もしもし情報局 > 1921年 > 12月2日 > 野球選手

道仏訓の情報 (どうぶつさとし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

道仏訓の情報(どうぶつさとし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

道仏 訓さんについて調べます

■名前・氏名
道仏 訓
(読み:どうぶつ さとし)
■職業
野球選手
■道仏訓の誕生日・生年月日
1921年12月2日 (年齢2005年没)
酉年(とり年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
広島出身

道仏訓と同じ1921年生まれの有名人・芸能人

道仏訓と同じ12月2日生まれの有名人・芸能人

道仏訓と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


道仏訓と関係のある人

田部輝男: 鯉城園が同年夏、戦後再開された第17回都市対抗野球大会に出場したため、上京した濃人、門前、道仏訓らを口説き、チームに引き入れた。


倉本信護: 都市対抗野球出場の命を請けての加入と思われ、翌1949年、今度は鹿沼市・古沢建設に道仏訓、田部輝男と共に移籍し、第20回都市対抗野球大会に出場。


二出川延明: しかし、二出川と一緒に審判控え室にいた道仏訓の証言では、ルールブックを手にしていた道仏に三原が「そのルールブックを開いて、見てくれ」と言ったので、二出川が怒って「オレがいうんだから間違いない。


藤村隆男: 最上級生となった1939年の春の甲子園には、控え投手・野崎泰一、一塁手・道仏訓、遊撃手・竹林実(のち金鯱)らを揃えた強力チームだったが、初戦の島田商業に1-2で敗退した。


久喜勲: 1977年道仏訓の後を受けて審判部長に就任すると東京審判部に転籍。


広田修三: 戦後の1946年、平桝敏男や倉本信護、田部輝男、濃人渉、門前眞佐人、道仏訓、岩本信一、橋本正吾らと広島駅前で映画館やパチンコ屋、キャバレーなどを経営していた広島鯉城園のノンプロチームに参加。


橋本正吾: 戦後の1946年、平桝敏男や倉本信護、田部輝男、濃人渉、門前眞佐人、道仏訓、岩本信一、広田修三らと広島駅前で映画館やパチンコ屋、キャバレーなどを経営していた広島鯉城園のノンプロチームに参加。


道仏訓の情報まとめ

もしもしロボ

道仏 訓(どうぶつ さとし)さんの誕生日は1921年12月2日です。広島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、解散、病気、引退、テレビ、父親に関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。

道仏訓のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

道仏 訓(どうぶつ さとし、1921年12月2日 - 2005年7月25日)は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、パシフィック・リーグ審判。

旧制呉港中学校時代の1939年、第16回選抜大会に一塁手として藤村隆男、野崎泰一らと甲子園出場。

卒業後、田村駒商店(現・田村駒)に入社。子会社のノンプロ・大阪太陽レーヨンでプレイした後応召。

タイで終戦を迎え復員後、ノンプロ・広島鯉城園を経て、1947年にプロ野球・国民リーグのグリーンバーグ~結城ブレーブスでプレー。同年限りで退団。

その後、ノンプロ・植良組、古沢建設、山藤商店、全福島日東紡でプレーをした。1953年、繊維不況で日東紡野球部が解散し、近くの郵便局に籍を置いて郵便局の軟式野球チームの監督を務めた。また福島の野球連盟に頼まれ審判を務めていたが、福島でパリーグの公式戦、大毎×南海戦が行われた際に、宿舎に審判をしていた横沢三郎を訪ね、横沢から審判募集の件を聞く。

1955年にパ・リーグ審判部に入局、以後30年パ・リーグ審判を務めた。1974年~1976年には審判部長。審判員袖番号は16(1977年初採用から1981年病気による引退まで、16は1983年から2010年まで山本隆造がつけている。)。

日本シリーズには11回、オールスターには5回出場している。

1981年に脳血栓で倒れ、引退。その後再起を果たし1987年アマ資格を取得、スポーツニッポン野球教室講師を務めるなど社団法人少年軟式野球国際交流協会に勤務し少年野球の指導を続けた。最晩年には、マスターズリーグの規則委員を務めた。

2005年7月25日死去。享年84。

名審判・二出川延明の発言「俺がルールブックだ!」の際にその場にいた審判でもある。道仏によると、西鉄の三原脩監督が審判控え室にいた二出川に抗議したところ、二出川の後ろでルールブックを手にしていた道仏に、三原が「そのルールブックを開いて、見てくれ」と言うので、二出川が怒って「オレがいうんだから間違いない。早く行け!」と怒鳴り、この「オレがいうんだから間違いない」という言葉が、いつのまにかマスコミに喧伝されて、「俺がルールブックだ」という言葉になったのが真相と話している。道仏と共に二出川と一緒に審判控え室にいた小島多慶男も「あれはそのままに、そっとしておこうよ」と道仏に話していたという。

1967年10月17日、東京球場で行われた東京×近鉄26回戦で、大リーグにいたと威張っていたカール・ボレスが、ジャッジに文句をつけ、バットの先で道仏の足を小突いたので、「退場!」と宣告しボレスを二度蹴っ飛ばした。選手を蹴飛ばした球審の第1号で、所謂暴力審判第1号でもある。当時の外国人選手は日本の野球をなめていて、日本で野球をやっているのに、日本の審判にやたら文句を言っていた。道仏はまず外国人選手からマナーを直さなくてはと、日頃から外国人選手に厳しく接していたという。

その他、道仏の功績として6回(当時)のグラウンド整備時に審判のトイレ休憩を設けたことがある。それまでは試合中は我慢して小便を漏らすケースがあった。また審判のユニフォームを大きく変更し、それまでは紺の上着にネクタイと紺のズボンの上下だったが、ネクタイを取ってハイネックし、カラーテレビの全盛時代に沿って上下色の違う配色にしたことなどがある。

