松中信彦の情報(まつなかのぶひこ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松中 信彦さんについて調べます
■名前・氏名 |
松中信彦と関係のある人
根本陸夫: 吉武真太郎・小久保裕紀・渡辺秀一・城島健司・藤井将雄・斉藤和巳・佐久本昌広・井口忠仁・松中信彦・柴原洋・倉野信次・永井智浩・篠原貴行・星野順治などをドラフトで獲得し、福岡移転後の初優勝および現在に至る地元人気の土台を築いた。 新庄剛志: このプレー直前に新庄は三塁塁上から、三塁ベースコーチを務めていた松中信彦や三塁側の対戦相手である全セ・リーグのベンチの古田敦也・山本昌などに対して本盗敢行についての相談を行い、古田・山本は新庄に対して敢行をあおるジェスチャーを送っていた。 大隣憲司: 8回に松中信彦のスリーランなど一挙4点と逆転し、広島のエース黒田博樹を相手にプロ入り初勝利を手にした。 福田秀平: 代走での起用が続いたが、松中信彦・長谷川勇也の打撃不振により内川聖一が中堅手から左翼手起用となり、4月30日の千葉ロッテ戦で約1年ぶりの先発出場を果たし、5回同点二死一・二塁の場面ではサブローの打球をフェンス際で後ろを向いて倒れながら捕球するなど活躍し、その後13試合外野でスタメン起用されたが、5月17日に自身の打率が2割を切り、代わりに起用された長谷川が5月の月間打率.306と結果を出したことで先発の座を奪われた。 近藤智勝: これは、このシーズンからゼネラルマネージャーを兼任して指揮を執る予定だった総監督の松中信彦が、十分に練習に参加できない等の事情から監督権限を委ねる形にしたものであった。 ヘクター=メルカド: 同僚の松中信彦は「彼はものすごくラーメンが好きなんだ。 高塚猛: さらに、松中信彦、城島健司といった九州出身のスター選手が育ち、チームの成績が上昇してきたこともあって、九州出身選手が中心となったチームを前面に打ち出したPRを展開し、福岡ドームに多くの観客を呼ぶことに成功した。 島田海吏: 子供の頃は福岡に住んでいたためホークスファンで、父にホークスの試合に連れて行ってもらった時に松中信彦のホームランが目の前に落ちてきたことがあり、松中を応援していた。 高村祐: 1000投球回:1999年6月6日、対福岡ダイエーホークス12回戦(大阪ドーム)、4回表2死目に松中信彦を一塁ゴロで達成 ※史上279人目 藤井将雄: この時のチームメイトに松中信彦、仁志敏久らがいる。 林恵子: 夫は元プロ野球選手の松中信彦。 松井稼頭央: OPSは.871を記録し、規定打席到達者ではタフィ・ローズ、イチロー、フィル・クラーク、松中信彦に次ぐパ・リーグ5位だった。 小久保裕紀: 現役時代、主にアリゾナ州や奄美大島で行っていた自主トレは大所帯で、ソフトバンクのチームメイトである斉藤和巳は毎年恒例で参加しており、過去には松中信彦、村松有人、川﨑宗則、明石健志、長谷川勇也、岩嵜翔、中村晃なども参加していた。 箭内翔太: テレビ番組「ビートたけしのスポーツ大将」で、元NPB選手を9人連続で抑えることに挑戦する企画に「149km/hを投げる草野球投手」として出演、ウォーレン・クロマティ、松中信彦ら5人を連続で抑えるも、6人目の山﨑武司に安打を浴びた。 岩隈久志: 更に7月12日の対ソフトバンク戦では4回に松中信彦、多村仁志、田上秀則、5回に小久保裕紀の4選手から自身ワーストの1試合4被本塁打を打たれ、被安打はリーグ最多を記録するなど精彩を欠いた。 フェルナンド=セギノール: 打率.305、本塁打44本、打点108で福岡ダイエーホークスの松中信彦と同数で本塁打王を獲得し、ベストナイン(指名打者部門)にも選ばれた。 斉藤秀光: 2007年は前年シーズン中から病気療養のため休養していた王貞治監督の復帰初戦であるオープン戦の開幕戦でサヨナラ打を放つなどオープン戦から好調で、松中信彦の守備固めや川﨑宗則のケガなどでチャンスをつかみ、内野の4ポジションすべてで出場した。 田上秀則: 1番大村直之、2番川﨑宗則、4番松中信彦ら左打者が上位打線に固定されていたため、スタメンの際は主に3番を打った。 松田宣浩: その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。 野中美郷: 好きな選手は、松中信彦と中村晃。 古屋剛: 駿台甲府高、拓大を経て新日鉄君津では1995年の都市対抗野球に川鉄千葉の補強選手としてベスト4で優秀選手、翌年は松中信彦、森慎二(西武でも同僚)らとベスト8。 石毛宏典: 入団2年目のアトランタオリンピック野球日本代表の4番打者った松中信彦に「今おまえはこういう感じでこうしようと思って打ってるけどこういう打球しかいかずにイライラするなよ」と話し掛けた。 金子圭輔: 1996年12月、小学校5年生時に野球教室参加の際、当時新日鐵君津(現新日鐵住金かずさマジック)の主力選手だった松中信彦に、「この子は将来プロ野球選手になれますよ」と太鼓判を押された。 髙田知季: 懲罰降格された松中信彦に代わって6月15日に再昇格し、6月16日の対セ・パ交流戦、対読売ジャイアンツ戦で守備固めとして二塁手で起用されプロ初の守備についた。 水島新太郎: プロ野球選手の松中信彦と、フリーアナウンサーの林恵子の仲立ちをして交際のきっかけを作った。 吉永幸一郎: 主に「3番・DH」としてチームの初優勝、日本一に貢献したものの松中信彦の台頭やメルビン・ニエベスの入団等で、中日との日本シリーズでは先発出場がなかった。 ペドロ=バルデス: 3番井口資仁(109打点)、4番松中信彦(123打点)、5番城島健司(119打点)の後を支える6番打者として104打点を記録し、100打点カルテットを組んだ。 城島健司: オリンピック前までは打撃3部門すべてにおいて松中信彦と熾烈なタイトル争いをしていたが、オリンピックによる離脱もあり、タイトル獲得はならなかった。 鳥越裕介: 2004年シーズン以降、川﨑が正遊撃手として活躍したことから、控えに回ることが多くなったが、松中信彦や同い年で友人である種田仁の助言を受けて、種田のガニマタ風の打撃フォームに改造したことで、体が前に突っ込む癖が改善し、得点圏打率が大幅に上昇した。 石川晃: 根本陸夫管理部長の信任が厚く、小久保裕紀・松中信彦・井口資仁ら、アマチュアの大物選手の獲得に敏腕ぶりを発揮した。 |
松中信彦の情報まとめ
松中 信彦(まつなか のぶひこ)さんの誕生日は1973年12月26日です。熊本出身の野球選手のようです。
卒業、結婚、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。松中信彦の現在の年齢は50歳のようです。
松中信彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 松中 信彦(まつなか のぶひこ、1973年12月26日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、左投左打)、コーチ、野球解説者。 NPBにおける平成唯一の三冠王達成者(史上7人目・21世紀初)。プロ通算352本塁打、NPB史上初の3年連続120打点(2003年 - 2005年)達成者。アトランタオリンピック野球 銀メダリスト。 2020年は四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズゼネラルマネージャー兼総監督を務めた。2021年は千葉ロッテマリーンズで、NPB史上初となる年間通じての臨時打撃コーチに就任し、打撃陣の飛躍に貢献した。2025年からは中日ドラゴンズで常任の一軍打撃コーチを務める。マネージメントは羽田エキスパートエージェンシー。 妻はフリーアナウンサーの林恵子。タレントの松中みなみは親戚。 3歳上の兄と5歳下の弟がいる。小学4年生時に代陽小学校野球クラブに入団し、投手と一塁手を務めた。八代第一高校に入学後、同校3年生だった1991年には春季九州大会県予選で決勝に進出したが、決勝戦では東海大学付属第二高校に完封負けを喫した。 高校卒業後は新日鐵君津に入社。プロ入り前最終年の1996年はアトランタオリンピック日本代表に選出され、同大会出場後の都市対抗では、小笠原道大(NTT関東から補強)らとともに中心打者として活躍したが、準々決勝で朝日生命に敗退した。同年のNPBドラフト会議では、当時存在していた逆指名制度を通じて福岡ダイエーホークスを逆指名し、同球団から2位でドラフト指名を受け、外野手として入団した。入団時の背番号は26。 1997年3月2日に福岡ドームで行われたオープン戦では、木田優夫から満塁本塁打を放つなど即戦力としてアピールしたが、金属バットと木製バットの違いに苦しみ、一軍公式戦では20試合の出場(シーズン後半より)で、打率.209という成績にとどまった。 1998年は一軍公式戦34試合に出場し、プロ初本塁打を含む、3本塁打を放った。ウエスタン・リーグでは19本塁打で本塁打王を獲得した。 