徳川夢声の情報(とくがわむせい) 講談師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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徳川 夢声さんについて調べます
■名前・氏名 |
徳川夢声と関係のある人
木下華声: そのため、久保田万太郎に相談して徳川夢声の向こうを張った「木下華声」の名をもらって一時的に名乗る。 丸山定夫: この呼びかけに丸山も応じることになり、1942年(昭和17年)に丸山、高山徳右衛門(薄田研二)、藤原鶏太(藤原釜足)、徳川夢声の4人が創立同人となって「苦楽座」が旗揚げすることとなる。 高尾光子: 『武士道朗らかなりし頃』 : 監督松井稔、原作徳川夢声、脚本八住利雄、主演柳家金語楼 矢島正明: 宮本武蔵(アール・エフ・ラジオ日本)※徳川夢声朗読の番組のナビゲーター 小沢昭一: 1994年(平成6年)に紫綬褒章、1999年(平成11年)に坪内逍遥大賞、2001年(平成13年)に勲四等旭日小綬章及び徳川夢声市民賞、2003年(平成15年)に東京都功労者。 花島喜世子: 1960年(昭和35年)1月16日、50歳を迎えるころ、日本テレビのドキュメンタリー番組『クライマックス 人生はドラマだ』(司会徳川夢声、初期カラー放送)に榎本と夫婦で出演、同日放送された。 和田信賢: サトウ・ハチロー、徳川夢声、春山行夫、堀内敬三、渡辺紳一郎『話の泉』 第1輯、青山書店、1947年11月。 堀内敬三: 自他共に認める鉄道ファンでもあり、「話の泉」での共演者の徳川夢声からは「彼(堀内)のモノ知りは非常に本格的なのである」と評され、音楽・鉄道・電気・化学・歴史・地理・国文学・和歌俳諧・歌舞伎・落語などにわたる博識ぶりを讃えられた。 伊沢蘭奢: 当時、近所に住んでいた夫の遠縁で、当時18歳の学生・福原駿雄(のちの徳川夢声)に慕われ、恋愛関係にあった。 山根基世: 2009年には第9回徳川夢声市民賞を受賞した。 林髞: 『随筆寄席』全4巻 辰野隆、徳川夢声共著 日本出版協同 1954-60 牧野周一: 1923年(大正12年)、映画説明者(活動弁士)の徳川夢声に弟子入りし広尾不二館で初舞台を踏んだ。 紙恭輔: 当時は浅草帝国館(現在の浅草ROX)や新宿武蔵野館、銀座の金春館など各映画館にオーケストラがあり、紙のいた目黒キネマの大将は徳川夢声だったという。 和田信賢: 戦後は1946年末からNHKのラジオクイズ番組『話の泉』の司会者として活躍、徳川夢声をはじめとする一癖も二癖もある文化人のレギュラー回答者たちを相手に絶妙な問答を繰り広げ、タレントとしての才能も高い人気アナウンサーの地位を引き続き保った。 木下華声: また、徳川夢声、榎本健一、山本嘉次郎らからも目をかけられた。 丸山定夫: 同時期に榎本健一(エノケン)、徳川夢声らと知り合う。 三国一朗: また、放送タレントの先輩として、徳川夢声を敬愛し、夢声研究の決定版『徳川夢声の世界』を刊行し、芸術選奨新人賞を受賞した。 高原駿雄: 1966年のプロフィールでは、両親の知り合いである漫談家で俳優の徳川夢声に弟子入りし、徳川の勧めで文学座入りしたと紹介されている。 三角寛: 戦後は娯楽が儲かると判断して映写機を手に入れ、吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。 三国一朗: 『徳川夢声とその時代』講談社〈もんじゅ選書〉、1986年6月20日。 七尾伶子: ラジオ漫画「西遊記」(1950年 - 1952年、連続55回) - キャストは徳川夢声と七尾伶子のみ。 木村耕三: 木村耕三、徳川夢声「地震予知より耐震建築をいそげ」『週刊朝日』第73巻第38号、朝日新聞出版、1968年、46-50頁、全国書誌番号:00010794。 