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オール巨人の情報 (おーるきょじん)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

オール巨人の情報(おーるきょじん) 漫才師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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オール巨人さんについて調べます

■名前・氏名
オール巨人
(読み:おーるきょじん)
■職業
漫才師
■オール巨人の誕生日・生年月日
1951年11月16日 (年齢72歳)
卯年(うさぎ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和26年)1951年生まれの人の年齢早見表

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オール巨人と関係のある人

相田周二: ブレイク前に三四郎として出演したネタ番組内において、オール巨人の目の前でカーディガンを着て漫才を披露した所、巨人に「キミ、なんでカーディガンなん?漫才やったらスーツの方がええで?」と言われるが、当時はお金がなくその場では「スーツ買えないんですよ」と答えた所、巨人から「ほな、俺が買うたるわ。その代わりでっかく胸に『オール巨人』って刺繡入りやで」と返される。その後すぐにそのお金で、ジャケットの内側の右側部分に「三四郎相田」、左側部分に「オール巨人」と刺繍を入れたオーダーメイドのスーツを完成させ購入した(その後、再び巨人と楽屋で再開した際にそのスーツを着て感謝の弁を伝えている)。相田によれば、その後もスーツを何着か購入しているが、その全てのジャケットの左内側に「オール巨人」と刺繍を入れており、「これは一生やってくと思う」と述べている。


島木譲二: 通夜は同年12月17日、告別式は12月18日に大阪市淀川区内で営まれ、間寛平、六代目桂文枝、桂文珍、池乃めだか、オール巨人、トミーズ雅、小籔千豊、内場勝則、辻本茂雄、すっちー、未知やすえ、末成由美、宇都宮まき、かつみ♥さゆり、藤井隆ら多くの芸人仲間が参列し、島木との別れを惜しんだ。


山井大介: 漫才師・オール巨人の息子のプロゴルファー・南出仁寛は義弟(山井の妹と結婚した)である。


きどゆういち: 高校卒業後に大阪に移り、オール巨人の一番弟子となる。


オール阪神: オール巨人は後年ひょうきん族を含む漫才ブーム時期を「ブームの末席」、「挫折時期だった」と述べている。


池乃めだか: 『なにわ人情コメディ横丁へよ〜こちょ!』では、『新喜劇』の時よりも長く続き、最後にオール巨人に向かって「すまんがコーヒー(ブランデー)を入れてくれ、モンスター」(または、「馬車を回してくれないか、モンスター」)などと言う。


チャーリー浜: 横山やすし、オール巨人、中田カウスと並ぶスパルタ吉本芸人として知られ、『アメトーーク!』の企画としておぎやはぎの小木博明が新喜劇の舞台に立った際にも他のメンバーが優しく指導している中で一人厳しく接していたほか、「山田花子をビンタした」「舞台中にセリフの順番を間違えた上ごまかそうとしたアドリブもすべってしまい客の失笑を買った若い芸人に『お客さんや、お客さんを笑わせるんや。


太平サブロー: 復帰できた背景には、サブローが吉本の先輩で有力タレントである明石家さんま、島田紳助、オール巨人らに伴われて吉本に詫びたことがある。


大平サブロー: 復帰できた背景には、サブローが吉本の先輩で有力タレントである明石家さんま、島田紳助、オール巨人らに伴われて吉本に詫びたことがある。


馬飼野康二: オール巨人


おかゆうた: 兄弟子のオール巨人がブログで2014年3月22日に、自身の闘病生活を綴った『さいなら!C型肝炎』が発売されることから、「プレゼント第一号は、今朝楽屋に来たらロビーのソファーに座ってた!我が岡八朗一門の弟弟子の けんた・ゆうた君の、ゆうた君に第一号プレゼント」と書いている。


しあつ野郎: よしもとモノマネGP(毎日放送、2009年2月21日) - オール巨人部門大賞受賞


藤本友美: M-1甲子園審査員のオール巨人(オール阪神・巨人)が総評で口添えし、当時特待生制度が無かったNSCに学費無料で入学した。


しあつ野郎: 特に、オール巨人の物真似は、巨人自身もその物真似を気に入っており「オール巨人公認」となっている。


有吉弘行: 1993年3月、当時高校に在学中だった有吉は『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」(審査員は上岡龍太郎、島田紳助、オール巨人、西川のりおら4名)に合格し、オール巨人(オール阪神・巨人)へ弟子入りした。また、同時期にNSCも受験していたが、合否が発表される前にオール巨人のテレビ企画に参加したため入学はしなかった。


上岡龍太郎: 親交があったオール巨人のブログには、オール巨人と一緒に撮影した写真がブログに掲載されており、上岡の近況が確認出来ていた。


土建屋よしゆき: 8月3日に行われた通夜には紳助も参列し、8月4日の葬儀・告別式にはオール巨人ら約200人が参列した。


仙堂花歩: オール巨人(オール阪神・巨人) 監督作品『弟子物語』


上沼恵美子: 2021年大会終了後には、オール巨人とともに審査員から引退する事を表明、この年をもって勇退となった。


木村進: 同月21日に通夜、翌22日葬儀・告別式が大阪市都島区の葬祭場で行われ、寛平、池乃めだか、船場太郎、末成由美、帯谷、やなぎ浩二、島田一の介、内場勝則・未知やすえ夫妻、川畑泰史、すっちーらの吉本新喜劇新旧メンバーのほか、桂文枝、桂小文枝、オール巨人、桂文珍、月亭八方ら吉本所属の芸人らが参列した。


たけだバーベキュー: この時、審査員長として来ていたオール巨人から「君はなんぼでもネタ書けるやろ?君は売れる」と太鼓判を押され、このエピソードは27期の中で語り草となっている。


おかけんた: 兄弟子のオール巨人がブログで2014年3月22日に、自身の闘病生活を綴った『さいなら!C型肝炎』が発売されることから、「プレゼント第一号は、今朝楽屋に来たらロビーのソファーに座ってた!我が岡八朗一門の弟弟子の けんた・ゆうた君の、ゆうた君に第一号プレゼント」と書いている。


コージー冨田: オール巨人


上沼恵美子: この騒動に関して同じく審査員のオール巨人は「つまらん本当に情けない話」と嘆き、松本人志は「彼らは勉強不足」と批判、更に大会創設者である島田紳助が週刊誌の誌面で上沼に謝罪するに至った。


松本竜助: 霊柩車のクラクションが鳴った際、竜助が眠る棺を担いだ西川きよし、B&B(島田洋七、島田洋八)、ぼんちおさむ、のりお・よしお(西川のりお、上方よしお)、オール巨人、大平サブローが霊柩車の前に整列して「竜助ぇ!」と見送り、のりおが「竜助ーっ!!」と22回絶叫した。


南出仁寛: 父は漫才師のオール巨人、母は元吉本新喜劇の青木みき。


南出一葉: 父は漫才師のオール巨人で、母は元吉本新喜劇の青木みき、2人の兄の長男は、プロゴルファー・タレントの南出仁寛。


角田龍平: 高校2年の終わり、関西テレビのバラエティ番組『紳助の人間マンダラ』の若手漫才師を育成する企画「オール巨人の漫才道場」へ応募。高校の成績は260人中240位で、高校卒業後、第一志望の京都大学経済学部ではなく、漫才の一芸入試で立命館大学法学部に入学すると同時にオール巨人の付き人をしていたが、オール阪神・巨人がレギュラー出演していたNHK大阪放送局『バラエティー生活笑百科』の収録スタジオで「笑福亭仁鶴にも上沼恵美子にも阪神・巨人にもなれないが、回答者の弁護士にはなれる」と思い立ち、芸人を廃業し、弁護士を目指す。


山田愛実: M-1甲子園審査員のオール巨人(オール阪神・巨人)が総評で口添えし、当時特待生制度が無かったNSCに学費無料で入学した。


オール阪神: 南出はオール巨人、高田はオール阪神を名乗る。


オール巨人の情報まとめ

もしもしロボ

オール巨人(おーるきょじん)さんの誕生日は1951年11月16日です。大阪出身の漫才師のようです。

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エピソード、単独出演などについてまとめました。結婚、卒業、現在、テレビ、兄弟、病気、家族、事故、父親、趣味、引退、ドラマに関する情報もありますね。オール巨人の現在の年齢は72歳のようです。

