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トム=ブレイディの情報 (ThomasEdward“Tom”Brady)
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【6月14日】今日誕生日の芸能人・有名人

トム=ブレイディの情報(ThomasEdward“Tom”Brady) アメリカンフットボール 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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トム=ブレイディさんについて調べます

■名前・氏名
トム=ブレイディ
(読み:Thomas Edward “Tom” Brady)
■職業
アメリカンフットボール
■トム=ブレイディの誕生日・生年月日
1977年8月3日 (年齢46歳)
巳年(へび年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和52年)1977年生まれの人の年齢早見表

トム=ブレイディと同じ1977年生まれの有名人・芸能人

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トム=ブレイディと同じ出身地の人


トム=ブレイディの情報まとめ

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トム=ブレイディ(Thomas Edward “Tom” Brady)さんの誕生日は1977年8月3日です。

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特徴、ライバルなどについてまとめました。姉妹、卒業、引退、事故、離婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。トム=ブレイディの現在の年齢は46歳のようです。

トム=ブレイディのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

2007, 2010, 2017

2× NFL最優秀攻撃選手賞 (2007, 2010)

カムバック賞(2009)

4× NFLシーズン最多パス獲得ヤード (2005, 2007, 2017, 2021)

5× NFLシーズン最多パッシングTD (2002・2007・2010・2015・2021)

2× NFLシーズン最優秀レーティング (2007, 2010)

バート・ベル賞 (2007)

2× スポーツ・イラストレイテッド スポーツパーソン・オブ・ザ・イヤー (2005, 2011)

NFL2000年代オールディケードチーム

NFL2010年代オールディケードチーム

NFL100周年記念チーム

CFPナショナルチャンピオン(1997)

トーマス・エドワード・パトリック・ブレイディ・ジュニア(Thomas Edward Patrick Brady Jr., 1977年8月3日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンマテオ出身の元プロアメリカンフットボール選手。ポジションはクォーターバック。

2000年シーズンから2019年シーズンまでNFLのニューイングランド・ペイトリオッツ、、その後はタンパベイ・バッカニアーズでプレーした。愛称はトム・トリフィック、TB12。NFLを代表する選手の一人であり、マイケル・ジョーダンなどを上回るアメリカ史上最も偉大なアスリートと評される。

2000年のNFLドラフトにて、6巡全体199位でペイトリオッツから指名を受けプロ入りを果たすと、2年目から先発QBに定着し、同年にチームを球団史上初のスーパーボウル制覇に導いた。以降2021年シーズンまで負け越したシーズンは一度もなく、いずれもQBとしてリーグ史上最多となる18度の地区優勝、14度のカンファレンスチャンピオンシップ進出と10度のカンファレンス制覇、さらには同ポジションでそれぞれ歴代最多となる7度のスーパーボウル制覇と5度のスーパーボウルMVP獲得を達成している。このほか14度のプロボウル、3度のNFL MVPと2度のリーグ最優秀攻撃選手に選出された。リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞は、ブレイディと彼の幼少期のアイドルであったジョー・モンタナの二人しか達成していない快挙である。

彼のプロ入りと同年にペイトリオッツのヘッドコーチ(HC)に就任したビル・ベリチックと共に、2000年代のNFL界に"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)と呼ばれる一時代を築き上げた。プレーオフ並びにスーパーボウルでの勝利数やTDパス・獲得ヤード数、連勝記録など、様々なNFL記録を保持しており、ジョー・モンタナや長年のライバル関係にあったペイトン・マニングらと共に、NFL史上最高のQBの一人と評されている。

2019年のYou Govの調査では全米認知度88%を記録。

サンフランシスコにほど近いカリフォルニア州サンマテオで生まれる。幼い頃からサンフランシスコ・49ersのファンで、モンタナは彼のアイドルだった。4歳の時には、かの有名な「ザ・キャッチ」をスタジアムで目撃している。

サンマテオと姉妹都市である大阪府豊中市との少年野球団同士の交流の一環で来日し、数週間日本の家庭で過ごしたことがある。

出身高校は地元サンマテオのジュニペロ・セラ高校で、同校はNFLの殿堂入りワイドレシーバー(WR)であるリン・スワンや野球選手のバリー・ボンズなど多くのスポーツ選手が輩出している。高校時代までは野球もプレーしており、 1995年のMLBドラフト18巡目(全体507位)でモントリオール・エクスポズから捕手として指名されるなど、当時はフットボール選手としてよりは野球選手として知られていた。フットボールを始めたのは高校1年生からで、この時は0勝8敗1分けのチームで控えQBを務めた。先発QBを務めていた選手がバスケットボールに専念するためにチームを離れたことで、2年目からは先発QBとして定着する。初めての先発試合では、試合時間残り2分から5点差をひっくり返す決勝TDドライブを決めてチームに逆転勝利をもたらすなど、2シーズンで11勝9敗の成績をおさめた。

1996年にミシガン大学に入学する。チームには後のプロボウルQBであるブライアン・グリーシーなどが在籍しており、ブレイディは当初7番手QBだった。グリーシーに率いられたチームは1997年に無敗シーズンをおくり、ローズボウルを制覇して全米チャンピオンに輝いた。先発QBを務めたかったブレイディにとって、最初の2年間は苦しい時期だった。グリーシーが卒業した後の3年目のシーズンは、ブレイディにとってようやく先発QBの座を得られるであろう待望のシーズンだったが、チームは後にMLBのニューヨーク・ヤンキースやNFLのダラス・カウボーイズでプレーすることとなる大物新人ドリュー・ヘンソンに大きな期待をかけていた。このような不遇の時期を過ごしていたこともあり、ブレイディは度々転校も考えたが、チームのアスレティック・ディレクターを務めるグレッグ・ヘイデン(オリンピックの金メダリストであるマイケル・フェルプスなど、数多くのアスリートの心理サポートを行ったことで有名)の助けも借りながら、無事この年の先発QBの座を射止める。しかし4年目には再びヘンソンとのポジション争いが熾烈となり、チームはブレイディを先発QBとして起用しながらも、第2Qにはヘンソンに交代し、その上で後半にどちらを起用するかを決定するという併用策を用いた。そんな状況下でミシガン大は開幕5連勝の好スタートを切るが、迎えた第6週、ライバルであるミシガン州立大学との一戦で、チームは17点のビハインドを負う。この日はヘンソンが後半のQBとして起用されていたが、ヘッドコーチのロイド・カーはブレイディを再起用し、最終的に敗れたものの、31-34の接戦にまで持ち込んだ。ブレイディは翌週の試合でもパス獲得300ヤード超えのパフォーマンスを見せ、QBのポジション争いに終止符を打った。以降すべての試合でフルタイムのQBを務めると、ペンシルベニア州立大学戦を筆頭に度重なる逆転勝利を演出し、一部から「カムバック・キッド」と呼ばれるようになった。大学でのキャリア最終戦となったオレンジボウルではアラバマ大学と対戦し、14点のビハインドを2度乗り越えた末、オーバータイムにもつれた激戦を35-34で制した。ブレイディは369ヤード・4TDを投じる活躍でチームの勝利に貢献した。

ブレイディは大学最後の2年間を先発QBとして過ごし、25試合で20勝をあげた。ミシガン大学でのブレイディの通算成績は、パス試投711回中443回成功・5,351ヤード・35TDというものだった。

こうして最後の2年間は上々のシーズンを送ったブレイディであったが、2000年のNFLドラフトでは高い評価を得ることができなかった。あるレポートでは「貧相な体格で、細く痩せこけており、機動力とラッシュをかわす能力を欠いていて、強肩でもない」と評価されていた。彼に興味を示してミシガン大のHCロイド・カーの元に電話をかけたのは、ペイトリオッツのたった1チームだけだった。カーは電話越しに、「ボビー(ペイトリオッツの人事を担当していたボビー・グリア)、ブレイディを指名して後悔することは決してないだろう」と伝えた。指名が遅れた理由としては、スカウティング・コンバインでの低調なパフォーマンスとアスリートらしからぬ貧相な体型が挙げられる。また多くのプロ関係者は、3年目に先発に定着しながら、一時的とはいえ4年目にブレイディがヘンソンと併用で起用されることになった事実を懐疑的に見ていた。ブレイディの憧れのチームであった49ersは、この年にQBの指名を狙っていたチームの一つであったが、当時のHCスティーブ・マリウチは「我々はトムのことを全て知っていた」としながらも、「ウエイトルームじゃ見かけられないような」体型と40ヤード走での5.2秒という低調な記録を指摘し、さらに「彼のパスが我々を驚嘆させたか?そんなことはなかった。まさにシュートするようなパスを投げる選手は他にいたが、彼はむしろ『まずまず』といった具合だった。ミシガンのコーチたちが机の上に立って『これはジョー・モンタナ以来の最高傑作だ』と言ったと思うかい?ノーだ。かすりもしないよ。だから彼らもブレイディとドリュー・ヘンソンを併用したのさ」と続けた。チームは3巡目でジオバーニ・カルマージを指名したが、レギュラーシーズンで一度もパスを投げることなくリーグを去った。のちにブレイディは、自身が大ファンであった49ersがカルマージを指名した時のことを「発狂ものだったよ」と回顧している。

最終的にドラフト6巡目でブレイディを指名することとなったペイトリオッツは、この年からQBコーチを務めていたディック・レイバインが、ブレイディを「チームのシステムに最もフィットするQB」と高く評価していた。ブレイディのスカウトを担当したレイバインは彼の妻に、新たなジョー・モンタナやブレッド・ファーブを見つけた、と語り、「20年後、トム・ブレイディの名は知れ渡っていることだろう」と続けた。しかし、チームはスーパーボウル出場経験もあるエースQBドリュー・ブレッドソーを含め3人のQBを抱えており、同ポジションのニーズの低さから指名を見送っていた。またHCのベリチックは、ミシガン大が先発QBの座をブレイディからヘンソンに明け渡そうとした事実を慎重に見ていた。当時のGMだったスコット・ピオリによると、チームは3巡目からブレイディの指名について話し出したという。しかし上記のような理由からその後も指名を見送り続けた。オーナーのロバート・クラフトによると、5巡目に入ったとき、ベリチックは「ワオ。まだブレイディが残っているのか」と漏らしたという。そしてドラフト6巡・全体199番目の指名権にて、ペイトリオッツはようやくブレイディを選択した。ブレイディの前には、後のプロボウルQBであるチャド・ペニントン、マーク・バルジャーなど合わせて6人のQBが指名されていた。2011年にESPNは、ブレイディとブレイディの前に指名された6人のQB達の人生を追った"The Brady 6"というドキュメンタリーを作成した。ドラフト当時を回顧したブレイディは、指名が遅れた悔しさや長年支えてくれた両親への思いなどから涙を浮かべた。ドラフトされた瞬間については「最高に興奮したよ。『これで保険会社のセールスマンにならなくてすむんだ!俺は指名されたよ、ありがとう神様!』ってね」と振り返っている。

