和田小六の情報(わだころく) 航空工学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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和田小六の情報まとめ
和田 小六(わだ ころく)さんの誕生日は1890年8月5日です。東京出身の航空工学者のようです。
卒業、現在に関する情報もありますね。1952年に亡くなられているようです。
和田小六のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)和田 小六(わだ ころく、1890年(明治23年)8月5日 - 1952年(昭和27年)6月11日)は、日本の工学者。長距離飛行の世界記録を打ち立てた航研機の開発など、東京帝国大学航空研究所長として日本の航空工学の発展に貢献した。東京工業大学学長、東京帝国大学教授、千葉工業大学3代目顧問などを務めた。 父は木戸孝正で、木戸孝允は義理の祖父に当たる。妻は吉川重吉の娘で、獅子文六の妻の妹。長女・正子の夫は都留重人、次女・綾子の夫は新日本電気会長肥後一郎。長男・和田昭允は東京大学名誉教授で東京大学理学部長、日本学術会議第4部長、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター所長を務めた。 1890年(明治23年)8月5日、木戸孝正・壽栄子夫妻の次男として東京府で生まれた。政治家の木戸幸一は兄である。学習院中等科を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)造船学科に入学する。1915年(大正4年)に大学を卒業し、同大学院に進学し航空工学を専攻した。1919年(大正8年)、祖父の木戸孝允の生家である和田家を継ぐため、和田小六に改名し、孝允の異母姉の子である和田芳助より和田家を継承した。 1920年(大正9年)より文部省留学生としてイギリス、アメリカ、ドイツ、フランスへ留学した。この間、ルートヴィヒ・プラントルやセオドア・フォン・カルマンから航空技術を学んでいる。留学中の1921年(大正10年)に東京帝国大学航空研究所の所員となり、翌1922年(大正11年)に帰国した。文部省の航空用語調査委員などを務める一方、1923年(大正12年)には東京帝国大学工学部の教授に就任した。1927年(昭和2年)には『不等空気速度の測定について』という論文で博士号を取得している。このころ風洞の研究を行ない、田中舘愛橘らと交流があった。 1932年(昭和7年)、斯波忠三郎の後を受けて、所員間の選挙で航空研究所の所長に選出された。中小企業だった東京瓦斯電気工業(現在のいすゞ自動車や日野自動車)に機体開発を依頼し、エンジンにはBMWの中古ガソリンエンジンを用いるなど工夫をこらし、航研機の開発を指導した。この機は1938年(昭和13年)5月13日に千葉県木更津の海軍飛行場を離陸して、千葉県銚子を経て群馬県太田の中島飛行機株式会社の本館上空で左旋回し、神奈川県平塚海岸の航空灯台を回って、木更津の基点に戻る1周401.759kmの3角コースで11,651kmという長距離飛行の世界記録を樹立した。1942年(昭和17年)に政府によって内閣に技術院が設立されるとその次長となった。当時、航空研究所を技術院に移管する計画があったが和田はこれを拒否している。 1944年(昭和19年)12月、レーダー開発のため東京工業大学学長だった八木秀次が技術院総裁に迎えられ、和田は後任として同大学の学長に就任した。この頃の和田のメモには、社会における研究活動の在り方に関する考察が残されており、終戦間もない1945年(昭和20年)9月28日に大学改革の提案を行なった。この改革ではマサチューセッツ工科大学を参考にしたもので、GHQに評価され、翌年に和田は「大学設立基準設定に関する協議会」第二委員会の委員長に任命されている。1952年(昭和27年)6月11日、胃癌のため62歳で逝去。墓所は多磨霊園。勲一等瑞宝章が追贈された。 