1999年はルイス・ロペスの退団に伴い、レギュラーとして一塁手、左翼手(一塁では吉永幸一郎との併用、左翼ではメルビン・ニエベスとの併用)のポジションで試合に出場していた。主に7番打者としての出場ながら、4番の小久保裕紀に次ぐ23本塁打を放つなど、ダイエー初のリーグ制覇・日本一に貢献した。同年8月18日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(福岡ドーム)では延長10回二死一、二塁の打席で小倉恒からサヨナラ安打を放った。 2000年に背番号を3に変更し、正式に内野手に転向、一塁手に固定された。開幕は7番で迎えたが、打撃好調で小久保の後を打つ5番に定着。小久保が不在の試合では4番にも起用された。5月4日の対西武ライオンズ戦(福岡ドーム)では7回に木村恵二から、9月3日の対オリックス戦(福岡ドーム)では3回一死満塁の打席でカルロス・プリードからそれぞれ満塁本塁打を放った。シーズンでは自身初の3割となる.312(リーグ6位)、33本塁打(リーグ3位)、106打点(リーグ2位)を記録しリーグV2に貢献。ベストナイン、MVPに輝く。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは、前年までチームメイトだった工藤公康から本塁打を記録したが、全6戦でこの1安打に終わり、連続日本一を逃した。この年のオフにタレント水島新太郎の仲立ちで交際を始めたフリーアナウンサーの林恵子と結婚した。 2001年は8月25日の対西武戦(福岡ドーム)では1点を追う9回一死一塁の打席で豊田清から自身初のサヨナラ本塁打である逆転サヨナラ2点本塁打を放った。シーズンでは打率.334(リーグ3位)、36本塁打(リーグ7位)、122打点(リーグ5位)と打撃3部門全てで自己最高の数値を記録。同年は松中に加え小久保が44本(リーグ4位)、城島健司が31本(リーグ9位)、井口資仁が30本(リーグ12位)放ち、パ・リーグ史上初の30本カルテットを達成(日本人打者のみの30本カルテットはプロ野球史上初)し、チーム本塁打も203本とチーム記録を更新した。 2002年は新ストライクゾーンの影響もあり、打撃不振でレギュラー定着後最低の打率.260(リーグ23位)に終わった。本塁打も3年ぶりに30本を下回り(28本、リーグ8位)、打点も3年ぶりに100打点を下回る83打点(リーグ7位)を記録した。同年4月10日の対大阪近鉄バファローズ戦(福岡ドーム)では3-3の同点の延長11回無死無走者の打席で三澤興一からサヨナラ本塁打、5月14日の対オリックス戦(台北市立天母棒球場)では4-4の同点の9回無死無走者の打席で嘉㔟敏弘からプロ野球公式戦の台湾開催で初のサヨナラ本塁打を放った。 2003年は小久保の長期離脱に伴い開幕から4番に起用され、ダイハード打線を牽引した。打率.324(リーグ9位)、30本塁打(リーグ9位)、そして打点は123打点で初の打撃タイトルとなる打点王を獲得した。 2004年は7月17日から7月23日にかけて史上8人目のパ・リーグタイの6試合連続本塁打、レギュラーシーズンで平成唯一の三冠王(最多安打、最高出塁率を含め打撃五冠)を達成(本塁打は北海道日本ハムファイターズのフェルナンド・セギノールと同数)。ベストナイン、ゴールデングラブ賞、MVPに選出された。同年より導入されたプレーオフ制度により行われたプレーオフでは西武ライオンズと対戦。第1戦では本塁打を放つが、その後第2戦から第4戦まで無安打に抑られる。第5戦の第3打席で中前打を放ち、9回にはチームが同点に追いつきなおも、二死二・三塁のチャンスで走者が帰れば逆転サヨナラリーグ優勝となる第5打席だったが、二ゴロに倒れて同点止まりで最大のチャンスを逃した。これが響き、延長10回に勝ち越されチームもリーグ連覇を逃した。全体では19打数2安打1本塁打1打点の絶不調でプレーオフ敗退の一因となった。10月13日、急性肝炎のため入院。 2005年は膝などに不安を抱えることもあり、フリオ・ズレータとポジションが入れ替わり主に指名打者として打撃に専念。4月20日の対オリックス・バファローズ戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)では3回にユウキから逆転満塁本塁打を放った。指名打者制のない交流戦のビジターゲームでは左翼手として起用された。7月15日の対西武戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)では松坂大輔からサヨナラ本塁打を含む自身初の1試合3本塁打を放った。シーズンではリーグ最多の76四球を残す。2年連続の本塁打王、3年連続の打点王を獲得。3年連続120打点以上とそれを4度達成はプロ野球史上初だった。46本塁打で福岡ドームを本拠地にして以降のホークス最多本塁打記録を更新。しかし、千葉ロッテマリーンズとのプレーオフでは5試合で16打数1安打と不振で、またもチームはリーグ優勝を逃した。 2006年1月には球団と日本プロ野球史上最長の複数年契約となる7年契約を結んだ。この7年間契約は大ケガや極度の不振に陥って年俸に見合う活躍ができなくなった場合を考慮されており、10項目以上にも及ぶ出来高契約が存在し、5年目以降の契約解除権や野球協約に定められた40%を超える最大50%ダウン提示権なども契約には盛り込まれているが、全ての出来高契約をクリアする活躍を続けた場合は7年間で総額45億円となっている。 開幕前には3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出され、4番指名打者で全試合に出場。ライナー性の打球を連発し、大会最多安打及び最多得点を記録し初代世界王者に貢献した(しかし本塁打は0本に終わり、これがシーズンの本塁打数にも反映する遠因にもなった)。シーズンでは前半戦怪我の影響から指名打者どころか代打に回ることも多かったが、交流戦以降はチーム事情として田上秀則を指名打者で起用することが増えたため主に左翼手として出場した。6月に右臀部の膿瘍で試合を欠場。その後筋肉組織の感染症の一種であるガス壊疽と判明し手術を受け、オールスターを欠場することを余儀なくされた。シーズンでは2年ぶりの首位打者を獲得した(交流戦でも首位打者を獲得)ものの、WBC時同様ライナー性の打球が多く本塁打と打点は前年と比較して激減した。1999年の規定打席到達後では初めて20本塁打を下回った一方で、あまり勝負されないことも増え、自己最多の102四球で出塁率.453を記録した。プレーオフでは自身は18打数7安打7打点と活躍したが、第2ステージで北海道日本ハムファイターズに敗退した。4年連続5度目のベストナインに外野手として選出。一塁手で3回、指名打者で1回同賞を受賞しており、異なる3ポジションでの受賞は真弓明信、落合博満以来3人目。11月には再び右臀部手術のため日米野球を辞退するなど、故障を抱えながらのシーズンであった。 2007年はトレード移籍の多村仁、FAでチームに復帰した小久保とのクリーンナップ「TMK砲」が話題となったが、5月以降は3人共怪我や不振に喘いだ。自身も打率.266、15本塁打、68打点とレギュラー定着後では自己最悪の成績に終わった。この年は左翼手ではなく、再び一塁手として起用された。 2008年はシーズン序盤は不振に喘ぐも徐々に調子を上げ、自身3年ぶりとなる20本塁打越え、8月29日には通算300本塁打を達成したが、終盤は成績を落とした。シーズン最終戦となり、最下位転落がかかった10月7日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、延長12回表一死一・二塁の場面で打席が回るも併殺打に倒れ、王政権において最後の打者となった。プロ入り後初となる全試合出場を果たした。 2009年は指名打者よりレフトを守っている時の方が打率がいいと言う理由から外野手登録となった。開幕戦では3安打5打点の活躍を見せ通算1000打点(史上34人目)を達成。更に、4月21日の対日本ハム戦で須永英輝から通算100死球(史上11人目)、5月6日の対オリックス戦で通算1500安打(史上100人目)を達成と、前半戦は記録ラッシュとなった。5月20日の対阪神タイガース戦ではサヨナラ本塁打、7月10日の対楽天戦ではサヨナラ安打を打った。7月25日のオールスターゲーム第2戦では2本塁打を放ちMVPを受賞。中盤以降は肘・膝の状態が悪化し、クライマックスシリーズ出場を断念し、治療に専念することとなった。シーズンオフに痛めていた右膝の半月板手術を行った。 2010年は膝の回復が遅れ開幕を二軍で迎える。昇格後も打撃は不調で、更に左手首の故障も重なり12年ぶりに出場試合数が100を割り込み、規定打席にも届かなかった。レギュラー定着後初めてシーズン打率が2割5分を切るなど不本意な成績に終わったが、9月の福岡ドームでの対埼玉西武ライオンズ3連戦では長打が復活。初戦の10号同点3点本塁打、第2戦の11号勝ち越しソロ本塁打で逆転優勝を後押しした。