寺田治郎の情報(てらだじろう) 裁判官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
寺田治郎と関係のある人
寺田逸郎: 第10代最高裁判所長官を務めた寺田治郎は父親にあたる。 |
寺田治郎の情報まとめ
寺田 治郎(てらだ じろう)さんの誕生日は1915年11月4日です。愛知出身の裁判官のようです。
卒業、事件に関する情報もありますね。2002年に亡くなられているようです。
寺田治郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、日本の裁判官。第10代最高裁判所長官。 愛知県出身。旧制姫路高等学校を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部を卒業。 司法官試補となるも、すぐに大日本帝国陸軍に召集され、法務大尉として終戦を迎えた。復員後は1947年(昭和22年)に京都地裁に勤務した後、1949年(昭和24年)に最高裁民事局勤務、最高裁事務総務局長、大津地裁所長、東京高裁判事を経て、1974年(昭和49年)に最高裁事務総長に就任。1976年(昭和51年)5月に日本共産党スパイ査問事件が国会で取り上げられた時には国会に呼ばれ、「国政調査権が確定判決の当否、事実認定、罪刑の当不当などを調査するのは司法権介入になるか」とただしたのに対し、寺田は1948年(昭和23年)の最高裁裁判官会議の議決から「確定判決の当否を調べるため、国会が証人喚問を行うようなことは的確ではない」と答弁した。 1977年(昭和52年)11月に名古屋高裁長官、1978年(昭和53年)7月に東京高裁長官を歴任。 1980年(昭和55年)3月22日に最高裁判所判事に就任。就任の時に「裁判官はいくら理屈が立派でも、結論が実感からかけ離れていてはダメ。庶民的なところをこれからもこころがける」と話した。1982年(昭和57年)10月1日に最高裁判所長官に就任。 最高裁長官時代には一票の格差問題に取り組み、全国4ヶ所の高裁で判断に差異があり、これらが上告されてからわずか半年で最高裁大法廷判決を出し、国会に対して怠慢を是正して早期是正を強く迫った。1984年5月の憲法記念日を前にした記者会見で最高裁の違憲審査について「一般論だが、法律の合憲性について条件をつけ、法を制限解釈することで、将来、法の解釈運用が実際に動かされ、ひいては立法に発展することもあり、これは一つの違憲法令審査権の作用だと考える」と述べた。この寺田の「憲法限定解釈論」は一面は結果的に現状追認型となり、制度的な改革を目指す当事者としては強い不満を残した。 また、1971年を最後に中断していた司法修習修了式を1983年4月に行った。 1985年11月4日定年退官。1987年勲一等旭日大綬章受章。2002年、急性心不全のため86歳で死去。 息子の逸郎も裁判官となり最高裁判所判事を経て、2014年(平成26年)4月1日、第18代最高裁長官に就任している。 日産自動車事件(1981年、第三小法廷裁判長) 前科照会事件(1981年、第三小法廷裁判長) 大阪空港訴訟(1981年、大法廷裁判官) 堀木訴訟(1982年、大法廷裁判官) 札幌税関検査事件(1984年、大法廷裁判長) 福岡県青少年保護育成条例事件(1985年、大法廷裁判長) サラリーマン税金訴訟(1985年、大法廷裁判長) ^ 「寺田治郎」『日本人名大辞典+Plus』。https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E6%B2%BB%E9%83%8E。コトバンクより2022年5月8日閲覧。 ^ 野村二郎 1986, p. 240. ^ 「寺田 治郎」『20世紀日本人名事典』。https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E7%94%B0%20%E6%B2%BB%E9%83%8E。コトバンクより2022年5月8日閲覧。 ^ 野村二郎 1986, p. 241. ^ 野村二郎 2004, p. 84. ^ 野村二郎 2004, p. 82. ^ 野村二郎 2004, pp. 84–85. ^ 野村二郎 2004, p. 172. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊 野村二郎『最高裁全裁判官:人と判決』三省堂、1986年。ISBN 9784385320403。 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。 山本祐司『最高裁物語(下)』講談社+α文庫、1997年。ISBN 9784062561938。 表 話 編 歴 細野長良1947 三淵忠彦1947-1950 田中耕太郎1950-1960 横田喜三郎1960-1966 横田正俊1966-1969 石田和外1969-1973 村上朝一1973-1976 藤林益三1976-1977 岡原昌男1977-1979 服部高顯1979-1982 寺田治郎1982-1985 矢口洪一1985-1990 草場良八1990-1995 三好達1995-1997 山口繁1997-2002 町田顯2002-2006 島田仁郎2006-2008 竹﨑博允2008-2014 寺田逸郎2014-2018 大谷直人2018-2022 戸倉三郎2022-2024 今崎幸彦2024- 大審院長 表 話 編 歴 小林俊三1947-1951 垂水克己1951-1955 安倍恕1955-1958 大野璋五1958-1960 横田正俊1960-1962 石田和外1962-1963 近藤綸二1963-1964 下村三郎1964-1965 山本謹吾1965-1967 村上朝一1967-1968 奥野利一1968-1970 岸盛一1970-1971 岸上康夫1971-1972 市川四郎1972-1974 安村和雄1974-1975 青木義人1975-1977 戸田弘1977-1978 寺田治郎1978-1980 大塚正夫1980-1981 川島一郎1981-1982 矢口洪一1982-1984 大内恒夫1984-1985 四ツ谷巖1985-1987 杉山克彦1987-1988 草場良八1988-1989 大西勝也1989-1991 三好達1991-1992 石田穣一1992-1993 栗原平八郎1993-1994 川崎義徳1994-1996 金谷利廣1996-1997 桜井文夫1997-1999 町田顯1999-2000 泉德治2000-2002 今井功2002-2004 仁田陸郎2004-2007 竹﨑博允2007-2008 白木勇2008-2010 安倍嘉人2010-2011 富越和厚2011-2012 吉戒修一2012-2013 山崎敏充2013-2014 小池裕2014-2015 倉吉敬2015-2016 戸倉三郎2016-2017 深山卓也2017-2018 林道晴2018-2019 今崎幸彦2019-2022 中村慎2022-2024 堀田眞哉2024-現職 表 話 編 歴 本間喜一1947-1950 五鬼上堅磐1950-1958 横田正俊1958-1960 石田和外1960-1962 下村三郎1962-1963 関根小郷1963-1965 岸盛一1965-1970 吉田豊1970-1973 安村和雄1973-1974 寺田治郎1974-1977 牧圭次1977-1980 矢口洪一1980-1982 勝見嘉美1982-1986 草場良八1986-1988 大西勝也1988-1989 川崎義徳1989-1992 千種秀夫1992-1993 金谷利廣1993-1996 泉徳治1996-2000 堀籠幸男2000-2002 竹﨑博允2002-2006 大谷剛彦2006-2009 山崎敏充2009-2012 大谷直人2012-2014 戸倉三郎2014-2016 今崎幸彦2016-2019 中村慎2019-2022 堀田真哉2022-2024 氏本厚司2024-現職 ISNI VIAF 日本 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 日本の最高裁判所長官 最高裁判所事務総局関係者 勲一等旭日大綬章受章者 東京大学出身の人物 旧制姫路高等学校出身の人物 愛知県出身の人物 1915年生 2002年没 2025/01/23 23:28更新
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