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浜村淳の情報 (はまむらじゅん)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

浜村淳の情報(はまむらじゅん) タレント、映画評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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浜村 淳さんについて調べます

■名前・氏名
浜村 淳
(読み:はまむら じゅん)
■職業
タレント、映画評論家
■浜村淳の誕生日・生年月日
1935年1月10日 (年齢89歳)
亥年(いのしし年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
京都出身

(昭和10年)1935年生まれの人の年齢早見表

浜村淳と同じ1935年生まれの有名人・芸能人

浜村淳と同じ1月10日生まれの有名人・芸能人

浜村淳と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


浜村淳と関係のある人

阿部宏美: 古今東西!浜村淳(TBSラジオ)※アシスタント - 1999年9月 - 2000年3月


関岡香: 2023年9月から毎週水曜日にアシスタントを務めていた『ありがとう浜村淳です』(平日版)が、2024年3月29日(金曜日)の生放送をもって50年の歴史に幕を下ろしたことを受けて始まった事前収録番組。放送上は、『ありがとう浜村淳です』の水曜分に続いて浜村淳と共演している。


海渡未来: 2022年10月からは、月曜深夜~火曜早朝帯の宿直勤務へ就く関係で、火曜日の早朝に『THE TIME,』(TBSテレビ制作の全国ネット番組)内のローカルニュース&気象情報(午前6時台の「エリア情報」枠)・ローカルニュース(午前7時台の同枠)および、『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)内の定時ニュース(午前9時台)を担当している。


亀井希生: 前述した「ありがとう映画サロン」へ出演した際の『ありがとう浜村淳です土曜日です』では、鳥居が浜村に代わって、本来のアシスタントである佐々木りつ子と共にパーソナリティを務めていた。


河本光正: ありがとう浜村淳です土曜日です


桜井一枝: 『ありがとう浜村淳です』ではかつて、「十三の白雪姫」と呼ばれるなど、パーソナリティの浜村からそのことを定番のネタにされていた。


レ・ロマネスクTOBI: MBSラジオ 『ありがとう浜村淳です』 (8/24)


前田春香: 2022年4月からは、『THE TIME,』に続いて『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)内の定時ニュース(午前9時台)も担当していた。


亀井希生: メインパーソナリティの浜村淳が検査入院中でスタジオへの出演を見合わせていた2021年1月16日放送分では、名物コーナーの「ありがとう映画サロン」で、本業が映画評論家である浜村に代わって『トップガン マーヴェリック』の紹介と解説を任された。


吉田義男: 浜村淳・山城新伍・釜本邦茂・元毎日放送アナウンサーの野村啓司は高校の後輩である。


中西ふみ子: 出演番組では、浜村淳、笑福亭鶴瓶、オール阪神・巨人、上岡龍太郎など、関西の名だたるパーソナリティの相方(アシスタント)を務めた。


高橋信三: そして1970年代以降、『ありがとう浜村淳です』『ごめんやす馬場章夫です』などのヒットでMBSラジオは復活を遂げることになる。


関岡香: 2014年3月31日から金曜以外の曜日でアシスタントを務めてきた佐々木りつ子(劇団パロディフライで活動している俳優)が、第一子の懐妊に伴って2023年9月から産前産後休業へ入ったことを受けて、前月まで佐々木が担当していた月 - 木曜分のアシスタントを古川圭子(後輩アナウンサー)・桜井一枝(金曜分と『ありがとう浜村淳です土曜日です』のアシスタント)と分担。


喜味こいし: 死後、三代目桂米朝や桂三枝(現・六代目桂文枝)、西川きよし、藤本義一、浜村淳らが追悼のコメントを公表した。


淡島千景: 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ)


神定まお: 「ありがとう浜村淳です」(2012年1月17日、MBSラジオ)近所に集まる放し飼い(野良)ネコのケンカの物まね(あまりうまくない)を披露


福島暢啓: 浜村淳がコメンテーター役を務めた。


蟷螂襲: 浜村淳青春物語(2019年4月13日・20日)


上岡龍太郎: 1959年、当時東京に進出していた浜村淳に弟子入りを懇願したが断られ、浜村の紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入。


毛利聡子: ありがとう浜村淳です(MBSラジオ、2006年)


古川圭子: 放送開始45周年記念企画の一環として制作されたラジオドラマ『浜村淳青春物語』(2019年4月13日・20日に放送)では、ドラマの粗筋をリスナーに紹介する「ナビゲーター」を任されていた。


桜井一枝: MBSラジオでは、『ありがとう浜村淳です』の一部曜日で長らくアシスタントを担当する。『さてはトコトン菊水丸』(2009年3月まで同番組の後枠で放送されていた生ワイド番組)で「桜井さんは『ドラえもん』の声に似ているので、まるで浜村さんとドラえもんがトークしてるみたい」という投稿が紹介されたほどの濁声で、浜村淳のパートナーを務めてきた。


乾麻梨子: ありがとう浜村淳です(2016年3月21日、毎日放送)


仙田和吉: 大学生時代にアルバイトとしてスペイン料理店のキッチンで働いていた経験談を放送で披露したことを機に、メインパーソナリティの浜村淳から「パエリア仙田」と呼ばれていた。


上岡龍太郎: 戸田学は2018年の著書で、西条凡児・浜村淳とともに上岡を取り上げ、この3人を関西弁の「話芸の達人」としながら、彼らの芸風は異なる話芸(凡児は落語、浜村は浪花節、上岡は講談)の特徴を受け継いでいると評し、凡児が上岡に「新聞や『週刊朝日』みたいな堅いものを読みなはれや、『アサヒ芸能』は読まんでよろしい」とアドバイスした話も紹介している。


関岡香: ありがとう浜村淳です土曜日です(2007年3月24日放送分)


藤林温子: もっとも、スタジオアシスタントを担当したのは2023年のみで、2024年4月4日からは『ヤマヒロのぴかッとモーニング』(MBSラジオで前月まで50年にわたって放送されていた『ありがとう浜村淳です』平日版の後継番組)で毎週木曜日に「ヤマヒロ」(『ちちんぷいぷい』で共演していた関西テレビ出身のフリーアナウンサー・山本浩之)のパートナーを務めている。


大野克夫: 専属司会者だった浜村淳は「目のクリッとした美少年が、腕前は三味線でスターダストを弾くほど」と絶賛している。


古川圭子: 2014年3月31日から金曜以外の曜日でアシスタントを務めてきた佐々木りつ子(劇団パロディフライで活動している俳優)が、第一子の懐妊に伴って2023年9月から産前産後休業へ入ったことを受けて、前月まで佐々木が担当していた月 - 木曜分のアシスタントを関岡香(先輩アナウンサーで元・アナウンス室長)・桜井一枝(金曜分と『ありがとう浜村淳です土曜日です』のアシスタント)と分担。


坂下和也: 浜村淳のヘアー&メイク倶楽部(サンテレビ)


浜村淳の情報まとめ

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浜村 淳(はまむら じゅん)さんの誕生日は1935年1月10日です。京都出身のタレント、映画評論家のようです。

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芸風、人物などについてまとめました。映画、卒業、テレビ、退社、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。浜村淳の現在の年齢は89歳のようです。

浜村淳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。

京都府京都市の出身。家庭の事情から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は養父母の苗字でもある。

京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。また、オリコン創業者で初代社長の小池聰行とは大学で同じゼミナールに所属していた。

その一方で、同志社大学の学生時代には、学内の放送研究会で活動。やがて、京都市のクラブ・ベラミのアルバイト司会者として、音楽解説や映画紹介を手掛けながら話芸を磨いた。一時は本格的なタレント活動を目標に上京したが、養父母の反対に遭ったため、後に京都へ戻った。

同志社大学からの卒業後は、大阪市内の靴下メーカーの宣伝部へ働きながら、社業の一環として「浜村淳」名義でラジオ番組の脚本を執筆していた(詳細後述)。しかし、半年で退職すると、養父母に内緒でベラミでの司会業を再開。その時期にベラミで渡辺晋・渡辺美佐夫妻に声を掛けられたことから、1957年に再び上京したうえで、渡辺夫妻が営む渡辺プロダクション所属のタレントとして活動した。当時は、ミッキー・カーチスやザ・ピーナッツなどと共に渡辺邸に下宿しながら、テレビ番組やコンサートなどで司会を務めていた。

しかし、再上京に際して勘当を申し渡した養父の体調悪化を養母から知らされたことを機に、タレント活動の拠点を大阪へ移すことを決意。1964年に渡辺プロダクションを退社したうえで、吉本興業や昭和プロダクションに所属しながら、「文字では共通語で表現できるフレーズを大阪弁で語る」という芸風を確立した。吉本興業に所属していた時期には、ポケットミュージカルスや吉本新喜劇にも出演。後に、活躍の場を映画評論やラジオの深夜番組などに広げた。

1974年からは、『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ午前中の生ワイド番組シリーズ)のパーソナリティを担当中。近畿以外の地域では、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)や『ゲーム ホントにホント?』(NHK総合テレビ)に一時レギュラーで出演していたことで知られる。1990年代後半には「『ありがとう浜村淳です』の東京版」とされる冠番組シリーズ(『お待たせしました 浜村淳です!』→『古今東西!浜村淳』)がTBSラジオからレギュラーで放送されていたほか、シリーズの終了後も、在阪局が全国向けに制作する番組へ随時登場している。ただし、日曜以外の週に6日『ありがとう浜村淳です』の生放送に臨んでいることなどから、在京局制作の番組には特別番組を中心にゲストで登場するだけにとどめている。

芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師に就任。1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。

『ありがとう浜村淳です』については、休暇や放送休止期間を除いて、生放送を1日も休まないまま2019年4月に放送開始45周年へ突入。日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大している2020年には、4月28日(火曜日)から5月23日(土曜日)まで、自宅からスカイプを介して出演を続けていた。同年5月26日(月曜日)放送分からスタジオへの出演を再開したが、2021年1月13日(水曜日)放送分への出演後に国立循環器病センターで定期検診を受けたところ、脳内の血管にごく小さな閉塞現象を発見。再検査と投薬治療を目的にそのまま入院したため、14日(木曜日)・15日(金曜日)放送分を休演した。浜村が(放送休止期間やあらかじめ取得を決めていた休暇を除いて)完全に休演することは初めてであったが、実際には16日放送の土曜版へ電話で出演したうえで、同日中に退院。18日(月曜日)放送分からスタジオへ復帰した。2023年4月には、放送の開始から50周年に突入。自身は、体調とリスナーからの要望次第で100歳までパーソナリティを続ける意向を繰り返し表明していたところであったが、同年9月25日、株式会社MBSラジオは定例の改編会見で「ありがとう浜村淳です」の平日の放送を2024年3月末で終了すると発表した(会見には浜村も同席)。平日放送番組の終了は局からの打診を受けて浜村が受け入れたものであり、浜村自身も会見及び翌日の放送の中で、過去にあった引退会見での言葉を引き合いに「始まりがあるものは終わりがある」と語った。土曜日放送の「ありがとう浜村淳です土曜日です」はこれまで通り浜村が出演して続けられる。

なお、昭和プロダクションの社長を歴任した谷村淳司が「一丁目一番地」という芸能プロダクションを大阪市内に立ち上げたことを受けて、2023年には昭和プロダクションから一丁目一番地へ移籍している。

2006年 - 徳川夢声市民賞を受賞。授賞式と記念講演は同年12月10日に島根県益田市で行われた。

2009年 - 第4回おおさかシネマフェスティバル特別賞を受賞。長年の映画への貢献が受賞理由。

2011年 - 第37回放送文化基金賞「放送文化賞」を受賞。

2024年 - おおさかシネマフェスティバル2024 特別功労賞を受賞。

芸風

「浜村節」と評される独特の話芸で知られる。浜村はクラブ司会者の頃、宮田輝、高橋圭三、西条凡児、徳川夢声、8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生などを手本にしたという。渡辺プロダクションのタレント時代には、当時の下宿先である渡辺邸で同居していたミッキー・カーチスと一緒に、渡辺邸の向かいにあった演芸場で江戸落語を頻繁に鑑賞。「『売れっ子』と呼ばれる司会者には独特のメロディがある」という渡辺晋のアドバイスをきっかけに、当時珍しかったテープレコーダーを自費で購入したうえで、上記の落語家・芸人・アナウンサーや淀川長治の話芸をカセットテープに録音しては繰り返し聞いていたという。

芝居の節回しを使い(「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)、「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」など)、捲くし立てるような連呼の後に「…と、いうような」と、巧みな緩急をつけるのが特徴。映画やニュースを解説する際は、話題のキーワードにちなんだ雑学(映画に関するものが多い)を織り込むなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使し、「遠回りしながら」語る。また、「○○でしょうか? いえ、そんな事はありません!」などという反語的言い回しを多用する。

「さてみなさん」は浜村節の代名詞とされているが、実は発案者大平サブローの逆輸入。大平サブローが浜村らしいフレーズを物真似で使った後、浜村があちこちで多用し始め、浜村淳のものと思われている。

怪談の語り手としても知られ、『サタディ・バチョン』では「意外にも、反響が大きかった」「みんな布団をかぶりながら聴いていたらしい」と回想している。

評論書を複数上梓するなど(後述)、映画に極めて詳しく、また落語などの古典芸能にも精通する(1959年の3代目桂春団治の襲名披露を客席から観覧していた)一方で、芸能関係では若手芸能人についての知識不足を露呈することがある。

話芸の巧みさから桂米朝に弟子入りを薦められたり、花月亭九里丸の遺族から襲名話を持ちかけられたこともあった。

番組の中で川柳をよく話題にしている。

映画評論家として

浜村の映画解説の仕方は独特で、映画の内容を詳細にわたって、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうため、これから映画を観ようとしている人も必然的にストーリーを知ってしまうことになる。また、アクション映画の解説の際には、邦画・洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を必ず入れる。これらの解説はあらかじめ用意された台本などを読んでいるのではなく、完全なアドリブである。こういった特徴ある映画解説は、一つの芸と見なされてCD化もなされている。

映画のパンフレットを1枚見ただけでも長時間話すことが出来る。毎日放送の映画劇場にて『マイク・ザ・ウィザード』の解説を行った際に「それではアメリカの、お金のかかった凄い凄いSFXをたっぷりとご覧いただきましょう」と語ったが、この映画は監督のマイク・ジトロフによるホームメイドテイスト溢れる自主映画に近い存在の作品で、SFXは古典的なコマ撮りをメインにした内容である。このことから分かるように、実際は解説している作品全てを観ているわけではなく、ラジオなどで解説した内容と、実際の映画の内容が違うということはよくある。

浜村の映画解説は、面白くないと感じた映画のことについては、一切語らないというスタンスを取っている。なお、嫌いな映画としては『バットマン』を挙げている。理由は“背景も暗ければ、ストーリーも暗いから”とのこと。また、殺人を助長する映画であるとして、『バトル・ロワイヤル』や『13日の金曜日』なども嫌っている。

浜村の講談調で語られる映画解説について落語家の笑福亭鶴瓶は、浜村が語る映画紹介は本編より面白く、魅力ある語りである事を賞賛している。一方で浜村当人としては「自分の拙い喋りなどより実際の映画の方がよほど面白い」というスタンスをとっている。

人物

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2018年10月)

自身が養父母に育てられていたことを知ったのは、同志社大学への入学手続きに必要な戸籍謄本を京都市役所で取り寄せたことがきっかけだった。浜村自身は、自身に優しく接していた近隣の住民や教師の態度から、養子であることを悟っていたという。

浜村が司会者として最初に脚光を浴びたのは、同志社大学の放送研究会時代に円山公園の野外音楽堂で開かれた同立戦前夜祭である。当時の前夜祭では、同志社大学と立命館大学の学生同士による対抗意識の強さから、一方の大学の司会者が登場するたびにもう一方の大学からの観客(男子学生)が激しい野次を浴びせ掛けていた。同志社大学からは放送研究会の女子学生が司会を務める予定だったが、このような雰囲気に怖じ気づいたため、音響スタッフの見習いとして同行していた浜村が急遽司会を代行。滑舌の訓練や司会の真似事などで磨いた話術を、3,000人の観客の前で披露した。浜村が後年述懐したところによれば、この前夜祭での司会が、後の人生を大きく変えたという。

学生時代から親交のあるバンドマンやシンガーからは、本名をもじった「まこチャン」と呼ばれることがある。和田アキ子とはバンド下積み時代からの親交があり、「和田アキ子」「まこチャン」と呼び合う。いしだあゆみ(本名・石田良子)を「ヨシコちゃん」と呼ぶ。オレンジ・ヒルの森高茂一(森高千里の父)とはジャズ喫茶時代からの友人。

「浜村淳」という芸名で活動するようになった背景には、大学卒業後に勤務していた靴下メーカーが、朝日放送の制作によるラジオ番組のスポンサーに付いていたことが挙げられる。浜村は、新入社員でありながら、スポンサーに付いた番組の脚本の執筆を任されていた。養父母に内緒で進めていた仕事でもあったため、その事情を知る番組担当の女性ディレクターから、番組の最後に放送されるクレジット用の芸名を浜村に付けることを提案。本名の苗字(塩浜)から浜、ディレクターの苗字(奥村)から村を取ったうえで、「今後の仕事も順調であって欲しいから、"じゅん"と読む字を名前に入れたい。でも、"順"という字には野暮ったい印象があるので、『さんずいの付く漢字を名前に入れると縁起が良い』という(当時の)芸能界の言い伝えに沿おう」という奥村の希望で淳を加えたという。

「芸能人に年齢を尋ねるのは無粋」とのポリシーから、インタビュー等では年齢を聞かないと同時に自らの年齢についても進んでは語らない。ラジオで年齢を言う時は決まって38歳(嘘の三八から)である。人から年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」とだけ答え、相手がなおドロンの年齢を聞き返してくる場合は、「私と同じです」と答える。

ディベートに関しても高度な技術を持っている。

宝塚歌劇団ファンとしても知られており、自身のラジオ番組に現役のタカラジェンヌをゲストに招くこともある。また、第1回宝塚歌劇検定を受験し、そのときのレポートがTAKARAZUKA SKY STAGEのニュースで紹介された。

暑いのは平気だが、寒いのは苦手。

2024/06/26 05:10更新

hamamura jun


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