奥崎謙三の情報(おくざきけんぞう) 反戦運動家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


奥崎 謙三さんについて調べます
■名前・氏名 |
奥崎謙三と関係のある人
昭和天皇: 長和殿のバルコニーに立った際、奥崎謙三(暴行の現行犯で逮捕)からパチンコ玉で狙われた。 見沢知廉: 奥崎謙三は『獄の息子は発狂寸前』を獄中で読んで見沢の母の心根に感激。 原一男: 奥崎謙三を追った『ゆきゆきて、神軍』(1987年)により、ベルリン国際映画祭にてカリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞。 山根二郎: 1969年昭和天皇パチンコ狙撃事件の犯人奥崎謙三(ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』の主人公)の弁護人を担当。 鈴木邦男: 以降、90年代サブカルシーンの登場人物の一人となり、かつては敵側だった赤軍派元議長の塩見孝也や、あるいは宅八郎、佐川一政、奥崎謙三らとも交流する。 |
奥崎謙三の情報まとめ

奥崎 謙三(おくざき けんぞう)さんの誕生日は1920年2月1日です。兵庫出身の反戦運動家のようです。

事件、映画、卒業、結婚、テレビ、現在、母親に関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。
奥崎謙三のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍軍人(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、俳優、アナーキスト。昭和天皇パチンコ狙撃事件の犯人として知られる人物。他にも不動産業者刺殺事件や皇室ポルノビラ事件、元上官長男への殺人未遂事件を起こして度々服役した。またドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演していた。自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営(陸軍二等兵)し、後に九江の工兵隊へ転属。1943年1月、独立工兵第36連隊に配属され、4月に当時激戦地だった東部ニューギニア(ニューギニアの戦い)に派遣される。部隊は敗走を重ねながら飢えとマラリアに苦しみ、千数百名のうち生き残ったのはわずか30数名だった。奥崎は敗走の前からたびたび上官に暴行を働いて食料を奪っていたが、そのことが知れると上官の恥になるため露見しなかったという。また、奥崎は、この敗走の過程で右手と右足に敵の銃弾を受けた結果、右手の小指を失っている。最終階級は上等兵。1944年7月18日、西部ニューギニアのデンタにて連合軍の食料を盗んでいたところを「米兵よ、自分を撃て」の意で"GI, Come gun!"と叫び、投降。豪州軍の捕虜となる。捕虜番号148715。ヘイの第8捕虜収容所にて病院のコックをしていた。1946年3月に復員。豪州当局は引揚船に生鮮野菜や肉類を大量に積み込んだものの、船内の給食は極めて悪く、船員が復員者の食料を横領しているのだとのうわさが流れた。奥崎は噂を確かめるべく単身で船長室に乗り込み、船長に執拗な暴行を加え、腹部に携行した理髪用のハサミで刺した。しかし、被害者であるはずの船長が横領事件の発覚を恐れ、奥崎に「事件を内聞で済ませてもらいたい」と申し出たため、このときも刑罰を受けることはなかった。それ以降、引揚船では食べきれないほどの食料が出るようになり、それまで目立たぬ存在であった奥崎はたちまち船内の英雄となる。 1947年3月、三木市の共和製作所に就職。同年5月に製作所の寮母の石地シズミと結婚。1951年、神戸市兵庫区にサン電池工業所を開業し、バッテリー商・中古車販売・自動車修理を営む。1956年、店舗の賃貸借をめぐる金銭トラブルから不動産業者を刺殺し、傷害致死罪で懲役10年の刑に服する。 1974年、残留日本兵救出の目的でグアムを訪問。1976年、『宇宙人の聖書!?』を自費出版。その宣伝のため、銀座、渋谷、新宿の歩行者天国で、ポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラ約3,000枚をまいた(皇室ポルノビラ事件)。全国指名手配された直後、独立工兵36連隊の生き残りの元軍曹宅を訪れたところを埼玉県警察のパトカーに発見され、深谷警察署により逮捕、猥褻図画頒布で懲役1年2か月の刑に服する。 1977年、獄中から参院選全国区に出馬し、神軍新聞を発行した。1980年、ふたたび参院選全国区に立候補。2度にわたり選挙広告の掲載を拒否した朝日新聞社社長・渡辺誠毅の襲撃を計画するが、年末、偶然テレビで当時の自民党最大派閥「木曜クラブ」の忘年会のニュースを観たことから、「天皇に通ずる社会の悪因」として、目標を田中角栄に変更。1981年、『田中角栄を殺すために記す』を自費出版。田中に対する殺人予備罪で書類送検されるが不起訴となった。その後は、自家用車2台(トヨタ・マークII・ダイハツ・ハイゼット)を使用し、街宣活動・自著の宣伝を行っていた。 1982年から記録映画『ゆきゆきて、神軍』の撮影が始まる。1983年3月、原一男監督らと西ニューギニアでロケを敢行。同年9月にはパプアニューギニアへ単独で慰霊におもむく。同年12月に行われた衆院選で当時の兵庫1区から立候補。終戦直後に独立工兵隊第36連隊内で「戦病死」した兵士の死の真相を追ううち、元中隊長ほか3名の殺害を決意する。元中隊長宅を訪れた際、応対に出た長男に改造拳銃を発砲し、殺人未遂罪等で懲役12年の刑に服する。広島拘置所に収監中だった1986年9月、妻を亡くす。刑の確定後、熊本刑務所を経て1993年6月、城野医療刑務所に移監。1997年8月、府中刑務所より満期出所。1998年、映画『神様の愛い奴』に主演。2005年、死去。入院していた神戸市内の病院で、死去寸前まで「馬鹿野郎」と周りに喚き散らしていたと報道されていた。しかし、奥崎の支援者によると、入院中に「みんな、良うしてくれます。」と漏らしていたという。 奥崎の死後、程なくして自宅は解体され、現在は駐車場となっている。 原一男によると、奥崎とシズミ、奥崎の母親の眠る墓(神戸市追谷墓園内)も撤去され、跡地は更地となっている。 1969年1月2日、皇居で6年ぶりにおこなわれた一般参賀で、奥崎は昭和天皇に向かってパチンコ玉を発射した。昭和天皇がバルコニーにいたところ、奥崎が15メートル先から手製のゴムパチンコでパチンコ玉3個を発射。さらに、「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と声を挙げ、パチンコ玉をもう1個放った。玉はいずれも昭和天皇の足元付近、バルコニーのすそかくしに当っただけだった。奥崎は私服警官にその場で逮捕された。公判では、性器を露出して検事に小便をかけ、判事に唾を吐きかけた。結局、暴行罪で懲役1年6か月の判決を受けた。当時はバルコニーに防弾ガラスが入っていなかったが、この事件を機に入れるようになった。 『ヤマザキ、天皇を撃て!』三一書房 1972年9月30日 新泉社 1987年8月 ISBN 4787787187 『宇宙人の聖書!? 天皇ヒロヒトにパチンコを撃った犯人の思想・行動・予言』サン書店 1976年3月全国書誌番号:82021629 『不敬列伝』沢木耕太郎 1976年 新潮文庫『人の砂漠』収載 1980年 ISBN 978-4-10-123501-1 『田中角栄を殺すために記す 人類を啓蒙する手段として』サン書店(発行)・有文社(発売) 1981年8月全国書誌番号:21441190 『殺人論 国家・権力者・法律の犠牲者に捧げる殺人犯の贈物』サン書店 1983年12月 『ゆきゆきて神軍の思想』新泉社 1987年8月 ISBN 4787787179 『非国民奥崎謙三は訴える!!! ゆきゆきて神軍の凱歌』新泉社 1988年8月 ISBN 4787788140 『奥崎謙三服役囚考 あいまいでない、宇宙の私』新泉社 1995年7月 ISBN 4787795147 『ゆきゆきて、神軍』(1987年、原一男監督、疾走プロダクション) 『神様の愛い奴』(1998年、大宮イチ・藤原章監督) 『亜人間 奥崎謙三』(2017年、原一男監督) ^ 秦郁彦『日本人捕虜 白村江からシベリア抑留まで 上』原書房、1998年、279-280頁。ISBN 4-562-03071-2。 ^ こんどは皇族ポルノ パチンコ事件の奥崎つかまる『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月29日朝刊、13版、23面 ^ 河原敏明『天皇家の50年』p.228 ニューギニアの戦い 遠藤誠 - 奥崎の弁護士 原一男 - 『ゆきゆきて、神軍』監督 安岡卓治 - 『ゆきゆきて、神軍』のスタッフ。通訳として西ニューギニアロケにも唯一同行 井出孫六 - 1972年、「皇居パチンコ事件」の冒頭陳述書を『ヤマザキ、天皇を撃て!』として出版。1980年には、奥崎とともに西ニューギニアへ慰霊に赴いた 天皇制廃止論 神様の愛い奴(映画公式サイト) キネマ旬報邦画ベストテン100作品データ NO.2 - ウェイバックマシン(2001年3月31日アーカイブ分) デジタル版 日本人名大辞典+Plus『奥崎謙三』 - コトバンク 奥崎謙三 - IMDb(英語) 奥崎謙三 - 日本映画データベース 1977年参院選全国区選挙公報 奥崎謙三 1980年参院選全国区選挙公報 奥崎謙三 表 話 編 歴 天皇制廃止論 民主主義
共和主義 マルクス・レーニン主義
共産主義 社会主義 暴力革命 プロレタリア独裁 赤色テロ スターリン主義 毛沢東思想 信教の自由
平等主義
家制度 家父長制 女性差別 言論の自由/表現の自由
日本帝国主義
反日感情 朝鮮独立運動 昭和天皇の戦争責任論 日本共産党(22年テーゼ・27年テーゼ・32年テーゼ・日本人民共和国憲法草案) 新左翼(反皇室闘争) 反天皇制運動連絡会 反天皇制全国個人共闘・秋の嵐 白貞基 難波大助 李奉昌 奥崎謙三 師岡佑行 菅孝行 加納実紀代 加藤三郎 天野恵一 堀内哲 幸徳事件 虎ノ門事件 朴烈事件 二重橋爆弾事件 (1924年) 桜田門事件 上海天長節爆弾事件 プラカード事件 京大天皇事件 昭和天皇パチンコ狙撃事件 第1次坂下門乱入事件 日光皇太子夫妻襲撃事件 虹作戦 第2次坂下門乱入事件 ひめゆりの塔事件 風日祈宮放火事件 東宮御所前爆弾所持事件 平安神宮放火事件 梨木神社爆破事件 神社本庁爆破事件 北海道神宮放火事件(未解決) 檜町公園事件(反天皇への攻撃未遂) 迎賓館ロケット弾事件 東郷神社爆破事件 中央自動車道切り通し爆破事件 八王子市陵南会館爆破事件 皇居外苑汚物散布事件 国体開会式発煙筒事件 京都寺社等同時放火事件 オウム真理教の皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画 韓国による天皇謝罪要求 ゆきゆきて、神軍 新しい神様 天皇制 君主制 皇室 日本国王 自由民権運動 皇国史観 国家神道 大逆罪
不敬罪
天皇機関説事件 内村鑑三不敬事件 極東国際軍事裁判 象徴天皇制 嶋中事件(風流夢譚事件) 靖国神社問題 天皇事件 Category:日本の共和主義 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 日本の無政府主義者 日本のテロリスト 20世紀日本の実業家 太平洋戦争の人物 捕虜となった人物 切断障害を持つ人物 兵庫県出身の人物 1920年生 2005年没 原一男 2025/03/31 03:28更新
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okuzaki kenzou
奥崎謙三と同じ誕生日2月1日生まれ、同じ兵庫出身の人

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