もしもし情報局 > 4月13日 > 講談師

徳川夢声の情報 (とくがわむせい)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

徳川夢声の情報(とくがわむせい) 講談師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

徳川 夢声さんについて調べます

■名前・氏名
徳川 夢声
(読み:とくがわ むせい)
■職業
講談師
■徳川夢声の誕生日・生年月日
1894年4月13日 (年齢77歳没)
午年(うま年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
島根出身

徳川夢声と同じ1894年生まれの有名人・芸能人

徳川夢声と同じ4月13日生まれの有名人・芸能人

徳川夢声と同じ出身地島根県生まれの有名人・芸能人


徳川夢声と関係のある人

木下華声: そのため、久保田万太郎に相談して徳川夢声の向こうを張った「木下華声」の名をもらって一時的に名乗る。


丸山定夫: この呼びかけに丸山も応じることになり、1942年(昭和17年)に丸山、高山徳右衛門(薄田研二)、藤原鶏太(藤原釜足)、徳川夢声の4人が創立同人となって「苦楽座」が旗揚げすることとなる。


高尾光子: 『武士道朗らかなりし頃』 : 監督松井稔、原作徳川夢声、脚本八住利雄、主演柳家金語楼


矢島正明: 宮本武蔵(アール・エフ・ラジオ日本)※徳川夢声朗読の番組のナビゲーター


小沢昭一: 1994年(平成6年)に紫綬褒章、1999年(平成11年)に坪内逍遥大賞、2001年(平成13年)に勲四等旭日小綬章及び徳川夢声市民賞、2003年(平成15年)に東京都功労者。


花島喜世子: 1960年(昭和35年)1月16日、50歳を迎えるころ、日本テレビのドキュメンタリー番組『クライマックス 人生はドラマだ』(司会徳川夢声、初期カラー放送)に榎本と夫婦で出演、同日放送された。


和田信賢: サトウ・ハチロー、徳川夢声、春山行夫、堀内敬三、渡辺紳一郎『話の泉』 第1輯、青山書店、1947年11月。


堀内敬三: 自他共に認める鉄道ファンでもあり、「話の泉」での共演者の徳川夢声からは「彼(堀内)のモノ知りは非常に本格的なのである」と評され、音楽・鉄道・電気・化学・歴史・地理・国文学・和歌俳諧・歌舞伎・落語などにわたる博識ぶりを讃えられた。


伊沢蘭奢: 当時、近所に住んでいた夫の遠縁で、当時18歳の学生・福原駿雄(のちの徳川夢声)に慕われ、恋愛関係にあった。


山根基世: 2009年には第9回徳川夢声市民賞を受賞した。


林髞: 『随筆寄席』全4巻 辰野隆、徳川夢声共著 日本出版協同 1954-60


牧野周一: 1923年(大正12年)、映画説明者(活動弁士)の徳川夢声に弟子入りし広尾不二館で初舞台を踏んだ。


紙恭輔: 当時は浅草帝国館(現在の浅草ROX)や新宿武蔵野館、銀座の金春館など各映画館にオーケストラがあり、紙のいた目黒キネマの大将は徳川夢声だったという。


和田信賢: 戦後は1946年末からNHKのラジオクイズ番組『話の泉』の司会者として活躍、徳川夢声をはじめとする一癖も二癖もある文化人のレギュラー回答者たちを相手に絶妙な問答を繰り広げ、タレントとしての才能も高い人気アナウンサーの地位を引き続き保った。


木下華声: また、徳川夢声、榎本健一、山本嘉次郎らからも目をかけられた。


丸山定夫: 同時期に榎本健一(エノケン)、徳川夢声らと知り合う。


三国一朗: また、放送タレントの先輩として、徳川夢声を敬愛し、夢声研究の決定版『徳川夢声の世界』を刊行し、芸術選奨新人賞を受賞した。


高原駿雄: 1966年のプロフィールでは、両親の知り合いである漫談家で俳優の徳川夢声に弟子入りし、徳川の勧めで文学座入りしたと紹介されている。


三角寛: 戦後は娯楽が儲かると判断して映写機を手に入れ、吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。