オール巨人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

オール巨人(おーるきょじん、1951年(昭和26年)11月16日 - )は、日本の漫才師、歌手。漫才コンビオール阪神・巨人のメンバーで、主にボケ担当。相方はオール阪神。吉本興業所属。本名は南出 繁(みなみで しげる)。

1951年、大阪市天王寺区にて出生後、家業の都合で転居を繰り返す。その後豊中市の北条に落ち着き、結婚までの時期をこの地で暮らす。中学3年生の頃には身長が180cmほどになっていた。特に暴れん坊だった、不良だったと言うわけではないが、いつしかケンカが強いと言う「設定」になっており、学校では一目置かれる存在となり、いつのまにかたくさんの子分がいたという。

私立大阪商業高等学校(現・大商学園高等学校)卒業後は学生の頃から手伝っていた実家の鶏卵卸売り業に勤務する。その傍ら『素人名人会』など素人出演演芸番組で形態模写や漫談を披露する。この頃に老人ホームや刑務所などでの慰問を行うために素人の手伝いを探していた時、まだ高校生であり、同じく演芸番組の常連であった6歳年下の高田昭徳、後のオール阪神と出会う。

臨時的に高田と組んで漫才を行ったことがあったが、これが受け、高田と共に吉本興業に所属することを勧められる。

当時の吉本には吉本総合芸能学院といった養成所が無かった故に誰かの弟子となるのが習慣であったが、意中の島田洋之介・今喜多代は既に島田一の介や今いくよ・くるよ、島田紳助など多くの弟子をかかえており、ちょうど付き人を探していた吉本新喜劇の岡八朗の弟子となり、岡の一番弟子と認められていた。当時島田紳助と仲が良く、今喜多代からコンビ結成を勧められたが、もともと吉本入りは高田とのコンビ結成が前提であり、また南出は年下の高田が高校を卒業するのを待っていたため、これを断った。

1975年2月には高校を卒業した高田も岡の弟子となり、南出はオール巨人、高田はオール阪神を名乗る。その後1975年4月までの約9ヵ月間、岡八朗の弟子として過ごす。岡は新喜劇俳優(とは言え漫才師としての経験もある)、巨人は漫才師志望のため、直接的に芸を学ぶ事は無かったが、アドバイスを受けることはあった。

一時期はせっかく夢を持って吉本に来たのだから、と、弟子入り志願者が10人居れば7~8人を弟子としていたが、2019年現在は、弟子を取ってはいない。弟子の数は合計30人程度にのぼるが(うち一人は女性だが、他は男性)、ほとんどは芸人を辞めていった。常識の無い弟子に困らされることもしばしばであったと言う。

なお、巨人は厳しい師匠だと言われる事があるが、勿論弟子が失敗すれば怒ったり謹慎を命じたりしたりする事はあるにせよ、巨人自身は、そうではないと思っているとのこと。巨人は「師匠である自身が弟子と真剣に向き合っているからこそ、怒鳴ったり怒ったりすることもある」としており、また自身は理由も無く手を挙げるような乱暴者では無いとも語っている(後述)。

だが謹慎を切っ掛けに弟子が辞めてしまうこともあり、そういった時は非常に寂しいもので、あの時許していればと自省をしてみたりと言ったこともあり、師匠をやるのも難しいものなのだと語っている。なお、巨人によれば、巨人が弟子に手を上げたのはただの一度だけであると言い、その弟子はあろうことか阪神の財布から現金を盗んでいたのだという。

また、テレビ番組『EXテレビ』の企画で巨人の弟子となった有吉弘行が兄弟弟子の堀之内裕史を歯が折れるほど殴ってしまい、暴力を振るうような奴は弟子には不要と謹慎を言い渡したところ、いつの間にか上京して「猿岩石」を結成しブレイクしていたといったことがあった。その後巨人と再会した有吉は土下座して謝罪し、巨人は何故連絡の一つも寄越さなかったんだと言いながらも、お前も辛かったんだろうと、正式に破門と言う形式にした。

有吉以外にも巨人のもとを離れてから成功した例がいくつかあり、一時期は巨人の弟子を辞めたら売れると言う話が生まれたという。なおあくまでテレビのバラエティ番組内でのトークではあるが、有吉がMCを務める番組に巨人がゲストとして出演した際、有吉は巨人師匠の弟子につかせてもらって良かった、としながらも、猿岩石がブレイクしたきっかけの6ヵ月のヒッチハイクと巨人のもとでの8ヵ月の弟子生活を比較し、もう一度どちらかをやれと言われたらヒッチハイクの方を選ぶ、と思うほど(18歳当時の)自身には厳しいものだったと語っている。

弟子・元弟子には有吉のほか、きどゆういち、角田龍平、コラアゲンはいごうまんなどがいる。

また弟子を取る時には履歴書と、心構えなどを書いた書面を提出させ、それは全て保管しているという。

弟子については#ガチンコ!でも詳述する。

自身の持ち歌「男の子守唄」で第67回NHK紅白歌合戦に内定したが、ピコ太郎に先をやられたと漫才でも語っている。

現在は大阪府吹田市在住。

エピソード

とろサーモン久保田との確執

自身の書籍「漫才論 - 僕が出会った素晴らしき芸人たち - 」の中で、お笑いコンビとろサーモンに対して以下の文言を記述している。

「実際にとろサーモンが王者になった2017年は、僕は和牛が優勝だと思っています。だから、最終決戦で和牛に投票した」 「僕を含めて当時のメンバーが5人で1人1人の票が重いと、審査員を増やしてくれと訴えたんです。それで2017年は7人に増えたと。このとき新しく入った2人がとろサーモンに入れたんですよね。そして、レギュラー審査員を務めていたうちの3人、つまり、僕と上沼さんと松本君は和牛を選んだ。故に、彼らは名誉ある敗退とも言われていました」

この文面をとろサーモン久保田氏が読み、自身は「恥辱の勝者」になるのかと、YouTubeチャンネルを通じて反論をしたのがきっかけ。 そもそも2017年に審査員を7人に増やしたのはオール巨人本人であり、後出しジャンケンのように、記録に残る「書籍」という形で無許可で記載したことに対しても、「前までちょっと好きだったんですけど、今回読んでちょっと…。そうですね。嫌いになりましたね」と久保田は大きな落胆にも近い憤りを見せている。

ガチンコ!

『ガチンコ!』と言うテレビ番組の企画で、巨人に漫才師を育てる企画、「漫才道」の講師の依頼があった。「生まれてこの方やらせと嘘は大嫌い」と言う巨人は、やらせをしない、「演出」も極力控える条件でこれを承諾。

1週目収録がはじまると、20-30人集まった候補者の中にとんでもなく態度の悪い人物がおり、巨人はその人物を怒鳴りつけたが、その人物はしらばっくれたような態度を取るだけだった。巨人は、「何を言うてんねん。お前な、漫才師になりたくてここに来たんなら、俺の言うことを聞け、嫌やったら帰れ! お前が俺の弟子やったらパンパンやな、お前」と叱りつけた。巨人によればこの「パンパンやな!!」は後で評判になった台詞だが、本当はそんな風に言うつもりでななく、パンパンとはバチバチっと殴るぞ、ちゃんとやらないと手が出てるぞ、程度の意味合いであり、恐らく自身が怒りで興奮していたんだろう、としている。ともあれ1週目の収録は終わったが、巨人はその態度の悪い人物を、番組側が仕込んだやらせなのではないかと怪しみ、スタッフを問い詰めた。この時スタッフはやらせを否定したものの、2度目の収録の前の週に巨人がテレビを見ていると、なんと他の番組にその人物が出演しており、真面目な好青年であったという。巨人は「やっぱりやらせか!」と激怒し、2度目の収録の時にスタッフを叱りつけ、収録は中止となった。巨人は本音ではこの企画をもう降りたかったが、1週目を収録してしまった都合上そういう訳にもいかず、今後は自分の好きにさせて貰う、やらせは行わない、と言う条件でやむなく続けることにした。以後は1回目のようなあからさまな仕込みはなかったものの、スタッフが弟子へのビンタを要求するなどやらせを要求され、腹を立てることがあったという。

巨人はこの件に関し自著で、口で言っても解らない子には殴るしかない時もあろうが、自分は誰にでも手を出すような乱暴者ではない。またテレビの企画とは言え塾生を弟子のように思っているから無闇に怒るようなこともできない、と著している。

なお巨人は前述の通り、弟子に対して師匠として真剣に向き合うから怒鳴る時もあれば怒る時もあるとしており、テレビ番組の企画とは言え、自身が塾生たちにも真剣に向き合った結果、テレビの視聴者に「巨人は怖い」との印象を与えるに至ったのではないかとしており、出演しなければ良かった、と思う時もあるという。この企画で怖いと言う印象がついてしまい、寿司屋を訪れると茶髪の店員を奥に隠したり、「ウニください」と普通に寿司を注文したら、「あれ、怖くないんですね」などと驚かれたこともあったと言う。

巨人によれば、ガチンコの出演は残念な結果に終わったが、芸人として残っている数少ない弟子は「巨人師匠は優しい」と言ってくれるし、また、一部のファンは当時「巨人さんは本当は優しいと知らしめたい」と言ってくれており、その気持ちは嬉しかったとしている。

C型肝炎

巨人は以前、C型肝炎を患っていた。初期は自覚症状がない病気であるが、これが発覚したのは1997年ごろ、虫垂炎の手術をしたときである。ひとくちにC型肝炎と言っても色々なタイプがあるが、最も治りにくいウイルスに冒されていた。自覚症状が無い為になかなか治療を開始する踏ん切りがつかず、治療を開始したのは還暦を前にした2010年2月のこと。

巨人が受けたインターフェロン治療は注射を行うと体温が39度を超え激しい頭痛と関節痛が伴い、また副作用が20も30もあるようなものであったという(巨人の場合、一番ひどかったのは、耳鳴りであった。その他立ちくらみや味覚障害による食欲不振など。)。またこのような症状は当日だけではなく、日常生活にも支障を来すものであった。しかし不思議と、舞台上では時折目の前が真っ白になりながらも、しっかり漫才を行えていたという。

その辛さから家族に八つ当たりすることもあったが、巨人は同年2月15日から19日に入院したものの、仕事を休まずこの注射を毎週、1年半続け、また更に半年後の検査でもウイルスは検出されず、2012年現在は完治ということになっている。治療費は1年間につきおおよそ100万円程度かかったが、2012年現在は助成金が有り安価に治療できるとのこと。

なお巨人が治療を開始する4-5年前に、巨人の妻も同じくC型肝炎でインターフェロン治療を行っている。妻も注射後3-4日はずっとしんどいとへたりこんでいたという。

また巨人は、治療中は禁酒し、ゴルフにも行かなかったという。そして、治療終了後に「飲酒再開の会」を興したところ、20人ほどが集まってくれたと言う。

師匠・岡八朗

巨人は師匠である岡八朗を非常に尊敬・敬愛していると語る。弟子として専属したのは9ヵ月程度であったが、離れても一生師匠は師匠、弟子は弟子と言い、酒に溺れ身を崩す岡を諫め続けるなど、師弟関係は岡が死去するまで31年間続いたものであった。巨人曰く、たまたまの縁で岡と師弟関係となったが、師匠である岡の深い愛情と大きな度量があったから今の自分があり、後年酒と怪我で身を崩した岡を諫めるようなことになっても、その尊敬心や信頼関係にはいささかの揺るぎもないという。また、本当に優しくて、大きな師匠であり、岡八朗師匠に出会えて良かったと心から感じている、としている。なお岡の葬儀の後、岡の日記を読む機会があったが、死去する2日前に書かれた、数日前に行われ岡最後の舞台となった芸能生活45周年公演について記した日記で岡も舞台を非常に楽しんだことなどが記されていたが、巨人の名前(本名)が「南出」であるところ「南田」と誤記されており、ここでそれはないだろう、と、ガックリきたと冗談めかしながら著している。

門下時代

巨人の弟子時代のエピソードとして、巨人が師匠の岡を迎えにいくために岡の車を一人で運転をしていた際に交通事故を起こしたことがある。この時、大事になれば週刊誌に岡八郎の名前が載ってしまい、師匠の芸能活動に支障が出ると思案に暮れていたところを、岡に「自分の名前が載ってもかまへんから、警察に起きた事実を言うて来い」と言われたという。その言葉通りに警察に出頭したところ、事故に遭った相手(被害者)が免停中にもかかわらず車を運転していたことが発覚し、大事には至らなかった。

岡の舞台復帰の際は、娘との漫才のサポートを懇願され、事故の後遺症でなかなか台本を覚えられない岡にダメ出しをするなど、漫才に対して厳しい姿勢を見せながらも、衰えた師匠の姿に密かに号泣するなど、深い師弟愛と芸に対する厳しさの両面を見せた。ただし、岡が亡くなる直前に巨人のことを「南田くん」と呼んだことがいまだに心に引っかかっているという。後々に「師匠、僕は南出です…」とカメラの前でコメントを残した。また巨人は、師匠との思い出の店として、京都市内のとある豚肉お好み焼き屋の名前を挙げている。

「最近は後輩とあまり食事が出来なくて寂しい。誰からも連れてってくれといってもらえない。時代かなぁ」と「ヨシモト∞」(2006年8月9日)で語った。

その他

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "オール巨人" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年9月)
    自他ともに認める酒豪である反面,タバコ嫌いでもある。若い頃は酒は一滴も飲めなかったが、岡の弟子になってから鍛えられ、飲めるようになった。また岡には非常に可愛がられ、怒られた事などはなかったという。なお、阪神は愛煙家だが、下戸で、巨人とは正反対である。なお、前述通り、一時期は禁酒をしていた時期もある。

    若手時代、楽屋にいると、いつもの調子で横山やすしが現れ、若手芸人をアゴでコキ使っていた。あまりの横暴さに、巨人は見るに堪えられなくなり、猛烈な剣幕で食ってかかって鎮めたという。やすしはその恐怖から、巨人を「巨人君」と呼ぶようになり、巨人もやすしを尊敬するようになったという。

    学生の頃に柔道を経験している。

    父親は真っ直ぐで人の良い好漢であり、尊敬しているという。

    普段は妻が初めての女だと言っているが、実は一度岡八朗の奢りでソープランドへ行ったが初体験の緊張でうまくコトに及べ無かったと言う過去があり、妻は二人目の女であるとも言えなくも無いらしい。なお、当時の巨人は「初めての女性と結婚しようと決めていた」そうである。

    島田紳助、明石家さんまは同期でありライバルであり、また友人でもあると言う大切な関係である。厳密には巨人は若干後輩であるが、さんまや紳助は「兄さん呼ばわりは勘弁してくれ」と言い、巨人は「紳ちゃん」「さんま」と呼ぶようになり、会話の内容も同期のように、「俺、お前」の間柄となったようである。もっとも巨人は漫才師になる前に落語家としての修業も行っているので、厳密には巨人が少し先輩である。桂小枝も同期で長年の飲み仲間だが、酒癖の悪さには閉口することが多い。

    中学時代は陸上競技部に所属したが、すぐにやめたという。

    ゴルフは師匠の岡八朗と共通の趣味。ゴルフを始めたのも岡の影響である。人付き合いが広がるかと考えたのが、ゴルフを始めた理由であるとのこと。

    大型二種免許所持、他人が運転する車は車酔いが酷く、大型バスに乗車しても運転手に詫びを入れ自らハンドルを握って運転。

    ゴルフ歴は約30年で、その腕前はプロゴルファー達からも誉められるほどである。やしきたかじんや、元芸能人の上岡龍太郎などとゴルフを打ちに行くという。巨人のブログでは、巨人の参加したゴルフ大会では、優勝した上岡の他にも、村上ショージ、明石家さんまなども参加。お笑い芸人以外でも所ジョージ、板東英二などが参加している。ココリコの遠藤章造も参加予定だったが、同日遠藤が同じゴルフコースでプレーしている姿を目撃し、結果、遠藤は罰金を食らったという。

    妻は元吉本新喜劇の青木みき、娘は元吉本新喜劇の南出一葉、長男はプロゴルファー・タレントの南出仁寛。次男は一般人のため、公表されるのは皆無に近いが、TBS「しあわせ家族計画」に巨人が出場した際に出演したことがある。

    2007年に大阪で開催された第11回世界陸上選手権の有識者会議委員を務めた。

    名前とは裏腹に巨人ファンではなく、熱狂的な阪神タイガースファンである。本人曰く「阪神が負けた日におっちゃんに襲われることがある」という。2010年、長男・仁寛が中日ドラゴンズの主力投手・山井大介の妹と結婚を発表。巨人の芸名と中日の縁戚を持つ熱烈阪神ファンという賑やかな状態となった(現に山井本人も元々は阪神ファン)。

    墓参りに情熱を傾けており、墓参りの際には敷かれた石も全て洗い、墓石もピカピカに磨く。これは先祖を大切にする気持ちからである。

    後輩芸人のしあつ野郎に物真似されており、巨人は彼の物真似を公認し、気に入っている。後輩の太平サブローや兼光タカシも、巨人のモノマネをレパートリーとしている。

    2007年5月14日、次男に男児が誕生し、晴れておじいちゃんになった。

    毎年9月8日の他、随時にオフ会を開催し、ファンとの交流を大事にしている。

    なすなかにし(松竹芸能所属・2000年結成)をベテランのお笑いコンビと勘違いして、「賞レースに出るな」と言ったことがある。

    2019年3月14日放送の『ぐるぐるナインティナイン』の企画「勇気を出して…はじめての金髪ショー」で金髪になり、それが好評だったことから現在も金髪にしている。

    運動や筋トレが趣味でもある。何らかの事情で運動などが出来なくなるときには「今のうちにやっておく」と奮発して、いつもよりやることを考えているほど。

    M-1グランプリでは第7回で初めて審査員となったが、寸評を求められた時にはできるだけのアドバイスを行い、言葉が足りなかったと思ったコンビには、後で楽屋に赴きフォローを行ったりと、真剣に取り組んだという。また2007年に敗者復活から優勝したサンドウィッチマンが、非常に面白いのに何故準決勝で落ちたのかがわからず、そのことを率直にコメントするなどもしている。

    2012年の若手は「腕がある」と評価しており、M-1で準決勝に残る腕を持った若手を自分達が若手だった時代に連れて行ったら、あっと言う間にスターになる、としている。

    2007年から3年間、M-1グランプリの審査員を務めた。さらに2016年から2021年まで審査員を務めていた。自らのブログで視聴者に対して自身の採点基準をより明確にしている。2010年大会では自身の体調との兼ね合いで審査員を辞退したことも明らかにしている。2021年大会をもって上沼恵美子とともに審査員を引退。理由について「引退は2、3年前から決めてた。(審査は)めっちゃ疲れる。僕らに理解できひんような漫才に、理解したような顔してよう審査できん」と取材に答えている。

    単独出演

    テレビバラエティ

    ガチンコ!(TBS)

    痛快!エブリデイ(関西テレビ)- 木曜日ゲストコメンテーター

    ツッコメディ!痛快パラダイス(朝日放送)

    なんやモー目茶苦茶屋(朝日放送)

    特ダネ野郎えぇチー厶(朝日放送)

    1、2、駐在さんダァ〜!!(朝日放送)

    あったか人情コメディ 湯けむりパラダイス!(朝日放送)

    なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!(朝日放送)

    あん!(毎日放送)- 金曜日レギュラー

    っちゅ〜ねん!(毎日放送)- 金曜日レギュラー

    教えて!ニュースライブ 正義のミカタ(朝日放送)- 週替りレギュラー

    M-1グランプリ(朝日放送)- 2021年まで審査員として出演

    テレビドラマ

    夫婦善哉(NHK) - 八卦見 役

    ごちそうさん(NHK) - 社長 役

2024/06/14 12:25更新

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木村 東吉(きむら とうきち)
1958年11月16日生まれの有名人 大阪出身

木村 東吉(きむら とうきち、1958年11月16日 - )は、日本の男性ファッションモデル、エッセイスト、企業アドバイザー。aggregateTOKYO所属。 高校中退後、大阪でモデルとして活動…

福田 光輝(ふくだ こうき)
1997年11月16日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 福田 光輝(ふくだ こうき、1997年11月16日 - )は、大阪府大阪市東淀川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハ…

宮田 和希(みやた かずき)
1988年11月16日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 宮田 和希(みやた かずき、1988年11月16日 - )は、大阪府堺市中区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校4年生…

山本 祥輝(やまもと よしき)
1994年11月16日生まれの有名人 大阪出身

山本 祥輝(やまもと よしき、1994年11月16日 - )は、大阪府出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。 ガンバ大阪堺ジュニアユース出身。興國高等学校を経て2013年J2・カターレ富山に…


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鈴木 章夫_(オートレース選手)(すずき あきお)
1946年8月23日生まれの有名人 静岡出身

鈴木 章夫(すずき あきお、1946年8月23日 - )は、日本のオートレース選手。 プロフィール(2023年1月現在) 静岡県出身 2期 浜松オートレース場所属 1964年9月15日選手登録 身…

田中 茂_(オートレース選手)(たなか しげる)
1976年12月6日生まれの有名人 福岡出身

田中 茂(たなか しげる、1976年12月6日 - )は、日本のオートレース選手。福岡県出身。26期、飯塚オートレース場所属。 プロフィール 選手登録 1999年4月1日 身長 165.6cm 体…

オードリー 亜谷香(おーどりー あやか)
1989年9月25日生まれの有名人 出身

オードリー 亜谷香(オードリー あやか、1989年9月25日 - )は、日本のファッションモデル。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。 ボン・イマージュを経てイデアに所属。 父親がアメリカ人で母…

ハルカ・オース(本名:Ilonka Haruka Tatianna Orth)
1982年11月16日生まれの有名人 出身

ハルカ・オース(本名:Ilonka Haruka Tatianna Orth、1982年11月16日 - )は、アメリカ合衆国シカゴ出身のタレント(外国人タレント)・女優、演出家。稲川素子事務所を経て…

おみむら まゆこ(1979年10月26日[1] - )
10月26日生まれの有名人 北海道出身

おみむら まゆこ(10月26日 - )は、日本の女性声優、ラジオパーソナリティ。北海道出身。81プロデュース所属。旧芸名は、麻績村 まゆ子(読みは同じ)で1979年生まれ東京都出身としていた。 こ…

大澤 凪沙(おおさわ なぎさ)
1991年11月18日生まれの有名人 群馬出身

大澤 凪沙(おおさわ なぎさ、1991年11月18日 - )は日本の女性声優、舞台女優。群馬県前橋市出身。アローズプロ所属だったが、現在はフリー。 代々木アニメーション学院東京本校声優タレント科卒…

リンカ・オーエン(Rinka Owen)
1997年5月25日生まれの有名人 出身

リンカ・オーエン(Rinka Owen、1997年5月25日 - )は、日本のタレント、ファッションモデル。 日本とオーストラリアのハーフ。シュガーアンドスパイスに所属。カタログ、雑誌などのモデル…

大庭彩歌(おおば あやか)
【LinQ】
1990年5月18日生まれの有名人 福岡出身

LinQ(リンク)は、日本の女性アイドルグループ。IQプロジェクト(ジョブ・ネット)所属。福岡県を拠点に、九州および全国区でも活動しているローカルアイドル。『ご当地アイドル四天王』『ご当地アイドル殿堂…

セルジオ=レオーネ(Sergio Leone)
1921年1月3日生まれの有名人 出身

セルジオ・レオーネ(Sergio Leone、1929年1月3日 - 1989年4月30日)は、イタリアの映画監督、映画プロデューサー、脚本家。ローマ出身。1960年代に『荒野の用心棒』を始めとするイ…

オーランド=ブルーム(Orlando Bloom)
1977年1月13日生まれの有名人 出身

オーランド・ジョナサン・ブランチャード・ブルーム(英: Orlando Jonathan Blanchard Bloom, 1977年1月13日 - )は、イギリスの俳優。 イギリスのイン…

オーレリー=デュポン(Aurelie Dupont)
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オーレリー・デュポン (Aurélie Dupont, 1973年1月15日 - )は、フランス・パリ出身のバレエダンサー。1989年にパリ・オペラ座バレエに入団し、1998年に最高位のエトワールに昇…

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オードレ・アズレ(仏: Audrey Azoulay、1972年8月4日 - )は、フランスの政治家、官僚、国際連合職員である。2016年から2017年にかけてフランス文化省大臣を務めた。20…

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