塁打で2点先制され、6回無死一二塁から松田宣浩の犠打で一死二三塁とした所で降板となり、代わった岡本篤志が多村仁志のタイムリー内野安打で2者を生還させ、5回1/3を投げ4失点で敗戦投手となった。 長谷川勇也: 特に2011年はチームが先制点を守るスタイルでの勝利が多かったため、主に左翼で起用されていた内川聖一の代走もしくは守備交代に城所が入り、長谷川が左翼手に回るというシーンが3試合のうち2試合で見られるほど頻繁に行われた。 柴原洋: 同年12月11日、福岡市内で行われた日本一の優勝パレードの後にヤフードームで開かれたファン感謝祭では「ここぞというチャンスの場面や一打サヨナラの場面では頭の片隅でいいので柴原洋を思い出してください」と挨拶し、背番号1を引き継ぐ内川聖一から花束が贈呈された。 森野将彦: プロ入り18年目での同賞初受賞は、当時、史上最遅記録であった(2019年に内川聖一(福岡ソフトバンクホークス)が記録更新)。 五十嵐亮太: 11月24日に行われた福岡市の優勝パレードでは王貞治球団会長、内川聖一とオープンカーに同乗し、沿道からのファンの声援に応えた。 杉村繁: 2008年からは横浜ベイスターズの一・二軍巡回打撃コーチ(正式な肩書きは湘南シーレックス育成総合コーチ)に就任し内川聖一の首位打者タイトル獲得に貢献するなど横浜でも実績を残した。 江藤慎一: これは2011年に内川聖一が記録するまで、40年の長きに亘って江藤のみの記録であった。 大下剛史: 反面、内川聖一のように持病(骨嚢腫)からその猛練習に不安を感じ、入団拒否を表明した選手もいた。 江川智晃: 6月1日に一軍再昇格し、内川聖一やアルフレド・デスパイネが戦線離脱したチーム事情もあり、6月15日のセ・パ交流戦、対読売ジャイアンツ戦では、プロ入り13年で初めて4番打者としてスタメン出場し、2013年以来4年ぶりの猛打賞の活躍をするが、6月26日に再び一軍出場選手登録を抹消される。 |
内川聖一の情報まとめ
内川 聖一(うちかわ せいいち)さんの誕生日は1982年8月4日です。大分出身の野球選手のようです。
テレビ、父親、病気、結婚、引退、現在、家族、映画、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。内川聖一の現在の年齢は42歳のようです。
内川聖一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 妻は元フジテレビアナウンサーの長野翼。 NPBにおける右打者史上最高打率記録保持者(.378。2008年)、史上2人目の両リーグでの首位打者及び最多安打獲得者、歴代4位タイ(右打者としては落合博満と並び1位タイ)の7年連続打率3割達成者、通算で8回の打率3割達成者(歴代14位タイ)であるなど、日本球界を代表するアベレージヒッターである。 クライマックスシリーズ(CS)では安打、本塁打の通算記録で歴代1位、打点で歴代2位を記録し、最多となる3回のMVPを受賞、日本シリーズでもMVP1回、優秀選手1回を受賞するなど「短期決戦の鬼」「ミスター短期決戦」の異名を持つ。 父親が大分県立国東高等学校の野球部の監督を務めていた頃の教え子が吉田豊彦であり、子供の頃からの知り合いだった。子供の頃にプロ野球に興味を持った最初の球団は、吉田が入団した南海ホークスで、南海ホークスのユニフォーム型のパジャマを着ていた。 大分県立大分工業高等学校時代は、1年生の秋に骨に穴があく骨嚢腫により左かかとを3回に亘って手術し3か月の入院生活を送りながらも、通算43本の本塁打を記録した。3年夏の高校野球大分大会には主将として遊撃手で出場したが、決勝戦で中津工業高校に1安打に封じられて0対4で敗れ、甲子園には出場できなかった。 2000年11月17日に行われたプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズから1巡目指名を受けて入団。広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチの大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ、もし広島から指名された場合は入団を拒否して進学すると決めていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている。後に2017年の日本シリーズで福岡ソフトバンクホークスの選手としてベイスターズと対戦した後の手記に、「プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。当時の代表は全員がアマチュア選手による編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。」という趣旨を書いている。担当スカウトは岩井隆之。入団時の背番号は「25」。 2001年は3試合ながら一軍出場を経験。7月20日に東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲームに遊撃手として途中出場し、7回に佐竹健太から二塁打を打ち、得点も記録した。二軍ではイースタン・リーグ3位となる四球47を記録した。 2002年から背番号を「2」に変更し、代打として42試合に出場。70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。二軍では7月11日に長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに2年連続で選出され、5番三塁手で先発出場し、藤川球児から安打を打ち得点も記録。7回から二塁手で出場した。 2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすらできなくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎の神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増されたが結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した。 2004年は7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁手での先発出場が多くなったものの、2005年は二塁手は種田仁の起用が多く、代打での出場が多くなった。 この頃について、内川は2017年日本シリーズ後の手記で「5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島裕之や片岡治大が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。」と書いている。 2006年は二塁手の種田が不振に陥ったが、内川自身の送球難から左翼手や一塁手に回ることも多かった。初めて100試合出場と100安打を達成したが規定打席には届かなかった。 2007年は本格的に外野手へ転向し、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず二軍降格も味わったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。 2008年は開幕から打撃好調で4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームにも監督推薦で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年のロバート・ローズを抜き、日本人選手のセ・リーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年、読売ジャイアンツの川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。同年の横浜は勝率.338で「チーム勝率より高い打率での首位打者」は岡村俊昭以来64年振りで、2023年シーズン終了時点でも戦後唯一という珍記録である。 2009年は開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された(上記「日の丸のユニホーム」を着る夢もかなった)。同大会では第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を打ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を打った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりをスライディングで好捕し、正確な送球で二塁でアウトにする好プレーを見せた。