しかしクライマックスシリーズでは1割台に抑えこまれ、チームも敗退した。クライマックスシリーズ終了直後の10月22日に左手首の手術を受けている。オフの契約更改では50%ダウンとなる2億円減の提示を受け入れた。 2011年は故障の影響、内川聖一とアレックス・カブレラの加入による競争の激化もあり、出場は88試合にとどまる。開幕からしばらくは代打のみの出場が多かったが、7月に調子を上げると内川、多村の故障離脱の際には3番に定着し、規定打席には届かなかったものの打率.308を記録するなど、出場した試合では結果を残した。4月14日には史上48人目となる3000塁打を達成。11月4日のクライマックスシリーズ第2戦では8回に牧田和久から代打満塁本塁打を放った。翌日も勝利し、8年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。結果的にその満塁本塁打がこれまでのプレーオフCSの不振を全て振り払う一発となった。そして8年ぶりの日本一に輝いた。 2012年は開幕戦を4番・左翼手で迎えたが、故障もあり65試合の出場に留まり、前年に続き規定打席到達はならなかった。打率.221、4本塁打とともに前年を下回る成績に終わった。契約更改では、自身3回目となる1億円以上の大幅減俸となる1億3000万円減の7000万円でサインした。 2013年4月6日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でシーズン初の一軍公式戦出場を果たしたが、ふくらはぎを痛めて途中で交代。翌7日に出場選手登録を抹消された。6月3日に再び登録されると、6月13日の対東京ヤクルトスワローズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)8回裏に、代打で適時打を放った。チームはこの試合に勝利したことでセ・パ交流戦優勝を決めたが、松中は試合後の優勝記念セレモニーを欠席。一軍監督・秋山幸二による起用法への不満によるものとされたため、球団では翌14日に松中の登録を再び抹消した。この抹消以降は一軍復帰を果たせなかったため、一軍公式戦への出場はわずか9試合で、入団1年目以来の本塁打0に終わった。このため、シーズン終了後の契約交渉では、前年に続いて球団から減額制限を超える年俸を提示。結局、前年から50%減の推定年俸3500万円で契約を更改した。その一方で、ケビン山崎の指導によるトレーニングで、体脂肪率を従来から6%減の16%にとどめている。 2014年はオープン戦では中盤まで深刻な打撃不振に見舞われたことから、秋山の指示で、打撃フォームをすり足から一本足に改造。このフォーム改造が功を奏したため、代打要員として公式戦の開幕を一軍で迎えた。5月19日に出場選手登録を抹消されたが、8月10日の対日本ハム戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、同点で迎えた5回裏に代打で大谷翔平から適時二塁打を記録。チームの8連勝に貢献するとともに、試合後に自身2年ぶりのヒーローインタビューを受けた。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦33試合の出場で、打率.111、0本塁打、4打点と低迷。その一方で、阪神とのウエスタン・リーグ最終戦(9月30日)で5号本塁打を放ってシーズンを締めくくると、10月上旬にはフェニックスリーグに参加した。なお、一軍のリーグ優勝で迎えたポストシーズンには、再び一軍へ合流。日本ハムとのクライマックスシリーズ ファイナルステージでは出場の機会がなく、阪神との日本シリーズでも第1戦(10月25日・甲子園)へ代打に出場しただけに終わったが、シリーズ後の契約交渉では現状維持という条件で残留を決めた。 2015年はオープン戦まで一軍に帯同していたが、左肩痛の影響で打率が.111にとどまったことから、公式戦を二軍でスタート。ウエスタン・リーグの公式戦では、7月上旬に2試合連続本塁打を放つなど、77試合の出場で打率.299、11本塁打という成績を残した。9月21日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、他球団への現役続行を視野に、同月29日に退団を発表。発表後は、レギュラーシーズンでの本拠地最終戦(10月1日の対楽天戦)に「7番・指名打者」としてスタメンで出場したが、4打席連続三振を喫して19年間のホークス生活を終えた。結局、一軍公式戦には、この試合を含めて9試合に出場。打率.067、1安打、1打点という成績で、3年続けて本塁打を放てなかった。 NPB他球団での現役続行を視野に、退団直後から自主トレーニングに専念。しかし、2015年11月10日に草薙球場で開かれた12球団合同トライアウトには参加しなかった。同年12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。2016年1月には、ソフトバンク時代の後期に続いて、元チームメイトの松田宣浩・福田秀平などと共にグアムで自主トレーニングに取り組んだ。 松中は退団当初、NPBの他球団だけを対象に、無期限で獲得のオファーを待つ方針を示していた。しかし、2015年中にオファーが出なかったため、2016年に入ってからこの方針を変更。2016年2月の春季キャンプ期間中に、NPB他11球団の編成担当者に対して、入団テストの実施を直々に打診することを明らかにした。 その後は、2016年2月末を期限として、新日鐵住金かずさマジック(古巣である新日鐵君津の後継チーム)でトレーニングを継続。水面下で接触があったNPB7球団のうち、自身と同じ40代の選手が前年限りで一斉に引退した中日ドラゴンズ以外の6球団に入団テストの実施を持ち掛けたが、不調に終わった。同月19日には、古巣・ソフトバンクとの練習試合に臨む新日鐵住金かずさマジックのナインと共に、ソフトバンクの春季宮崎キャンプで打撃練習に参加。「練習試合には参加しない」という条件ながら、NPB他球団の関係者がいることを見越しての参加だった。それでも、獲得のオファーを出した球団がベースボール・チャレンジ・リーグの武蔵ヒートベアーズだけにとどまったため、松中は前述した期限を機に現役からの引退を決断。同年3月1日には、トータル・ワークアウト福岡店で記者会見を開くとともに、引退を正式に表明した。 引退記者会見の際に、「野球一筋の人生しか送っていない自分には、野球に携わる仕事しかできないので、いずれは(現役時代の自身のように)三冠王を獲得できるほどの選手を育てたい。また、地元・熊本県出身のプロ野球選手が以前に比べて少ないので、県内の子どもたちからプロ野球選手を輩出するための力になりたい」という抱負を披露。野球指導者への転身を視野に、野球以外の業種で成功を収めた人物との交流や、「ベーブ・ルースが活躍するなど、ベースボールの歴史がある」というニューヨークへの滞在などを計画している。その一方で、2016年からは福岡放送、TOKYO MX、FOXスポーツ&エンターテイメント(2019年まで)、スポーツライブ+(2020年以降)、フジテレビ(2022年以降)の野球解説者を務めている。 2019年9月30日、2020年シーズンから四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズのゼネラルマネージャー(GM)兼総監督に就任することが発表された。松中はこれに先立って8月に香川とソフトバンク三軍との交流戦に招かれ、その際の野球に取り組む姿勢を見て香川球団がオファーを出し、松中も「野球に恩返したい」とこれを受諾した。10月31日に就任記者会見をおこない、その席で2020年シーズンは監督も兼務することを発表していた。背番号については3番になることが2020年2月10日に発表された。なお背番号発表の際の役職は「総監督」で、「監督としての指揮を伴ったゼネラルマネージャー兼総監督」と報じるメディアもあった。2020年3月25日に野手コーチの近藤智勝の監督就任が発表され、松中は総監督専任が確定した。四国新聞の報道では、2月の合同自主トレーニング開始後も松中がスケジュールの都合で十分に練習に立ち会えなかったことから、監督権限を委譲して「チーム編成や若い選手への指導に注力する」方針とされている。松中は球団の発表したコメントで「GM兼総監督として、もちろん監督の必要性を感じていたので球団内外を問わず香川オリーブガイナーズにとって最良の形を探っておりました。今後もこれまでと変わらずリーグ制覇に向けて近藤新監督を現場の責任者として全力でサポートして参ります。」と述べている。2020年シーズンはホームゲームのみベンチ入りして監督の近藤をサポートする形となった。 2020年からはスポーツライブ+の野球解説者を務める。 2020年2月1日、エージェント会社・羽田エキスパートエージェンシー(HADA Expert Agency)と自身のマネージメントを含めた包括的契約を締結する。 2020年7月1日、株式会社ゼストと業務提携契約を締結する。なお、この時の発表文には羽田エキスパートエージェンシー(HADA Expert Agency)が移籍等のエージェント業務を担当すると記載されている。 2020年8月24日、日本ハンドボールリーグの公認アンバサダーに就任。 2020年10月1日に、契約満了により前日付でGM兼総監督を退任したと複数のメディアが報じた。 2021年には、千葉ロッテマリーンズの春季キャンプで臨時コーチを務める。元々は、キャンプ中のみの予定だったが、3月26日に球団と契約を延長し、臨時打撃コーチとしてシーズンに入ってからも定期的に指導を行っている。11月14日までに、同職を契約満了となった。 2023年7月、日本ハンドボールリーグの理事に就任。 2024年10月28日、2025年シーズンより中日ドラゴンズの打撃コーチに就任する事を発表した。 1996年にはアトランタオリンピック野球日本代表に選出され、全日本の4番を担う。銀メダル獲得に貢献。敗れはしたものの、決勝の対キューバ戦では同点満塁本塁打を放つなど、一躍注目を浴びた。 2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会では打率.433を記録し、日本の初優勝に貢献した。 インパクト時に利き手を押し込む打撃から放つ長打力を最大の武器としており、小久保裕紀がアッパースイングで打球を高く上げるのとは対照的に、バットをボールの下に潜り込ませることで逆回転のスピンを与え、そこからさらに若干芯をずらすことにより、ファウルゾーンに切れることなく飛距離のある打球を放つ。2001年には松坂大輔からバットを折りながら本塁打を放った。 また、内角を捌くのが上手く、球界屈指とも呼ばれた。 さらに左打者でありながら左投手も苦にしない上、本塁打打者でありながら三振が少なく、シーズン100三振以上したことがない。特に2006年は37個と自己最少だった。選球眼が良く、2006年には102個を含む2度のリーグ最多四球を記録。通算のBB/K(四球÷三振)は1前後を推移した。 走塁では2006年頃までは一塁到達まで4.2秒台と平均以上のものを備えていたが、晩年は膝の状態の悪化もあり、一塁到達までほとんどが8秒台と衰えが顕著となっていた。 守備では肩は強く、柔らかいグラブ捌きとスローイングを持ち味とし、2004年にはゴールデングラブ賞を獲得している。 高校時代に左肩を痛めたことが原因で一時期右投げに転向していたことがある(新日鐵君津在籍時に手術で完治させた後は左投げに戻った)。 社会人(新日鐵君津)時代は「まっちゃん号」と名付けた赤の軽自動車を所有していた。ドラフト会議当日の指名後、「まっちゃん号」と共に報道陣の前でカメラに収まる様子が記録されている。 ソフトバンク選手時代の2008年には、「元気に野球ができる心と身体をつくってくれた八代に恩返しをしたい」「スポーツを通じた青少年の健全育成のために役立てて欲しい」という意向を背景に、野球関連の道具や記念品を展示した自身の記念館を八代市内に建設。同市への寄贈を経て、2009年1月27日から、「八代市松中信彦スポーツミュージアム」として営業している。 ソフトバンクからの退団後は、チャンスが少ないことを覚悟しつつも、NPB他球団の支配下登録選手としての現役続行に最後までこだわった。引退会見の直前には、「二軍生活が長かったソフトバンク時代終盤の2~3年間に、『自分としては一軍へ行くための準備をしなくてはいけないが、(40代の自分が二軍に居座ることで)若い選手の芽もつぶしちゃいけない』という葛藤があった。そのため、育成選手としてNPBの他球団へ移籍することは、最初から考えていなかった。武蔵から『NPB球団のオファーを待つ間の在籍』を勧められるなど、『NPB以外のリーグでプレーを続ける』という選択肢もあったが、自分としてはNPBで最後の勝負をしたかった。これが僕の野球人生」と語っている。なお、引退記者会見の前日には、引退を決断したことを王に報告。会見では、「ホークスに育ててもらったので、チャンスがあれば、指導者としてホークスのユニフォームを着たい」という意向を示した後に、元チームメイトの本多雄一と福田から直々に花束を贈られた。 タレントの松中みなみとは親戚の関係にあたるが、みなみからは「にぃにぃ」と呼ばれているという。みなみは信彦について「口下手だけど、すごく面倒見がいい」と述べている。なお、みなみには自身の引退のことを事前に知らせなかったことが、2018年4月のみなみのインタビューで明らかにされており、このことについてみなみは「私(みなみ)が涙もろい性格であることを知っているから(と思う)」と述べている。 ホークスファンによる応援では、在籍期間において同姓の選手がいなかったにもかかわらず、下の名前の「信彦」とコールされていたが、それは入団時に名字が似ている松永浩美が同チームに在籍していたためである。 近年はハンドボールの普及にも取り組む。長男はハンドボールで全国大会出場経験があり、自身も2019年4月に福岡でハンドボールのクラブチーム「KINGS」を立ち上げ代表に就任。2020年には日本ハンドボールリーグアンバサダーに就任した。 2020 日本レジャーチャンネル(JLC)のYouTube中継などに頻繁にゲスト出演している 各年度の太字はリーグ最高 ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更 太字年はゴールデングラブ賞受賞年
首位打者:2回(2004年、2006年) 本塁打王:2回(2004年、2005年) 打点王:3回(2003年 - 2005年) ※パ・リーグ左打者最多タイ(他に加藤秀司、タフィ・ローズ) 最高出塁率:3回(2004年 - 2006年) 最多安打:1回(2004年) 最優秀選手:2回(2000年、2004年) ベストナイン:5回(一塁手部門:2000年、2003年、2004年 指名打者部門:2005年 外野手部門:2006年) ゴールデングラブ賞:1回(一塁手部門:2004年) 月間MVP:6回(野手部門:2001年9月、2003年8月、2004年5月、2005年7月、2005年9月、2006年6月) セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2006年) オールスターゲームMVP:1回(2009年 第2戦) オールスターゲーム・ベストプレー賞:1回(2008年 第1戦) パ・リーグ連盟特別表彰:2回(特別賞:2000年、三冠王:2004年) ※2000年はシドニー五輪出場による会長特別賞、2004年は三冠王によるもの セ・リーグ連盟特別表彰:1回(三冠王記念賞:2004年) 日本プロスポーツ大賞殊勲賞(2004年) 千葉県知事賞:2回(1994年、1996年) ※1994年はアジア競技大会、1996年はアトランタ五輪出場によるもの 八代市市民栄誉賞(2004年) ※受賞者第1号 熊本県スポーツ優秀大賞特別賞(2006年) ※WBC出場によるもの 福岡県民栄誉賞(2006年) ※WBC出場によるもの 福岡市スポーツ栄誉賞(2006年) ※WBC出場によるもの ベスト・ファーザー賞 in 九州(スポーツ部門:2007年) 初出場・初先発出場:1997年5月31日、対西武ライオンズ9回戦(福岡ドーム)、7番・一塁手で先発出場 初安打・初打点:同上、4回裏に石井丈裕から中前同点適時打 初死球:1997年6月18日、対日本ハムファイターズ14回戦(東京ドーム)、7回表に芝草宇宙から 初本塁打:1998年9月5日、対西武ライオンズ22回戦(福岡ドーム)、3回裏に西口文也から右越ソロ 初盗塁:1998年9月13日、対近鉄バファローズ27回戦(福岡ドーム)、3回裏に二盗(投手:赤堀元之、捕手:的山哲也) 100本塁打:2002年5月3日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、5回表に正田樹から右中間ソロ ※史上219人目 150本塁打:2003年9月27日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(Yahoo!BBスタジアム)、5回表に窪田淳から右越ソロ ※史上128人目 200本塁打:2005年4月17日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、9回裏に渡辺俊介から右越ソロ ※史上82人目 1000安打:2005年7月30日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、6回裏にダン・セラフィニから左中間適時二塁打 ※史上235人目 1000試合出場:2006年4月28日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(札幌ドーム)、4番・指名打者で先発出場 ※史上410人目 250本塁打:2006年5月6日、対西武ライオンズ7回戦(インボイスSEIBUドーム)、8回表に山岸穣から右越2ラン ※史上48人目 300本塁打:2008年8月29日、対埼玉西武ライオンズ20回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、3回裏に涌井秀章から右越2ラン ※史上34人目 1000打点:2009年4月3日、対オリックス・バファローズ1回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、3回裏に小松聖から中越2点適時二塁打 ※史上34人目 100死球:2009年4月21日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、6回表に須永英輝から ※史上11人目 1500安打:2009年5月6日、対オリックス・バファローズ6回戦(京セラドーム大阪)、6回表に山本省吾から中前安打 ※史上100人目 300二塁打:2009年8月6日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、1回裏に成瀬善久から右翼線二塁打 ※史上52人目 1500試合出場:2010年3月28日、対オリックス・バファローズ3回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、5番・指名打者で先発出場 ※史上168人目 3000塁打:2011年4月14日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)、2回表にアルフレッド・フィガロから中前安打で達成 ※史上48人目 350本塁打:2012年5月10日、対オリックス・バファローズ9回戦(ほっともっとフィールド神戸)、9回表に中西健太の代打で出場、岸田護から中越同点2ラン ※史上27人目 三冠王:1回(2004年)※平成唯一、史上7人目 3年連続120打点(2003年 - 2005年) ※日本プロ野球記録 シーズン7部門(打率、本塁打、打点、安打、出塁率、得点、塁打)トップ(2004年) ※史上2人目 長打率.715(2004年) ※パ・リーグ左打者記録 2004年に記録した118得点・342塁打・82長打はホークスにおける年間最多記録、シーズン長打率・OPSは球団最高記録。 オールスターゲーム出場:9回(1999年、2000年、2001年、2003年、2004年、2005年、2007年、2008年、2009年) ※2006年にも監督推薦で選出されているが、負傷のため欠場。 26(1997年 - 1999年) 3(2000年 - 2015年、2020年) 日本テレビ「Going!Sports&News」の企画で、亀梨和也(KAT-TUN)との一打席勝負を行ったこの日からシーズンいっぱいまで使用。なお、この時の対戦結果は2球目を打ちあげての中飛であった。 ホークスの選手にテーマソングが導入された2005年から使用している「Fly Away」に加え、2006年は「YES!」、2007年からは「Everything」、「時の描片〜トキノカケラ〜」、2008年は「Pure」、2009年は自身の公式サイトでのファン投票で選ばれた「Dream Catcher」を使用。第一打席時を除き基本的に奇数打席時は「Dream Catcher」、偶数打席時は「Fly Away」となるが、チャンスの際はイニングに関係なく「Fly Away」が流れるようになっている。この年の8月と2010年の前半の奇数打席時は「FIREWORKS」を使用。 第12回IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表 1996年アトランタオリンピックの野球競技・日本代表 2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 西部ガス 『ホームパーティ篇』 『取替え篇』 福岡放送 ソフトバンクモバイル ホワイトプラン 『ホワイト・バット篇』 『ホワイト・身長編』(2007年1月 - ) 和田毅、川﨑宗則、斉藤和巳らと共演。 DRAMATIC BASEBALL(福岡放送、2016年 - ) パ・リーグ応援宣言!ホークス中継(TOKYO MX、2016年 - ) S☆1 BASEBALL(BS-TBS、RKB毎日放送、2016年) HAWKS プロ野球中継(スポーツライブ+、2020年 - ) 野球道(フジテレビ、2022年 - ) SWALLOWS BASEBALL L!VE(フジテレビONE、2022年 - ) プロ野球ニュース(フジテレビONE、2022年 - ) 競馬BEAT - 不定期ゲスト(テレビ西日本) ^ 月刊ホークス2008年4月号、P56-59 ^ 激動の2004年…松中信彦「平成唯一の三冠王」を振り返る【平成死亡遊戯】 BASEBALL KING 2018年5月24日 ^ Affiliated client - 羽田エキスパートエージェンシー ^ 「タカ粘った! 今季7度目サヨナラ勝ち」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)8月19日付朝刊、26面(スポーツ面)。 ^ 「タカ3年越し 宿敵石井に逆襲」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)5月5日付朝刊、18面(スポーツ面)。 ^ 「タカ笑い アーチ攻勢で3連勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)9月4日付朝刊、18面(スポーツ面)。 ^ 「パは松中 初受賞 「もっと上狙う」」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)10月31日付朝刊、26面(スポーツ面)。 ^ 「タカ再奪首 松中 逆転サヨナラ弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)8月26日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 「延長3夜 最後はタカ 松中サヨナラ弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)4月11日付朝刊、20面(スポーツ面)。 ^ 「松中サヨナラ弾 タカ5連勝 公式戦 初の台湾開催」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)5月15日付朝刊、18面(スポーツ面)。 ^ 「鈴木誠也の「6試合連続本塁打」も会心の記録だが… 王貞治「7試合連続」の内容を改めて調べると凄まじかった〈週刊セパ記録〉」『Number Web』文藝春秋、2021年9月14日。2022年9月11日閲覧。 ^ 『ベースボールマガジン 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自ら売り込み!テスト受験へ「編成の方に電話する」」スポーツニッポン、2016年1月20日。2016年1月20日閲覧。 ^ 「松中信彦が引退「この4カ月は最後の挑戦だった」」日刊スポーツ、2016年3月1日。2016年3月1日閲覧。 ^ 「松中 指導者で第二の人生「しっかり勉強、経験を」渡米計画も」スポーツニッポン、2016年3月1日。2016年3月1日閲覧。 ^ 「松中信彦、引退を正式発表「現実はやはり厳しい」」日刊スポーツ、2016年3月1日。2016年3月1日閲覧。 ^ 香川OG 松中 信彦氏 GM兼総監督就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュース(2019年9月30日) ^ 「平成唯一の三冠王・松中信彦氏 2020年から香川オリーブガイナーズ監督兼選手就任へ!」『高校野球ドットコム』2019年10月31日。2019年10月31日閲覧。 ^ 総監督・新入団選手背番号決定のお知らせ - 香川オリーブガイナーズ(2020年2月10日) ^ 「香川オリーブガイナーズ合同自主トレーニング開始 「松中信彦塾」ここに開校!」『高校野球ドットコム』2020年2月5日。2020年2月10日閲覧。 ^ 香川OG 新監督就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2020年3月25日) ^ 高田博史「四国リーグ】香川に激震!松中信彦に代わり、近藤智勝コーチが新監督に就任」『Yahoo!ニュース』2020年3月25日。2020年3月25日閲覧。 ^ 「香川OG 新監督に近藤コーチ 松中GMは今後も指導 四国ILplus」『四国新聞』2020年3月26日。2020年3月26日閲覧。 ^ 香川オリーブガイナーズ チーム体制についてのお知らせ - 香川オリーブガイナーズ(2020年3月25日) ^ 「松中信彦、独立リーグでの挑戦「指導者として三冠王育てたい」」『NEWSポストセブン』2020年8月26日、2頁。2020年9月7日閲覧。 ^ 元プロ野球選手で平成唯一の三冠王打者 松中信彦氏との業務提携契約に関するお知らせ、株式会社ゼスト、2020年7月1日公開、2024年11月3日閲覧 ^ 『JHLアンバサダー 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- X(旧Twitter) NOBUHIKO MATSUNAKA OFFICIAL (@nobuhikomatsunaka3) - Instagram 松中信彦 (@nobuhikomatsunaka3) - TikTok 松中信彦オフィシャルブログ - Ameba Blog 表 話 編 歴 芦沢真矢 2005 - 2006 西田真二 2007 - 2019 松中信彦 2020 (総監督) 近藤智勝 2020 - 2023 岡本克道 2024 未定 2025 - 表 話 編 歴 1938秋 中島治康 1973 王貞治 1974 王貞治 1985 R.バース 1986 R.バース 2022 村上宗隆 1965 野村克也 1982 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 2004 松中信彦 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 山本一人 1952 柚木進 1953 岡本伊三美 1954 大下弘 1955 飯田徳治 1956 中西太 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 山内和弘 1961 野村克也 1962 張本勲 1963 野村克也 1964 J.スタンカ 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 足立光宏 1968 米田哲也 1969 長池徳二 1970 木樽正明 1971 長池徳二 1972 福本豊 1973 野村克也 1974 金田留広 1975 加藤秀司 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 C.マニエル 1980 木田勇 1981 江夏豊 1982 落合博満 1983 東尾修 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 石毛宏典 1987 東尾修 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 野茂英雄 1991 郭泰源 1992 石井丈裕 1993 工藤公康 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 西口文也 1998 松井稼頭央 1999 工藤公康 2000 松中信彦 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 城島健司 2004 松中信彦 2005 杉内俊哉 2006 小笠原道大 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 ダルビッシュ有 2010 和田毅 2011 内川聖一 2012 吉川光夫 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 柳田悠岐 2016 大谷翔平 2017 D.サファテ 2018 山川穂高 2019 森友哉 2020 柳田悠岐 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 大下弘 1951 大下弘 1952 飯島滋弥 1953 岡本伊三美 1954 L.レインズ 1955 中西太 1956 豊田泰光 1957 山内和弘 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 榎本喜八 1961 張本勲 1962 ブルーム 1963 ブルーム 1964 広瀬叔功 1965 野村克也 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 永淵洋三, 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 加藤秀司 1974 張本勲 1975 白仁天 1976 吉岡悟 1977 有藤道世 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 L.リー 1981 落合博満 1982 落合博満 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 新井宏昌 1988 高沢秀昭 1989 ブーマー 1990 西村徳文 1991 平井光親 1992 佐々木誠 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 福浦和也 2002 小笠原道大 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 和田一浩 2006 松中信彦 2007 稲葉篤紀 2008 リック 2009 鉄平 2010 西岡剛 2011 内川聖一 2012 角中勝也 2013 長谷川勇也 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 柳田悠岐 2019 森友哉 2020 吉田正尚 2021 吉田正尚 2022 松本剛 2023 頓宮裕真 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 大下弘 1952 深見安博 1953 中西太 1954 中西太 1955 中西太 1956 中西太 1957 野村克也 1958 中西太 1959 山内和弘 1960 山内和弘 1961 野村克也, 中田昌宏 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 野村克也 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 長池徳二 1973 長池徳二 1974 C.ジョーンズ 1975 土井正博 1976 C.ジョーンズ 1977 L.リー 1978 B.ミッチェル 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ, 門田博光 1982 落合博満 1983 門田博光 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 秋山幸二 1988 門田博光 1989 R.ブライアント 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 小久保裕紀 1996 T.ニール 1997 N.ウィルソン 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 T.ローズ 2004 松中信彦, F.セギノール 2005 松中信彦 2006 小笠原道大 2007 山﨑武司 2008 中村剛也 2009 中村剛也 2010 T-岡田 2011 中村剛也 2012 中村剛也 2013 M.アブレイユ 2014 E.メヒア, 中村剛也 2015 中村剛也 2016 B.レアード 2017 A.デスパイネ 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 浅村栄斗 2021 杉本裕太郎 2022 山川穂高 2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 中西太 1954 山内和弘 1955 山内和弘 1956 中西太 1957 中西太 1958 葛城隆雄 1959 葛城隆雄 1960 山内和弘 1961 山内和弘 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 G.アルトマン 1969 長池徳二 1970 大杉勝男 1971 門田博光 1972 野村克也, 大杉勝男 1973 長池徳二 1974 長池徳二 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 L.リー 1978 B.マルカーノ 1979 加藤英司 1980 C.マニエル 1981 T.ソレイタ 1982 落合博満 1983 水谷実雄 1984 ブーマー 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 ブーマー 1988 門田博光 1989 ブーマー 1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦 1991 O.デストラーデ, J.トレーバー 1992 ブーマー 1993 R.ブライアント 1994 石井浩郎 1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄 1996 T.ニール 1997 小久保裕紀 1998 N.ウィルソン 1999 T.ローズ 2000 中村紀洋 2001 中村紀洋 2002 T.ローズ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 小笠原道大, A.カブレラ 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 中村剛也 2010 小谷野栄一 2011 中村剛也 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 中田翔 2015 中村剛也 2016 中田翔 2017 A.デスパイネ 2018 浅村栄斗 2019 中村剛也 2020 中田翔 2021 島内宏明 2022 山川穂高 2023 近藤健介 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 松井稼頭央 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 松井稼頭央 2003 谷佳知 2004 松中信彦, 川﨑宗則 2005 和田一浩 2006 大村直之 2007 稲葉篤紀 2008 栗山巧, 片岡易之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 坂口智隆 2012 内川聖一 2013 長谷川勇也 2014 中村晃 2015 秋山翔吾 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 秋山翔吾 2019 秋山翔吾 2020 柳田悠岐 2021 荻野貴司 2022 島内宏明 2023 柳田悠岐 2024 辰己涼介 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 飯田徳治 1951 飯田徳治 1952 飯田徳治 1953 飯田徳治 1954 川合幸三 1955 杉山光平 1956 榎本喜八 1957 岡本健一郎 1958 スタンレー橋本 1959 榎本喜八 1960 榎本喜八 1961 榎本喜八 1962 榎本喜八 1963 榎本喜八 1964 榎本喜八 1965 高木喬 1966 榎本喜八 1967 大杉勝男 1968 榎本喜八 1969 大杉勝男 1970 大杉勝男 1971 大杉勝男 1972 大杉勝男 1973 加藤秀司 1974 C.ジョーンズ 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 加藤英司 1980 レオン 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 落合博満 1984 ブーマー 1985 R.デービス 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 ブーマー 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 石井浩郎 1994 石井浩郎 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 P.クラーク 1998 P.クラーク 1999 小笠原道大 2000 松中信彦 2001 小笠原道大 2002 A.カブレラ 2003 松中信彦 2004 松中信彦 2005 J.ズレータ 2006 小笠原道大 2007 A.カブレラ 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 A.カブレラ 2011 小久保裕紀 2012 李大浩 2013 浅村栄斗 2014 E.メヒア 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 山川穂高 2019 山川穂高 2020 中田翔 2021 B.レアード 2022 山川穂高 2023 頓宮裕真 表 話 編 歴 1950 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1951 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1952 飯島滋弥, 大下弘, 別当薫 1953 大下弘, 別当薫, 堀井数男 1954 大下弘, 関口清治, 山内和弘 1955 飯田徳治, 戸倉勝城, 山内和弘 1956 杉山光平, 戸倉勝城, 山内和弘 1957 大下弘, 毒島章一, 山内和弘 1958 杉山光平, 関口清治, 毒島章一 1959 杉山光平, 高倉照幸, 山内和弘 1960 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1961 田宮謙次郎, 張本勲, 山内和弘 1962 張本勲, 山内一弘, 吉田勝豊 1963 張本勲, 広瀬叔功, 山内一弘 1964 高倉照幸, 張本勲, 広瀬叔功 1965 張本勲, 広瀬叔功, 堀込基明 1966 高倉照幸, 張本勲, 毒島章一 1967 土井正博, 長池徳二, 張本勲 1968 G.アルトマン, 土井正博, 張本勲 1969 長池徳二, 永淵洋三, 張本勲 1970 G.アルトマン, 長池徳二, 張本勲 1971 門田博光, G.アルトマン, 長池徳二 1972 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1973 長池徳二, 張本勲, 福本豊 1974 D.ビュフォード, 張本勲, 福本豊 1975 佐々木恭介, 白仁天, 弘田澄男 1976 門田博光, 弘田澄男, 福本豊 1977 門田博光, 福本豊, L.リー 1978 佐々木恭介, 福本豊, 簑田浩二 1979 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1980 栗橋茂, 福本豊, L.リー 1981 島田誠, テリー, 福本豊 1982 新井宏昌, 栗橋茂, 福本豊 1983 島田誠, テリー, 簑田浩二 1984 高沢秀昭, T.クルーズ, 簑田浩二 1985 金森永時, 熊野輝光, 横田真之 1986 秋山幸二, 新井宏昌, 横田真之 1987 秋山幸二, 新井宏昌, T.ブリューワ 1988 秋山幸二, 高沢秀昭, 平野謙 1989 秋山幸二, 藤井康雄, R.ブライアント 1990 秋山幸二, 石嶺和彦, 西村徳文 1991 秋山幸二, 佐々木誠, 平井光親 1992 秋山幸二, 佐々木誠, 高橋智 1993 秋山幸二, 佐々木誠, 藤井康雄 1994 イチロー, K.ライマー, 佐々木誠 1995 イチロー, 佐々木誠, D.ジャクソン 1996 イチロー, 田口壮, 村松有人 1997 イチロー, 佐々木誠, T.ローズ 1998 イチロー, 大村直之, 柴原洋 1999 イチロー, 谷佳知, T.ローズ 2000 イチロー, 柴原洋, S.オバンドー 2001 礒部公一, 谷佳知, T.ローズ 2002 谷佳知, T.ローズ, 小関竜也 2003 谷佳知, T.ローズ, 和田一浩 2004 和田一浩, SHINJO, 谷佳知 2005 和田一浩, 宮地克彦, M.フランコ 2006 稲葉篤紀, 松中信彦, 和田一浩 2007 稲葉篤紀, 森本稀哲, 大村直之 2008 稲葉篤紀, 栗山巧, リック 2009 鉄平, 糸井嘉男, 稲葉篤紀 2010 多村仁志, T-岡田, 栗山巧 2011 糸井嘉男, 内川聖一, 栗山巧 2012 糸井嘉男, 角中勝也, 内川聖一 2013 長谷川勇也, 内川聖一, 中田翔 2014 柳田悠岐, 糸井嘉男, 中田翔 2015 秋山翔吾, 柳田悠岐, 清田育宏 2016 角中勝也, 糸井嘉男, 西川遥輝 2017 柳田悠岐, 秋山翔吾, 西川遥輝 2018 柳田悠岐, 秋山翔吾, 吉田正尚 2019 荻野貴司, 秋山翔吾, 吉田正尚 2020 柳田悠岐, 吉田正尚, 近藤健介 2021 杉本裕太郎, 吉田正尚, 柳田悠岐 2022 松本剛, 柳田悠岐, 島内宏明 2023 近藤健介, 万波中正, 柳田悠岐 表 話 編 歴 1975 長池徳二 1976 大田卓司 1977 高井保弘 1978 土井正博 1979 C.マニエル 1980 C.マニエル 1981 門田博光 1982 T.ソレイタ 1983 門田博光 1984 L.リー 1985 L.リー 1986 石嶺和彦 1987 石嶺和彦 1988 門田博光 1989 門田博光 1990 O.デストラーデ 1991 O.デストラーデ 1992 O.デストラーデ 1993 R.ブライアント 1994 R.ブライアント 1995 T.ニール 1996 T.ニール 1997 D.マルティネス 1998 N.ウィルソン 1999 P.クラーク 2000 N.ウィルソン 2001 F.ボーリック 2002 和田一浩 2003 A.カブレラ 2004 F.セギノール 2005 松中信彦 2006 F.セギノール 2007 山﨑武司 2008 T.ローズ 2009 山﨑武司 2010 福浦和也 2011 J.フェルナンデス 2012 W.ペーニャ 2013 M.アブレイユ 2014 中村剛也 2015 李大浩 2016 大谷翔平 2017 A.デスパイネ 2018 近藤健介 2019 A.デスパイネ 2020 栗山巧 2021 近藤健介 2022 吉田正尚 2023 G.ポランコ 表 話 編 歴 1972 大杉勝男 1973 C.ジョーンズ 1974 W.パーカー 1975 加藤秀司 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 柏原純一 1979 柏原純一 1980 小川亨 1981 柏原純一 1982 柏原純一 1983 片平晋作 1984 山本功児 1985 山本功児 1986 ブーマー 1987 ブーマー 1988 清原和博 1989 愛甲猛 1990 清原和博 1991 J.トレーバー 1992 清原和博 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 J.フランコ 1996 片岡篤史 1997 髙木大成 1998 髙木大成 1999 小笠原道大 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 小笠原道大 2003 福浦和也 2004 松中信彦 2005 福浦和也 2006 小笠原道大 2007 福浦和也 2008 A.カブレラ 2009 髙橋信二 2010 小久保裕紀 2011 小久保裕紀 2012 稲葉篤紀 2013 浅村栄斗 2014 T-岡田 2015 中田翔 2016 中田翔 2017 銀次 2018 中田翔 2019 内川聖一 2020 中村晃, 中田翔 2021 中村晃 2022 中村晃 2023 中村晃 2024 山川穂高 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 2005 金本知憲, 中村剛也 2006 佐藤充, 松中信彦 2007 高橋尚成, サブロー 2008 金本知憲, 岩隈久志 2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有 2010 阿部慎之助, 和田毅 2011 内海哲也, 坂口智隆 2012 杉内俊哉, 吉川光夫 2013 能見篤史, 田中将大 2014 山田哲人, 則本昂大 2015 畠山和洋, 菊池雄星 2016 鈴木誠也, 大谷翔平 2017 丸佳浩, 松本剛 2018 石山泰稚, 石川歩 2019 柳裕也, 鈴木大地 2020 (中止) 2021 D.ビシエド, 伊藤大海 2022 大山悠輔, 杉本裕太郎 2023 牧秀悟, 近藤健介 2024 才木浩人, 近藤健介 表 話 編 歴 76 山田久志 77 山田久志 78 鈴木啓示 79 C.マニエル 80 木田勇 81 江夏豊 82 落合博満 83 東尾修 84 ブーマー 85 落合博満 86 落合博満 87 工藤公康 88 門田博光 89 阿波野秀幸 90 野茂英雄 91 秋山幸二 92 石井丈裕 93 辻発彦 94 イチロー 95 イチロー 96 イチロー 97 松井稼頭央 98 イチロー 99 松坂大輔 00 中村紀洋 01 T.ローズ 02 松井稼頭央 03 城島健司 04 松中信彦 05 渡辺俊介 06 ダルビッシュ有 07 山﨑武司 08 岩隈久志 09 鉄平 10 T-岡田 11 内川聖一 12 吉川光夫 13 田中将大 14 大谷翔平 15 柳田悠岐 16 大谷翔平 17 D.サファテ 18 山川穂高 19 森友哉 20-21 中止 表 話 編 歴 川島勝司 垣野多鶴 大田垣耕造 杉浦正則 豊田次郎 藤井政夫 森昌彦 大塔正明 小野仁 澤田和基 大久保秀昭 佐伯稔 髙木大成 松中信彦 松本尚樹 福留敏雄 仁志敏久 藤嶺典優 筒井壮 佐藤友昭 高林孝行 中村大伸 山田正浩 表 話 編 歴 川島勝司 垣野多鶴 大田垣耕造 井尻陽久 森昌彦 杉浦正則 木村重太郎 須合哲哉 舩木聖士 小野仁 倉野信次 大久保秀昭 黒須隆 髙木大成 西郷泰之 松中信彦 松本尚樹 仁志敏久 今岡誠 井口忠仁 中村大伸 高林孝行 佐藤友昭 谷佳知 表 話 編 歴 30 川島勝司 31 垣野多鶴(打撃) 32 大田垣耕造(投手) 33 井尻陽久(守備・走塁) 11 三澤興一 12 森中聖雄 14 木村重太郎 15 川村丈夫 16 小野仁 18 森昌彦 19 杉浦正則 9 大久保秀昭 21 黒須隆 1 福留孝介 2 野島正弘 3 松中信彦 4 今岡誠 6 桑元孝雄 7 井口忠仁 8 西郷泰之 10 中村大伸 24 高林孝行 25 佐藤友昭 27 谷佳知 表 話 編 歴 30 大田垣耕造 33 林裕幸 34 野村収 35 長崎慶一 11 高橋薫 12 森憲久 15 石川雅規 16 山田秋親 18 松坂大輔 19 杉浦正則 20 川越英隆 23 小池秀郎 21 阿部慎之助 22 的場直樹 27 古田敦也 1 平馬淳 2 工藤賢二 3 松中信彦 4 高橋賢司 6 初芝清 7 野村謙二郎 8 沖原佳典 9 阿部真宏 5 井出竜也 10 梶山義彦 24 飯塚智広 25 鷹野史寿 26 赤星憲広 表 話 編 歴 30 大田垣耕造 33 林裕幸 34 野村収 35 長崎慶一 11 土井善和 12 河野昌人 13 渡辺俊介 14 吉見祐治 15 石川雅規 16 山田秋親 17 杉内俊哉 18 松坂大輔 19 杉浦正則 54 黒木知宏 2 鈴木郁洋 21 阿部慎之助 22 野田浩輔 3 松中信彦 4 平馬淳 5 中村紀洋 6 田中幸雄 8 沖原佳典 9 野上修 1 田口壮 10 梶山義彦 24 飯塚智広 25 廣瀬純 26 赤星憲広 表 話 編 歴 89 王貞治 86 鹿取義隆(投手) 84 武田一浩(投手) 87 大島康徳(打撃) 85 辻発彦(内野守備走塁) 88 弘田澄男(外野守備走塁) 11 清水直行 12 藤田宗一 15 久保田智之 18 松坂大輔 19 上原浩治 20 薮田安彦 21 和田毅 24 藤川球児 31 渡辺俊介 40 大塚晶則 41 小林宏之 47 杉内俊哉 61 石井弘寿(途中離脱) 61 馬原孝浩(追加招集) 22 里崎智也 27 谷繁元信 59 相川亮二 1 岩村明憲 2 小笠原道大 3 松中信彦 7 西岡剛 8 今江敏晃 10 宮本慎也 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 5 和田一浩 6 多村仁 9 金城龍彦 17 福留孝介 23 青木宣親 51 イチロー 表 話 編 歴 1位:井口忠仁(逆指名) 2位:松中信彦(逆指名) 3位:柴原洋 4位:倉野信次 5位:岡本克道 6位:村上鉄也 7位:新里紹也 VIAF 日本 日本の野球選手 日本製鉄かずさマジック及びその前身チームの選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 最優秀選手 (NPB) 本塁打王 (NPB) 首位打者 (NPB) 打点王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP 野球日本代表選手 オリンピック野球日本代表選手 日本のオリンピック銀メダリスト 野球のオリンピックメダリスト ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 日本のアジア競技大会金メダリスト 香川オリーブガイナーズ 秀岳館高等学校出身の野球選手 日本のハンドボールに関する人物 千葉ロッテマリーンズ関連人物 中日ドラゴンズ関連人物 ゼスト (芸能事務所) 野球解説者 熊本県出身のスポーツ選手 1973年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) Pages using the JsonConfig extension Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/13 06:18更新
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matsunaka nobuhiko
松中信彦と同じ誕生日12月26日生まれ、同じ熊本出身の人
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