志田宗大の情報(しだむねひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
志田 宗大さんについて調べます
■名前・氏名 |
志田宗大と関係のある人
佐々木順一朗: 志田宗大(ヤクルト) 佐々木朗希: 岩手県気仙地方出身者のドラフト指名は、陸前高田市出身の鈴木弘規(水沢第一高校:1974年に阪急ブレーブスから4位指名)、大船渡市出身の志田宗大(青山学院大学:2001年にヤクルトスワローズから8位指名)に続き3人目で、気仙の高校からのドラフト指名、気仙出身者の1位指名はいずれも史上初だった。 荒金久雄: 1年下の石川雅規、志田宗大ともプレーした。 田中祐貴: 一軍のレギュラーシーズン最終戦に当たる10月10日の対広島戦(神宮)が志田宗大との合同引退試合として開催され、6回表に「打者1人だけ」という条件で登板したユウキは、「最高に遅い」と自認するスローボールを交えながら、石原慶幸から3球で三振を奪って13年間の現役生活を締めくくった。 |
志田宗大の情報まとめ
志田 宗大(しだ むねひろ)さんの誕生日は1979年6月16日です。岩手出身の野球選手のようです。
現在、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。志田宗大の現在の年齢は45歳のようです。
志田宗大のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、岩手県大船渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、中日ドラゴンズのアナリスト。 仙台育英高校では1年から3年連続で夏の甲子園に内野手で出場。青山学院大学時代は後に一緒にヤクルト入りする石川雅規と同期で、2年からは外野で4年時の2001年はセンターを守っていた。2年の大学選手権ではレギュラーで優勝。4年生の時には、翌2002年オフに読売ジャイアンツ(巨人)に自由枠で入団することになる木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。東都大学リーグ通算95試合出場、326打数91安打、打率.279、4本塁打、34打点。ベストナイン2回受賞。仙台育英高と青山学院大ではいずれも主将を務めていた。 2001年のNPBドラフト会議でヤクルトスワローズから8巡目指名を受けて入団。 2002年、ルーキーながら40試合に出場し、プロ初本塁打も打った。 2003年には二軍でチームトップの打率.303、11盗塁を記録し、一軍は8試合の出場にとどまったものの、3割を打った。一軍で打った6安打はすべて左投手からのものだった。 2004年、毎年若手リードオフマンの台頭を課題としてあげていた若松勉監督に抜擢され、一軍に定着。自己最多の91試合に出場し、打率.251、3本塁打、4盗塁とまずまずの結果を残した。稲葉篤紀が不調の際には1番も打った。ただしシーズン当初は右投手に滅法弱く、主に真中満選手との併用となり、左投手の時に先発出場した。 2005年、北海道日本ハムファイターズへFA移籍した稲葉の穴を埋める為、青木宣親とのポジション争いになるように思われたが、志田自身の怪我により開幕一軍入りは果たせず、その結果青木が台頭した為、志田は前年に比べ出場機会を大幅に減らしてしまった。しかし二軍では打率.313、9盗塁と打撃でアピールした。 2006年も二軍で打率.289、7盗塁の好成績を残したが、一軍ではやはり守備固め・代走要員に留まった。 2007年は一軍キャンプスタートとなった。オープン戦では三塁打も記録し、幸先の良いスタートを切った。初めてほぼ一年間一軍ベンチ入りし、59試合に出場したが、主に代走・守備固めでの出場のみで、打席はわずか14打席、プロ入り後初めて安打0本のシーズンとなってしまった。 2008年は7月に一軍に昇格し、ファームで残した高打率を評価され主に代打で起用されるようになった。オリンピック期間中は青木宣親の代役としてセンターのスタメンで起用された。 2009年はシーズン初打席で内海哲也から2004年以来となる本塁打を記録しお立ち台に上がる。クライマックスシリーズ1stステージ第3戦では、8回表1死満塁のチャンスで代打に起用されたが併殺打に倒れる。 2010年は一軍昇格がなく、9月26日、シーズン限りでの現役引退を発表。10月10日のシーズン最終戦の対広島東洋カープ24回戦(神宮球場)で同じく引退を発表したユウキと共に引退試合が行われた。自身は8回裏1死から飯原誉士の代打で現役最終打席に立ち、梅津智弘から三ゴロに倒れた。9回表はライトを守り、現役生活を終えた。 引退後は、スコアラーとしてヤクルトに残る。 2015年第1回WBSC世界野球プレミア12で、日本代表チーム侍ジャパンのスコアラーを務める。 2016年侍ジャパン強化試合、対チャイニーズタイペイ戦でスコアラーを務める。同年11月の強化試合、対メキシコ、オランダ戦でスコアラーを務める。 2017年第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、スコアラーを務める。同年11月の第1回アジアプロ野球チャンピオンシップでもスコアラーを務めた。 2018年からは、当時巨人のゼネラルマネージャーであった鹿取義隆が侍ジャパンのテクニカルディレクターを務めていた縁で、巨人のスコアラーに移籍。当初は広島に駐在し、広島東洋カープとの戦績改善に貢献した。2024年シーズンは投手陣の担当で、先発投手の次回登板への対策を練り、チーム防御率の改善、菅野智之の復活など、チームのリーグ優勝の一助となった。 2025年からは、中日ドラゴンズに移籍。同チームは2025年シーズンより現場運営部内の「チーム戦略グループ」を「データ戦略グループ」へ改称し、アナリストの肩書を新設することとなり、志田は「ゲーム戦略アナリスト兼コーディネーター」を担う。 