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ポール=モリター
ポール=モリター(Paul Leo Molitor)さんの誕生日は1956年8月22日です。
選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。現在、引退に関する情報もありますね。ポール=モリターの現在の年齢は67歳のようです。
ポール・レオ・モリター(Paul Leo Molitor, 1956年8月22日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール出身のプロ野球監督、元プロ野球選手(指名打者、三塁手、二塁手)。 ニックネームは、「The Ignitor」。 1974年のMLBドラフトでセントルイス・カージナルスから28巡目(全体587位)に指名を受けるが契約せず、ミネソタ大学に進学。 1977年のMLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。同年はA級バーリントン・ビーズ(英語版)で64試合に出場し、打率.346、8本塁打、50打点、14盗塁を記録する。 1978年は、開幕メジャー入りを果たし、4月7日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。翌日の同カードではメジャー初本塁打を含む5打点を記録。当初は遊撃手、5月途中から二塁手に回り、前半戦で打率.296、6本塁打、22盗塁を記録。後半戦は打率.242、本塁打0と調子を落とすが、打率.273、142安打、30盗塁の好成績で新人王の投票ではルー・ウィテカーに次ぐ2位に入った。 1979年は、打率.322、188安打、33盗塁、リーグ2位の16三塁打と成績を伸ばす。 1980年は、開幕から好調を維持したが、6月に故障で1ヶ月以上離脱。オールスターゲームに初選出されたが辞退した。復帰後は調子を落とし、打率.304、34盗塁の成績だった。 1981年は、主に中堅手で出場するが、5月にまたも故障で離脱。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこともあって64試合の出場に留まり、打率.267、2本塁打、19打点に終わる。同年は前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは第3戦でトミー・ジョンから勝ち越し本塁打を放つが他の試合では振るわず、チームは2勝3敗で敗退した。 1982年は、三塁手にコンバートされ、5月12日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で先頭打者本塁打を含む3本塁打を放つ。打率.302、19本塁打、71打点、41盗塁、201安打、リーグ1位の136得点を記録し、チームは1969年の球団創設以来初の地区優勝。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.316、2本塁打を記録。チームは2連敗の後3連勝でリーグ優勝。カージナルスとのワールドシリーズでは第1戦で5安打を放つなど打率.355を記録するが、チームは3勝4敗で敗退した。 1983年は、打率.270と成績を落とした。 1984年は、故障で僅か13試合の出場に終わる。 1985年は、5年ぶりのオールスターゲームに選出される。 1986年は105試合の出場に留まった。 1987年は、開幕13連勝を記録したチームと共に好調なスタートを切る。7月16日から8月25日にかけて39試合連続安打(後述)を記録する。118試合の出場ながらいずれもキャリアハイの打率.353、45盗塁、出塁率.438、長打率.566、リーグ1位の114得点、41二塁打を記録し、シルバースラッガー賞(指名打者部門)を初受賞した。 1988年・1989年は共に打率3割、190安打以上を記録。 1991年は指名打者としての出場が増加。5月15日のミネソタ・ツインズ戦でサイクル安打を達成するなど打率.325、いずれもリーグ1位の216安打、13三塁打、133得点の好成績を記録。 1992年も打率.320、195安打を記録した。オフにFAとなった。 1987年に記録した39試合連続安打は、2015年現在でも大リーグ歴代7位で、ブルワーズ球団記録である。20世紀以後に限れば5位で、第二次大戦後ではピート・ローズの44試合連続安打(1978年)に次ぐ記録である。8月26日の本拠地ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムでのクリーブランド・インディアンス戦でジョン・ファレル(現ボストン・レッドソックス監督)の前に無安打に終わり、延長10回裏に次打者席にいるモリターの前の打者、リック・マニングがサヨナラ安打を放って試合が終わり、モリターの連続試合安打がストップすると、一部のファンからはブーイングも起こった。 1992年12月7日にトロント・ブルージェイズと契約を結んだ。移籍後は背番号をブルワーズ時代のチームメイトだったロビン・ヨーントと同じ「19」に変更。 1993年は後半戦で打率.361と調子を上げ、打率.332、22本塁打、111打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。シカゴ・ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦で本塁打を含む4安打、3打点を記録するなど打率.391の活躍で、チームはリーグ連覇。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは打率.500、2本塁打、8打点を記録してチームのシリーズ連覇に大きく貢献し、シリーズMVPを受賞。最優秀指名打者賞も獲得した。これが自身にとって最後のポストシーズンの出場となったが、通算で29試合に出場し、打率.368、6本塁打、22打点、5二塁打、3三塁打、28得点などの素晴らしい成績を残した。 1994年も好調を維持し、打率.341、14本塁打、75打点を記録するが、232日間に及ぶ長期ストライキでシーズンが打ち切られた。 1995年は平凡な成績に終わる。オフにFAとなった。 1995年12月5日に故郷のツインズと契約を結んだ。 1996年9月16日のロイヤルズ戦で通算3000安打を達成。40歳にして打率.341、9本塁打、キャリアハイの113打点、リーグ最多の225安打を記録し、2度目の最優秀指名打者賞を獲得。なお、「1桁本塁打で100打点」は20世紀以後に限ると、1985年のトム・ハー(セントルイス・カージナルス)の8本塁打、110打点に次いで2度目で、モリター以後2021年までは達成者がいない。 1998年は8月8日のオリオールズ戦で通算500盗塁を達成し、同年限りで現役を引退。 引退の翌1999年7月11日、ブルワーズ在籍時の背番号『4』がブルワーズの永久欠番に指定された。 2000年からの2年間はツインズで打撃コーチを務める。 2004年1月6日、資格初年度でアメリカ野球殿堂入り。主な守備ポジションは三塁手であったが、指名打者としては初の選出となった。同年シアトル・マリナーズの打撃コーチに就任したが、チームは打撃不振で打率こそリーグ7位であったが、得点がリーグ最下位であったことが響き、順位も地区最下位に終わり、監督のボブ・メルビンらと共に解任された。 2014年よりツインズのコーチに復帰し、同年のシーズン終了後には2015年シーズンより監督に就任することが発表された。 2015年、過去4シーズンで地区の順位が5→5→4→5と低迷していたチームを見事に立て直し、ワイルドカード獲得までわずか3ゲーム差となる、地区2位の83勝を挙げた。2017年にはチームをワイルドカードで7年ぶりのポストシーズンへ導き、最優秀監督賞を受賞した。しかし2018年チームはポストシーズンに進出できずシーズン終了後、監督を退任となった。 選手としての特徴類稀なバットコントロールと強靭なリストを武器とした好打者であり、打率と長打力を両立させた上、スピードと走塁技術を持ち合わせた出群の走者でもあった。主に一番打者として、33本の先頭打者本塁打(歴代10位)を記録するなど、打線の火付け役を務めたことから"The Ignitor"(イグナイター、点火装置)の異名を持ち、21シーズンに及ぶ現役生活において通算3319安打(歴代9位)、234本塁打、504盗塁の数字を積み上げた。3000本安打・200本塁打・500盗塁をクリアしているのは他にリッキー・ヘンダーソンのみであり、「MLB史上最も洗練された攻撃型プレーヤーの1人」と評される。守備は打撃ほどよくないが、投手、捕手を除く7ポジションでの出場経験がある。歴代順位はいずれも2015年シーズン終了時点。 詳細情報各年度の太字はリーグ最高 各年度の太字はリーグ最高 シルバースラッガー賞(指名打者部門):4回(1987年、1988年、1993年、1996年) ワールドシリーズMVP:1回(1993年) ベーブ・ルース賞:1回(1993年) 最優秀指名打者賞:2回(1993年、1996年) 月間MVP:2回(1989年9月、1993年5月) ルー・ゲーリッグ賞:1回(1997年) ハッチ賞:1回(1987年) MLBオールセンチュリー・チーム:ノミネート(1999年) ブランチ・リッキー賞(英語版):1回(1998年) マン・オブ・ザ・イヤー賞(英語版):1回(1998年) 週間MVP:5回(1982年9月19日、1987年8月16日、1987年8月23日、1992年8月30日、1994年7月24日) 最優秀監督賞:1回(2017年) MLBオールスターゲーム選出:7回(1980年、1985年、1988年、1991年 - 1994年) サイクル安打:1回(1991年5月15日) 4(1978年 - 1992年、1996年 - 1998年、2000年、2001年、2004年、2014年 - 2018年)※ミルウォーキー・ブルワーズの永久欠番 19(1993年 - 1995年) 2024/05/24 02:41更新
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Paul Leo Molitor
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