有働由美子アナウンサーの情報 (うどうゆみこ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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有働由美子と関係のある人
近江友里恵: NHKを退職した有働由美子の後任として『あさイチ』のメイン司会に就任。 鈴木奈穂子: 2010年度の改編に伴う異動で、島津有理子が有働由美子の後任としてアメリカ総局(ニューヨーク支局)へ異動することとなったため、島津が担当していた『NHKニュースおはよう日本』と東京の地デジ大使を引き継いだ。 山﨑夕貴: 自身が初代MCを担当した『ノンストップ!』の裏番組『あさイチ』(NHK総合テレビ)の初代キャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)と何度か食事をしたことがある。 キルビルPainB.B.: 有働由美子アナに「他局...」と突っ込まれるというハプニングを生む。 阿座上洋平: 有働由美子とフカボリ記者(日本テレビ) 安藤優子: 『あさイチ』の初代キャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー、2018年10月1日より日テレ系報道番組『news zero』メインキャスタ-)についても大ファンであると公言。 松本和也: 池田達郎、伊藤憲、有働由美子、浦田典明、大岡優一郎、大野克郎、金澤利夫、鹿野睦、河島康一、黒崎めぐみ、近藤庸子、墨屋那津子、髙橋徹、滝内泉、武内陶子、武田涼介、田村泰崇、寺谷一紀、中谷文彦、比留間亮司、兼清麻美(旧姓・山下)、山田貴幸、山本志保、吉松欣史、若林則康(以上アナウンサー) 原田泰造: もしも明日…「家族が失業したら」(2012年)※有働由美子(当時NHKアナウンサー)と共に司会 佐藤輝明: 大の阪神ファンであるフリーアナウンサーの有働由美子は、阪神の選手の中でも佐藤を特に応援しており、佐藤のことを『テルテル』と呼んでいる。 堀尾正明: NHK大阪放送局時代では、新人アナウンサーの指導係も担当、有働由美子も指導した。 武内陶子: 有働由美子は大学で後輩、NHKで同期であり同じ番組を担当することも多い。 宮本信子: 『あまちゃん』放送当時、同作と同作直後に生放送される『あさイチ』を視聴、『あさイチ』のキャスターである井ノ原快彦(20th Century)・有働由美子(NHKアナウンサー)が行う「あま受け」を楽しんでいた。 西堀裕美: 「あさイチ」の共演者は、当初は井ノ原快彦が「にっしー」、有働由美子が「西堀ちゃん」、柳沢秀夫解説委員(現・解説委員長)が「西ヤン」と呼んでいたが、その後は井ノ原も「西ヤン」と呼ぶようになっていた。 内藤裕子: うどうのらじお(ニッポン放送、2022年9月9日、有働由美子夏季休暇時の代理パーソナリティ) 羽田美智子: うどうのらじお(2020年9月18日、ニッポン放送) - 有働由美子夏期休暇時の代理パーソナリティー 島津有理子: 2010年度の定期異動により有働由美子と交代でアメリカ総局へ2年間派遣。 武内陶子: 2007年6月に、アメリカ総局へ転勤する有働由美子から『スタジオパークからこんにちは』を後継した。 山崎夕貴: 自身が初代MCを担当した『ノンストップ!』の裏番組『あさイチ』(NHK総合テレビ)の初代キャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)と何度か食事をしたことがある。 雨宮萌果: うどうのらじお - (2022年8月19日、2023年2月24日 )ニッポン放送-有働由美子休演時代理パーソナリティ 谷村新司: 2001年の『第52回NHK紅白歌合戦』出演時、本番中舞台袖の布をカーテンとしたスペースで着替えをしていた紅組司会の有働由美子(当時NHKアナウンサー)に対し、「うどちゃん頑張ってね」と布をめくって着替えを覗いた。 中村智子: また高校の同期生には、NHKアナウンサー有働由美子がいる。 伊藤由紀子: 「おはよう日本」午前7時台を担当の有働由美子と同い年だが、1年遅い入局。 藤井貴彦: 2023年12月14日に、2024年3月で『news every.』を降板して4月から『news zero』で有働由美子からメインキャスターを後継することが発表された。 小倉智昭: 『あさイチ』の初代メインキャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)とは、コンサートで顔を合わせることもあるが、あまり口を利かないという。 笛吹雅子: 元NHKアナウンサーの有働由美子とは、大学の同級生で交友がある。 |
有働由美子
有働 由美子(うどう ゆみこ)さんの誕生日は1969年3月22日です。大阪出身のアナウンサーのようです。
人物、パーソナルデータ、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、現在、結婚、父親、母親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。有働由美子の現在の年齢は55歳のようです。
有働 由美子(うどう ゆみこ、1969年〈昭和44年〉3月22日 - )は、日本の女性フリーアナウンサー、ジャーナリスト。元NHKエグゼクティブアナウンサー。ナチュラルエイト所属。 鹿児島県日置郡伊集院町(現・鹿児島県日置市)で誕生。両親は熊本県の出身。4歳まで鹿児島県に居住。妹が1人。その後、兵庫県、大阪府で育つ。 大阪府立北野高等学校、神戸女学院大学文学部総合文化学科 卒業。 中学・高校時代は剣道部所属。大学では大学祭実行委員として、イベントの裏方をしていた。 1991年4月、NHKへ入局。大阪放送局に配属。最初はスポーツを担当。 1994年3月、東京アナウンス室へ異動。 以降、1994年(入局3年目)から担当した『NHKニュースおはよう日本』をはじめ『サタデースポーツ』・『サンデースポーツ』・オリンピックの中継・『NHKニュース10』・『あさイチ』などで、キャスターを担当することになる(以下で説明)。 2001年 - 2003年までは、『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を担当。 2002年4月1日、『NHKニュース10』のスポーツ担当( ~2006年3月31日)。 2004年3月29日には『NHKニュース10』のメインキャスターに就任(スポーツ担当も継続して兼任。 ~2006年3月31日)。 2006年4月からは、スポーツ・報道の現場を離れると同時に小川浩司と共に『スタジオパークからこんにちは』の司会を務める。その後、小川が体調を崩したこともあり、有働が単独でゲストとトークを行うスタイルが確立された。2007年度には相方が遠藤亮に交代した。 2007年6月、アナウンサー職のままアメリカ総局(ニューヨーク)へ異動。これは、アナウンサー職のまま特派員になる初事例であった。アメリカ滞在中の2008年6月16日付で管理職に昇格した。2010年春、アメリカ総局から東京アナウンス室へ復帰。 2010年3月29日、新番組『あさイチ』の初代メインキャスターに就任(~2018年3月30日)。 2012年 - 2015年の紅白歌合戦では、総合司会を務める。 2013年2月1日、『TV60 日テレ×NHK 60番勝負』の番組宣伝のため日本テレビ『PON!』に出演、NHKの現職女性アナウンサーが民放在京キー局制作の情報番組に出演するのは史上初。 2018年3月31日、27年間在職したNHKを退職。退職後はジャーナリストとして活動する意向とのことであった。 NHK退職後の同年4月26日、くりぃむしちゅーやマツコ・デラックスが所属する事務所であるナチュラルエイトに所属することを発表。また、同年5月30日に放送された『マツコ、昨日死んだってよ。』(テレビ東京)でナレーションを担当、フリー転身後NHK以外への初の出演となった。 2018年10月、『news zero』(日本テレビ)のメインキャスターに就任。( ~現在) 2019年11月9日、天皇の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典の司会を俳優の谷原章介と共につとめた。 2022年8月中旬から、『news zero』でウクライナ情勢の取材の為、ウクライナ・キーウへ渡航し、現地中継で伝えた。 人物、パーソナルデータ読書、温泉、旅行、料理 等々多数。 酒好きである。2023年11月5日、日本一を決めた阪神タイガースの祝勝会に取材で参加し、ビールかけを体験したが、翌日の「NEWS ZERO」の生放送で「やっぱりビールは頭からかけられて飲むんじゃなくて、普通に飲むほうが旨い」と感想を語っている。 久米宏のファンであり、学生時代は久米がメインキャスターを務めたテレビ朝日『ニュースステーション』(有働が学生時代を過ごした関西地区では朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉にネット)をよく視聴していた。その後、『ニュースステーション』の裏番組『ニュース10』のキャスターとなっている。 長年サザンオールスターズのファンである。 TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の大ファンである。 茶道、早食い。 剣道(2段) 身長162cm。血液型はO型。 その他、きわめて私的な生活や内面については「#プライベート」の節で記述。 エピソード小学生の頃から、「新聞記者のように、人の知らないことを誰かに伝える仕事をしたいと思っていた」という。大学生の時に湾岸戦争が勃発。戦火の中、世界中のテレビ局の特派員が戦況を伝えている姿を見て、テレビの世界のジャーナリズムに憧れ、アナウンサーを志望するようになった。 NHK以外のテレビ局のアナウンサー試験も受験し、幾つか内定が出ていたが、得意の英語を活かすため海外に放送局を沢山持つNHKを選んだ。 初任地・大阪では、アナウンサーとしての発音やアクセントが下手で、先輩はもとより視聴者にも怒られたという。「やっぱり私なんてテレビに出るアナウンサーになんかなっちゃいけなかったんだ」と、将来が不安で別の進路を真剣に考えたこともあったが、先輩の指導と、取材先の中高年者の「そのうち上手くなるかもしれへんから」の言葉に支えられ、何とか続けてこられたと話す。 1994年リレハンメルオリンピックのスキージャンプラージヒル団体日本選手団最終ジャンパーで失敗ジャンプに終わった原田雅彦が、嫌がらせの電話が自宅にもかかってくるほどバッシングを受ける中、原田の妻に「心ない言葉をかけられ、おつらいとは思いますが、陰ながら応援しております」と激励の手紙を送った。 1998年長野オリンピックでは、スキージャンプラージヒル団体優勝直後の日本選手団にインタビューした。 2000年シドニーオリンピック100kg級決勝での篠原信一の誤審による敗退を涙ながらに伝えた。 数多くの結婚式の司会も担当してきた。 自身の声を「低い」と認識している。 アメリカ総局時代、母国語以外で生活することに大変苦労したという。「ようやく英語での生活に慣れた頃、東京復帰を命じられた」とも述べている NHK時代末期(2013年時点)の年収は1300 - 1500万程度とされているほか、将来は局内の出世コースに乗るとも言われていた。 2016年4月開始の『クローズアップ現代+』のキャスターに起用される予定だったが、見送りになったとされる。 NHK時代にはフリー転身の噂が絶えなかった。 NHK退職を考えていた時期(2017年夏頃)、大阪局時代から親しくしていた先輩(新人時代の指導係でもあった)の堀尾正明に相談をしていた。 テレビ東京の『マツコ&亨のビューティー言いたい放題』(2018年12月29日放送)に出演した際、「管理職への移動を打診されたことがNHKからの退職を考えるきっかけとなった」「マツコ・デラックスに退職について在局中から相談していたこともあり、同じ事務所に所属することにした」と語った。 生活情報番組『あさイチ』への出演について、「独身で結婚も子育ても経験のない自分では通用しないんじゃないか、番組には生放送中に視聴者の方からFAXやメールが届きますが、その内容も主婦経験のない私がきちんと受け止められるのか、不安でしたし、今も不安です。でも悩んだ末に、自分に分かることしか分からないし、分からないことは分からないとはっきりと示して、放送中でも視聴者を含めた誰かに素直に聞けばいいんだと開き直りました。だから番組中に視聴者の方に怒られることもしばしばです。でもそれを恐れずに正直なスタンスで臨むようにしています」と語っている。 番組開始前、キャスターパートナーが20th Centuryの井ノ原快彦だと知った際、「アイドルと一緒に司会と聞いて、こりゃ偉いことになった」と思っていた。司会といってもあくまで“お飾り”と思い、コメントを用意したり、失言をフォローしたり、機嫌をとったりしなくてはならないだろうと頭を抱えていた。しかしその後、「今や、私の方が失言する。私の方が機嫌を取ってもらっている。私の言葉足らずを、イノッチがフォローしてくれる」と発言している。 2010年の「垂れ乳」特集の後、朝のジョギングの時に、人があまりいないことを確認しながら両手で胸を押さえて走るようになったことがあった。 2013年5月2日付の『あさイチ』ブログに「要望が多ければ自分の『ヌード』をブログに掲載する」と綴り、話題を集めた。 2013年9月20日放送分に能年玲奈(現:のん)がゲスト出演した際、能年に変顔や白目をやるよう要求しそれを実際にさせた。これについて『週刊文春』(2013年10月3日号)は「有働は“聞く力”ゼロ」と評した。 『週刊朝日』2014年1月3・10日号などのメディアにおいて、2014年春を以って有働が井ノ原と揃って『あさイチ』を降板する可能性があることが報じられた。しかし、実現しなかった。 