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アルバロ=ウリベ
アルバロ=ウリベ(Alvaro Uribe Velez)さんの誕生日は1952年7月4日です。
政治的経歴、2002年大統領選挙などについてまとめました。現在、兄弟、結婚、解散に関する情報もありますね。現在の年齢は71歳のようです。
アルバロ・ウリベ・ベレス(Álvaro Uribe Vélez、1952年7月4日 - )はコロンビアの政治家。現在、同国上院議員。第58代大統領を務めた(在任2002年 - 2010年)。 アルバロ・ウリベはアルベルト・ウリベ・シエラとラウラ・ベレスの間に5人兄弟の長男として生まれた。母は市会議員であり、父は富裕な牧場経営者であった。アルバロが10歳の時ウリベ家はサルガールの牧場からメデジンへ越している。アルバロはイエズス会及びベネディクト会が経営する学校に通っている。1970年にホルヘ・ロブレド学院に進学し、アルバロは成績により後期2年間は全ての試験を免除された。 ウリベはその後アンティオキア大学で成績により奨学金を受けながら学び、1977年に法律学の学位を得た。その頃からウリベはコロンビア自由党の青年組織自由青年団に参加している。 1993年にはハーバード大学で行政学と経営学の専攻を終えた。その時に紛争交渉コースも受講している。1998年から2000年にはイギリス議会のシモン・ボリバル奨学金を得てケンブリッジ大学の聖アントニー・カレッジの上級客員研究員となった。 政治的経歴1977年にウリベはメデジン公共事業会社の財務部主任になった。1977年から1978年にはアルフォンソ・ロペス・ミケルセン大統領の元で労働長官を務めている。この頃に結婚した。 1980年から1980年までフリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラ大統領の指名で文民航空局長を務めた。 1982年からはメデジン市長を務めるためにこの職を離れた。3ヵ月間の在任期間中に彼はいくつかの公的な仕事をした。 批評によればウリベの業績としてメデジンの貧困層の大規模住宅事業、植林キャンペーンの2つが挙げられる。これらはメデジン・カルテルの麻薬王の一人であるパブロ・エスコバルが市民の共感を買うために始めた事業だった。ウリベは麻薬組織と公然と関係を持っていたために解任された。 1983年にウリベの父・アルベルトは麻薬取引を行う知人のヘリの中でFARCにより誘拐の後殺害された。アルベルトはアメリカの麻薬取締局 (DEA) によるコロンビアへの身柄引渡請求の対象者であった。父の死後、ウリベは父のものとなった所有財産を処分し、コロンビア自由党のメンバーとして職掌に専念した。 この後1984年から1986年まで彼はメデジンの市会議員を務めた。 ウリベは1986年から1990年まで及び1990年から1994年までの2期にわたり、アンティオキア州選出の上院議員に選ばれた。 そこでウリベは7つの委員会の委員長を務め、法案を支持した。扱われた内容は、住宅改革、労働改革、行政職の促進、サッカークラブへの民主的な融資、信用組合の促進、教員共済の創設、黒砂糖の生産、家長としての女性の保護など。 幾つかの立法行為、特に1990年の法律50号と1993年の法律100号が労働市場の自由化を進め社会保障の民営化と大衆化を許したとして後に批判されている。後に多くの研究機関もどちらの法律もコロンビアの労働及び保健関係において極めて逆効果であり、より大きな改革が必要となっていると結論付けている。 2期目にウリベは公式非公式に「優秀な上院議員」(1990年、1992年、1993年)、「優秀な法案発議者」(1992年)として顕彰された。 1995年から1997年までの任期でウリベはアンティオキア州知事に選ばれた。 在任中にウリベは自身の描いたコミュニタリアニズム的国家モデルを実践した。それは理論的には政策決定の過程への活発な市民参加によって構成されるものであり、このモデルは雇用、教育、行政の透明化、治安などの改良をもたらすのに有用であると主張された。 ウリベの政策には州政府自身の統計によれば公務員の34%削減や公用車の35%削減も含まれた。私立学校との契約により102,000人の定員が増やされ、4万人が平和的な紛争交渉のために訓練された。補助金を受けた保険制度への貧困層の加入者は120万人に上る、939kmの道路が舗装された(実際に当時よりアンティオキアの半分以上の道路が舗装されたと断定される)、通話可能な電話回線が2倍になった、奨学金の枠が増えた、とそれぞれ主張されている。