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を打ち、走者として決勝点のホームを踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。 シーズンでは同じく日本代表に選出された村田修一が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川が開幕4番を務め全打順での試合出場を達成。アレックス・ラミレスと最後まで首位打者争いを繰り広げ、最終的にリーグ2位の打率.318を記録した。この年加入したダン・ジョンソンが一塁で起用されていたため、同年は主に左翼を守った。 ただ、内川はこの頃の心境について2017年の手記で「レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない」と書いている。 2010年3月24日にフジテレビアナウンサーの長野翼と結婚した(同年シーズンオフの12月18日に挙式)。6月3日に国内FA権を取得。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を打った。当初は主に3番一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に加入したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番・右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。この年、10月2日の対巨人戦第23回戦(東京ドーム)第2打席、無死一・二塁の場面で打った三塁ゴロによりトリプルプレーを喫している。シーズン終了後の11月8日、国内FA権行使を表明。ソフトバンクと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行った末12月1日にソフトバンクへ移籍することを表明した。 2010年12月6日、福岡ソフトバンクホークスと正式に契約を交わし、同じくFA加入した細川亨とともに入団会見を行った。契約内容は4年契約で総額5億6000万円から13億6000万円(金額は推定)の間での変動制で、背番号は第2回WBCでも着用した「24」。 2011年は、4月に打率.397、安打・塁打(38)でリーグトップ、打点・二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した。さらに交流戦では打率 .326(交流戦6位)・20打点(交流戦4位)・4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤慎一(中日・ロッテ)以来史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得した。オフに背番号をこの年限りで現役を引退した柴原洋の「1」に変更。 2012年6月5日に球団のTwitterで、5日に夫人が女児を出産したことを発表した。6月は月間打率.128と苦しんだが、7月からは打率.346で、5年連続となる打率.300を記録し、最多安打のタイトルを獲得した。契約更改では、現状維持の1億7000万円(金額は推定)で更改した。 2013年2月20日に第3回WBCの日本代表28名に選出された。3月24日のオランダ戦では、2回表に今大会初の本塁打を打ち、チームの勝利に貢献した。しかし準決勝のプエルトリコ戦では、2点ビハインドの8回裏一死一・二塁の場面で投球直後に一塁走者だった内川が走ったものの、二塁走者だった井端弘和が二塁ベース上に留まっていたため、一・二塁間の挟殺プレーでアウトとなりチームの準決勝敗退の一因となった。 シーズンでは、4月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で吉見祐治から史上267人目となる通算100号本塁打を打った。8月は打率.350・5本塁打・21打点を記録し通算3度目となる月間MVPを受賞。本塁打(19本)・打点(92打点)は自己最高を記録、打率も6年連続となる3割越えを記録する活躍で3年連続5度目のベストナインを受賞した。この年の契約更改では、4年契約の3年目であったが、球団はこの契約を結び直す形で新たに2014年からの4年契約を提示、内川もこれに合意した。 2014年も、7月には打率.330・20打点を挙げる活躍で自身4度目の月間MVPを受賞するなど、打撃好調でリーグ優勝、CS制覇、日本シリーズ優勝に大きく貢献した。日本シリーズではMVPを獲得した。オフの10月9日に日米野球2014の日本代表に選出された。 2015年3月24日、福岡ソフトバンクホークスのキャプテンに就任する。キャプテン制を敷くのは2012年シーズンの小久保裕紀以来で、球団の福岡移転後では、秋山幸二(1999年~2002年)、小久保裕紀(2009年~2012年)に次いで歴代3人目となる。同年から監督に就任した工藤公康は、前年全試合で4番を打った李大浩の打点量産を期待して5番で起用しており、内川は4番打者として起用された。打率は.284で8年連続打率3割はならなかったが、キャプテン・4番打者として優勝に大きく貢献した。 クライマックスシリーズファイナルステージでは3試合連続で決勝適時打を打ち、2011年に続く2度目のMVPを獲得した。しかし、東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズ開幕前に肋骨骨折が発覚し、欠場せざるを得なくなった。だが、チームは内川不在(四番代役は李が務めた)を感じさせない試合運びで第3戦以外を勝利し、4勝1敗で2年連続となる日本シリーズ優勝となった。 10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたが、11月1日に前述の怪我のため辞退した。12月22日に契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目を3000万円増の年俸3億3000万円プラス出来高払い(金額は推定)でサインした。 2016年7月20日、第二子となる男児が誕生したと報じられた。同年は李大浩の退団により本格的に一塁手へ転向(選手登録は外野手のまま)。この年も4番に固定され、141試合の出場で2年ぶりの3割台となる打率.304を記録し、自身初の100打点超えとなる106打点を記録した。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。 2017年1月28日に第4回WBCの日本代表メンバーに選出される。ところが2月25日、所属チームであるソフトバンクとの練習試合で一塁守備の際に打者走者の斐紹と交錯し、負傷交代する。同日、宮崎市内の病院でX線検査・MRI検査を受けた結果、脱臼や骨の異常はなく「右肩打撲」と診断された。その後は問題なく試合に出場し、3月14日の対キューバ代表では8回に代打で登場し勝ち越しとなる犠飛を打って勝利に貢献する。 レギュラーシーズンでは、3月31日の開幕戦(対ロッテ戦)に「4番・一塁手」で先発出場しシーズン初安打を記録すると、4月2日の同カード第3戦ではシーズン第1号となるソロ本塁打を打つなど、WBC出場の影響をみせず、4月25日には対北海道日本ハムファイターズ戦の試合前練習で左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録するなど3月・4月は打率.340・5本塁打の好成績でスタートする。その後も5月25日の対ロッテ戦で移籍後初の3試合連続本塁打を打つなど好調を維持していたが、6月2日のセ・パ交流戦(対横浜DeNA戦)の打席でスイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日に一軍出場選手登録を抹消された。その後の検査で頸椎捻挫と診断されリハビリ組での調整となったが、6月27日に一軍復帰し、6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を打った。7月14日・15日両日に開催されたマイナビオールスターゲーム2017では、アルフレド・デスパイネとともに選手間投票で選出され、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を打ち、4年ぶり2度目のオールスターゲームMVPを獲得する。しかし、オールスターゲーム後の7月23日の対ロッテ戦で一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かなかったため、25日に仙台市内の病院でMRI検査・CT検査を受けた結果、「左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折で全治6週間の見込み」と診断され、離脱を余儀なくされた。シーズン終盤の9月30日、対オリックス・バファローズ戦でようやく一軍復帰し、適時打を打ったが、レギュラーシーズンは怪我の影響もあって73試合出場と10年ぶりに出場100試合を割り、同じく10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打も逃すなど、レギュラーに定着した2008年以降では最低の成績に終わった。本塁打は12本と2桁に乗せたものの、確実視されていた通算2000本安打の達成は持ち越しとなった。怪我による長期の離脱期間はあったが、シーズン前半の活躍で2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。 東北楽天ゴールデンイーグルスとのクライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦から第4戦まで4試合連続で本塁打を打つ活躍を見せ、自身通算3度目のMVPを獲得。古巣・横浜DeNAとの日本シリーズ第6戦では、9回一死の場面で山﨑康晃から同点となるソロ本塁打を打つ活躍で優秀選手に選ばれた。 オフの12月18日に契約更改交渉に臨み、このシーズンで4年契約は満了となったが、新たに2018年シーズンからの2年契約、5000万円アップの年俸4億円プラス出来高(金額は推定)で契約合意に達した。 2018年、この年から正式に内野手登録となった。5月9日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)で武隈祥太から中前打を放ち、NPB史上51人目の通算2000安打を達成した。同5日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で王手をかけてから14打席連続無安打と足踏みしていた中での達成となった。ホークス球団の選手としては前身の南海・ダイエーを含めて史上7人目で、35歳9か月での達成は1970年の野村克也(35歳3か月)に次ぐ球団史上2番目の年少記録となった。 また初出場から1800試合目での記録達成は榎本喜八(1830試合)を抜いて歴代9位、右打者としてはアレックス・ラミレス、長嶋茂雄に次ぐ歴代3位の速さとなった。 6月29日、ヤフオクドームにて試合前に名球会入りのセレモニーが開かれ、日本プロ野球名球会顧問の王貞治から名球会のブレザーが贈られた。 しかし、2000安打達成後は4月に受けた右膝死球による右膝痛に加え、5月に左足くるぶしへ自打球を受け離脱、8月には疲労性の体調不良で再度離脱するなどケガにも苦しみ、シーズン全体では71試合の出場で打率.242、得点圏打率は.194に留まるなど、前年の成績をさらに下回る不本意なシーズンとなった。 2019年からチームの主将制度が廃止され、ユニフォームから「C」マークが外されることになった。また、球場の電光掲示板に表示される登録名をフルネームの「内川聖一」に変更し、心機一転を図った。これに伴い、背ネームも「UCHIKAWA」から「S.UCHIKAWA」に変更された。春季キャンプ中の2月13日に第3子となる男児が誕生した。シーズンでは、3年ぶりに規定打席に到達したものの、打率は.256に留まり、得点圏打率は2年連続.194、特に満塁の場面で11打数無安打に終わるなどし、チームもペナントレースでは2年連続の2位に終わったが、前年同様クライマックスシリーズを突破し球団史上初の日本一3連覇に輝いた。また、一塁手としてNPB史上2人目、パ・リーグでは初の守備率10割(無失策)を記録し、自身初となるゴールデングラブ賞に輝いた。プロ19年目・37歳での初受賞は最高齢記録かつ最遅記録である。オフに、野球協約の減額制限(年俸1億円超は40%)に近い1億5000万円減の推定年俸2億5000万円で契約を更改した。 2020年、開幕前の練習試合で21打数1安打と大不振で、自身17年ぶりの二軍スタートとなった。二軍では42試合に出場して通算.327の高打率を残しながらも一軍に昇格できず、結果プロ入り後初めてシーズンを通して一軍不出場に終わった。10月28日、翌年の戦力構想から外れていると自ら判断し、現役続行を模索して同日までに球団へ退団の意向を申し入れ、11月1日、タマホームスタジアム筑後で開催された二軍戦の試合後、チームを代表して観客に謝辞を述べた際、「僕が福岡ソフトバンクホークスのユニホームを着るのは今日で最後になります」と発言、11月2日、球団公式サイトで正式に退団が発表された。 ソフトバンク退団後に東京ヤクルトスワローズが獲得に乗り出し、2020年12月8日に内川と契約を締結することを発表した。背番号は同世代の田中浩康が現役時代に着けていた「7」で、推定年俸は2億円減となる5000万円。ヤクルトを選んだ決め手としては横浜時代に指導を受けた杉村繁一軍打撃コーチがいることと、自身の打撃の参考にもなる青木宣親、山田哲人がいることを挙げた。 2021年、開幕戦には「5番・一塁」で先発出場し、7月9日の対広島戦(明治神宮野球場)ではヘロニモ・フランスアから移籍後初となるサヨナラ適時打を放った。ソフトバンク時代から5年連続での出場となった2021年の日本シリーズでは、代打で2試合に出場。シリーズをヤクルトが制したことにより、2017~2020年のソフトバンク4連覇と合わせて日本シリーズ「1人5連覇」を果たした。 2022年、7月に新型コロナウイルス陽性判定を受けた主力選手が大量に離脱したことで一軍に緊急昇格し、同14日の対中日戦(バンテリンドームナゴヤ)で「3番・左翼手」として先発し今季初出場。公式戦では2015年10月5日の対楽天戦以来約7年ぶりとなる外野手としてのスタメン出場となった(外野守備自体は2017年以来5年ぶり)。しかし、14打数3安打と目立った活躍を残すことはできず、21日に登録を抹消された。 9月28日、2022年シーズン限りでのNPBからの引退を発表。 10月3日、同年限りで引退する坂口智隆・嶋基宏とともに引退セレモニーが行われ、工藤公康ソフトバンクホークス前監督から花束を受け取った。 12月3日、出身地の大分県を本拠とする九州アジアリーグの大分B-リングスに入団の予定と複数のメディアが報じた。同日、内川は自身が主催する学童軟式野球大会に出席した際に大分入りを表明、同日大分球団主催の入団記者会見にも出席した。背番号は24。大分を現役最後の球団とする意向で、関東を拠点にトレーニングをおこない、試合出場は大分県でのホーム戦が中心になると報じられている。 2023年3月18日、大分の開幕戦となる対火の国サラマンダーズ戦(藤崎台県営野球場)に「3番・指名打者」で先発出場し、決勝となる本塁打を含む5打数2安打4打点の結果だった。 9月21日に自身のInstagramで2度目の現役引退を発表。プロ野球選手としてのキャリアを完全に終えることを明らかにした。3日後の24日に引退試合(対火の国サラマンダーズ戦)が開催され、3番・指名打者で先発出場し、第3打席で現役最後の安打となるセンター前ヒットを放ち、現役最終打席となった第4打席では相手の好守に阻まれ遊併殺を記録した(シーズンを通しての最終成績は208打席 打率.353 2本 38打点 OPS.925)。引退セレモニーでは同じ大分県出身で、2011年から2017年まで選手・コーチの間柄であった鳥越裕介から花束を贈呈され涙を流し、スピーチでは 「命を削って戦ってきたプロ野球人生が今日で終わりというのはすごく寂しい気持ちと同時にホッとしているのが正直な気持ち」 「ここまで頑張ってきたから野球の神様は最後にホームランでも打たせてくれて、かっこよく辞められるんじゃないかと思ったんですけど、最後の最後まで野球は難しいと思いました。打てなくて悔しくて、負けて悔しくて、本当に最後まで野球にいろんなことを教わったと思います」と語った。 シーズン終了後の10月11日に、引退がリーグより公示された。 内川の引退によってマルハ時代の横浜ベイスターズに在籍した選手が全員引退した。 2024年2月14日、MLBのシカゴ・カブス春季キャンプ臨時打撃コーチとして招聘された。カブスにはNPB時代晩年に自主トレーニングを共にしたこともある鈴木誠也が在籍している。 早打ち型で三振と四球はともに少ないが、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年のリーグ最高通算打率.317を誇っている。元々は球を前で捌く打撃に自信を持っていたが、当時横浜の一軍打撃コーチであった杉村繁から、球を体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている。 首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強く、統一球導入後も通算打率.318と左右の違いを苦にしていない。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され、左投手の先発試合では積極的に6番で起用された。 2018年5月9日の2000安打達成時点で右方向への安打が580本と29%を占める。 右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力を備えている。 