2014年3月28日放送分にAKB48グループの総合プロデューサー・秋元康がゲスト出演した際、秋元から「大人AKB」(30代以上の女性をAKB48のメンバーに起用する)の企画を紹介され、メンバー就任に意欲を見せる発言を行った。 2016年7月15日放送分で「トイレでお漏らしをして下着を汚した」と発言し、視聴者から苦情が寄せられ、謝罪するという一幕があった。 2016年10月19日放送分で「幸せ自慢の年賀状」について、否定的な発言をした。 『あさイチ』降板日となった2018年3月30日では、前日に飲酒をした影響で声が出ないという失態を犯した。 『あさイチ』降板後も井ノ原とは、メールをするなど交流を続けている。 『あさイチ』にて、彼女が本番中に多量の脇汗をかき、それが衣服に染みてはっきりと見て取れることがネットコミュニティ等でも話題となり、2011年5月27日には本番中に「脇汗を平気で見せて信じられない。同じ女性として見ていられない」という苦情FAXを自身が読み上げる事態にまでなった。 上述の脇汗苦情FAXの紹介の反響が大きかったことを受け、同年6月7日(火曜日)『あさイチ』において「番組冒頭:なぜか気になる ワキ汗」として特集を組み、多汗の専門医や、対策用品を出しているメーカーに取材し、「何故脇の汗は気になるのか、そしてどう対策するのが良いか」を紹介するに至っている。これがきっかけとなり、ライオンはBanの新商品を開発することとなった。 2011年6月11日の『あさイチ』ブ〜ログ「ワキアセと涙」において、「一応まだ自分では嫁入り前のつもりでおりますので、今後出会うであろう、いや絶対出会うはずの"王子様"が、ワキアセ嫌いな人だったらどうしよう、、と心病んでおります。(もう遅いか)」と記載されている。 また福山雅治がニッポン放送『魂のラジオ』内で「有働アナはワキガではなく脇汗」ということを話すと、『あさイチ』宛に「『魂のラジオ』を聞いた者がワキガは恥ずかしいことではない」と勘違いしたままの葉書が届いた。 NHK紅白歌合戦(以下、紅白)の司会を務める際は、本番で着用する衣装に総額数千万単位の予算をかけることもある。 紅白の司会に起用されているが、2005年夏発売の週刊誌に「大御所歌手への配慮が必要なこと」「着替え場所がしっかり整っていない」という点から本人は紅白の司会を嫌っていると報じられたことがある。 紅白で紅組司会を務めた時(2001年 - 2003年)には、本番前に全紅組歌手に手紙を書いて渡した(本番が迫る歌手から返事の手紙を貰ったとし、これを本人は反省しているという)。2003年を最後に紅組司会を退いてから2012年に総合司会として司会復帰するまでの9年間、大晦日は毎年紅白を視聴し「進行が遅れている」等と思いながら観ていた事もあったという(2011年の紅白での、芦田愛菜・鈴木福(薫と友樹、たまにムック。)の「マル・マル・モリ・モリ!」歌唱時にはテレビの前で自身の甥とともに歌に合わせて踊っていたと述べている)。 紅白司会をはじめ各番組の進行、仕切り、時間の読み(番組内での持ち時間、尺)に関しては完璧なアナウンサーであるという褒めコメントをバーニングプロダクションの制作プロデューサーである平野昌一がコメントしている。また有働本人も平野との親交が深い。 通算7度司会を担当しており、これは女性の最多記録である。 民放での番組初出演となった先述の『PON!』出演時、「(スタジオが)狭いですね…」「民放さんってお金があるので(スタジオは)もっと広いのかなぁ、と思ってたんですけど…」などと毒舌気味に発言した。これについてNHK関係者は「あの発言は有働さんの“ネタトーク”です。(中略)あの発言を真剣に受け止めて怒る人はいないんじゃないですか?」と語っている。 阪神ファンである。中でも佐藤輝明選手を特に応援しており、news zeroやうどうのらじおなどで、佐藤のことを『テルテル』と呼んで応援している。 父親が生粋の読売ジャイアンツファンであり、幼少期より父に巨人戦ばかり視聴させられてきたため、その反発で阪神ファンとなり、同時にアンチ巨人にもなった。一方で1997年、『サタデースポーツ』・『サンデースポーツ』を担当するにあたり巨人の宮崎キャンプを取材した際、当時巨人監督の長嶋茂雄と会話し、以後「長嶋監督、好き!」という気持ちになった。 2006年4月23日、BSハイビジョンでのNHKプロ野球「読売ジャイアンツ対阪神タイガース」の中継で初めて実況を担当。 日本テレビ報道局社会部専門副部長の記者で、元アナウンサーの笛吹雅子とは、大学の同級生で交友がある。『news zero』(2018年11月30日放送)では、皇室担当の笛吹と共演した。 NHKの同期入局アナウンサーは武内陶子・兼清麻美・黒崎めぐみ・山本志保・池田達郎・武田涼介・中谷文彦・松本和也・大野克郎・若林則康・河島康一・伊藤憲・髙橋徹ほか 『あさイチ』の裏番組『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)の総合司会である小倉智昭とは、コンサートで顔を合わせることがあるが、あまり口を利かないという。小倉は有働をライバル視していた。小倉が2017年5月30日放送の『ごごナマ』で有働のことをライバルと公言した後、有働は小倉に「ライバルなんて言っていただいて光栄です」と手紙を送った。小倉はこの手紙を宝物として飾っている。 フジテレビアナウンサーの山﨑夕貴と何度か食事をしたことがある。 NHK退職後の2018年8月、プラン・インターナショナルのチャイルドスポンサーとして交流していたウガンダのチャイルドと対面を果たすと同時に、ジャーナリストとしてどうに日本に伝えるか指針になった。 2014年10月に著書『ウドウロク』を出版し、自身のプライベートについて紹介した(ISBN 978-4103366317)(視聴者たちは放送中(仕事中)の発言によって有働のプライベートのことも含めていろいろなことを聞かされてはいるわけだが、この著書では、普段の放送では語っていなかったこと、放送中には語りづらいような内面の奥深くにあることなども含めて、あらためて文字で伝えている)。上から読むと「有働録」下から読むと「クロ(黒)有働」となるタイトルが選ばれている。 『ウドウロク』によると、イモトアヤコに似ていると言われることが多い、とのこと。 40代を越えてからスーパーマーケットに行き辛いという。 仕事で躓くと母親に電話し、励ましてもらうことが多かった。 2011年9月に母親を癌で亡くした。 母親の癌を知った際はショックだったという。死後、もっと良い治療法があったのではと後悔することがある。末期において、「死んだらずっと由美子に付いてあげる」と母親に言われ、母親の死後「痛みから解放され、天国から私を見守っているのだ」「母はもう幸せなのだ」という言葉をあらゆる本から探して納得した一方、科学者の説く「死後は意志も意識もない、ただ灰になるのみ」という解釈を読み、虚無感に苛まれ、彼らを逆恨みした。 父親は厳格者で、有働が大学生になってからも男女交際は事実上禁止、門限は20時半と決められていた。 未婚だが、何度か交際を報道されたことはある。特に2000年秋の石井琢朗との交際時は変装(巻き髪のカツラを被ってサングラスも着用)して合鍵を手に石井の自宅に入る様子をカメラに撮られ、両者の交際が発覚したという逸話がある。2013年11月にも交際が報道された(次述)。 2011年秋、『アサ芸プラス』は同時期に有働が親しい局内のベテランスタッフに「下は30歳から、上は還暦までOKです」などとアピールをしているとのNHK関係者の話を掲載した。 2013年11月、同月下旬に地方企業で役員を務める5歳年下の青年実業家と手つなぎデートを楽しんだ有働が、そのまま2人仲良く有働の自宅マンションで“お泊まり”するラブラブぶりを見せたところをキャッチされた。以後、『あさイチ』内で共演者からこの件で弄られることも多かった。ただし、有働はこの男性との結婚には極めて消極的だと言われた。この男性とは後に破局したと言われた。だが、実際は交際を続けている、とも書かれた(2017年6月時点)。 2016年5月18日に『あさイチ』で「女性リアル どう思う?“子どもがいない”生き方」という特集が組まれた回では、番組冒頭で「去年ようやく出産の可能性を諦め、やっとひとりで生きて行く自信が出てきた」と発言。ほかにも逐次、そうした境地に至るまでの経緯も振り返り、2007年から特派員としてニューヨークに派遣されていた当時のことを思い出しつつ「体調が悪くて病院行ったら産婦人科に回されて、『あんたこのままのペースで仕事していたら、卵巣がダメになって出産できませんよ』と言われた。何かとんでもない間違いをしたというか、産む可能性、機能があるのに無駄にしたんじゃないかと思って、気が狂っちゃうほど泣いたりして、病院に通った」「仕事との兼ね合いで、《産みたい気持ち》が行ったり来たりしていた」「昨年ぐらいから『もう無理かな』とやっと気持ちがフラットに落ち着いた」など、自身の体験や気持ちの変遷を、みずから分析しつつ視聴者に明かした。 2024/05/23 08:30更新
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udou yumiko
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