上岡龍太郎の情報(かみおかりゅうたろう) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
上岡 龍太郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
上岡龍太郎と関係のある人
和田アキ子: 歌手でありながらお笑いタレントとの親交が深くタモリ・ビートたけし・明石家さんま・島田紳助・横山ノック・上岡龍太郎・せんだみつお・爆笑問題・ダウンタウン・博多華丸・大吉・品川庄司・ライセンスの藤原一裕や、アッコファミリーの松村邦洋・出川哲朗・勝俣州和・カンニング竹山・有吉弘行・ますだおかだ・よゐこ・陣内智則などと親交がある。 板東英二: また、「漫画トリオ」を解散したばかりの上岡龍太郎と知り合ったことを機に、『ばつぐんジョッキー』『オー!サンデー!』(いずれもCBCラジオで放送された生ワイド番組)のパーソナリティを務めた。 有賀さつき: 上岡龍太郎にはダマされないぞ! 横山ノック: 上岡龍太郎は、ノックが米軍の消防隊に所属した経歴から「動きとかしゃべりのリズムというものをすごく重要視」したと述べている( 川上じゅん: その後、上岡龍太郎に師事。 横山ノック: 刑事裁判の間、次の大阪府知事候補予想として西川きよしと上岡龍太郎が挙がった。 竹中労: 1990年夏に、『EXテレビ』の実験企画「低俗の限界」に出演、司会の島田紳助と上岡龍太郎と対談を行った。 李闘士男: 上岡龍太郎にはダマされないぞ!(フジテレビ) 宮元香織: しかしこの頃はまだ上岡龍太郎、やしきたかじんといった中立の立場にいるタレントの力があってこその共演という認識が強く、過去の風潮そのものは変わらない状況が1990年代後半まで続いた。 鈴木和香奈: 1997〜1998年 上岡龍太郎のイチャ門天レギュラー出演。 谷口あゆみ: 上岡龍太郎がズバリ! 「'96 注目の超・美少女タレント50人」(1996年1月18日、TBS) 西条凡児: 上岡龍太郎が「漫画トリオ」に加わって間もない頃に、「新聞や『週刊朝日』みたいな堅いものを読みなはれや、『アサヒ芸能』は読まんでよろしい」とアドバイスしたという話がある。 桂雀々: それにあたり、やしきたかじんプロデュースおよび出演の『雀々十八番』をシアターBRAVA!で開催して6日間独演会が行い、上岡龍太郎や桂ざこばなどが出演。 中山秀征: 単独での活動に移行した直後は度々関西の番組にゲスト出演し上岡龍太郎、桂三枝、島田紳助、やしきたかじんと共演し可愛がられた。 松宮麻衣子: 上岡龍太郎にはダマされないぞ!(フジテレビ系・1996年9月) 平川幸男: 声質が上岡龍太郎か笑福亭仁鶴に似ていた。 村山真夏: 上岡龍太郎がズバリ!(TBSテレビ)(1995年8月10日) 一木ひろし: 「上岡龍太郎がズバリ!」 萩野志保子: 同年10月に、上岡龍太郎と『超次元タイムボンバー』の司会を担当。 小林聖太郎: 父は元タレントの上岡龍太郎。 ゼンジー一億: 上岡龍太郎 磯崎洋三: 『関口宏の東京フレンドパーク』と『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』は好調だったが、その他多数は不調に終わり、改革は失敗に終わった。 中西ふみ子: 出演番組では、浜村淳、笑福亭鶴瓶、オール阪神・巨人、上岡龍太郎など、関西の名だたるパーソナリティの相方(アシスタント)を務めた。 越前屋俵太: その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や『OH!たけし』(日本テレビ)、『日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS)などに出演し、近畿地方では『TV-JACK』(企画立案にも携わる)や上岡龍太郎局長時代の『探偵!ナイトスクープ』(いずれも朝日放送)に出演した。 梶原しげる: 上岡龍太郎がズバリ!(TBS系) 水沢紀子: 上岡龍太郎の金印(テレビ朝日、1996年) ダンジー: 上岡龍太郎がズバリ!「そっくりタレント50人」(TBS) 森口瑤子: 上岡龍太郎がズバリ! - 2代目アシスタント 岸部四郎: 上岡龍太郎は中学校の先輩。 海原小浜: 1976年、お浜が白内障による引退を正式に決意しコンビ解消、1978年5月17日のサンケイホール(現在のサンケイホールブリーゼ)にてサヨナラ公演を行った(司会は上岡龍太郎、そのほかにも関西芸人が多数駆け付けた)。 |
上岡龍太郎の情報まとめ
上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう)さんの誕生日は1942年3月20日です。京都出身のタレントのようです。
テレビ、引退、映画、兄弟、父親、現在、卒業、母親、結婚、ドラマ、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。
上岡龍太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年〈昭和17年〉3月20日 - 2023年〈令和5年〉5月19日)は、日本の元漫才師、元司会者、元タレント。上岡劇団座長。 本名は小林 龍太郎。京都府京都市左京区出身。旧芸名は横山 パンチ、伊井 パンチ。 その他、講談師旭堂 南蛇(なんじゃ)、落語立川流Bコース高座名・立川右太衛門を持つ。また、作詞家としての別名義にミケランジェロをもじった「三池嵐次郎」(みいけ らんじろう)がある。 1959年、「横山パンチ」の芸名で、横山ノック・横山フックとのトリオ芸人『漫画トリオ』として大阪でデビュー。漫画トリオ解消後の1970年代からはピンでラジオ、テレビに出演し、80年代には『鶴瓶上岡パペポTV』(パペポ)や『探偵!ナイトスクープ』などテレビ司会者として活躍。元々は全国進出の考えはなかったものの、パペポでのトークが評判となったことから1990年代には東京にも進出を果たし、東京では『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで活躍したが、同時期より「僕の芸は20世紀まで」と語り、その公言通り20世紀の最後の年となる2000年をもって芸能界を引退した。 長男は映画監督の小林聖太郎。三人姉弟の長男で姉と異母妹がいる。兄弟漫才コンビのミキは甥(異母妹の長男・二男)にあたる。 血液型はAB型。 父親は高知県幡多郡下川口村(現在の土佐清水市)大津の出身で、京都帝国大学法学部卒業の弁護士、小林為太郎(旧姓・上岡)。母親は宮崎県の出身で、42歳で上岡を出産、上岡が小学4年生の時に乳癌のために早世した。資産家で高学歴の出だった母は家事雑事を使用人に任せ、育児を子供の勉学に充てていた。母はあまり良い顔をしなかったが、龍太郎は香具師や芝居、歌舞伎や映画に熱中。この頃の将来の夢は芝居役者だった。 京都市立第四錦林小学校から京都市立近衛中学校を経て私立京都西高校(現・京都外大西高等学校)第一期生となる。入学当時、その頃関西唯一の民放テレビ局だった大阪テレビ放送(後の朝日放送テレビ)が学校を取材に訪れ、そのニュース映像に映っていたことが、1992年の『探偵!ナイトスクープ』内で紹介された(1992年10月2日放映「一人学生服の上岡龍太郎少年」)。高校在学中にロカビリーが流行し、その気に感化される。「同じ落ちるのならレベルの高い大学を受験しよう」と立命館大学の入試に挑むが不合格。目標であった大学進学を断念し、本格的に芸能の道を進むことになる。高校卒業後は京都でバンドボーイ、ジャズバンドの司会などを経験。軽やかな口跡が知られ、ハンサムな司会者として有名になる。 1959年、当時東京に進出していた浜村淳に弟子入りを懇願したが断られ、浜村の紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入。1960年に横山ノックの誘いにより、「横山パンチ」の芸名で横山フック(初代。後に現在の青芝フックが2代目として加入)と共に漫画トリオを結成する。 1968年、横山ノックの参議院議員選挙出馬により漫画トリオも活動を停止。以後、作家の香川登枝緒によって命名された「伊井パンチ」を一時名乗ったが、婿養子だった父の旧姓を取って「上岡龍太郎」を名乗るようになった。 1970年代には近畿放送、朝日放送、ラジオ大阪といった近畿圏の放送局でレギュラーを獲得し、中部日本放送でもレギュラー番組を持つなど近畿圏と中京圏を拠点に活動する。かつての相方のノックの誘いにより『ノックは無用!』『ラブアタック!』『花の新婚!カンピューター作戦』などで司会者を務め、関西を代表するタレントとなった。 上岡は長年、番組中や楽屋裏では「俺は絶対に東京に行かへん!」と語っていたが、1984年10月2日(火曜日)に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演し、1987年には『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)が放送開始された。『パペポTV』は翌年10月からキー局の日本テレビでも放送開始され、これが上岡の東京進出への決定打となる。1988年、代表番組となる『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)が放送を開始した。 1990年代には、上岡演劇祭なる小劇場系の演劇賞を主宰していた。 1980年代以降引退まで、上岡は舞台での役作りのため眼鏡を外すとき以外は原則、出演番組では眼鏡を着用しトレードマークになっていた。上岡も長らくにわたってすべての出演番組で縁が透明の太い枠にレンズが広い眼鏡を愛用して着用していたが、1999年年明けの「LIVE PAPEPO 鶴+龍 正月スペシャル」から縁の細い枠にレンズが狭い眼鏡に変更していた。 2000年4月、以前から放送で上岡は「俺は、芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する!」と公約していた通りに芸能界を引退した。その2か月前にあたる2月には引退会見を開いていた。 2023年5月19日、肺癌と間質性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。81歳だった。上岡の訃報は、6月2日に報じられた 。 引退から20年以上が経過していたが、笑福亭鶴瓶、明石家さんま、上沼恵美子、松本人志、和田アキ子、有吉弘行、桂文枝など、多くの著名人が追悼のコメントを発表した。 舌鋒鋭い話芸で、立て板に水を流したような流暢な口調と理路整然とした語り、一方で切れ味鋭い毒舌を吐きつつ芸人としてバカを演じてオチをつけるというスタイルであり、司会業にも優れていた。流暢な話術と博覧強記に支えられたそのような語りは、上岡節として高く評された。 また上岡はしゃべり出しに常套句や和歌・俳諧など昔から言い古されている言葉を多用した。これはデビュー当時に担当したラジオ大阪で放送された1時間のラジオ番組の同時録音テープを当時のディレクターから送ってもらった。ところがそれは上岡が「ああ~」「え〜っと」などと言ってしまう癖を編集で集めただけのものであり、「おまえ1時間の番組でこんだけ言うてたら視聴者ついてこん」と言われて、以降、会話のなかで「え~」とは言わないと決めたことに由来する。また、漫画トリオ結成前にノックが上岡(当時:パンチ)を誘ってネタを合わせたものの、ノックの出すネタに「はぁ」としか返せず、「これではあかん、成り立たん。」と言われ、上岡が話芸を磨くきっかけの一つでもあったとともに、初代フックが誘われた(ただし、初代フックは後に離れ、二代目フックに引き継がれる)。 戸田学は2018年の著書で、西条凡児・浜村淳とともに上岡を取り上げ、この3人を関西弁の「話芸の達人」としながら、彼らの芸風は異なる話芸(凡児は落語、浜村は浪花節、上岡は講談)の特徴を受け継いでいると評し、凡児が上岡に「新聞や『週刊朝日』みたいな堅いものを読みなはれや、『アサヒ芸能』は読まんでよろしい」とアドバイスした話も紹介している。「知性で笑わせられる芸人」との評がある。なお、上岡はデビューまでに歌手の美空ひばりのエピソードに倣って百人一首を覚えたり、露天商の口上を覚えたりと、この時期に吸収したものが上岡の芸に存分に発揮されている。 これについて、上岡は自身の芸を以下のように語った。 僕はしょうもないことはよく覚えてて、大事なところの知識がない。これを僕は「知識のドーナツ化現象」と名付けてます。 これは後述する両親の教育方針や自身のウィークポイントをフォローするためであった。曰く、「余計なことを覚えることが好きで、それで回りを作っていく。そうすると真ん中にある基礎的なことがスコーンと抜けてしまう。基礎的なことで突っ込まれれば「お前これ知ってるか?知らへんのかいな?」ということになるが、その余計な知識で話を組み立てれば、当然基礎的なことを知ってるもんだと思われる。」とも語る。 著書「上岡龍太郎 話芸一代」ではこのようにも語った。 それを言わんにはどうしたらいいか?と考えた。 そうや、口をついて出てくる言葉を言うときゃええねやと。 それには言い馴れた常套句で、例えばことわざとか和歌であるとか、それも出来るだけその言葉が難しければ難しいほど、聴いている方も考えるから、そうすると<エ〜>と言わんと黙ってても、その方が却って、聴いてるもんを魅きつけることがあるはずだと思ったんです。 番組で自己紹介をする際、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」「恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」をキャッチフレーズとした。やがて「私が上岡龍太郎です」と述べるようになる。この際、「私が」という部分を強調するのが特徴であった。さらに上岡の担当番組では独特の口上があり、それを流暢に読み上げた後に「私が上岡龍太郎です」を付けて挨拶するまでが一つの流れであるが、『ノックは無用!』のように別に立てる人間がいる場合は口上はない。 芸人・タレントとして全国的に名を馳せてから横山ノックを賞賛する立川談志の落語立川流Bコース入りした。立川流での芸名は、上岡が大ファンでもある市川右太衛門に因んだ「立川右太衛門」。上方お笑い大賞の大賞を受賞したときの授賞式のプレゼンターとして市川右太衛門が登場した。 談志は上岡のことを「芸人に憧れ、憧れ続け、尚も芸人になろうしたが結局、芸人に成り切れなかった芸人」と評し、上岡著作のあとがきにて「芸人であることを糊塗する詭弁の著作である」と喝破している。 父親の小林為太郎は弁護士で自由法曹団に所属しており、日本共産党公認で衆議院議員選挙に出馬し落選した経験を持つ。高知県の貧農から苦学して京都大学を卒業した。 母親(もともとの名前は喜多 タマであったが、すぐに小林家に養女に入り小林 タマになった)は宮崎県延岡市の資産家の養女で東京女子高等師範学校出身。厳しい人だったが、上岡が10歳の頃に早世したこともあり、あまり記憶にないという。巨乳であったことと、母が乳癌を発病した際に霊媒師・占い師などが詰め掛けて食い物にしたことだけははっきりと覚えているという。このことは、上岡の心にトラウマを刻み付け、オカルト物を徹底して否定させる原因になった。 その母親が平成時代で言う「教育ママ」で常に勉強するように厳しく言われていた。その母親が急逝。父親は龍太郎を呼びつけ、「『若い時の苦労は買うてでもせえ』という言葉があるが、あれは嘘や。苦労しても苦労しても苦労する人はぎょうさんいてる。ええか、楽に行け。」と言われた。もともとみんなと同じように足並みそろえてものを覚え・学ぶことが苦手であった龍太郎はその言葉がその後の人生の糧となった。 他に姉が1人、異母妹(兄弟漫才コンビ「ミキ」の母親)が1人いる。 妻は、パンチ時代からのファンである。上岡に集まってきたファンの中から感ずるところがあり、上岡も「君は将来、ぼくと結婚する」と口説き続けていたという。結婚後は、上岡が多忙を極めていた1979年度の上半期に、『奥さまリビング』(当時関西テレビで平日の午前11時台に放送されていた関西ローカル向け番組)月曜日にレギュラーで出演。「二人でお茶を」(全国ネットで人気を博した『パンチDEデート』の高齢者版に当たる公開お見合いコーナー)で、桑原征平(京都西高校における上岡の後輩で当時は同局アナウンサー)と共に司会を務めた。もっとも、上岡のテレビ・ラジオ番組へのレギュラー出演はこのコーナーだけで、1979年9月のコーナー終了後は主婦業と上岡プロモーションの社長業に再び専念している。 横山ノックの誘いにより漫画トリオに加入する。これは、ネタの構成等で上岡のセンスが必要でノックから旧知の上岡に声をかけられたからである。 ノックは上岡より10歳年長であり上岡の師匠だと思われがちだが、実際は師弟関係ではなく別グループで出演した舞台での共演が縁で知り合いであり、ノックから誘われて漫才トリオを結成した同僚であり友達である。ただし、漫才や演芸についての知識はあっても司会とは勝手が違い、特にツッコミの入れ方でノックから厳しく指導された。 上岡(当時は横山パンチ)はノックの弟子である横山やすしとはあまり年が違わないうえに、上岡はノックの仲間、やすしはノックの弟子という関係であり、しかし芸歴そのものは中学卒業と同時にプロとなったやすしのほうが若干長いため、微妙な関係であった。とはいえ、やすしはノックの弟子であり漫画トリオの付き人であるので、パンチ(およびフック)の世話もしており、上岡によるとちゃんとこなしていたという。やすし・きよし結成以前、秋山たか志に「おまえは将来どんな漫才がしたい? 誰と組みたい?」と尋ねられた際、「パンチさんと漫才したい」と答えたが「似たようなもので組んでどうする。違う個性がぶつかるから漫才やないか」とたしなめられた。 九十九一 - 元は漫談師滝あきらの弟子だったが、入門一年後には上岡の下へ預けられていた。 テント 野口小太郎 赤滝圭一郎 中西一一 ぜんじろう - 大阪市内で上岡に「弟子にしてください」と冗談半分に言った結果、本当に弟子になった。 屋部芯太郎 加藤吉治郎 - 1995年に弟子入り。「弟子吉治郎」の名義も使用。 1982年 第11回 上方お笑い大賞(読売テレビ) 功労賞 1989年 第18回 上方お笑い大賞(読売テレビ) 大賞 毎日放送・JNN系
イカにもスミにも(1987年 - 1991年) 逸見のその時何が!(1993年) - ムーブ・上岡龍太郎の男と女ホントのところ→ザッツ! 上岡龍太郎vs50人→上岡龍太郎がズバリ!(1992年 - 1996年、TBS) おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ(1998年、TBS) 朝日放送・ANN系
わいわいサタデー(1983年 - 1986年) - 上岡は同番組で司会をしていたが、メイン司会ではなくサブ司会であった。上岡がメイン司会ではなかった番組は極めて少ない。 ABCカルチャー エキスタ女学院(1985年ごろ)金曜担当専任助手。この番組でもサブ司会である。 エキスタ寄席(1983年 - 1985年) 夜のAタイム(1985年 - 1986年) THE スポーツ龍談( - 1989年) 探偵!ナイトスクープ(1988年 - 2000年) 大発見!恐怖の法則(1996年 - 1997年) 超次元タイムボンバー(1996年 - 1997年、テレビ朝日) 上岡龍太郎の金印(1996年 - 1997年、テレビ朝日) - 朝日放送では未放送。 上岡龍太郎のイチャ門天(1997年 - 1998年、テレビ朝日) - 朝日放送では未放送。 龍ノ福耳(1997年、テレビ朝日) - 朝日放送では未放送。 関西テレビ・FNS系
ナイトパンチ(1970年代) ノックは無用!(1975年 - 1997年) 花の新婚!カンピューター作戦(1978年 - 1991年) 上岡龍太郎のもうダマされないぞ! → 上岡龍太郎にはダマされないぞ!(1990年 - 1996年、渡辺プロダクション) - 関西地区ではKBS京都とサンテレビで番販ネット。 ゴールデンタイム(1994年、フジテレビ) 上岡・ヒロミの花も嵐も(1996年 - 1997年、渡辺プロダクション) - 関西地区ではKBS京都とサンテレビで番販ネット。 読売テレビ・NNS系
クイズ新幹線(1977年 - 1978年) ルックルックこんにちは(日本テレビ) ときめきタイムリー(1984年 - 1993年) 鶴瓶上岡パペポTV → LIVE PAPEPO 鶴+龍(1987年 - 2000年) EXテレビ(1990年 - 1994年) - 読売テレビ製作分(火曜・木曜)に出演。 新装開店!SHOW by ショーバイ!!→新装開店!SHOW by ショーバイ2(1995年 - 1996年、日本テレビ) テレビ大阪・TXN系
KBS京都
タイガース・フィーバー 上岡龍太郎のおしゃべりゴルフ 毎日放送・JNN系
オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!(1990年 - 1993年、TBS) - キャプテンを4回(過去最多)務めたものの、賞金を獲得できたのは最後の第9回のみ。 テレビ探偵団(1990年3月4日、TBS) クイズダービー(1990年7月14日、TBS) オールスター感謝祭(1991年秋 - 1999年秋、TBS) - 解答者
クイズ100人に聞きました 最終回(1992年9月28日、TBS) 朝日放送・ANN系
枝雀寄席(1981年1月25日、1987年7月25日放送回) 世界とんでも!?ヒストリー(テレビ朝日) 関西テレビ・FNS系
金曜ファミリーランド 推理ゲーム 名探偵はあなただ!! (1991年5月17日、フジテレビ) さんまのまんま(2000年3月21日のみ確認) ラジオ関西
サテスタ歌謡スター登竜門 ABCラジオ
ミスターサンデー・ミスタードーナツ〜ABC歌とクイズのチェーンジョッキー〜 ポップ対歌謡曲 KBS京都ラジオ
上岡龍太郎のウィークエンドジャーナル! 上岡龍太郎のちょっと気にする金曜日(1988年 - 1990年) MBSラジオ
ほんまか 電話リクエスト(金曜担当。1976年10月8日 - 1977年4月1日) ゆうやけジョッキー(1977年7月9日 - 1978年9月30日) それゆけ!木曜 上岡龍太郎(木曜担当。1987年 - 1992年) 上岡龍太郎の今夜もよろしく(1988年10月13日 - 1989年4月6日) 金曜12時上岡龍太郎がやって来た(1999年 - 2000年) ラジオ大阪
みんなでみんなでリクエスト バンザイ!歌謡曲(1969年 - 1977年) 歌と競馬中継 遊べ半ドン! どんとこい(1972年 - 1973年) あっちゃこっちゃ えらいこっちゃ(1973年 - 1974年) 歌って笑ってドンドコドン(1974年 - 1999年) 推せん盤だよ! 歌謡曲(1974年 - 1976年) 龍太郎のいいたいほうだい歌謡曲(1975年 - 1980年) 上岡龍太郎・安達治彦のあなたとご一緒に ノック・龍太郎のDJ決定版 龍太郎の翔んで1800秒 関西以外のラジオ局
ハウス 歌のスーパーめぐり(初代パーソナリティ。1969年 - 時期不詳、CBCラジオ) 上岡龍太郎のサタデー・ぴぷ!(1990年4月 - 1995年3月、TBSラジオ) あおによし(1972年、NHK大阪) - 田中市兵衛 花ぐるま(1974年、NHK大阪) 朝の連続ドラマ 見上げればいつも青空(1987年、読売テレビ) 必殺スペシャル・新春 大暴れ仕事人! 横浜異人屋敷の決闘(1990年1月3日、ABCテレビ) - 語り手 勝海舟(1990年、日本テレビ) - 佐久間象山 近松青春日記(1991年、NHK大阪) - 語り 金曜ドラマ 包丁いっぽん・夢、みてますか(1993年、NHK大阪) 大家族デカ2(1998年8月28日、フジテレビ) - 権頭三郎(教頭先生)役 けろりの道頓(1999年1月2日、KTV) - 安井道ト(語り) 盤嶽の一生 第5話「落としもの」(2002年5月14日、フジテレビ) ‐ 久左衛門 雑兵物語(1963年)* 横山パンチ時代 てなもんや東海道(1966年)* 横山パンチ時代 てなもんや幽霊道中(1967年)* 横山パンチ時代 落語野郎大泥棒(1967年)* 横山パンチ時代 ガキ帝国(1981年、井筒和幸監督、ATG ぷれいがいどじゃーなる) 風、スローダウン(1991年) ぜんじろうの怒りのZEN(1994年) 難波金融伝 ミナミの帝王 劇場版 VIII 詐欺師の運命(1996年) SUN,RUN,GUN 脳みそぶっぱなしツアー1泊2日(1997年) 千寿製薬 マイティアコンタクトレンズ用剤シリーズ メナード青山リゾート - 板東英二との共演。 志乃ぶ寿司(現・シノブフーズ) 公共広告機構(現・ACジャパン) - ナレーションのみを担当。 参天製薬 『上岡龍太郎かく語りき 私の上方芸能史』筑摩書房、1995年1月。ISBN 4-480-87248-5。http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480872487/。
弟子吉治郎『上岡龍太郎のマラソンは愛と勇気と練習量』ランナーズ、1999年11月。ISBN 4-947537-50-7。 弟子吉治郎『引退 嫌われ者の美学』青春出版社、2000年3月。ISBN 4-413-03176-8。 桂米朝『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』朝日新聞社、2000年7月。ISBN 4-02-257522-0。 弟子吉治郎『龍太郎歴史巷談 卑弥呼とカッパと内蔵助』光文社、2002年1月。ISBN 4-334-97324-8。 弟子吉治郎『"隠居"のススメ 好き勝手に生きる』青春出版社、2003年9月。ISBN 4-413-02164-9。 上岡龍太郎BM研究会『わたしが辛口芸人上岡龍太郎です』ブックマン社、1991年5月。ISBN 4-89308-164-0。 戸田学『上岡龍太郎 話芸一代』青土社、2013 庄内ブルース (歌:小松おさむとダークフェローズ) 庶民のブルース(歌:上岡龍太郎) もうすぐ30 (歌:上岡龍太郎) 私って駄目な女ね (歌:大形久仁子、和田弘とマヒナスターズ) 愛がきらめく時(歌:上岡龍太郎・有賀さつき)1992年8月21日発売、ポニーキャニオン 美律子の河内音頭〜酒飲め音頭 (歌:中村美津子)三池嵐次郎名義。 あなたは今も(歌:リピート山中) 走る人へのオベリスク(歌:五木ひろし) 花・酒・唄(歌:佐川満男) ひとり旅(歌:美里英二) ワクワクするよなシチュエーション(歌:SHINGO) ^ 「伊井パンチ」は命名者である香川登志緒が携わった演芸での出演時のみの芸名。 ^ 当時はナイトクラブやロカビリー喫茶=ライブハウスには専属の司会者がいて司会の技術を競っていた。また、有名バンドだと専属の司会者がいて共に行動するのが主流だった。 ^ 『探偵!ナイトスクープ』の二代目局長の西田敏行は「私が局長の西田敏行でございます」、三代目局長の松本人志は「私が局長の松本人志です」とこれを踏襲して自己紹介している。 ^ 『てなもんや三度笠 爆笑傑作集』Vol.2(コロムビアミュージックエンタテイメント、2006年5月、XT-2265)収録の同話に、漫画トリオとして出演している。 ^ 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、57頁。 ^ 上岡龍太郎さん死去 81歳,ORICON NEWS,2023年6月2日 ^ 上岡龍太郎 キレ芸は健在!?「愛弟子・テントの葬儀」参列で気になる隠居生活 (2016年10月17日) - エキサイトニュース(3/3) ^ “〈名前は三池嵐次郎〉上岡龍太郎が引退後に演歌の作詞をしていた 中村美律子に提供”. 文春オンライン. 株式会社文藝春秋 (2023年6月7日). 2023年6月8日閲覧。 ^ “小林聖太郎監督作「破門」試写会に監督の父・上岡龍太郎さんも来場”. スポーツ報知. (2016年11月28日). オリジナルの2016年11月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161129145416/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161128-OHT1T50143.html 2016年11月29日閲覧。 ^ “「ミキは会ったことがない...」鶴瓶が明かす”ミキと上岡龍太郎”の意外な関係”. テレ東+. テレビ東京. 2021年11月21日閲覧。 ^ 自著『上岡龍太郎かく語りき -私の上方芸能史-』筑摩書房、1995年、31-33頁 ^ 上田博章「卒業式とヤラセ」『徳島エコノミージャーナル』2008年3月号(外部リンクは転載先の上田のウェブサイト) ^ 1992年 (PDF) - 探偵!ナイトスクープ(30周年記念オールタイムベスト10時の各年度タイトル集) ^ 近藤, 正高. “タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた?”. 文春オンライン. 2021年11月21日閲覧。 ^ 上岡龍太郎さん死去 引退会見で語っていた“老後を楽しく過ごすための人生設計” ^ “元タレントの上岡龍太郎さん 死去 81歳 関西を中心に活躍”. NHK. (2023年6月2日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230602/amp/k10014086691000.html 2023年6月15日閲覧。 ^ “上岡龍太郎さんが長期闘病 間質性肺炎と肺がんの関係”. 産経ニュース (2023年6月20日). 2023年6月20日閲覧。 ^ 徹子の部屋 1990年放送 ^ “「横山ノックを天国へ送る会」で「伝説の名弔辞」を残したのはだれ?”. デイリーBOOKウォッチ (2018年10月10日). 2023年7月1日閲覧。 ^ “芸能界を去って20年、上岡龍太郎の「見事な生き方」に学ぶ(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2021年11月21日閲覧。 ^ 『家の履歴書』梶山寿子、光文社、2012年、p78-67 ^ パペポ 1987年9月15日放送 ^ 『日本の会社』東洋経済新報社、1998年 196頁 ^ 「上岡龍太郎かく語りき」、「米朝・上岡が語る昭和上方漫才」 ^ 上岡龍太郎に和歌山、奈良の県民激怒! - ウェイバックマシン(2000年1月25日アーカイブ分) ^ “掛布雅之氏「最後まで『上岡龍太郎』だった。自分で決めたことを貫く潔い人」…現役時代から深い親交”. スポーツ報知 (2023年6月3日). 2023年9月20日閲覧。 ^ “「探偵!ナイトスクープ」初代局長 第1回はカーネル・サンダース人形捜索 「アホバカ分布図」も評判に”. スポニチ Sponichi Annex 芸能 (2023年6月3日). 2023年9月20日閲覧。 ^ “追悼・上岡龍太郎さん オカルト嫌いの背景に母親の死 気難しいイメージがあったのはなぜか”. デイリー新潮 (2023年6月8日). 2023年6月9日閲覧。 ^ 上岡龍太郎が大阪市長選出馬? - ウェイバックマシン(1999年9月14日アーカイブ分) ^ 上岡龍太郎 - オリコンTV出演情報 ^ “新局長の松本人志「勝手に命を受けた感じ」”. Lmaga.jp (2019年10月25日). 2020年3月20日閲覧。 ^ 上岡竜太郎さんが1年ぶりのTV出演 - ウェイバックマシン(2001年2月11日アーカイブ分) ^ “横山ノックお別れの会、上岡龍太郎は横山パンチで送る言葉”. 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Sponichi Annex. oricon ME. 22 December 2011. 2023年6月4日閲覧。 ^ 上岡龍太郎氏「米朝の名前は永久欠番」 デイリースポーツ 2015年3月25日閲覧 ^ “上岡龍太郎さん 弟子テントさん通夜に「茫然自失」 衝撃大きく取材に応じず”. デイリースポーツ (2016年9月29日). 2023年9月20日閲覧。 ^ “上岡氏はショックで言葉なし 弟子・テントさん葬儀”. デイリースポーツ (2016年9月30日). 2023年9月20日閲覧。 ^ “上岡龍太郎さん、故テントさん出演映画鑑賞…息子聖太郎監督「映画見れば会える」”. デイリースポーツ (2016年10月15日). 2023年9月20日閲覧。 ^ 戸田、Ibid.、62・63頁。 ^ 戸田学『上岡龍太郎 話芸一代』青土社、2013年、25頁。 ^ 戸田、Ibid.、26・27、32・33、37・38頁。 ^ 戸田、Ibid.、49・50頁。 ^ 戸田、Ibid.、50頁。 ^ 戸田、Ibid.、60 - 62頁。 ^ 戸田、Ibid.、59・60頁。 ^ 戸田、Ibid.、43 - 45頁。 ^ 放送ライブラリー program番号:147029 上岡龍太郎のプロフィール - ザテレビジョン 表 話 編 歴 演芸まんがショー - スターもびっくり ものまね大行進 - パンパカ天国 - テレビナイトショー - ノックは無用! - こんにちは!奥さん2時です - ラブアタック! - ミセス&ミセス - 花の新婚!カンピューター作戦 - クイズ新幹線 - 2時のワイドショー - 激突!お笑いルーレット - 三枝の愛ラブ!爆笑クリニック - わいわいサタデー - タイガース・フィーバー - ときめきタイムリー - イカにもスミにも - 鶴瓶上岡パペポTV - 探偵!ナイトスクープ - EXテレビ - オールスター感謝祭 - ブロードキャスター - 逸見のその時何が! - 上岡龍太郎にはダマされないぞ! - 上岡龍太郎がズバリ! - THEプレゼンター - 世界とんでも!?ヒストリー - ゴールデンタイム - 新装開店!SHOW by ショーバイ2 - 大発見!恐怖の法則 - 超次元タイムボンバー - プロ野球オールスタースーパーバトル - 超豪華オールスター大集合!!番組対抗 炎の熱血バトル - 上岡龍太郎の金印 - 上岡・ヒロミの花も嵐も - 対決!マイベスト10 - おサイフいっぱいクイズ! 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kamioka ryuutarou
上岡龍太郎と同じ誕生日3月20日生まれ、同じ京都出身の人
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