金原まさ子の情報(きんばらまさこ) 俳人(俳句) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
金原 まさ子さんについて調べます
■名前・氏名 |
金原まさ子の情報まとめ
金原 まさ子(きんばら まさこ)さんの誕生日は1911年2月4日です。東京出身の俳人(俳句)のようです。
卒業、結婚、映画、テレビに関する情報もありますね。2017年に亡くなられているようです。
金原まさ子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金原 まさ子(きんばら まさこ、1911年2月4日 - 2017年6月27日)は、俳人。東京生まれ。本名:金原 マサ。 父は三和信託に勤めるサラリーマンで家庭は裕福であった。少女時代は友達を作らず『新青年』『苦楽』『譚海』といった文芸雑誌を購読し、夢野久作や初期の江戸川乱歩、龍膽寺雄、川端康成の「片腕」などの作品を好んで読んでいた。三輪田高等女学校を卒業後、飯田橋の料理学校に入り、ここで知り合った友人を介してダンスの世界に触れる。その後結婚し、以降はほぼ専業主婦として生活。戦時下では育児日記を書き綴りNHK『新・ドキュメント太平洋戦争』シリーズで取り上げられた。戦後は49歳で俳句をはじめる。1970年、桂信子主催の『草苑』創刊同人、1973年、草苑しろがね賞を受賞、1979年、草苑賞を受賞。後年、映画『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一のファンになり影響を受けるとともに、男性同士の耽美的世界にめざめる。 2001年より今井聖主催の『街』同人、2007年、鳴戸奈菜が代表を務める『らん』に「金子彩」の筆名で入会。2010年、第三句集『遊戯(ゆげ)の家』を99歳で出版、「春暁の母たち乳をふるまうよ」「青蜥蜴なぶるに幼児語をつかう」など、年齢を感じさせない感性が「99歳の不良少女」の惹句とともに注目される。100歳になって「金原まさ子百歳からのブログ」をはじめ、ほぼ毎日1句を更新。2013年2月、ブログでの発表句「エスカルゴ三匹食べて三匹嘔(は)く」などを収めた第4句集『カルナヴァル』、4月にエッセイ集『あら、もう102歳』を出版。2013年9月16日、敬老の日にちなんでテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演、自身の半生や自由な心境を語った。2014年、句集『カルナヴァル』で第69回現代俳句協会賞特別賞を受賞。 2017年6月27日、胃がんのため横浜市の病院で死去した。106歳没。 冬の花(草苑俳句会) 弾語り(草苑俳句会) 遊戯の家(金雀枝舎、2010年10月) カルナヴァル(草思社、2013年2月) あら、もう102歳――俳人 金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方(草思社、2013年4月) 「金原まさ子さん101歳お誕生日インタビュー」(聞き手:上田信治) 週刊俳句、2012年2月5日(2013年9月16日閲覧) 小久保佳世子「金原まさ子とは」 週刊俳句、2012年2月5日(2013年9月16日閲覧) 「102歳で句集「充実そのもの」 金原まさ子」 朝日新聞デジタル、2013年5月1日(2013年9月16日閲覧) ^ “俳人の金原まさ子さん死去”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2017年6月29日). 2017年6月29日閲覧。 金原まさ子百歳からのブログ - ウェイバックマシン(2015年2月23日アーカイブ分) ISNI VIAF 日本 20世紀日本の俳人 21世紀日本の俳人 日本の女性俳人 三輪田学園出身の人物 東京都出身の人物 日本のセンテナリアン 1911年生 2017年没 胃癌で亡くなった人物 独自研究の除去が必要な記事/2020年5月 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 18:34更新
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kinbara masako
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