斯波忠三郎の情報(しばちゅうさぶろう) 工学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
斯波忠三郎と関係のある人
和田小六: 1932年(昭和7年)、斯波忠三郎の後を受けて、所員間の選挙で航空研究所の所長に選出された。 |
斯波忠三郎の情報まとめ
斯波 忠三郎(しば ちゅうさぶろう)さんの誕生日は1871年4月27日です。石川出身の工学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1934年に亡くなられているようです。
斯波忠三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)斯波 忠三郎(しば ちゅうざぶろう、明治5年3月8日(1872年4月15日) – 1934年(昭和9年)10月3日)は、日本の船舶工学者、東京帝国大学教授。貴族院男爵議員。 男爵斯波蕃の長男として生まれ、1907年(明治40年)3月18日に男爵を襲爵した。1894年(明治27年)、東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業。大学院に進み、1896年(明治29年)に同大学助教授となった。1899年(明治32年)からイギリス・フランス・ドイツに留学し、1901年(明治34年)に帰国。直ちに教授に任命され、後に3度にわたって評議員を務めた。1902年(明治35年)には工学博士号を取得。1906年(明治39年)から海軍大学校教授も兼ね、機関将校の育成に当たった。その他、特許局審判官、日本機械学会評議員・会長、日本海事協会評議員・監事・理事・理事長、帝国飛行協会評議員・理事などを務めた。 1917年(大正6年)11月17日に貴族院議員補欠選挙で男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し死去するまで在任した。 1923年(大正12年)、航空研究所所長に就任。1932年(昭和7年)に東京帝国大学を退官し、翌年に名誉教授となった。 1931年(昭和6年)に南満州鉄道株式会社顧問に就任し、さらに技術局の創設とともに技術局長となった。技術局長として、満州化学工業株式会社・日満マグネシウム株式会社を創設し、それぞれ社長に就任した。 1900年(明治33年)9月10日 - 従五位 1912年(明治45年)4月30日 - 従四位 1922年(大正11年)6月30日 - 従三位 『蒸汽機関』(大倉書店、1906年) 長男:斯波正夫(貴族院男爵議員) 岳父:進十六(長州藩士、司法官) 義弟:鈴木文太郎(京都帝国大学医科大学教授) 長女:輝 - 佐々木勇之助の三男・和三郎の妻 ^ 「故斯波忠三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114262700 ^ 『官報』第7113号、明治40年3月19日。 ^ 『官報』第1590号、大正6年11月19日。 ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』73頁。 ^ 『官報』第5159号「叙任及辞令」1900年9月11日。 ^ 『官報』第8657号「叙任及辞令」1912年5月1日。 ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1922年7月1日。 ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、718-719頁。 ^ 人事興信所 1928, シ116頁. ^ 人事興信所 1911, す59頁. ^ 『学界異聞』大塚虎雄、先進社、1931年、p146 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810。 人事興信所 編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779812。 「故斯波忠三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114262700 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。 ISNI VIAF 日本 貴族院男爵議員 大正時代の貴族院議員 昭和時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 南満洲鉄道の人物 東京大学の教員 日本の船舶工学者 戦前日本の学者 大日本帝国海軍文官 斯波男爵家 東京大学出身の人物 1872年生 1934年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2025/01/24 01:35更新
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shiba chuusaburou
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