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前の山太郎の情報まとめ

前の山 太郎(まえのやま たろう)さんの誕生日は1945年3月9日です。大阪出身の相撲のようです。

現在、引退、家族、兄弟に関する情報もありますね。2021年に亡くなられているようです。
前の山太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2021年3月11日)は、大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は清水 和一(しみず かずいち)、旧姓は金島(かねしま)。身長186cm、体重133kg。最高位は東張出大関。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。 元前頭・朝若との養子縁組時は中矢(なかや)を名乗った。実弟に同部屋の幕下力士・佐田岬(後に前の湖と改名)がいる。 浪商高校入学直後までは野球部に所属していたが、長身の体格を見込まれ相撲部に入部して大阪府の大会に出場するなど活躍した。そこで自信を持ち、高校を1年で中退し兄と共に高砂部屋に入門、1961年3月場所に初土俵を踏んだ。しかしその場所中の稽古で左腕を故障し、一度序ノ口に付いたが7月場所には再び番付外から相撲を取った。幕内定着後に本人が、礼儀や上下関係に関して「最高に厳しい」と評するような部屋の環境などに苦労したのか、取的時代は脱走の常習犯であり、都合7回も部屋を逃げては戻るを繰り返していた。そんな前の山を連れ戻すために時には部屋関係者が警察に捜索願を出したこともある。一時は廃業も考えたがアメリカ合衆国・ハワイ州から来日した高見山の入門で刺激を受け、師匠高砂(元横綱前田山)の励ましもあり奮起した。前の山は、それまで同世代の高砂部屋力士自体特別稽古を多く積んでいた訳ではなかったが、高見山のおかげで周囲に言われるようになって稽古をしたと、後に感謝を述べている。1965年のある日の夜にタニマチに宴席へ連れられた際には同席していた大鵬から「まだ幕下なのにこんな遅くまで遊んでいてはいけない。早く帰れ」と言われて小遣い20万円(現在の100万円に相当)を渡されたことがある。 再出世以降は着実に番付を上げて行き、1965年11月場所には十両に昇進、1966年11月場所には新入幕を果たした。師匠譲りの張り手を交えた徹底した突き押し相撲で、1968年3月場所に関脇に昇進する。1969年1月場所前の座談会では、前の山の取り口について大鵬が「下手からの芸が多いんだよね。まあ、前の山は体もあるし、地力もあるんだから、心がけ次第で良くなっていくんじゃないの。差したら必ずカイナを返し、上手から攻めていけばいいよ」と話していた。1969年5月場所に東前頭筆頭で11勝4敗の成績を挙げて三役に復帰してからは三役に定着。同年9月場所10日目の大鵬戦は、立合い左から強烈な張り手を見舞って、大鵬の動きを止めると、その隙に乗じて一気に押し出し、大鵬戦はこの10度目の挑戦でようやく初勝利。1970年7月場所には13勝2敗の成績を挙げ横綱北の富士との優勝決定戦で敗れたものの場所後に大関に昇進した。 しかし、1970年9月場所前の稽古中に右足を故障し、新大関の場所は全休を余儀なくされた。翌11月場所はいきなり大関角番だったが、なんとか9勝6敗と勝ち越して角番脱出。だが、この右足の怪我の影響で本来の相撲が取れなくなり大関時代には一度も2ケタの勝ち星を挙げることができなかった。1972年1月場所で5日目から途中休場、2度目の角番となった翌3月場所の12日目、大関琴櫻を張り手で気絶させた一番が相撲競技監察委員会から「無気力相撲」との注意を受けた。監察委が発足してから初の無気力相撲認定事例である。この場所から審判部長となっていた師匠・高砂(元横綱朝潮。この前年に部屋を継いでいた。)は事態を重く見て前の山に休場を勧め(表向きの発表は「胆嚢症と自律神経失調症」だったが、監察委からの注意が本当の理由であることは報道でも指摘されている)、大関で2場所連続負け越しにより関脇へ陥落、大関在位は僅か10場所だった。そのうち2場所が9勝6敗、5場所も連続して8勝7敗だったこともあって、「クンロク大関」「ハチナナ大関」とも揶揄されていた。翌5月場所、関脇で7勝8敗に終わり大関復帰は成らず、以降は幕内中位での相撲が続いた。最終場所の1974年3月場所初日の吉の谷戦で足取り(それも波まくら型ではなく、いわゆるレスリングの「シングルレッグダイブ」型の変則の足取り)で敗れた例に表われるように、相撲内容が決して良いとは言えない状況に終始した。 現役時代は均整のとれた体躯をしており、師匠譲りの張り手を交えた気合十分の猛突っ張り、左差し右おっつけからの力強い相撲を見せた。同部屋の朝嵐からは「右足の怪我がなければ横綱」と評されていた。 1974年3月場所を最後に現役を引退し、年寄・高田川を襲名するとともに高砂部屋から独立して高田川部屋を新設した。小結前乃臻(後に前乃森と改名)、剣晃、幕内鬼雷砲らを育てるなど順風満帆ではあったが、1998年1月には周囲の反対を押し切り相撲協会の理事に立候補したため、当時所属していた高砂一門から破門され無所属となった。さらに同年3月には後継者に指名していた剣晃が、汎血球減少症による肺出血という奇病のため、現役中にわずか30歳で早逝という悲運に見舞われた。 1999年以降関取が不在で低迷していた時期も長かったが、2004年には貴乃花部屋から千田川親方(元関脇安芸乃島)が移籍。自ら弟子たちに胸を出す千田川の熱心な指導の甲斐もあり、2005年9月場所には大雷童が十両に昇進し、久しぶりに関取が復活した。弟子たちが相次いで師匠前の山の現役時代の名「太郎」を名乗り注目を集めている。 協会では、2期4年理事を務めたが、北の湖理事長就任が確実視されると理事立候補を止め、役員待遇に勇退する形で北の湖体制を支えた。境川理事長が推進した協会自主興行制の巡業には一貫して反発。勧進元制巡業に戻した北の湖理事長は、この経緯を買い、巡業の活性化を期待して高田川を2006年に異例の契約推進担当副部長に据えた。2007年の夏巡業で北海道での興行が復活するなど、手腕を発揮した。 2009年8月5日に千田川と年寄名跡を交換する形で部屋を譲った。2010年3月8日に日本相撲協会を停年退職した。 2021年3月11日に多臓器不全のため死去。76歳没。日本相撲協会は29日に前の山の死去を発表した。葬儀は家族葬で行われた。 現役時代は富士櫻の兄弟子として稽古を付け、部屋持ち時代末期には竜電の師匠を務めた。両者は甲府市の郷土力士であり、いわばこの2人を繋ぐ元大関であった。 通算成績:487勝397敗48休 勝率.551 幕内成績:343勝305敗34休 勝率.529 大関成績:67勝56敗27休 勝率.545 通算在位:79場所 幕内在位:46場所 大関在位:10場所 三役在位:15場所(関脇11場所、小結4場所) 金星:1個(柏戸1個) 三賞:5回
敢闘賞:2回(1969年5月場所、1970年7月場所) 各段優勝
他に優勝決定戦で琴櫻に1敗がある。 金島 和一(かねしま かずいち)1961年3月場所 - 1961年7月場所 金の島 和一(かねのしま - )1961年9月場所 - 1961年11月場所 前ノ山 和一(まえのやま - )1962年1月場所 - 1962年3月場所 前の山 和一(まえのやま - )1962年5月場所 - 1962年9月場所 前ノ山 和一(まえのやま - )1962年11月場所 - 1966年1月場所 前の山 和一(まえのやま - )1966年3月場所 - 1967年5月場所 前の山 太郎(まえのやま たろう)1967年7月場所 - 1969年5月場所 前乃山 太郎(まえのやま - )1969年7月場所 - 1970年11月場所 前の山 太郎(まえのやま - )1971年1月場所 - 1974年5月場所 高田川 和一(たかだがわ かずいち)1974年5月場所 - 2009年7月場所 千田川 和一(せんだがわ - )2009年9月場所 - 2010年1月場所 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p17 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p18 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p60-63 ^ 杉山邦博・小林照幸『土俵の真実 杉山邦博の伝えた大相撲半世紀』(文集文庫) ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p48-53 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p42 ^ 朝日新聞1972年3月24日付夕刊 ^ 朝日新聞1972年3月26日付朝刊スポーツ面 ^ 1969年7月場所より「大関で2場所連続負け越しで翌場所関脇に転落、但し降下直後の場所に10勝以上で大関特例復帰」と規定が改正して以降、前の山が初のケースだった。 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p38 ^ 元安芸乃島が高田川部屋継承=大相撲 時事通信 2009年8月5日 ^ 「元大関・前の山の清水和一さんが死去 76歳」『スポーツ報知』2021年3月29日。2021年3月29日閲覧。 ^ 元大関・前の山の清水和一さんが死去、76歳 多臓器不全で 日本相撲協会が発表 デイリースポーツ 2021.03.29 (2021年3月30日閲覧) ^ 清水和一さん死去、76歳 元大関前の山、気迫の突き押し相撲 JIJI.COM 2021年03月29日17時23分 (2021年3月30日閲覧) ^ 富士桜と竜電をつなぐ元大関の訃報 山梨日日新聞電子版 2021年3月31日 15時26分 (2021年4月10日閲覧) ^ 北の富士と優勝決定戦 ^ 右足首関節捻挫により初日から全休 ^ 角番(全2回) ^ 胸部挫傷・第5肋骨軟骨間離断により5日目から途中休場 ^ 胆嚢炎・自律神経失調症により13日目から途中休場 ^ 関脇陥落 ^ 左腰部打撲により9日目から途中休場 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p98-99 大相撲力士一覧 大関一覧 前の山 太郎 - 日本相撲協会 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 大阪府出身の大相撲力士 高砂部屋 高田川部屋 1945年生 2021年没 大阪府出身の人物 日本相撲協会の役員 ウィキデータにある日本相撲協会識別子
2025/03/29 19:05更新
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maenoyama tarou
前の山太郎と同じ誕生日3月9日生まれ、同じ大阪出身の人

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