佐伯秀男: 『三色旗ビルディング』 : 監督木村荘十二、原作サトウハチロー、脚本小林正・永見柳二、主演徳川夢声、製作PCL映画製作所、配給東和商事映画部、1935年7月12日公開 - 出演・「ヘンリイ」役 阿知波信介: 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。 橋本凝胤: 昭和の世に天動説を説き、週刊朝日誌上で徳川夢声と激論を交わした。 中村メイコ: この他、榎本健一、森繁久彌、徳川夢声、高倉健、田中角栄、三島由紀夫ともプライベートで親交があった。 森一也: 徳川夢声と交流があり、夢声は森の長男・次男の名付け親となっている(夢声『こんにゃく随想録』収録「伊勢路の旅」より)。 園井恵子: 苦楽座は園井が宝塚を退団する約2カ月前の1942年7月8日に、高山徳右衛門、丸山定夫、藤原鶏太、徳川夢声によって結成された。 浜村淳: 浜村はクラブ司会者の頃、宮田輝、高橋圭三、西条凡児、徳川夢声、8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生などを手本にしたという。 三国一朗: 『徳川夢声の世界』 (1979年、青蛙房) |
徳川夢声の情報まとめ
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徳川 夢声(とくがわ むせい)さんの誕生日は1894年4月13日です。島根出身の講談師のようです。
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受賞・栄典等、著書などについてまとめました。テレビ、卒業、父親、映画、再婚、脱退、結婚、姉妹に関する情報もありますね。77歳で亡くなられているようです。
徳川夢声のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年(明治27年)4月13日 - 1971年(昭和46年)8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。 島根県益田市に生まれ、幼少時に津和野に一時住んだ後は上京し東京で育つ。口演童話家として活躍し、児童文学の普及に貢献した天野雉彦は叔父(母の弟)。 3歳の頃、母に捨てられ、同居していた祖母に育てられる。幼少の頃から話術が達者で当時演じられていた落語をほとんど覚えていたという。学生時代に、近所に住む人妻と恋愛関係になるが、彼女は後に新劇界の伝説の女優「伊沢蘭奢」になった。 東京では赤坂小学校に通い、のちに芸妓で有名になる萬龍(赤坂小に一時通う)とは同級生にあたる。その後、赤坂近隣にある東京府立第一中学校(現 都立日比谷高校)を卒業したが、第一高等学校(現 東京大学教養学部)の入学試験に二度失敗。憧れの落語家になるため三遊亭圓子の元に入門を決意する。しかし父親に反対され、1913年(大正2年)に活動写真(無声映画)の弁士となる。日活第二福宝館で清水霊山に師事し「福原霊川」となのる。 1914年(大正3年)に秋田の映画館で主任弁士を3カ月つとめた後、1915年(大正4年)に帰京して新宿の映画館の主任をつとめるがすぐに館がつぶれ、再度、秋田の映画館に2カ月でかける。 1915年(大正4年)9月に、赤坂葵館に主任弁士として迎えられる。この時、支配人が勝手に、「葵」から「徳川」という芸名をつけたため、後でそれを知った当人はその大げさな名前に驚いたという。1916年(大正5年)ごろ、弁士をしながら明治大学の聴講生になり1年ほど籍をおいた。 1921年(大正10年)5月14日、日本で初公開のドイツ表現派の映画『カリガリ博士』の弁士を務めたという記録もあり、活動写真が好きでなかった竹久夢二なども観覧し、その印象を雑誌「新小説」に挿絵とともに寄稿している。1925年(大正14年)、新宿武蔵野館に入る。東京を代表する弁士として、人気を博す。 