戦後は同郷の石本秀一や門前眞佐人らと国民リーグ・グリーンバーグ~結城ブレーブスに参加した。チームが茨城県結城市に移った時、主将だった濃人渉が世話してくれた結城市の合宿所近くの郵便局の娘に一目惚れ。付き合い始めたが呉服屋だった娘の父親は二人の交際を知って激怒、「野球を商売にしとるような奴に娘はやれん。ましてどこの馬の骨か分からん者に」 仕方なく道仏は遠征先からせっせと手紙を送った。家には送ることが出来なかったが、娘の勤務先が郵便局だったので「郵便局付け」で送れたので便利だった。

1973年10月24日、阪急ブレーブス対南海ホークスによるプレーオフ第5戦にて9回裏に3番手として登板した江本孟紀に対して「頑張れよ」とささやき、激励したエピソードがある。これだけではなく、その後の江本の投球に対し、高めのボールに(江本曰く打者の肩のあたり)ストライクとコールし、打者の高井保弘や阪急のベンチが激怒する中、江本はこれに救われ、高井を三振に打ち取り、パ・リーグ優勝を果たした。これらは江本の知人が三浦真一郞審判を介して、道仏に「(江本を)よろしくお願いします」と頼んでいたとの事であった。

16 (1947年)

『プロ野球 審判だけが知っている―誤審、大乱闘、トラブルの真相』(田宮謙次郎共著、ソニー・マガジンズ、1992年3月)

『焦土の野球連盟』、阿部牧郎著、1987年2月、サンケイ出版

^ スポーツに生きる、川本信正・森川貞夫、大月書店、1987年7月、67-76頁

^ 田宮謙次郎・道仏訓『プロ野球 審判だけが知っている―誤審、大乱闘、トラブルの真相』ソニー・マガジンズ、1992年、56-60頁

^ 『プロ野球 審判だけが知っている』147-152頁

^ 『年刊 人物情報事典'83 芸能・スポーツ・世相編』日外アソシエーツ、1983年、365頁

^ 【優勝決定戦】1973年プレーオフ!優勝が決まる最終戦…ピンチの江本さんを救った一言【江本孟紀】【高橋慶彦】【プロ野球OBに会いに行く】 - YouTube

^ 江本孟紀 野球バカは死なず 株式会社文藝春秋.2018年.P140-142

広島県出身の人物一覧

プロ野球審判員一覧

もうひとつのプロ野球 「国民リーグ」 - ウェイバックマシン(1999年1月16日アーカイブ分)

1 横沢三郎

2 二出川延明

3 上田藤夫

4 小島多慶男

5 田川豊

6 道仏訓

7 久喜勲

8 斎田忠利

9 村田康一

10 寺本勇

11 前川芳男

12 藤本典征

13 永見武司

14 前川芳男

ISNI

VIAF

日本

日本の野球選手

国民野球連盟

植良組硬式野球部の選手

古沢建設硬式野球部の選手

山藤商店硬式野球部の選手

全福島日東紡の選手

日本のプロ野球審判員

呉港高等学校出身の野球選手

広島県出身の人物

1921年生

2005年没

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ISNI識別子が指定されている記事

VIAF識別子が指定されている記事

NDL識別子が指定されている記事

2024/11/20 16:11更新

doubutsu satoshi


道仏訓と同じ誕生日12月2日生まれ、同じ広島出身の人

政宗 一成(まさむね いっせい)
1948年12月2日生まれの有名人 広島出身

政宗 一成(まさむね いっせい、1948年12月2日 - )は、日本の元男性声優、元俳優、元ナレーター。株式会社夢吽空(むんく)主宰。広島県呉市出身。 1948年、井上家の長男として広島県で誕生。3…

広田 精一(ひろた せいいち)
1871年12月2日生まれの有名人 広島出身

廣田 精一(ひろた せいいち、広田 精一、1871年12月2日(明治4年10月20日) - 1931年(昭和6年)1月25日)は、日本の教育者。工学博士。私立電機学校(現・東京電機大学)、神戸高等工業…

大原 栄一(おおはら えいいち)
1912年12月2日生まれの有名人 広島出身

大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身。満州安東育ち。 旧制広島高校を経て19…

中林 佳子(なかばやし よしこ)
1945年12月2日生まれの有名人 広島出身

中林 佳子(なかばやし よしこ、1945年12月2日 - )は日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(4期)。広島県神石郡豊松村(現・神石高原町)出身。島根大学教育学部卒業。元党中央委員。 政治…

萩原 麻未(はぎわら まみ)
1986年12月2日生まれの有名人 広島出身

萩原 麻未(はぎわら まみ、1986年(昭和61年)12月2日 - )は、日本のピアニスト。  広島県出身。夫はヴァイオリニストの成田達輝。 1986年、広島市内の病院で生まれ、その後呉市で育つ。…


小林 由芽(こばやし ゆめ)
1987年12月2日生まれの有名人 広島出身

12月2日生まれwiki情報なし(2024/11/15 03:36時点)

樋口 賢(ひぐち けん)
1989年12月2日生まれの有名人 広島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 樋口 賢(ひぐち けん、1989年12月2日 - )は、広島県竹原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 イギリス・ロンドンにて…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
道仏訓
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

Kis-My-Ft2 タッキー&翼 TEAM★NACS ベイビーレイズ 新選組リアン GReeeeN THE ポッシボー SixTONES ももクロ やるせなす 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「道仏訓」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました