ジェームズ=パチョレックの情報(JamesPaciorek) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ジェームズ=パチョレックさんについて調べます
■名前・氏名 |
ジェームズ=パチョレックと同じ1960年生まれの有名人・芸能人 ジェームズ=パチョレックと同じ6月7日生まれの有名人・芸能人 ジェームズ=パチョレックと同じ出身地の人 |
ジェームズ=パチョレックの情報まとめ
ジェームズ=パチョレック(James Paciorek)さんの誕生日は1960年6月7日です。
引退、兄弟、現在に関する情報もありますね。ジェームズ=パチョレックの現在の年齢は64歳のようです。
ジェームズ=パチョレックのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ジェームズ・ジョゼフ・パチョレック(James Joseph "Jim" Paciorek , 1960年6月7日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。愛称は「パッキー」。 ミシガン大学在学中の1981年には第10回日米大学野球選手権とワールドゲームズのアメリカ合衆国代表に選ばれている。ちなみに、日米大学野球選手権での4番打者が後にNFLでスーパースターとなるジョン・エルウェイだった(ただし、不振のため、終盤にはパチョレックに4番を譲る)。また、パチョレック自身も野球だけでなくアメリカンフットボールのレギュラーも務めるほどの体格と運動神経を持っており、もともと大学にはフットボールでの奨学金で入学していた。この年のMLBドラフト14巡目(全体350位)でクリーブランド・インディアンスから指名されるが契約せず、翌1982年のMLBドラフト8巡目(全体209位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され契約。その後、マイナーリーグでも長打力よりは確実性を重視する打者で、シーズン本塁打はAA級エルパソ・ディアブロス時代の9本塁打が最高であった。 1987年は、AAA級バンクーバー・カナディアンズで自己最高のペースで成績を残していたため、初めてメジャーに昇格し、主に一塁手、三塁手として48試合に出場した。余談だが、初めて先発出場した試合(4月15日のボルチモア・オリオールズ戦)ではフアン・ニエベスがブルワーズ球団史上初のノーヒットノーランを達成。この試合では故障により欠場したロブ・ディアーの替わりに左翼手としてスタメン出場しており、守備でファインプレーを見せるなど快挙達成に一役買った。 日米大学野球で訪れて以降日本でのプレーを希望していた1988年、横浜大洋ホエールズに入団。同年は打率2位、安打数1位という好成績を残し、外野手としてセントラル・リーグのベストナインに選ばれた。おとなしい性格だが真面目な態度と確実性のある打撃からたちまち人気を得た。その後も、4番打者カルロス・ポンセの後を打つ5番打者として毎年安定した結果を残す。翌1989年にも打率2位となり、1990年には念願の首位打者のタイトルを獲得した。 1991年、前半戦で不振を極め、9月に月間打率5割を記録するも、それまでの3年間を下回る成績に終わり、更に大洋フロント陣から「ホームランが少ない」と指摘され、ラリー・シーツの獲得を既に決めていたこともあり、この年限りで契約を打ち切った。大洋時代の応援歌は大脱走のテーマソングで、その歌詞にあるパッキーの愛称でファンに親しまれた。、 1992年からは友人のトーマス・オマリーの誘いもあり、同じセ・リーグの阪神タイガースに移籍した。同年、ラッキーゾーンが本拠地阪神甲子園球場から撤去され、守備力が向上した阪神は、優勝は逃したものの、1986年以来となるAクラスに入った。当初3番打者を任されていたが、シーズン後半からはケガで戦列を離れたオマリーに代わって4番を打つ事が多くなり、前球団のフロントから指摘された本塁打数は自己最多の22本と大幅に増え、それに加えリーグ最多となる159安打、14勝利打点で期待に応え、ベストナインとゴールデングラブ賞の一塁手部門に選ばれた。 1993年は、外国人選手を3名以上出場選手登録することができなかったため、パチョレック、郭李建夫、オマリーのうち1人が出場できないことがネックとなっていた。マスコミはこれを当時国際問題になっていた国連平和維持活動のニュースに、3人の姓の頭文字をかけて「(阪神)PKO問題」と報じた。当初は実績のあるパチョレックとオマリーが出場していたが、郭李の加入に続いてトレードで加入した松永浩美が三塁を守り、前年三塁を守っていたオマリーが再び一塁に着きパチョレックが左翼にコンバートすることになった。開幕前から続いていた微熱に加え、外野守備の負担から腰痛を発症しそのため出場機会が少なくなり、出場選手登録枠を郭李に譲って二軍に落ちると、シーズン中に現役引退を表明して帰国した。オマリーがお立ち台で関西弁を駆使して「阪神ファンは1番や!」と絶叫して人気を集めていたが、パチョレックもお立ち台で「阪神ファンは10番目の野手」とファンの持つ大きな力に感謝する発言をしていた。また、不振だった1993年にオールスターにファン投票で選ばれたことに感激していた。 