那須良輔の情報(なすりょうすけ) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
那須良輔と関係のある人
長新太: 同じフロアの毎日新聞編集局には横山隆一、横山泰三、那須良輔のデスクがあり、ビルのあった有楽町周辺には同様に漫画家がひしめいていた。 フジヤマジョージ: このほか、那須良輔風刺漫画大賞優秀賞を受賞している。 和田義三: 那須良輔『釣りキチ賛歌』つり人社、1995年。 徳川夢声: 復刻・那須良輔 絵 近藤日出造: 戦争の激化にともない、近藤は1944年(昭和19年)9月、家族を長野県上田市に疎開させ、自身は東京・芝神谷町の借家で、那須良輔、横井福次郎、和田義三らと共同生活を送った。 和田義三: 1943年には横山、近藤日出造、横井福次郎、那須良輔らとともに田村町に『漫画』同人用の宿舎を借りて暮らした。 |
那須良輔の情報まとめ
那須 良輔(なす りょうすけ)さんの誕生日は1913年4月15日です。熊本出身の漫画家のようです。
趣味に関する情報もありますね。1989年に亡くなられているようです。
那須良輔のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)那須 良輔(なす りょうすけ、1913年4月15日 - 1989年2月22日)は、日本の漫画家。昭和初期に児童漫画家としてデビューしたのち、戦後に似顔絵を用いた風刺漫画の連載を長期にわたって続けた。 熊本県球磨郡湯前村(のちの湯前町)の農家に長男として生まれる。絵を描くのを好み、コンクールで何度も受賞するうち、洋画家になることを志す。1932年(昭和7年)、「親戚中の反対をおしきって」上京し、太平洋美術学校に入学。中村不折、石川寅治らに師事。学費や生活費を稼ぐため、染め物の下絵職人として働くかたわら、新聞・雑誌の投稿欄に漫画を投稿したり、『日本少年』『少年倶楽部』『キング』などの漫画雑誌に原稿を持ち込んだりする生活を続けた。 1933年(昭和8年)、『日本少年』(実業之日本社)で原稿が採用され、デビュー。また、『キング』『大衆クラブ』『モダン日本』などにおいて、いわゆる大人漫画の寄稿も開始した。 1938年(昭和13年)に実業之日本社の従軍記者として中国に渡る。また同年、第106師団に所属した。その後本隊から漢口の司令部報道班に転属し、相手兵士や現地住民に向けた伝単およびポスターの制作に従事した。1940年(昭和15年)に召集解除を受けて帰還。同年、近藤日出造主宰の『漫画』に自身初の政治漫画を寄稿したほか、伝単制作の経験を買われ、大本営陸軍部の嘱託職員となった。翌年再度召集を受け、ハイラルを経て、新京の関東軍司令部報道班に配属され、1943年(昭和18年)に復員した。新京のころの上官に文藝春秋の夏目伸六がいた。この時の召集が子供が生まれる直前だったことや、「政府高官の子弟は徴兵のがれができた」と知ったことで、「政府は俺をあくまで殺すつもりなのか」と怒り、「政界の様子をグタイテキに国民大衆に知らせ、風刺しなければならない」と決意する。 『漫画』誌の寄稿を通じ、近藤をはじめ、横山隆一、横井福次郎、和田義三ら「新漫画派集団」系の漫画家と知己を得、戦争末期は彼らと共同生活を送っていた。しかし東京大空襲で宿舎が焼失し、那須は郷里に疎開した。終戦後、上京して冨田英三宅へ身を寄せ、新漫画派の後身の「漫画集団」の立ち上げに参加するも、食糧事情などから東京で生活地盤を築くことがかなわず再度帰郷し、1946年(昭和21年)、熊本日日新聞に児童向け4コマ漫画『Pちゃん』を連載開始し、郷里で漫画家としての活動を再開する。熊日新聞の東京支局員として再上京を果たしたのは1948年(昭和23年)になってからだった。 1949年(昭和24年)に北海道新聞の政治漫画を担当したのち、同年より毎日新聞の政治漫画の連載を開始する。 1989年(平成元年)、神奈川県鎌倉市の自宅で死去。戒名は「自然院清諷良輔居士」。死後の1992年(平成4年)、故郷の湯前町に那須の作品数万点を所蔵した「湯前町立湯前まんが美術館(那須良輔記念館)」が開館し、1994年(平成6年)より、彼を顕彰した「那須良輔風刺漫画大賞」が設けられている。 1987年 第16回日本漫画家協会賞 選考委員特別賞(漫画家生活50年の業績に対して) 1988年 勲四等瑞宝章 漫画家仲間での愛称は「すけどん」。 趣味の釣りは「名人級」と称えられるほどの腕前だったことで知られ、釣り場の自然を題材にした随筆や教則本の著書がある。また、釣りの他に、料理を得意とした。 鎌倉市には、戦後、横山隆一や秋好馨など、同業者が多く住んでいた事情のほか、子供の安全を考えて移住した。小林秀雄の旧宅を、菅原通済の勧めで買い入れた。那須は、鎌倉で多くの文化人と交流を持った。そのうち、鎌倉に自身の山荘を持っていた作家・里見弴とは趣味の釣りを通じて親しく、那須は『里見弴全集』の月報に「那珂の庄雑記」を連載した。 児童漫画
わが輩は「のみ」である(「阿蘇人吉」名義、1935年 - 1938年) 政治漫画・風刺漫画
カーボーイくるちゃん 子供マンガ新聞社 1949 むだばなし 弥生書房 1958 吉田から岸へ 政治漫画十年 毎日新聞社 1959 釣り道楽 文藝春秋新社(ポケット文春) 1964 魚眼レンズ 雪華社 1967 似顔絵教室 特徴の把え方と表現法 鶴書房 1968 絵本歳時記 毎日新聞社 1971 鎌倉を描く 古都鎌倉のスケッチコース案内 美術出版社 1978 釣り春秋 大陸書房 1978
自然対談 新潮社 1978 私の絵暦 鎌倉書房 1979 鎌倉・谷の細道、尾根の小径 山と渓谷社 1979 筆かげん味かげん 海の幸 かまくら春秋社 1979 わが酒中交遊記 講談社 1979 鎌倉の四季 六興出版 1983 魚と遊ぶ 釣りと料理 旺文社文庫 1983 漫画家生活50年 平凡社 1985 墨絵カット歳時記 知道出版 1986 釣りキチ讃歌 つり人社(つり人ノベルズ) 1995 ^ 那須良輔(ナス リョウスケ) コトバンク - 典拠は『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年) ^ 那須良輔紹介 湯前まんが美術館(那須良輔記念館) ^ 協会賞案内 歴代受賞者(日本漫画家協会賞および文部科学大臣賞) 日本漫画家協会 ^ 『漫画家生活50年』 ^ 『漫画集団漫画集』(グラフィック社、1972年)永井保「漫画集団小史年表」p.27 ^ 別冊一億人の昭和史『昭和新聞漫画史 笑いと風刺でつづる世相100年』毎日新聞社、1981年 p.80 ^ 熊本日日新聞情報文化センター(編)『熊本の博物館』 熊本日日新聞社、1993年 pp.168-169 ^ 『漫画集団漫画集』(グラフィック社、1972年)pp.146-147 湯前まんが美術館(那須良輔記念館) 那須良輔物語- 風を描く人 - 那須良輔の伝記漫画 発行 熊本県湯前町 2022年2月 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。 日本の漫画家 勲四等瑞宝章受章者 熊本県出身の人物 1913年生 1989年没 書きかけの節のある項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 漫画家に関するスタブ
2024/11/13 12:06更新
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nasu ryousuke
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