小山松吉の情報(こやままつきち) 検察官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小山 松吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
小山松吉と関係のある人
山下洋輔: 父・啓輔は三井鉱山勤務、母・菊代は司法大臣を務めた小山松吉の娘。 小原直: 小原は、検察官在任中に東京地裁検事局検事正 小林芳郎の下で、南谷知悌、古賀行倫、武富済、小山松吉、大田黒英記らと日本製糖汚職事件(日糖事件)で家宅捜索と贈収賄者の取調べを担当した。 ヨシフ=スターリン: 1923年4月には、のちの日本の検事総長であった小山松吉が『「ソヴイエト」露国の司法制度及び訴訟手続』を法律雑誌に連載した。 鈴木喜三郎: このような人脈は平沼騏一郎-鈴木-小山松吉-塩野季彦に連なる「思想検察」の基礎を形成した。 平沼騏一郎: 同年の関東大震災直後には大審院長を辞任したが、その翌日には治安維持法の前身となる勅令治安維持の為にする罰則に関する件が下った、俗に、平沼 - 鈴木喜三郎 - 小山松吉 ラインが思想検事系列の礎として形容されていった。 塩野季彦: 戦前にかけて、俗に司法・検察人事では平沼騏一郎、鈴木喜三郎らの流れを汲み、初期の社会主義運動、大逆事件の指揮にあたった小山松吉らを経てのち、思想検事は「塩野閥」が主流とされ、刑事警察を常道とすべきとする小原直らの「小原派」と対立関係にあったが、小原派は超弱小派閥ゆえ問題とならなかった。 |
小山松吉の情報まとめ
小山 松吉(こやま まつきち)さんの誕生日は1869年11月1日です。茨城出身の検察官のようです。
現在、卒業、事件、結婚、再婚に関する情報もありますね。1948年に亡くなられているようです。
小山松吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小山 松吉(こやま まつきち、1869年11月1日(明治2年9月28日) - 1948年(昭和23年)3月27日)は、日本の法学者、司法官僚、政治家。学位は法学博士。検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、法政大学総長を歴任。茨城県出身者では初の国務大臣である。 水戸の米穀商・高瀬儀平次の三男として生まれ、15歳で岡山県士族・小山高光の養子となる。二松学舎の学僕(学費免除の住み込み学生)を経て、獨逸学協会学校(現在の獨協大学)専修科を卒業し、法曹会雑誌編集委員、内田康哉内閣総理大臣臨時代理の奏請により懲戒裁判所検事、大審院検事などを経て1924年(大正13年)に検事総長となり、1932年(昭和7年)に齋藤内閣の司法大臣に就任するまでの8年間これを勤めた。 司法大臣退任を目前に控えた1934年(昭和9年)7月3日には貴族院勅選議員に勅任され、無所属倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止までつとめている。また同じ年には小山の収賄行為を証言した者が逆に偽証罪で有罪となったいわゆる「お鯉事件」が起きている。 小山は初期の社会主義運動取締りの指揮にあたった。東京控訴院検事時代には捜査主任として小原直や武富済らと大逆事件の第一線に立ち、大規模テロ事件の全貌解明と再発防止に貢献した。ただし幇助犯の幸徳秋水についてはこれを担当していない。大逆事件の公判時には担当検事として社会主義者の多くから憎しみを買い、自宅に硫酸の入った瓶を投げつけられるに至って警官に門前を警備させざるを得なくなっている。 検事総長在職中に起きた京都学連事件では、林頼三郎司法次官、各控訴院検事長、各府県特別高等警察(特高)課長らと協議した上で、私有財産制度の否認を理由とした治安維持法の初めての適用に関わった。また特高に対しては拷問を禁止する一般的指示権を発動、それ以後は特高による拷問が激減した。司法官として小山は、無差別テロ・軍事クーデター・高官汚職のいずれに対しても厳しい姿勢をとった。人脈的には平沼騏一郎 - 鈴木喜三郎 - 小山と連なりさらに塩野季彦へと続く、いわゆる思想検事系列を形成立していったとみられている。 司法大臣のときは中国との戦争に反対、このことから荒木貞夫陸軍大臣と対立した時期があった。一方で1936年4月、弁護士会無所属の弁護士(いわゆる非弁)を違法化した法律事務取扱の取締に関する法律を施行し、このことにより全国に数十万人の人口があったとされる無所属の弁護士を失職させた。この時期に神兵隊事件の公判を指揮している。帝人事件では特に捜査を止めなかった。 1934年(昭和9年)には急死した水町袈裟六に替わり法政大学総長に就任、野上豊一郎と森田草平の対立に端を発した学内紛争(いわゆる法政騒動)を収拾した。この頃には荒木陸相との関係を修復して学内に招聘している。法政大学総長として東京六大学野球を熱心に支援したのも小山である。1936年(昭和11年)にはやはり急死した獨逸学協会中学校の司馬亨太郎に替わって校長に就任し、1946年1月まで務めた。 1948年(昭和23年)3月27日、脳溢血のため目黒区平町の自宅で死去。 弓道家として知られ、1931年(昭和6年)には範士となっている。武芸に詳しく、古武道振興会の初代会長、大日本武徳会の顧問なども務めている。 妻の正尾は養父・小山高光の長女。娘は建築家山下啓次郎の次男と結婚。二人の次男にジャズピアニスト山下洋輔がいる。二女・豊は北海道炭鉱汽船夕張病院長伊藤金三郎に嫁ぎ、子に外科医の伊藤宏、孫に通訳のベルジュロ伊藤宏美。 兄の高瀬羽皐(高瀬真卿)はジャーナリスト、社会事業家で、日本最初の予備感化院(のち東京感化院)を創設した。羽皐の婚外子の娘・倭文子は社会主義者の猪俣津南雄と結婚の後に労働運動家の高野実と再婚し、高野孟と津村喬は羽皐の孫にあたる。 1913年(大正2年)4月22日 - 正五位 1927年(昭和2年)12月28日 - 従三位 『「ソヴイエト」露国の司法制度及び訴訟手続』《法曹会『法曹会雑誌』第1巻1号-6号》1923年4月-9月。なお、同7号は 関東大震災の報となった。 『刑事訴訟法提要』(法政大学、1929年) 『名判官物語』(中央公論社、1941年) ^ この法律の弊害について枡谷寅吉衆議院議員が帝国議会で司法大臣に対し質問主意書を提出したが、広田内閣の林頼三郎は根拠を示さないまま否認に終始した。 ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』122-123頁。 ^ 小山松吉『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月] ^ 『考古の巨星: 末永雅雄と橿原考古学研究所』向谷進、文藝春秋, 1994、p19 ^ 『ドファララ門』山下洋輔、晶文社、2014、p80 ^ 「法曹会雑誌」、奥付。1923年。 ^ 印刷局 1923. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。 ^ 「法律案第1読会」(議事録)。昭和8年3月7日。 ^ 「審議経過」。国立国会図書館。 ^ 内閣答弁書。 ^ 『目で見る獨協百年』、獨協中学・高等学校同窓会。 ^ 『朝日新聞』 1948年3月31日 ^ 『ドファララ門』p88 ^ 会議通訳者 ――国際会議における通訳 訳者紹介研究社 ^ 『官報』第220号「叙任及辞令」1913年04月26日。 ^ 『官報』第358号「叙任及辞令」1928年3月10日。 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 「小山松吉」、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、コトバンク(2016年6月24日閲覧) 「小山松吉」、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク(2016年6月24日閲覧) 印刷局「職員録」大正12年、印刷局、1923年。 「法律事務取扱の取締に関する内閣答弁書」、1936年5月26日。衆議院。 表 話 編 歴 主幹 薩埵正邦 1881-1888 河津祐之 1888-1889 心得 古市公威 1886-1887 大島誠治 1887-1889 箕作麟祥 1889-1897 心得 飯田宏作 1897-1898 横田国臣 1898 梅謙次郎 1899-1900 富井政章 1900-1902 梅謙次郎 1902-1903 総理 梅謙次郎 1903-1910 専任理事 古賀廉造 1910-1913 松室致 1913-1920 初代 松室致 1920-1931 事務取扱/第2代 秋山雅之介 1931-1933/1933-1934 第3代 水町袈裟六 1934 第4代 小山松吉 1934-1943 第5代 竹内賀久治 1943-1946 第6-7代 野上豊一郎 1946-1950 事務取扱 錦織理一郎 1950 第8代 大内兵衛 1950-1959 第9代 有沢広巳 1959-1962 代行/第10代 谷川徹三 1962-1963/1963-1965 代行 小田切秀雄 1965-1966 代行 菰淵鎮雄 1966-1967 第11代 渡邉佐平 1967-1968 代行 菰淵鎮雄 1968 第12代 中村哲 1968-1983 代行/第13代 青木宗也 1983-1984/1984-1988 第14代 阿利莫二 1988-1995 代行 鬼塚豊吉 1995 第15代 下森定 1995-1996 第16代 清成忠男 1996-2005 第17代 平林千牧 2005-2008 第18代 増田壽男 2008-2014 第19代 田中優子 2014-2021 第20代 廣瀬克哉 2021- カテゴリ メディア 法政大学 学校法人法政大学 人物 表 話 編 歴 江藤新平 大木喬任 田中不二麿 大木喬任 山田顕義 山田顕義 田中不二麿 河野敏鎌 山縣有朋 芳川顕正 清浦奎吾 曾禰荒助 大東義徹 清浦奎吾 金子堅太郎 清浦奎吾 波多野敬直 松田正久 千家尊福 岡部長職 松田正久 松室致 松田正久 奥田義人 尾崎行雄 松室致 原敬 大木遠吉 岡野敬次郎 田健治郎 平沼騏一郎 鈴木喜三郎 横田千之助 小川平吉 江木翼 原嘉道 渡邊千冬 鈴木喜三郎 川村竹治 小山松吉 小原直 林頼三郎 塩野季彦 宮城長五郎 木村尚達 風見章 柳川平助 近衛文麿 岩村通世 松阪広政 岩田宙造 木村篤太郎 鈴木義男 表 話 編 歴 岸良兼養 鶴田皓 渡辺驥 名村泰蔵 三好退蔵 三好退蔵 松岡康毅 春木義彰 横田国臣 野崎啓造 横田国臣 松室致 平沼騏一郎 鈴木喜三郎 小山松吉 林頼三郎 光行次郎 泉二新熊 木村尚達 岩村通世 松阪広政 中野並助 木村篤太郎 福井盛太 福井盛太 佐藤藤佐 花井忠 清原邦一 馬場義続 井本臺吉 竹内壽平 大澤一郎 布施健 神谷尚男 辻辰三郎 安原美穗 江幡修三 伊藤栄樹 前田宏 筧栄一 岡村泰孝 吉永祐介 土肥孝治 北島敬介 原田明夫 松尾邦弘 但木敬一 樋渡利秋 大林宏 笠間治雄 小津博司 大野恒太郎 西川克行 稲田伸夫 林眞琴 甲斐行夫 畝本直美 カテゴリ ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 19世紀日本の法学者 20世紀日本の学者 日本の法制史家 法学博士取得者 戦前日本の学者 昭和時代戦前の閣僚 日本の司法大臣 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 日本の検事総長 弓道家 大日本武徳会の幹部 大日本武徳会の武道家 法政大学総長 法政大学の教員 獨協大学出身の人物 二松學舍出身の人物 常陸国の人物 1869年生 1948年没 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 23:58更新
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