引退翌年には1年間阪神のアメリカ在住スカウト、その後は母校の高校でコーチをしていた。 2004年4月6日、横浜市と外務省が中心となって進めていた「日米交流150年」記念セレモニーの一環として、横浜スタジアムで行われた古巣・横浜対阪神のホーム開幕戦(横浜主催試合)の始球式を務めるため11年ぶりに来日。この時「僕は両チームとも在籍したからどちらを応援するとはいえないけど、あえて言うなら今日はクジラ(大洋の意味)を応援しようかな」との言葉を残し母国へ帰っていった。 パチョレック家は、ジムを含め三兄弟でメジャー経験がある。 長兄ジョン・パチョレック(英語版)は1963年にヒューストン・コルト45's(現在のアストロズ)で1試合に出場し、3打数3安打3打点2四球4得点。「生涯打率10割の選手で最多安打」の記録を残している。 次兄トム・パチョレックは1970年から1987年にかけてロサンゼルス・ドジャースを皮切りに6球団でプレーし、1392試合に出場し1162安打・86本塁打・打率.282という成績を残している。ジムは1987年4月9日にミルウォーキー・ブルワーズの一員としてデビューしたが、2戦目となった同12日のテキサス・レンジャーズ戦では、10回表に当時レンジャーズ所属のトムが一塁手として出場したのに続き、11回裏にジムもブルワーズの一塁守備についたため、対戦するかたちで兄弟同時出場が実現した。 息子のジョーイ・パチョレックは2007年6月に行われたMLBドラフトで15巡目(全体461位)でジムもかつて在籍したブルワーズから指名された。ジョーイはマイナーリーグで378試合に出場したが、2014年に引退している。 各年度の太字はリーグ最高 首位打者:1回 (1990年) 最多安打(当時連盟表彰なし):3回(1988年、1990年、1992年) 最多勝利打点:2回 (1991年、1992年) ※特別賞 ベストナイン:3回 (1988年、1990年、1992年) ゴールデングラブ賞:1回 (1992年) 月間MVP:3回 (1988年7月、1990年8月、1991年9月) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1992年) 優秀JCB・MEP賞:1回 (1990年) 初出場・初先発出場:1988年4月8日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、6番・左翼手として先発出場 初安打・初本塁打・初打点:同上、4回表に小松辰雄から左越ソロ 最多安打(当時連盟表彰なし):3回 (1988年、1990年、1992年) ※1994年より表彰 一塁手イニング最多補殺:3 :1992年7月30日、対読売ジャイアンツ20回戦(阪神甲子園球場) ※セ・リーグ記録 月間打率(30打席以上):.500(80打数40安打):1991年9月度、※セ・リーグ記録(2012年シーズン終了現在)。 オールスターゲーム出場:2回 (1992年、1993年) 14(1987年 - 1991年) 42(1992年 - 1993年) 第10回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1981年) ワールドゲームズ1981 アメリカ合衆国代表 ^ それでも最終的には最多勝利打点のタイトル(特別賞)を獲得した。 ^ 西澤千央 (2017年6月1日). “【DeNA】私の初恋の相手・パチョレックが教えてくれた大事なこと”. 文春オンライン. 文藝春秋. 2020年4月5日閲覧。 ^ “「PKO問題」から「PK合戦」になり、最後は郭李建夫の不戦勝?【1993年8月28日】”. ニコニコニュース (2017年8月28日). 2017年8月28日閲覧。 ^ 井口英規『「想い出球人 第111回 J・パチョレック」 『週刊ベースボール』2004年5月10日号』2004年、78-79頁頁。 ^ “Milwaukee Brewers at Texas Rangers Box Score, April 12, 1987”. Baseball-Reference. 2019年10月3日閲覧。 ^ “Joey Paciorek Stats, Fantasy & News”. 2022年1月23日閲覧。 ^ 個人打撃月間記録セ・リーグ公式サイト メジャーリーグベースボールの選手一覧 P 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧 横浜DeNAベイスターズの選手一覧 阪神タイガースの選手一覧 兄弟スポーツ選手一覧 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 個人年度別成績 J.パチョレック - NPB.jp 日本野球機構 パチョレック 変幻自在のフォームから広角に安打を量産 - 週刊ベースボール 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 与那嶺要 1955 川上哲治 1956 与那嶺要 1957 与那嶺要 1958 田宮謙次郎 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 森永勝治 1963 長嶋茂雄 1964 江藤慎一 1965 江藤慎一 1966 長嶋茂雄 1967 中暁生 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 若松勉 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 谷沢健一 1977 若松勉 1978 水谷実雄 1979 F.