走攻守にバランスが取れた外野手。現役時代は主に代打や守備固めなどバイプレーヤーとして活躍した。 データ分析能力に定評があり、日本代表スコアラー時代は、第4回WBC日本代表の監督を務めた小久保裕紀(大学時代の先輩)や後任監督の稲葉篤紀(ヤクルト時代の先輩)から厚い信頼を得ている。 座右の銘は「運命を愛し希望に生きる」。 初出場:2002年5月25日、対横浜ベイスターズ7回戦(明治神宮野球場)、7回表に中堅手で出場 初打席・初安打:同上、9回裏に吉見祐治から左前安打 初先発出場:2002年5月28日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、1番・中堅手で先発出場 初盗塁:2002年6月7日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、8回表に二盗(投手:細見和史、捕手:中村武志) 初打点:同上、9回表に田﨑昌弘から左前2点適時打 初本塁打:2002年7月31日、対広島東洋カープ17回戦(明治神宮野球場)、5回裏に河内貴哉から左越ソロ 67 (2002年) 0 (2003年 - 2010年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、265ページ ^ 『2002プロ野球プレイヤーズ名鑑』スポーツニッポン新聞社、2002年。 ^ “ヤクルトの志田が引退を発表 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年5月19日閲覧。 ^ “【ヤクルト】ユウキ、志田が引退試合 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年5月19日閲覧。 ^ 先乗りスコアラーでチームの頭脳に(ヤクルト・志田宗大外野手 31歳) デイリースポーツonline/第2の人生へプレーボール ^ 快進撃、データで支援=侍の志田スコアラー-WBC ^ “ヤクルトから巨人入団の志田スコアラー 青木を「丸裸にします」”. Sponichi Annex. (2018年2月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/02/01/kiji/20180131s00001173340000c.html 2022年4月22日閲覧。 ^ 「中日に”侍ジャパンの頭脳”注入! ”アナリスト”志田宗大さんを招聘、日本代表やヤクルト・巨人でチーム支える」『中日スポーツ』2024年12月23日。2024年12月24日閲覧。 ^ “志田&吉本が1号アベック!自力V消滅危機救った - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年5月19日閲覧。 ^ INC, SANKEI DIGITAL. “情報戦でV奪回!巨人に『侍の頭脳』志田宗大スコアラー招へいへ”. SANSPO.COM. 2021年5月19日閲覧。 ^ “志田&吉本が1号アベック!自力V消滅危機救った - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年5月19日閲覧。 ^ “巨人に侍の頭脳注入!ヤクルト志田スコアラー招聘へ - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2021年5月19日閲覧。 ^ “巨人V奪回へ“侍Jの頭脳”ヤクルト志田スコアラー招へい検討 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年2月20日閲覧。 岩手県出身の人物一覧 青山学院大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 志田宗大 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 表 話 編 歴 自由獲得枠:石川雅規 2巡目:梶本勇介 4巡目:内田和也 5巡目:福川将和 6巡目:萩原多賀彦 7巡目:五十嵐貴章 8巡目:志田宗大 表 話 編 歴 30 河原井正雄 31 太田紘一 32 石橋智 33 岩井美樹 34 野村徹 35 大島義晴 36 神山敬章 10 松田克也 11 武藤幸司 12 鎌田祐哉 14 石川雅規 16 藤井秀悟 17 山田秋親 18 田中総司 19 吉川昌宏 41 五十嵐貴章 44 出島紀彦 47 佐々木貴幸 21 石原慶幸 22 的場直樹 23 阿部慎之助 1 平野恵一 3 星川学 4 渡辺剛史 5 四之宮洋介 6 梅沢健 7 久保田智 8 梶原康司 9 阿部真宏 42 岡崎哲也 48 藤田和貴 15 荒金久雄 20 志田宗大 24 葛城育郎 25 上田高嘉 26 佐藤友亮 29 廣瀬純 43 小林大祐 45 阿部雄二 46 高橋靖 49 明平正和 日本の野球選手 仙台育英学園高等学校出身の野球選手 青山学院大学硬式野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ関連人物 中日ドラゴンズ関連人物 岩手県出身の人物 1979年生 存命人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2016年2月 2025/01/25 02:08更新
|
shida munehiro
志田宗大と同じ誕生日6月16日生まれ、同じ岩手出身の人
TOPニュース
志田宗大と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「志田宗大」を素材として二次利用しています。