三国一朗: 『徳川夢声とその時代』講談社〈もんじゅ選書〉、1986年6月20日。


七尾伶子: ラジオ漫画「西遊記」(1950年 - 1952年、連続55回) - キャストは徳川夢声と七尾伶子のみ。


木村耕三: 木村耕三、徳川夢声「地震予知より耐震建築をいそげ」『週刊朝日』第73巻第38号、朝日新聞出版、1968年、46-50頁、全国書誌番号:00010794。


佐伯秀男: 『三色旗ビルディング』 : 監督木村荘十二、原作サトウハチロー、脚本小林正・永見柳二、主演徳川夢声、製作PCL映画製作所、配給東和商事映画部、1935年7月12日公開 - 出演・「ヘンリイ」役


阿知波信介: 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。


橋本凝胤: 昭和の世に天動説を説き、週刊朝日誌上で徳川夢声と激論を交わした。


中村メイコ: この他、榎本健一、森繁久彌、徳川夢声、高倉健、田中角栄、三島由紀夫ともプライベートで親交があった。


森一也: 徳川夢声と交流があり、夢声は森の長男・次男の名付け親となっている(夢声『こんにゃく随想録』収録「伊勢路の旅」より)。


園井恵子: 苦楽座は園井が宝塚を退団する約2カ月前の1942年7月8日に、高山徳右衛門、丸山定夫、藤原鶏太、徳川夢声によって結成された。


浜村淳: 浜村はクラブ司会者の頃、宮田輝、高橋圭三、西条凡児、徳川夢声、8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生などを手本にしたという。


三国一朗: 『徳川夢声の世界』 (1979年、青蛙房)


徳川夢声の情報まとめ

もしもしロボ

徳川 夢声(とくがわ むせい)さんの誕生日は1894年4月13日です。島根出身の講談師のようです。

もしもしロボ

受賞・栄典等、著書などについてまとめました。テレビ、卒業、父親、映画、再婚、脱退、結婚、姉妹に関する情報もありますね。77歳で亡くなられているようです。

徳川夢声のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年(明治27年)4月13日 - 1971年(昭和46年)8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。

島根県益田市に生まれ、幼少時に津和野に一時住んだ後は上京し東京で育つ。口演童話家として活躍し、児童文学の普及に貢献した天野雉彦は叔父(母の弟)。

3歳の頃、母に捨てられ、同居していた祖母に育てられる。幼少の頃から話術が達者で当時演じられていた落語をほとんど覚えていたという。学生時代に、近所に住む人妻と恋愛関係になるが、彼女は後に新劇界の伝説の女優「伊沢蘭奢」になった。

東京では赤坂小学校に通い、のちに芸妓で有名になる萬龍(赤坂小に一時通う)とは同級生にあたる。その後、赤坂近隣にある東京府立第一中学校(現 都立日比谷高校)を卒業したが、第一高等学校(現 東京大学教養学部)の入学試験に二度失敗。憧れの落語家になるため三遊亭圓子の元に入門を決意する。しかし父親に反対され、1913年(大正2年)に活動写真(無声映画)の弁士となる。日活第二福宝館で清水霊山に師事し「福原霊川」となのる。

1914年(大正3年)に秋田の映画館で主任弁士を3カ月つとめた後、1915年(大正4年)に帰京して新宿の映画館の主任をつとめるがすぐに館がつぶれ、再度、秋田の映画館に2カ月でかける。

1915年(大正4年)9月に、赤坂葵館に主任弁士として迎えられる。この時、支配人が勝手に、「葵」から「徳川」という芸名をつけたため、後でそれを知った当人はその大げさな名前に驚いたという。1916年(大正5年)ごろ、弁士をしながら明治大学の聴講生になり1年ほど籍をおいた。

1921年(大正10年)5月14日、日本で初公開のドイツ表現派の映画『カリガリ博士』の弁士を務めたという記録もあり、活動写真が好きでなかった竹久夢二なども観覧し、その印象を雑誌「新小説」に挿絵とともに寄稿している。1925年(大正14年)、新宿武蔵野館に入る。東京を代表する弁士として、人気を博す。

