霧立のぼるの情報(きりたちのぼる) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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霧立 のぼるさんについて調べます
■名前・氏名 |
霧立のぼると関係のある人
田村道美: エノケンのびっくり人生 1938年 監督・原作・脚本山本嘉次郎、音楽栗原重一、主演榎本健一、霧立のぼる、宏川光子、大河内伝次郎 佐伯秀男: 『四ツ葉のクローバ』 : 監督岡田敬、原作竹田敏彦、脚本小国英雄・小崎政房・岡田敬、主演霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1938年6月29日公開 - 主演・「潮」役 佐伯秀男: 『雪崩』 : 監督・脚本成瀬巳喜男、原作大仏次郎、構案村山知義、主演霧立のぼる、製作PCL映画製作所、配給東宝映画、1937年7月1日公開 - 主演・「日下五郎」役、59分の上映用プリントをNFCが所蔵 佐伯秀男: 『快速部隊 都会篇 戦線篇』 : 製作田村道美、製作森田信義、監督安達伸男、原作北条雅祥・塚本靖、脚本山崎謙太・葉山四郎、主演霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年2月28日公開 - 主演 佐伯秀男: 同社は前年1933年(昭和8年)12月5日に設立されたばかりのトーキーのための新しい映画会社であり、同社において、「新しい感覚をもった二枚目」と評価され、入社早々助演クラスに位置し、1936年(昭和11年)9月1日に公開された『君と行く路』(監督成瀬巳喜男)では主演の大川平八郎の弟役、1937年(昭和12年)7月1日に公開された『雪崩』(監督成瀬巳喜男)では霧立のぼる(1917年 - 1972年)の相手役として主演する。 日高真弓: 霧立のぼる 東坊城恭長: 春姿娘道中 1935年 監督 脚本大宮一郎、主演市川春代、竹夏子、霧立のぼる、浦辺粂子、森静子、入江たか子 新興キネマ京都撮影所作品 佐伯秀男: 『新柳桜』 : 監督荻原耐、原作久米正雄、脚本荻原耐・上坂新、主演霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1938年5月11日公開 - 主演 佐伯秀男: 『美しき鷹』 : 監督山本嘉次郎、原作菊池寛、脚本飯田正美、主演霧立のぼる、製作PCL映画製作所、配給東宝映画、1937年10月1日公開 - 主演 佐伯秀男: 同年、共演者であった霧立のぼると結婚、佐伯は、同年末には、大日本映画製作(大映)に移籍した。 佐伯秀男: 『街に出たお嬢さん』 : 監督大谷俊夫、原作永見柳二、脚本阪田英一、主演霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1938年7月31日公開 - 主演 田村道美: エノケンのがっちり時代 1939年 監督・脚本山本嘉次郎、音楽栗原重一、主演榎本健一、霧立のぼる、宏川光子、二村定一、横山運平、入江たか子、高田稔 佐伯秀男: 霧立は同年4月には「霧立のぼるとあざみ楽団」を結成、浪花座を始めとし、実演の舞台に忙しかった。 佐伯秀男: 離別した前妻の霧立のぼるは、同年6月に劇団新派を退団し、佐伯の生地の近くの港区南青山のマンションに娘と二人で暮らしていたのだが、娘が渡米した留守中の1972年(昭和47年)3月22日未明に睡眠薬の摂取過多により満55歳で孤独死した。 田村道美: リボンを結ぶ夫人 1939年 監督山本薩夫、原作森田たま、脚本八住利雄、撮影宮島義勇、音楽早坂文雄、主演汐見洋、入江たか子、霧立のぼる、大日方伝、藤田進 東坊城恭長: 同作は東坊城にとって初めての「サウンド版」映画の現代劇で、市川春代を主演に、竹夏子、霧立のぼる、浦辺粂子、森静子、そして入江たか子といったスター女優が揃い踏み、浅草電気館をはじめとして全国で公開された。 |
霧立のぼるの情報まとめ
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霧立 のぼる(きりたち のぼる)さんの誕生日は1917年1月3日です。東京出身の女優のようです。
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主な出演作品、エピソードなどについてまとめました。卒業、姉妹、映画、退社、結婚、離婚、引退、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。55歳で亡くなられているようです。
霧立のぼるのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)霧立 のぼる(きりたち のぼる、1917年(大正6年)1月3日 - 1972年(昭和47年)3月22日)は、元宝塚少女歌劇団娘役で日本の女優。本名は島田 キミ、東京市出身。愛称は「しまちゃん」(本名に由来する)。 芸名は小倉百人一首の第87番、寂蓮法師の「叢雨の 露も未だ乾ぬ 真木の葉に 霧立ち昇る 龝の夕暮れ(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆふぐれ)」から命名された。 宝塚歌劇団卒業生で元女優の霧立はるみ(本名:鬼武治美、1943年生まれ)は、俳優の佐伯秀男との間にできた一人娘である。 東京市で会社役員の父・重穂と母・さよの間に3人姉妹の長女として出生する。東京市渋谷区穏田にある穏原小学校を卒業後、1929年(昭和4年)に青山学院高等女学部(現・青山学院中等部)に入学するが、1930年(昭和5年)4月に中退して宝塚少女歌劇団に入団。宝塚歌劇団20期生。同期生に宇知川朝子、尾上さくら、久邇京子、竹田鶴子、夕張ゆさ子らがいる。娘役で活躍する。1934年(昭和9年)に入江たか子の実兄・東坊城恭長にスカウトされて宝塚少女歌劇団を退団して入江プロに入社する。同年、入江プロを経て入社した新興キネマより「世紀の青空」で映画初出演。翌1935年より新興東京に所属し「春姿娘道中」、「暁の麗人」、「女の友情」など数々の映画にや舞台に主演として出演した。 1937年、新興キネマの幹部社員に昇進するも退社し、同年PCLに入社した。この時に同僚となった佐伯秀男と出会い、結婚するきっかけとなった。同年9月にPCLが合併して東宝映画が設立された後もそのまま専属女優として活躍を続け、1942年に佐伯と結婚、1943年4月29日に公開された石田民三監督の「あさぎり軍歌」に出演したのを最後に出産のため東宝映画を退社した。 佐伯と離婚後の1944年4月に「霧立のぼるとあざみ楽団」を結成して芸能活動を再開。子育てをしながら実演舞台女優として活躍するなど多忙な日々を送っていた。1952年に大映と契約を結び、様々な作品に出演しながら1955年に劇団新派に入団して舞台女優としても活躍した。 晩年は娘のはるみと佐伯の生地の近くの港区南青山のマンションで2人暮らしをしていたが不遇で、ほとんど仕事が無い状態で睡眠薬を常用していた。1971年6月に16年間活動してきた劇団新派を退団して芸能活動を引退し、直後に新橋でバー「霧の町」を開店したがすぐに店を辞めている。その後、娘のはるみが渡米した留守中の1972年3月22日未明、常用していた睡眠薬の摂取過多により自宅で孤独死した。55歳没。発見された時には死後13時間程度が経過していたと言う。墓所は梅窓院にある。 私生活では2度の結婚を経験している。1度目は佐伯秀男で、2度目は実業家・会社社長の北竹清剛であった。北竹清剛とは7年間の夫婦生活の後、夫の清剛が1956年に詐欺罪で逮捕されたことがきっかけとなって離婚している。その後は結婚しなかった。 主な出演作品映画『世紀の青空』(1934年、新興) 『春姿娘道中』(1935年、新興) 『明けゆく空』(1935年、新興) 『鐵路』(1935年、新興) 『釣鐘草』(原作/吉屋信子『花物語』、1935年、新興) 『花嫁学校』(1935年、新興) 『龍涎香』(原作/久米正雄、1935年、新興) 『暁の麗人 前篇 千賀子の巻』(1935年、新興) 『暁の麗人 後篇 弓子の巻』(1935年、新興) 『三聯花』(原作/吉屋信子、1935年、新興) 『武器なき人々』(1936年、新興) 『女の友情 愛と暴風篇』(1936年、新興) 『真夜中の酒場』(1936年、新興) 『櫻の園』(1936年、新興) 『街の姫君』(1936年、新興) 『大地の愛』(1936年、新興) 『新月抄』(原作/久米正雄、1936年、新興) 『雪崩』(1937年、東宝) 『お嬢さん』(原作/吉屋信子、1937年、東宝) 『人情紙風船』(1937年、東宝) 『美しき鷹』(1937年、東宝) 『四ツ葉のクローバ』(1938年、東宝) 『瞼の母』(1938年、東宝) 『鶯』(1938年、東京発声) 『チョコレートと兵隊』(1938年、東宝) 『エノケンの鞍馬天狗』(1939年、東宝) 『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』(1939年、東宝) 『女の教室 学校の巻 七つの俤』(1939年、東宝) 『女の教室 中・後篇』(1939年、東宝) 『白蘭の歌』(原作/久米正雄、1939年、東宝) 『虞美人草』(原作/夏目漱石、1941年、東宝) 『希望の青空』(1942年、東宝) 『怪猫岡崎騒動』(1954年、大映) 『楊貴妃』(1955年、大映) テレビドラマ『日真名氏飛び出す』(1955年、KRT) 『海風が吹けば』(1956年、NHK) 『無言歌』(1957年、NHK) 『菜種河豚』(1957年、KRT) 『胡椒息子』(1957年、KRT) 『ほほえみ一家』(1958年-1962年、KRT) 『風雪』「漱石山房」(1965年、NHK) - 夏目鏡子 『特別機動捜査隊』 第221話「青春喪失」(1966年、NET) エピソード1番目の夫であった佐伯秀男(さえき・ひでお=俳優、本名:鬼武秀治=おにたけ・ひではる、1912年(明治45年)1月9日 - 2003年(平成15年)11月1日)は、東京府出身で、成瀬巳喜男監督の「雪崩」などで霧立と共演して、篠崎誠監督の「忘れられぬ人々」(2000年)にも出演した。なお、晩年は「現役最高齢の男性ファッションモデル」、「現役最高齢の男性ボディービルダー」として雑誌やテレビ番組などで紹介されており、1993年には81歳で『上岡龍太郎がズバリ!』の「男性ボディービルダー50人」の回に33番目の男性ボディービルダーとしてテレビ出演した。2003年11月1日午後7時35分、胃がんのため逝去。享年91。 胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』において、モンゴルのラーゲリに抑留された日本人兵士の主人公達が、同地で出会った日本の民主聯盟の「思想調査員」の中の一人の美少女を見て、女優の霧立のぼるに似ていると合意する場面があり、霧立のぼるが当時の青年達にとって憧れの存在であったことが分かる。 2024/06/26 06:31更新
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kiritachi noboru
霧立のぼると同じ誕生日1月3日生まれ、同じ東京出身の人
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