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高平小五郎の情報 (たかひらこごろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

高平小五郎の情報(たかひらこごろう) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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高平 小五郎さんについて調べます

■名前・氏名
高平 小五郎
(読み:たかひら こごろう)
■職業
外交官
■高平小五郎の誕生日・生年月日
1854年1月29日 (年齢1926年没)
寅年(とら年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
岩手出身

高平小五郎と同じ1854年生まれの有名人・芸能人

高平小五郎と同じ1月29日生まれの有名人・芸能人

高平小五郎と同じ出身地岩手県生まれの有名人・芸能人


高平小五郎と関係のある人

小村寿太郎: このときの同級生に杉浦重剛や高平小五郎がいる。


小村寿太郎: 5月31日、小村は、開成学校時代の同級生でもある高平小五郎駐米公使にあてて訓電を発し、中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に「直接かつ全然一己の発意により」日露両国間の講和を斡旋するよう求め、命を受けた高平は翌日「中立の友誼的斡旋」を大統領に申し入れた。


小村寿太郎: 小村は、この機に対米関係の調整を図るべく、艦隊離日の25日、高平小五郎駐米大使に日米協商交渉を指示し、それを受け、高平は翌26日にルーズベルトに小村の協商案を提出した。


高平小五郎の情報まとめ

もしもしロボ

高平 小五郎(たかひら こごろう)さんの誕生日は1854年1月29日です。岩手出身の外交官のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、趣味に関する情報もありますね。1926年に亡くなられているようです。

高平小五郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

高平 小五郎(たかひら こごろう、嘉永7年1月1日(1854年1月29日) - 大正15年(1926年)11月28日)は、日本の外交官。男爵。貴族院議員等を務めた。1905年の日露講和会議で小村寿太郎とともに全権委員を務め、1908年には日露戦争後の日米関係を定めた高平・ルート協定を締結した。

現在の岩手県一関市の生まれ。陸奥国一関藩の藩士田崎三徹の三男であったが、同藩士高平真藤の養子となった。1868年の戊辰戦争には奥羽越列藩同盟側として従軍した。1870年(明治3年)貢進生として大学南校(現在の東京大学)に入学し、1873年には同校を卒業して工部省に出仕した。1876年(明治9年)以降は外務省に出仕し、1879年在米国公使館在勤。1885年漢城(現・ソウル)公使館在勤、1887年上海領事、1891年ニューヨーク総領事、1892年-1894年オランダ兼デンマーク弁理公使、1894年-1895年駐イタリア特命全権公使、1895年-1899年オーストリア兼スイス公使などを歴任した。1899年(明治32年)外務次官。1900年-1906年駐米公使。

1904年(明治37年)より始まった日露戦争当時は駐米公使として活躍した。この戦争で終始優勢を保っていた日本は、これ以上の戦争継続が国力的に限界であったことから、当時イギリス・フランス両国に肩を並べるまでに成長し、従来の孤立主義(モンロー主義)から脱却して国際的権威を高めようとしていたアメリカ合衆国に対し、日本海海戦戦勝後の1905年(明治38年)6月、「中立の友誼的斡旋」を申し入れた。斡旋依頼は高平小五郎駐米公使によるもので、これにより、和平交渉の動きが加速化した。高平は、同年8月から軍港ポーツマスで開催された日露講和会議に外務大臣小村寿太郎とともに全権委員として出席し、9月5日のポーツマス条約の締結に尽力した。

1906年(明治39年)1月25日、貴族院議員に勅選され、1907年(明治40年)4月4日まで在任。同年11月4日、講和成立の功績により男爵を叙爵した。

1908年(明治41年)駐米大使となり、11月末には、極東・太平洋地域での領土認識の確認や貿易・産業の安定を図るため、アメリカの国務長官エリフ・ルートと交渉し高平・ルート協定を結んだ。これにより、アメリカによるハワイ王国併合とフィリピンに対する管理権を日本が、満州における日本の地位をアメリカがそれぞれ相互に承認することとなった。また、成文化されなかったが、アメリカは日本の韓国併合と満州南部の支配を、日本はカリフォルニアへのアメリカによる移民の制限をそれぞれ黙認した。

1910年(明治43年)、高平は伏見宮貞愛親王に随行してイギリスに渡った。1912年(大正元年)に退官したが、1917年(大正6年)12月26日には再び貴族院議員に勅選され、死去するまで、その職にあった。

1926年(大正15年)11月28日、東京・目黒の私邸にて死去。墓所は多磨霊園(3-1-24-7)