外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが、左翼守備では2012年にUZR3.5と平均を上回る数値を記録した。内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球ができないこともあり、スローイングに難があると評されるも、外野守備でのスローイングは比較的安定している。 2019年シーズンは一塁手として130試合に出場し、1094度の守備機会で無失策。一塁手の守備率10割を記録したのはパ・リーグでは内川が初めてで、NPB全体を通しても2018年のホセ・ロペスに次いで2人目である。同年オフに、NPB史上最遅記録となる19年目でのゴールデングラブ賞初受賞を果たしている。 メジャーのスカウトからは前述の第2回WBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価された。 愛称は「ウッチー」。横浜時代にはスポーツ紙などで「アゴジラ」という愛称がつけられたこともあったが、内川は自身にはふさわしくないとしている。 父の内川一寛は法政大学野球部出身で、4年生時には東京六大学野球春季リーグでベストナイン(一塁手)に選出されている。その後大分県の国東高校、大分工業高校の野球部監督を歴任しており1993年の第75回全国高等学校野球選手権大会に出場した。内川も大分工業高校では父の指導を仰いだ。 シーズンオフには「チーム内川」と称される合同自主トレを行っており、上林誠知らホークスの選手のみならず、球団の垣根を越えて白崎浩之や松本啓二朗、鈴木誠也や小窪哲也、上本崇司など内川を慕う他球団の選手が参加している。現在は独り立ちして自身で自主トレを行っているが、過去には今宮健太も参加していた。 大相撲の琴奨菊と親交があり、家族ぐるみの付き合いをしている。琴奨菊が度々ホークスの試合を観戦する姿もみられる。 プロサッカー選手の田中隼磨とは横浜在籍時(田中は横浜F・マリノス在籍時)より親交があり、内川が田中の在籍する松本山雅FCの試合観戦に訪れたり、また田中もホークスの宮崎キャンプを訪問するなどの交流がある。田中は「同じプロアスリートとして自分にとって凄く大切な存在」と評している。 横浜時代の個人応援歌(1993年に高木豊の応援歌として制作されたものの流用)は、2010年にリリースされた東京女子流の楽曲「頑張って いつだって 信じてる」のサビに取り入れられており、同グループのメンバーである新井ひとみは、内川が通算2000安打を達成した翌日に自身のTwitterで「内川選手 おめでとうございます 今でも内川選手の応援歌 歌わせていただいています」とツイートしている。 2000本安打を達成した選手としては遅咲きの選手であり、初めて規定打席に到達したのは8年目の2008年だった。 WBCについては「僕の人生を変えてくれた」と語るほど思い入れがあり、野球人生を変える一因にもなった。 WBCやソフトバンクで着用した背番号「24」は、少年野球で初めてもらった背番号であり、地元の大分でその番号を着用して引退した。 各年度の太字はリーグ最高 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBでの歴代最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞年 首位打者:2回(2008年、2011年) ※両リーグでの首位打者は江藤慎一以来、史上2人目 最高出塁率:1回(2008年) 最多安打:2回(2008年、2012年)※両リーグでの最多安打は張本勲以来、史上2人目 最優秀選手:1回(2011年) ベストナイン:5回(一塁手部門:2008年 外野手部門:2009年、2011年 - 2013年) ゴールデングラブ賞:1回(一塁手部門:2019年) セ・リーグ会長特別賞:1回(2008年、右打者史上最高打率に対しての表彰) 月間MVP:5回(野手部門:2008年8月、2011年4月、2013年8月、2014年7月、2016年9月) セ・リーグ 連盟特別表彰:1回(セ・パ両リーグ功労賞:2022年) 「ジョージア魂」賞:2回(2011年度第12回、2013年度第8回) オールスターゲームMVP:2回(2013年 第3戦、2017年 第1戦) オールスターゲーム・ベストバッター賞:1回(2008年 第2戦) オールスターゲーム マツダ ビアンテ賞:1回(2008年) セ・パ交流戦 最優秀選手賞(MVP):1回(2011年) クライマックスシリーズMVP:3回(2011年、2015年、2017年) 日本シリーズMVP:1回(2014年) 日本シリーズ優秀選手:1回(2017年) 日本シリーズ特別賞
ドリームナイン賞:1回(2011年) BASEBALL HEROES賞:1回(2011年) パ・リーグ特別表彰:1回(2011年:史上2人目となるセ、パ両リーグで首位打者を獲得) 報知プロスポーツ大賞:1回(2011年) 日本プロスポーツ大賞 功労賞:1回(2011年) ヤナセ・福岡ソフトバンクホークスMVP賞:1回(2012年) 大分市民栄誉賞(2008年)
初打席:2001年10月7日、対ヤクルトスワローズ27回戦(横浜スタジアム)、6回裏に前田浩継から投手ゴロ 初安打:2002年4月24日、対中日ドラゴンズ5回戦(札幌ドーム)、9回裏にエディ・ギャラードから右前安打 初先発出場:2002年5月3日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7番・二塁手で先発出場 初本塁打・初打点:2002年7月7日、対中日ドラゴンズ15回戦(石川県立野球場)、5回表に山井大介から左越ソロ 初盗塁:2003年6月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:工藤公康、捕手:村田善則) 1000安打:2011年6月9日、対読売ジャイアンツ4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏に東野峻から右前安打 ※史上265人目 1000試合出場:2011年9月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、3番・左翼手で先発出場 ※史上446人目 100本塁打:2013年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に吉見祐治から中越ソロ ※史上267人目 1500安打:2014年7月11日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、1回表に浦野博司から遊撃内野安打 ※史上116人目 1500試合出場:2015年7月15日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(帯広の森野球場)、4番・左翼手で先発出場 ※史上184人目 150本塁打:2016年4月27日、対オリックス・バファローズ4回戦(京セラドーム大阪)、1回表に東明大貴から左越2ラン ※史上162人目 300二塁打:2016年6月30日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、1回裏に唐川侑己から右越二塁打 ※史上67人目 2000安打:2018年5月9日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(メットライフドーム)、8回表に武隈祥太から中前打 ※史上51人目 3000塁打:2019年4月21日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(メットライフドーム)、6回表に佐野泰雄から中前安打 ※史上58人目 350二塁打:2019年7月28日、対オリックス・バファローズ18回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、1回裏に竹安大知から左中間二塁打 ※史上43人目 2000試合出場:2021年7月6日、対阪神タイガース13回戦(明治神宮野球場)、9回裏に吉田大喜の代打で出場 ※史上53人目 通算54安打 ※歴代1位 通算31打点 ※歴代1位 通算10本塁打 ※歴代1位 通算93塁打 ※歴代1位 3打席連続本塁打:2004年5月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、1回裏・3回裏に木佐貫洋、4回裏にマシュー・ランデルから 全球団から本塁打:2011年6月19日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、5回表に須田幸太から左越ソロ ※史上21人目 オールスターゲーム出場:6回(2008年、2009年、2011年 - 2013年、2017年) レギュラーシーズン、日本シリーズ、オールスターゲームでMVP選出 ※川上哲治、大下弘、福本豊、トーマス・オマリー、古田敦也、松井秀喜に次いで史上7人目 25(2001年) 2(2002年 - 2010年) 24(2011年、2023年、2009年WBC、2013年WBC) 1(2012年 - 2020年、2017年WBC) 7(2021年 - 2022年) 「Somebody Told Me」ザ・キラーズ(2005年) 「Do You Want To」フランツ・フェルディナンド(2006年) 「フレンジャー」大塚愛(2006年) 「Welcome To The Black Parade」My Chemical Romance(2007年) 「BUT」倖田來未(2007年) 「NICE DAY feat. BEAT CRUSADERS」RYUKYUDISKO(2007年、2016年) 「トコナッツ」ヨースケ@HOME(2008年夏季) 「I Don't Wanna Be In Love」Good Charlotte(2008年、2016年) 「Take The Dream」Blue Stealer(プロレスラー・佐々木健介の入場曲)(2009年 - 2011年、2015年CS) 「虹」ゆず(2009年 - 2010年) 「LIFE」キマグレン(2010年) 「リメンバー」キマグレン(2010年) 「桜」FUNKY MONKEY BABYS(2010年) 「He's A Pirate」Klaus Badelt(2011年) 「Mr.DJ」DJ OZMA(2011年) 「魂 ~spirit~」無限 -MUGEN-(2011年) 「INOKI BOM-BA-YE」1.2.3.DA!(2011年) 「ひまわり」遊助(2012年 - 2022年) 「vs. 〜知覚と快楽の螺旋〜」福山雅治(2012年) 「Tubthumping」Chumbawamba(2012年) 「タマシイレボリューション」Superfly(2012年) 「やさしくなりたい」斉藤和義(2012年8月、当曲を登場曲にしていた松田宣浩の故障離脱後から使用。) 「笑顔のまんま」BEGIN with アホナスターズ(2012年 - 2013年) 「一笑懸命」遊助(2012年 - 2013年) 「め組のひと」ラッツ&スター(2012年 - 2014年) 「ひまわりの夢」斉藤和義(2013年) 「ファイター」(2013年 - 2014年、「TVQスーパースタジアム」カラーボトルテーマソングでもある。) 「いつだって僕らは」いきものがかり(2014年) 「英雄」doa(2014年) 「ぜったいに誰も」ZYYG(2014年) 「愛して笑ってうれしくて涙して」DREAMS COME TRUE(2015年) 「ファイトソング」嵐(2015年) 「Oro De Ley」Luis Miguel(2015年)※北斗晶入場テーマ 「太陽」ケツメイシ(2017年 - 2018年) 「ワタリドリ」[Alexandros](2017年 - 2018年) 「24K Magic」Bruno Mars(2018年) 「C.h.a.o.s.m.y.t.h.」ONE OK ROCK(2018年) 「欲望に満ちた青年団」ONE OK ROCK(2018年) 「Mighty Long Fall」ONE OK ROCK(2018年) 「Uptown Funk」Mark Ronson(2018年) 「AGAIN」DREAMS COME TRUE(2014年 - 2019年) 「Fight Song」レイチェル・プラッテン(2019年) 「いま、太陽に向かって咲く花」NOBU(2019年) 「AHHHHH!」久保田利伸(2019年) 2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 すぽると!(2024年3月31日 - 、フジテレビ) - 野球コーナー担当 オフィス アイ プラン(横浜在籍時 大分県の保険代理店) 昭和建設 ふくおかフィナンシャルグループ(福岡銀行、親和銀行、熊本銀行) 九電工 現役プロ野球選手が今一番読みたい技術書 内川聖一のバッティングバイブル(2019年3月26日、ベースボール・マガジン社、ISBN 978-4583625744) - 監修 ^ 2023年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファーストステージ第3戦で柳田悠岐(ソフトバンク)が更新するまでは歴代1位。 ^ 第2回WBCのこのプレーで、内川は2009年の公式戦観戦に訪れた皇太子徳仁親王家への挨拶を果たしている。 ^ 内川と吉見は共に2000年ドラフトで横浜より指名され入団した同期生である。 ^ 野村克也・広瀬叔功・加藤秀司・門田博光・秋山幸二・小久保裕紀に次ぐ史上7人目。 ^ ただし出典記事にもあるように2020年は一軍の試合出場がゼロだったので、その年のリーグ優勝・日本一メンバーには該当せず、正確には「自らの所属球団が日本シリーズ5連覇」になる。 ^ イチロー以来の5打席連続安打。 ^ 野村宏平、冬門稔弐「8月4日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、216頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 ^ “CS通算本塁打ランキング。内川聖一をはじめ、今年のファイナルステージにはトップ20の半数が揃う”. Yahoo!ニュース個人 (2019年10月10日). 2019年10月13日閲覧。 ^ “ソフトバンク内川、CS男の底力見せる MVP3度、打率安打打点 歴代トップ”. 西日本スポーツ (2019年10月4日). 2019年10月13日閲覧。 ^ “H内川聖一『短期決戦の鬼』まとめ《THE FEATURE PLAYER》”. パリーグTV公式 (2019年10月7日). 2019年10月13日閲覧。 ^ “ソフトバンク内川「ミスター短期決戦」が戦列復帰”. 日刊スポーツ (2018年10月17日). 2019年10月13日閲覧。 ^ “「ミスターCS」内川聖一のCS成績を振り返る”. 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ORICON NEWS. oricon ME (2024年3月13日). 2024年3月13日閲覧。 大分県出身の人物一覧 横浜DeNAベイスターズの選手一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 大分B-リングスの選手一覧 個人年度別成績 内川聖一 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB 1 内川 聖一 選手名鑑 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 内川聖一 (@uchikawaseiichi01) - Instagram 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 南村不可止 1952 別所毅彦 1953 川上哲治 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 豊田泰光 1957 大下弘 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 近藤昭仁 1961 宮本敏雄 1962 土橋正幸, 種茂雅之 1963 長嶋茂雄 1964 J.スタンカ 1965 長嶋茂雄 1966 柴田勲 1967 森昌彦 1968 高田繁 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 末次民夫 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 弘田澄男 1975 山口高志 1976 福本豊 1977 山田久志 1978 大杉勝男 1979 高橋慶彦 1980 J.ライトル 1981 西本聖 1982 東尾修 1983 大田卓司 1984 長嶋清幸 1985 R.バース 1986 工藤公康 1987 工藤公康 1988 石毛宏典 1989 駒田徳広 1990 O.デストラーデ 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 川崎憲次郎 1994 槙原寛己 1995 T.オマリー 1996 T.ニール 1997 古田敦也 1998 鈴木尚典 1999 秋山幸二 2000 松井秀喜 2001 古田敦也 2002 二岡智宏 2003 杉内俊哉 2004 石井貴 2005 今江敏晃 2006 稲葉篤紀 2007 中村紀洋 2008 岸孝之 2009 阿部慎之助 2010 今江敏晃 2011 小久保裕紀 2012 内海哲也 2013 美馬学 2014 内川聖一 2015 李大浩 2016 B.