ストレスのため酒量が増え、20代で早くもアルコール使用障害になり、酒の上での失敗を繰り返す。40歳で妻を亡くすが、妻が亡くなった夜も酩酊状態であったほどであった。3人の娘をかかえ途方にくれるが、親友であったユーモア作家東健而の未亡人・静枝と再婚。新妻との間に長男が生まれるが、自身の健康に自信がなかった夢声は、「この子が成長するまで生きられるか?」と不安をいだいたが、結果としては長生きして、長男は無事に成人した。

二人目の妻・静枝の妹は、頭山秀三(頭山満の三男)の妻。妻の別の妹は、「天鬼将軍」としてしられた馬賊の薄益三の長男の妻となった。

昭和の時代になって、音声の出るトーキーが登場すると弁士の必要はなくなり、漫談や演劇に転じる。まだ弁士時代の1926年(大正15年)から、特別イベントとして古川ロッパらと弁士らの珍芸劇団「ナヤマシ会」を数年、開催。 1929年(昭和4年)、高級映画の殿堂と呼ばれていた武蔵野館における弁士の仕事が激減、1933年(昭和8年)に弁士を廃業、やはりロッパらと劇団「笑の王国」を結成するも意見の相違ですぐに脱退。 1937年(昭和12年)、岸田国士、杉村春子らが立ち上げた文学座に参加。 ただし、新劇俳優としての夢声については悪評の嵐であり、文学座を退団。他に、映画にも俳優として出演する。1942年には、薄田研二、丸山定夫、藤原釜足らと劇団「苦楽座」を結成。

また、漫談の研究団体「談譚集団」を結成。メンバーは、大辻司郎、山野一郎、松井翠声、泉虎夫、奈美野一郎、木下華声、5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)、正岡容ら。また、夢声の弟子の丸山章治、福地悟郎、吉井俊郎、木戸竝であり、月に1回、新作漫談の発表会をやっていた。

なお、夢声は早くから老人めいた雰囲気があり、40代から「夢声老」と、50代では「夢声翁」とよばれていた。

また、ラジオでも活躍。1939年から(レギュラー放送は1943年から)、NHKラジオで吉川英治の『宮本武蔵』の朗読を始め、人気を博す。独特の「間」は夢声独自のものであった。

文筆にも優れ、「新青年」などにユーモア小説やエッセイを多数執筆。1936年、佐々木邦、辰野九紫らとともに「ユーモア作家倶楽部」の創設に参加。1938年(昭和13年)、1949年(昭和24年)の直木賞候補にもなった。また、俳句好きで、1934年(昭和9年)から久保田万太郎が宗匠の「いとう句会」に所属し、句歴三十年に及んだ。ただし、毎日のように作ったので膨大な凡作の山である。

日々、詳細な日記をつけており、その一部は『夢声戦争日記』として出版され、戦時下の生活の貴重な資料となっている。また、自伝や自伝的な書も何冊も出しており、それらの執筆に日記が役立ったと思われる。

大東亜戦争中は各地に慰問興行に出かけている。1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)、占領下の東南アジア各地の慰問団に参加し、シンガポールでは日本未公開の映画「風と共に去りぬ」「ファンタジア」を見て、「日本は物質的のみならず、精神的にもアメリカに劣っているのではないか」という感想を抱き、後に随筆に記した(1945年発表の随筆「風とともに去りぬ」)。

第二次世界大戦後は新しいメディアの波に乗り、ラジオ・テレビで活躍した。NHKラジオのクイズ番組『話の泉』のレギュラー回答者などをつとめる。またテレビ放送も初期から関わり、NHKテレビの『こんにゃく問答』(柳家金語楼と競演)、日本テレビの『春夏秋冬』などに出演、日本におけるテレビ創成期の立役者のひとりである。1951年(昭和26年)、芸術祭賞受賞。

また、1951年から1958年まで週刊朝日に連載された連続対談「問答有用」も、戦後の夢声を代表する仕事である。

1953年(昭和28年)のエリザベス2世戴冠式には、特派員として訪英。また、夢声の娘が日系アメリカ人と結婚していたため、その帰りにアメリカにも寄って娘や孫と会い、その旅を著書『地球もせまいな』にまとめた。

1955年(昭和30年)、「年ごとに円熟を示している各方面における活躍」により、菊池寛賞を受賞。

代表作のラジオ朗読『宮本武蔵』は戦後も、1961年(昭和36年)- 1963年(昭和38年)にかけてラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)にて放送。2002年(平成14年)から同局と東海ラジオで再放送されている。また、この『宮本武蔵』は1971年(昭和46年)に同局開局15周年記念としてレコード化され、エレックレコードから発売された。

1965年(昭和40年)には愛知県犬山市にオープンした博物館明治村の初代村長となった。

1971年(昭和46年)8月1日12時20分、脳軟化症に肺炎を併発して死去した。77歳没。最期の言葉は「おい、いい夫婦だったなあ」であった。墓所は府中多磨霊園。

受賞・栄典等

1938年、第7回直木賞候補

1949年、第1回文藝春秋読者賞「天皇陛下大いに笑ふ」(辰野隆・サトウハチロー鼎談)

1949年、第21回直木賞候補

1950年、第1回放送文化賞(NHK主宰)

1951年、芸術祭賞(「宮本武蔵」実演により)

1955年、第3回菊池寛賞(各方面における活動)

1957年、紫綬褒章

1965年、東京都名誉都民

1967年、勲四等旭日小綬章

1975年、東映太秦映画村・第1回「映画の殿堂」

著書

漫談叢書 第1編 夢声漫談 聚英閣 1927

徳川夢声・大辻司郎漫談集 春江堂 1929

夢諦軒随筆 秋豊園出版部 1930

夢声軟尖集 往来社 1931

夢声軟光集 山県秀美堂 1931

現代ユウモア叢書 第5編 夢声半代記 資文堂書店 1931

くらがり二十年 アオイ書房 1934 / 春陽堂文庫 1942 / 春陽文庫 1957

閑散無双 アオイ書房 1934

現代ユーモア小説全集 第5巻 喃扇楽屋譚 他六篇 アトリヱ社 1935

愚談漫談 実業之日本社 1937

新版ユーモア小説全集 第5巻 唖にされた音盤 アトリヱ社 1939

天鬼将軍 双雅房 1940

駄犬駄主人 東成社(ユーモア文庫) 1941

吾家の過去帖 万里閣 1942

五ツの海 興亜書局 1942

爆雷社長 錦城出版社、1942

吾家の過去帳 万里閣 1042

柳緑花紅録 イヴニング・スター社 VAN叢書 1946

甘辛十五年 コバルト社 コバルト叢書 1946

自伝夢声漫筆 明治・大正篇(全2冊) 早川書房 1946

自伝夢声漫筆 昭和篇 早川書房 1947

世相談議 中央社ユーモア文庫 1947

話術 秀水社 1947 / 白揚社 1949

有中先生物語 ユーモア推理小説 誠光社 1948

うすけぼう譚 随筆二十年 東寳書店 東宝よみもの文庫 1948

チコ一世伝 展文社 1948

あかるみ十五年 世界社 1948

夢声懺悔録 生活文化社 1948

強盗時代 眞光社 1948

親馬鹿十年 創元社 1950

同行二人 養徳社 1950

放送話術二十七年 白揚社 1951

雁のあとさき 随筆集 四季社 1951

悲観も愉し 創元社 1951

放送 西遊記 宝文館 1951

負るも愉し 二十世紀日本社 1951

私の動物記 要書房 1951

夢声身上ばなし 明治の巻・大正の巻 徳川夢声自伝 早川書房(全2冊) 1952

問答有用 夢声対談集 全10冊 朝日新聞社 1952-58。私家本(最終2冊を追加)1961

※1951年(昭和26年)より『週刊朝日』の人気連載で、約400回の各界著名人との対談
    対談 奥義書 問答有用うらばなし 有紀書房 1957。編集長扇谷正造ほか、300回記念出版

    連鎖反応 ヒロシマユモレスク 東成社 1952 (ユーモア小説全集 第6)

    夢諦軒句日誌二十年 オリオン社 1952

    随筆 甘茶博物誌 東和社 1953

    徳川夢声代表作品集 全4巻 六興出版社 1953

    いろは交友録 鱒書房 1953

    世界飛びある記 桃園書房 1954

    お茶漬哲学 文藝春秋新社 1954

    地球もせまいな 朋文堂 旅窓新書 1954

    現代ユーモア文学全集 第3 徳川夢声集 駿河台書房 1954

    悲観楽観 文藝春秋新社 新書判 1955

    夢声随筆 河出書房 1955 河出新書

    芸術家素描 徳川夢声との対談 関書院 新書判 1955

    こんにゃく随想録 鱒書房 新書判 1956

    地声人語 探偵長自白他 東洋文化協会 1959

    雑記・雑俳二十五年 オリオン社出版部 1959

    あなたも酒がやめられる 文藝春秋新社 1959

    夢声戦争日記 全5巻 中央公論社 1960

    現代知性全集 第50 徳川夢声集 日本書房 1961

    明治は遠くなりにけり 夢声自伝・明治篇 早川書房 1962。各・ハヤカワ・ライブラリー(新書判)

    よき友よき時代 夢声自伝・大正篇 早川書房 1962 

    一等国にっぽん 夢声自伝・昭和篇Ⅰ 早川書房 1962  

    守るも攻めるも 夢声自伝・昭和篇Ⅱ 早川書房 1963

    にっぽん好日 夢声自伝・昭和篇Ⅲ 早川書房 1963

    銭と共に老ひぬ-夢声自叙伝 上・下 新銭社 新書判 1968-1970

    世にも不思議な話 実業之日本社 1969 ホリデー新書

    漫談レヴュウ 古川ロッパ、岡田時彦共著 「現代ユウモア全集 第18」同刊行会 1929

    まんだん読本 漫談花形揃傑作選 立興社文芸部 1932

    川柳の味ひ方と作り方 川柳祭社、1948。古川緑波・正岡容・吉田機司 と共著

    これは面白い 座談会異色集(編著)京都文藝社、1949

    現代日本随筆選 3 愚妻愚夫譚 徳川夢声 / 天気帖 高田保、筑摩書房 1953

    随筆寄席 座談会 全4巻(辰野隆、林髞共編) 日本出版協同 1954 / 新版 春歩堂 1960

    親馬鹿読本(共著)鱒書房 1955

    現代随想全集 第26巻 高田保・徳川夢声・渋沢秀雄集 創元社 1955

    随筆の味(編著) 春陽堂書店 1958

    私だけが知っている (共編著) 早川書房 1961

    私の履歴書14 日本経済新聞社 1963

    他は、大山康晴 小島政二郎 島津忠承 高川格 塚田公太 富安風生

    世界の人間像 第13 角川書店 1963、同編集部 編「東京芸界奇人伝=正岡容ほか」を収録

    プロ・タレント花形稼業入門(共編著) ダイヤモンド社 1966

    私だけが知っている:幻のNHK名番組 第1・2集 共著 光文社文庫 1993

    夢声戦争日記 中公文庫 全7巻 1977

      夢声戦争日記 抄-敗戦の記 中公文庫 2001 ISBN 4122039215。1945年4月1日〜8月30日分を収録(水木しげる解説)

      夢声戦中日記 中公文庫 2015 ISBN 4122061547。姉妹編:1941年12月8日〜1945年3月31日分から抜粋収録(濱田研吾編・解説)

      夢声自伝 講談社文庫 上中下 1978

      物語 西遊記 宝文館出版 1981

      夢声の動物記 六興出版 1983 / ちくま文庫 1996

      徳川夢声の問答有用 全3冊 朝日文庫 1984。三國一朗解説

        問答有用-徳川夢声対談集 ちくま文庫 2010 ISBN 4480427694。阿川佐和子編(朝日文庫版から抜粋)

        問答有用-徳川夢声の世界 全3冊 深夜叢書社 1994-1996。齋藤愼爾編(Ⅰ・Ⅱは文学者篇、Ⅲは政財界篇)

        話術 白揚社 新装版 1996、2003 / 新潮文庫 2018 ISBN 4101213615

        徳川夢声-放送話術二十七年 日本図書センター〈人間の記録〉1998 ISBN 4820543164

        夢声半代記―伝記・徳川夢声 大空社〈伝記叢書〉1998。復刻

        いろは交友録 ネット武蔵野 2003 ISBN 4944237901。復刻・那須良輔 絵

        徳川夢声の小説と漫談これ一冊で 清流出版 2009 ISBN 4860293010。付録に漫談CD

        徳川夢声のあかるみ十五年 清流出版 2010 ISBN 4860293436

        徳川夢声のくらがり二十年 清流出版 2010 ISBN 4860293428

        吉川英治 宮本武蔵(朗読CD)新潮社 全20巻 2002 / 新版全7集 2006

2024/06/14 00:23更新

tokugawa musei


徳川夢声と同じ誕生日4月13日生まれ、同じ島根出身の人

黒田 幸夫(くろだ ゆきお)
1937年4月13日生まれの有名人 島根出身

黒田 幸夫(くろだ ゆきお、1937年4月13日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。 平田高校から1956年に毎日オリオンズへ入団。1957年に退団。 詳細情報 年度別打撃成績 背番号 5…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


徳川夢声と近い名前の人

徳川 義直(とくがわ よしなお)
1601年1月2日生まれの有名人 京都出身

徳川 義直(とくがわ よしなお)は、尾張国名古屋藩の初代藩主。御三家のひとつ、尾張徳川家の祖。諱は、はじめ義知・義利と名乗った後、元和7年(1621年)に義直に改名している。字は子敬。極位極官は従二位…

徳川 龍峰(とくがわ りゅうほう)
1946年1月21日生まれの有名人 熊本出身

1月21日生まれwiki情報なし(2024/06/15 01:19時点)

徳川 家重(とくがわ いえしげ)
1712年1月28日生まれの有名人 和歌山出身

徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、江戸時代中期の江戸幕府の第9代将軍(在任:1745年 - 1760年)である。 正徳元年12月21日(1712年1月28日)、和歌山藩主(後に征夷大将軍)徳川吉…

徳川 家康(とくがわ いえやす)
1543年1月31日生まれの有名人 愛知出身

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川氏(将軍家、御三家など)の祖。三英傑の1人に数えられる。

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)
1646年2月23日生まれの有名人 東京出身

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代将軍(在職:1680年 - 1709年)。第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。 3代将軍・徳川家光の四男として正保…

徳川 一郎(とくがわ いちろう)
1948年3月15日生まれの有名人 静岡出身

さくらと一郎(さくら と いちろう)は、徳川一郎(とくがわ いちろう)と山岡さくら(やまおか - )によるデュエット歌手。現在のさくらは2代目であるが、現在でも「さくらと一郎」として歌手活動を行ってい…

徳川 家正(とくがわ いえまさ)
1884年3月23日生まれの有名人 東京出身

德川 家正(とくがわ いえまさ、1884年(明治17年)3月23日 - 1963年(昭和38年)2月18日)は、日本の外交官・政治家。新字体で徳川 家正とも表記される。徳川宗家第17代当主。第16代当…

徳川 斉昭(とくがわ なりあき)
1800年4月4日生まれの有名人 茨城出身

徳川 斉昭(とくがわ なりあき)は、江戸時代後期の大名(親藩)。御三家のひとつ、常陸国水戸藩の第9代藩主。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父である。 本項ではすべて「斉昭」で統一する。 寛政12…

徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)
1602年4月28日生まれの有名人 京都出身

徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊国和歌山藩の初代藩主。紀州(紀伊)徳川家の祖。 慶長7年(1602年)3月7日、徳川家康の十男として伏見城で生まれる。母は、於万の方(養珠院)。童名は長福(…

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)
1579年5月2日生まれの有名人 静岡出身

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代将軍(在職:1605年 - 1623年)。 天正7年4月7日(1579年5月2日)、徳川家康の三男として…

徳川 家定(とくがわ いえさだ)
1824年5月6日生まれの有名人 東京出身

徳川 家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府の第13代将軍(在任:1853年 - 1858年)。第12代将軍・徳川家慶の四男。 文政7年(1824年)4月8日、第12代征夷大将軍・徳川家慶の四男と…

徳川 家宣(とくがわ いえのぶ)
1662年6月11日生まれの有名人 山梨出身

徳川 家宣(とくがわ いえのぶ)は、江戸幕府の第6代将軍(在職:1709年 - 1712年)である。初名は綱豊(つなとよ)。 寛文2年4月25日(1662年6月11日)、徳川綱重の長男として、江戸…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
徳川夢声
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

KAT-TUN SixTONES DA PUMP AeLL. アリス十番 純烈 predia 9nine 夢みるアドレセンス Timelesz 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「徳川夢声」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました