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仲井戸麗市: 当時THE STREET SLIDERSの土屋公平と共に麗蘭を結成、弾き語りなどのソロ活動と平行して活動を続ける。 堂本剛: テレビ『堂本兄弟』で共演したギタリストの土屋公平からギターとブルース、ファンクを学び、本格的にファンクの音楽に目覚める。 浦嶋りんこ: 土屋公平(2008年:MUSIC FLOWER) 村越弘明: “村越弘明と土屋公平のユニット“JOY-POPS”全国ツアー“TOUR 2O2O NEXT DOOR””. JOY-POPS(村越弘明+土屋公平) 恩田快人: ギター土屋公平(元THE STREET SLIDERSのギター) 内海利勝: キャロルの影響を受けたミュージシャン、クリエーターは数多いが、ミュージシャンでは、大友康平、高橋ジョージ、氷室京介、藤井フミヤ、横山剣、THE COLTS、ギターウルフ、ダイアモンド☆ユカイ、 土屋公平らが有名である。土屋公平は中学生の頃にキャロルのラストライブに足を運び、会場で舘ひろしにインタビューされている(その時の映像は未だに動画サイト等で公開されている)。 小室みつ子: 土屋公平、南部直史とともに全国ツアー。 堂本剛: 『堂本兄弟』で共演したTHE STREET SLIDERSの土屋公平にも積極的にファンクギターを習うなど演奏の技術を磨く努力を怠らず熱心に取り組む。 大黒摩季: 甲斐よしひろ、土屋公平、氷室京介らとも交流がある。 村越弘明: ザ ・ストリート・スライダーズの解散から約18年ぶりに土屋公平とのブルースユニットJOY-POPSの復活を発表。 亜美: 2010年、吉田建率いるSugar&The Honeytones(屋敷豪太、土屋公平、浅倉大介、koto)のボーカルとして各地でライブを開催。 大黒摩季: 2004年、武部聡志、土屋公平、真矢、恩田快人らとコピーバンド“大黒摩季とフレンズ”を結成。 池畑潤二: 2015年、中島美嘉と土屋公平のバンドプロジェクト「MIKA RANMARU」に参加。 浅倉大介: また、2010年2月には土屋公平、吉田建、屋敷豪太とのバンドSugar & The Honey Tonesとしてアルバム『SO SWEET!』をリリース。 村越弘明: 土屋公平とのブルース・ユニット、JOY-POPSのミニ・アルバム《 |
土屋公平
土屋 公平(つちや こうへい)さんの誕生日は1960年10月4日です。東京出身のミュージシャンのようです。
セルフ・プロデュースによる音楽制作、人物などについてまとめました。解散、事故、兄弟、テレビ、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。土屋公平の現在の年齢は63歳のようです。
土屋 公平(つちや こうへい、Tsuchiya Kouhei、1960年10月4日 - )は、日本のギタリスト、ミュージシャン、作曲家、編曲家、作詞家、音楽プロデュース等。東京都出身。元THE STREET SLIDERS、JOY-POPSのギタリスト。バンド解散後はソロ活動や麗蘭を中心とする複数のユニット、ゲスト出演等でも活躍している。蘭丸、Koheyとも呼ばれている。 1983年(昭和58年) 1983年3月5日ロックバンドTHE STREET SLIDERSのリードギターとしてEPIC・ソニーからメジャーデビュー。 《第I期》 1987年10月〜1988年3月 1987年(昭和62年) 10月。メンバーの事故によりバンドが休止状態に入り村越と土屋によるアコースティック・ユニット“JOY-POPS”始動。 11月18日。甲斐よしひろのKAI YOSHIHIRO & PROJECT Kに初参加でフジTV夜のヒットスタジオに出演。スライダーズ以外のバンドでギターを弾くのはこの時が初となる。その後も甲斐のツアー《STRAIGHT LIFE TOUR》にゲスト出演。以降、ライブやツアーに定期的にゲスト出演・ツアーメンバーとして参加するようになる。 1988年(昭和63年) 4月。『ROCK'N' ROLL DEF' TOUR』よりバンド活動再開。 1989年(平成元年) 12月9日。