レアード 2017 D.サファテ 2018 甲斐拓也 2019 Y.グラシアル 2020 栗原陵矢 2021 中村悠平 2022 杉本裕太郎 2023 近本光司 2024 桑原将志 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 2005 小林宏之 2006 小林雅英 2007 R.グリン 2008 川﨑宗則 2009 杉内俊哉 2010 T-岡田 2011 内川聖一 2012 内海哲也 2013 長谷川勇也 2014 亀井善行 2015 柳田悠岐 2016 城所龍磨 2017 柳田悠岐 2018 吉田正尚 2019 松田宣浩 2020 (中止) 2021 山本由伸 2022 村上宗隆 2023 岡本和真 2024 水谷瞬 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 2007 第1S:サブロー, 第2S:ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 T.スレッジ 2010 1st:里崎智也, Final:成瀬善久 2011 内川聖一 2012 糸井嘉男 2013 田中将大 2014 吉村裕基 2015 内川聖一 2016 中田翔 2017 内川聖一 2018 柳田悠岐 2019 今宮健太 2020 中村晃 2021 杉本裕太郎 2022 吉田正尚 2023 杉本裕太郎 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 松井稼頭央 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 松井稼頭央 2003 谷佳知 2004 松中信彦, 川﨑宗則 2005 和田一浩 2006 大村直之 2007 稲葉篤紀 2008 栗山巧, 片岡易之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 坂口智隆 2012 内川聖一 2013 長谷川勇也 2014 中村晃 2015 秋山翔吾 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 秋山翔吾 2019 秋山翔吾 2020 柳田悠岐 2021 荻野貴司 2022 島内宏明 2023 柳田悠岐 2024 辰己涼介 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 与那嶺要 1955 川上哲治 1956 与那嶺要 1957 与那嶺要 1958 田宮謙次郎 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 森永勝治 1963 長嶋茂雄 1964 江藤慎一 1965 江藤慎一 1966 長嶋茂雄 1967 中暁生 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 若松勉 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 谷沢健一 1977 若松勉 1978 水谷実雄 1979 F.ミヤーン 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 長崎啓二 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 篠塚利夫, 正田耕三 1988 正田耕三 1989 W.クロマティ 1990 J.パチョレック 1991 古田敦也 1992 J.ハウエル 1993 T.オマリー 1994 A.パウエル 1995 A.パウエル 1996 A.パウエル 1997 鈴木尚典 1998 鈴木尚典 1999 R.ローズ 2000 金城龍彦 2001 松井秀喜 2002 福留孝介 2003 今岡誠 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 青木宣親 2011 長野久義 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.マートン 2015 川端慎吾 2016 坂本勇人 2017 宮﨑敏郎 2018 D.ビシエド 2019 鈴木誠也 2020 佐野恵太 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 2024 T.オースティン 表 話 編 歴 1994 野村謙二郎 1995 野村謙二郎 1996 A.パウエル 1997 L.ロペス 1998 石井琢朗 1999 R.ローズ 2000 R.ローズ 2001 石井琢朗 2002 清水隆行 2003 A.ラミレス 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 青木宣親 2007 A.ラミレス 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 M.マートン 2011 M.マートン 2012 坂本勇人, 長野久義 2013 M.マートン 2014 山田哲人 2015 川端慎吾 2016 菊池涼介 2017 丸佳浩, J.ロペス 2018 D.ビシエド 2019 大島洋平 2020 大島洋平 2021 近本光司 2022 佐野恵太, 岡林勇希 2023 牧秀悟, 中野拓夢 2024 長岡秀樹 表 話 編 歴 1967 王貞治 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 掛布雅之 1982 田尾安志, 掛布雅之 1983 山本浩二 1984 谷沢健一 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 落合博満 1988 落合博満 1989 W.クロマティ 1990 落合博満 1991 落合博満 1992 T.オマリー 1993 T.オマリー 1994 T.オマリー 1995 T.オマリー 1996 江藤智 1997 R.ローズ 1998 松井秀喜 1999 R.ペタジーニ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 福留孝介 2004 G.ラロッカ 2005 福留孝介 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 青木宣親 2010 和田一浩 2011 鳥谷敬 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 W.バレンティン 2015 山田哲人 2016 坂本勇人 2017 田中広輔 2018 丸佳浩 2019 鈴木誠也 2020 村上宗隆 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 大山悠輔 2024 D.サンタナ 表 話 編 歴 1950 西沢道夫 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 西沢道夫 1955 川上哲治 1956 川上哲治 1957 川上哲治 1958 川上哲治 1959 藤本勝巳 1960 近藤和彦 1961 藤本勝巳 1962 王貞治 1963 王貞治 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 王貞治 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 谷沢健一 1983 谷沢健一 1984 谷沢健一 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 R.バース 1988 落合博満 1989 L.パリッシュ 1990 落合博満 1991 落合博満 1992 J.パチョレック 1993 広沢克己 1994 大豊泰昭 1995 T.オマリー 1996 L.ロペス 1997 L.ロペス 1998 駒田徳広 1999 R.ペタジーニ 2000 R.ペタジーニ 2001 R.ペタジーニ 2002 R.ペタジーニ 2003 G.アリアス 2004 T.ウッズ 2005 新井貴浩 2006 T.ウッズ 2007 T.ウッズ 2008 内川聖一 2009 T.ブランコ 2010 C.ブラゼル 2011 栗原健太 2012 T.ブランコ 2013 T.ブランコ 2014 M.ゴメス 2015 畠山和洋 2016 新井貴浩 2017 J.ロペス 2018 D.ビシエド 2019 D.ビシエド 2020 村上宗隆 2021 J.マルテ 2022 J.オスナ 2023 大山悠輔 表 話 編 歴 1950 青田昇, 岩本義行, 小鶴誠 1951 青田昇, 岩本義行, 金田正泰 1952 杉山悟, 南村不可止, 与那嶺要 1953 金田正泰, 南村不可止, 与那嶺要 1954 杉山悟, 与那嶺要, 渡辺博之 1955 町田行彦, 与那嶺要, 渡辺博之 1956 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要 1957 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要 1958 田宮謙次郎, 森徹, 与那嶺要 1959 大和田明, 坂崎一彦, 森徹 1960 中利夫, 並木輝男, 森徹 1961 江藤慎一, 近藤和彦, 森永勝治 1962 近藤和彦, 並木輝男, 森永勝治 1963 江藤慎一, 近藤和彦, 藤井栄治 1964 江藤慎一, 近藤和彦, 重松省三 1965 江藤慎一, 近藤和彦, 中暁生 1966 江藤慎一, 中暁生, 山本一義 1967 近藤和彦, 柴田勲, 中暁生 1968 江藤慎一, D.ロバーツ, 山内一弘 1969 高田繁, D.ロバーツ, 山本一義 1970 江尻亮, 高田繁, 中暁生 1971 柴田勲, 高田繁, 水谷実雄 1972 柴田勲, 高田繁, 若松勉 1973 江尻亮, 柴田勲, 若松勉 1974 G.マーチン, 末次利光, 若松勉 1975 井上弘昭, 山本浩二, ロジャー 1976 張本勲, 谷沢健一, 若松勉 1977 張本勲, 山本浩二, 若松勉 1978 C.マニエル, 山本浩二, 若松勉 1979 M.ラインバック, 山本浩二, 若松勉 1980 杉浦亨, 山本浩二, 若松勉 1981 J.ライトル, 田尾安志, 山本浩二 1982 田尾安志, 長崎啓二, 山本浩二 1983 田尾安志, 松本匡史, 山本浩二 1984 山崎隆造, 山本浩二, 若松勉 1985 杉浦享, 真弓明信, 山崎隆造 1986 W.クロマティ, 山本浩二, 吉村禎章 1987 W.クロマティ, C.ポンセ, 吉村禎章 1988 C.ポンセ, J.パチョレック, 広沢克己 1989 W.クロマティ, 彦野利勝, 山崎賢一 1990 J.パチョレック, 原辰徳, 広沢克己 1991 R.J.レイノルズ, 原辰徳, 広沢克己 1992 飯田哲也, 前田智徳, L.シーツ 1993 A.パウエル, 新庄剛志, 前田智徳 1994 A.パウエル, G.ブラッグス, 前田智徳 1995 A.パウエル, 金本知憲, 松井秀喜 1996 A.パウエル, 松井秀喜, 山崎武司 1997 鈴木尚典, D.ホージー, 松井秀喜 1998 鈴木尚典, 前田智徳, 松井秀喜 1999 関川浩一, 高橋由伸, 松井秀喜 2000 金本知憲, 新庄剛志, 松井秀喜 2001 稲葉篤紀, 金本知憲, 松井秀喜 2002 清水隆行, 福留孝介, 松井秀喜 2003 赤星憲広, A.ラミレス, 福留孝介 2004 金本知憲, 嶋重宣, T.ローズ 2005 青木宣親, 赤星憲広, 金本知憲 2006 青木宣親, 金本知憲, 福留孝介 2007 青木宣親, A.ラミレス, 高橋由伸 2008 A.ラミレス, 青木宣親, 金本知憲 2009 A.ラミレス, 青木宣親, 内川聖一 2010 M.マートン, 青木宣親, 和田一浩 2011 長野久義, M.マートン, 青木宣親 2012 長野久義, 大島洋平, W.バレンティン 2013 W.バレンティン, M.マートン, 長野久義 2014 M.マートン, 丸佳浩, 雄平 2015 筒香嘉智, 福留孝介, 平田良介 2016 鈴木誠也, 筒香嘉智, 丸佳浩 2017 丸佳浩, 鈴木誠也, 筒香嘉智 2018 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト 2019 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト 2020 佐野恵太, 丸佳浩, 鈴木誠也 2021 鈴木誠也, 近本光司, 塩見泰隆 2022 近本光司, 佐野恵太, 岡林勇希 2023 近本光司, 西川龍馬, 岡林勇希 表 話 編 歴 1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男 1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘 1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘 1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘 1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘 1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一 1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘 1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊 1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘 1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功 1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明 1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一 1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲 1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲 1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲 1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲 1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二 1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊 1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男 1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊 1977 門田博光, 福本豊, L.リー 1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二 1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー 1981 島田誠, テリー, 福本豊 1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1983 島田誠, テリー, 簑田浩二 1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二 1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之 1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之 1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント 1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄 1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠 1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン 1996 イチロー, 田口壮, 村松有人 1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ 1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋 1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ 2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー 2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ 2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也 