タバコは少し嗜むが酒は飲まず、趣味は読書であった。

実父・田崎三徹 ‐ 一関藩医

養父・高平真藤 ‐ 一関藩士

長男・小太郎(1885年生) ‐ 男爵

五女・せい(1889年生) ‐ 樋口繁次(産婦人科医・東京慈恵会医科大学教授)の後妻。長男(前妻との子、高木兼寛の孫)樋口一成は東京慈恵会医科大学理事長・学長。

1891年(明治24年)12月21日 - 従五位

1892年(明治25年)9月26日 - 正五位

1894年(明治27年)10月10日 - 従四位

1895年(明治28年)10月31日 - 正四位

1900年(明治33年)12月27日 - 従三位

1907年(明治40年)5月31日 - 正三位

1914年(大正3年)6月10日 - 従二位

1895年(明治28年)8月20日 - 勲二等旭日重光章

1902年(明治35年)12月28日 - 勲一等瑞宝章

1906年(明治39年)4月1日 - 旭日大綬章・明治三十七八年従軍記章

1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章

1894年(明治27年)10月10日 - オランダ王国:オランジナッソー勲章グランオフィシェー

^ 外交文書『日露戦争』より。

^ 朝日日本歴史人物事典、精選版 日本国語大辞典「高平小五郎」

^ 酒田(1994)

^ 永峰(2001)pp.29-37

^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。

^ 『官報』第7307号、明治40年11月5日。

^ Gould, The Presidency of Theodore Roosevelt, pp.268

^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。

^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。

^ 「高平・ルート協定締結の功績残し、死去」『東京朝日新聞』1926年11月30日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.386 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

^ 高平小五郎『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年

^ 樋口 一成(読み)ヒグチ カズシゲコトバンク

^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。

^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。

^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。

^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。

^ 『官報』第5249号「叙任及辞令」1900年12月28日。

^ 『官報』第7175号「叙任及辞令」1907年6月1日。

^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。

^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。

^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。

^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。

^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

^ 『官報』第3493号「叙任及辞令」1895年2月23日。

『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。

酒田正敏「高平小五郎」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年11月。ISBN 4023400521

永峰好美「日露戦争 脱亜の果ての分割」読売新聞20世紀取材班『20世紀Ⅲ 大日本帝国』中央公論新社<中公文庫>、2001年8月。ISBN 4-12-203877-4

Gould, Lewis L. (1992). The Presidency of Theordore Roosevelt. University Press of Kansas. ISBN 0700605657 

ポーツマス条約

高平・ルート協定

平野恵一「ニューヨークに輝く高平小五郎」

平野恵一「高平小五郎の隠密外交」

朝日日本歴史人物事典「高平小五郎」(Kotobank)

Japan by Kogoro Takahira The Far East and the new America, 1901

青木周蔵1886-1889

岡部長職1889-1891

林董1891-1895

原敬1895-1896

小村寿太郎1896-1898

鳩山和夫1898

都筑馨六1898-1899

高平小五郎1899-1900

高平小五郎1900

浅田徳則1900

内田康哉1900-1901

珍田捨巳1901-1903

珍田捨巳1903-1906

内田康哉1906-1907

珍田捨巳1907-1908

石井菊次郎1908-1912

倉知鉄吉1912-1913

松井慶四郎1913-1915

幣原喜重郎1915-1919

埴原正直1919-1922

田中都吉1922-1923

松平恆雄1923-1924

出淵勝次1924-1928

吉田茂1928-1930

永井松三1930-1932

有田八郎1932-1933

重光葵1933-1936

堀内謙介1936-1938

沢田廉三1938-1939

谷正之1939-1940

松宮順1940 心得

大橋忠一1940 心得

大橋忠一1940-1941

山本熊一1941 心得

天羽英二1941

西春彦1941-1942

山本熊一1942 心得

山本熊一1942

松本俊一1942-1944

沢田廉三1944-1945

松本俊一1945

河相達夫1945

田尻愛義1945

松嶋鹿夫1945-1946

寺崎太郎1946-1947

岡崎勝男1947-1948

吉沢清次郎1948

岡崎勝男1948

太田一郎1948-1949

太田一郎1949-1951

井口貞夫1951-1952

渋沢信一1952

奥村勝蔵1952-1955

門脇季光1955-1957

大野勝巳1957-1958

山田久就1958-1960

武内龍次1960-1963

島重信1963-1964

黄田多喜夫1964-1965

下田武三1965-1967

牛場信彦1967-1970

森治樹1970-1972

法眼晋作1972-1974

東郷文彦1974-1975

佐藤正二1975-1977

有田圭輔1977-1979

高島益郎1979-1981

須之部量三1981-1983

松永信雄1983-1985

柳谷謙介1985-1987

村田良平1987-1989

栗山尚一1989-1991

小和田恆1991-1993

斎藤邦彦1993-1995

林貞行1995-1997

柳井俊二1997-1999

川島裕1999-2001

野上義二2001-2002

竹内行夫2002-2005

谷内正太郎2005-2008

薮中三十二2008-2010

佐々江賢一郎2010-2012

河相周夫2012-2013

齋木昭隆2013-2016

杉山晋輔2016-2018

秋葉剛男2018-2021

森健良2021-2023

岡野正敬2023-

森有礼 1870–73(少弁務使→中弁務使→代理公使)

上野景範 1872(弁理公使)

吉田清成 1874–82

寺島宗則 1882–84

九鬼隆一 1884–88

陸奥宗光 1888–90

建野郷三 1891–94

栗野慎一郎 1894–96

星亨 1896–98

小村寿太郎 1898–1900

高平小五郎 1900–06

青木周蔵 1906–08

高平小五郎 1908–09

内田康哉 1909–11

珍田捨巳 1912–16

佐藤愛麿 1916–18

石井菊次郎 1918–19

幣原喜重郎 1919–22

埴原正直 1922–24

松平恆雄 1924–28

出淵勝次 1928–34

斎藤博 1934–39

堀内謙介 1938–40

野村吉三郎 1941

来栖三郎 1941

(閉 鎖 1941–52)

武内龍次 1951–52

武内龍次臨時代理大使 1952

新木栄吉 1952–53

井口貞夫 1954–56

谷正之 1956–57

朝海浩一郎 1957–63

武内龍次 1963–67

下田武三 1967–70

牛場信彦 1970–73

安川壮 1973–75

東郷文彦 1975–80

大河原良雄 1980–85

松永信雄 1985–89

村田良平 1989–92

栗山尚一 1992–95

斎藤邦彦 1995–99

柳井俊二 1999–2001

加藤良三 2001–08

藤崎一郎 2008–12

佐々江賢一郎 2012–18

杉山晋輔 2018–2021

冨田浩司 2021–2023

山田重夫 2023–現任

佐野常民1873 弁理公使 / 1873-1874

河瀬真孝1873 弁理公使

青木周蔵1875-1880

井田譲1880-1882

上野景範1882-1884

西園寺公望1885-1887

戸田氏共1887-1890

渡辺洪基1890-1892

大山綱介1892-1895 臨時代理公使

高平小五郎1896-1899

牧野伸顕1899-1906

大使館昇格1907

内田康哉1907-1909

秋月左都夫1910-1913

佐藤愛麿1914

第一次大戦中引揚

公使館開設

本多熊太郎1921-1924

赤塚正助1924-1926

大野守衛1927-1930

有田八郎1931-1932

松永直吉1933-1935

谷正之1936-1937

独墺合邦により総領事館に格下げ1938

山路章1938-1941

N/A

合邦解消、総領事館閉鎖1945

公使館開設

大野勝巳1955-1956

古内広雄1957

大使館昇格1957

古内広雄1957-1961

内田藤雄1961-1964

法眼晋作1965-1968

新関欽哉1968-1971

藤山楢一1971-1975

鹿取泰衛1975-1979

山戸徹1980-1983

宮沢泰1983-1985

村田良平1985-1987

矢田部厚彦1987-1989

長谷川和年1989-1992

小野寺龍二1992-1993

黒川剛1993-1996

高島有終1996-1999

伊集院明夫1999-2003

橋本宏2003-2006

梅津至2006-2007

田中映男2007-2010

岩谷滋雄2010-2013

竹歳誠2013-2016

小井沼紀芳2016-2019

水谷章2019-2022

水内龍太2022-

佐野常民1873 弁理公使 1873-1874

河瀬真孝1873 弁理公使

青木周蔵1875-1880

井田譲1880-1882

上野景範1882-1884

西園寺公望1885-1887

戸田氏共1887-1890

渡辺洪基1890-1892

大山綱介1892-1895 臨時代理公使

高平小五郎1896-1899

牧野伸顕1899-1906

大使館昇格1907

内田康哉1907-1909

秋月左都夫1910-1913

佐藤愛麿1914

引揚

オーストリア=ハンガリー帝国解体1918

在オーストリア公使が兼轄1921-1937

本多熊太郎1921-1924

赤塚正助1924-1926

大野守衛1927-1930

有田八郎1931-1932

松永直吉1933-1935

谷正之1936-1937

独墺合邦により公使館消滅1938

公使館開設

松宮順1938-1939

井上庚二郎1939-1940

大久保利隆1941-1943

森喬未赴任

引揚1944

再開1960

小川清四郎1960-1962

吉田健一郎1962-1964

大使館昇格1964

吉田健一郎1964-1966

八木正男1966-1968

卜部敏男1968-1969

上田常光1970-1973

都倉栄二1973-1975

齋木千九郎1957-1978

杉原真一1978-1981

角谷清1981-1983

和智一夫1983-1986

茂木良三1986-1989

関榮次1989-1992

堤功一1992-1995

田中義具1995-1997

久米邦貞1997-1998

糠沢和夫1998-2001

松本和朗2001-2003

稲川照芳2003-2006

鍋倉眞一2006-2009

伊藤哲雄2009-2012

山本忠通2012-2014

小菅淳一2014-2017

佐藤地2017-2020

大鷹正人2020-2024

小野日子2024-

鮫島尚信1880

井田譲1881-1883

蜂須賀茂韶1883-1887

戸田氏共1887-1890

渡辺洪基1890-1892

高平小五郎1895-1899

牧野伸顕1899-1906

内田康哉1907-1909

秋月左都夫1909-1913

佐藤愛麿1914-1916

三浦弥五郎1916-1918

本多熊太郎1918-1919

有吉明1921-1926

吉田伊三郎1927-1930

矢田七太郎1930-1933

堀田正昭1934-1936

天羽英二1937-1939

栗原正1940

三谷隆信1940-1942

阪本瑞男1942-1944

加瀬俊一1944-1945

閉鎖1945

再開1952

萩原徹1952-1955

萩原徹1956-1957

奥村勝蔵1957-1960

木村四郎七1960-1963

大江晃1963-1965

鶴岡千仭1966-1967

柿坪正義1967-1969

西山昭1969-1972

井川克一1972-1974

力石健次郎1974-1978

岡田晃1978-1983

西田誠哉1983-1984

吉田長雄1984-1987

松原進1987-1989

大嶋鋭男1989-1992

加藤千幸1992-1994

黒河内康1994-1996

村田光平1996-1999

國松孝次1999-2002

中村雄二2002-2005

阿部信泰2006-2008

小松一郎2008-2011

梅本和義2011-2012

前田隆平2013-2016

本田悦朗2016-2019

白石興二郎2019-2022

藤山美典2022-

在オーストリア=ハンガリー弁理公使が兼轄

佐野常民1873

河瀬真孝1873

昇格

河瀬真孝1873-1877

西郷従道1878 (未赴任)

鍋島直大1880-1882

浅野長勲1882-1883

田中不二麿1884-1887

徳川篤敬1887-1890

中島信行1893

高平小五郎1894-1896

栗野慎一郎1896-1897

牧野伸顕1897-1899

大山綱介1899-1906

昇格

高平小五郎1907-1908

林権助1908-1916

伊集院彦吉1916-1919

落合謙太郎1920-1926

松田道一1926-1929

吉田茂1931-1932

松島肇1932-1934

杉村陽太郎1934-1936

堀田正昭1936-1937

白鳥敏夫1938-1939

天羽英二1939-1940

佐藤尚武1940

堀切善兵衛1940-1942

日高信六郎1942-1943

イタリア王国と国交断絶、イタリア社会共和国が国交継承

日高信六郎1943-1945

イタリア社会共和国が崩壊

イタリア共和国と国交再開を合意1951

井上孝治郎1951-1952

イタリア共和国と国交再開1952

井上孝治郎1952全権公使

原田健(英語版)1952-1955

太田一郎1956-1959

鈴木九萬1959-1961

門脇季光1961-1963

中川融1964-1965

与謝野秀1965-1967

田付景一1967-1969

高野藤吉1969-1972

竹内春海1972-1975

藤山楢一1975-1979

影井梅夫1979-1982

堀新助1982-1984

西田誠哉1984-1987

手島冷志1987-1990

浅尾新一郎1990-1992

渡辺幸治1992-1993

英正道1993-1997

瀬木博基1997-2000

林暘2000-2002

松原亘子2002-2005

中村雄二2005-2008

安藤裕康2008-2011

河野雅治2011-2014

梅本和義2014-2017

片上慶一2017-2020

大江博2019-2022

鈴木哲2022-

柳原前光1873 代理公使(未赴任)

青木周蔵1878-1880

長岡護美1880-1882

桜田親義1881-1885 臨時代理公使

青木周蔵1885

中村博愛1885-1889 弁理公使

棚橋軍次臨時代理公使

高平小五郎1892-1894 弁理公使

赤羽四郎1894-1899 弁理公使

珍田捨巳1899-1900 1900 弁理公使

三橋信方1901-1906

佐藤愛麿1906-1914

幣原喜重郎1914-1915

落合謙太郎1915-1920

田付七太1920-1923

長岡春一1923-1925

松田道一1925-1926

広田弘毅1926-1930

松永直吉1931-1933

斎藤博1933-1934

武富敏彦1934-1936

桑島主計1937-1938

石射猪太郎1938-1940

矢口麓蔵1940臨時代理公使

引揚1940

下田武三1951-1952

下田武三1952臨時代理大使

佐藤正二1952臨時代理大使

田付景一1952臨時代理大使

岡本季正1952-1956

大江晃1956-1959

宮崎章1959-1963

伊関佑二郎1963-1966

後宮虎郎1966-1968

藤崎萬里1968-1972

須之部量三1972-1973

広田稹1974-1975

高島益郎1975-1977

内田宏1977-1981

中島信之1981-1985

秋山光路1985-1988

大鷹正1988-1990

藤田公郎1990-1992

有馬龍夫1992-1994

佐藤行雄1994-1996

池田維1996-2001

東郷和彦2001-2002

小池寛治2002-2004

小町恭士2004-2007

渋谷実2007-2010

肥塚隆2010-2012

長嶺安政2012-2013

辻優2013-2016

猪俣弘司2016-2019

堀之内秀久2019-2023

南博2022-

在オランダ弁理公使/公使が兼轄

長岡護美1880-1882

桜田親義1881-1885 臨時代理公使

青木周蔵1885

中村博愛1885-1889 弁理公使

棚橋軍次 臨時代理公使

高平小五郎1892-1894 弁理公使

赤羽四郎1894-1898 弁理公使

珍田捨巳1899-1900 弁理公使 / 1900

三橋信方1901-1906

佐藤愛麿1907-1914

幣原喜重郎1914-1915

落合謙太郎1916-1917

在スウェーデン公使が兼轄

内田定槌1917-1920

日置益1918-1920

畑良太郎1920-1924

永井松三1924-1928

武者小路公共1929-1933

白鳥敏夫1933-1936

栗山茂1937-1939

岡本季正1942-1945

断交

結城司郎次1952-1954

大江晃1954-1957

黄田多喜夫1957-1958

昇格

黄田多喜夫1958

田付景一1958-1961

近藤晋一1961-1964

高木広一1964-1965

小田部謙一1966-1968

小川平四郎1968-1972

人見宏1972-1975

大和田渉1975-1977

橘正忠1977-1980

高橋展子1980-1983

賀陽治憲1983-1986

溝口道郎1986-1989

松田慶文1989-1993

苅田吉夫1993-1995

須藤隆也1995-1997

折田正樹1997-2001

内藤昌平2001-2003

小川郷太郎2003-2006

岡田眞樹2006-2008

近藤誠一2008-2010

佐野利男2010-2013

末井誠史2013-2016

鈴木敏郎2016-2019

宮川学2019-2022

宇山秀樹2022-

富田鐵之助1873-1876

高木三郎1876-1878/1879-1880

頴川君平1880-1882

高橋新吉1882-1883/1883-1886

吉田二郎1886-1887

河上謹一1887-1888

松岡郁之進1888

藤井三郎1888-1891

高平小五郎1891-1892

島村久1893

橋口直右衛門1894-1895

宮川久次郎1895-1896

内田定槌1896-1901/1902-1906

小池張造1907

水野幸吉1908-1909

飯島亀太郎(英語版)1913-1914

中村巍1914-1916

矢田長之助1916-1919

熊崎恭1919-1923

斎藤博1924-1927/1928

沢田節蔵1929-1930

堀内謙介1931-1934

沢田廉三1934-1936

若杉要1937-1940

森島守人1941-1942

閉鎖1942-1952

島津久大1952-1954(在外事務所長)

土屋隼1954-1957

田中三男1957-1961

金山政英(英語版)1961-1963

東郷文彦1963-1966

奈良靖彦1966-1969

内田宏1969-1972

沢木正男1972-1974

中島信之1974-1977

高橋正太郎1977-1981

本野盛幸1981-1983

浅尾新一郎1983-1984

宇川秀幸1984-1988

英正道1988-1992

瀬木博基1992-1994

苅田吉夫1995-1997

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河村武和2000-2002

西田芳弘2002-2003

安藤裕康2003-2006

櫻井本篤2006-2009

西宮伸一2010

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2024/11/21 16:04更新

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