和田小六「大学における工業教育」 「科学」Vol.22,No.4 165 - 170(1952年)岩波書店 杉谷祐美子「和田小六-大学教育論の再検討」 大学教育学会誌Vol.20,114 - 118(1998年) 杉谷祐美子「戦後東京工業大学改革過程における教養教育の成立-その背景と条件」Vol.21, 64 - 71(1999年) 岡田大士「東京工業大学における第二次大戦直後の大学改革-『東京工業大学刷新要綱成立過程とその評価』-」 科学史研究 Vol.40, 1 - 11(2001年) 岡田大士『航研機と新制大学』 材料技術、Vol.24(4)、P.193 - 196(2006年) 寺崎昌男「日本の大学-歴史と改革課題」岩波講座・現代の教育10「変貌する高等教育」 p55 - 83 谷一郎「我が国の流体力学の先覚を語る」「ながれ」Vol.4 3 - 8 (1985年) 木村孟 中央教育審議会教育制度分科会(第3回)2001年(平成13年)6月16日(木) 議事要旨 富塚清『航研機』 三樹書房 (1996年) 和田昭允『物理学は越境する―ゲノムへの道』 岩波書店(2005年) D.E.リリエンソール著、和田小六、和田昭允訳「TVA―総合開発の歴史的実験」岩波書店(1978年) ^ [日本大百科全書(ニッポニカ)「和田小六」(コトバンク) ] ^ 『千葉工業大学50年史』より 表 話 編 歴 田中雄二郎 2024- 初代 中村幸之助 1929-1942 第2代 八木秀次 1942-1944 事務取扱 渡辺孫一郎 1944 第3代 和田小六 1944-1952 事務取扱 山本勇 1952 第4代 内田俊一 1952-1958 第5代 山内俊吉 1958-1962 第6代 大山義年 1962-1966 第7代 實吉純一 1966-1968 事務取扱/第8代 斯波忠夫 1968/1968-1969 事務取扱/第9代 加藤六美 1969/1969-1973 第10代 川上正光 1973-1977 第11代 齋藤進六 1977-1981 第12代 松田武彦 1981-1985 第13代 田中郁三 1985-1989 第14代 末松安晴 1989-1993 第15代 木村孟 1993-1997 第16代 内藤喜之 1997-2001 第17代 相澤益男 2001-2007 第18代 伊賀健一 2007-2012 第19代 三島良直 2012-2018 第20代 益一哉 2018-2024 事務取扱 山岡次郎 1881 校長/管理/校長 正木退蔵 1881-1886/1886-1887/1887-1890 手島精一 1890 手島精一 1890-1898 心得/校長 阪田貞一 1898/1898-1899 手島精一 1899-1901 手島精一 1901-1916 阪田貞一 1916-1920 事務取扱/校長 吉武栄之進 1920/1920-1926 中村幸之助 1926-1929 斎藤俊吉 1929-1931 事務取扱 八木秀次 1944 事務取扱 和田小六 1944-1948? 島峰徹 1928-1944 島峰徹 1944-1945 事務取扱/校長 長尾優 1945/1945-1950 事務取扱/学長 長尾優 1946/1946-1961 岡田正弘 1961-1968 事務取扱/学長 太田敬三 1968/1968-1969 事務取扱/学長 清水文彦 1969-1970/1970-1974 勝木保次 1974-1977 吉田久 1977-1985 加納六郎 1985-1991 山本肇 1991-1995 鈴木章夫 1995-2008 大山喬史 2008-2014 吉澤靖之 2014-2020 田中雄二郎 2020-2024 カテゴリ メディア 東京科学大学 東京科学大学 東京工業大学の人物 東京医科歯科大学の人物 ISNI VIAF アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 日本の航空工学者 東京工業大学学長 東京工業大学の教員 東京大学の教員 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 学習院中・高等科出身の人物 宇宙航空研究開発機構の人物 勲一等瑞宝章受章者 木戸家 千葉工業大学の人物 東京都出身の人物 胃癌で亡くなった人物 1890年生 1952年没 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 科学者関連のスタブ項目
2024/11/20 15:38更新
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