2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩 2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知 2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ 2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩 2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之 2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック 2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀 2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧 2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧 2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一 2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔 2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔 2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏 2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝 2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝 2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚 2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚 2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介 2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐 2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明 2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐 表 話 編 歴 1972 大杉勝男 1973 C.ジョーンズ 1974 W.パーカー 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 柏原純一 1980 小川亨 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 片平晋作 1984 山本功児 1985 山本功児 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 愛甲猛 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 髙木大成 1998 髙木大成 1999 小笠原道大 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 小笠原道大 2003 福浦和也 2004 松中信彦 2005 福浦和也 2006 小笠原道大 2007 福浦和也 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 小久保裕紀 2011 小久保裕紀 2012 稲葉篤紀 2013 浅村栄斗 2014 T-岡田 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 中田翔 2019 内川聖一 2020 中村晃, 中田翔 2021 中村晃 2022 中村晃 2023 中村晃 2024 山川穂高 表 話 編 歴 76 山田久志 77 山田久志 78 鈴木啓示 79 C.マニエル 80 木田勇 81 江夏豊 82 落合博満 83 東尾修 84 ブーマー 85 落合博満 86 落合博満 87 工藤公康 88 門田博光 89 阿波野秀幸 90 野茂英雄 91 秋山幸二 92 石井丈裕 93 辻発彦 94 イチロー 95 イチロー 96 イチロー 97 松井稼頭央 98 イチロー 99 松坂大輔 00 中村紀洋 01 T.ローズ 02 松井稼頭央 03 城島健司 04 松中信彦 05 渡辺俊介 06 ダルビッシュ有 07 山﨑武司 08 岩隈久志 09 鉄平 10 T-岡田 11 内川聖一 12 吉川光夫 13 田中将大 14 大谷翔平 15 柳田悠岐 16 大谷翔平 17 D.サファテ 18 山川穂高 19 森友哉 20-21 中止 表 話 編 歴 83 原辰徳 72 伊東勤(総合) 71 山田久志(投手) 92 与田剛(投手) 81 篠塚和典(打撃) 63 高代延博(内野守備走塁) 73 緒方耕一(外野守備走塁) 11 ダルビッシュ有 14 馬原孝浩 15 田中将大 16 涌井秀章 18 松坂大輔 19 岩田稔 20 岩隈久志 22 藤川球児 26 内海哲也 28 小松聖 31 渡辺俊介 39 山口鉄也 47 杉内俊哉 2 城島健司 10 阿部慎之助 29 石原慶幸 5 栗原健太(追加招集) 6 中島裕之 7 片岡易之 8 岩村明憲 9 小笠原道大 25 村田修一(途中離脱) 52 川﨑宗則 1 福留孝介 23 青木宣親 24 内川聖一 35 亀井義行 41 稲葉篤紀 51 イチロー 表 話 編 歴 88 山本浩二 78 東尾修(投手総合) 99 梨田昌孝(野手総合) 92 与田剛(投手) 81 立浪和義(打撃) 63 高代延博(内野守備・走塁) 73 緒方耕一(外野守備・走塁) 75 橋上秀樹(戦略) 11 涌井秀章 14 能見篤史 15 澤村拓一 16 今村猛 17 田中将大 18 杉内俊哉 20 前田健太 21 森福允彦 26 内海哲也 28 大隣憲司 35 牧田和久 47 山口鉄也 50 攝津正 2 相川亮二 10 阿部慎之助 27 炭谷銀仁朗 1 鳥谷敬 3 井端弘和 5 松田宣浩 6 坂本勇人 7 松井稼頭央 41 稲葉篤紀 46 本多雄一 9 糸井嘉男 13 中田翔 24 内川聖一 34 長野久義 61 角中勝也 表 話 編 歴 90 小久保裕紀 73 奈良原浩(ヘッド) 72 権藤博(投手) 80 稲葉篤紀(打撃) 87 仁志敏久(内野守備・走塁) 79 大西崇之(外野守備・走塁) 84 村田善則(バッテリー) 10 松井裕樹 11 菅野智之 12 秋吉亮 14 則本昂大 15 宮西尚生 17 藤浪晋太郎 19 増井浩俊 20 石川歩 30 武田翔太 34 岡田俊哉 35 牧田和久 41 千賀滉大 66 平野佳寿 9 炭谷銀仁朗 22 小林誠司 27 大野奨太 2 田中広輔 3 松田宣浩 4 菊池涼介 6 坂本勇人 13 中田翔 23 山田哲人 1 内川聖一 7 青木宣親 8 平田良介 25 筒香嘉智 51 鈴木誠也 55 秋山翔吾 表 話 編 歴 1位:内川聖一 2位:吉見祐治(逆指名) 3位:後藤伸也 4位:東和政 5位:鈴木健之 6位:西崎伸洋 7位:稲嶺茂夫 8位:竹下慎太郎 9位:渡辺雅弘 VIAF 日本 日本の野球選手 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 大分B-リングスの選手 最優秀選手 (NPB) 首位打者 (NPB) 最高出塁率 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 名球会 アジアシリーズ選手 野球日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2017 ワールド・ベースボール・クラシック選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 大分県立大分工業高等学校出身の人物 大分県出身のスポーツ選手 1982年生 存命人物 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年9月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 編集半保護中のページ 2024/11/18 17:59更新
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uchikawa seiichi
内川聖一と同じ誕生日8月4日生まれ、同じ大分出身の人
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