以降の活躍も相まって、ブレイディはNFLドラフト史上最高の掘り出し物だと評する声が多い。

ブレイディはドラフト指名を受け、ニューイングランド・ペイトリオッツに入団した。チームのオーナーであるロバート・クラフト に初めて名前を呼ばれたときには、誤って「カイル」と呼ばれた(オーナーがタイトエンド(TE)カイル・ブレイディと混同したため)。ブレイディは「ミスター・クラフト、僕を指名したことは今まであなたの組織が下してきた中で最高の決断です」と真剣に語った。

ペイトリオッツではチームの顔でもあるブレッドソーが先発QBを務めており、チームにはブレイディを含め4人のQBがいた。ルーキーのブレイディは最初のトレーニングキャンプを4番手QBの待遇で過ごし、レギュラーシーズンでは敗戦濃厚になったデトロイト・ライオンズ戦でプロ初出場を果たしたが、同シーズンの出場はこの試合だけであった。ブレイディのプロ一年目はパス3回中1回成功6ヤードTDなし、4人のQBの中で最も少ない出場に終わった。ある日ブレイディはQBコーチが置き忘れたノートブックを好奇心からめくってみると、そこには「反応が遅い」などといった厳しい評価が記されており、「彼は全てにおいてスピードを上げる必要がある」と指摘されていた。

チームはオフにブレッドソーと10年1億300万ドルという大型契約を結んだ。またブレッドソーの控えとして、ダン・マリーノのバックアップを務めた経験もあるデーモン・ヒュアードを獲得したが、QBコーチのレイバインはブレイディの成長を高く評価した。しかし同年の8月、そのレイバインが心臓発作のため帰らぬ人となった。当時チームはトレーニングキャンプの最中だったため、HCのベリチックとオフェンシブ・コーディネイター(OC)のチャーリー・ワイスが分担でQBコーチの役割を引き継いだ。ベリチックはブレイディのキャンプでのパフォーマンスを高く評価し、彼をブレッドソーに次ぐ2番手QBに指名する。また、プレシーズンで3試合に出場したブレイディのパフォーマンスは、ブレッドソー以上のものだったとも語っている。しかしOCのワイスは、あくまでチームのナンバー1はブレッドソーであり、控えQBに関しても、「コインを投げて裏表で決めてもよかった」ほどブレイディとヒュアードの差は僅かであったと回顧している。

迎えた9月23日、シーズン第2週のニューヨーク・ジェッツ戦で大きな転機が訪れる。10-3と7点差を追う第4Q、エースQBブレッドソーがモー・ルイスのハードタックルで胸部内出血の重傷を負い、代わりにバックアッパーであったブレイディが出場した。試合には敗れたが、この出来事は前述のペイトリオッツ王朝の始まりとして語られることがある。チームは既に引退していたジム・ハーボーを復帰させようとするなど数名のベテランQBの獲得を考えたものの、最終的にはQBを獲得することはなかった。こうしてブレイディは第3週でプロ初の先発出場を果たすと、後のライバルとなるペイトン・マニング率いるインディアナポリス・コルツを44-13で破ってキャリア初勝利をあげた。第5週のサンディエゴ・チャージャーズ戦ではキャリア初のTDパスを通すなどしてチームを逆転勝利に導き、第6週ではコルツを相手に3TD・QBレイティング148.3と自身最高のパフォーマンスを見せチームの勝利に貢献した。第15週のマイアミ・ドルフィンズ戦では、トリックプレーで23ヤードのパスレシーブも記録している。ブレッドソーが負傷から復帰してからも先発を任される事となったブレイディは、シーズンでパス2,843ヤード18TD・QBレイティング86.5を記録し、先発一年目でプロボウルに選出された。ブレイディの活躍やHCベリチックの指揮するディフェンス陣の奮闘もあり、チームは11勝5敗で地区優勝を果たすと共に、第2シードでプレーオフに進出した。

ホームのフォックスボロ・スタジアムで行われたディビジョナル・プレーオフでは、豪雪の中オークランド・レイダースと対戦した。ブレイディは試合前半にインターセプト(INT)を喫するなど苦戦し、チームも第4Qまで13-3とリードを許すが、その後ブレイディのTDランで追い上げる。3点を追う試合時間残り2分6秒からのドライブでは、疑惑の判定をはさみながらもFG圏内まで進入すると、キッカー(K)アダム・ビナティエリが45ヤードのフィールド・ゴール(FG)を決め、試合はオーバータイムへ突入する。先にレシーブ権を得たペイトリオッツは、敵陣28ヤード地点での4thダウンギャンブルを成功させるなどしてドライブを進めると、最後は再びビナティエリがFGを決めて16-13でレイダースを撃破した。この試合はタック・ルール・ゲームと呼ばれ、ブレイディとペイトリオッツの運命を大きく左右した試合として知られており、第4Q終盤での疑惑の判定は大きな波紋を呼んだ。AFC第1シードのピッツバーグ・スティーラーズと対戦したAFCチャンピオンシップゲームでは、ブレイディが第2Q途中に負傷するアクシデントに見舞われるも、引き継いだブレッドソーがTDパスを投じるなどして代役を果たした。チームはスペシャルチーム(ST)の活躍もあって試合を優位に進め、24-17でスティーラーズを破り、球団史上3度目となるスーパーボウル出場を果たした。

迎えた第36回スーパーボウルでは、1999年・2001年シーズンのリーグMVPであるQBカート・ワーナーや2000年シーズンのリーグMVPであるマーシャル・フォークなどを擁し、当時「芝の上で行われる最高のショー」("The Greatest Show on Turf")と称されたリーグ屈指のオフェンスを誇るセントルイス・ラムズと対戦した。チームはコーナーバック(CB)タイ・ローのINTでこの試合はじめてのTDを奪うと、第2Q終盤にはブレイディがWRデイビッド・パッテンへTDパスを決め、圧倒的不利と言われていた前評判を覆し、一時はペイトリオッツが17-3で試合をリードした。しかし第4Qにラムズが猛追を見せ、試合時間残り1分21秒というところでスコアは17-17の同点となった。試合はスーパーボウル史上初のオーバータイムにもつれるかと思われたが、ブレイディはタイムアウトを使いきった自陣15ヤードからの攻撃をWRトロイ・ブラウンへのパスなどで敵陣31ヤードまで進め、最後はビナティエリの決勝FGでタイムアップとなる劇的なゲーム・ウイニング・ドライブを決めた。

スーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは、QBとしてNFL史上最も若い(全てのポジションを含めればマーカス・アレン、リン・スワンに次いで3番目に若い)スーパーボウルMVPに輝いた。また24歳でのスーパーボウル制覇は当時のスーパーボウル優勝QB最年少記録であった。NFL史上に残る番狂わせに貢献したブレイディは、以後NFLのスターダムを駆け上がっていく。

ブレッドソーが同地区のバッファロー・ビルズへと去り、名実ともにペイトリオッツのエースQBとなったブレイディだったが、チームは序盤から中盤にかけて4連敗を喫するなど、この年はレギュラーシーズンを9勝7敗で終えた。AFC東地区は3チームが9勝7敗で並んだが、同地区内の対戦成績の結果、ジェッツがプレーオフに進出した。ブレイディはリーグ1位の28TDパスを記録したが、QBレイティング85.7、9勝7敗という成績は2017年終了時点でキャリア最低の数字で、開幕戦の怪我でシーズンを棒に振った08年を除けば、これがブレイディがプレーオフを逃した唯一のシーズンである。肩に怪我を抱えるなど苦しんだ一年であったが、第10週のシカゴ・ベアーズ戦や最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦では劇的な逆転勝利を演出し、チームを最後までプレーオフ争いに導いた。ブレイディはこのシーズン以降数年間に渡り、毎週チームのインジュアリー・レポートに「右肩の怪我」で登録されていたが、この怪我を理由に公式戦を欠場したことは一度もない。

第1週のバッファロー・ビルズ戦でブレイディはキャリアワーストの4INTを投じ、チームは31-0で完敗を喫した。第4週でも敗れ2勝2敗とスタートに失敗し、主力の放出と相俟ってHCベリチックに対する批判の声も上がった。しかしその後チームは快進撃をはじめ、第5週からレギュラーシーズン終了まで12連勝を果たした。ブレイディはパス3,620ヤード・23TD・レイティング85.9の活躍をおさめ、チームは14勝2敗で2年ぶりの地区優勝を果たした。ブレイディはMVP投票においてダブル受賞したスティーブ・マクネアとペイトン・マニングに次ぐ票を獲得し、プレーオフではその二人が所属するテネシー・タイタンズとインディアナポリス・コルツをそれぞれ破って3年間で2度目のスーパーボウル進出を決めた。

カロライナ・パンサーズとの対戦となった第38回スーパーボウルでは、29-29の同点で迎えた試合時間残り1分8秒から、最後はビナティエリの41ヤード決勝FGにつながるウイニング・ドライブを完成させ、チームを勝利に導いた。ブレイディは当時のスーパーボウル新記録となる32回のパス成功を含む354ヤード・3TDを投じる活躍を見せ、自身2度目となるスーパーボウル制覇と同大会MVP受賞を成し遂げた。スーパーボウルMVPの複数回受賞はジョー・モンタナ(3回)、テリー・ブラッドショー(2回)、バート・スター(2回)と並んで、NFL史上4人目の快挙となった。

開幕から第8週でスティーラーズに敗れるまで6連勝を果たし、NFL記録となる21連勝(プレーオフを含む)を達成した。ブレイディはパス3,692ヤード・28TD・レイティング92.6を記録する活躍で、2001年シーズン以来2度目のプロボウルに選出された。チームは14勝2敗で2年連続の地区優勝を果たし、第2シードでプレーオフに進出した。初戦のディビジョナル・プレーオフでは、この年リーグ最多得点を記録したマニング率いるコルツをわずか3点に抑えて完勝(20-3)すると、続くAFCチャンピオンシップゲームではレギュラーシーズンで連勝記録を止められたスティーラーズと再戦し、チームは守備陣がスティーラーズの大物新人QBベン・ロスリスバーガーから3つのINTを奪うと、ブレイディがQBレイティング130.5を記録する活躍を見せ、この年リーグ最少失点を記録したスティーラーズから41点を奪う圧勝(41-27)をおさめた。

フィラデルフィア・イーグルスとの対戦となった第39回スーパーボウルでは、同大会史上初となる同点での第4Qを迎える(14-14)が、そこからペイトリオッツが10点のリードを奪うと、最後はイーグルスの反撃をしのぎきって24-21で勝利をおさめた。MVPはスーパーボウル史上最多タイ(当時)となる11キャッチを記録したWRディオン・ブランチが受賞したが、ブレイディは236ヤード・2TDを投じ、MVPを受賞した過去2回のスーパーボウルよりも高いQBレイティングを記録した。

ブレイディはテリー・ブラッドショー、ジョー・モンタナ、トロイ・エイクマンに次いで、スーパーボウルを3度制覇したNFL史上4人目(4人中最年少)のQBとなった。なお、キャリア最初の5年間で3度のリーグ制覇を成し遂げたQBはNFL史上ブレイディただ一人である。スーパーボウル連覇の偉業に加え、プレーオフ無敗のまま4年で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは、"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)の象徴としてNFLに一時代を築き上げた。

オフシーズンに3度のリーグ制覇を支えたオフェンシブ・コーディネーター(OC)チャーリー・ワイス、ディフェンシブ・コーディネーター(DC)ロネオ・クレネルの両コーチがチームを去った。マット・ライトやロドニー・ハリソン、タイローン・プールなど主力の怪我人の続出やディフェンスの不振などに苦しんだチームの中で、ブレイディ自身もスポーツヘルニアの痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが、パス4,110ヤード・26TD・レイティング92.3と、これまでで自己最高クラスの成績を記録し、キャリア3度目のプロボウル選出を果たした。加えて、AP通信によるオールプロ・チームのセカンド・チームにも選出された。チームは10勝6敗で3年連続の地区優勝を果たし、ワイルドカード・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズに28-3で完勝をおさめ、NFL新記録となるポストシーズン10連勝を成し遂げた。

第39回スーパーボウルMVPのディオン・ブランチと球団記録(当時)となるポストシーズン通算7TDパスキャッチを記録したデイビッド・ギブンズの両先発WRがチームを去り、ベテランのトロイ・ブラウンと新加入のリシェ・コールドウェルを除けば、NFLでの総キャッチ数が全選手あわせて6回というレシーバー陣でトレーングキャンプを迎えた。WR陣は最も多い選手でわずか4TDキャッチと軒並み低い成績に終わるも、チームは昨シーズン不調だったディフェンスが調子を取り戻し、ブレイディはパス3,529ヤード・24TD・QBレイティング87.9の活躍でオフェンスを引っ張った。チームは12勝4敗で地区優勝を決めプレーオフ進出を果たした。

ワイルドカード・プレーオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、続くディビジョナル・プレーオフでは、この年MVPを獲得したRBラダニアン・トムリンソンを擁する第1シードのサンディエゴ・チャージャーズを、24-21の逆転勝利で破った。しかしAFCチャンピオンシップゲームでは、前半に大きくリードしながらも逆転でインディアナポリス・コルツに敗れ、スーパーボウル進出はならなかった。スーパーボウルや大学時代のボウルゲームを含め、タイトルゲームで敗れたのはキャリア初のことであった。シーズンを通してブレイディは4人の選手にそれぞれ40回以上のパスを通し、24個のタッチダウンパスを11人に投げ分けてタレント不足のチームをチャンピオンシップゲームにまで導いたが、この試合ではコールドウェルが二度に渡って手痛い落球を犯してしまうなど、限界を見せつけられる形となった。なお、QBフィリップ・リバースが足首の怪我で辞退した為、繰り上げでのプロボウル選出を打診されたが、これを断っている(代わりにビンス・ヤングが選出された)。

オフにランディ・モス、ウェス・ウェルカー、ダンテ・ストールワースといった新たなWRがチームに加入した。多彩なレシーバー陣を手に入たブレイディはOCジョシュ・マクダニエルズと共に、レシーバーをフィールド全体に大きく広げるスプレッド・オフェンスを展開した。パサーとしての能力を最大限に発揮したブレイディは、ペイトリオッツと共にNFL史上に残る歴史的なシーズンを送った。

開幕から全試合で34点以上を記録して5連勝をおさめると、先発QBとしてレギュラーシーズン通算100試合目となった第6週のダラス・カウボーイズ戦では、当時のキャリアハイとなる5TDパスを決める活躍で48-27の勝利に貢献した。これはブレイディにとってキャリア76勝目(レギュラーシーズンのみ)となり、先発QBとして最初の100試合で76勝という成績はカウボーイズのレジェンド、ロジャー・ストーバックと並ぶNFL記録となった。第7週のマイアミ・ドルフィンズ戦ではキャリアハイを更新する6TDパスを記録し、チームの勝利(49-28)に貢献した。ブレイディはパス25回中21回成功・354ヤードに加え、自身初となるQBレイティング満点(158.3)を記録した。6TDパス、QBレイティング満点はいずれもペイトリオッツの球団記録となった。第8週ではワシントン・レッドスキンズを52-7で破り、開幕8連勝をおさめた。ブレイディは早くもキャリアハイを更新するシーズン30TDパスを記録し、ここまで1試合平均41得点という爆発的なオフェンスを指揮した。第9週では同じく無敗のインディアナポリス・コルツを24-20の逆転で破り全勝対決を制した。ブレイディはこの試合でも3つのTDパスを決め、ペイトン・マニングの持つ8試合連続3TDパス(もしくはそれ以上)の記録を塗り替えた。またベイブ・パリが保持していたシーズン最多TDパスのチーム記録(31)も塗り替えた。

第11週はバッファロー・ビルズを56-10で破り、5TDパスを決めたブレイディはキャリア通算TDパスを185として、スティーブ・グローガンが持つフランチャイズ記録(182)を塗り替えた。第12週ではフィラデルフィア・イーグルスを31-28で破ったが、ブレイディは1TDパスに終わり、3TDパス以上の連続試合記録は10で止まった。第13週のボルチモア・レイブンズ戦では、相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しむなど第4Q途中で7点のリードを許すが、試合時間残り55秒でジャバー・ギャフニーへの逆転TDパスを通し、27-24で勝利をおさめた。ブレイディはシーズン40TDパス以上を記録したNFL史上4人目のQBとなった。第14週のピッツバーグ・スティーラーズ戦では4TDパスを決めて31-13の勝利に貢献し、リーグ最速でプレーオフ進出を決めた。ブレイディはキャリア2度目となるシーズン4,000ヤード越えを達成し、このシーズンの通算TDパスを史上歴代3位(当時)の45とした。また、この試合は3TDパス(もしくはそれ以上)を記録したシーズン11度目の試合となり、ダン・マリーノが1984年シーズンに樹立したNFL記録を塗り替えた。第15週のニューヨーク・ジェッツ戦は悪天候もあり、このシーズン唯一TDパスを記録出来なかった試合となったが、ブレイディはQBとしてNFL史上4番目に長い記録となる108試合連続先発出場を達成した。第16週ではマイアミ・ドルフィンズを28-7で破り、レギュラーシーズン全勝に王手をかけた。ブレイディのこの日3つ目のTDパスはチーム全体でシーズン71個目のTDとなり、1984年シーズンのドルフィンズが保持していた当時のNFL記録(70)を塗り替えた。第17週はレギュラーシーズン全勝をかけてニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。第2QにブレイディからモスへのTDパスが決まり、モスはジェリー・ライスの持つシーズン最多TDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングの持つシーズン最多TDパス49に並んだが、直後のリターンでTDを奪われるなど、一時は12点のリードを許す苦しい展開となる。しかし、第4Qにブレイディがモスに65ヤードのTDパスを通して逆転し、ブレイディはシーズン最多記録となる50TDパス(2013年にペイトン・マニングが塗り替える)、モスはシーズン最多記録となる23TDレシーブを同じプレーで達成する快挙を成し遂げた。その後は逃げ切って38-35で勝利をおさめ、シーズンが16試合制になってから史上初のレギュラーシーズン全勝を達成した。

初戦のディビジョナル・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズと対戦し、ブレイディはポストシーズンのNFL記録となるパス16回連続成功を果たすなど、パス28回中26回成功・263ヤード・3TDを記録する活躍を見せ、31-20の勝利に貢献した。1試合でのパス成功率92.9%はNFL記録となった。続くAFCチャンピオンシップゲームでは一転して3INTを喫するなど苦戦するが、ディフェンスが奮闘しTDを許さず、チームは21-12でサンディエゴ・チャージャーズに勝利した。ペイトリオッツは1972年にマイアミ・ドルフィンズが成し遂げたシーズン17連勝(当時レギュラーシーズンは14試合制)を塗り替えるシーズン18連勝を達成し、7シーズンで4度目のスーパーボウル出場を果たした。この勝利でブレイディは先発QBとしてNFL史上最速でキャリア100勝目(プレーオフを含む)をあげた(通算100勝26敗)。これは当時の最速記録だったジョー・モンタナの142試合(100勝42敗)での達成を16試合も塗り替える新記録となった。

1972年シーズンにマイアミ・ドルフィンズが達成して以来のパーフェクト・シーズンが期待される中、ブレイディは2月3日の第42回スーパーボウルを迎えた。対するニューヨーク・ジャイアンツはシーズン最終週でペイトリオッツに敗れて以降調子をあげ、敵地でダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを破り、ワイルドカードからスーパーボウル進出を果たした。試合はペイトリオッツ優位と見られていたが、ブレイディは5つのサックを浴びるなどジャイアンツの激しいパスラッシュに苦しみ、試合は予想外のロースコアゲームとなった。それでも第4Q残り2分45秒でモスへのTDパスを決め14-10と逆転したが、最後はイーライ・マニングがデイビッド・タイリーのスーパーキャッチを経た決勝ドライブを決め、ペイトリオッツは14-17で敗退した。

ブレイディはパス獲得ヤード、TDパス、QBレイティングでこの年リーグトップの成績をおさめた。また、当時NFL史上5位となるパス成功398回、同3位のパス4,859ヤード、同7位のパス成功率68.9%、同2位のQBレイティング117.2、NFL新記録となる50TDパス(2013年にペイトン・マニングが更新)、更にはわずか8INTと、キャリアで自己最高の成績を記録し、プロボウルとオールプロのファーストチームに選出された。シーズン中はFedEx Expressの選ぶNFL週間最優秀選手に4回(第6、7、11、17週)、AFC週間最優秀攻撃選手に5回(第3、6、7、14、17週)、AFC月間最優秀攻撃選手に2回(9月と10月)選出された。これらの活躍を受け、ブレイディは50票中35.5票を獲得して最優秀攻撃選手賞を、そして50票中49票を獲得して自身初のリーグMVPを受賞した。

右足の状態が思わしくなく、プレシーズンを全休して迎えた開幕戦のカンザスシティ・チーフス戦で、セイフティ(S)バーナード・ポラードから膝にタックルを受け、シーズン絶望の大怪我を負った。この怪我でブレイディの連続先発試合出場記録は111試合で途切れた。これを受けてリーグは2009年シーズン以降、QBへの膝下への危険なタックルを通称ブレイディ・ルールとして禁止している。エースQBを欠いたペイトリオッツだったが、その後はQBマット・キャセルの活躍もあって立て直し、レギュラー・シーズンを11勝5敗の好成績で終えたものの、タイブレークでプレーオフ進出を逃した。

当初は膝の感染症を患うなど開幕に間に合うか心配されたが、その後順調に回復し、第1週のバッファロー・ビルズ戦で1年ぶりの公式戦復帰を果たした。試合は第4Q終番で11点のビハインドを許す苦しい展開となったが、試合時間残り2分10秒からブレイディが2つのTDパスを決める劇的な逆転勝利(25-24)をおさめ復帰戦を白星で飾った。その後は第5週のデンバー・ブロンコス戦でキャリア初のオーバータイムでの敗北(20-17)を喫するなど(無敗での通算7勝はNFL記録だった)、開幕5戦で3勝2敗となるが、第6週のテネシー・タイタンズ戦で6TDパス・QBレイティング152.8を記録し、リーグ史上1976年以来の大差となる圧勝(59-0)をおさめた 。この試合で記録した1Q間での5TDパスはNFL記録となった。なお第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で節目となるキャリア200個目のTDパスを記録した。116試合目(途中出場を含む)での200TD達成はNFL史上4番目に早い記録となった。

シーズンが進むにつれブレイディは調子をあげていき、右手の薬指と3本の肋骨の骨折を抱えながらも、パス4,398ヤード28TD・QBレイティング96.2の成績をおさめて5度目のプロボウル選出を果たし、この年のカムバック賞を受賞した。しかしながらチームは10勝6敗とキャリアで2番目に悪い成績に終わり、リーグトップのパスレシーブ回数を記録していたWRウェルカーを怪我で欠いたワイルドカード・プレーオフでは、ホームでボルチモア・レイブンズに敗れシーズンを終えた。ブレイディはキャリア初のプレーオフ初戦敗退とプレーオフでのホーム敗戦を味わった。

このシーズンはテディ・ブルースキーやロドニー・ハリソン、マイク・ブレイベル、リチャード・シーモアなど、スーパーボウル連覇に貢献した多くのベテラン選手が引退やトレードなどでチームを去ったこともあり、ペイトリオッツは後半での逆転負けを4度も許すなど勝負強さに欠いた。ブレイディは通したパスの約55.5%がモスとウェルカーの両エースWRに偏っており、特にウェルカーには約33%と大きく依存していた(レシーバー不足だった2006年は最も高い選手で約18.7%で2007年は約28%だった)。一方で被サックは16回とこれまでのキャリアで最も少なかった。ブレイディはこのシーズンのチームを「精神的にタフではなかった」と振り返り、自信や信頼の欠如を指摘した。

このシーズンが2005年にチームと結んだ6年6000万ドルという契約の最終年だったため、新契約やシーズン終了後の去就をめぐる様々な憶測がメディアを賑わせた。シーズン開幕が間近に迫った現地9月9日、2011年シーズンから2014年シーズンまでの4年総額7200万ドル(一年あたりの平均年俸は当時のNFL史上最高額を更新する1800万ドル)という大型契約を結んだ。またその直後、自動車の運転中に交通事故に遭うが、幸い怪我はなくすぐに練習に復帰した。

開幕戦ではシンシナティ・ベンガルズと対戦し、3TDパスを含むQBレイティング120.9の活躍を見せチームの勝利に貢献した。この勝利でブレイディは開幕戦の通算成績を8勝1敗とし、これは1970年以降のQBではロジャー・ストーバックの8勝0敗に次ぐ記録となった。2勝1敗で迎えた第4週のマンデーナイト・フットボールではパス153ヤード・1TDにとどまるも、ディフェンスやスペシャルチームの活躍もあり41-14でマイアミ・ドルフィンズに勝利した。この勝利でブレイディはレギュラーシーズンの通算成績を100勝31敗とし、NFL史上11人目となるレギュラーシーズン100勝を達成した。131試合での100勝達成は、それまでの記録であったジョー・モンタナの139試合を抜いてNFL史上最速記録となった。翌週はバイウィークで試合がなかったが、チームはシーズン終了後の去就が注目されていたWRランディー・モスをミネソタ・バイキングスへとトレードし、数日後にかつてペイトリオッツで2度のスーパーボウル制覇に貢献したディオン・ブランチをトレードで獲得した。迎えた第6週では、昨季のプレーオフで完敗したボルチモア・レイブンズと対戦した。試合は第4Q途中までレイブンズに10点のリードを許す苦しい展開となるが、再加入後初となるブランチへのTDパスを決めるなどして同点に追いつき、レイブンズの攻撃から始まったオーバータイムでは、両チームあわせて5回のパントを経たのち、最後はKスティーブン・ゴストコウスキが決勝FGを決めて23-20の逆転勝利をおさめた。この試合でブレイディはオーバータイムでの成績を通算8勝1敗とし、またキャリア通算のウイニング・ドライブ数を30回とした。

その後2連勝を果たすも第9週でクリーブランド・ブラウンズに敗れ6勝2敗となったが、ここからブレイディとペイトリオッツは快進撃を始める。第10週では同じく6勝2敗のピッツバーグ・スティラーズと敵地ハインツ・フィールドで対戦し、ブレイディは新人TEロブ・グロンコウスキーへ3つのTDパスを決めるなど、パス350ヤード・QBレイティング117.4の活躍を見せ、チームは前評判を覆す完勝(39-26)をおさめた。第10週ではライバルのインディアナポリス・コルツと対戦し、ブレイディは2TDパスを通すなどして試合を優位に進めると、最後はディフェンスがマニングからこの試合3つ目のINTを奪ってコルツの猛追を振り切り、31-28で勝利をおさめた。この勝利でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を25とし、1995年シーズンから1998年シーズンにかけてブレット・ファーヴが樹立したNFL記録に並んだ。第11週では伝統の感謝祭ゲームでデトロイト・ライオンズを45-24で破り、ブレイディはパス27回中21回成功・341ヤード・4TDという成績でキャリア2度目となるQBレイティング満点(158.3)を記録した。ブレイディはキャリアでQBレイティング満点を複数回記録したNFL史上6人目の選手となった。試合後にライオンズのセンター(C)ドミニク・ライオーラはブレイディを「まるで外科医のようだ」と評した。

第12週ではペイトリオッツと9勝2敗で並んでいたニューヨーク・ジェッツと対戦した。チームは第2週に敵地での同カードに敗れており、地区首位の座をかけた重要な一戦であったことや、共にAFC最高勝率をおさめていたことなどから、ジェッツのHCレックス・ライアン自ら「今季最高のゲームになるだろう」と話していたが、ペイトリオッツは序盤からジェッツを圧倒し45-3の完勝をおさめた。ディフェンスがジェッツのQBマーク・サンチェスから3つのINTを奪うなどしてジェッツをTDなしに封じたほか、ブレイディはパス29回中21回成功・326ヤード・4TD(QBレイティング148.9)の活躍を見せた。この試合でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を26としてNFL新記録を樹立したほか、NFL史上13人目となるキャリア通算250TDパスを記録した。第13週では強風と豪雪の中シカゴ・ベアーズから完勝(36-7)をおさめ、プレーオフ進出を決めた。続く第14週のグリーンベイ・パッカーズ戦でも勝利をおさめ、ブレイディは7試合連続で2TD以上インターセプトなしというNFL新記録を樹立した。また自身キャリア二度目となるシーズン30TDパスを達成した。34-3で勝利した第16週のバッファロー・ビルズ戦でもブレイディは3TDパス・0INTをマークし、自身の記録を8試合連続に更新したほか、第6週のレイブンズ戦で喫して以来パス319回連続インターセプトなしというNFL新記録を樹立した。この勝利でペイトリオッツは2年連続となる地区優勝と2007年シーズン以来となるプレーオフ第1シード獲得を決めた。ブレイディはシーズン最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦でも2TDパス・0INTを記録し、チームも38-7で勝利した。ブレイディはシーズンが16試合制となって以降、シーズン全試合で最低1つのTDパスを記録したNFL史上6人目のQBとなった。ペイトリオッツは8試合すべてのホームゲームで勝利をおさめた他、最後は8連勝でレギュラーシーズン(14勝2敗)を終えた。

AFC第1シードのペイトリオッツはディビジョナル・プレーオフで、インディアナポリス・コルツを接戦で破り勝ち上がってきたニューヨーク・ジェッツと対戦した。第12週で大勝していたこともあり、試合はペイトリオッツ有利と見られていたが、チーム最初のドライブでブレイディがレギュラーシーズンと合わせて実に340投ぶりのINTを喫してしまう。その後も5つのサックを浴びるなどジェッツディフェンスに苦しめられ、28-21で2シーズン連続となるプレーオフ初戦敗退を喫した。

ブレイディはパス3,900ヤード・36TD・4INT・QBレイティング111.0という成績でレギュラーシーズンを終えた。パス36TD・QBレイティング111.0は、いずれもこの年リーグトップの成績だった。ブレイディは異なる2つのシーズンでQBレイティング110以上を記録したNFL史上初の選手となった。また、このシーズンのINT率0.8%(パス492回中4INT)は当時NFL史上最も低い数字となったほか(パス試投250回未満の選手を除く)、TDパスとINTの比9:1(36TD・4INT)という成績は、自身が2007年シーズンに記録した6.25:1(50TD・8INT)を大幅に塗り替えるNFL記録となった。なお、どちらの記録も2013年シーズンにニック・フォールズが更新(0.6%と13.5:1)したが、2016年シーズンにブレイディが再度その記録を更新(0.5%と14:1)した。

これらの活躍が評価され、ブレイディは自身のキャリア2度目となるシーズンMVPに選出された。同賞の投票では満票を獲得しており、これはNFL史上初の快挙であった。加えて50票中21票を獲得しNFL最優秀攻撃選手に選ばれたほか、自身3度目となるオールプロにも満票で選出された。更にはファン投票でリーグ最多の187万7089票を集め、2年連続6回目となるプロボウル選出を果たした。なお、先発としての選出は2007年シーズン以来自身2度目のことであった。

前年のドラフトで指名した二人のTE、グロンコウスキーとアーロン・ヘルナンデスを中心とするオフェンスが猛威をふるい、ブレイディはシーズンでパス5,235ヤード・39TDを記録した。チームは喪失ヤードでリーグワースト2位と守備陣が苦戦し、シーズン途中にはWRのジュリアン・エデルマンやスペシャルチーマー(ST)のマシュー・スレイターをディフェンスに起用する苦肉の策をうちながらも、リーグ3位のターンオーバー奪取数とブレイディ率いる攻撃陣(得点数・獲得ヤードでそれぞれリーグ3位・2位)が全体を引っ張る形で13勝3敗の好成績をおさめ、AFC第1シードでプレイオフに進出した。

プレイオフでは初戦でティム・ティーボーがQBを務めるブロンコスと対戦し、プレイオフ記録に並ぶ6つのTDパスを決めるなどして圧勝(45-10)する。AFCカンファレンス・チャンピオンシップではレイブンズの守備陣に苦戦するも、第4Qに自らのTDランで逆転すると、最後はレイブンズのKビリー・カンディフのFGが大きく外れ、自身5度目のスーパーボウル進出を決めた。しかしこの試合で、TEとしてNFL記録となるシーズン18TD・1,327ヤードを記録する活躍を見せていたグロンコウスキが怪我を負ってしまう。

第46回スーパーボウルでは、2007年にパーフェクト・シーズンを阻まれたジャイアンツと再び相対する。ブレイディはこの試合最初のプレーで自殺点を献上してしまうなど、ジャイアンツの守備陣に苦戦を強いられるが、前半残り8秒というところでRBダニー・ウッドヘッドにTDパスを通し、スーパーボウル史上最長記録に並ぶ96ヤードのTDドライブを完結させて逆転する。第3QにもTEヘルナンデスにTDパスを通して17-9とリードを広げるも、その後はスーパーボウルで自身2度目となるインターセプトを喫するなどして追加点を奪えない。試合時間残り4分6秒、敵陣44ヤード地点でブレイディはウェルカーにパスを投じるが、少し高めに浮いたパスをウェルカーはキャッチできず。決まっていればファーストダウン更新で大きく勝利に近づいていたが、次のプレーでもパス不成功に終わり、パントで攻撃権を受け渡すこととなる。ジャイアンツは試合時間残り3分46秒からの攻撃で、QBイーライ・マニングがサイドライン際のWRマリオ・マニンガムに針に糸を通すような38ヤードのパスを決める。第42回スーパーボウルでのヘルメットキャッチに続くスーパープレーで勢いづいたジャイアンツは、その後もパスを通してペイトリオッツ陣内に侵入する。ペイトリオッツは攻撃時間を残すためにジャイアンツにわざとTDを決めさせブレイディに逆転の望みを託すも、最後のプレーで投じたヘイルメイリー・パスは不成功に終わり、21-17で再びジャイアンツの前に屈することとなった。

ブレイディは攻撃の核であるグロンコウスキとヘルナンデスの負傷に苦しめられながらも、パス4,827ヤード・34TD(8INT)・QBレイティング98.7を記録する活躍でプロボウルに選出された。チームは獲得ヤード・得点数で共にリーグトップとなるなど、前年に引き続きオフェンスが好調を保った。チームは3勝3敗のスロースタートを切るも、以降レギュラーシーズン最後の10試合で9勝を挙げ、第2シード(12勝4敗)でプレイオフに進出した。

プレイオフではシード明けの初戦でヒューストン・テキサンズと対戦した。この年、テキサンズとはレギュラーシーズン第14週でも戦っており、当時11勝1敗と大躍進を果たしていた同チームを相手に42-14の大勝を飾っていた。その試合で4つのTDパスを決めていたブレイディは、この試合でも3つのTDパスを決めるなどの活躍を見せ、試合は接戦模様の前半から第3Qにペイトリオッツが一気に14点を追加して突きはなし、41-28で勝利をおさめた。この試合でブレイディはモンタナを抜いて、NFL史上最多となるプレーオフ17勝目を手にした。AFCカンファレンス・チャンピオンシップでは2季連続でレイブンズと対戦した。先のテキサンズ戦で負傷したグロンコウスキを欠いて挑んだこの試合では、ブレイディは54回ものパスを投じたものの、2つのINTを喫するなど、今季で引退を表明していたレイ・ルイス率いる相手守備陣に苦戦した。チームは前半を13-7とリードして折り返すも、後半は得点を奪うことができず、28-13で敗れシーズンを終えた。

オフシーズンにチームの看板TEコンビの一人だったヘルナンデスが殺人容疑で逮捕され、チームからも放出された。また2007年以降、ブレイディの主要ターゲットとして活躍し、チーム歴代最多キャッチ数記録の保持者でもあったWRウェルカーが、ライバルのペイトン・マニング率いるブロンコスへ移籍した。グロンコウスキも怪我の為に開幕からの出場が叶わず、チームは06年を思い起こさせるようなレシーバー不足に陥った。

しかしチームは苦戦を交えながらも開幕4連勝を飾ると、第6週のニューオリンズ・セインツ戦では、幾度となく試合終了かと思われるような窮地に達しながら、残り10秒でブレイディが劇的なTDパスを決めて逆転勝利を飾って連敗の危機を脱する。続く第7週で、試合には敗れたもののグロンコウスキが待望の復帰を果たし、第9週では強豪のスティーラーズを相手に55-31の完勝をおさめる。第12週のデンバー・ブロンコス戦では、前半を0-24の大量ビハインドで折り返すも、後半に28点を連取して一時は逆転に成功する。その後試合はオーバータイムにもつれるが、移籍したウェルカーが絡んだブロンコス側のミスをターンオーバーにつなげ、最後はペイトリオッツがウイニングFGを決めて大逆転勝利を完結させた。第14週のブラウンズ戦でも、チームは試合時間残り2分39秒で26-14のリードを許す厳しい状態に陥るが、残り1分1秒でブレイディがWRエデルマンにこの日初めてとなるTDパスを決めると、続くキックオフで連続攻撃権奪取を目指したオンサイドキックに成功し、最後は残り31秒でWRダニー・アメンドーラへの逆転TDパスを通して劇的な逆転勝利をおさめた。しかしこの試合でグロンコウスキが膝にタックルを受けて大けがを負ってしまい、シーズン絶望となってしまった。

チームはレギュラーシーズンを12勝4敗で終え、2年連続となる第2シードでのプレイオフ進出を果たした。ブレイディはグロンコウスキの怪我も相まってレシーバー不足に悩まされたが、09年にドラフト7巡指名で加入後、ウェルカーの陰に隠れて燻っていたWRエデルマンがキャリア最高となるシーズンを過ごした。ブレイディはパス25TD・4,343ヤードに留まるなど、ここ数年と比べて個人成績を大きく下げたが、それでも自身9回目となるプロボウルに選出された。

プレーオフではシード明けの初戦でアンドリュー・ラック率いるコルツと対戦し、チームはランで234ヤード・6TDを記録するなど、地上戦でコルツを圧倒して完勝(43-22)をおさめた。3季連続の進出となったAFCカンファレンス・チャンピオンシップでは、長年のライバルであるペイトン・マニング率いるデンバー・ブロンコスと対戦するが、このシーズンに07年のペイトリオッツ並びにブレイディが打ち立てたTD記録を塗り替えるなど、屈指の攻撃力とタレント力を誇ったブロンコスを前に第4QまでTDを奪えず、最終的には26-13で敗れた。

このシーズン、ブレイディはチームに多くの劇的な勝利をもたらしたが、一方で自身のパフォーマンスが下降傾向にあることを一部のメディアから指摘された。フットボール分析サイトであるプロ・フットボール・フォーカスのサム・モンソンは、ブレイディのパフォーマンスが2011年をピークとして下降傾向にあることを指摘し、「ブレイディはもうトップ5に入るQBではない」との記事を発表して大きな反響をもたらした。

半年後、彼はそれが間違いであったことを認めることとなる。

チームは開幕戦で同地区のドルフィンズに33-20で敗れ、これは2003年以来となる開幕戦での敗戦となった。その後はバイキングスとレイダースに連勝するも、ブレイディは開幕3試合全てでパス獲得は250ヤード未満にとどまり、TDパスは各試合で一つずつのみだった。この間、ブレイディは7度のサックを受けた。そして迎えた第4週のカンザスシティ・チーフス戦で、チームは41-14の大敗を喫する。ブレイディはパス159ヤード・1タッチダウンに抑えられ、さらに各2つのインターセプトとサックを献上した。うち一つのINTはリターンTDだった。ブレイディは第4Qに控えQBのルーキー、ジミー・ガロポロと交代でベンチに退いた。全米放送のマンデーナイト・ゲームで喫したこの大敗を受け、多くのメディアはペイトリオッツのシーズン並びに長年に渡る常勝時代は終わりを迎えたと報じ、様々な解説者たちが痛烈な批判を繰り返した。試合後の会見でベリチックは記者から、QBのポジションも再評価しなおすかと尋ねられた。試合を引き継いだガロポロが好パフォーマンスを見せたからであったが、ベリチックは鼻で笑って答えなかった。後日の会見では、のちに有名になる"We are on to Cincinnati"「我々はシンシナティ(翌週の対戦相手であるベンガルズのこと)に向かっている」というフレーズを13回も繰り返し、ブレイディに関する批判を煙に巻いた。しかしながらベリチックは、結果的にこの試合のハーフタイムが、チーム4度目のスーパーボウル制覇を成し遂げることとなるこのシーズンの転換期であったと、のちに回顧している。敗戦に関して悲観的な見方が多かった中、ベリチックはチームに「良い兆候を見た」と話し、「我々は60分間全てを、もう勝てるチャンスが全くなかった試合終盤さえも、必死にプレーし戦い抜こうとした。私はそれが良い兆候だと思ったよ。良いプレイをしたからではないが、しかし必死にプレイしたことがね」と続けた。

迎えた第5週、チームは開幕から3連勝と波に乗るベンガルズと対戦した。この試合でペイトリオッツは終始ベンガルズを圧倒し、43-17で完勝をおさめた。ブレイディはパス292ヤード・2TDを記録して攻撃陣を引っ張った。この試合でブレイディは、リーグ史上6人目となる通算パス50,000ヤード獲得を達成した。試合後、この日レシーブ100ヤード・1TDパスキャッチを記録したTEグロンコウスキは、「俺たちはトム・ブレイディをトム・ブレイディにしてやったのさ、君たちが1週間にわたって彼を批判しつくした後に・・・ファンも、何もかもをね。最高の気分だよ」と語った。この試合を機に、ブレイディとペイトリオッツは勝利を積み重ね、第13週でパッカーズに敗れるまで7連勝を果たした。この間のチームの平均得点は37.25点だった。第9週でライバルのペイトン・マニング率いるブロンコスを全く寄せ付けず完勝(43-21)をおさめると、シーズン前に「ブレイディはもうトップ5に入るQBではない」との記事を発表していたサム・モンソンは「ブレイディはトップ5のQBではない。No.1だ」として、ブレイディのパフォーマンスがどのように向上したかを解説する記事を掲載した。同氏は過去数シーズンに渡るパフォーマンスの下降傾向を第5週から大きく覆していると述べ、特にロングパスの精度、プレッシャーを受けた時のパスの正確性が格段に向上していると指摘した。このように、シーズン初期の不調から脱却したブレイディとペイトリオッツは、12勝4敗で地区優勝ならびに第1シードでのプレイオフ進出を決めた。ブレイディはパス4,109ヤード・33TDの成績をおさめプロボウルに選出された。

シード明けのプレーオフ初戦では近年のプレーオフで雌雄を争ってきたボルチモア・レイブンズと対戦した。試合は第1Qと第3Qの二度に渡って14点差をつけられる苦しい展開となるが、通常5人のOLを4人にするトリッキーなフォーメーションやWRジュリアン・エデルマンを使ったトリックプレーが功を奏し追いつくと、試合時間残り5分21秒でWRブランドン・ラフェルへのTDパスが決まり、この試合で初めてのリードを奪う。その後はレイブンズの攻撃をしのぎ切り、4年連続となるカンファレンス王座決定戦への進出を決めた。試合後、レイブンズのHCジョン・ハーボーはペイトリオッツが使用したフォーメーションを批判したが、これはルールに則ったものであり、他のチームも既に導入していたプレーであった。AFCチャンピオンシップゲームでは、長年のライバルであるコルツと地元ジレットスタジアムで対戦した。昨年のプレーオフ、そして今シーズンのレギュラーシーズンでもペイトリオッツは地上戦でコルツを圧倒しており、この試合でもRBリギャレット・ブラントがラン143ヤード・3TDを記録した。守備陣も3つのターンオーバーを奪うなどしてコルツ攻撃陣を封じ込め、45-7で圧勝をおさめた。ブレイディは史上最多となる6度目のカンファレンス制覇並びにスーパーボウル出場を決めた。この試合が後述する、ボールに関する空気圧不正問題、通称"Deflategate"(デフレートゲート、デフレート疑惑とも)であり、後に出場停止4日とドラフト権剥奪の処分を受ける事となる。

第49回スーパーボウルでは、連覇を狙うシアトル・シーホークスと対戦した。空気圧問題が大きく取り沙汰され、試合前はHCベリチックと共にメディア対応に追われた。ブレイディは2度のインターセプトと10点のビハインドを乗り越え、自身通算4度目のスーパーボウル戴冠を果たした。チームは試合時間残り2分少々というところで28-24でリードを奪うも、シーホークスのWRジャーメイン・カースに過去2回のスーパーボウル敗戦を思い起こさせるような奇跡的なキャッチを許すなどして自陣1ヤードまで攻め込まれる。しかし最後は当時無名のドラフト外新人CBだったマルコム・バトラーが値千金のインターセプトを奪い、スーパーボウル史上に残る激戦に終止符を打った。この試合でブレイディは当時のスーパーボウル記録となる37回のパス成功を記録したほか、328ヤードと4つのTDを投じた。特に10点のビハンドを追う第4Qでは、パス15回中13回成功・124ヤード・2TD・QBレイティング140.7を記録する圧巻のパフォーマンスを見せ、爆音軍団の異名で知られるリーグ屈指のシーホークス守備陣を攻略した。この活躍が評価され、自身3度目のスーパーボウルMVPを獲得した。同大会の勝利回数・MVP受賞回数はQBジョー・モンタナに並ぶNFL史上最多タイとなった。なお、この年MVP受賞者にはシボレーのトラックが送られることになっていたが、ブレイディはこれをバトラーに譲っている。

その開幕戦ではピッツバーグ・スティーラーズを相手に終始リードする展開で試合を優位に進め、28-21で勝利をおさめた。ブレイディはTEグロンコウスキへの3TDパスを含む計4つのTDパスを決め、チームの勝利に貢献した。その後もペイトリオッツは昨年からの好調を維持し、第10週には因縁の相手であるニューヨーク・ジャイアンツから07年のレギュラーシーズン以来となる勝利を奪うなど、翌週の第11週まで開幕10連勝を果たした。しかしそのジャイアンツ戦で主力WRのエデルマンが、第12週のブロンコス戦ではグロンコウスキが試合中に怪我を負った。二人ともシーズン中に復帰することができたものの、第9週にもこの年のサプライズ的活躍を見せていたRBディオン・ルイスがシーズン絶望の怪我を負っており、シーズン前半の立役者を一気に欠いたペイトリオッツは、最後の6試合で2勝しか挙げることができなかった。ブレイディは主力選手を欠いた後半は苦戦したものの、パス4,770ヤード・36TD(7INT)の成績をおさめてチームを牽引し、自身13度目の地区優勝を手にした。また、7季連続11回目のプロボウルにも選出された。

プレーオフでは2014年シーズンの第4週で大敗を喫したカンザスシティ・チーフスと対戦し、盤石の試合運びで27-20の勝利をおさめた。この結果、ブレイディは5季連続・通算10回目となるカンファレンス王座決定戦にコマを進めた。迎えたAFCチャンピオンシップでは、ペイトン・マニング率いるデンバー・ブロンコスと対戦した。ペイトリオッツはこのシーズンわずか9TDパスに対し17INTを喫するなど大不調だったマニングとブロンコスの攻撃陣を抑えこむが、逆にブレイディ率いるオフェンス陣もブロンコスの鉄壁パス・ディフェンス陣とLBボン・ミラーを筆頭とする激しいパスラッシュに苦しめられる。この試合でブレイディは23度のヒットを受けたが、これは自身が受けた過去最高記録を11回も上回る回数だった。試合は8点差を追うペイトリオッツが試合時間残り12秒でTDを決めるも、2ポイント・コンバージョンが失敗に終わり、2年連続でのスーパーボウル進出はならなかった。ペイトリオッツは第1QにTDを決めた後、Kスティーブン・ゴストコウスキーが自身523回連続で成功していたエクストラポイントのキックを外しており、最終的にはその1点大きく響いた形となった。ブレイディは再三のパスラッシュに苦しめられながらも、パス310ヤード・1TDを獲得し、試合終盤には同点まであと一歩というところまでチームを導いた。しかしながら、4つのサックと2つのINTを喫するなど、試合を通してリズムに乗り切ることができなかった。この試合後、チームは2シーズンに渡ってOLコーチを務めたデイブ・デガグリールモを解雇した。

勝利したブロンコスは、第50回スーパーボウルでもQBキャム・ニュートン率いるカロライナ・パンサーズを鉄壁ディフェンスで攻略し、フランチャイズ史上3度目のリーグ制覇を成し遂げた。この試合を最後に、10年以上に渡ってブレイディと名勝負を繰り広げてきたQBペイトン・マニングは引退を表明した。LBのボン・ミラーはMVPとなった。選手としての出場は叶わなかった同年のスーパーボウルだが、第50回という節目の大会とあっりコイントスはジョーモンタナがおこなっている。試合前に歴代の同大会MVPが集まるセレモニーが行われ、ブレイディもこれに参加した。しかしながらデフレートゲートの影響に加え、対戦カードが近年のライバルであるブロンコスということもあってか、会場はブレイディの故郷ともいえるサンフランシスコであるにも関わらず大ブーイングで埋め尽くされた。これに対し、第42回スーパーボウルでペイトリオッツを破る原動力となったマイケル・ストレイハンは自身のツイッターにて、「みんなブレイディにブーイングするのが好きだけど、でも秘かに彼が自分のチームのQBだったらよかったのにと願ってるんだ!もし周りが成功を妬んで君を憎んでいるなら、君は正しいことをしてるんだよ!」と呟いた。

プレーオフ初戦のヒューストン・テキサンズ戦では、ブレイディと共に3度のスーパーボウルを制したロメオ・クレネル、マイク・ブレイベルをコーチ陣に据えるテキサンズ守備陣に苦しめられるも、ディフェンスとスペシャル・チームの活躍もあり、34-16で勝利をおさめた。11度目の出場となったAFC王者決定戦では、同舞台で自身3度目の顔合わせとなるピッツバーグ・スティーラーズと対戦し、384ヤード(3TD)を投じる活躍で36-17の勝利に貢献した。

2季ぶり通算7回目の出場となった第51回スーパーボウルでは、この年のリーグMVPを受賞したQBマット・ライアン率いるアトランタ・ファルコンズと対戦した。第1Qを両者無得点で終えると、第2Qにファルコンズが立て続けに2つのTDを奪い14-0とリードする。巻き返しを図ったペイトリオッツだったが、ブレイディは前半残り2分というところで痛恨のINTリターン・タッチダウンを喫し、リードは21点に広がった。ペイトリオッツはFGで3点を返して前半を終えるも、第3Qに入っても流れは変わらず、ライアンがこの日二つ目のTDパスを決めてスコアは28-3と一方的なものとなった。しかしここからペイトリオッツが徐々に点差を縮めると、16点差の第4Q中盤にLBダンテ・ハイタワーがQBサックからターンオーバーを奪取する。これで波に乗ったペイトリオッツは、守備陣の奮闘やWRジュリアン・エデルマンの奇跡的なキャッチを経ながらブレイディが2つのTDドライブを指揮し、更にTD後の2ポイント・コンバージョンを2度とも成功させ、試合時間残り57秒でついに試合を振り出しに戻した。

スーパーボウル史上初となったオーバータイムでは、コイントスに勝利して先に攻撃権を得ると、次々にパスを通して敵陣深くまで攻め込み、最後はRBジェームズ・ホワイトが2ヤードのTDランを決め、リーグ史に残る逆転劇を完結させた。

ブレイディは5つのサックと1つのINTを喫したものの、後半から驚異的な追い上げを見せ、スーパーボウル史上最大得点差(最大25点・第4Q開始時点で19点差)を乗り越える劇的な逆転勝利に貢献した(それまでの記録は10点差)。ブレイディはいずれもスーパーボウル新記録となるパス試投62回・パス成功43回・パス獲得466ヤードの活躍をおさめ、ジョー・モンタナを抜いて歴代単独最多となる4度目の同大会MVPを獲得した。

シーズン開幕戦でカンザスシティ・チーフスに負けるなど、序盤はつまづいたものの最終的にはシーズンをAFC一位で終え、三度目のリーグMVPを獲得した。

プレーオフではAFCコンファレンス決勝前に手を縫うほどの怪我を負い、第4Qでジャクソンビル・ジャガーズを逆転して2年連続して第52回スーパーボウルに出場した。スーパーボウルではフィラデルフィア・イーグルスに先行を許し、第4Qで一時逆転するものの、再逆転されたのちにファンブルにより攻撃権を失い、結局8点差で試合を失った。だがこの試合でブレイディは505ヤードのパスを投げて自身のスーパーボウル記録を破り、またポストシーズンで10,000ヤードを投げた史上初のQBとなった。チームの挙げた33点はスーパーボウルで負けたチームの得点としては最大となった。

2018年12月16日の対ピッツバーグ・スティーラーズ戦では史上4人目となる7万パスヤードを達成した。第16週には前人未到の地区10連覇を達成した。アメリカン・カンファレンス(AFC)決勝では、第1シードで地元のカンザスシティ・チーフス(西地区1位)を延長の末に37―31で振り切って優勝。3年連続通算11回目(ここ18年間で9回目)のスーパーボウル進出を果たした。スーパーボウルではロサンゼルス・ラムズを破ってチームおよび自身6度目の優勝を達成した。

第5週には生涯通算パスヤードでブレット・ファーヴを抜き、第6週にはペイトン・マニングを抜いてドリュー・ブリーズに次ぐ第二位となった。第17週には生涯540個目のタッチダウンパスを投げてペイトン・マニングを抜いたが、この試合でマイアミ・ドルフィンズに敗れ、チームは地区11連覇を達成するものの第3シードとなった。プレーオフでは初戦でテネシー・タイタンズに敗れた。2008年シーズン以来初めて、プロボウルには選出されなかった。シーズン後の2020年3月17日、20年間在籍したペイトリオッツを退団することを発表し、3月20日にタンパベイ・バッカニアーズへ移籍した。

バッカニアーズ移籍後、ペイトリオッツの同僚で2018シーズン後に一時引退していたロブ・グロンコウスキー(TE)がブレイディを追って、現役復帰し、バッカニアーズに入団した。4月20日、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて閉鎖されていたフロリダ州タンパの公園にてトレーニングを行っていたところを目撃された。最終的にチームを11勝5敗と地区二位で13年ぶりのプレーオフに導き、自身は12シーズン連続のプレーオフ出場ながら初めてのワイルドカードでの出場となり、NFCチャンピオンシップゲームでグリーンベイ・パッカーズを31−26で破りチームを18年振りに2度目のスーパーボウルに導いた。プレーオフを加え、スターティングQBとして250勝を挙げた最初の選手となった。スーパーボウルではカンザスシティ・チーフスを破ってチームをチャンピオンに導き、5度目のスーパーボウルMVPとなった。AFCとNFC両カンファレンスから勝ち上がってスーパーボウルを制した最初のQBとなった。43歳と188日でのスーパーボウル先発QBとスーパーボウルMVP選出は史上最年長記録である。

2021年、シーズン第4週ではかつての本拠地であったジレット・スタジアムにて古巣のペイトリオッツと対戦した。この試合でバッカニアーズは19-17で勝利を収め、ブレイディはQBとして史上4人目となる全32チームからの勝利を達成した。またこの試合にて通算のパスヤードが80,359ヤードとなり、NFL歴代最多パスヤードとなった。第7週のシカゴ・ベアーズ戦でNFL史上初となる600回目のタッチダウンパスを達成した。第14週のバッファロー・ビルズ戦ではオーバータイムにて、プレーオフも含めて通算700回目のタッチパスを挙げチームの勝利に貢献した。第18週のカロライナ・パンサーズ 戦にてシーズンでのパス獲得ヤードが5,000を越えた。パス5,000ヤードを達成するのは2011年シーズン以来のことで、44歳での達成はNFL史上最年長の記録となった。最終的なシーズン成績はパス719回中485回を成功させて5,316ヤード、タッチダウン43回を挙げ、これらの数字はリーグトップの数字であった。チームは地区優勝はしたものの、プレーオフは準決勝でこの年のスーパーボウル王者となるラムズに破れた。

ディビジョナル・プレーオフ敗退直後からブレイディの引退報道が流れ、当初はバッカニアーズも本人も引退を否定していたが、2022年2月1日に正式に引退を発表した。だが同年3月にイギリスに訪問した際、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCv.s.トッテナム・ホットスパーFCを生観戦し、クリスティアーノ・ロナウドのハットトリックで3-2の勝利に導く姿を目の当たりにし、試合後オールド・トラフォードの控室を訪問した際に、ロナウドから 「もう引退したんでしょ!?」 と声を掛けられ、36歳にして第一線で活躍する姿に触発される形で13日に引退撤回を表明。2022年シーズンもバッカニアーズで現役を続行すると発表した。

開幕戦のダラス・カウボーイズ戦に先発出場し、NFL史上最年長先発QBの記録を樹立した。しかし第6週から第8週の間に2002年シーズン以来となる3連敗を喫し、前半の8週を3勝5敗で終えた。翌9週のロサンゼルス・ラムズ戦ではプレーオフを含め通算10万パスヤードを達成した。またこの試合では残り9秒でTEのケイド・オットンに決勝タッチダウンパスを通し16-13で勝利を収め、ペイトン・マニングに並ぶ通算55回目となるゲームウイニングドライブを記録した。翌週のシアトル・シーホークス戦はドイツ・ミュンヘンのアリアンツ・アレーナで行われた。この試合で21-16で勝利し、NFL史上初となるアメリカ以外の3ヶ国(イギリス・メキシコ・ドイツ)で勝利を挙げたQBとなった。第13週のニューオーリンズ・セインツ戦では第4Q残り5分の時点で13点を追う展開であったが、最後の3分でタッチダウンパスを2回決め17-16で勝利を収めた。この勝利によりNFL歴代最多にあたるキャリア通算44回目の第4Qでの逆転勝ちとなった。第17週のカロライナ・パンサーズ戦に30-24で勝利したことで地区優勝が決定した。

このシーズンは、シーズン中に離婚という私生活での変化を抱えながら、パス試投733回・成功回数490回はNFLシーズン記録を更新し、チームも8勝9敗で負け越しながら地区優勝を遂げた。 シーズン後の身の振り方が不明なまま臨んだプレーオフでは、初戦のワイルドカードラウンドでダラス・カウボーイズに14-31で敗れた。

2023年2月1日、自身のTwitter上で再度引退を発表した。

2023年のオフシーズンも前年同様復帰説が流れたが、いずれも噂止まりでブレイディが復帰する事はなかった。

開幕直前に現役復帰を宣言したブレット・ファーヴの再現を期待する声も一部であったが、ペイトリオッツの開幕戦セレモニーで久々にペイトリオッツの背番号12のユニフォームを着て登場して引退した事を改めてアピールしつつ、ファンからは大きな拍手とともに迎えられた。

2024年はFOXの解説者(序列1位)となる予定で、スケジュール発表に先駆けて開幕戦は16時25分開始のダブルヘッダーナンバー1カードであるクリーブランド・ブラウンズ対ダラス・カウボーイズ戦の解説を担当する事も発表されているが、現役復帰のオファーがあれば受けるかという質問に対して冗談交じりのコメントながらも完全には否定しておらず、復帰説が定期的に挙がっている。

特徴

選手としての特徴

試合では天気や時間帯に関係なく必ず目の下に黒いペイントをしている。スナップを受けてからパスを投げるまで体を上下に小刻みに動かしてリズムをとるのが特徴的で、2010年3月にはトレーニングの一環としてボクシングを取り入れ話題となった(ミシガン大学時代にも短期間ではあるがボクシング部に在籍していた)。チャーリー・ワイスOC時代(2001年〜2004年)はRBのランとプレー・アクション・パスを多用し(New England Patriots strategy)、2007年シーズンはジョシュ・マクダニエルズOCの下でスプレッド・オフェンスを展開した。QBの中でも足はかなり遅い方であり、コンバインでの40ヤード走のタイムは5秒24である。実質の1年目である2001年はサックされることも多かったが、相手ディフェンスのプレッシャーを巧みなステップで避けることができ、ブリッツへの対応も優れている。特に外側からのプレッシャーへの対処を得意としているが、一方で中央からのプレッシャーを苦手としている。

ランディ・モス在籍時はロングパスのイメージも強かったが、基本的には素早く短いパスを繋いでいくオフェンスを得意としている。2010年シーズンにはプレー・アクション・パスで12TDでINTなし、パス成功率70.7%、QBレイティング136.5という驚異的な数字を残した。2011年以降は2.5秒以内にパスを投げる割合が高くなっているが(2014年シーズンはパス全体の58.3%が1〜10ヤードの範囲内に投じられており、これはこの年のQBで最も高い数字であった)、ブレイディ自身は2014年のインタビューで、機動力を高めてプレーを引き伸ばす能力の改善に力を入れている、と語り、同年以降、スナップから投じるまでに2.5秒以上かかったパスのQBレイティングが大幅に向上している(分析サイトのプロ・フットボール・フォーカスによると、2013年に69.2だった同数字が2014年は89.3、2015年には94.1へと上昇している)。ランディ・モスがチームを去って以降はロングパスの脅威に欠けているとの指摘があり、成績にもその傾向が顕著であったが、近年はこの傾向を跳ね返し、ロングパスでもリーグ屈指の成績を収めている。

このように、長年のキャリアを通じて彼のプレースタイルやその傾向には変化が見られる。また所属するペイトリオッツは対戦相手によって攻め方を変更するゲームプラン・オフェンスを採用している為、ブレイディの選手としての特徴や傾向はキャリア・シーズンを通して決して一様ではない。

キャリアで39回のフォース・クォーター・カムバック(4Qでの逆転劇)と50回のゲーム・ウイニング・ドライブ(うち10回がプレーオフでの試合)を記録している他、プレーオフではNFL記録となる10連勝を達成するなど通算34勝11敗(出場試合数、勝利数ともに歴代最多)、いずれも史上最多となる10度のスーパーボウル出場、7度の制覇、5度スーパーボウルMVPを獲得するなど、難しい局面や大舞台での活躍には特筆すべきものがあり、しばしばNFL史上もっとも勝負強いQB(クラッチQB)の一人として挙げられる。なお、ブレイディは制覇した5度のスーパーボウル全てでウイニングドライブを記録し、チームを優勝に導いている(最終的には敗れたものの、第42回スーパーボウルでも試合時間残り2分42秒で逆転のTDドライブを決めている)。

ブレイディはNFLがスーパーボウル時代(1966年以降)に突入して以降、最も高い勝率を記録しているQBである。それ以前を含めても、彼より高い勝率を記録しているQBは1946年から1955年にクリーブランド・ブラウンズで活躍したオットー・グレアム(キャリアでの勝率が80%に達しているNFL史上唯一のQBで、通算57勝13敗1分け)のみである。またブレイディはNFL史上最もインターセプトを喫する割合が低いQBの一人である。2016年シーズン終了時でのブレイディのINT率(全INT数を全パス試投数で割ったもの)は1.8%であり、これはアーロン・ロジャースに次いで史上2番目の低さである。

性格

試合中には感情を大きく表現することがある。過去にはそれが元で他チームの選手から口撃されたこともあった。例えば、プレーオフで何度も顔を合わせているボルチモア・レイブンズのDEテレル・サッグスはブレイディについて、「よい選手だ」と称えながらも、「彼のことは好きじゃない。相手も同じだろう。俺は彼の髪型も嫌いだね」と話すなど、長年に渡ってブレイディを嫌っていることを公言している(サッグスは「ブレイディ」という名前を口にすることすら嫌がっている)。

一方、フィールド外で感情的になったり、批判や口撃に影響されることは滅多にない。ブレイディはスポーツ・イラストレイテッドのピーター・キングとの対談で、「誰かにくそ野郎と罵られても、おそらく僕はその人に微笑み返すだろう。『いやお前こそくそ野郎だ』なんて言い返したりはしないよ。その人は彼自身の考えや行動においては僕をコントロールできるんだから。17年もプロ生活を送ってきて、どうしていまさら他人の発言にいちいち影響されるっていうんだい」("You can call me an asshole and I am going to smile at you probably. I’m not going to say, ‘No, you’re an asshole.’ Because that person is controlling me with what their thoughts and actions are. How can you go through life, now at this point, 17 years, being affected by everybody all the time with what someone says?”)と述べており、自らのことを「非常にポジティブな人間だ」と表現している。ドン・ミゲル・ルイスの「四つの約束」という本を「自分のマントラのようなもの」と評し、同書から批判などへの対処法を学んだと語っている。

チームメイト曰く、ブレイディは練習でも控えQBにプレー機会を譲らなかったり、バスケットボールのチャリティー・マッチですら本気でプレーしたりと、かなりの負けず嫌いであるらしい。また、ブレイディの控えQBだったマット・キャセルとはいたずら合戦を繰り広げたこともあったようで、最終的にはブレイディがキャセルの愛車のタイヤを全て外し、一つを隠した上で残る三つをキャセルのロッカーの前に積み上げたところでHCベリチックからストップの声がかかり、ブレイディの勝利で戦いは終了した。

ライバル

ペイトン・マニング

コルツとブロンコスで活躍し、NFL史上最高のQBの一人と評されるQBペイトン・マニングとのライバル関係は、2000年代のNFLの盛り上げに大きく貢献した。両者は互いの連勝記録やシーズンTDパス記録などのNFL記録を塗り替えあい、プレーオフでの5試合を含む計17試合で対戦した。両者の通算成績はブレイディの11勝6敗で、2001年の初対戦から2004年シーズンまで5連勝をおさめた。その後はマニングが3連勝を飾るなど巻き返し、最後の10試合では両者互角の5勝5敗だった。2007年シーズンにブレイディが敵地で勝利して以降は、全試合でホームチームが勝利した。プレーオフでの5試合では、マニングが3勝2敗で勝ち越しており、AFCチャンピオンシップゲームに限ればマニングが3勝1敗とリードしている。

前述のとおり、ブレイディのプロ初先発試合はマニング率いるコルツとの対戦で、44-13で勝利をおさめた。マニングは現役最後となる2015年シーズンのAFCカンファレンス・チャンピオンシップで、ブロンコスのQBとしてブレイディ率いるペイトリオッツを破りスーパーボウルへと駒を進めると、同大会ではパンサーズを退け、その輝かしいキャリアをスーパーボウル制覇という最高の形で締めくくった。

2000年代に入ってから多くの名勝負を繰り広げたペイトリオッツとコルツ、そしてブレイディとマニングは、NFL史上に残るライバル関係として評価されている。

AFC東地区

ペイトリオッツと同じくAFC東地区に所属するニューヨーク・ジェッツは、ニューヨークとボストンという都市関係もあり、チームにとっては永遠のライバルである。ブレイディ自身も2010年8月には"I hate the Jets"「ジェッツは嫌いだ」と明言した。なお、2016年シーズン終了時点での対AFC東地区の戦績は、ブレイディが71勝19敗で大きく勝ち越している(全てレギュラーシーズンのみ。2001年まで同地区だったコルツとの2試合を含む。なお2試合ともペイトリオッツが勝利している)。

インディアナポリス・コルツ

前述のマニングとのライバル関係もあり、2000年代のプレーオフ常連チーム同士として幾多の名勝負を繰り広げた。2001年を最後に別地区へと再編されたにも関わらず、2003年から2012年まで10季連続で顔を合わせた。マニングのブロンコス移籍後は、2012年ドラフトの全体一位指名であるQBアンドリュー・ラックがコルツを引き継ぎ、プレーオフでも2度対戦したが、ブレイディはラック率いるコルツに全勝している。後述するデフレートゲートの始まりが2014年のコルツとの一戦であった為、両者の因縁はより深まった。ペイトリオッツのオーナーであるロバート・クラフトは、往年の名選手であるウィリー・マクギネストのチーム殿堂入り記念式典にて、「コルツの背に敗北という名の鞍を置くことほど満足なことはない」(コルツ=子馬たち、というチーム名を揶揄している)として痛烈な皮肉を浴びせるなど、マニングの移籍後もそのライバル関係は続いている。

デンバー・ブロンコス

デンバー・ブロンコスはブレイディが対戦成績上で最も苦戦しているチームであり、プレーオフを含めれば自身が負け越している唯一のチームでもある。特にブロンコスのホームであるマイル・ハイでは通算3勝7敗(プレーオフでの0勝3敗を含む)と大きく負け越している。ブレイディにプレーオフ初黒星をつけたのもブロンコスであった。2012年に好敵手マニングがブロンコスに移籍して以降、選手獲得戦線も含めて同チームとのライバル関係に拍車がかかり、カンファレス・チャンピオンシップでも2度タイトルを争ったものの、いずれも敗退を喫している。

2024/06/05 00:51更新

Thomas Edward “Tom” Brady


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トム=ブレイディと近い名前の人

フランク=トーマス_(アニメーター)(Frank Thomas)
1912年9月14日生まれの有名人 出身

フランク・トーマス(Franklin "Frank" Thomas、1912年9月5日 - 2004年9月8日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ出身のアニメーター。ウォルト・ディズニー・プロ…

チャールズ=トムソン=リーズ=ウィルソン(Charles Thomson Ress Wilson)
1869年2月14日生まれの有名人 出身

チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン(Charles Thomson Rees Wilson, CH FRS, 1869年2月14日 - 1959年11月15日)は、スコットランドの気象学…

トンプソン・アイミ(Aimi Thompson)
2006年8月1日生まれの有名人 出身

トンプソン・アイミ(Aimi Thompson、2006年8月1日 - )は、日本の女性モデル(元子役)。 株式会社オウサム所属。 LIXILリフォームショップのCM子役。 クレバリーホーム(…

チャーリー=マンガー(Charles Thomas “Charlie” Munger)
1924年1月1日生まれの有名人 出身

チャーリー・マンガーまたはチャールズ・トーマス・マンガー(Charles Thomas Munger、 1924年1月1日 - 2023年11月28日)は、ウォーレン・バフェットが会長を務める投資持株…

武藤 十夢(むとう とむ)
【AKB48】
1994年11月25日生まれの有名人 東京出身

武藤 十夢(むとう とむ、1994年〈平成6年〉11月25日 - )は、日本の女優、タレント,元アイドル。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバーである。東京都葛飾区出身。生島企画室所属。 2…

カブトムシゆかり(かぶとむしゆかり)
1989年1月26日生まれの有名人 福井出身

カブトムシゆかり(1989年1月26日 - )は、日本のアイドルタレント。本名:富澤 友加里(とみざわ ゆかり)。 東京都出身。堀越高等学校卒業、東京国際大学に入学するも1年で中退。姉が居る。小学…

小林 アトム(こばやし あとむ)
1954年10月20日生まれの有名人 兵庫出身

小林 アトム(こばやし アトム、本名:小林 昭博(こばやし あきひろ)、1954年10月20日 - 2011年2月28日)は、兵庫県出身の俳優。町田英子事務所所属。 1976年に上京し俳優活動を始…

カシワクラ ツトム(かしわくらつとむ)
1966年3月1日生まれの有名人 神奈川出身

カシワクラ ツトム(1966年3月1日 - )は、日本の男性声優、音響監督。神奈川県相模原市出身。Magus(マグス)所属。 本名・旧芸名は柏倉 つとむ(読みは同じ)。音響監督の仕事を始めた当初は柏…

夙川 アトム(しゅくがわ あとむ)
1979年12月22日生まれの有名人 兵庫出身

夙川 アトム(しゅくがわ アトム、1979年12月22日 - )は、日本の俳優、元お笑い芸人。 兵庫県西宮市出身。過去の所属事務所はSMA NEET Project、SMA HEET Poject、…

Tom-H@ck(トム-ハック)
1985年5月13日生まれの有名人 宮城出身

Tom-H@ck(トム-ハック、1985年5月13日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、ギタリスト、実業家。CAT entertainment株式会社代表取締役。宮城県石巻市出身。本名、…

Bro.TOM(ブラザー・トム)
1956年2月23日生まれの有名人 埼玉出身

ブラザートム(Bro.TOM、1956年2月23日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、ピアノ調律師。旧芸名は小柳 トム(こやなぎ トム)。別名はTOM3、ザートム船長。アメリカ・ハワイ州マウイ島出…

トーマス=フィンケ(Thomas Fincke)
1561年1月6日生まれの有名人 出身

トーマス・フィンケ(Thomas Fincke、1561年1月6日 - 1656年4月24日)は、デンマークの数学者、物理学者。60年以上にわたりコペンハーゲン大学の教授を務めた。 シュレースヴィ…

エヴリーヌ=トーマ(Evelyne Thomas)
1964年1月10日生まれの有名人 出身

1月10日生まれwiki情報なし(2024/06/05 18:23時点)

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