もしもし情報局 > 1950年 > 2月22日 > バスケットボール

ジュリアス=アービングの情報 (JuliusErving)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【7月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

ジュリアス=アービングの情報(JuliusErving) バスケットボール 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

ジュリアス=アービングさんについて調べます

■名前・氏名
ジュリアス=アービング
(読み:Julius Erving)
■職業
バスケットボール
■ジュリアス=アービングの誕生日・生年月日
1950年2月22日 (年齢74歳)
寅年(とら年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

ジュリアス=アービングと同じ1950年生まれの有名人・芸能人

ジュリアス=アービングと同じ2月22日生まれの有名人・芸能人

ジュリアス=アービングと同じ出身地の人


ジュリアス=アービングの情報まとめ

もしもしロボ

ジュリアス=アービング(Julius Erving)さんの誕生日は1950年2月22日です。

もしもしロボ

引退、父親、家族、母親、事件、卒業、解散、テレビ、映画、結婚、離婚に関する情報もありますね。ジュリアス=アービングの現在の年齢は74歳のようです。

ジュリアス=アービングのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ジュリアス・ウィンフィールド・アービング2世(Julius Winfield Erving II, 1950年2月22日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ルーズベルト出身の元プロバスケットボール選手。マサチューセッツ大学出身。身長201cm、体重98kg。ポジションはスモールフォワード。1970年代に掛けて活躍したABA史上最高の選手の一人であり、NBA移籍後もフィラデルフィア・76ersで活躍。並外れた跳躍力から繰り出されるダンクシュートは"芸術品"と称され、"Dr.J"の愛称で一世を風靡した、バスケットボール史上屈指の名選手として知られる。また、最も影響力のあるバスケットボール選手の一人と評されている。

1971年にプロ入りして以降、引退するその年までの16年間、全てのシーズンでオールスターに選出され続け、ABA時代は得点王3回、シーズンMVP3回、プレーオフMVP2回、優勝2回、NBA時代はオールスターMVP2回、シーズンMVP1回、優勝1回の実績を誇る。

1950年2月22日、ニューヨーク州ルーズベルトに生まれたジュリアス・アービングは、3歳の頃に父親家族のもとを去ってしまったため、清掃員として働いた母親の手によって育てられた(父親はアービングが7歳の頃に暴行事件で殺害される)。内向的な幼少期を過ごしたアービングは、9歳の時に始めたバスケットボールに活躍の場を見出し、10歳の時には彼のチームを地域のチャンピオンシップに導いている。生涯呼ばれ続けることとなる"the Doctor"の愛称はこの頃に着けられ、アービングが彼の友人を"Professor"と呼んでいたことから、彼は"the Doctor"と呼ばれるようになり、後に"Dr.J"へと転じた。高校は地元のローズベルト高校に進学し、二度オールカンファレンスチームに選出されるなどの実績を残し、マサチューセッツ大学では2年間のプレイで平均26.3得点20.2リバウンドの成績を記録してNCAA史上数人しかいない平均20得点20リバウンド以上達成者となったが、当時のカレッジバスケではダンクが禁止されていたため、後にダンクアーティストとして名を馳せるアービングの才能が存分に発揮されることはなく、当時は全国的には無名の選手だった。

1970年代当時、アメリカにはNBAとABA2つのプロバスケットボールリーグが存在したが、いずれも経営難に陥っており、すでに将来の合併に向けての話が進められていた。そんな先行きが不透明な頃に、21歳となったアービングは大学4年生には進まずに1971年、フリーエージェントとしてABAのバージニア・スクワイアーズと契約した。

「ダンク禁止」という制約から解き放たれたアービングの才能はプロの舞台で大きく花開いた。アービングはルーキーイヤーからその並外れた身体能力と豊富な空中でのムーブ、卓越したボール捌きを武器に、次々と常識外のプレイを披露。アービングが見せるかつて誰も見たことのないような動きに、観客の心はたちまちに鷲掴みにされ、アービングがリーグで特別な存在となるのにそう時間は掛からなかった。ある試合ではABAのトップセンターの一人である218cmのアーティス・ギルモアの上から強烈なダンクを叩き込み、またある試合では空中で3人をかわしてリバースレイアップシュートを決めた。1年目からオールスターゲームにも選出され、以後アービングはABAでの5年間、後のNBAでの11年間と、プロキャリア16年間全てのシーズンでオールスターに選出され続ける。1971-72シーズンの成績は27.3得点15.7リバウンド4.0アシストで、平均得点ではリーグ5位、平均リバウンドではリーグ3位に入る好記録だったが、オールルーキーチームとオールABA2ndチーム入りは果たしたものの、新人王の座はシーズンMVPとの二冠を達成したアーティス・ギルモアに譲った。新人アービングとこの年の得点王に輝いたチャーリー・スコットに率いられたスクワイアーズはデビジョン2位となる45勝39敗をあげてプレーオフに進出。プレーオフでは相棒のスコットが故障で出場時間を制限されるという災難に見舞われるも、アービングはレギュラーシーズンを上回る平均33.3得点の成績でチームを牽引し、平均20.4リバウンドはABAのプレーオフ新記録となり、さらにプレーオフ・タイ記録となる1試合53得点もあげている。チームはデビジョン決勝でニューヨーク・ネッツの前に3勝4敗で惜敗している。

1971‐72シーズン終了後、この年に大学を卒業するはずだったアービングを、NBAのミルウォーキー・バックスが1972年のNBAドラフト11位で指名した(当時NBAは大学生へのドラフト指名を禁止していた)。もしアービングがこの指名に応じ、バックスに入団していたならば、カリーム・アブドゥル=ジャバーにオスカー・ロバートソン、そしてアービングと史上類を見ない強力なビッグスリーが誕生することになったが、アービングはバックスファンの期待を他所にNBAのアトランタ・ホークスとの契約にサインしていた。年俸200万ドルと当時としては破格の好条件であり、またアービングはホークス所属のピート・マラビッチとプレイできることを楽しみにしており、そして参加したシーズン前のホークスのトレーニングキャンプでのマラビッチとのプレイにアービングは大いに手ごたえを感じていた。しかしアービングのホークス移籍にスクワイアーズが黙ってはいなかった。この時点でアービングとスクワイアーズの契約はまだ残っており、また将来偉大な選手となる可能性を秘めているアービングを、スクワイアーズがみすみす手放すはずもなかった。スクワイアーズは裁判という手段に打って出て、そしてアービング獲得合戦はスクワイアーズにホークス、バックスと三つ巴の大騒動となった。司法はスクワイアーズの主張を支持し、アービングがスクワイアーズに戻ることで決着がついた。なお、この間アービングはホークスのエキシビジョンゲームに3試合出場しており、NBAでの規定ではドラフト指名したバックスにアービングの所有権があったため、ホークスの行為は規定違反となり、1試合につき25,000ドルの罰金を科せられている。

結局プロ2年目となる1972-73シーズンをスクワイアーズで迎えたアービングは、いよいよリーグトップ選手としての地位を固める。このシーズン平均31.9得点12.2リバウンド4.2アシストの成績を残したアービングは、初の得点王に輝き、オールABA1stチームにも名を連ねた。しかし資金繰りが悪化していたスクワイアーズはアービングを保有し続けることができず、シーズンオフにはニューヨーク・ネッツとの間でトレードが成立し、アービングはネッツに移籍することになった。

ニューヨークという大都市でのプレイはアービングの評判を益々高め、より多くの人々を熱狂させると共に、前年30勝54敗に沈んでいたネッツを55勝29敗の大躍進に導く働きを見せた。アービング個人は平均27.4得点10.2リバウンド5.2アシスト2.4ブロック2.3スティールの成績を残して2年連続の得点王に輝くと共にシーズンMVPを初受賞し、名実共にリーグ最高峰の選手へと上り詰める。アービングにビリー・パウルツ、ラリー・ケノンと主力選手が皆20代前半と若いチームであるネッツはプレーオフでも快進撃を続け、デビジョン決勝ではリーグ屈指の強豪であるケンタッキー・カーネルズと対戦。ニューヨークでの第1戦、第2戦を連勝したネッツはカーネルズの本拠地、ルイビルに乗り込んだ。ホームで3敗目を喫するわけにはいかないカーネルズは第3戦を優位に進めるも、試合終盤にネッツが巻き返しを演じ、残り17秒にはついに87対87の同点に追いつく。ボールの保持権はネッツが握り、この場面でネッツが誰にボールを託すかは、会場の誰もが分かり切ったことだった。そしてカーネルズの選手たちはアービングに最大限のディフェンスを仕掛けたが、彼らの努力は報われなかった。17秒間をたっぷり使ったアービングは残り1秒となった瞬間、ディフェンダーの上からフック・スライディング・ジャンパーを放った。シュートは見事に決まり、アービングはチームに劇的な勝利を呼び込んだ。第4戦も勝利しカーネルズとのシリーズを制したネッツは念願のファイナル進出を果たし、ユタ・スターズを4勝1敗で破って優勝を果たした。プレーオフ期間中も平均27.9得点をあげてチームを牽引したアービングは、プレーオフMVPも受賞し、得点王、シーズンMVP、プレーオフMVPの三冠を達成。この時点でアービングはABAで最も重要な選手としての地位を確固たるものとしたのである。1974-75シーズンもアービングは素晴らしく、平均27.9得点(リーグ2位)10.9リバウンド5.5アシストの成績を残し、チームも前年を上回る58勝をあげ、アービングは2年連続のシーズンMVPを獲得するが、プレーオフではデビジョン決勝でスピリッツ・オブ・セントルイスの前に敗れている。

迎えた1975‐76シーズン。すでにABAはNBAに吸収合併されることが決まっており、ラストシーズンとなる1975‐76シーズンを迎えずして消滅するチームが続出するなどABA内部が混乱状態に陥る中、アービングはABAが消滅するその瞬間まで最高の選手であり続けた。アービングは平均29.3得点11.0リバウンドの成績で3度目の得点王、3年連続のシーズンMVPを受賞するなど大いに活躍したが、中でもアービングのキャリアのハイライトとして多くの人々の記憶に深く刻み込まれたのが、オールスターで初めて開催されたスラムダンク・コンテストでの場面だった。フリースローレーンからジャンプしたアービングはそのままボールをリムに叩き込むという圧巻のパフォーマンスを披露し、見事に初代スラムダンク王の座に就いた。プレーオフでは平均34.7得点12.6リバウンドの成績でチームを2年ぶりのファイナルに導くと、デビッド・トンプソン擁するデンバー・ナゲッツとのシリーズ第1戦では決勝ブザービーターを決めて大事な第1戦を勝利し、勢いに乗ったネッツは4勝2敗でナゲッツを破って2度目の優勝を果たした。アービングは当然のようにプレーオフMVPを受賞。ABA最後の4シーズンで3回の得点王、3回のシーズンMVP、2回のプレーオフMVPに輝いたアービングは、まさしくABA最後にして最高のスーパースターだった。

1975-76シーズン終了後、ついにABAはNBAに吸収されるという形で消滅。ABAの多くのチームが解散の憂き目に遭う中、ニューヨーク・ネッツはABAで生き残った4つのチームの1つとしてNBAに加盟したが、彼らは320万ドルの加盟料を支払わされ、さらにネッツは本拠地を共にするニューヨーク・ニックスにも480万ドルの支払いを科されたため、一気に財政難に陥いり、アービングを手放さざるをえなくなった。アービングは現金300万ドルとの交換で、フィラデルフィア・76ersへと移籍した。絶対的なエースを失った上に財政難と二重苦を背負わされたネッツは、以後低迷脱却に多くの時間を要する事になる。

アービングのNBA入り、76ers移籍は大きな話題を呼び、人々の間ではNBAがABAを吸収したのはアービングただ一人が欲しかったからだという噂が広まったほどだった。迎えたNBAでの1976‐77シーズン、アービングは環境の違うリーグ、チームへの適応を優先させたプレイに徹したため、成績は平均21.6得点8.5リバウンドとプロ入り後最低の数字に終わった。しかしこの年のオールスターでは30得点12リバウンドをあげて見事にオールスターMVPを獲得。人々は事前の触れ込みが決して誇大ではないことを納得した。アービングに、ABA出身でアービングと並ぶ名スモールフォワードのジョージ・マクギニス、ガードのワールド.B.フリーとリーグでも屈指のタレントを誇る76ersはこのシーズン50勝32敗をあげ、プレーオフではボストン・セルティックス、ヒューストン・ロケッツを破り、アービング加入1年目にして早くもNBAファイナルに進出する。ファイナルではビル・ウォルトン擁するポートランド・トレイルブレイザーズに最初の2試合を連勝するが、その後4連敗を喫してしまい、NBA1年目にしての優勝はならなかった。シーズンは悔しい幕切れとなったが、より市場として発達しているNBAでのプレイはアービングの名声を益々高め、アービングは自分の名前を冠したバスケットシューズのモデルを発売した初めてのバスケットボール選手となり、テレビコマーシャルや映画にも出演するなど、商業的にも成功を収めた。76ersにもアービング獲得効果はファイナル進出のみならず、観客動員数の増大という、球団にとっては特に喜ばしい形で表れた。前年、ホームアリーナの総観客動員数は509,699人だったが、このシーズンは632,949人と25%近くの伸びを見せている。76ersはアービング中心のチームを造るためにチームの再編を始め、1977-78シーズン途中からビリー・カニンガムが新ヘッドコーチに抜擢され、翌1978-79シーズンには、ポジションが重なるジョージ・マクギニスを放出。この間チーム成績は横ばい状態が続くが、チームの戦力は着実に増していき、またアービングもNBA2年目の1977-78シーズンにはオールNBA1stチーム入りを果たし、名実共にリーグ最高峰の選手としての地位を固めた。

1979-80シーズン、リーグはマジック・ジョンソンとラリー・バードという2人の大物新人を迎える。驚異の新人2人は当時人気が著しく低迷していたNBAを空前の黄金期へと導く活躍を見せるが、アービングにとって若い2人のNBA入りは優勝への道に巨大な障害が横たわることを意味した。アービング率いる76ersはバードのボストン・セルティックスがファイナルに勝ち進む上で最大の障壁となり、またセルティックスを破っても、次に待ち構えているのがマジックのロサンゼルス・レイカーズだった。もっとも新人2人にとってもアービングは優勝を勝ち取る上での巨大な障壁であり、同じデビジョンに所属する76ersとセルティックスは当時最も熾烈なライバル関係の一つに数えられ、特にアービングとバードの個人対決は初期のエレクトロニック・アーツのビデオゲーム、『Julius Erving vs. Larry Bird One-on-One Basketball』で再現されるほどに注目され、ある試合では白熱のあまり両者の殴り合いにまで発展している。再編期を終えた76ersはアービングにパワーフォワードのダレル・ドーキンス、ポイントガードのモーリス・チークス、シックスマンのボビー・ジョーンズという新しい陣容で新シーズンを挑み、アービングはNBAキャリアでは最高となる平均26.9得点をあげ、76ersはアービングが加入して以降最高となる59勝をあげた。プレーオフではカンファレンス決勝でバードのセルティックスと対決。4勝1敗で破り、3年ぶりにファイナルに進出した。ファイナルではマジックとカリーム・アブドゥル=ジャバー擁するレイカーズと対決。第4戦では後々まで語り草となるアービングのベースラインムーブが飛び出すが、2勝4敗で76ersは敗退した。なお、このシーズンに発表されたNBA35周年オールタイムチームの11人の1人に選ばれるが、現役選手としてはジャバーとの2人のみ、またABA出身としてはアービングが唯一選ばれた。

翌1980-81シーズンに76ersは62勝20敗をあげ、アービングはNBAでは初のシーズンMVPを獲得。悲願の優勝を目指してカンファレンス決勝で再びセルティックスと対決し、3勝1敗でファイナルに王手を掛けたがその後3連敗を喫してしまい、ファイナルの舞台に辿り着くことはできなかった。1981-82シーズンも58勝24敗と高い勝率を維持。プレーオフではやはりカンファレンス決勝でセルティックスと3年連続の決戦を挑み、今回も第7戦までもつれた末にセルティックスを破ってファイナル進出を果たしたが、ファイナルではまたもやレイカーズの前に無念のほぞを噛んだ。すでにNBAでの地位を不動のものとしていたアービングだったが、相次ぐプレーオフでの敗退に彼のリーダーシップを疑う声も聞かれ始めた。

マジックにはジャバーが、バードにはロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルが居た。アービングの周りにも優秀な選手は揃っていたが、アービングと肩を並べられるほどの選手は居なかった。そこで76ersは1982年のファイナル敗退後に思い切った補強を行い、当時リーグ随一のセンターであり、1981-82シーズンのシーズンMVPであったモーゼス・マローンを獲得。アービングとマローンのコンビは古今最も恐るべきフォワードとセンターの組み合わせと評され、迎えた1982-83シーズンは76ersの支配下に置かれた。絶好調のシーズンを過ごした76ersは65勝17敗を記録。マローンは2年連続となるシーズンMVPを受賞し、アービング、マローンの両名は揃ってオールNBA1stチームに名を連ねた。さらにアービングはオールスターで25得点をあげ、2度目のオールスターMVPを受賞している。プレーオフに入る前、マローンはインタビューで「Fo, Fo, and Fo」という有名なコメントを残している。これはファイナルまでの3つのシリーズを全て4戦全勝で勝ち抜き優勝するという宣言だった。実際はカンファレンス決勝でミルウォーキー・バックスに1敗の不覚をとってしまうものの、76ersはマローンの予言を実現するかのような勢いでファイナルに進出し、ファイナルでは過去2度同じ舞台で苦杯を舐めさせられたレイカーズと対戦。76ersはレイカーズをも4戦全勝で蹴散らし、ついに悲願の優勝を成し遂げた。全勝こそ叶わなかったものの、76ersのプレーオフ12勝1敗は当時の歴代最高勝率となった。ファイナルMVPはマローンが受賞したが、マローン自身は「ドク(アービング)のために戦ったんだ」と自身にとっても初となる優勝をアービングに奉げた。このシーズンはマローンのシーズンMVP、ファイナルMVP、アービングのオールスターMVP、そして76ers優勝と、NBAは正に76ers一色だった。

1984年のオールスターゲームではゲームハイの34得点をあげるなど、30代半ばを迎えつつあるアービングの存在感は依然として大きかったが、この頃から体力に衰えが目立ち始め、身体能力に頼ったプレイから知識と経験を活かしたプレイへとスタイルを変貌させた。1984年のNBAドラフトではチャールズ・バークレーが76ersに入団、翌1985-86シーズンにはモーゼス・マローンが移籍するなど76ersの陣容も変貌していき、チームは徐々に衰退を始めた。アービングの個人成績も1985-86シーズンには平均20得点を下回るようになり、そして1986-87シーズンを迎え、アービングはこのシーズン限りをもって引退することを宣言した。アービングがいかにリーグから、ファンから愛されていたか、それを物語る光景はこのシーズン、アービングの行く先々で見かけられた。アービングが試合のため会場を訪れると、アウェイであるにも関わらず対戦相手のチームからは記念品が送られ、リーグ総出でアービングの引退を惜しんだ。レギュラーシーズン終盤の試合では史上3人目となる通算3万点を達成。そしてプレーオフでライバルチームの一つであるミルウォーキー・バックスに1回戦で敗退したことを最後に、現役から引退。37歳のアービングは16年のプロキャリアに幕を降ろした。引退後は76ersの本拠地、フィラデルフィアで引退パレードが催され、3万人の観衆が集まった。

ABA/NBAレギュラーシーズン通算成績

    出場試合:1,243試合 (16シーズン)

    通算得点:30,026得点 (歴代5位)

    通算リバウンド:10,525リバウンド

    通算アシスト:5,176アシスト

    通算スティール:2,272スティール (歴代6位)

    通算ブロック:1,941ブロック

    FG成功率:.506

    ABA/NBAプレーオフ通算成績

      出場試合:189試合

      通算得点:4,580得点 (歴代5位)

      通算リバウンド:1,611リバウンド

      通算アシスト:841アシスト

    ABA/NBAレギュラーシーズン平均成績
      平均出場時間:36.4分

      平均得点:24.2得点

      平均リバウンド:8.5リバウンド

      平均アシスト:4.2アシスト

      平均スティール:2.0スティール

      平均ブロック:1.7ブロック

      FT成功率:.777

      ABA/NBAプレーオフ平均成績

        平均出場時間:38.9分

        平均得点:24.2得点

        平均リバウンド:8.5リバウンド

        平均アシスト:4.4アシスト

          ABA時代
            得点王 (1973年, 1974年, 1976年 3回)

            オールルーキーチーム (1972年)

            オールABA1stチーム (1973~1976年 4回)

            オールABA2ndチーム (1972年)

            オールディフェンシブ1stチーム (1976年)

            オールスターゲーム (1972~1976年 5回)

            シーズンMVP (1974~1976年 3回)

            プレーオフMVP (1974年, 1976年 2回)

            ファイナル制覇 (1974年, 1976年 2回)

          NBA時代
            オールNBA1stチーム (1978年, 1980~1983年 5回)

            オールNBA2ndチーム (1977年, 1984年 2回)

            オールスターゲーム (1977~1978年 11回)

            オールスターMVP (1977年, 1983年 2回)

            シーズンMVP (1981年)

            NBAファイナル制覇 (1983年)

            NBA35周年オールタイムチーム (1980年)

            バスケットボール殿堂 (1993年)

            NBA50周年オールタイムチーム (1996年)

            ABAオールタイムチーム (1997年)

            スラムマガジン誌選出の歴代バスケットボール選手Top75において10位 (2003年)

            背番号『6』はフィラデルフィア・76ersの永久欠番

            引退後のアービングはビジネスマンとして成功を収めている。コカコーラの工場やケーブルテレビ局へ投資し、コンバース社などの重役も務めたほか、NASCARのチームを立ち上げた。またNBAにも関わり、NBC局ではNBAの試合の解説をし、1997年にはオーランド・マジックのフロントで副社長などの役職に就いている。2004年には当時トロント・ラプターズ所属のヴィンス・カーターがアービングのフロント入りを熱望したが、これは実現しなかった。

            アーヴィングは2度結婚をしており、1972年に結婚した最初の妻ターコイズとの間に4人の子をもうけた。2000年5月には末息子であるコーリィが失踪、7月に自宅近くの池で転落した車の車中で溺死体として発見されるという悲しみに見舞われた 。

            またアーヴィングは1979年にスポーツ記者のサマンサ・スティーブンソンと不倫関係にあった。彼女との関係は翌80年に彼女がアーヴィングとの子を産んだことにより終わりを迎えたが、この時生まれた娘で後にプロテニスプレーヤーとして世に知られることになるアレクサンドラ・スティーブンソンとの親子関係は彼女が1999年ウィンブルドン選手権でシングルスベスト4に入り一躍世界にその名を知られるまではアーヴィング一家とスティーブンソン親子のみが知りうる秘密であり公になることは無かった。アーヴィングはスティーブンソン親子に財政的援助を行ってはいたが、アレクサンドラに対して父親として接することは無く、長らく疎遠であった。この関係はウィンブルドン以後の報道の過熱により世に知られることになるのだが、当時10代のアレクサンドラにとってこの報道攻勢は耐え難い物となり、アーヴィングとの関係を拒絶する時期が続いた。しかし2008年頃からお互いの関係修復が始まり、以後は両者揃ってマスコミの前に現れるようにもなり始めている。

            2003年にはドリス・マッデンとの不倫関係が始まり、二人の間に男児が生まれている。これが明らかになった後、最初の妻ターコイズと離婚。31年の夫婦生活を終えた。離婚後もマッデンとの交際は続き、2008年にマッデンと結婚。マッデンの連れ子である他の2人の子供の父親にもなった。

            とにかくアービングが現役時代に少年期を過ごしたNBA選手が、彼に憧れてバスケットボール選手を志したと言う話は枚挙にいとまがない。大スター、マイケル・ジョーダンもご多分に漏れず彼に憧れた選手の一人であり、また元NBA選手でヘッドコーチのドック・リバース(本名:グレン・リバース)の愛称"Doc"は学生時代に"Dr.J"のTシャツを着て練習していたため与えられたものだった。バスケット選手だけでなく、同時代の多くのアフリカ系アメリカ人の少年達にとって彼はアイドルであり、人気俳優のウィル・スミスや第44代アメリカ大統領で元バスケット選手のバラク・オバマも少年時代にアービングのプレイに熱中し、NFL選手のジュリアス・ペパーズはアービングのファンだった親によってその名前が着けられた。アービングはミュージシャンの間でも評判がよく、大物ラッパーのドクター・ドレーは一時期"Dr.J"名義で活動しており、アービングを題材にした曲も多く生まれた( Gucci Mane & Yo Gottiによる"Julius"、グローヴァー・ワシントン・ジュニアによる"Let It Flow (For Dr. J)"など)。

            ジュリアス・アービング賞

            ^ 幼少の時につけられた愛称であり博士の学位を取得したという意味では無い。

            ^ “The 25 Best Players in ABA History”. Complex (2014年2月23日). 2021年3月24日閲覧。

            ^ “25 Greatest Players in ABA History”. FanSided (2016年3月18日). 2021年3月24日閲覧。

            ^ “Legends profile: Julius Erving”. NBA.com. 2021年3月24日閲覧。

            ^ CBC Sports (2000年8月2日). “Son of Julius Erving died of accidental drowning”. 2009年1月14日閲覧。

            ^ ESPN. “Reaching Out”. 2009年1月14日閲覧。

            ^ Philadelphia Tribune. “what's the 411?”. 2009年1月14日閲覧。11ページ

            Basketball Hall of Fame profile

            nba.com: NBA History profile

            nba.com: Historical playerfile

            The Baseline Move (includes animated GIF)

            Ultimatenba: Julius Erving Playerfile

            basketball-reference.com: Career statisticss

            YouTube: Dr J's "Rock The Baby" dunk video

            Philly.com: "Dr. J: ABA through today" photo gallery

            1951 エド・マコーレー

            1952 ポール・アリジン

            1953 ジョージ・マイカン

            1954 ボブ・クージー

            1955 ビル・シャーマン

            1956 ボブ・ペティット

            1957 ボブ・クージー②

            1958 ボブ・ペティット②

            1959 ボブ・ペティット③&エルジン・ベイラー

            1960 ウィルト・チェンバレン

            1961 オスカー・ロバートソン

            1962 ボブ・ペティット④

            1963 ビル・ラッセル

            1964 オスカー・ロバートソン②

            1965 ジェリー・ルーカス

            1966 エイドリアン・スミス

            1967 リック・バリー

            1968 ハル・グリア

            1969 オスカー・ロバートソン③

            1970 ウィリス・リード

            1971 レニー・ウィルケンズ

            1972 ジェリー・ウェスト

            1973 デイブ・コーウェンス

            1974 ボブ・レイニア

            1975 ウォルト・フレイジャー

            1976 デイブ・ビン

            1977 ジュリアス・アービング

            1978 ランディ・スミス

            1979 デイヴィッド・トンプソン

            1980 ジョージ・ガービン

            1981 ネイト・アーチボルド

            1982 ラリー・バード

            1983 ジュリアス・アービング②

            1984 アイザイア・トーマス

            1985 ラルフ・サンプソン

            1986 アイザイア・トーマス②

            1987 トム・チェンバース

            1988 マイケル・ジョーダン

            1989 カール・マローン

            1990 マジック・ジョンソン

            1991 チャールズ・バークレー

            1992 マジック・ジョンソン②

            1993 カール・マローン②&ジョン・ストックトン

            1994 スコッティ・ピッペン

            1995 ミッチ・リッチモンド

            1996 マイケル・ジョーダン②

            1997 グレン・ライス

            1998 マイケル・ジョーダン③

            1999 中止

            2000 シャキール・オニール&ティム・ダンカン

            2001 アレン・アイバーソン

            2002 コービー・ブライアント

            2003 ケビン・ガーネット

            2004 シャキール・オニール②

            2005 アレン・アイバーソン②

            2006 レブロン・ジェームズ

            2007 コービー・ブライアント②

            2008 レブロン・ジェームズ②

            2009 コービー・ブライアント③&シャキール・オニール③

            2010 ドウェイン・ウェイド

            2011 コービー・ブライアント④

            2012 ケビン・デュラント

            2013 クリス・ポール

            2014 カイリー・アービング

            2015 ラッセル・ウェストブルック

            2016 ラッセル・ウェストブルック②

            2017 アンソニー・デイビス

            2018 レブロン・ジェームズ③

            2019 ケビン・デュラント②

            2020 カワイ・レナード

            2021 ヤニス・アデトクンボ

            2022 ステフィン・カリー

            2023 ジェイソン・テイタム

            1955-56 ボブ・ペティット(ATL)

            1956-57 ボブ・クージー(BOS)

            1957-58 ビル・ラッセル(BOS)

            1958-59 ボブ・ペティット②(ATL)

            1959-60 ウィルト・チェンバレン(PHI)

            1960-61 ビル・ラッセル②(BOS)

            1961-62 ビル・ラッセル③(BOS)

            1962-63 ビル・ラッセル④(BOS)

            1963-64 オスカー・ロバートソン(SAC)

            1964-65 ビル・ラッセル⑤(BOS)

            1965-66 ウィルト・チェンバレン②(PHI)

            1966-67 ウィルト・チェンバレン③(PHI)

            1967-68 ウィルト・チェンバレン④(PHI)

            1968-69 ウェス・アンセルド(WAS)

            1969-70 ウィリス・リード(NYK)

            1970-71 ルー・アルシンダー(MIL)

            1971-72 カリーム・アブドゥル=ジャバー②(MIL)

            1972-73 デイブ・コーウェンス(BOS)

            1973-74 カリーム・アブドゥル=ジャバー③(MIL)

            1974-75 ボブ・マカドゥー(LAC)

            1975-76 カリーム・アブドゥル=ジャバー④(MIL)

            1976-77 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑤(MIL)

            1977-78 ビル・ウォルトン(POR)

            1978-79 モーゼス・マローン(HOU)

            1979-80 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑥(MIL)

            1980-81 ジュリアス・アービング(PHI)

            1981-82 モーゼス・マローン②(HOU)

            1982-83 モーゼス・マローン③(HOU)

            1983-84 ラリー・バード(BOS)

            1984-85 ラリー・バード②(BOS)

            1985-86 ラリー・バード③(BOS)

            1986-87 マジック・ジョンソン(LAL)

            1987-88 マイケル・ジョーダン(CHI)

            1988-89 マジック・ジョンソン②(LAL)

            1989-90 マジック・ジョンソン③(LAL)

            1990-91 マイケル・ジョーダン②(CHI)

            1991-92 マイケル・ジョーダン③(CHI)

            1992-93 チャールズ・バークレー()

            1993-94 アキーム・オラジュワン(HOU)

            1994-95 デビッド・ロビンソン(SAS)

            1995-96 マイケル・ジョーダン④(CHI)

            1996-97 カール・マローン(UTA)

            1997-98 マイケル・ジョーダン⑤(CHI)

            1998-99 カール・マローン②(UTA)

            1999-00 シャキール・オニール(LAL)

            2000-01 アレン・アイバーソン(PHI)

            2001-02 ティム・ダンカン(SAS)

            2002-03 ティム・ダンカン②(SAS)

            2003-04 ケビン・ガーネット(MIN)

            2004-05 スティーブ・ナッシュ()

            2005-06 スティーブ・ナッシュ②(PHO)

            2006-07 ダーク・ノヴィツキー(DAL)

            2007-08 コービー・ブライアント(LAL)

            2008-09 レブロン・ジェームズ(CLE)

            2009-10 レブロン・ジェームズ②(CLE)

            2010-11 デリック・ローズ(CHI)

            2011-12 レブロン・ジェームズ③(MIA)

            2012-13 レブロン・ジェームズ④(MIA)

            2013-14 ケビン・デュラント(OKC)

            2014-15 ステフィン・カリー(GSW)

            2015-16 ステフィン・カリー②(GSW)

            2016-17 ラッセル・ウェストブルック(OKC)

            2017-18 ジェームズ・ハーデン(HOU)

            2018-19 ヤニス・アデトクンボ(MIL)

            2019-20 ヤニス・アデトクンボ②(MIL)

            2020-21 ニコラ・ヨキッチ(DEN)

            2021-22 ニコラ・ヨキッチ②(DEN)

            2022-23 ジョエル・エンビード(PHI)

            カリーム・アブドゥル=ジャバー • エルジン・ベイラー • ウィルト・チェンバレン • ボブ・クージー • ジュリアス・アービング

            ジョン・ハブリチェック • ジョージ・マイカン • ボブ・ペティット • オスカー・ロバートソン • ビル・ラッセル • ジェリー・ウェスト

            カリーム・アブドゥル=ジャバー

            ネイト・アーチボルド

            ポール・アリジン

            チャールズ・バークレー

            リック・バリー

            エルジン・ベイラー

            デイブ・ビン

            ラリー・バード

            ウィルト・チェンバレン

            ボブ・クージー

            デイブ・コーウェンス

            ビリー・カニンガム

            デイブ・ディバッシャー

            クライド・ドレクスラー

            ジュリアス・アービング

            パトリック・ユーイング

            ウォルト・フレイジャー

            ジョージ・ガービン

            ハル・グリア

            ジョン・ハブリチェック

            エルヴィン・ヘイズ

            マジック・ジョンソン

            サム・ジョーンズ

            マイケル・ジョーダン

            ジェリー・ルーカス

            カール・マローン

            モーゼス・マローン

            ピート・マラビッチ

            ケビン・マクヘイル

            ジョージ・マイカン

            アール・モンロー

            アキーム・オラジュワン

            シャキール・オニール

            ロバート・パリッシュ

            ボブ・ペティット

            スコッティ・ピッペン

            ウィリス・リード

            オスカー・ロバートソン

            デビッド・ロビンソン

            ビル・ラッセル

            ドルフ・シェイズ

            ビル・シャーマン

            ジョン・ストックトン

            アイザイア・トーマス

            ネイト・サーモンド

            ウェス・アンセルド

            ビル・ウォルトン

            ジェリー・ウェスト

            レニー・ウィルケンズ

            ジェームズ・ウォージー

            カリーム・アブドゥル=ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar)

            レイ・アレン(Ray Allen)

            ヤニス・アデトクンボ(Giannis Antetokounmpo)

            カーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony)

            ネイト・アーチボルド(Nate Archibald)

            ポール・アリジン(Paul Arizin)

            チャールズ・バークレー(Charles Barkley)

            リック・バリー(Rick Barry)

            エルジン・ベイラー(Elgin Baylor)

            デイブ・ビン(Dave Bing)

            ラリー・バード(Larry Bird)

            コービー・ブライアント(Kobe Bryant)

            ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)

            ボブ・クージー(Bob Cousy)

            デイブ・コーウェンス(Dave Cowens)

            ビリー・カニンガム(Billy Cunningham)

            ステフィン・カリー(Stephen Curry)

            アンソニー・デイビス(Anthony Davis)

            デイブ・ディバッシャー(Dave Debusschere)

            クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler)

            ティム・ダンカン(Tim Duncan)

            ケビン・デュラント(Kevin Durant)

            ジュリアス・アービング(Julius Erving)

            パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)

            ウォルト・フレイジャー(Walt Frazier)

            ケビン・ガーネット(Kevin Garnett)

            ジョージ・ガービン(George Gervin)

            ハル・グリア(Hal Greer)

            ジェームズ・ハーデン(James Harden)

            ジョン・ハブリチェック(John Havlicek)

            エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes)

            アレン・アイバーソン(Allen Iverson)

            レブロン・ジェームズ(Lebron James)

            マジック・ジョンソン(Magic Johnson)

            サム・ジョーンズ(Sam Jones)

            マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)

            ジェイソン・キッド(Jason Kidd)

            カワイ・レナード(Kawhi Leonard)

            デイミアン・リラード(Damian Lillard)

            ジェリー・ルーカス(Jerry Lucas)

            モーゼス・マローン(Moses Malone)

            カール・マローン(Karl Malone)

            ピート・マラビッチ(Pete Maravich)

            ボブ・マカドゥー(Bob Mcadoo)

            ケビン・マクヘイル(Kevin Mchale)

            ジョージ・マイカン(George Mikan)

            レジー・ミラー(Reggie Miller)

            アール・モンロー(Earl Monroe)

            スティーブ・ナッシュ(Steve Nash)

            ダーク・ノヴィツキー(Dirk Nowitzki)

            シャキール・オニール(Shaquille O'Neal)

            アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon)

            ロバート・パリッシュ(Robert Parish)

            クリス・ポール(Chris Paul)

            ゲイリー・ペイトン(Gary Payton)

            ボブ・ペティット(Bob Pettit)

            ポール・ピアース(Paul Pierce)

            スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)

            ウィリス・リード(Willis Reed)

            オスカー・ロバートソン(Oscar Robertson)

            デビッド・ロビンソン(David Robinson)

            デニス・ロッドマン(Dennis Rodman)

            ビル・ラッセル(Bill Russell)

            ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes)

            ビル・シャーマン(Bill Sharman)

            ジョン・ストックトン(John Stockton)

            アイザイア・トーマス(Isiah Thomas)

            ネイト・サーモンド(Nate Thurmond)

            ウェス・アンセルド(Wes Unseld)

            ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)

            ビル・ウォルトン(Bill Walton)

            ジェリー・ウェスト(Jerry West)

            ラッセル・ウェストブルック(Russell Westbrook)

            レニー・ウィルケンズ(Lenny Wilkens)

            ドミニク・ウィルキンス(Dominique Wilkins)

            ジェームズ・ウォージー(James Worthy)

            マーヴィン・バーンズ

            リック・バリー

            ゼルモ・ビーティ

            ロン・ブーン

            ロジャー・ブラウン

            マック・カルヴィン

            ダレル・キャリア

            ビリー・カニンガム

            ルイー・ダンピアー

            メル・ダニエルズ

            ジュリアス・アービング

            ドニー・フリーマン

            ジョージ・ガービン

            アーティス・ギルモア

            コニー・ホーキンズ

            スペンサー・ヘイウッド

            ダン・イッセル

            ウォーレン・ジャバリ

            ジミー・ジョーンズ

            フレディ・ルイス

            モーリス・ルーカス

            モーゼス・マローン

            ジョージ・マクギニス

            ダグ・モー

            ボブ・ネトリッキー

            ビリー・ポールツ

            チャーリー・スコット

            ジェームズ・サイラス

            デイヴィッド・トンプソン

            ウィリー・ワイズ

            4 ラドナー

            5 ポールツ

            12 ゲイル

            14 テイラー

            15 シェイファー

            23 ウィリアムソン

            25 メルキオーニ

            32 アービング (プレーオフMVP)

            35 ケノン

            40 ソジャーナ

            44 オブライエン

            ヘッドコーチ ローアリー

            レギュラーシーズン

            プレーオフ

            11 ブッチ

            12 テリー

            14 テイラー

            21 バセット

            22 イーキンズ

            23 ウィリアムソン

            24 マクレーン

            25 メルキオーニ

            30 スキナー

            32 アービング (プレーオフMVP)

            33 ジョーンズ

            35 ヒューズ

            ヘッドコーチ ローアリー

            レギュラーシーズン

            プレーオフ

            2 モーゼス・マローン (ファイナルMVP) | 4 クリント・リチャードソン | 6 ジュリアス・アービング | 8 マーク・ヤヴァローニ | 10 モーリス・チークス | 14 フランクリン・エドワーズ | 22 アンドリュー・トニー | 24 ボビー・ジョーンズ | 25 アール・キュアトン | 31 マーク・マクナマラ | 33 レジー・リチャードソン | 45 クレモン・ジョンソン | コーチ:ビリー・カニンガム

            1974-75 ウェス・アンセルド(WAS)

            1975-76 スリック・ワッツ(SEA)

            1976-77 デイブ・ビン(WAS)

            1977-78 ボブ・レイニア(DET)

            1978-79 カルヴィン・マーフィー(HOU)

            1979-80 オースティン・カー(CLE)

            1980-81 マイク・グレン(NYK)

            1981-82 ケント・ベンソン(DET)

            1982-83 ジュリアス・アービング(PHI)

            1983-84 フランク・レイデン(UTA)

            1984-85 ダン・イッセル(DEN)

            1985-86 マイケル・クーパー(LAL)&ロリー・スパロウ(NYK)

            1986-87 アイザイア・トーマス(DET)

            1987-88 アレックス・イングリッシュ(DEN)

            1988-89 サール・ベイリー(UTA)

            1989-90 ドック・リバース(ATL)

            1990-91 ケビン・ジョンソン()

            1991-92 マジック・ジョンソン(LAL)

            1992-93 テリー・ポーター(POR)

            1993-94 ジョー・デュマース(DET)

            1994-95 ジョー・オトゥール(ATL)

            1995-96 クリス・ダドリー(POR)

            1996-97 P・J・ブラウン(MIA)

            1997-98 スティーブ・スミス(ATL)

            1998-99 ブライアン・グラント(POR)

            1999-00 ブラデ・ディバッツ(SAC)

            2000-01 ディケンベ・ムトンボ(PHI)

            2001-02 アロンゾ・モーニング(MIA)

            2002-03 デビッド・ロビンソン(SAS)

            2003-04 レジー・ミラー(IND)

            2004-05 エリック・スノウ(CLE)

            2005-06 ケビン・ガーネット(MIN)

            2006-07 スティーブ・ナッシュ()

            2007-08 チャウンシー・ビラップス(DET)

            2008-09 ディケンベ・ムトンボ②(HOU)

            2009-10 サミュエル・ダレンバート(PHI)

            2010-11 ロン・アーテスト(LAL)

            2011-12 パウ・ガソル(LAL)

            2012-13 ケネス・フェリード(DEN)

            2013-14 ルオル・デン(CLE)

            2014-15 ジョアキム・ノア(CHI)

            2015-16 ウェイン・エリントン(BKN)

            2016-17 レブロン・ジェームズ(CLE)

            2017-18 J・J・バレア(WAS)

            2018-19 デイミアン・リラード(DAL)

            2019-20 マルコム・ブログドン(IND)

            2020-21 受賞者なし

            FAST

            ISNI

            VIAF

            WorldCat

            スペイン

            アメリカ

            SNAC

            アトランタ・ホークス関連人物

            アフリカ系アメリカ人のキリスト教徒

            アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手

            アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手

            オーランド・マジック関連人物

            スモールフォワード

            全米カレッジバスケットボール殿堂入り

            ニューヨーク州出身のバスケットボール選手

            ニューヨーク州ナッソー郡出身の人物

            ニューヨーク・ネッツの選手

            ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂入り

            バージニア・スクワイアーズの選手

            フィラデルフィア・セブンティシクサーズの選手

            マサチューセッツ大学出身のバスケットボール選手

            ミルウォーキー・バックスのドラフト指名選手

            20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手

            21世紀のアフリカ系アメリカ人

            ABA選手

            NBA永久欠番保持者

            NBAオールスターゲーム選出選手

            NBAの解説者

            NCAA男子バスケットボールオールアメリカン選出選手

            1950年生

            存命人物

        2024/07/24 01:07更新

Julius Erving


ジュリアス=アービングと同じ誕生日2月22日生まれの人

河合 悠祐(かわい ゆうすけ)
1981年2月22日生まれの有名人 埼玉出身

河合 悠祐(かわい ゆうすけ、1981年〈昭和56年〉2月22日 - )は、日本の政治家、実業家。前埼玉県草加市議会議員。 京都市北区出身。京都市立紫野高等学校、京都大学総合人間学部卒業、同志社大学…

青山 敏弘(あおやま としひろ)
1986年2月22日生まれの有名人 岡山出身

青山 敏弘(あおやま としひろ、1986年2月22日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 2015年…

水沼 宏太(みずぬま こうた)
1990年2月22日生まれの有名人 東京出身

水沼 宏太(みずぬま こうた、1990年2月22日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜F・マリノス所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。 父…

鳥海 貴樹(とりうみ たかき)
1969年2月22日生まれの有名人 東京出身

鳥海 貴樹(とりうみ たかき、1969年2月22日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 歴史学者で東京大学名誉教授・鳥海靖の二男として東京都に生まれる。早稲田高校を経て上智大学卒業後、1992年…

渡辺 未優(わたなべ みゆ)
1991年2月22日生まれの有名人 岩手出身

渡辺 未優(わたなべ みゆ、1991年2月22日 - )は、岩手県出身のモデル、タレント。元グラビアアイドル。フリップアップ所属。 2005年4月、スカウトがきっかけで岩手発のアイドル・ユニット、L…

鈴木 早智子(すずき さちこ)
1969年2月22日生まれの有名人 東京出身

鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日 - )は、日本の歌手、タレント、女優。1988年から1996年まで活動した、相田翔子とのアイドルデュオ・Winkのメンバー。本名同じ。別名、東 智子…

庄司 ゆうこ(しょうじ ゆうこ)
1984年2月22日生まれの有名人 兵庫出身

庄司 ゆうこ(しょうじ ゆうこ、本名:庄司 祐子(読みは同じ)、1984年2月22日 - )は、兵庫県神戸市出身の実業家、タレント、女優、元グラビアアイドルである。 株式会社ポジティブスターヨガ代表取…

高野 麻里佳(こうの まりか)
1994年2月22日生まれの有名人 東京出身

高野 麻里佳(こうの まりか、1994年2月22日 - )は、日本の女性声優、歌手。東京都出身。青二プロダクション所属。 声優ユニット・イヤホンズのメンバー。イヤホンズとしての所属レーベルはEVIL…

倭 早希(やまと さき)
1993年2月22日生まれの有名人 広島出身

倭 早希(やまと さき、1993年2月22日 - )は、日本のモデル、グラビアアイドル。広島県出身。アービングに所属。 広島市にて誕生し、安田女子中学校・高等学校、横浜国立大学教育学部を卒業した。中…

永松 恵子(ながまつ けいこ)
1976年2月22日生まれの有名人 東京出身

永松 恵子(ながまつ けいこ、1976年2月22日 - ) は、東京都出身の元グラビアアイドル。 「イヤイヤ娘」や「ドカンとカワィータケ」のメンバーとしてCDもリリースした。 かつての所属事務所は「ホ…

池永 亜美(いけなが あみ)
1986年2月22日生まれの有名人 大分出身

池永 亜美(いけなが あみ、1986年2月22日 - )は、日本の女優、声優。クアックラック所属。以前はゾーン、バイ・ザ・ウェイ、アミュレート、MAXSTARに所属していた。大分県日田市出身。 19…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


ジュリアス=アービングと近い名前の人

ルドルフ=クラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius)
1822年1月2日生まれの有名人 出身

ルドルフ・ユリウス・エマヌエル・クラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius, 1822年1月2日 - 1888年8月24日)は、ドイツの理論物理学者。熱力学第一法則・…

ユリウス=ステックハルト(Julius Adolph Stockhardt)
1809年1月4日生まれの有名人 出身

1月4日生まれwiki情報なし(2024/07/22 05:12時点)

ジュリア=オーモンド(Julia Ormond)
1965年1月4日生まれの有名人 出身

ジュリア・オーモンド(Julia Ormond, 本名: Julia Karin Ormond, 1965年1月4日 - )は、イギリスの女優。 サリー州エプソムの出身。ロンドンのWebber Do…

フリエタ=セラーノ(Julieta Serrano)
1933年1月21日生まれの有名人 出身

1月21日生まれwiki情報なし(2024/07/27 14:49時点)

エフレム=ジンバリスト=ジュニア(Efrem Zimbalist,Jr.)
1918年11月30日生まれの有名人 出身

エフレム・ジンバリスト・ジュニア(Efrem Zimbalist, Jr.、1918年11月30日 - 2014年5月2日)は、アメリカ合衆国の俳優・声優。 ニューヨーク生まれ。父エフレム・ジンバリ…

薮下 柊(やぶした しゅう)
【NMB48】
1998年12月2日生まれの有名人 大阪出身

薮下 柊(やぶした しゅう、1998年〈平成10年〉12月2日 - )は、日本のインフルエンサーでInstagramクリエーター。女性アイドルグループ・NMB48の元メンバー。愛称は、しゅう。大阪府出…

松井 珠理奈(まつい じゅりな)
【AKB48】
1997年3月8日生まれの有名人 愛知出身

松井 珠理奈(まつい じゅりな、1997年〈平成9年〉3月8日 - )は、日本のタレント、アイドルであり、女性アイドルグループ・SKE48および派生ユニット・ラブ・クレッシェンドの元メンバーである。A…

甲斐田 樹里(かいだ じゅり)
1988年5月19日生まれの有名人 東京出身

甲斐田 樹里(かいだ じゅり、1988年〈昭和63年〉5月19日 - )は、日本の歌手、タレント。女性アイドルグループ・SDN48の元メンバーで、ダンス&ボーカルユニット・7cm(ナナセンチ)…

市川 美織(いちかわ みおり)
【NMB48】
1994年2月12日生まれの有名人 埼玉出身

市川 美織(いちかわ みおり、1994年〈平成6年〉2月12日 - )は、日本のタレント、女優、歌手。レトロポップユニット・FANCYLABOのメンバー。女性アイドルグループ・NMB48およびAKB4…

有吉 ジュン(ありよし じゅん)
1957年7月7日生まれの有名人 大阪出身

有吉 ジュン(ありよし ジュン、1957年7月7日 - )は、主に1970年代後半期に活動した日本の元歌手、元タレント。大阪府出身。本名は池内 祥子。所属していた芸能事務所は「エイプリル・ミュージック…

雨宮 留菜(あめみや るな)
1993年7月14日生まれの有名人 大阪出身

雨宮 留菜(あめみや るな、[本名:雨宮 瑠奈]1993年7月14日 - )は、日本のグラビアアイドル、コスプレイヤー。大阪府出身。所属事務所はIMS Entertainment。 Tバック、マイク…

阿部 純子(あべ じゅんこ)
1993年5月7日生まれの有名人 大阪出身

阿部 純子(あべ じゅんこ、1993年〈平成5年〉5月7日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。本名同じ。旧芸名は吉永 淳(よしなが じゅん)。 大阪府出身。アミューズ所属。かつてはディスカバ…

宗田 淑(むねだ しゅく)
1994年7月1日生まれの有名人 東京出身

宗田 淑(むねだ しゅく、1994年7月1日 - )は日本の女性ファッションモデル、タレント、女優である。 東京都出身。オスカープロモーション所属。 小学4年生の頃、現事務所に入り芸能活動を始めた…

高橋 メアリージュン(たかはし めありーじゅん)
1987年11月8日生まれの有名人 滋賀出身

高橋 メアリージュン(たかはし メアリージュン、Maryjun Takahashi、1987年〈昭和62年〉11月8日 - )は、日本のファッションモデル、女優。父は日本人、母はフィリピン人。滋賀県大…

黛 ジュン(まゆずみ じゅん)
1948年5月26日生まれの有名人 東京出身

黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊 順子(わたなべ じゅんこ)、1948年5月26日 - )は、日本の歌手、女優。東京都調布市出身。 1960年代後半を中心に、独特のパンチの効いた魅力的な歌声…

風吹 ジュン(ふぶき じゅん)
1952年5月12日生まれの有名人 富山出身

風吹 ジュン(ふぶき ジュン、1952年5月12日 - )は、日本のアイドル、歌手、女優。本名:堀川麗子。 富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ、富山県高岡市(小学生から中学2年まで)と京都…

服部 ジュン(はっとり じゅん)
1978年9月11日生まれの有名人 東京出身

服部 ジュン(はっとり じゅん、1978年9月11日 - )は、日本の元女優。東京都出身。 1978年9月11日生まれ。出身地は東京都。 1985年に劇団東俳に入団し、所属していた。 舞台『毛剃九…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
ジュリアス=アービング
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞

グループ

フェアリーズ A.B.C-Z BABYMETAL まなみのりさ D☆DATE X21 カスタマイZ HEADS FLAME 猿岩石 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ジュリアス=アービング」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました