金子金五郎の情報(かねこきんごろう) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
金子 金五郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
金子金五郎と関係のある人
松田茂行: 金子金五郎九段門下。 山田道美: 1949年、高校生時代、金子金五郎が愛知県知多郡旭村(長浦)に在住していた時に内弟子となり、半年ほど同居してから1950年に上京して高校を中退。 松田茂行: 1935年、金子金五郎門下で奨励会入り。 山田道美: 金子金五郎九段門下。 花田長太郎: 同年6月26日の金子金五郎との対戦がリーグ開始第一戦であった。 京須行男: 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美は金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った。 神田辰之助: 初の実力制名人を決める全八段の特別リーグ(第1期名人戦)が始まった1935年の11月21日、神田は自身の参加権(八段昇段)を巡って、それを是として連盟から脱退した花田長太郎、金子金五郎の両八段らとともに赤坂山王の山の茶屋において「革新協会」を設立し、将棋界が分裂することになる( 東公平: なお東公平自身は金子金五郎九段の娘と結婚し2女をもうけたが、後に離婚している。 |
金子金五郎の情報まとめ
金子 金五郎(かねこ きんごろう)さんの誕生日は1902年1月6日です。東京出身の将棋棋士のようです。
事件、引退、離婚、卒業に関する情報もありますね。1990年に亡くなられているようです。
金子金五郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金子 金五郎(かねこ きんごろう、1902年〈明治35年〉1月6日 - 1990年〈平成2年〉1月6日)は、大正・昭和時代に活動した将棋棋士。九段。土居市太郎名誉名人門下。東京府(現:東京都)出身。棋士番号は3。 大正5年(1916年)、土居市太郎に入門。大正6年(1917年)、「将棋同盟社」において土居が師の関根金次郎と仲たがいし将棋界が分裂すると、土居門下の金子は「将棋同盟社」に残存した。 大正9年(1920年)に四段昇段。同年に國民新聞で主催された三派対抗戦に土居派を代表して出場。関根派の木村義雄、大崎熊雄派の飯塚勘一郎と対戦した。 大正13年(1924年)に三派が合同して東京将棋連盟が成立する。昭和7年(1932年)に八段となる。しかしかつてライバルであった木村には実力で大きく差をつけられてしまい、一時は角落ちまで指し込まれたこともあるという。 昭和10年(1935年)、実力制名人戦が開始されると、八段として挑戦者決定リーグに参加する。同年6月26日の花田長太郎との対戦がリーグ開幕であった。しかし、神田辰之助の八段昇段をめぐって棋界が分裂すると(神田事件)、同年11月に金子は花田と共に連盟より離脱し、神田と合流して「革新協会」を組織した。この分裂劇は、神田の支援者である大阪朝日新聞と連盟の最高顧問であった中島富治、それと幹事長であった金子らとの間に神田の八段昇段の密約があったが、正式に棋士会の承認を得ていなかったことが発端であり、反対派との板ばさみの形となってしまった金子に花田ら同情する棋士が多かったことが背景にある。 関根と小菅剣之助らの仲介により半年後に革新協会は連盟と再合流し、新たに結成された将棋大成会(日本将棋連盟の前身)に参加する。将棋大成会においても幹事長を務め(昭和13 - 16年)、名人となった木村を補佐して将棋界の発展に尽くした。 戦後、順位戦に3期参加した後、昭和25年(1950年)に引退。引退後に出家し、日蓮宗日本山妙法寺(金子の寺は当初は名古屋市にあり、のち群馬県高崎市となる)の僧となった。法号は、金子行秀(カネコ ギョウシュウ) 。 昭和48年(1973年)に九段。平成2年(1990年)1月6日、88歳の誕生日に肺炎のため死去。 「序盤の金子」と称された理論派で、引退後は観戦記者として大山康晴・升田幸三の名勝負の魅力をファンに伝えた。「定跡とは、歴史です」という名言がある。1937年に博文館から創刊された雑誌「将棋世界」の初代編集長でもある。また、雑誌「近代将棋」に「金子教室」を長年にわたり連載した。 愛知県知多郡旭村(長浦)に在住していたことがあり、名古屋出身の山田道美はその時代に半年ほど金子の内弟子となった(のち、東京に移って奨励会員になる)。 娘は将棋の観戦記者でチェスプレーヤーの東公平に嫁ぎ2女をもうけたが、後に離婚した。 1916年00月00日: 入門 1920年00月00日: 四段 1922年00月00日: 五段 1926年00月00日: 六段 1928年00月00日: 七段 1932年00月00日: 八段 1950年00月00日: 引退 1973年11月00日: 九段 山田は研究熱心で知られ、打倒大山を目指したが果たせぬまま昭和45年(1970年)に師に先立って亡くなっている。 将棋初段になるまで 誠文堂 – 1930/12/1 勝負に生きる―名人戦私記 東都書房 1959 金子将棋教室〈1〉大山康晴VS升田幸三の巻 晩声社 1979年 金子将棋教室〈2〉中原誠VS大山康晴の巻 晩声社 1980年 金子将棋教室〈3〉米長邦雄VS中原誠の巻 晩声社 1980年 木村義雄『勝負の世界 将棋随想』(恒文社、1995年(六興出版社から1951年に出版された同名の書の復刊)) 倉島竹二郎『近代将棋の名匠たち』角川書店(角川選書、1971年) 五十嵐豊一『日本将棋大系 第13巻 関根金次郎・土居市太郎』(筑摩書房、1980年)
加藤一二三『日本将棋大系 第14巻 坂田三吉・神田辰之助』(筑摩書房、1979年)
大山康晴『日本将棋大系 第15巻 木村義雄』(筑摩書房、1980年)
東公平『近代将棋のあけぼの』(河出書房新社、1998年) 棋士系統図(日本将棋連盟『将棋ガイドブック』96-99頁 ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、萩原のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった。 ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36 ^ 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.11 ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.43 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.8-11 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 将棋棋士一覧 金子金五郎 - 日本将棋連盟 『将棋評論』第1巻第1号(1947年3月) 国立国会図書館デジタルコレクション - 月刊の将棋雑誌、表紙に「主筆 金子金五郎」とある 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 表 話 編 歴 81 松下力 82 原田泰夫 83 角田三男 84 荒巻三之 85 金子金五郎 86 渡辺東一 , 花村元司 87 山本武雄 88 高柳敏夫 89 廣津久雄 90 佐瀬勇次 91 五十嵐豊一 92 加藤治郎 93 大山康晴 94 蛸島彰子 95 長谷部久雄 96 丸田祐三 97 木村義徳 98 内藤國雄 99 加藤博二 00 関根茂 , 関根紀代子 01 有吉道夫 02 加藤一二三 03 西村一義 04 二上達也 05 河口俊彦 06 瀬川晶司 07 コンピュータ将棋協会 08 真部一男 09 大内延介 10 谷川治恵 11 佐伯昌優 12 勝浦修 13 石田和雄 14 滝誠一郎 15 佐藤義則 16 淡路仁茂 17 森信雄 18 森雞二 19 伊藤果 20 高橋和 21 杉本昌隆 22 桐山清澄 23 田中寅彦 , 中田宏樹 24 小林健二 , 小山怜央 将棋棋士 東京都出身の人物 1902年生 1990年没 Pages using the JsonConfig extension 2024/11/20 17:14更新
|
kaneko kingorou
金子金五郎と同じ誕生日1月6日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
金子金五郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「金子金五郎」を素材として二次利用しています。