ストレスのため酒量が増え、20代で早くもアルコール使用障害になり、酒の上での失敗を繰り返す。40歳で妻を亡くすが、妻が亡くなった夜も酩酊状態であったほどであった。3人の娘をかかえ途方にくれるが、親友であったユーモア作家東健而の未亡人・静枝と再婚。新妻との間に長男が生まれるが、自身の健康に自信がなかった夢声は、「この子が成長するまで生きられるか?」と不安をいだいたが、結果としては長生きして、長男は無事に成人した。 二人目の妻・静枝の妹は、頭山秀三(頭山満の三男)の妻。妻の別の妹は、「天鬼将軍」としてしられた馬賊の薄益三の長男の妻となった。 昭和の時代になって、音声の出るトーキーが登場すると弁士の必要はなくなり、漫談や演劇に転じる。まだ弁士時代の1926年(大正15年)から、特別イベントとして古川ロッパらと弁士らの珍芸劇団「ナヤマシ会」を数年、開催。 1929年(昭和4年)、高級映画の殿堂と呼ばれていた武蔵野館における弁士の仕事が激減、1933年(昭和8年)に弁士を廃業、やはりロッパらと劇団「笑の王国」を結成するも意見の相違ですぐに脱退。 1937年(昭和12年)、岸田国士、杉村春子らが立ち上げた文学座に参加。 ただし、新劇俳優としての夢声については悪評の嵐であり、文学座を退団。他に、映画にも俳優として出演する。1942年には、薄田研二、丸山定夫、藤原釜足らと劇団「苦楽座」を結成。 また、漫談の研究団体「談譚集団」を結成。メンバーは、大辻司郎、山野一郎、松井翠声、泉虎夫、奈美野一郎、木下華声、5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)、正岡容ら。また、夢声の弟子の丸山章治、福地悟郎、吉井俊郎、木戸竝であり、月に1回、新作漫談の発表会をやっていた。 なお、夢声は早くから老人めいた雰囲気があり、40代から「夢声老」と、50代では「夢声翁」とよばれていた。 また、ラジオでも活躍。1939年から(レギュラー放送は1943年から)、NHKラジオで吉川英治の『宮本武蔵』の朗読を始め、人気を博す。独特の「間」は夢声独自のものであった。 文筆にも優れ、「新青年」などにユーモア小説やエッセイを多数執筆。1936年、佐々木邦、辰野九紫らとともに「ユーモア作家倶楽部」の創設に参加。1938年(昭和13年)、1949年(昭和24年)の直木賞候補にもなった。また、俳句好きで、1934年(昭和9年)から久保田万太郎が宗匠の「いとう句会」に所属し、句歴三十年に及んだ。ただし、毎日のように作ったので膨大な凡作の山である。 日々、詳細な日記をつけており、その一部は『夢声戦争日記』として出版され、戦時下の生活の貴重な資料となっている。また、自伝や自伝的な書も何冊も出しており、それらの執筆に日記が役立ったと思われる。 大東亜戦争中は各地に慰問興行に出かけている。1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)、占領下の東南アジア各地の慰問団に参加し、シンガポールでは日本未公開の映画「風と共に去りぬ」「ファンタジア」を見て、「日本は物質的のみならず、精神的にもアメリカに劣っているのではないか」という感想を抱き、後に随筆に記した(1945年発表の随筆「風とともに去りぬ」)。 第二次世界大戦後は新しいメディアの波に乗り、ラジオ・テレビで活躍した。NHKラジオのクイズ番組『話の泉』のレギュラー回答者などをつとめる。またテレビ放送も初期から関わり、NHKテレビの『こんにゃく問答』(柳家金語楼と競演)、日本テレビの『春夏秋冬』などに出演、日本におけるテレビ創成期の立役者のひとりである。1951年(昭和26年)、芸術祭賞受賞。 また、1951年から1958年まで週刊朝日に連載された連続対談「問答有用」も、戦後の夢声を代表する仕事である。 1953年(昭和28年)のエリザベス2世戴冠式には、特派員として訪英。