八木康夫の情報 (やぎやすお) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
八木 康夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
八木康夫と関係のある人
柳井満: 八木康夫 - TBSテレビ執行役員制作局付ドラマ担当プロデューサー。 磯山晶: 制作一部に復帰後、八木康夫の下でAPを務めたのち『キャンパスノート』(1996年)でプロデューサーとしてデビューする。 遊川和彦: 1990年前後のTBSコメディドラマを八木康夫プロデューサーと共に作り上げた。 田村正和: 『うちの子にかぎって…』への出演の経緯として、『くれない族の反乱』のプロデューサー八木康夫は、最終回で田村演じる佐伯とその子供が別れるシーンに感動し、これまで無かった田村と子供の組み合わせもアリだと感じて、田村の事務所に『うちの子にかぎって…』への主演での出演を打診した。 池端俊策: TBSプロデューサーの八木康夫との仕事も、『昭和四十六年 大久保清の犯罪』『協奏曲』『烏鯉』など多数。 堀川とんこう: 後輩の八木康夫プロデューサーは、「プロデューサーとディレクターは全く違う職能で、向き不向きがある。 貴島誠一郎: 編成時代に再放送を担当していたとき尊敬する八木康夫の「青が散る」が本放送より高い二桁視聴率をとった。 堀川とんこう: 八木康夫は、「制作者として見習うべき情熱」と敬意を抱く。 貴島誠一郎: ADましてやディレクターの仕事もしたことがなかったことから先輩社員の八木康夫や遠藤環のもとでプロデューサー業を修行。 田村正和: 一方田村とは旧知の仲である八木康夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。 |
八木康夫
八木 康夫(やぎ やすお)さんの誕生日は1951年7月16日です。愛知出身のテレビ プロデューサーのようです。
田村正和の起用、主な作品などについてまとめました。テレビ、離婚、卒業、事件、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。八木康夫の現在の年齢は72歳のようです。
八木 康夫(やぎ やすお、1950年(昭和25年)7月16日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー。TBSテレビ取締役、執行役員、テレパック常務取締役を務めた。 愛知県出身。愛知県立明和高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専修卒。 高校時代は、吉永小百合の清楚な美しさにひかれ、その熱い思いを「吉永小百合・讃」と題して400字詰め原稿用紙5、6枚にまとめ、校内文集に発表。同級生の間で熱烈なサユリストとして知られた。そして高校1、2年の時には、同級生3人とジャズバンドを結成。高校の文化祭にも出て、八木の発案でオリジナルレコードを1枚制作。歌詞も曲も自分たちで作った。 将来は、テレビ局で音楽番組を担当したいとひそかに思い、大学は迷わず、早稲田の第一文学部を目指した。しかし、学生運動の影響で東大の入試が中止になった年で、早稲田は難関だった。「お前の成績では無理だ」と周囲に言われたが、自分より成績のよかった同級生が軒並み不合格となる中、八木は現役で合格した。大学ではあこがれの学生バンド「ハイソサエティ・オーケストラ」で音楽漬けの毎日を送った。 1973年にTBS(現・TBSHD)へ入社。入社2年目に放送開始した『サウンド・イン"S"』に憧れて同番組の担当を熱望していたが、その夢は叶わず入社3年目からTBS制作1部(現・ドラマ制作部)に異動となり大山勝美班に所属。以後はドラマ制作者として先輩の柳井満や大山勝美の下で修業を積んだ。 八木のAD時代、ドラマプロデューサーはAD→Dを経て40歳前後で就任するケースがほとんどだったが、当時直属の上司だった柳井の進言により32歳でドラマプロデューサーに就任。初プロデュース作でビートたけしを主演に起用した『昭和四十六年 大久保清の犯罪』は、視聴率34.0%を獲得する大ヒットを記録した。手掛けた作品によっては、実在人物と登場人物を絡ませることもあり(『パパはニュースキャスター』、『ママはアイドル』など)、『うちの子にかぎって…』の様に八木自身が出演したものもあった。社会派からトレンディドラマまでをこなす幅広さを持っており、一時は「ドラマ部の新人類」と言われた。 2004年、編成制作局(現・制作局)付ドラマ担当プロデューサーの肩書きでTBSテレビの取締役に就任。現場から異例の役員昇進となった。 2014年4月、TBSテレビ取締役を退任し、同局の執行役員に就任。 2016年3月31日付でTBSテレビ執行役員を退任。6月、テレパック常務取締役に就任。 2018年6月、テレパック常務取締役を退任。 2021年時点の肩書はTBSテレビ社長室顧問であるが、近年はフリーのプロデューサーとして活動している。オッティモや、かつて役員として在籍していたテレパックと契約し、各局のドラマを手掛けている。また、一般社団法人放送人の会の理事でもある。 2022年3月21日、横浜市の関内ホールで開催された公開セミナー第51回名作の舞台裏『パパはニュースキャスター』に出演。放送当時のエピソードを話している。近況としては「数年前までTBSにいて、最近は数年NHKさんで番組をやらせて頂いています。今年度もNHKさんで予定をしています。生涯現役のつもりでドラマを作り続けて行きたいと思います」と自己紹介をしている(動画:1分30秒〜本人談)。 田村正和の起用田村正和とは、先輩がキャスティングした『くれない族の反乱』(1984年4月)という作品で初めて一緒に仕事をした。田村は離婚することになり、妻に引き取られる前に子どもと遊園地で遊ぶ男性を演じたが、これがすごく切なくて、良くて「いつか田村さんで子どものドラマをやりたい」と思ったという。しばらくして、あるドラマの視聴率が不調で打ち切られるので、「つなぎ」で通常より回数が短いものを作れと命じられた。そこで、田村が小学校の教師を演じる『うちの子にかぎって…』(同年8月)を企画した。田村の役どころは、こどもと一緒に悩みながら少しずつ前に進む先生役だった。 大スター阪東妻三郎を父に持ち、『眠狂四郎』(1972年)などニヒルな二枚目を演じてきたそれまでのイメージとは全然違うため、一度はマネージャーに断られた。それでも「ご本人にお話を」と食い下がり、田村と会った。するとその場で「やります」と返答し、これには八木も驚いたという。この作品で田村が演じた風采のあがらない教師役は大当たりをとり、以後、二枚目半・田村正和がドラマやCMで大活躍するようになった。 主な作品元気です!(1980年 - 1981年) ひとりぼっちのオリンピック(1983年) 青が散る(1983年 - 1984年)- 企画・演出 くれない族の反乱(1984年)※大山勝美と共同プロデュース うちの子にかぎって…(1984年 - 1987年)
子供が見てるでしょ!(1985年) となりの女(1986年) パパはニュースキャスター(1987年) ママはアイドル!(1987年)
パパは年中苦労する(1988年) 若奥さまは腕まくり!(1988年) はいすくーる落書(1989年) ママハハ・ブギ(1989年) 卒業(1990年) 予備校ブギ(1990年) ママってきれい!?(1991年) パパとなっちゃん(1991年) ADブギ(1991年) 十年愛(1992年) あの日の僕をさがして(1992年) 愛するということ(1993年) カミさんの悪口(1993年)
もしも願いが叶うなら(1994年) 男嫌い(1994年) 僕が彼女に、借金をした理由。(1994年) 人生は上々だ(1995年) 真昼の月(1996年) 協奏曲(1996年) 智子と知子(1997年) いちばん大切なひと(1997年) めぐり逢い(1998年) カミさんなんかこわくない(1998年) PU-PU-PU-(1998年) 魔女の条件(1999年) オヤジぃ。(2000年) 恋がしたい恋がしたい恋がしたい(2001年) 恋を何年休んでますか(2001年) おとうさん(2002年) 末っ子長男姉三人(2003年) 夫婦。(2004年) 恋の時間(2005年) 誰よりもママを愛す(2006年) ハタチの恋人(2007年) ぼくの妹(2009年) おやじの背中(2014年・東京ドラマアウォード優秀賞) 昭和四十六年 大久保清の犯罪・戦後最大の連続女性誘拐殺人事件(1983年)※初プロデュース作 シンデレラミセスの冒険(1984年) イエスの方舟(1985年・文化庁芸術作品賞) 雨の降る駅(1986年) 翔んでる警視(1986年) コンプレックス 可愛いコになれない(1989年) 忠臣蔵(1990年・ギャラクシー賞優秀賞) ティファニーで朝食を(1992年) 説得 エホバの証人と輸血拒否事件(1993年) ローマの休日(1993年) 烏鯉(1998年・文化庁芸術祭優秀賞) ディア・フレンド(1999年・文化庁芸術祭優秀賞) 百年の物語(2000年・橋田賞大賞)
第二夜:愛は哀しみをこえて・戦後編 第三夜:Only Love・現代編 明智小五郎対怪人二十面相(2002年) ビートたけし原作ドラマ 少年(2002年) さとうきび畑の唄(2003年・文化庁芸術祭大賞) 離婚旅行(2003年) 広島・昭和20年8月6日(2005年) 僕たちの戦争(2006年) シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機 そうか、もう君はいないのか(2009年) 歸國(2010年) トイレの神様(2011年) 終着駅〜トワイライトエクスプレスの恋(2012年) 悪女について(2012年)(2013年芸術選奨文部科学大臣賞(放送部門)受賞) 時計屋の娘(2013年) スローな武士にしてくれ〜京都 撮影所ラプソディー〜(2019年・文化庁芸術祭優秀賞) 令和元年版 怪談牡丹燈籠(2019年・文化庁芸術祭優秀賞) ライジング若冲(2021年) 人生最高の贈りもの(2021年・東京ドラマアワード優秀賞) 忠臣蔵狂詩曲No5 中村仲蔵(2022年・文化庁芸術祭大賞) ガラパゴス(2023年) 映画 公開セミナー 第51回名作の舞台裏『パパはニュースキャスター』 - ゲスト(2022年3月21日、関内ホール) 2024/05/26 13:58更新
|
yagi yasuo
八木康夫と同じ誕生日7月16日生まれ、同じ愛知出身の人
八木康夫と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「八木康夫」を素材として二次利用しています。