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あした順子
あした 順子(あした じゅんこ)さんの誕生日は1932年12月12日です。東京出身の漫才師のようです。
略歴、芸風・主なネタなどについてまとめました。解散、結婚、引退、映画、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。93歳で亡くなられているようです。
あした 順子・ひろし(あした じゅんこ・ひろし)は、かつて漫才協会・落語協会に所属していた男女漫才コンビ。 1960年結成。五代目柳家小さん一門、のちに五代目鈴々舎馬風一門(「馬風ファミリー」)へ移籍。昭和後期から平成にかけて体を張ったどつき漫才で人気を博し、2015年11月のあしたひろしの逝去により事実上の解散となった。出囃子は『啼くな小鳩よ』。二人は師匠と弟子のコンビであり、夫婦ではない。 あした 順子(あした じゅんこ、 (1932-12-12) 1932年12月12日(91歳) - )ツッコミ担当
両親は音曲漫才の市山寿太郎・小寿。父・寿太郎(河野晴雄)は当時珍しい大卒芸人で、英語が堪能だったという。日本舞踊市山流の名取、壮士芝居、講釈師を経て、妻とコンビを組んだ。 姉の一枝は大阪の上方柳次に嫁ぎ、のちに夫婦で漫才コンビを組んだ。いとこは歌舞伎役者の六世中村東蔵、日本舞踊家の藤間紫。 芸能一家に育ち、日本舞踊(市山松扇門下で市山扇寿を名乗る)やモダン・バレエの素養があったため、戦後間もなく、楽団専属ダンサーとして進駐軍のキャンプ回りで稼ぎ始める。その後1950年に一般人と結婚し娘1人をもうけたが、怠け者の夫に愛想を尽かせてすぐ離婚。松旭斎一門の奇術師(和妻師)「松旭斎純子」として再出発したところを、旧知のひろしに見出されコンビを組んだ。結成当時の芸名は南 順子(みなみ じゅんこ)。 2010年5月にひろしが膝を悪くして入院して以来、順子は一人で高座に上がったり、昭和こいるや内海桂子とコンビを組んで、漫才をしたりしていた。ひろしの死後、2017年4月30日付で落語協会を退会し事実上引退したが、漫才協会には同協会の監事ならびに「名誉会員」として籍を残している。 あした ひろし(1922年6月10日 - (2015-11-03) 2015年11月3日(93歳没))ボケ担当
兵役検査では、丙種合格に留まったため徴兵されなかった。大都映画の雑用係、『笑の王国』の端役、東海林太郎らの歌謡ショーの司会者を経て、順子とコンビを組む。結成当時の芸名は北 ひろし(きた ひろし)。 長兄は将棋棋士の大野源一で、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。なお、大野は1979年1月14日、踏切をくぐろうとしたところに列車にはねられ、帰らぬ人となっている。 2015年11月3日、老衰のため逝去した。93歳没。関係者によると、ひろしは2010年に浅草演芸ホールの5月上席に出演したのを最後に舞台から遠ざかり、その後体調を崩して入退院を繰り返していた。 略歴1960年に南 順子・北 ひろし(みなみ じゅんこ・きた ひろし)の名で結成。最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コント主体だったが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼ぐうち、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念。 秋田實の後見を得て1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。 大阪万博終了後の1971年に拠点を東京に戻し、五代目柳家小さんの身内となり、落語協会に入会。1976年、漫才協会真打ちに昇進。ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。 2010年5月以降、ひろしの病気療養でコンビとしての活動は見られなくなり、2015年11月にひろしが逝去。その後、2017年4月に順子が落語協会を退会し、事実上の引退状態となっている。 芸風・主なネタ漫才でふたりは夫婦のような役回りを演じた。恰幅のよい順子が亭主を尻に敷く猛妻のような貫禄を漂わせ、痩身のひろしは妻に頭が上がらぬ蚤の亭主のようにたたずんだ。順子が大声で一方的にまくし立てたりひろしを張り倒したりし、弱々しいひろしが狼狽する滑稽な構図は、幅広い世代から支持された。 時事を扱ったネタを得意にした。マイケル・ジャクソン死去時はひろしの「暗闇の歩き」のような珍妙なムーンウォークで演芸場内を沸かせた。テレビドラマ『アテンションプリーズ』が人気だった頃には「アテンション、ブー」で始まる航空ネタを展開し、パラパラ、マツケンサンバ、モーニング娘。、ヒロシ(ひろしが物真似をする)、羞恥心などもギャグに変えた。 芸歴を活かし、奇術やコントも披露した。 武田鉄矢・芦川よしみの『男と女のはしご酒』の替え歌を、ふたりが向き合ってジルバのステップで歌い踊るもの。 順子が「男は〜あなたひろしぃ〜」と歌うと、ひろしが「女は〜君さ順子ぉ〜」と返し、ふたりで「切なさが胸に来る……」と揃え、調子づいて順子に迫るひろしを、順子が「気持ちが悪いよ〜!」と叫んで突き飛ばす。 日本舞踊の名取である順子が、切れの良い所作を見せるのに対し、ひろしは順子の軽快な動きについていけず、戸惑うしぐさを見せる。 順子が『黒田節』を謡いつつなぎなた捌きを披露し、小道具を持ちながら前を横切るひろしを足蹴にするネタは、正月初席などで見せた。 女子プロレス興行の前座として巡業した際、現役レスラーから伝授され体得した技で、首投げよりむしろフライング・メイヤーと呼ぶのが正しい。体格の良い順子が痩躯のひろしを投げ飛ばし、柔道初段の心得のあるひろしが見事な受身を披露する定番ネタ。高齢となってからは披露されなくなった。 2016年12月7日に放送されたマツコ&有吉の怒り新党のコーナー「記憶調査委員会」で『オチで相方を投げ飛ばすベテラン漫才師がいた』としてあした順子・ひろしが取り上げられ、首投げを決める当時の貴重な映像が披露された。 順子が「おじいちゃん、おしっこに行きましょうね」とひろしの両手を繋ぐと、ひろしが「やだー!」と叫んで、順子がひろしを張り倒すという介護ネタ。 順子がひろしの頭を叩き、ひろしが「そんなに頭を叩くから薄くなるんだよ」と半泣きになる。すると順子が「そんなの心配しないでこれやるから!!」と怒って、自分の頭に付けてあったカチューシャをひろしの頭に載せ、そのまま深々と黙礼して高座を下りる。 踊り欄に記載の『黒田節』ネタを正月元旦「初詣ヒットパレード」で披露したが、小道具の盃の用意を忘れてしまい、舞台裏で順子に責められアタフタするひろしの様子がマイクONのまま音声で拾われてしまった。いつまでも舞台袖から出てこずにあ~だこ~だ言い合いしてる異変に気づいた司会の西川きよしと桂文枝(当時は三枝)がフォローしてなんとか事なきを得たという正月からヒヤヒヤもののエピソードがある。 2024/05/13 20:30更新
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