また、夢声の娘が日系アメリカ人と結婚していたため、その帰りにアメリカにも寄って娘や孫と会い、その旅を著書『地球もせまいな』にまとめた。 1955年(昭和30年)、「年ごとに円熟を示している各方面における活躍」により、菊池寛賞を受賞。 代表作のラジオ朗読『宮本武蔵』は戦後も、1961年(昭和36年)- 1963年(昭和38年)にかけてラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)にて放送。2002年(平成14年)から同局と東海ラジオで再放送されている。また、この『宮本武蔵』は1971年(昭和46年)に同局開局15周年記念としてレコード化され、エレックレコードから発売された。 1965年(昭和40年)には愛知県犬山市にオープンした博物館明治村の初代村長となった。 1971年(昭和46年)8月1日12時20分、脳軟化症に肺炎を併発して死去した。77歳没。最期の言葉は「おい、いい夫婦だったなあ」であった。墓所は府中多磨霊園。 受賞・栄典等1938年、第7回直木賞候補 1949年、第1回文藝春秋読者賞「天皇陛下大いに笑ふ」(辰野隆・サトウハチロー鼎談) 1949年、第21回直木賞候補 1950年、第1回放送文化賞(NHK主宰) 1951年、芸術祭賞(「宮本武蔵」実演により) 1955年、第3回菊池寛賞(各方面における活動) 1957年、紫綬褒章 1965年、東京都名誉都民 1967年、勲四等旭日小綬章 1975年、東映太秦映画村・第1回「映画の殿堂」 著書漫談叢書 第1編 夢声漫談 聚英閣 1927 徳川夢声・大辻司郎漫談集 春江堂 1929 夢諦軒随筆 秋豊園出版部 1930 夢声軟尖集 往来社 1931 夢声軟光集 山県秀美堂 1931 現代ユウモア叢書 第5編 夢声半代記 資文堂書店 1931 くらがり二十年 アオイ書房 1934 / 春陽堂文庫 1942 / 春陽文庫 1957 閑散無双 アオイ書房 1934 現代ユーモア小説全集 第5巻 喃扇楽屋譚 他六篇 アトリヱ社 1935 愚談漫談 実業之日本社 1937 新版ユーモア小説全集 第5巻 唖にされた音盤 アトリヱ社 1939 天鬼将軍 双雅房 1940 駄犬駄主人 東成社(ユーモア文庫) 1941 吾家の過去帖 万里閣 1942 五ツの海 興亜書局 1942 爆雷社長 錦城出版社、1942 吾家の過去帳 万里閣 1042 柳緑花紅録 イヴニング・スター社 VAN叢書 1946 甘辛十五年 コバルト社 コバルト叢書 1946 自伝夢声漫筆 明治・大正篇(全2冊) 早川書房 1946 自伝夢声漫筆 昭和篇 早川書房 1947 世相談議 中央社ユーモア文庫 1947 話術 秀水社 1947 / 白揚社 1949 有中先生物語 ユーモア推理小説 誠光社 1948 うすけぼう譚 随筆二十年 東寳書店 東宝よみもの文庫 1948 チコ一世伝 展文社 1948 あかるみ十五年 世界社 1948 夢声懺悔録 生活文化社 1948 強盗時代 眞光社 1948 親馬鹿十年 創元社 1950 同行二人 養徳社 1950 放送話術二十七年 白揚社 1951 雁のあとさき 随筆集 四季社 1951 悲観も愉し 創元社 1951 放送 西遊記 宝文館 1951 負るも愉し 二十世紀日本社 1951 私の動物記 要書房 1951 夢声身上ばなし 明治の巻・大正の巻 徳川夢声自伝 早川書房(全2冊) 1952 問答有用 夢声対談集 全10冊 朝日新聞社 1952-58。私家本(最終2冊を追加)1961