THE STREET SLIDERSより3枚組CDシングル「ROUTE S.S.」を限定数で発売。その中の1枚が佐久間正英との共同作業による土屋のソロ作品。 《第II期》 1991年1月〜1993年3月 1991年(平成3年) アルバム『NASTY CHILDREN』のリリースとライブツアー『BIG BEAT, DANCE '90-'91』終了後バンドは“冬眠”(無期限の活動休止)に入る。 1991年(平成3年) 個人事務所を設立した仲井戸麗市(チャボ)と再会。RCサクセションの“お休み”とスライダーズの“冬眠”二つの偶然が重なりユニット麗蘭が誕生。全国31カ所ライブツアー《麗蘭との夕べ》を敢行。 10月。全国ツアーだけで終わる予定だった麗蘭が、ライブビデオの発売とスタジオ録音盤も残す話になった。レコーディングの際、土屋のプロデュース能力を高く評価するレコード会社のエピソードが残されている。 1992年(平成4年) 1992年10月。G.D.FLICKERSの6曲入りミニ・アルバムのサウンド・プロデュースを手掛ける。 1993年(平成5年) ライブツアー『The Street Sliders Live'93 “沈黙の答え”』を全国9カ所で開催。バンド再始動への期待が高まるがこのライブ後バンドは再び活動休止に入る。 《第III期》 1993年4月〜1994年3月 1993年9月。土屋のソロ・プロジェクトThe 99 & 1/2 (ザ ・ナインティナイン・アンド・ハーフ)が始動。 1994年(平成6年)4月 『THE STREET SLIDERS Tour'94《不滅》』より活動再開。 2000年(平成12年) 2000年10月29日 (2000-10-29)。日本武道館でのラストライブをもってTHE STREET SLIDERS解散。 2001年(平成13年) フリーのギタリストとして活動を開始。 4月。音楽バラエティ堂本兄弟 へのレギュラー出演 9月14日〜29日。小室みつ子《 AS ALWAYS 》TOURに参加。札幌、仙台、名古屋、大阪、東京の5カ所を周る。 2002年(平成14年) 5月5日。オフィシャルファンクラブ《KOHEY MANIAX》発足。 音楽プロデューサーでベーシストの吉田建とFunk Unit《Apollo&Bump School 》を立ち上げる。 2003年(平成15年) 4月12日〜6月22日。甲斐よしひろ《 Serirs of Dreams Tour Vol.2 (1979-1986) 》にツアーメンバーとして参加。全国13ヵ所を周る。 11月23日〜2004年1月24日。甲斐よしひろ《 Serirs of Dreams Tour Vol.3 (1987-2003) 》にツアーメンバーとして参加。全国10カ所を周る。 12月25日。大黒摩季《 BUDOKAN Holy Night ~Spirits of three Divas~》日本武道館。ゲスト出演。 2004年(平成16年) 2月27日。《 80215 special 続 ナニワ・サリバン・ショー KING OF ROCK'N' ROLL 》大阪城ホール。出演。 4月25日。清春 1st LIVE TOUR《 room of melancholy 》渋谷公会堂。ゲスト出演。 5月14日。《 TOSTEM ONE NIGHT STAND 大黒摩季とフレンズ》SHIBUYA-AX出演。 9月10日〜10月11日。甲斐よしひろ 《 PARTY 30 KAI 30th ANNIVERSARY TOUR 》にツアーメンバーとして参加。全国8ヵ所を周る。 11月6日。甲斐よしひろ《 PARTY 30 in 日本武道館》サポートメンバーとして出演。 2005年(平成17年) 1月29日。《 Groove Guitar-Joyful Night 》を神戸にて開催。土屋公平ソロ活動の一環として独奏スタイルのライブを始める。 5月29日。《Groove Guitar act. 独奏 土屋公平 Fantastic "GROOVE" 》を渋谷・duo MUSIC EXCHANGEにて開催。 7月17日。フジテレビの堂本兄弟で《堂本ブラザーズバンド・ファースト・ライブ》に出演。 7月〜8月。《 Lightning Blues Guitar '05 》新潟(フジ・ロック)、大阪、神戸、名古屋、東京・日比谷野音に出演。 9月24日。《 Groove Guitar act.2 独奏 土屋公平 Fantastic "VIBES"》を渋谷で開催。ゲスト竹内朋康。 12月19日。《大黒摩季2005年冬の大感謝祭》。日本武道館にてゲスト出演。 2006年(平成18年) 1月21日。《 Groove Guitar act.3 独奏 土屋公平 Fantastic "FUNKY JUNGLE"》を渋谷にて開催。ゲスト・花田裕之。 2月~3月。甲斐よしひろ《 ROLLING CIRCUS REVUE KAI YOSHIHIRO TOUR 2006》に参加。 5月11日。中島美嘉LIVEギター・サポートで《 ROCK KIDS 802 》大阪のSPECIAL LIVEに出演。続く31日もプレスイベントに参加。アラン・トゥーサンと共演。 7月15日及び17日。《 Groove Guitar act. 独奏 土屋公平 Fantastic 《FUNK HOUSE 》開催。 12月8日。大黒摩季ツアー《 MAKI OHGURO Live Bomb!! Lev“V” 》神奈川県民ホールにゲスト出演。 2007年(平成19年) 1月27日。SHIBUYA-AXで行われた《 soul of どんと 2007 ~どんとトリビュート soul show~》に出演。 1月31日。札幌市民会館 最後の日《 LAST SHIMIN 》に出演。 4月~中島美嘉《 MIKA NAKASHIMA CONCERT TOUR 2007 YES MY JOY 》にツアー・メンバーとして初参加。 10月。大黒摩季とフレンズ再結成。《青春ロックライブハウスツアー》を行う。 2008年(平成20年) 10月15日。デビュー25周年記念プロジェクトとしてソロ・シングル《MUSIC FLOWER 》をリリース。 2009年(平成21年) 1月21日。土屋公平1stソロ・アルバム《GET STONED》をリリース。 2010年(平成22年) 2月14日。ユニット Sugar & The Honey Tones を結成。60〜70年代音楽のカバー・アルバム《SO SWEET!》を発売。ライヴも行う。 10月4日。50才を迎えた時「今までエレクトリック・ギターを弾いてきた自分がこれを機にアコースティック・ギターで自分が歌うためのブルースを作って自分で歌ってみたい。単なる弾き語りではなく自分らしいグルーヴィーなアコースティック・ギターのステージをやりたい」という思いを決心に変える。 2011年(平成23年) 《私的モード録音盤》のソロ・アルバムをシリーズで制作スタート。第一弾を7月7日に、第二弾を10月4日発売。翌日、渋谷にて発売記念のライブを行う。 2012年(平成24年) 7月1日〜10月4日。SOLO LIVE《 My Voice and My Guitar 》で全国9カ所においてソロ・ライブのツアーを行う(パーカッション:JAH-RAH。九州北部豪雨の影響により、熊本のみ公演が中止)。 2013年(平成25年) 8月7日。東京・下北沢GARDENにおいて、《土屋公平 SOLO LIVE 2013 》を行う。パーカッションはJAH-RAH、ゲストにはバンド時代からの友人、市川“James”洋二が出演。 2014年(平成26年) 3月21日〜6月24日。土屋公平 SOLO LIVE 《少年とギター》TOUR 2014 で全国30カ所においてソロ・ライブのツアーを開催(パーカッション:JAH-RAH)。 8月21日〜10月24日。《少年とギター TOUR 2014 Again 》で3カ所の追加公演を行う。 9月6日〜翌2015年2月28日。μFM〔ミューエフエム(FM鹿児島)〕においてラジオ番組《らんまるのわがままon the radio〜二人のロック夜話》に出演。共演は盟友・佐伯明。 10月4日。東京・下北沢GARDENにおいて、土屋公平 SOLO LIVE《 BIRTHDAY BOOGIE! 》を開催。 2015年(平成27年) 中島美嘉のバンドプロジェクト「MIKA RANMARU。」に参加。 2016年(平成28年) 3月18日〜7月12日。SOLO LIVE《午前三時の残光》全国17カ所でソロ・ライブのツアーを行う。 2017年(平成29年) 7月1日〜10月4日。SOLO LIVE《 I'm Your Boogie Man TOUR 》全国28カ所でソロ・ライブのツアーを行う。 10月13日〜。中島美嘉ツアー《 MIKA NAKASHIMA FULL COURSE TOUR 2017~YOU WON'T LOSE~》にサポート・メンバーとして参加。 2018年(平成30年) 3月6日。THE STREET SLIDERSで共にフロントマンだった村越とのアコースティック・ユニットJOY-POPSの復活を公式サイト上で発表。解散より18年ぶりにステージでの共演となる。デビュー35周年企画により《Wrecking Ball Tour 》で全国を周る。ストリート・スライダーズ時代からのファンが多数チケットを買い求めほとんどの会場で売り切れが続出。複数の追加公演が行われるほどの人気公演となった。 2019年(令和元年) これまでのソロライブのスタイルを一段落させ、予ねてからの構想であった新編成のトリオを結成。生のドラムスに盟友Jah-Rah、ウッドベースに若きベースマンの多田尚人を迎えて、ライブを見据えた新作のアルバム《Struck a Blue Guitar》を7月に完成。 7月12日〜10月4日。SOLO LIVE《Struck a Blue Guitar》全国15カ所でソロ・ライブのツアーを行う。 2020年(令和2年) 1月23日。村越弘明とのユニットJOY-POPSの2年ぶりの全国8カ所のツアー『Tour 2020 NEXT DOOR』開催を発表。 3月。新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い札幌、名古屋、横浜公演の日程の順延を発表する。 4月10日。新型コロナウィルス感染症が拡大し全公演の開催延期と振替公演の日程を発表。 7月10日。ツアーが白紙になったことで生まれたJOY-POPSのミニ・アルバム《Inner Sessions》を公式サイトの通販で限定発売。2000年にストリート・スライダーズが解散して以来、初めてスタジオ・レコーディングによる新曲が録音された。 10月4日。自身初のオンライン無観客配信によるバースデー・ライブ《60th Birthday LIVE“The Shadow Of My Rhythm”》を行う。 10月5日。ユニットJOY-POPSの全国ツアー《Tour 2020 NEXT DOOR》振替公演の中止と、東京渋谷のLINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)にて有観客と生配信を合わせたライブの開催を発表。 10月24日。12枚目の私的モード録音盤《 The Shadow Of My Rhythm 》を発売。 12月5日。ユニットJOY-POPSの有観客生配信によるライブ《Tour 2020 NEXT DOOR》を東京都渋谷区のLINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)にて開催。 12月30日。13枚目の私的モード録音盤《LIVE AT THE MANDALA》2枚組のライブ・アルバムを発売。 2021年(令和3年) 3月5日。ライブ・アルバム《JOY-POPS LIVE 2020 "NEXT DOOR" [2]》と前年CD仕様で発売したミニ・アルバム《 Inner Sessions 》のアナログ盤を同時発売。 2022年(令和4年) 5月27日。東京都南青山にて仲井戸"CHABO"麗市と無観客生配信ライブAcoustic Duet《いゃ~!久しぶり~麗と蘭》を開催。 6月20日。村越弘明とのブルース・ユニット、JOY-POPSのスタジオ録音盤ミニ・アルバム《夜更けの王国 INNER SESSIONS 2》を通販のみの限定発売する告知をオフィシャルサイトより発表。 甲斐よしひろソロ活動35周年記念ツアー『KAI YOSHIHIRO FLASH BACK TOUR 2022』にギタリストとして参加が決定。10月より大阪、愛知、東京、追加公演を含めて計4ヶ所。 11月よりビルボードライブ(横浜、大阪)及びブルーノート東京において『JOY-POPS LIVE 2022 NEXT DOOR-夜更けの王国』スペシャルLIVEを開催。最終日のステージは収録によるネット配信が行われ、2023年にBlu-rayが発売予定。 2023年(令和5年) 2023年1月27日。東京都の南青山MANDALAにおいて『土屋公平 LIVE 2023「I’m Back with Boogie!」有観客ソロライブ+ストリーミング生配信』を開催。 4月26日。東京都豊洲PITのPreview GIGにおいてストリート・スライダーズとして22年ぶりのステージへ上がる。 5月3日。The Street Slidersデビュー40周年記念により、東京都日本武道館において「The Street Sliders Hello!!」武道館ライブを開催。解散から約23年ぶりにオリジナルメンバーの4人が再集結し、1万4千人収容の会場チケットは全て完売。衛星放送チャンネルのWOWOWより同時生中継も行われた。この日ライブ終盤、秋にThe Street Slidersで全国を周るツアーを開催することが発表された。 6月10日。東京都の吉祥寺において『土屋公平 LIVE 2023「I’m Back with Boogie!vol.2」、翌月7月16日に同会場でvol.3を開催。この2日間のライブは『私的モード録音盤vol.14』として発売。 8月11日。北海道の音楽フェス、ライジング・サン・ロックフェスティバル(石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ)にストリート・スライダーズとして出演。 9月1日よりThe Street Slidersの2023年ツアー『Rock’n’ Roll』で全国7ヶ所を周る。 12月28〜30日。京都・磔磔・麗蘭LIVE2023『Homecoming』 2024年(令和6年) 2024年3月6日よりThe Street Slidersデビュー40周年のファイナル・ツアー『Thank You!』で全国8ヶ所を周る。このツアーをもってアニバーサリー・イヤーを一区切りとした。 4月6日。東京都日比谷の野外大音楽堂においてThe Street Slidersのスペシャルライブ『Enjoy the Moment』が追加決定。この日のライブの模様は衛生放送のWOWOWより生中継が行われ、後日同局のオンデマンドでも配信された。 セルフ・プロデュースによる音楽制作EPIC・ソニー在籍時、THE STREET SLIDERSでの海外レコーディング経験はロンドンが2回 、後にN.Yやベルリンでのミックスダウン作業も経験。それらは非常に勉強になりよい経験をさせてもらったと語る。 企画シングルBOX《ROUTE S・S》の中で土屋公平のソロを出すアイデアが持ち上がった時、頭の中にシンセ・ベースがあり、シンセ・ベースを入れた上でスライダーズと全然違う形でやるなら、やってみる価値はあると思った。 1989年12月、シングル「届かぬラブレター / 蜜の味」リリース。音楽プロデュースに佐久間正英、エンジニアにマイケル・ツィマリング。この2曲はスライダーズとは録音の仕方が全く異なり、作詞・作曲は自身で、編曲、打ち込みアレンジ等は佐久間と行なっている。 1993年以降、バンドが再び活動休止となり、その間自分の中に溜まってきた音を形として出したくなったことから自宅にてデモ・テープを作成。スタッフへ渡して協議した結果実現はしなかったが、宅録による初めての自主制作で幻のソロ・アルバムとなっている。 1993年夏。自主制作のアルバムは幻に終わったものの気持ちを切り替え再び別のプロジェクトを立ち上げる。それがThe 99 & 1/2 (ザ ・ナインティナイン・アンド・ハーフ)である。The 99 & 1/2のファースト・アルバムはミック・ジャガーのソロアルバムを手掛けたデヴィッド・ビアンコ氏に自らデモ・テープを送って依頼。米国ロサンゼルスにてトラック・ダウンとMIXを行っている。 The 99 1/2 CD:ESCB 1430 CD: ARCJ 61 CD: MHCL 1439 CD:ESCB 1421 CD:ESDB 3438 CD:ARCJ 51 CD:ARCJ 53 CD:ARCJ 56 CD:ARCJ 72 CD:ARCJ 75 ESBL-2143 DVD「Re-PRICEシリーズ」 ソロ活動以降 《私的モード録音盤シリーズ》 2010年から制作を開始した《私的モード録音盤》のvol.1からvol.4(星への冒険学)までは音楽プロデュース、歌、作曲、アレンジ、演奏、プログラミング、ミックスに至るまで全て自身で行っている(ライヴ盤除く)。 私的モード録音盤vol.5以降は、パーカッションやドラムスはドラマーを、vol.10からはアップライト・ベースのベーシストを加えたチームになっている。 土屋自身もギターやボーカルの他にベース、パーカッション、キーボード、ハーモニカ、マリンバ等も演奏し、ユニット麗蘭のアルバムや私的モード録音盤(ソロ作品)、ユニット作品等に取り入れられている。 人物音楽に入るきっかけはGS(グループサウンズ)。 小学生の時にタイガース、テンプターズ、スパイダーズ、デイブ・クライブ5、T-bornなどを聴いていた。小さい頃は足が速く、図工が好きで版画や木を彫っていた。 ストリート・スライダーズのZUZUとは幼なじみ。 10才頃にクリームと出会い、Strange Brewの電気音はそれまでの彼の音楽における世界観をひっくり返した。エリック・クラプトンがブルースを聴いているらしいと雑誌で見て、B.B.KINGら3大KINGやルーツ音楽に目覚め、ブラックミュージックへ傾倒していく。 中学生の時、音楽のクラブに入ってギターを触らせてもらい親にねだってグレコの白いテレキャスターを買ってもらった。当時はキャロルが好きで、1975年4月の解散コンサートにも行っている。三列目辺りで観ていたところを舘ひろしからインタビューを受けている14才当時の彼の姿が映像で確認されている。 高校に入ってから新宿のディスコ通いに夢中になり、それまでのルーツミュージックからビートサウンド、ソウルやファンクとの出会いを経て他の楽器やアンサンブルも聴くようになる。ファンクのカッティング・ギターに目覚めたのは、新宿のディスコで黒人のグルーヴの気持ちよさに目覚めたから。 吉祥寺のロック喫茶でローリング・ストーンズの音楽と出会いロックンロール・バンドでライブをやりながら旅をする生活を妄想していた。 ストリート・スライダーズがデビューするまではよく4人で誰かの家に集まりレコードを聴いてどんな音楽をやるか話していて、その時間が非常に楽しかったという。しかしバンドをやって成功したいとは思っていなかった。《一つの歌をやろうよという形ではスライダーズが最初のバンドで、そして最後のバンドになった》と後のインタビューで語っている。 《蘭丸》という呼び名は “ストリート・スライダーズがデビューした頃、ファンの女の子達から少女漫画の主人公にちなんで愛称で呼ばれていた”とする説と、“19才くらいの時に喫茶ローリング・ストーンのアンジーがつけた”と蘭丸がインタビューで答えている記事がある。 2014年自身のラジオ番組で「《蘭丸》は吉祥寺のロック喫茶でアルバイトをしていた時に店で呼ばれていたニックネームを次第にファンの子も使い始めた」と番組の中で語っている。 趣味は《ジミ・ヘンドリクス》というくらい影響を受け、精神的な支柱になっている。 ソロ活動以降、2002年にGROOVE GUITAR SEMINAR(セミナー講師)、2003年からGROOVE GUITAR CIRCLE(ギターの講師)を開催して後進の育成に努めている。 土屋は堂本剛のファンクの師匠である。二人が共演していた番組が『LOVE LOVE あいしてる』から『堂本兄弟』に変わるタイミングの頃、番組のリハーサルでギターを弾く土屋の音がめちゃくちゃにカッコよかったと思い、思いきって打ち上げの後に話しかけた所「自分で良ければギターを教えるよ」と土屋から連絡先をもらいそこからブルースやファンクの音楽に目覚めENDRECHERIに繋がっていったと語っている。 2024/05/23 09:36更新
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tsuchiya kouhei
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