ミヤーン 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 長崎啓二 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 篠塚利夫, 正田耕三 1988 正田耕三 1989 W.クロマティ 1990 J.パチョレック 1991 古田敦也 1992 J.ハウエル 1993 T.オマリー 1994 A.パウエル 1995 A.パウエル 1996 A.パウエル 1997 鈴木尚典 1998 鈴木尚典 1999 R.ローズ 2000 金城龍彦 2001 松井秀喜 2002 福留孝介 2003 今岡誠 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 青木宣親 2011 長野久義 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.マートン 2015 川端慎吾 2016 坂本勇人 2017 宮﨑敏郎 2018 D.ビシエド 2019 鈴木誠也 2020 佐野恵太 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 2024 T.オースティン 表 話 編 歴 1981 佐野仙好 1982 原辰徳 1983 原辰徳 1984 W.クロマティ 1985 R.バース 1986 W.クロマティ 1987 小早川毅彦 1988 落合博満 1989 落合博満 1990 広沢克己 1991 J.パチョレック 1992 広沢克己, J.パチョレック 1993 落合博満 1994 R.ローズ 1995 T.オマリー 1996 T.オマリー 1997 鈴木尚典 1998 山崎武司 1999 R.ペタジーニ 2000 鈴木尚典, 江藤智 1981年から1988年まではNPB打撃タイトル1989年から2000年まではセ・リーグ特別賞2000年限りで廃止 表 話 編 歴 投 小野和幸 捕 達川光男 一 落合博満 二 正田耕三 三 原辰徳 遊 池山隆寛 外 広沢克己 / C.ポンセ / J.パチョレック 表 話 編 歴 投 斎藤雅樹 捕 村田真一 一 落合博満 二 高木豊 三 バンスロー 遊 池山隆寛 外 J・パチョレック / 広沢克己 / 原辰徳 表 話 編 歴 投 斎藤雅樹 捕 古田敦也 一 J.パチョレック 二 和田豊 三 J.ハウエル 遊 池山隆寛 外 前田智徳 / 飯田哲也 / L.シーツ 表 話 編 歴 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 王貞治 1980 王貞治 1981 藤田平 1982 中畑清 1983 中畑清 1984 中畑清 1985 中畑清 1986 中畑清 1987 中畑清 1988 中畑清 1989 駒田徳広 1990 駒田徳広 1991 駒田徳広 1992 J.パチョレック 1993 駒田徳広 1994 駒田徳広 1995 駒田徳広 1996 駒田徳広 1997 駒田徳広 1998 駒田徳広 1999 駒田徳広 2000 R.ペタジーニ 2001 R.ペタジーニ 2002 R.ペタジーニ 2003 G.アリアス 2004 渡邉博幸 2005 A.シーツ 2006 A.シーツ 2007 A.シーツ 2008 新井貴浩, 栗原健太 2009 栗原健太 2010 (該当者なし) 2011 栗原健太 2012 畠山和洋 2013 J.ロペス 2014 森野将彦 2015 畠山和洋 2016 J.ロペス 2017 J.ロペス 2018 J.ロペス 2019 J.ロペス 2020 D.ビシエド 2021 D.ビシエド 2022 中田翔 2023 大山悠輔 2024 岡本和真 アメリカ合衆国の野球選手 ミルウォーキー・ブルワーズの選手 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 首位打者 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 野球アメリカ合衆国代表選手 日米大学野球選手権大会アメリカ合衆国代表選手 ポーランド系アメリカ人の野球選手 ミシガン大学出身の野球選手 デトロイト出身の人物 1960年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 23:52更新
|
James Paciorek
ジェームズ=パチョレックと同じ誕生日6月7日生まれの人
TOPニュース
ジェームズ=パチョレックと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ジェームズ=パチョレック」を素材として二次利用しています。