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ロイド=モスビー
ロイド=モスビー(Lloyd Moseby)さんの誕生日は1959年11月5日です。
プレースタイル、詳細情報などについてまとめました。兄弟、家族に関する情報もありますね。現在の年齢は64歳のようです。
ロイド・アンソニー・モスビー(Lloyd Anthony Moseby、 1959年11月5日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州ポートランド出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、コーチ。ニックネームはShaker。 1959年、アーカンソー州の綿花農家で8人兄弟の末子として生まれた。子供のころはバスケットボールが好きでガードを務め、綿花畑を走り回って俊足が鍛えられたという。オークランド高校(英語版)で野球を始めると才能が開花し、打球がライト後方の民家のガラスを頻繁に割るほどだった。自身は大学に進んでバスケットを続けたかったが、1978年のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから1巡目(全体2位)に指名を受け、豊かではない家族を助けるためにプロ入りを決めた。 1980年5月24日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。翌日の同カードでトミー・ジョンからのメジャー初本塁打を含む3安打4打点を記録した。1983年は打率.315、18本塁打、81打点、27盗塁の成績で、シルバースラッガー賞を受賞。1984年は18本塁打、92打点、39盗塁、リーグ最多の15三塁打を記録。1985年は18本塁打、37盗塁で球団創設以来初の地区優勝に貢献。カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.226に終わり、チームも3勝4敗で敗退した。 1986年はオールスターゲームに初めて選出される。1987年はキャリアハイの26本塁打、96打点、106得点、39盗塁を記録する。同時期に活躍したジョージ・ベル、ジェシー・バーフィールドとともに、ブルージェイズの「最高の外野トリオ」を形成した。1989年は打率.221、11本塁打に留まるが、チームは2度目の地区優勝を果たす。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦でデーブ・スチュワートから本塁打を放つなど打率.313を記録するが、チームは1勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、12月7日にデトロイト・タイガースと年俸140万ドルで契約を結んだ。 移籍1年目の1990年はセシル・フィルダーらとクリーンアップを組んだが、打率.248、14本塁打、17盗塁に終わる。1991年は故障もあって自身最少の74試合の出場に留まるなど、期待に応えられなかった。自身の誕生日である11月5日にフリーエージェントとなる。 1992年開幕後も所属球団が決まっていなかったところ、読売ジャイアンツと年俸80万ドルで(推定)で入団に合意した。なお、クリーブランド・インディアンスからもオファーを受けていたが日本の野球に興味があり優勝できるチームを希望していたため、巨人入りを決めたという。外国人枠の関係でデニー・ゴンザレスが4月9日にウェイバー公示され、これを待ってモスビーの入団契約が交わされている。4月12日に来日し、4月21日の対ヤクルト戦でNPBデビューし、この試合で本塁打を放っている。同年は96試合の出場ながら打率.306、25本塁打、71打点という好成績を残してチームを最下位から浮上させる原動力となり、11月20日に年俸140万ドル(推定)で残留契約を結んだ。 1993年はブルージェイズ時代の同僚バーフィールドが加入し、再び右中間コンビを組んだ。しかし、開幕2戦目の4月11日の対横浜戦で空振りした際に右脇腹に挫傷を負い、さらに6月7日には右足親指の捻挫のためアメリカに帰国し、フランク・ジョーブの診察を受けている。6月23日に日本に戻ったが、回復が遅かったため巨人はミッキー・ブラントリーを7月に獲得している。復帰後は打撃にムラがあり、シーズン終了前の10月17日にアメリカに帰国してそのまま退団した。また当時、バーフィールドとの確執も噂された。 1998年から1999年にかけてブルージェイズで一塁ベースコーチを務めた。 2018年にカナダ野球殿堂入りを果たした。 プレースタイルスイングスピードが速く、低めへの投球にも強かった。研究熱心な点と合わせ巨人のコーチだった中西太から打撃を高く評価されている。俊足・強肩で打球の読みも鋭く、守備範囲が広いため中堅手を主に務めていた。また、フェンスに激突しながら捕球する場面もしばしばみられた。走塁面ではMLBで通算280盗塁を記録し、NPBでも積極的な走塁を行っていた。 状況に合わせたチームプレーを行い、打席や守備位置で常に体を動かす陽気なパフォーマンスでチームメートやファンに好評を博していた。 詳細情報各年度の太字はリーグ最高 シルバースラッガー賞 1回:1983年 MLBオールスターゲーム選出 1回:1986年 初出場・初先発出場:1992年4月21日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、6番・中堅手で先発出場 初安打・初本塁打・初打点:同上、9回表に西岡洋からソロ 15 (1980年 - 1989年) 17 (1990年) 15 (1990年 - 1991年) 49 (1992年 - 1993年) 2024/05/16 04:30更新
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Lloyd Moseby
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