吉田洋一の情報(よしだよういち) 数学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


吉田 洋一さんについて調べます
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吉田洋一と関係のある人
前田敏男: ノモンハンには吉田洋一著『函数論』を持ち込んで召集解除までの暇つぶしに読んだというから、応召も前田にとっては勉強のよき機会であり、次の飛躍へのステップともなった。 福原満洲雄: ジャック・アダマール、吉田洋一監修『アダマール偏微分方程式―コーシー問題と双曲型線形偏微分方程式―』(相沢貞一・山中健との共訳)共立出版(解説・正田建次郎) 赤攝也: 義父:吉田洋一は数学者。 福原満洲雄: アンリ・ポアンカレ、吉田洋一監修『ポアンカレ常微分方程式』(浦太郎との共訳)共立出版(解説・正田建次郎) 彌永昌吉: 代数学、幾何学の分野にも関心を持ち、中学の先輩であり数学者である吉田洋一と共に、数学史の編纂に携わった。 岸田日出刀: 建築と生活(伊東忠太ほか著 學生社 1962年 科学随筆全集 / 吉田洋一, 中谷宇吉郎, 緒方富雄編 14) 中村幸四郎: 科学随筆全集.続 第3、吉田洋一・緒方富雄・坪井忠二(共編)、学生社、1968年(昭和43年) |
吉田洋一の情報まとめ

吉田 洋一(よしだ よういち)さんの誕生日は1898年7月11日です。東京出身の数学者のようです。

卒業、現在、結婚に関する情報もありますね。1989年に亡くなられているようです。
吉田洋一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)吉田 洋一(よしだ よういち、1898年〈明治31年〉7月11日 - 1989年〈平成元年〉8月30日)は、日本の数学者。元北海道帝国大学教授。立教大学名誉教授。随筆家、俳人としても知られた。 1898年、東京に生まれた。1923年、東京帝国大学理学部数学科を卒業。卒業後は第一高等学校教授となった。後に母校の東京帝国大学助教授に就任。北海道大学理学部数学科の創設準備としてフランスに留学し、1930年より北海道帝国大学教授。1949年、立教大学理学部数学科教授に就任。1964年3月、定年退職し、立教大学より名誉教授の称号を受ける。その後、1965年から1969年まで埼玉大学教授として教鞭をとった。 1952年『数学の影絵』で第1回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。 戦前、北海道大学理学部数学科の創設に携わり、後にその尽力の結果もあって一時期は「数学をやるなら北大が良い」と言われたこともあった。 数学者としての研究に加えて、数学教育に多大な足跡を残した。 1939年に出版された『零の発見』(岩波新書)は、吉田の名を有名にした本で、数学の読み物として現在でも多くの人に読まれている。しかし内容には間違いが多い。まず標題に基づく内容はあくまで「ゼロ(0)という記号を最初に使用したのはインド人」というのみであってゼロを発見・発明したのはインドではない。本書では触れられていないが中国では紀元前14世紀に十進法を使用開始し、紀元前4世紀にはゼロを空位で表現した位取り記数法を使用していた。また本書では小数の使用は欧州で16世紀に開始されたと書かれているが、中国では紀元前にすでに小数を用いており、現存する最古の小数は紀元5年の日付のある劉歆による体積の標準単位に関する碑文にある「9.5」である。16世紀欧州の数学者は小数を中国から学んで使用した。本書に記述された内容は戦前の日本における理解であり、現在の常識とはかけ離れている。 戦前に書かれた『函数論』(岩波全書)も長く読まれた本で、この本は細部にまで気が配ってあり、本の構成方法などが、後の数学書の模範となったとされている。 『微分積分学序説』(培風館)は微分積分学の理論的な基礎を丁寧に解説してある本で、『微分積分学』(培風館)は理工系大学の微分積分学の決定版と言われた。 吉田は「新数学シリーズ」(培風館)の監修を担当し、そのシリーズの本は多くの大学などの機関ででテキストとして採用された。 数学書の練習問題の指示文に、「~せよ」「~しなさい」などという命令を表す文を使わず、「~する」という文を使っていた。 随筆家、俳人としても著名であった。随筆集として、『白林帖』『数学の影絵』『数学の広場』『数と人生』『歳月』などがある。 息子:吉田夏彦は哲学者。 娘:赤冬子は翻訳家。数学者の赤摂也と結婚した。 『実変数函数論概要』共立社書店、1934年。 『函数論』岩波全書、1938年。 改版1965年 『零の発見』岩波新書、1939年。 各・改版1956年、1979年、2015年 『白林帖』甲鳥書林、1943年。 『微分積分学序説』培風館、1949年。 『人間算術』角川書店、1950年。 『数学の影絵』東和社、1952年。 河出文庫、1982年。下記・角川版とは異なる編集 『一対一』弘文堂〈アテネ文庫〉、1952年。 『初等数学辞典』弘文堂〈アテネ文庫〉、1954年。 『微分積分学』培風館、1955年。 ちくま学芸文庫、2019年。 『数学あ・ら・かると』学生社新書、1956年。 『点集合論入門』培風館〈新数学シリーズ〉、1960年。 『ルベグ積分入門』培風館〈新数学シリーズ〉、1965年。 ちくま学芸文庫、2015年。 『数学者の眼 現代を生きるヒント』講談社現代新書、1965年。 『数学の影絵』角川選書、1969年。 ちくま学芸文庫、2023年。増訂版で、全エッセイを収録 『数と人生』新学社文庫、1969年。 新書判 『数学の広場』学生社〈科学随筆文庫〉、1977年11月。 『歳月』岩波書店、1984年7月。 『聞かれるままに』私家版、2001年1月。 吉田洋一 編『数学辞典』弘文堂〈アテネ文庫〉、1953年。 『数学序説』赤摂也と、培風館、1954年。 ちくま学芸文庫、2013年。
『数学序説』赤攝也と(改訂版)、培風館、2001年9月。ISBN 4-563-00101-5。 『世論調査』西平重喜と、岩波新書、1956年。 『数表』吉田正夫共編、培風館〈新数学シリーズ〉、1958年。 『代数および幾何 基礎課程』河野伊三郎と、培風館、1958年。 『数学の広場』矢野健太郎と、学生社、1961年。 『数学概論 大学教養』村田全と、同文書院、1961年。 矢野健太郎 編『私の数学勉強法』ダイヤモンド社、1965年。
『科学随筆全集』中谷宇吉郎・緒方富雄編、学生社、1966年。 『数学に強くなる法』田島一郎編、ダイヤモンド社、1966年。 アンリ・ポアンカレ『科学と方法』岩波書店、1926年。 岩波文庫、1953年。 ロナルド・ミーク『イギリス古典経済学』未來社〈社会科学ゼミナール〉、1956年。 R.L.ワイルダー『数学基礎論序説』培風館、1969年。 アンリ・ポアンカレ『科学の価値』岩波文庫、1977年5月。 ^ Needham, Joseph; Tsien, Tsuen-hsuin, eds (2001). Science and civilisation in China. Pt. 1: Vol. 5. Chemistry and chemical technology Paper and printing / by Tsien Tsuen-Hsuin. 5 (Repr ed.). Cambridge: Cambridge Univ. Pr. ISBN 978-0-521-08690-5 ^ 注: 試験等の問題の文体に関して、一般論として次のような指摘がある。ある時代以降「~を求めよ。」とするのが定形となっているが、これは以前は「~を求む。」であった。「求む」という表現は、出題者が回答者に「寄越せ」と要求していることが明確であるのに対し、「求めよ」では回答者が「ください」と第三者に要求すればそれで終わりみたいだ、と。 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 人物の画像提供依頼 19世紀日本の数学者 20世紀日本の数学者 19世紀日本の随筆家 20世紀日本の随筆家 19世紀日本の俳人 20世紀日本の俳人 北海道大学の教員 立教大学の教員 立教大学名誉教授 埼玉大学の教員 東京大学の教員 東京大学出身の人物 東京都出身の人物 1898年生 1989年没 数学に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事
2025/04/01 12:56更新
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yoshida youichi
吉田洋一と同じ誕生日7月11日生まれ、同じ東京出身の人


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