野口裕美の情報(のぐちひろみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
野口 裕美さんについて調べます
■名前・氏名 |
野口裕美と関係のある人
上田利治: 特に阪急→オリックス時代には、単独指名の年と1987年の伊藤敦規(日本ハムとの抽選)や1988年の酒井勉(ロッテとの抽選)を除いて、1980年に石毛宏典(西武)、1981年は金村義明(近鉄)、1982年は野口裕美(西武)、1983年は高野光(ヤクルト)、1986年は田島俊雄(南海)、1989年は野茂英雄(近鉄)とことごとく外している。 湯浅禎夫: このシーズンで記録した109奪三振はのちの江川卓、湯浅の後輩(米子東高出身)でもある野口裕美、和田毅、一場靖弘らも破れなかった、現在まで残るリーグ記録である(ノーヒットノーランを2度達成したのも、湯浅ただ一人である。 成田啓二: 定年を迎えて地元に帰り、母校で野口裕美ら後輩の指導にあたるとともに、高校野球中継の解説者として多くのファンに親しまれた。 |
野口裕美の情報まとめ
野口 裕美(のぐち ひろみ)さんの誕生日は1960年11月29日です。鳥取出身の野球選手のようです。
引退、結婚、テレビに関する情報もありますね。野口裕美の現在の年齢は63歳のようです。
野口裕美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 野口 裕美(のぐち ひろみ、男性、1960年11月29日 - )は、鳥取県西伯郡西伯町(現:南部町)出身の元プロ野球選手(投手)。1988年の登録名は野口 裕之(のぐち ひろゆき)。 法勝寺中学校3年時の第1回鳥取県中学校総合体育大会軟式野球の部で優勝投手となる(主将も務めた)。 米子東高入学後は1年春から活躍し、1976年秋季中国大会ではベスト4入りの原動力となる。その結果、チームは1977年春の選抜の中国地区代表校の一つとして出場を果たす。2年生ながらエースとして県岐阜商高と対戦し、0-5で敗れたが快速球が注目される。直後の春季中国大会では優勝したが、同年夏の甲子園県予選では準決勝で境高に、1978年の夏も準決勝で倉吉北高に敗れ、夏の甲子園に出場することはなかった。 一般入試で立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは、2年次の1980年春季リーグにおいて東京六大学戦後最高となるシーズン96奪三振(従来の記録は秋山登の86奪三振)を樹立。同季のベストナインに選出され『セントポールの星』と呼ばれる。しかし連投の影響で肩を故障し、秋季リーグは戦線離脱を余儀なくされた。この時は代役の深井隆投手(日本石油に進む)が好投して優勝寸前だったため、野口の不在が惜しまれる。当時の立教大学は打線が弱く、野口が好投しても打線が援護できないことが多かった。最後のシーズンは東京大学にも敗れ最下位に終わる。リーグ戦通算74試合登板、27勝28敗、防御率2.14、317奪三振。2、3年次には日米大学野球選手権大会にも選出される。大学時代の武器は速球、カーブだった。 当時の東京六大学野球リーグにおける1シーズン最多奪三振記録は、野口の高校の先輩にあたる明大の湯浅禎夫が1925年秋季リーグで記録した109奪三振であり、野口の記録した96奪三振は当時歴代2位である。その後2001年春に早大の和田毅が記録に近づいたが、早慶戦最終戦で先発を回避したため及ばなかった。しかし2004年春季リーグで優勝投手となった明大の一場靖弘が野口の記録を上回る107奪三振を記録した。 即戦力左腕として期待され、1982年のプロ野球ドラフト会議で、中日、西武、阪急の3球団から1位指名を受け、競合の末西武ライオンズに入団。 1983年10月11日に初先発。近鉄の鈴木啓示と投げ合い、6回1/3を3失点と好投するが勝敗はつかなかった。 その後は故障の影響もあって全盛期の球威は復活せず、一軍での登板はわずか5試合にとどまる。 1987年に背番号を14から58に変更。 1988年、裕美から裕之に改名するもその年限りで現役を引退した。 西武時代に同音異字の女性と結婚し「野口ヒロミ夫婦」と話題になる。2019年9月には『人名探求バラエティー 日本人のおなまえっ!』(NHK総合テレビ)に夫婦で出演した。 初登板・初先発:1983年10月11日 対近鉄バファローズ22回戦(西武ライオンズ球場)、6回1/3を3失点で勝敗つかず 14 (1983年 - 1986年) 58 (1987年 - 1988年) 野口 裕美 (のぐち ひろみ、1983年 - 1987年) 野口 裕之 (のぐち ひろゆき、1988年) 「西伯町誌 完結編」鳥取県西伯郡西伯町町誌編纂委員会 2004年 鳥取県出身の人物一覧 立教大学の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 個人年度別成績 野口裕美 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1位:野口裕美 2位:笘篠誠治 3位:石井毅 4位:村井一男 5位:成田幸洋 6位:後藤明美 表 話 編 歴 島岡吉郎 福島敦彦 松本吉啓 森岡真一 藤川正博 加治太 野口裕美 高久孝 松井智幸 長村裕之 渋谷卓也 西弘顕 大久保盛義 平田勝男 大石大二郎 高木豊 原辰徳 堀添弘和 豊田和泰 栗山和行 西田真二 武藤一邦 表 話 編 歴 30 島岡吉郎 40 内田俊雄 50 鴨田勝雄 1 宮本賢治 2 森岡真一 14 野口裕美 16 白武佳久 17 山沖之彦 18 仁村薫 2 松井智幸 12 阿部正弘 22 木戸克彦 3 西弘顕 4 土肥誠 5 大久保盛義 6 尾上旭 10 平田勝男 21 西浦敏弘 7 西田真二 8 小林宏 9 栗山和行 15 矢田恭裕 19 青山道雄 日本の野球選手 鳥取県立米子東高等学校出身の野球選手 立教大学野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 鳥取県出身のスポーツ選手 1960年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/10/27 03:49更新
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noguchi hiromi
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