連鎖反応 ヒロシマユモレスク 東成社 1952 (ユーモア小説全集 第6) 夢諦軒句日誌二十年 オリオン社 1952 随筆 甘茶博物誌 東和社 1953 徳川夢声代表作品集 全4巻 六興出版社 1953 いろは交友録 鱒書房 1953 世界飛びある記 桃園書房 1954 お茶漬哲学 文藝春秋新社 1954 地球もせまいな 朋文堂 旅窓新書 1954 現代ユーモア文学全集 第3 徳川夢声集 駿河台書房 1954 悲観楽観 文藝春秋新社 新書判 1955 夢声随筆 河出書房 1955 河出新書 芸術家素描 徳川夢声との対談 関書院 新書判 1955 こんにゃく随想録 鱒書房 新書判 1956 地声人語 探偵長自白他 東洋文化協会 1959 雑記・雑俳二十五年 オリオン社出版部 1959 あなたも酒がやめられる 文藝春秋新社 1959 夢声戦争日記 全5巻 中央公論社 1960 現代知性全集 第50 徳川夢声集 日本書房 1961 明治は遠くなりにけり 夢声自伝・明治篇 早川書房 1962。各・ハヤカワ・ライブラリー(新書判) よき友よき時代 夢声自伝・大正篇 早川書房 1962 一等国にっぽん 夢声自伝・昭和篇Ⅰ 早川書房 1962 守るも攻めるも 夢声自伝・昭和篇Ⅱ 早川書房 1963 にっぽん好日 夢声自伝・昭和篇Ⅲ 早川書房 1963 銭と共に老ひぬ-夢声自叙伝 上・下 新銭社 新書判 1968-1970 世にも不思議な話 実業之日本社 1969 ホリデー新書 漫談レヴュウ 古川ロッパ、岡田時彦共著 「現代ユウモア全集 第18」同刊行会 1929 まんだん読本 漫談花形揃傑作選 立興社文芸部 1932 川柳の味ひ方と作り方 川柳祭社、1948。古川緑波・正岡容・吉田機司 と共著 これは面白い 座談会異色集(編著)京都文藝社、1949 現代日本随筆選 3 愚妻愚夫譚 徳川夢声 / 天気帖 高田保、筑摩書房 1953 随筆寄席 座談会 全4巻(辰野隆、林髞共編) 日本出版協同 1954 / 新版 春歩堂 1960 親馬鹿読本(共著)鱒書房 1955 現代随想全集 第26巻 高田保・徳川夢声・渋沢秀雄集 創元社 1955 随筆の味(編著) 春陽堂書店 1958 私だけが知っている (共編著) 早川書房 1961 私の履歴書14 日本経済新聞社 1963 世界の人間像 第13 角川書店 1963、同編集部 編「東京芸界奇人伝=正岡容ほか」を収録 プロ・タレント花形稼業入門(共編著) ダイヤモンド社 1966 私だけが知っている:幻のNHK名番組 第1・2集 共著 光文社文庫 1993 夢声戦争日記 中公文庫 全7巻 1977
夢声戦中日記 中公文庫 2015 ISBN 4122061547。姉妹編:1941年12月8日〜1945年3月31日分から抜粋収録(濱田研吾編・解説) 夢声自伝 講談社文庫 上中下 1978 物語 西遊記 宝文館出版 1981 夢声の動物記 六興出版 1983 / ちくま文庫 1996 徳川夢声の問答有用 全3冊 朝日文庫 1984。三國一朗解説
問答有用-徳川夢声の世界 全3冊 深夜叢書社 1994-1996。齋藤愼爾編(Ⅰ・Ⅱは文学者篇、Ⅲは政財界篇) 話術 白揚社 新装版 1996、2003 / 新潮文庫 2018 ISBN 4101213615 徳川夢声-放送話術二十七年 日本図書センター〈人間の記録〉1998 ISBN 4820543164 夢声半代記―伝記・徳川夢声 大空社〈伝記叢書〉1998。復刻 いろは交友録 ネット武蔵野 2003 ISBN 4944237901。復刻・那須良輔 絵 徳川夢声の小説と漫談これ一冊で 清流出版 2009 ISBN 4860293010。付録に漫談CD 徳川夢声のあかるみ十五年 清流出版 2010 ISBN 4860293436 徳川夢声のくらがり二十年 清流出版 2010 ISBN 4860293428 吉川英治 宮本武蔵(朗読CD)新潮社 全20巻 2002 / 新版全7集 2006 2024/06/14 00:23更新
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tokugawa musei
徳川夢声と同じ誕生日4月13日生まれ、同じ島根出身の人
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