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喜味こいしの情報 (きみこいし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

喜味こいしの情報(きみこいし) 漫才師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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喜味 こいしさんについて調べます

■名前・氏名
喜味 こいし
(読み:きみ こいし)
■職業
漫才師
■喜味こいしの誕生日・生年月日
1927年11月5日 (年齢2011年没)
卯年(うさぎ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和2年)1927年生まれの人の年齢早見表

喜味こいしと同じ1927年生まれの有名人・芸能人

喜味こいしと同じ11月5日生まれの有名人・芸能人

喜味こいしと同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


喜味こいしと関係のある人

クスミ: 夢路いとし・喜味こいしから天竺鼠まで、好きな芸人は多数。


玉子屋円辰: 夢路いとし・喜味こいし(もと荒川芳博・芳坊)


かわら長介: 雑誌『上方芸能』の編集に携りつつ、大学時代の知人から人生幸朗、青芝フックを紹介され、夢路いとし・喜味こいしややすし・きよしら多くの漫才師の台本を書くこととなる。


夢路いとし: 1948年に「夢路いとし・喜味こいし」(当初は「夢路いと志・喜味こい志」)に改名。


楠見らんま: 夢路いとし・喜味こいしから天竺鼠まで、好きな芸人は多数。


中田ダイマル: 横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、奇抜な着想から作りこんだ奇妙なシチュエーションをもとに緻密な計算の行き届いた展開や構成で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。


海原さおり: 2009年2月に行なわれた「コンビ結成30周年公演」(ワッハホール)では、喜味こいしから「二代目・海原お浜・小浜」の襲名を薦められた事もあった。


いま寛大: 1970年、名古屋の富士劇場で出会った夢路いとし・喜味こいしの勧めで大阪に戻り、最初は大宝芸能に所属し東宝系のトップホットシアターに出演。


佐伯幸三: 1955年(昭和30年)、宝塚映画で、夢路いとし・喜味こいしやミヤコ蝶々・南都雄二の出演する映画『弥次喜多漫才道中 化け姫騒動の巻』、『弥次喜多漫才道中 腰抜け一家の巻』の2作と、鶴田浩二・寿美花代主演の『女の学校』を監督する。


海原しおり: 2009年2月に行なわれた「コンビ結成30周年公演」(ワッハホール)では、喜味こいしから「二代目・海原お浜・小浜」の襲名を薦められた事もあった。


ミヤコ蝶々: 夫の「南都雄二」という芸名の由来は、喜味こいしによると「上方トンボ」という芸名を嫌っていた雄二が、こいしの兄の夢路いとしに改名を相談し、俳優の堀雄二の「雄二」と、蝶々の「ミヤコ」に対して「南都」とした名前に改名したものである。


吾妻ひな子: 論理的な枝雀と、ざっくばらんで陽気なひな子の掛け合いについて、二人が共演した「ヒットでヒット バチョンといこう!」のディレクターは「夢路いとし・喜味こいしのような漫才の間に近いプロの味がしました」と後に評し、若者にとどまらない層から人気を得ていたと述べている。


海原しおり: 入門直後に海原お浜・小浜が引退した為、夢路いとし・喜味こいし両師に稽古を付けてもらった。


夢路いとし: 第46話「清と獅子舞てんてこ舞」(1991年) - 若狭一郎 役(漫才の師匠) ※喜味こいしと演じた


あした順子: 秋田實の後見を得て1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。


はな寛太: 1970年、名古屋の富士劇場で出会った夢路いとし・喜味こいしの勧めで大阪に戻り、最初は大宝芸能に所属し東宝系のトップホットシアターに出演。


南都雄二: 1952年、秋田實・小林一三の宝塚新芸座に参加し、夢路いとし・喜味こいしや秋田Aスケ・Bスケ、笑福亭松之助らと舞台俳優としても活動する。


大木こだま: 「第二のいとし・こいし(夢路いとし・喜味こいし)か!」とまで大木こだま・ひかりの将来性を嘱望し、こだまのポーカーフェイスのボケ芸を称賛していたのが、往年の人気コメディー番組『てなもんや三度笠』や『スチャラカ社員』の作者であった笑芸作家の香川登枝緒であった。


正司照枝: 兄貴分の夢路いとし・喜味こいしらから指導を受け、戎橋松竹や名古屋の富士劇場などで歌謡漫才をしていたが、照枝が結核で入院、花江は東京に出ていた横山ホットブラザーズの世話になる。


夢路いとし: また、夢路いとし・喜味こいしのものまねをする事がある。


森光子: 大卒初任給が1万2千円程度というこの時代に「契約金60〜65万円、番組へのレギュラー出演を局側が保証する」との高条件の下、ミヤコ蝶々、南都雄二、夢路いとし、喜味こいしらと『漫才学校』にレギュラー出演。


酒井くにお: 中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいしの後を継ぐ、現役最ベテランの兄弟漫才コンビになっていた。


横山ノック: 2004年11月29日には復帰を記念してワッハ上方で「なにをいまさら横山ノック ―ノックとその仲間たち―」を開催、一門、喜味こいしらが出演、また元相方青芝フック、弟子の横山プリンの3人で漫画トリオ時代のネタを披露した(客席には元相方の上岡龍太郎の姿もあった)。


太平シロー: 夢路いとし・喜味こいし:喜味こいし


市橋織江: ホノカアボーイ(2009年) - 真田敦監督、岡田将生、倍賞千恵子、松坂慶子、長谷川潤、喜味こいし、正司照江、蒼井優、深津絵里など出演


夢路いとし: 大平サブローは、一番尊敬する漫才コンビとして夢路いとし・喜味こいしを挙げており、夢路いとしのものまねが得意である。


坪井章子: カルビー かっぱえびせん 「ミドルサイズ登場」編、「エビA・B ミドルサイズ」編、「バリバリ天然カルシウム」編、他(えびの声・夢路いとし、喜味こいし、1998年 - 2000年)


正司花江: 兄貴分の夢路いとし・喜味こいしらから指導を受け、戎橋松竹や名古屋の富士劇場などで歌謡漫才をしていたが、照枝が結核で入院、花江は東京に出ていた横山ホットブラザーズの世話になる。


能勢浩: 元々は「うなぎ」時代にやっていたネタであり、能勢扮する喜味こいしに新人芸人の加藤が弟子入りとコンビ結成を持ちかけるものである。このネタが出来上がったきっかけは、ピンネタのライブに出演し、それぞれピン芸を披露する予定だったが、急に「コンビでやってくれ」と言われ、ピン芸をやるつもりで既に喜味こいしとおじいちゃんの格好になっていたため、着替え直す時間も無く、結局そのままの格好でコンビでネタをやったことだった。


夢路いとし: 1940年に吉本興業からデビュー、当時のコンビ名は「荒川芳博・芳坊」(「夢路いとし・喜味こいし」に改名する前に一時父親の姓「山田」を使い「山田博・勲」を名乗っていた。


喜味こいしの情報まとめ

もしもしロボ

喜味 こいし(きみ こいし)さんの誕生日は1927年11月5日です。神奈川出身の漫才師のようです。

もしもしロボ

テレビ、子役、父親、解散、引退、家族、兄弟、ドラマ、現在、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2011年に亡くなられているようです。

喜味こいしのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日 - 2011年〈平成23年〉1月23日)は、日本の漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」のツッコミ担当として活動した。本名は篠原 勲(しのはら いさお)。神奈川県横浜市出身。

上方漫才を代表する人物であるが、川越出身とされているのは、一家が旅回りの芸人一家であったからたまたま川越で生を受けたという事情によるものである。川越以外にも、全国津々浦々の地を少年時代から回っていた。旅回り中に生まれたため出生届の提出が遅れ、戸籍上の生年月日は1927年11月5日となっているが、本当の生年月日は1927年8月6日であるとテレビ番組や新聞取材において明かしていた。

元々芝居の子役で舞台出演していた。1940年に漫才師の名門とされる荒川芳丸一門に巡業先の岐阜で実兄の夢路いとし(本名:篠原博信 入門時の芸名:荒川芳博)とともに入門し、吉本興業から「荒川芳坊」という芸名でデビュー(「喜味こいし」に改名する前に一時父親の姓「山田」を使って「山田勲」と名乗っていた。兄いとしは「山田博」)。それからは全国各地にあった吉本が運営する寄席(ミナミの南陽館など)で稽古を積む。その後兄のいとしが山口県の軍需工場に徴用されたためコンビは一時解散となり、こいしは志願兵として広島市で新兵教育を受けていた1945年8月6日(上記の発言が正確ならば満18歳の誕生日となる)、陸軍兵舎にて原爆に被爆した。崩壊した建物の下敷きとなったが7時間後に救出され大した外傷もなく陸軍病院で終戦を迎えた。

戦後、漫才作家・秋田實に師事して「夢路いとし・喜味こいし」(当初は「夢路いと志・喜味こい志」)にコンビ名を改め、「いとこい」として親しまれた。その後上方演芸界を代表するしゃべくり漫才の第一人者として長く人気を集め、上方お笑い大賞、上方漫才大賞、文部省芸術祭奨励賞など数多くの表彰歴を誇った。「ぼくたちは常にナンバー2」がモットー。肩の力を抜き、時代・世相を柔軟に取り入れる自然さが持ち味。芸名を改名するに当たって、この「いとし・こいし」という芸名を芳博が考え、じゃんけんでどちらの芸名を取るか決めた。そして芳坊がこいしの芸名を付けることにしたが、「屋号=苗字がいるだろう」ということで、当時の流行歌に「君恋し」という曲があったのになぞらえて「喜味こいし」としたという経緯がある。毎日放送の「がっちり買いまショウ」の司会でも有名になる。

落ち着いたその芸風は、多くの後輩芸人達にも取り入れられている。上岡龍太郎はこいしのツッコミを理想とし、明石家さんま以下の世代は「いとこい先生」と慕い、二人から多くの芸を学ぼうと躍起になっていた。島田紳助はいとし・こいしを研究し、「できない」と判断して若者に特化したスピード漫才にたどり着いた。

関東の芸人からも多くの尊敬を集め、ビートたけしは、いとしこいしが自身の番組にゲストで出演した際「いとこい師匠は自分が駆け出しの頃から雲の上の人。同じ舞台に上がるのはおこがましい」と発言し、志村けんも「同じネタを何度見ても面白いのは凄い。間とタイミングが真似できない」、爆笑問題は掴みネタや客いじりなど一切なしの本ネタだけのスタイルを「芸人として格好いい」としている。

1993年に紫綬褒章、1998年秋には勲四等旭日小綬章をそれぞれ受章し、1999年11月には大阪市指定無形文化財に指定される。

2003年9月にいとしが逝去し、直後に行われた記者会見にて「これでいとこい漫才は終焉です」と漫才引退を宣言した。その後はテレビのコメンテーターや講演活動に力を注ぎ、2004年8月の原水爆禁止世界大会(原水爆禁止日本協議会主催)で被爆体験の講演、10月から、関西テレビのローカルワイドショー「痛快!エブリデイ」の毎週金曜日にレギュラー出演。また8月の終戦の日前後に放送されるNHK大阪放送局製作「関西発ラジオ深夜便」でも自らの漫才人生や戦争経験などを交えてゲスト出演することも恒例となっていた。2005年には次女でタレントの喜味家たまご(本名:篠原恒世)と共演した。漫才こそ行なわなかったが、蝿取り(手ぬぐいを頬被りし、蝿に扮して座布団を蝿取紙に見立てとらえられる余芸、元は立花家扇遊や佐賀家喜昇が演じた)の芸を上方演芸ホールで演じた。晩年は白髭を蓄えて好々爺の外見になっていた。

俳優としても活動しており、「夫婦善哉」他多数の舞台に立っていた。

所属事務所は、デビュー当時は吉本興業であったが、戦後フリーになり、秋田實の宝塚新芸座から上方演芸を経て、東宝芸能関西に所属する。東宝入りは南都雄二の斡旋によるものであり、当時の所属タレントはいとしこいしだけだったという。この事務所は大宝芸能から大宝企画となるが、いとしの逝去を機に会社を清算。このため2006年10月からは和光プロダクションの所属となっている。

1977年に膀胱ガンを患い、人工膀胱保有者(オストメイト)となった。2008年11月に大阪で行われた「第1回関西オストメイトの集い」にて自らの体験を語っている。

2010年1月、肺がんであることが判明。入退院を繰り返していたが、2011年1月23日、肺がん(小細胞がん)のため大阪市内の病院で死去、83歳没。最期は家族とマネジャーが看取った。2010年12月に収録されたNHK大阪放送局「上方演芸ホール」が最後のテレビ出演となった。

死後、三代目桂米朝や桂三枝(現・六代目桂文枝)、西川きよし、藤本義一、浜村淳らが追悼のコメントを公表した。

葬儀は1月27日、大阪市阿倍野区の葬儀場で営まれ、桂三枝(現・六代目桂文枝)、西川きよし、三代目桂南光らが参列、弔辞はかしまし娘の正司歌江が読み上げ、いとし・こいしの出囃子であった「おいとこ」が流れる中、出棺された。前日(1月26日)に営まれた通夜には上岡龍太郎、坂田利夫、桂きん枝、月亭八方、オール阪神・巨人、中田カウス・ボタン、横山たかし・ひろし、酒井くにお・とおる、海原はるか・かなた、ぼんちおさむら上方芸能人が多数参列し、偉大なる上方芸人の別れを惜しんだ。

また、NHK大阪と朝日放送、関西テレビ、毎日放送は、追悼特別番組を放送した。

こいしは男前の容姿と独特のガラガラ声で、兄いとしのひょうひょうとして洗練されたボケに鋭く突っ込んでいく様が絶品であった。ツッコミが一般にボケを叱る、という態度をとることからよく「怒る・怒り顔」というイメージがあり、下手にすると流れを止めてしまうことがあるが、彼の場合は自然な笑顔で「もしもし...」とやり、ネタの流れを止めるどころかいとしのボケに潤滑油を差す役割になることから、そのツッコミは名人芸とされる。「ほうほう」「それでどないしたんや」などテンポのいい合いの手で、いとしのボケに繋げるテクニックも秀逸である。

基本的にいとしがボケでこいしがツッコミだが、戦後しばらくいとしがツッコミでこいしがボケの時期があり、後年も両者はまれにボケ・ツッコミを入れ替わるという離れ業ができた。ちなみに中田ダイマル・ラケットもそうであったように、ネタの上で兄弟であることを明かすことはほとんどなかった(ただし例外的に「じーっと考えたら君と僕は兄弟や」というネタもあった)。代表作としては「交通巡査」「親子丼」「こいしさんこいしさん」「もしもし鈴木です」「ジンギスカン」などがある。

こいしが序盤に、いとしに対し「なぁなぁ、君んとこの嫁はん元気か?」というネタフリから本編に入るパターンが定番であった。逆にいとしが「鬼瓦で思い出したが君んとこの嫁はん元気か?」と聞くパターンがある。こいしの妻はしばしば恐ろしい形相の物に例えられるが、実際は美人である。

ハイ!次の方(1964年、よみうりテレビ

エプロンおばさん 第2期(日本テレビ

    第16話「温泉日記の巻」(1967年)

    第17話「続・温泉日記の巻」(1967年)

    連続テレビ小説(NHK)

      鮎のうた(1979年)

      ほんまもん(2001年)

      水戸黄門(TBS / C.A.L)

        第1部 第17話「人情喧嘩そば -岡山-」(1969年11月24日)- 法印 役

        第13部 第5話「ドジな息子の泥棒修業 -清水-」(1982年11月15日) - 居酒屋の亭主役

        第16部 第37話「初春献上二人彫 -日光-」(1987年1月5日) - 番頭

        連続アクチュアルドラマ・部長刑事 第1467話「空巣の子守唄」(1986年12月13日、朝日放送)

        土曜ドラマ(NHK)

          大阪ドン・キホーテ(1981年) - 山岡 役

          裸の大将 第46話「清と獅子舞てんてこ舞」(1991年、関西テレビ) - 若狭二郎 役(夢路いとしと共に漫才の師匠)

          痛快!エブリデイ 「こんとい亭」(2007年、関西テレビ

          首なし島の花嫁 (1961年)

          第三の悪名(1963年)

          星影のワルツ 2007年 写真家若木信吾の祖父・琢次役(主演)

          子猫の涙 メキシコオリンピックボクシング銅メダリスト森岡栄治の父・作次郎役 2008年1月公開

          ホノカアボーイ 2009年

          オリエンタル「マースカレー」(兄弟で出演)

          KINCHO「ムカデキンチョール」「コックローチS」ほか殺虫剤全般(兄弟で出演)

          カルビー「かっぱえびせん」(兄弟で声の出演)

          なとり「君恋し」(兄弟で出演)

          読売新聞(2007年)

          浮世はいとし人情こいし(著:夢路いとし・喜味こいし、中央公論新社、ISBN 4120033260)

          いとしこいし 漫才の世界(編:戸田学、岩波書店、ISBN 4000221434)

          いとしこいし想い出がたり(聞き手:戸田学、岩波書店、ISBN 4000221647)

          また、『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』(著:桂米朝・上岡龍太郎、朝日新聞社、ISBN 4022575220)の「第二部 夢路いとし・喜味こいしさんを巡る上方漫才史」に登場、夢路いとしとともに4人で座談を繰り広げている。

          1945年8月6日、少年兵に志願し広島市内で教育を受けていたこいしは広島城付近(現在の同市中区白島)の陸軍兵舎2階で褌一丁で朝食を摂っていた際、広島市への原子爆弾投下に遭遇し被爆する。閃光が見えた時とっさに階下まで避難したが、建物が一部崩壊したため梁の下敷きとなり腹部を強打し気を失った(爆心地から近い地点、しかも殆ど裸同然の姿であったにもかかわらず奇跡的に大きな外傷はなかった)。7時間後に目を覚まし手を動かしたことで救出されたが、その後似島(現・南区)の陸軍病院まで運ばれる最中、市街地での惨状を目の当たりにした。こいしはこの病院で終戦を迎え、その2週間後、両親や兄・いとし(徴用解除により帰郷していた)が住む大阪のアパートに帰り着いた。原爆投下により『広島全滅』との報道を聞いた家族は、こいしが既に死亡していると考え、位牌が作られていたという。

          戦後長くこいしは自分の被爆体験やその直後の惨状についての体験談を、「生き残った者の後ろめたさ」「笑いを提供する側が悲劇を語ってはいけない」という理由もあり、自ら積極的に被爆体験を語ることはほとんどなかった(被爆者健康手帳も未取得である)。しかし、いとし死去によるコンビ解消後の2005年、被爆60年を機にNHK総合の番組に出演し娘の喜味家たまごとともに広島平和記念公園を訪れ、自らの体験を語っている。

          ^ “喜味こいしさん83歳肺がん死去 - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2023年8月2日閲覧。

          ^ “ヒバクシャ:’08夏 喜味こいしさん 葛藤63年、今語る”. 毎日新聞. 毎日新聞社. 2023年8月2日閲覧。

          ^ 「秋の叙勲 あふれる意欲 石本美由起さんら喜びの4氏に聞く」『読売新聞』1996年11月3日朝刊

          ^ 喜味こいし - オリコンTV出演情報

          ^ いちょう並木 2007年3月 300号記念企画1 クローズアップ

          ^ 喜味こいし - オリコンCM出演情報

          江戸家猫八 (3代目) - 陸軍船舶部隊(暁部隊)員の下士官として兵役に従事していた際に広島原爆に被爆。

          柳家小さん (5代目) - 二・二六事件時、一兵卒として反乱軍に動員され警視庁占拠に参加。そのさい上官の命で落語を独演させられた。

          ビーグル38 -能瀬がこいしのモノマネをしながら、相方の加藤が老人の格好でボソボソ喋った事に対してツッコむ漫才コントを行っていた

          和光プロダクション

          オリエンタルCM集 (いとし・こいし出演のCMを見る事が可能)

          喜味こいし - NHK人物録

          FAST

          ISNI

          VIAF

          WorldCat

          アメリカ

          日本

          お笑い芸人

          紫綬褒章受章者

          勲四等旭日小綬章受章者

          日本の男優

          日本の子役

          広島原爆の被爆者

          埼玉県出身の人物

          障害を持つ人物

          肺癌で亡くなった人物

          1927年生

          2011年没

          過去の吉本興業所属者

          荒川一門

          ウィキデータと異なるNHK人物録ID

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          VIAF識別子が指定されている記事

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2024/11/21 16:10更新

kimi koishi


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