小沢昭一の情報(おざわしょういち) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小沢 昭一さんについて調べます
■名前・氏名 |
小沢昭一と関係のある人
早野寿郎: 1949年に俳優座養成所を2期生として卒業し、1953年に小沢昭一たちと新人会を結成。 木の実ナナ: 1975年、小沢昭一主宰の劇団「芸能座」の旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』に参加する(次郎長の妻・お蝶役)。 なだいなだ: 同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。 藤田恒美: また、『小沢昭一の小沢昭一的こころ』では放送開始から終了まで一貫してナレーションを務める。 木村伊兵衛: ^ この写真館は後に俳優小沢昭一の父が借り受けている。 山本直純: TBSラジオの人気長寿番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のお囃子(劇中音楽)を担当し、テーマ曲と挿入曲を作曲したことでも知られる。 前田武彦: 最後のテレビ出演は2010年5月23日に放映した『ボクらの時代』(フジテレビ)の小沢昭一と大橋巨泉との対談であった。 小山田宗徳: 1960年に小沢昭一らと7人で「劇団俳優小劇場」を旗揚げ、小劇場活動で先駆的役割を務めた。 小川真司: 養成所卒業後は文学座入団を志望したが、その年に文学座が劇団員を採用していなかったため、小沢昭一が結成した俳優小劇場に入団する。 内藤法美: 同窓生にフランキー堺、小沢昭一、加藤武、仲谷昇らがいる。 大西信行: 小沢昭一、加藤武、桂米朝、永六輔、江国滋、柳家小三治、神吉拓郎、永井啓夫、三田純市らと集う、東京やなぎ句会のメンバーとしても知られる。 加藤武: 小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・大西信行・なだいなだ・内藤法美は麻布中学校の同級生だった。 フランキー堺: 中学時代の同級生には小沢昭一、加藤武が、他の同級生にはなだいなだ、内藤法美、仲谷昇、大西信行らがいた。 矢崎泰久: 永六輔とは特に交流が深く、1970年代には、テレビ「遠くへ行きたい (テレビ番組)」、「中年御三家」(永、野坂昭如、小沢昭一)コンサートなどのプロデュースを担当した。 西村晃: 市村は、西村本人と周りに集まってくる名優たち(三國連太郎や小沢昭一ら)を見て「一流の役者の振る舞いや言動を知った」という。 山谷初男: 浅草キヨシ伝 強いばかりが男じゃないといつか教えてくれたひと(1977年、小沢昭一演出) 江國滋: 1969年に小沢昭一、永六輔らと共に、東京やなぎ句会を発足。 暉峻康隆: 小沢昭一らにより早稲田大学で結成された、日本で初めての(学生サークルとしての)落語研究会の初代顧問であった。 木谷恭介: また、ラジオ番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の台本を執筆。 加藤登紀子: 1974年 「土耳古行進曲」(トルコ行進曲): 小沢昭一 鈴木ヒロミツ: 吾輩は主婦である(2006年、TBS) - 小沢昭一郎 鍵本景子: わたしが子どもだったころ(2008年12月、NHK BShi・2009年12月、NHK総合) - 小沢昭一の母親 役 小島秀哉: 1977年に退団後、小沢昭一主宰の芸能座に参加。 山本直純: 小沢昭一の小沢昭一的こころ - テーマ曲、挿入曲(「お囃子」担当。 神田紫: 元々は舞台女優を志して文学座と劇団芸能座(小沢昭一主宰)で活動していたが、講談師に転向し、2代目神田山陽に弟子入りする。 小林昭二: 劇団俳優座養成所の第2期生で、同期には小沢昭一や土屋嘉男がいる。 大西信行: 同門には小沢昭一、永井啓夫、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる。小沢昭一、加藤武とは、麻布中学、早稲田大学を通じての友人である。 近藤公園: わたしが子どもだったころ 小沢昭一編(2008年12月、NHK BShi・2009年12月、NHK総合) - 教師 役 本橋成一: 1972年 小沢昭一『諸國藝能旅鞄』(写真/本橋成一)6回連載。 三田完: TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の筋書き(脚本)作家のひとりで、小沢の生前最後の番組収録に立ち合った。 |
小沢昭一の情報まとめ
小沢 昭一(おざわ しょういち)さんの誕生日は1929年4月6日です。東京出身の俳優のようです。
現在、結婚、父親、映画、兄弟、卒業、解散、テレビ、ドラマ、引退、病気、趣味に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2012年に亡くなられているようです。
小沢昭一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は、日本の俳優、タレント、俳人、漫談師、エッセイスト、芸能研究者。放送大学客員教授、日本新劇俳優協会会長、劇団「しゃぼん玉座」主宰、見世物学会顧問を務めた。俳号は小沢 変哲。 東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現:東京都杉並区和泉)生まれ。父は現在の長野県長野市の出身で、新潟県高田市(現:上越市)で写真屋修行時代に結婚し東京に出てきた。昭一2歳の頃、父親が写真館を始めたため日暮里へ引っ越し、4歳のときに蒲田に移り住む。当時の蒲田は、松竹映画の撮影所があるモダンな街で、また寄席もあり、その猥雑な雰囲気が小沢の後の活動に影響を与えた。 戦争の匂いが身近に迫る中、旧制麻布中学に入学し、同級に大西信行、加藤武、フランキー堺、仲谷昇、なだいなだ等多くの友人を得る。軍事教練や、学徒動員先でも天狗連として彼らと、しばしば落語を披露し合っていた。通学帰り、ネタを増やしに、大西、加藤らと、学生服姿で人形町末廣、神楽坂演芸場、銀座金春亭など禁演落語の時節真っ只中の寄席に入り浸り、そこで出会った演芸評論家・作家の正岡容の知遇を得て弟子になる。桂米朝、大西、加藤らとは正岡門下の兄弟弟子の関係である。さらに大西、加藤らと麻布中で演劇部を立ち上げた。その後、江田島の海軍兵学校第78期生として1945年(昭和20年)4月に入校(第703分隊)するが、終戦のために退校。そこで見た一面の焼け野原・終戦体験が昭一青年に大きな影響を与えた。まだ豊かに残っていた大道芸に出た「透明人間」「蜘蛛娘」などの見世物小屋や手品、女相撲に熱中した経験を持つ。 麻布に復学後、早稲田大学第一文学部仏文科卒。早大在学中にはやはり、大西、加藤らと共に、日本で初めての学校での落語研究会を創設する(名称は「寄席文化研究会」としたかったが、大学に認めてもらえず「庶民文化研究会」とした。顧問は暉峻康隆(当時)助教授)。また、北村和夫、加藤武、今村昌平らとグループを結成して演劇活動に熱中した。 1949年(昭和24年)、大学在学中に俳優座付属俳優養成所の二期生となり、千田是也に師事する。卒業後、俳優座公演で初舞台を踏む。1960年(昭和35年)には演出家の早野寿郎と「劇団俳優小劇場」を結成。1966年(昭和41年)に新劇寄席『とら』で芸術祭奨励賞を受賞した(俳優小劇場はのち、1971年(昭和46年)に解散)。 以降も舞台、ラジオ番組、映画、テレビ番組などで芸能活動を行い、1966年(昭和41年)のNHKのラジオドラマ『ゆびぶえ』など優れた作品を残している。 映画俳優としては、早稲田の同窓である今村昌平の紹介で1954年(昭和29年)に映画デビュー。今村が日活に移籍したのをきっかけに自身も日活と専属契約をした。ここで、小沢の心酔することになる川島雄三と出会う。 川島の『愛のお荷物』、『洲崎パラダイス赤信号』、そして『幕末太陽傳』で、脇役ながらその存在感を示した。その後、今村の『エロ事師たちより 人類学入門』で主役を務め、1966年(昭和41年)の「キネマ旬報」主演俳優賞、「毎日映画コンクール」男優主演賞など多数の賞を獲得した。小沢は川島に傾倒しており、日本経済新聞に掲載された『焼け跡派のこころ』(2004年(平成16年)連載)では「川島監督に演技を開眼してもらった」と述べている。なお、プログラムピクチャーにも多数出演しているが、怪しい訛り言葉を話す中国人役などが多かった。個性派のバイプレイヤーとして、200本以上の映画に出演している。 また、1969年(昭和44年)、不惑の年に、それまでの新劇を基点とした活動に限界を感じ、またもともと、幼少期より落語など演芸・話芸・雑芸が好きであったこともあり、「芸能の原点」を求めて日本の伝統的な芸能に憧れを抱き、著書『私は河原乞食・考』を刊行。またこの年から、早稲田大学演劇科の大学院に特別入学して、郡司正勝教授のもとに5年間通い、芸能史の研究を行う。同1969年、東京やなぎ句会に参加。 その後も放浪芸の収集、発掘に深い関心を寄せ、記録、保存、著述、そして実践を行うようになる。1971年(昭和46年)には全国を廻って収集した音源を元に制作したレコード『日本の放浪芸』LP7枚組を発売し、1971年度の第13回日本レコード大賞企画賞を受賞。続編の『又・日本の放浪芸』は、1974年度の芸術選奨新人賞を受賞。以降も、次々と続編を制作する。また三河万歳の才蔵役として門付に出るなど、実践を行う(『日本の放浪芸』に収録)。 その「芸能研究の実践活動」として、1975年(昭和50年)、小沢が主宰し加藤武、山口崇、山谷初男らと劇団「芸能座」を旗揚げする(旗揚げは永六輔作『清水次郎長伝・伝』で全国を巡業する)。1980年(昭和55年)までその活動は続いた。付属として「あたらしい芸能研究室」(出版部門)を作り、研究誌「季刊藝能東西」を創刊。「藝能東西」以外にも、芸能関係の書籍を多数刊行し、2001年(平成13年)まで出版社として活動した。また小沢自身も、時代と共に消え行く伝統芸能やストリップなどの猥雑な諸芸能を取材・研究した本を刊行し続ける。 1973年1月8日には、TBSラジオのトーク番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』が放送開始。約39年間に渡ってのエンディングのトークの締め括りで、「◯◯について考える。また明日のこころだァーッ。」、または「来週のこころまでェーッ。」という、お馴染み最後の雄叫びは、1973年スタートの第1週テーマ回から変わることなく、小沢本人でのトレードマークでもあった。 1982年(昭和57年)には「俳優が小沢一人」の劇団「しゃぼん玉座」を創設し、晩年まで活動を行った。「引退興行」と称して『唐来参和』(井上ひさし原作)の一人芝居を各地で、1982年(昭和57年)から18年間続け、公演660回を数えた。 他に野坂昭如、永六輔と「中年御三家」を結成し、1974年(昭和49年)の武道館でのコンサートはビートルズ以来と言われるほど盛況であった(2003年(平成15年)に「帰ってきた中年御三家」コンサートをNHKホールで行ったが、野坂は病気のため不参加)。また晩年期(いわゆる「二代目小沢昭一」の時代)には「老謡」と称し、幼・少・青年期に親しんだ歌を多数歌うようになる。 俳人でもあり「小沢変哲」という俳号を持っている。1969年(昭和44年)に入船亭扇橋を宗匠にして、永六輔、江國滋酔郎らと共に「やなぎ句会」を発足。句集など俳句関連の出版物もある。 父が修業した新潟の写真館の建物が収蔵されていることから、博物館明治村の村長も務め、また日本新劇俳優協会会長を務めた。 1992年、第46回毎日出版文化賞特別賞を受賞。(ビデオブック『大系日本歴史と芸能 全14巻』網野善彦+小沢昭一+服部幸雄+宮田登+大隅和雄+山路興造=編集委員、平凡社+日本ビクター)による。 1994年(平成6年)に紫綬褒章、1999年(平成11年)に坪内逍遥大賞、2001年(平成13年)に勲四等旭日小綬章及び徳川夢声市民賞、2003年(平成15年)に東京都功労者。2004年(平成16年)に早稲田大学芸術功労者。2005年(平成17年)に朝日賞。2005年第18回大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞(「日本の放浪芸」白水社)。2008年(平成20年)したまちコメディ映画祭in台東において、『第1回コメディ栄誉賞』を受賞。 元放送大学客員教授。 2005年(平成17年)、新宿末廣亭6月下席夜の部にて、主任の柳家小三治の依頼により、子どもの時分から憧れだった寄席の舞台に芸人(演目は「随談」)として出演した。そのときの様子は書籍になっている。 1998年(平成10年)に前立腺癌が見つかったが長らく伏せており、仕事の間を縫って定期的に治療を行っていたことを2011年(平成23年)2月10日発売の「文藝春秋」に寄せた随筆で初めて公にしている。2010年にがんは頸椎へ転移。2012年(平成24年)夏頃から体調を崩し、同年9月13日に入院。これに伴い、9月24日以降の『小沢昭一の小沢昭一的こころ』は、12月28日放送分まで過去の放送回の中より傑作選を放送していた(それ以降、急逝まで小沢本人が番組に復帰することは一切なかった)。10月22日に退院した後も自宅で療養を続けていた。『小沢昭一の小沢昭一的こころ』11月16日放送回では、自宅で録音したというラストメッセージを寄せ、復帰に意欲を見せていたが、これが生涯最後の仕事となっていた。 2012年(平成24年)12月10日、前立腺癌のため、東京都内の自宅で急逝した。これにより、小沢本人におけるラジオ番組自体は、39年の歴史にピリオドが打たれた。83歳没。12月14日に千日谷会堂で行われた本葬では生島ヒロシ、永六輔、乙武洋匡、加藤武、桂米團治、神津善行、黒柳徹子、篠田正浩、春風亭小朝、露木茂、長峰由紀、中村メイコ、野坂昭如、林家正蔵、林家三平、吉行和子ら850人が参列した。墓所は墨田区弘福寺。戒名は洽昭院澹然一哲居士。世の中に豊富な見識をユーモアと優しさを持って伝えた活眼の士という意味が込められている。なお、式場となった千日谷会堂は生前、死を覚悟した小沢がたまたま車で通りかかった際に「ここだな…」とつぶやき、心に決めた場所だったという。 「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた。 勲章(1954年、俳優座)- 金子 市川馬五郎一座顛末記・浮草日記(1955年、山本プロ) 愛のお荷物(1955年、日活)- 鳥居秘書官 洲崎パラダイス赤信号(1956年、日活)- 三吉 街燈(1957年、日活) 幕末太陽傳(1957年、日活)- 貸本屋金造 誘惑(1957年、日活) 陽のあたる坂道(1958年、日活)- 上島健伍 東京のバスガール(1958年、日活)- 桃山 紅の翼(1958年、日活)- 安藤幸宏 貸間あり(1959年、東宝宝塚) にあんちゃん(1959年、日活)- 金山春夫 武器なき斗い(1960年、大東映画)- 清 「十三号待避線」より その護送車を狙え(1960年、日活)- 香島五郎 大出世物語(1961年、日活)- 六さん 豚と軍艦(1961年、日活)- 軍治 大当り百発百中(1961年、日活)- 及川太郎 あいつと私(1961年、日活)- 金沢正太 猫が変じて虎になる(1962年、日活)- 葛井久六 喜劇 にっぽんのお婆あちゃん(1962年、松竹)- 副園長小野 雁の寺(1962年、大映)- 鷹見邦遠 キューポラのある街(1962年、日活)- 鑑別所の教師 しとやかな獣(1962年、大映)- ピノサク 非行少女(1963年、日活)- 小使 台所太平記(1963年、東宝)- 園田光雄 若い東京の屋根の下(1963年、日活)- 北村利夫 エデンの海(1963年、日活)- 高岡 煙の王様(1963年、日活)- スクラップ工事長 競輪上人行状記(1963年、日活)- 伴春道 くノ一忍法(1964年、東映)- 薄墨友康 くノ一化粧(1964年、東映)- 真昼狂念 越後つついし親不知(1964年、東映)- 瀬神留吉 続・拝啓天皇陛下様(1964年、松竹)- 王万林 赤い殺意(1964年、日活)- 田丸和幸 仇討(1964年、東映)- 小山左門 甘い汗(1964年、東京映画)- バーテン藤井 馬鹿が戦車でやって来る(1964年、松竹)- 郵便配達夫 春婦伝(1965年、日活)- 秋山憲兵軍曹 清作の妻(1965年、大映) 冷飯とおさんとちゃん(1965年、東映)- 中村又三郎 悦楽(1965年、創造社)- 速水 犬シリーズ(大映)
早射ち犬(1967年)- 山本五郎 「エロ事師たち」より 人類学入門(1966年、日活)- スブやん 逢いたくて逢いたくて(1966年、日活)- 小橋作造 三匹の狸(1966年、東宝)- 猿田留吉 あこがれ(1966年、東宝)- 西沢恒吉 忍者武芸帳(1967年、創造社)- 語り手 痴人の愛(1967年、大映)- 河合譲治 伊豆の踊子(1967年、松竹)- 紙屋 続・何処へ(1967年、東宝)- 吉村順太郎 喜劇 駅前学園(1967年、東宝)- 小原金助 愛の讃歌(1967年、松竹)- 郵便屋 喜劇列車シリーズ(東映)
喜劇団体列車(1967年)- 中村駅長 男なら振りむくな(1967年) 社長シリーズ(東宝)
続・社長繁盛記(1968年)- 苑平漢 社長えんま帖(1969年)- 富田林茂 続・社長えんま帖(1969年)- 富田林茂 社長学ABC(1970年)- 汪滄海 続・社長学ABC(1970年)- 汪滄海 「経営学入門」より ネオン太平記 (1968年、日活)- 益本利徳 ザ・タイガース 世界はボクらを待っている(1968年、東宝)- 早瀬 サラリーマン悪党術(1968年、東宝)- 肉弾(1968年、ATG)- 軍曹 日本一の裏切り男(1968年、東宝)- 雑炊屋 スクラップ集団(1968年、松竹)- ドリーム 吹けば飛ぶよな男だが(1968年、松竹)- 弁士 橋のない川(1969年、ほるぷ映画)- 大竹 喜劇 深夜族(1969年、松竹)- ナレーター 私が棄てた女(1969年、日活)- 大野義雄 無頼漢(1970年、東宝)- 丑松 サマー・ソルジャー(1972年、勅使河原プロ)- 谷川 一条さゆり 濡れた欲情(1972年、日活)- ラーメン屋の主人 喜劇 だましの仁義(1974年、東宝)- 石山権太郎/山田代議士 青春の門(1975年、東宝)- 平吉・語り手 ボクサー(1977年、東映)- アパートの管理人 冬の華(1978年、東映)- 陳 ええじゃないか(1981年、松竹)- 鵜飼作之丞 男はつらいよ 寅次郎紙風船(1981年、松竹)- 倉富常三郎 楢山節考(1983年、東映)- 勝造 鑓の権三(1986年、松竹)- 船頭 黒い雨(1989年、今村プロ)- 庄吉 砂の上のロビンソン(1989年)- 浮浪者 うなぎ(1997年、松竹)- 初老の医師 カンゾー先生(1998年、東映)- 医師 梟の城(1999年、東宝)- 今井宗久 かあちゃん(2001年、東宝)- 大家 釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束(2007年、松竹)- 渋谷剛三 小沢昭一の小沢昭一的こころ(TBSラジオ-JRN)、1973年-2012年 パパ行ってらっしゃい(ラジオ東京=TBSラジオ) 趣味の30分→趣味とあなたと(NHK総合テレビジョン)趣味の達人に話を訊くという番組。 NHK特集「びんぼう一代 ~五代目古今亭志ん生~」(1981年3月27日、NHK総合) 季刊藝能東西(小沢昭一編集、1975年 - 1977年) 私は河原乞食・考(1969年) 陰学探険(1972年、永六輔と共著) 私のための芸能野史(1973年) 珍奇絶倫 小沢大写真館(1974年) 日本の放浪芸(1974年) 小沢昭一的こころ(1974年 - )- シリーズ化 雑談にっぽん色里誌(1978年) ドキュメント綾さん(1978年) 芸双書(1981年 - 1982年)- 南博ほかと共著 美人諸国ばなし(1986年) ものがたり芸能と社会(1998年)- 1989年の放送大学講義が基。新潮学芸賞を受賞。 友あり駄句あり三十年―恥多き男づきあい春重ね(1999年)- 東京やなぎ句会、編集
明日の心だ ハーモニカブルース(谷川俊太郎作詞、小沢昭一補作詞/小沢昭一作曲、山本直純補作曲) 土耳古行進曲(トルコ行進曲)加藤登紀子作詞・作曲 父チャン音頭 唱う小沢昭一的こころ 俺達おじさんには ほか、多数 ドキュメント〜日本の放浪芸 - LPレコード7枚組。『日本の放浪芸』としてCD化されている。 又「日本の放浪芸」- LPレコード5枚組。CD化されている。 また又「日本の放浪芸」- LPレコード6枚組。CD化されている。 まいど「日本の放浪芸」- LPレコード4枚組。CD化されている。 小沢昭一の新・日本の放浪芸(1984年)- ビデオ。『小沢昭一の「新日本の放浪芸」〜訪ねて韓国・インドまで〜』としてDVD化されている。 日本の放浪芸 - 番町書房(1974年) 放浪芸雑録(1996年2月)- 白水社 大系 日本歴史と芸能―音と映像と文字による(1990年 - 1991年)- ビデオブック全12巻、網野善彦、小沢昭一、宮田登、大隅和雄、服部幸雄、山路興造監修、平凡社 小沢昭一の世界(1983年9月)- 白水社 坂口昌弘著『文人たちの俳句』本阿弥書店 小沢昭一---芸能者的こころ(文藝別冊)(2010年6月)- 河出書房新社 NHK映像ファイル あの人に会いたい「小沢昭一(俳優)」- NHK 朝日新聞学芸部編『戦後芸能史物語』朝日新聞社 1987年(朝日選書 344) 小林信彦「第8章 上昇思考と下降思考 渥美清 小沢昭一」『定本 日本の喜劇人 喜劇人篇』新潮社、2008年4月25日。 永六輔 野坂昭如 今村昌平 黒柳徹子 大沢悠里 坂本スミ子 関山和夫 日本の男優一覧 俳人の一覧 民俗学 徹子の部屋 - 小沢が単独でゲストに出る場合は黒柳徹子と何らかのテーマに沿った仮装を行ってトークを行うのが恒例・名物企画となっている。黒柳がセーラームーン(月野うさぎ)の、小沢が『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけの仮装をした回は後年『トリビアの泉』でも紹介されている。仮装のアイデアは小沢からのもの。 クイズダービー - 5枠ゲスト解答者として何度も登場しているが、正解率は2割台とあまり高くなかった。又同番組最終回には、出場者側の黄色チームとして、共に2枠レギュラー解答者だったうつみ宮土理と長山藍子と一緒に座り、賞金額50,000円を獲得した。 ソウル・フラワー・ユニオン - ヴォーカルの中川敬と「ミュージック・マガジン」誌上で対談している。 周防猿まわしの会 - 小沢が「日本の放浪芸」の仕事で、山口県光市を訪ねたことから、絶えていた「猿まわし」の芸が復活した。 わたしが子どもだったころ (テレビ番組) - 2008年(平成20年)12月にNHK BShiで放送され、2009年(平成21年)12月にNHK総合で再放送された。 将校志望を断念した日本の人物の一覧 門付 - 萬歳 - 的屋 - 大道芸 - 見世物小屋 - 浪曲 - 節談説教 - ストリップ - 遊廓・赤線・トルコ風呂(ソープランド)- 同性愛 - いずれも小沢の長年の考察対象であった。その多くは「日本の放浪芸」で集成する。 一条さゆり(初代) 添田唖蝉坊 - 彼が歌った「演歌」を小沢も歌ってレコードにまとめている。 五代目古今亭志ん生 - 終戦後、満州より帰還直後の志ん生に未だ人気がない時期から、小沢はその魅力に取りつかれた。「志ん生の高座は、寝ていてもそれ(その姿)までもが面白い」と称えられたが、その高座に客として立ち会ったことをたびたび証言している。好きが高じて舞台で演じたほどである。 美空ひばり - 熱狂的なファンであった。1970年末の第21回NHK紅白歌合戦では、ひばり応援団長として出演、予定外の長時間ひばり礼賛を続けた。他に、ひるのプレゼントでも同様の事態があったことを司会の山川静夫が書いている。 ^ 現在は「しゃぼん玉座」の付属機関として小沢関係のCD等を企画 ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、48頁。 ^ 『わた史発掘 戦争を知っている子供たち』文藝春秋、1987年(昭和62年)、16-52、年表346-357頁。「下谷根岸生まれ」という記述は誤り ^ 麻布中学の門をたたく前は、府立一中受験で失敗しているが、口頭試問の控え室で水晶の標本を面白半分で頭に乗せて割ってしまったためだと自嘲気味に述べている。『麻布学園の百年』(麻布学園百年史編纂委員会、1995年(平成7年)10月28日)二巻 文集 pp.338-339 ^ #戦後芸能史 ^ 「変哲忌 鯵のひらきを 供えよかし」句会では不評句。出典:『昭和の肖像<芸>』。初出は『ふぁいんピープル』1986 (4)〜1987 (3) ^ “朝日賞 2001-2018年度”. 朝日新聞社. 2023年1月6日閲覧。 ^ 「小沢昭一的新宿末廣亭十夜」 ^ “小沢昭一がんを告白、10数年前に告知”. Sponichi Annex. (2011年2月8日). オリジナルの2011年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110211180517/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/02/08/kiji/K20110208000205500.html 2014年8月1日閲覧。 ^ “個性派・小沢昭一さん死去…83歳”. デイリースポーツONLINE. (2011年12月11日). オリジナルの2012年12月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121212025521/http://daily.co.jp/gossip/2012/12/11/1p_0005590407.shtml 2014年8月1日閲覧。 ^ “訃報:小沢昭一さん死去83歳…映画、ラジオ、幅広く活動”. 毎日jp. (2012年12月10日). オリジナルの2012年12月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121213035308/http://mainichi.jp/select/news/20121210k0000e040104000c.html 2014年8月1日閲覧。 ^ “俳優の小沢昭一さん死去…ラジオで長寿番組”. YOMIURI ONLINE. (2012年12月10日). オリジナルの2012年12月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121213102958/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20121210-OYT1T00341.htm?from=top 2014年8月1日閲覧。 ^ 小沢の長男・一郎は、講談社で長年編集者として多くの書籍に携わった。代表的な作品は乙武のベストセラー「五体不満足」である。現在は講談社児童局・第一出版部部長。“小沢一郎さん(編集者ね)と飲んで”. イシブログケンゴ (2013年2月23日). 2014年8月18日閲覧。 ^ “黒柳徹子「寂しい…」小沢昭一さん通夜”. nikkansports.com. (2012年12月15日). オリジナルの2014年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20140805041803/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20121215-1059902.html 2014年8月5日閲覧。 ^ “「小沢昭一的」通夜 式場は生前から決めていた「ここだな…」”. Sponichi Annex. (2012年12月15日). オリジナルの2012年12月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121219000446/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/12/15/kiji/K20121215004779350.html 2014年7月20日閲覧。 ^ マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか) ^ “貸間あり”. 2023年6月27日閲覧。 ^ 番組確定表検索結果 ^ “NHK特集 びんぼう一代~五代目 古今亭志ん生~”. NHKアーカイブス. 2021年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。 ^ “小沢昭一さん追悼 「ハーモニカブルース」で雨中の出棺”. zakzak. (2012年12月17日). オリジナルの2014年8月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140801095825/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20121217/enn1212171538010-n1.htm 2014年8月1日閲覧。 “小沢昭一の小沢昭一的こころ(最終週の放送スケジュール)”. TBSラジオ (2012年12月24日). 2013年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月21日閲覧。 小沢昭一 - テレビドラマデータベース 小沢昭一 - 日本映画データベース 小沢昭一 - allcinema 小沢昭一 - KINENOTE 小沢昭一 - MOVIE WALKER PRESS 小沢昭一 - IMDb(英語) 小沢昭一 - NHK人物録 表 話 編 歴 笠智衆(1951) 加東大介(1952) 進藤英太郎(1953) 東野英治郎(1954) 加東大介(1955) 多々良純(1956) 三井弘次(1957) 中村鴈治郎(1958) 小沢昭一(1959) 織田政雄(1960) 山村聰(1961) 伊藤雄之助(1962) 河原崎長一郎(1963) 西村晃(1964) 田村高廣(1965) 中村嘉葎雄(1966) 原田芳雄(1975) 大滝秀治(1976) 若山富三郎(1977) 渡瀬恒彦(1978) 三國連太郎(1979) 丹波哲郎(1980) 津川雅彦(1981) 柄本明(1982) 田中邦衛(1983) 高品格(1984) ビートたけし(1985) すまけい(1986) 三船敏郎(1987) 片岡鶴太郎(1988) 板東英二(1989) 柳葉敏郎(1990) 永瀬正敏(1991) 室田日出男(1992) 所ジョージ(1993) 中村敦夫(1994) 萩原聖人(1995) 渡哲也(1996) 西村雅彦(1997) 大杉漣(1998) 武田真治(1999) 香川照之(2000) 山﨑努(2001) 津田寛治(2002) 山本太郎(2003) オダギリジョー(2004) 堤真一(2005) 香川照之(2006) 三浦友和(2007) 堺雅人(2008) 瑛太(2009) 石橋蓮司(2010) 伊勢谷友介(2011) 井浦新(2012) ピエール瀧(2013) 池松壮亮(2014) 本木雅弘(2015) リリー・フランキー(2016) ユースケ・サンタマリア(2017) 松坂桃李(2018) 吉沢亮(2019) 成田凌(2020) 仲野太賀(2021) 飯尾和樹(2022) 佐藤浩市(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 森雅之(1955) 佐田啓二(1956) フランキー堺(1957) 市川雷蔵(1958) 船越英二(1959) 小林桂樹(1960) 三船敏郎(1961) 仲代達矢(1962) 勝新太郎(1963) 山村聰(1964) 三國連太郎(1965) 小沢昭一(1966) 市川雷蔵(1967) 三船敏郎(1968) 渥美清(1969) 井川比佐志(1970) 佐藤慶(1971) 井川比佐志(1972) 菅原文太(1973) 萩原健一(1974) 佐分利信 (1975) 水谷豊(1976) 高倉健(1977) 緒形拳(1978) 若山富三郎(1979) 渡瀬恒彦(1980) 永島敏行(1981) 根津甚八(1982) 松田優作(1983) 山﨑努(1984) 北大路欣也(1985) 内田裕也(1986) 時任三郎(1987) 真田広之(1988) 三國連太郎(1989) 岸部一徳(1990) 三國連太郎(1991) 原田芳雄(1992) 真田広之(1993) 奥田瑛二(1994) 真田広之(1995) 役所広司(1996) 役所広司(1997) 柄本明 (1998) 高倉健 (1999) 原田芳雄(2000) 窪塚洋介(2001) 真田広之(2002) 妻夫木聡(2003) ビートたけし (2004) オダギリジョー (2005) 渡辺謙(2006) 加瀬亮(2007) 本木雅弘(2008) 笑福亭鶴瓶(2009) 豊川悦司(2010) 原田芳雄(2011) 森山未來(2012) 松田龍平(2013) 綾野剛(2014) 二宮和也(2015) 柳楽優弥(2016) 菅田将暉(2017) 柄本佑(2018) 池松壮亮(2019) 森山未來(2020) 役所広司(2021) 沢田研二(2022) 役所広司(2023) 表 話 編 歴 小沢栄太郎(1946) 森雅之(1947) 笠智衆(1948) 志村喬(1949) 佐分利信(1950) 笠智衆(1951) 佐分利信(1952) 上原謙(1953) 山村聰(1954) 森繁久彌(1955) 佐田啓二(1956) 三船敏郎(1957) 小林桂樹(1958) 船越英二(1959) 小林桂樹(1960) 仲代達矢(1961) 殿山泰司(1962) 小林桂樹(1963) 西村晃(1964) 三國連太郎(1965) 小沢昭一(1966) 田中邦衛(1967) 寺田農(1968) 渥美清(1969) 井川比佐志(1970) 勝新太郎(1971) 地井武男(1972) 丹波哲郎(1973) 三國連太郎(1974) 佐分利信(1975) 渡哲也(1976) 高倉健(1977) 緒形拳(1978) 若山富三郎(1979) 仲代達矢(1980) 田村高廣(1981) 西村晃(1982) 緒形拳(1983) 山﨑努(1984) 北大路欣也(1985) 奥田瑛二 (1986) 津川雅彦(1987) ハナ肇(1988) 三國連太郎(1989) 古尾谷雅人(1990) 永瀬正敏(1991) 長塚京三(1992) 岸谷五朗(1993) 奥田瑛二(1994) 役所広司(1995) 役所広司(1996) 原田芳雄(1997) 本木雅弘(1998) 小林桂樹(1999) 浅野忠信(2000) 三橋達也(2001) 真田広之(2002) 西田敏行(2003) ビートたけし(2004) 浅野忠信(2005) 佐藤浩市(2006) 国分太一(2007) 阿部寛(2008) 松山ケンイチ(2009) 堤真一(2010) 森山未來(2011) 夏八木勲(2012) 松田龍平 (2013) 綾野剛(2014) 塚本晋也(2015) 本木雅弘(2016) 菅田将暉(2017) 柄本佑 (2018) 成田凌(2019) 森山未來(2020) 佐藤健(2021) 沢田研二(2022) 鈴木亮平(2023)--> 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 オーストラリア 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research MusicBrainz IdRef 小沢昭一 日本の男優 20世紀日本の随筆家 21世紀日本の随筆家 20世紀日本の俳人 21世紀日本の俳人 日本芸能研究者 演芸評論家 日本のラジオパーソナリティ 放送大学の教員 九条の会の人物 エレックレコードのアーティスト 日活の俳優 朝日賞受賞者 菊池寛賞受賞者 紫綬褒章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 放送文化基金賞・放送文化 早稲田大学出身の人物 麻布中学校・高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1929年生 2012年没 前立腺癌で亡くなった人物 Pages using the JsonConfig extension プロジェクト人物伝項目 独自研究の除去が必要な記述のある記事/2015年7月-12月 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/20 16:34更新
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ozawa syouichi
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