ウリベは誘拐を60%減らし、メデジンと首都ボゴタの間の道路の安全を確保し、多くの歳出を削減することで州政府を財政再建に繋げた、と信じられている。 権力の範囲内でウリベは、1994年の2月11日のコロンビア国防省令によって創設された住民の相互監視組織の国家プログラムCONVIVIRを公然と支援した。CONVIVIRはすぐに議論の対象になった。 報告書ではいくつかの例でコミュニティに治安をもたらし軍に情報調整をもたらすという成果が得られたと主張されていた。しかし実際には厳密なそれら組織や作戦への監督もなされず、多くの構成員が民間人への暴力に関与していた。1998年にヒューマン・ライツ・ウォッチは「中マグダレナや南チェザール地域のCONVIVIRグループがよく知られた準軍組織に指揮されており、ゲリラのシンパと看做されたり、共同グループへの参加を拒否したコロンビア人を暗殺すると脅迫しているという信頼できる証拠を得ている」と声明した。 多くの政治的議論の末に1997年9月コロンビア憲法裁判所はCONVIVIRが機密情報を集めること及び軍事レベルの武器の携行は禁止されるべきであるとの決定を表明した。その他の規制によりCONVIVIRに対する法的な監督が強化されることが含まれたため、1998年の初めには武器や人員に関して収集した情報を供出しなかった数十のCONVIVIRグループは資格を停止されることになった。これらの手段によりいくつかは武器を提出し解散するものもみられた。制限された武器のうちの237つは1997年末までに権威の元に返された。そのほかのグループは応ぜず、AUCのような準軍組織に合流した。 2002年大統領選挙前大統領アンドレス・パストラーナの任期中の4年間で対ゲリラ政策である平和的プロセスに向けた和平交渉やゲリラそのものへの支持が減る中で、アナリストは政治的なムードがかわったと考えた。常に自由党内で活動してきたウリベは2002年の大統領選挙に独立した候補者のように現われた。主要な候補者は自由党の代表で前の蔵相だったオラシオ・セルパ、前の外相で Movimiento Sí Colombia のノエミ・サニン、独立民主極の代表ルイス・エドゥアルド・ガルソンがいた。何人かのリベラル系の候補および保守党の候補ファン・カミロ・レストレポなどは立候補を辞退しウリベの支援に回った。 少なくとも選挙の1年前まではアルバロ・ウリベの有権者の支持率は2%以下で事実上自由党のオラシオ・セルパが勝利するだろうと予想されていた。しかし和平交渉の頓挫を受けて、「潜在的に国内の反乱に対応できる『実行可能なセキュリティプログラム』を持つ候補」はウリベであるというそのキャンペーンが功を奏し始めた。酷似したプログラムを提案していた前将軍のアロルド・ベドヤ・ピザロ候補はウリベに合流した。 ウリベの選挙演説はコロンビアの主要なゲリラであるFARCとの対決にかかる政策が中心であった。その他の政策は歳出削減、腐敗と戦う、国の政治的・経済的関心事のいくつかのものを解決するために国民投票を提案する、であった。 非公式に自由党から離れ独立系リベラル候補として選挙戦に臨んでいたウリベは、2002年5月26日の第1次投票で53%の得票で大統領に選ばれた。ウリベのパートナー、フランシスコ・サントス・カルデロンは自由党の名門サントス家の出でコロンビア最大の日刊紙『エル・ティエンポ』の所有者であった。オラシオ・セルパの得票は31.8%だった。 選挙管理者は大統領選挙には全国的には不正がほとんどなかったという見解を示した。しかし実際には投票者や対立候補への準軍組織やゲリラからの威嚇が頻繁に起きていた実例が挙がっている。有権者の投票率は46.8%であり、選挙前から投票率が低下していた。 いくつかのウリベの反対者はウリベのキャンペーンに対し、彼を告発した。特にオラシオ・セルパの演説や同年にウリベを取材したニューズウィーク誌のジョセフ・コントレラスの記事である。非難が特に対象としたのはウリベがメデジン・カルテルの成員と個人的な関係があったという過去の事実及び複数の準軍組織の広報者が公然とウリベ候補を支持していたことである。そのような告発はウリベとその支持者により否定あるいは黙殺された。批評家もそれに対しコメントも法的処置も執ることはなかった。 2024/05/16 18:05更新
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Alvaro Uribe Velez
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